望みの密室

坐久靈二

望みの密室

 人間とは様々な望みを抱く生き物である。

 そして今からお話するのはそんな「望み」を試す奇妙な密室に囚われた者達に訪れる様々な結末である。

 なお、登場人物は全て仮名で記させて頂く。


 事は一人の女が親友から聞いた奇妙な部屋の話に端を発する。

 時は確か1999年の10月中旬頃だった筈だ。


 今回の奇妙な話の主人公は牡丹(仮名)。

 大企業の跡取り息子と婚約し、既に順風満帆かに思われた彼女だったが、一つ不満があった。

 それは婚約者が思いの外財産管理に厳しく、彼女が望むような贅沢は中々叶わなかった、という事だ。


 そんな贅沢極まる悩みを聞かされた牡丹の親友は菜摘(仮名)。

 菜摘は将来が約束された婚約者の玉の輿に乗れるだけで羨ましい身分なのに、その上で不平不満を垂れる牡丹に半ば呆れながら彼女の愚痴を聞いていた。


 しかしふと、菜摘は思い出したようにある奇妙な「部屋」の噂を牡丹に話した。


「近い内に『望みの密室』が開くんだって。」


 菜摘が口にした『望みの密室』という言葉。

 これだけでは意味が分からない牡丹だったが、菜摘はその概要を伝聞範囲で語り始めた。


「なんでも、とある世界的な大富豪、それも王侯貴族と血縁関係にある本物の上流階級が時々お遊びで開くことがあるらしくて、そこから生きて出られた者は大金を手にすることが出来るらしいの。」

「胡散臭い話だねえ……。それに、大金って言われてもどれくらいの規模かによるでしょ。百万ぽっちだって人によっちゃ大金だけど、そんな金額に釣られる程不自由じゃないよ。」

「それが、聞いた話では国が買える規模の金額も理論上は獲得できるって……。」


 牡丹は目の色を変えた。

 依然胡散臭い事には変わりないが、国が買える大金の話には興味がある。

 それをヘソクリにしてしまえば、如何に婚約者の財布の紐が固かろうと関係ない。


「もっと詳しく知っている人の話とかは聞いてないの?」

「というか、案内を貰ってるんだよね……。」


 そう言うと、菜摘は冊子の様なものを鞄から取り出し、牡丹に手渡した。

 愈々怪しい匂いがプンプンするが、牡丹は不思議と冊子の中身に興味を惹かれていた。


「『おめでとうございます。あなたは厳正な抽選の結果〝望みの密室〟に入室する権利を得ました。参加希望者は当招待状をお持ちの上10月22日午前10時、大西洋アクロ島まで。』ねえ……。はっきり言って詐欺にしか見えない文面だけど……。」

「ま、私もそう思うよ。でも牡丹はお金が欲しいっていうから、預けてみてもいいかなって……。」

「私がこんなものに釣られて行くほど馬鹿だとでも?」

「だよねー。」

「ま、くれるって言うなら貰っとくけど。」


 この時は牡丹も真面目に考えていなかった。

 そしてこれは彼女を数奇な運命に誘う招待状となるのだ。




***




 翌日、牡丹はいつも通り婚約者の康介(仮名)にせがんでいた。


「欲しいネックレスがあるんだけど。」

「どうせ高いやつだろ? ま、話は聞いてやるけど、そういうのは特別な日だけで我慢してくれよ……。」


 康介は牡丹のおねだりに辟易している様子だった。


 牡丹は考える。

 自由に使える財布が欲しい。

 康介の意思ではなく、自分が自由自在に使える、それでいて一生無くならないような大金があればいいのに……。――そう考えた時、ふと彼女は親友からもらった招待状のことを思い出した。


