誰をおさがしですか?
澄田こころ(伊勢村朱音)
誰をおさがしですか?
「おーい、
ヨレヨレの背広にくせ毛がのび放題の叔父さんの背中を、あわてて呼び止める。
「ちょっと、待ってよ。留守の間に依頼人が来たらどうするの?」
僕は、高校二年生。叔父さんの探偵事務所の雑用アルバイトをはじめたばかり。正直、ひとり残されると不安だ。
「大丈夫、日曜日の夕方なんて誰もこないって。YOUガタガタ(夕方)すんなよ」
親父ギャグに寒気がしたけど、気をもち直す。たしかに、夕方にかぎらずこの探偵事務所はいつも暇だ。今日は午前中に、浮気調査の依頼人がひとり来ただけ。
西日のあたる叔父さんの背中に手を振り見送った。ブラインドをおろしても室内はオレンジ色。リノリウムの床におかれたスチールデスクのパソコンに向かう。入力を頼まれた報告書を打ち込んでいると、ドアがノックされた。
瞬間、肩があがりまだ帰らない叔父さんを恨めしく思う。こういう時に依頼人が来るのは、お決まりなのかな。はあーっと深く息を吐きだすと、立ちあがる。
ドアを開けるとそこには、空色のワンピースを着て白い小さなバックをもった若い女性が立っていた。このうらぶれた探偵事務所に、とても場違いな人。
何かに化かされているんじゃないかと、瞬きを数回する。それでも彼女の姿は消えなかった。
「あの、人を探してほしいのですが?」
お嬢様大学に在学している
正直に探偵の叔父は留守です、といおうとしたけれど、恋した相手にいいかっこをしたい僕は、とりあえずソファに座るようにうながす。彼女が座るのを確認してから、インスタントコーヒーの瓶をあけ、手早くコーヒーをいれた。
飾り気のない白いコーヒーカップをローテーブルにおくと、布香さんは軽く会釈した。その動作と連動して長い髪が揺れ、シャンプーの甘い香りがあたりに漂う。顔がカッと火照ったのを咳払いでごまかし、わざとゆっくり探偵っぽくソファに腰かけた。
午前中の叔父さんの接客を思いだすと、あとは依頼人の目を見て『今日はどうされました?』と聞くのだけれど。
左手にメモ帳、右手にペンを握って準備万端。しかし依頼人の目をどうしても見ることができない。
どうしよう……ここは、叔父さんの言葉を思い出すんだ。
『探偵というものは私情を持ち込んではならない』
探偵の矜持――僕は探偵じゃないけど――を心の隅にひっかけ、いまにもデレそうな顔の筋肉を引きしめ顔をあげた。
「では、依頼の内容をお聞かせください」
彼女の目を見るのは無理なので胸元のリボンを見ながら、極力ひくい声を出す。
「友人を探してほしいのです」
友人? まさか男の人じゃないよね。依頼人の女性が友人という時は、たいてい男と決まっているんだ。と叔父さんは常々言っている。
「どういった関係のご友人ですか?」
何食わぬ顔をして、彼女のプライべートに土足でつっこむ。むろん、調査の一環だ。探偵として。
「名前はきららといい、大切な友人なのです」
「ずいぶんかわいいお名前ですね。漢字は?」
僕はメモを取りながら聞く。
「樹木の樹に、良ふたつで
よかった、樹良々という名の女性に間違いない。しかし、いっしょに暮していたということは、ルームシェアをしていたのだろうか?
「心当たりはないですか? おふたりがケンカをしたとか。最近樹良々さんはふさぎがちだったとか」
「そんなことは、一切ありません。樹良々と私がケンカするだなんて。それに、いつも愛らしい彼女になんの変化もなかった」
……愛らしい彼女。まるで恋人にかける言葉だ。なんとなく友人以上のニュアンスを感じるけど、僕の気のせいかな? でも、曖昧にはできない。しっかり聞き出さないと。もちろん、探偵として。
「失礼ですが、本当にご友人ですか?」
この不躾な質問に、布香さんの顔色が変わる。
「友人いがいありえません。彼女のことを一番にわかっているのはわたしです。そしてわたしの疲れや憂い。すべてのわずらわしいものは、彼女といっしょにいることでいやされるのです。そんな友人関係は、おかしいですか?」
……それはもう、友人以上の関係では? と喉元まで出かかったが、ぐっと飲み込み曖昧に笑う。
「では、その樹良々さんを最後に見た状況を教えてください」
握りしめたペンは、汗でぬるつく。
「いっしょのベッドに寝ていました……」
いっしょのベッド? 思わず顔をあげ、彼女の顔を凝視する。はずかしがるわけでもなく、悲し気に眉根をよせていた。
ああ、やっぱりきれいだな布香さん……。
じゃなくて、僕の失恋は秒で確定した。布香さんと樹良々さんはそういう大人な関係なんだ。
失意の男子高校生をおきざりにして、彼女は話し続ける。
「明け方近く、ゴソゴソしているからトイレかなと思って声をかけませんでした。あの時、抱きしめてひきとめればよかった」
彼女はバックからイタチの絵と数字の1がプリントされたハンカチを出し、にじむ涙をさっとぬぐった。
ああ、そのぬれた瞳に僕以外の人間がうつっているなんて。口を開けば、失恋の愚痴がこぼれそうで、ぎゅっと唇を引き結ぶ。