「ねえ康介、だったら一つだけ御願いがあるの。」

「なんだよ。今度は服か? それともバッグか?」

「いや、一度だけある島に旅行させて欲しい。それだけ許してくれたら、もう二度と贅沢品をせがんだりしないって約束するから……。」


 康介は大きな溜息を吐き、渋々了承した。


「わかったよ。その代わり、今の言葉、忘れるなよ?」

「うん。」


 この時点でも、まだ牡丹は半信半疑である。

 まあ康介の事はその後も言い包めれば良い。――そう軽く考えての約束だった。


 こうして彼女は10月22日の午前10時に指定された場所に間に合うよう、大西洋上の孤島『アクロ島』へと旅立った。




***




 指定された場所へ行くと、そこには飛行場と奇妙な階段がポツリとあるだけの非常に寂しい小さな島だった。

 一人の男が牡丹を出迎える。


「ようこそお越しくださいました。勇気ある挑戦者様。」

「勇気?」


 牡丹はまだここで何が行われるのか、その内容は聞かされていない。

 見たところ、参加者は彼女一人だけの様だ。


「今からあなたには『望みの密室』に入り、その謎を解いて頂きます。見事この場所へ戻って来ることが出来れば、獲得した賞金は全てあなたの物です。」

「この場所に戻って来ることが出来れば……って、じゃあ戻って来られなかったら……?」

「そう怖がらなくても大丈夫ですよ。謎は至って簡単なものですから。入室者の十人中十人は解けてしまう、非常に簡単なものです。そして謎が解ければ、『望みの密室』を出てこの場所へ戻って来る方法も自ずと解る。」


 牡丹はほんの少し躊躇いを覚えたが、ここまで来て退くことも出来ない。

 第一謎が簡単なもので、賞金も間違い無く出るというのなら、寧ろ有り難い話だ。


「わかりました。やります。」

「そう来なくては。では、私に着いて来てください。」


 牡丹は男の後へ続き、地下への階段を降りて行った、

 その先には重々しい扉が備え付けられている。


「では、開きます。外からはいつでも開きますこの扉ですが、中から出られるかは謎の答え次第。」


 男は扉の取っ手に手を掛けた。

 すると中からカチリ、とロックが外れるような音が聞こえてきた。

 男は取っ手を降ろし、堅牢そうな扉を開く。

 正規の開け方以外では到底破れそうにない。


 男に促されるままに牡丹が部屋へ入ると、そこはちょっとしたホテルの一室の様な、非常に快適そうな空間だった。

 テレビもある、エアコンもある、ふかふかのベッドも、座り心地の良さそうなソファも、食事をとるためのテーブルと椅子もきちんと用意されている。

 奥へ行けば広い風呂もあり、自動で湯沸かしと掃除をしてくれる仕組みになっているようだ。

 トイレは電気保温式の便座にウォシュレットも完備されている。


 そして気になるのは、部屋の隅に置かれたもう一つのテレビである。

 ブラウン管の上には素っ気なく包丁が置いてあり、画面にはだだっ広い空間に一円玉だけが置かれた殺風景な映像が映し出されている。


「あの、これは……?」

「この場所については部屋を出た時にお伝えしますよ。あなたにとって何よりも知りたい情報になるでしょうから。」


 男は答えをはぐらかす。

 テレビの左上には今日の日付と時刻が映し出されている。


『1999年10月22日10時16分』


「因みにそのテレビ、映像が消されてしまえば映されている物も没収になり、再度映し出しましても戻って来ませんのでご注意を。」


 男はこう言っているが、一円玉が没収されたところで大した話ではない。

 しかし一先ずそれは置いておいて、話しを進めるとしよう。

 最後に、一円玉が映し出されたテレビの隣にエレベーターが付いているのを発見した。


「毎日の食事、それから不足した生活必需品はそこからお渡しいたします。つまりあなたはここから脱出するまでの間、何一つ不自由なく過ごすことが出来るという事です。」

「脱出か……。で、賞金は?」


 牡丹の当然の問いに、男は微笑んでまたも答えをはぐらかす。


「それについては私から話さずともすぐにお解りになりますよ。では、幸運を祈ります。」


 そう言い残して、男は部屋を出て行った。

 扉にロックがかかる音が聞こえ、本当に牡丹は此の密室に閉じ込められたのだと自覚した。


 そう思うと、実感すると途端に不安になって来る。

 簡単だと言ったが、今のところヒントは何一つとしてない。

 とりあえず生活は保障され、死ぬことは無さそうなのでそこは安心して、考えるのは明日にしようと、牡丹はこの日は部屋を満喫することに決めた。




***




 次の日、牡丹は目覚まし時計の音と共に目を覚ました。

 どうやらこの目覚まし時計、解除は出来ないらしい。

 するとしばらくして、朝食が調理されてエレベーターから運搬されてきた。


「わざわざ料理してくれるのは助かるなあ。」


 牡丹は朝食の皿を取ると、テーブルに並べ食べ始めた。

 味も悪くない。

 屹度この妙な企画を考えた世界的な大富豪のお抱えのシェフなのだろう。


 食事を終えて身支度をすると、牡丹は先ず部屋の様子を確認する。

 昨日はろくに調べなかったが、何か変なところ、手掛かりは無いだろうか。


 まず目についたのは、一円玉が映し出された部屋のテレビに表示される日付と時刻が変わったことだ。

 当たり前と言えば当たり前だが、変化はそれだけではなかった。


「増えてる……。」


 そう、昨日見た時は一円玉が一つだけだったのが、二円に増えていた。

 もしかすると日を追うごとにこの金額は増えていくのか。――牡丹は考える。


 昨日の男は、部屋から出られればこの場所を教えると言っていた。