「お願いです。早く彼女を見つけてください。もうわたし、心配で心配で夜も眠れない。彼女を抱きしめながらでないと、眠れないんです」
切々と訴える彼女を無視することなんて、できない。
たとえ、僕の恋心がズタボロでも。
「……わかりました。では、彼女が立ち寄りそうなところを教えてください。しらみつぶしに探します」
恋情を押し殺した、頼れる探偵スマイルに少しだけ安心したのか、彼女の口元はほころぶ。
「山にいったのかもしれません。彼女とは山で、出会ったので」
「山? 登山がご趣味ですか」
「いえ、樹良々は山に住んでいたのです」
「ずいぶん、田舎の方なんですね」
「山は、秩父のあたりです。あとで地図をおわたしします。紅葉にそまるうつくしい秋の山で、木の根元にうずくまる樹良々と運命的に出会ったのです」
つ、つらい。恋しい相手の口からもれる、僕以外の人間への愛情。
布香さん、僕も今日あなたに運命を感じたのですが……。
「雨あがりで、彼女の灰色の毛はしっとりと濡れていてとても美しかった。わたしの一目ぼれでした」
わかる、わかる! 一目ぼれの高揚感ってやつですよね。
樹良々さんのことをはなす彼女のうっとりと熱をはらむ目に、僕は大きくうなずく。
「わたしはいけないと思いつつ、衰弱していた彼女を抱きかかえて山をおりたのです。そばに母親がいるかもしれないと思いましたが。もう、衝動をおさえることができなかった」
えっ? 抱きかかえて山をおりる? 樹良々さんって、布香さんと同じ年ごろの女性じゃないの?
それも親の許可を得ずに勝手にって……。一気にきな臭い話になってきた。
まさか、彼女はロリコンレ……。げふんげふん。
いや、人さまの性癖に難癖をつけてはいけない。というか、きっと複雑な事情があるんだろう。僕の勘違いかもしれないし。
「では、その山を捜索すればいいのですね」
僕の言葉に彼女はこくりとうなずき、すがりつかんばかりに訴える。
「食べ物だってどうしているか。山には食べ物が豊富でしょうけど、彼女に狩りができるかどうか」
えっ……狩り? 女性が、狩り?
「ず、ずいぶん、ワイルドな方ですね」
僕の疑問は無視される。
「うちでは、果物ばかり食べてたから、虫なんて食べたらお腹をこわしてしまう」
えっ……虫? 狩りをする、虫を食う女。どんな女だ!
だめだ、頭が混乱してきた。しかし、世の中には常識でははかれない人々がいる。この世は多様性の社会。みとめあわなければ、世界は共存できない。
拓也、おまえの懐の深さがいま、試されてるんだ。
口の端が、ギギッとうなりをあげてつりあがる。
「あの、彼女の容貌をお聞かせください」
「はい、樹良々は丸顔でタレ目がかわいい子。そして耳が三角で、なによりとっても抱き心地がいいんです」
丸顔でタレ目、耳は三角で抱き心地がいい。
それって、人間?
「えっと、樹良々さんって、いったい……」
僕が肝心なことを聞き出そうとした瞬間、ドアが勢いよく開けられた。
コンビニのビニール袋をさげた叔父さんが、そこに立っていた。
すたすたと大股で室内に入ってくると、布香さんをじっと見降ろしぶ厚い唇の端をにゅっとあげた。
「お話は立ち聞きしてました」
立ち聞きするぐらいなら、早く助け船だしてくれたらよかったのに。叔父さんは僕の非難の視線を無視してしゃべり続ける。
「その樹良々さんというお友達。タヌキですね?」
はっ? タヌキ……。
「はい、とってもかわいい
叔父さんは勝ち誇ったように、鼻から大きく息を吐きだすと。布香さんの前にひざまずき、彼女の手の中からハンカチを失敬した。
「ハンカチの柄。いたちと数字の1。つまりいたちからたを抜いて1になる。すなわちタヌキ。あなたはいつもこのハンカチを肌身離さず持ち歩き、タヌキである樹良々さんを思っている」
叔父さんのこの恥ずかしいセリフに、布香さんはとうとうこらえきれずに涙をながす。
「お願いです! 早く、みつけてください。彼女のいない生活なんてたえられないんです」
そう言って彼女は叔父さんから、タヌキハンカチを奪い取りさめざめと泣いた。ハンカチから、タヌキっていう推理は見事だけど……。
そんなダジャレハンカチ、持ち歩かないでよ布香さん。あっ、けっして樹良々さんに嫉妬してるわけじゃないから。
翌日、叔父さんは世田谷の警察署に遺失物届を提出した。
数日後には保健所から連絡があり、赤い首輪のタヌキを三人で引き取りにいった。
布香さんは、やつれた顔にはちきれんばかりの笑顔を浮かべ、仔ダヌキを抱きしめた。仔ダヌキ樹良々のタレ目が僕をとらえ、バカにするように笑った気がしたけど、きっと気のせいだ。
僕の恋はまだ終わっていない。
了
ヒントは、タヌキハンカチ以外にもありました。
誰をおさがしですか? 澄田こころ(伊勢村朱音) @tyumei
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