 とすると、出来る限り長居して映っている金額を増やしてから出る方がより良い脱出成功になるという事だろう。


 ならば、時間を急ぐ必要は無い。

 脱出の為の確実な答えが分かった頃にはもしかすると本当に大金が映し出されているかもしれない。――牡丹はそう考え、その日の考察を終えた。




***




 その後、暫くはテレビに移されている映像以外何の変化も無い日々が続いた。

 そして脱出方法の鍵も全く見えてこない。

 牡丹も流石に焦りを覚え始めていた。


 しかし、その夜は少し様子が違った。

 時刻は夜中。

 カチリ、と何か聞き覚えのある音が部屋の扉から聞こえてきた。


 牡丹は思わず飛び起き、恐る恐る扉の取っ手に手を掛ける。

 すると、取っ手は下がり、扉を開けることが出来てしまうことが判明した。

 どういうことかと訝しんでいると、再びカチリ、と音がした。

 取っ手を確かめてみると、今度はロックされたようだ。


「一体どういう事だろう……?」


 考えていると、またカチリ。

 それは二十回ほど一定の間隔で繰り返された。


 牡丹は首を傾げながらテレビの映像を確認する。

 そこには相変わらず日付と時刻の表示と、少額の金を映した殺風景な部屋が映っていた。

 ただ金額は1024円。

 それも御丁寧に千円札1枚と二十円玉2枚、一円玉4枚に両替されて置かれている。


 牡丹はこの金額が一日ごとに二倍になっているという事実は既に発見していた。

 また、彼女は玉の輿を射止めるだけあってそれなりの教養はある。

 金額がこのまま倍々になって行けば遠くない日にとんでもない金額になっているであろうことは想像できる。


 と、暫くして、また扉のロックが外れる音が聞こえてきた。


「一体何なのよ、これ……。」


 それは十回ほど鳴ったところでまた暫く鳴らなくなった。

 その間隔、丁度一分。

 テレビ画面の時刻表示が切り替わるタイミングに合わせてロックは開閉を繰り返したのだ。


「もしかして、この画面の時刻と連動している……?」


 しかしそれにしては、連続して開閉し続けるタイミングとしないタイミングがあるのは奇妙に思えた。

 そして最後にロックが閉じてから、丁度十分後にまたロックの開く音がした。


「そうか……だから『簡単』なんだ……。あとはロックが開くタイミングの法則を完全に掴めば……。」


 そうして部屋から出る出ないを自由にできるようにし、大金が画面に映った状態で部屋から出ればいい、ただそれだけのゲーム。

 いや、もしかすると謎を解く必要すらないかもしれない。

 ただロックが解除されたタイミングで出れば事は足りるのだ。


 また、十回のロック開閉音の後、音は聞こえなくなった。

 今度は先程までとは違い、再びロックが解除されるまで一時間超の時間を要した。


 牡丹は考える。

 一先ず、生活必需品として用意された紙と鉛筆を用い、ロックが解除された時刻をメモすることにした。


 3時1分

 3時3分

 3時5分

 3時7分

 3時9分

 3時11分

 3時13分

 3時15分

 3時17分

 3時19分

 3時31分

 3時33分


 ここまでメモをして、牡丹は気が付いた。


「もしかして、ロックが解除された時刻って全部奇数になってる……?」


 そう予感した彼女はメモを取り続け、自分の仮説の成否を確かめる。

 そして3時代、5時代、7時代の同じ時刻で同じようにロックが開閉されたことから、自説に確信を持った。


「なんだ、チョロいじゃん。」


 牡丹は安堵の溜息を吐いた。

 もう安心だと思った。

 後は程よく金が溜まったタイミングを見計らい、この部屋から颯爽と出るだけだ。

 それまでの間、この部屋の設備を飽きるほど使い倒してやろう。――そんなことを考える余裕すら生まれていた。




***




 翌日、牡丹は困惑した。

 昨日あれだけ頻繁に鳴ったロックの開閉音が全くしないのだ。


 もしかしてロックが解除されるのはあの日だけが特別で、時刻の他に何か条件があるのか?――そう考えて再び彼女はテレビの画面と睨めっこする。

 そこには倍になった千円札2枚と十円玉4枚、五円玉1枚と一円玉3枚が置かれている。

 しかし、結局この日は一度としてロックが解除されることは無く、牡丹は仮説の立て直しを余儀なくされたのだった。




***




 しかし、次の日になるとまた頻繁にロックが解除されるようになった。

 タイミングも二日前に解除された時刻と同じだ。


 牡丹はどういうことかと画面を睨み、そして一つ気が付いて拍子抜けしてしまった。

 そう、一昨日ロックが解除された日付は11月1日、そして昨日は11月2日、今日は11月3日である。

 何のことは無い、ロックは日付にも関連して作動していたのだ。


「と、いう事は明日は解除されない。次解除されるのは明後日ね。」


 牡丹は画面の中の4096円を見ながら思わずにやついた。

 次出られる時、ここに映されている金額は4倍、16384円になっている。


「早く大金になって、私を億万長者にして頂戴ね。」


 牡丹は手に入ったも同然の大金に夢を膨らませながらその人次の日を過ごした。




***




 さて、ここまでお読みの読者諸君は画面の中の金額が一体何時、どれくらいの金額になるか気になっているだろう。 

 中には電卓を取り出して計算している人もいるかもしれない。

 そこで、彼女が過ごした日付と画面に映し出された金額をここに記しておこうと思う。


 11月1日(脱出可能)1024円

 11月2日(脱出不可)2048円

 11月3日(脱出可能)4096円

 11月4日(脱出不可)8192円

 11月5日(脱出可能)16384円

 11月6日(脱出不可)32768円

 11月7日(脱出可能)65536円

 11月8日(脱出不可)131072円

 11月9日(脱出可能)262144円

 11月10日(脱出不可)524288円

 11月11日(脱出可能)1048576円

 11月12日(脱出不可)2097152円

 11月13日(脱出可能)4194304円

 11月14日(脱出不可)8388608円

 11月15日(脱出可能)16777216円

 11月16日(脱出不可)33554432円

 11月17日(脱出可能)67108864円

 11月18日(脱出不可)134217728円


 脱出こそできないが、11月18日時点で獲得可能金額は1億の大台に乗っており、牡丹は歓喜していた。

 この当時、3億円あれば日本で一生遊んで暮らせると言われていた。


 そう考えると、牡丹は少しばかり物足りなさを感じていた。

 確かに、明日脱出すれば2億6千万もの大金が手に入る。

 しかし、真の大台と言われる3億円には若干足りない。


 牡丹は悩み始める。

 この辺で切り上げるか。

 如何に大富豪と言えども、これ以上は支払いが出来ない可能性もある。


 いや、菜摘の話ではこの仕掛け人は世界的な大富豪、王侯貴族ともかかわりを持つ超上流階級だ。

 ならば数億なんて物の数ではないのでは?――牡丹は揺れていた。


 とりあえず、決めるのは明日にしよう。――彼女はそう決意して、一先ず眠りに就いた。




***




 11月19日、獲得可能金額は268435456円にまで膨れ上がった。

 牡丹の脳内には一つの計算があった。


 明日は脱出できる日ではない。

 しかし次の日に脱出する時には、獲得金額は何と10億の大台に乗っている。

 そうなれば最早康介との婚姻も必要無い。

 向こうから婚約破棄するように仕向けて、手に入れた10億で最高にリッチな人生を送ることも出来る。


「そう、そうよ! 2億じゃ足りない! 10億! 10億は欲しい‼」


 牡丹は刻一刻とその日のロック解除をやり過ごし続ける。

 そして夜、テレビの時刻は19時55分を指した。

 扉のロックは解除される。

 決めた、10億を手に入れて脱出しよう。


 19時56分、ロックが閉まる。

 世界的大富豪なら10億くらい物の数ではない筈。


 19時57分、ロックが解除される。

 これで私は最高の人生が送れる。


 19時58分、ロックが閉まる。

 ……待て。

 何か見逃していないか?


 ここへ来て、牡丹は嫌な予感を覚えた。

 しかし、その正体には気付かぬまま時間だけが過ぎていく。


 19時59分、ロックが解除される。

 11月19日のロック解除はこの1分間が最後のタイミングだ。

 そう、これ以降の時間は20時代、21時代、22時代、23時代と、全て時刻の最初の数字が偶数の2となってしまう。

 そして、そう考えた時、牡丹は嫌な予感の正体に気が付いた。


「あっ‼」


 牡丹は慌てて立ち上がった。

 しかし目の前の金に目が眩んでいた彼女は、ほんの少しだけ気付くのが遅かった。

 時刻は20時丁度、扉のロックは締まってしまった。

 この日、もうロックが解除されることは無い。


 そして、彼女は後悔に頭を抱えて蹲った。

 明日は11月20日、当然、ロックは解除されない。

 そしてその次の日も、11月21日であり、日付に2という偶数が入っている。


「じゃあ次は……次はいつになるの……。」


 牡丹は紙に鉛筆でカレンダーを描き、次の該当日を探す。

 11月は30日まで、31日は無い。

 つまりもう11月中は扉のロックは開かない。

 ならば次の12月は……すでに月の時点で2という偶数が入っている。


 牡丹は気付くべきだった。

 そもそも、初めて扉のロックが解除されたのは11月1日。

 それまでは、10月22日からずっとそんな現象は起こらなかった。

 つまり、条件を満たすには11月に入る必要があった。


 ならば、次は1月1日を待たなければならないのか。――そう思い、テレビ画面を見た牡丹は真っ蒼になった。

 テレビ画面に映し出された2億6千万以上の大金の左上隅に、日付と時刻はこう書かれていた。


『1999年11月19日20時8分』


「あ、ああああああ~~~~ッッっ‼」


 牡丹は気付いてしまった。

 そう、年が明けてしまうと、その日は2000年1月1日。

 つまり、もし年数まで開錠条件に入っているとすると、この日を迎えてもなお扉は開かない。


 牡丹は恐ろしい事実に気付いてしまった。

 もし年数まですべて奇数だけで表記できることが開錠タイミングの条件だとすると、次の開錠は3111年1月1日を待たなければならないのだ。

 実はこれは所謂「記念日コレクター」の間では有名な話なのだが、当時はこの事実に気付かず見逃して後から気付いて悔しがった人も多かったらしい。


 牡丹は絶望に包まれ、ふとブラウン管の上に目を遣った。

 そこには包丁が場違いに、ぶっきらぼうに置かれている。


 そうか。――牡丹はその意味にここへ来て気が付いた。

 これは、このような絶対脱出不可能な「詰み」の状態になった時、自ら命を絶つためにわざと事実に気が付いた時真っ先に目が行くブラウン管の傍に置いてあったもの。

 つまり、欲をかいた「挑戦者」がこのような結末になることも開催者は織り込み済みだったのだ。


 こうして、欲深い愚かな女は部屋から脱出する術を見失ってしまった。




***




 翌年、二月。

 一組の男女が結婚式の日を迎えていた。

 新郎は康介、新婦は菜摘である。


 上手く行って良かった。――菜摘はこの日を迎えるため、邪魔者を排除する必要があった。


 そもそも、最初に康介と付き合っていたのは菜摘であった。

 しかし、牡丹は菜摘から康介を寝取り、そして婚約まで漕ぎ着けてしまったのだ。

 玉の輿を奪われた菜摘は激怒。

 それ以前にも度々牡丹は菜摘の恋路を邪魔していたので、堪忍袋の緒が切れて彼女を排除することにしたのだ。


 実は菜摘は、『望みの密室』の仕掛けについてほぼ全てを聞かされていた。

 そしてその上で、牡丹を嵌めたのである。

 菜摘には牡丹が十億の大台に目が眩むという確信があった。

 親友のがめつさはよく知っていたのだ。


「そうして一生外に出られず、いくら大金を積み上げても無駄だと悟った親友は自殺し、晴れてその元婚約者は自分のもの、と……。」


 と、そこへ一人の女が新郎新婦へ近づいてきた。

 二人はその顔を見て、思わず声を上げた。


「えっ⁉」

「ぼ、牡丹⁉ なんで⁉」


 そう、どういう訳か牡丹は生きてあの部屋を脱出し、二人の前に姿を現したのだ。


「牡丹、アンタ部屋から出られなくなったんじゃ……?」

「ああ、私もそう思ったよ。でも、嵌められたのはアンタも同じだったらしい。」

「どういう事……?」

「おかしいと気付いたのは、自殺用の包丁の存在だった。そもそも、主催者は何であんな部屋を用意したんだろう。思うに私みたいに欲をかいて部屋から出られなくなる愚を犯す人間を見て愉しみたかったんだろうね。でも、だとしたら絶望してすぐ自殺させるのは余りにも優しくないか? 自殺も出来ず発狂させるところを観察した方が面白いんじゃないかって、そう思ったのさ。」


 牡丹の眼には親友と婚約者の裏切りに対する怒りが燃えていた。


「なら包丁は何のために用意した? つまり、主催者は早い内に自殺させてしまいたかった。私の事を長く生かしておきたくなかったの。そう考えた時、私はもう一つの希望に気が付いた。まだ脱出の目は完全に消えていないってね。」

「どういう事? もう無い筈よ! 次奇数だけになる日付は3111年1月1日、そこまで待たなければ‼」

「そう、奇数ならね。」


 菜摘は驚いて携帯電話を取り出し、今日の日付を確認しようとする。

 そう、今日は2000年2月6日。

 この日付の数字は全て偶数なのだ。


 2000年以降を生きる読者はピンと来ないかもしれないが、実はこのような事が起こる日付は非常に珍しい。

 つい一月前に2000年代を迎えたばかりの菜摘が気付かなかったのも無理はないのだ。


「主催者としては『もう希望が無いから当然自殺する』のと『まだ希望があるのに勝手に絶望して自殺する』のはどちらが面白いと思う? だから私は、そこに最後の希望を賭けて2月2日まで、最初に日付の数字が全て偶数になる日まで待つことにした。結果、大当たりだったよ。」


 因みに、2000年2月2日の前に全ての日付の数字が偶数になった日は888年8月28日まで遡らなければならない。


「じ、じゃあ牡丹……。どれだけ大金を得たの……?」

「理論上は2の103乗、1千穣円以上になるんだけど、流石にそんな莫迦げた大金はどんな富豪も用意できない。だから最初に手に入る筈だった10億円超で手を打って、残りはある一つの大働きで相殺して貰うことにしたの。」


 牡丹が手を挙げると、周囲の客が一斉に銃を構えた。


「なっ……‼」

「ちょっと、冗談でしょう⁉」

「『望みの密室』……。その部屋に託されたのは金を得たいという『欲望』、外へ出られないという偽りの『絶望』、折れずに思考した者だけが見出す『希望』、そして、その部屋のシステムにかこつけて目障りな奴を自殺に追い込みたいという『願望』だったという訳ね。」


 牡丹が腕を振り下ろすと、客たちは菜摘と康介に向けて一斉に発砲した。

 新郎新婦の目出度い筈の結婚式は、一瞬にして血塗れになってしまった。

 

「後の始末は宜しくね。天文学的な大金払って雇ったんだから、それ相応に働いて頂戴。」


 その後、牡丹は手に入れた十億で一生遊んで幸せに暮らした……わけではなく、世の中浪費しようと思えばいくらでも浪費できるらしく、結局得た金を全て使い果たして破産し、贅沢に慣れ切った彼女は今更つつましく生きることも出来ず結局首を括ったそうだ。


 しかし個人的には、こんな1000年単位のタイミングでしか成立しない壮大な遊びの為だけに開発された島が勿体ない気もする。

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