名前のないラブレター

御角

名前のないラブレター

「先生さよーなら」

「おう、気をつけて帰れよ!」

 今日も廊下ろうかで、流れ作業のように先生に挨拶あいさつし下駄箱へ向かう。つまらない、いつもの日常。

 まだ転校してきたばかりで一緒に帰るような友達もいない。それどころか田舎者だと馬鹿にされ、気がつけば一人ぼっち。いつもこうだ。

 結局、小学校にいても毎日本を読むことしか楽しみがなくて、僕は心底退屈していた。

 ヒラリ

 下駄箱を開けると、朝にはそこになかったはずの紙切れが一枚、僕の足元に落ちてきた。

「……なんだろう、これ」

 そっと拾い上げると、そこには可愛らしい丸文字で

「すきです」

と書いてあった。

 僕は思わず上履きを脱ぐのも忘れて、何度も何度もその手紙を読み返した。何かの間違いかもしれない。僕以外の誰かに向けたものを間違って入れてしまったのかもしれない。そう考え、手紙を思い切り顔に近づけてくまなく調べたが、宛名あてなは間違いなく僕の名前となっていた。

 そうなると問題は一体誰がこの手紙を書いたのか、つまり僕に告白した人物が誰なのかということだ。

「……あれ?」

 手紙の右下、本来は差出人の名前がある場所には横書きで『0517』としるされていた。0517……何かの語呂合わせだろうか? よく見ると1だけ若干じゃっかん短い気もするがこれは一体……。

 必死でのう味噌みそを回転させようとするが、学力もそこそこの平々凡々へいへいぼんぼんな僕では何も思い浮かばなかった。

「……あれ、野口。お前まだ帰ってなかったのか」

 下駄箱で一人立ちすくんでいると、先程廊下ですれ違った先生がいぶかしげにこちらを見ていた。時計を見るとなんともう4時。いつの間にか靴をき替えようとしてから15分もっていた。

「か、帰ります! 今、帰りますから……」

 僕はすぐにスニーカーを履き、手紙を握りしめながら校門まで全速力で走った。

「あまり遅くなるなよー!」

 遠ざかる先生の声を聞きながら、僕はずっと顔も名前もわからない手紙の主に思いをせていた。


 都会の帰り道は相変わらず慣れない。河川敷かせんしきもなければ田んぼもない。ただひたすらビルとコンビニがひしめき合っているだけ。その間をうように敷かれた横断歩道を渡るだけで、所謂いわゆる田舎者の僕はどっと疲れてしまう。

「……何か、買って帰ろうかな」

 コンビニで買い食いできるくらいのお小遣こづかいは持っている。手紙についてあれこれ考えるためにも糖分とうぶん補給ほきゅうは必要なはずだ。そう思い、信号機を見上げると、向かいにあるコンビニの上にもう一つ、何かの部屋があることに気がついた。

「遠藤、探偵事務所……?」

 二階のかべから飛び出している縦長の看板には、太字でそう書かれていた。

「探偵……あ、そうだ!」

 僕は、糖分補給よりも、もっと手っ取り早く手紙の差出人を知る方法を思いついた。

「お金、足りるかな」

 なけなしのお小遣いと大切な紙切れを握りしめ、僕はその探偵事務所へ勇気を出して乗り込んだ。


「おじゃましまーす……」

 外から見た時はよくわからなかったが、中は意外に広く、大きな振り子時計に木製のテーブル、ふかふかのソファーといったドラマでよく見る探偵事務所そのままだった。

「いらっしゃい」

 窓際で椅子いすこしけ、新聞を読んでいたおじさんが視線を上げる。

「うちに何か、御用ごようかな?」

 しぶい声、茶色いコート、おまけに豊かな口髭くちひげ。こんなにも『探偵』という言葉が似合う人がいるのかと僕は感心してしまった。

「あ、えっと……」

 僕は早速、何の考えもなしにこの事務所に入ったことを後悔した。こんなくだらない依頼をしたところで、小学生の僕では軽くあしらわれ追い出されることなんてわかりきっている。

「——やっぱり、僕帰っ……」

 そうきびすを返そうとした時、目の前に何かとてつもなく大きな壁が現れ、僕は思い切り正面からぶつかってしまった。

「ぶっ」

 鼻から空気がれ、思わず変な声をあげてしまった。その恥ずかしさに顔が熱くなる。

「ご、ごめん……大丈夫?」

 そこには学生服を着た男の人が、そしてその後ろには、男とは対照的に派手な格好をした女の人が心配そうな顔でっ立っていた。


「本当にごめん……それで、名前は?」

 学生服の男はティッシュを差し出し、そう言った。

「……野口、まさる」

「へぇー、まさるくん、ね」

 女の人はお茶をれながら、僕の方を見てニコニコしていた。格好は少し変だけど、なんだかいい人そうだ。

「それで、何か用があってきたんじゃないのかい?」

 ダンディなおじさんが僕の目の前に座る。緊張で鼻血が悪化しそうだ。僕はティッシュをより強く鼻にめこんだ。

「……実は、こんな手紙が下駄箱に入ってて」

 僕は先程から握りしめていた紙切れを3人に見せた。ずっと握っていたせいか、かなりシワが寄ってしまっている。

「なになに……す、き、で、すぅ!? 嘘、まさかのラブレター!?」

 女の人は興奮し黄色い歓声をあげた。恋の話題はいついかなる時も女性を魅了みりょうするようだ。

「あれ、でもこれ差出人が書いていませんね」

 男の人は紙を空中でひるがえしながらそうつぶやいた。

「なるほど、つまり……君はその手紙の主を探してほしい、そういうことかな?」

 おじさんは深くソファーに腰掛け、こちらを真っ直ぐに見た。

「お父さん、そんなに見つめたら緊張しちゃうでしょ?」

 女の人はそう言いながら温かいお茶を出してくれた。どうやらこの人たちは親子のようだ。すまんすまん、と笑いながら、おじさんはリラックスしたように背もたれに体重を預けた。

「あの、お金は……」

 僕が恐る恐る聞くと、おじさんは先程よりも豪快ごうかいに笑った。

「これくらいの依頼で、小さい子からお金を貰うわけにはいかんさ。特別サービスで初回無料にしてあげよう」

 全財産をはたくつもりだった僕はその言葉に驚いた。最初にあれだけ緊張していたのが嘘のように、僕の心には段々と余裕よゆうが戻ってきた。


「そういうことなら、早速気になってたことが一つあるんですけど……」

 男の人は手紙の右下、数字が書かれたところを指差した。

「この0517、これが暗号なら、どうにかして名前に変換できるんじゃないでしょうか」

 そう、それは僕も考えた。だが……。

「数字の組み合わせでひらがなを表す、例えば11で『あ』、21で『か』なんてのはありがちな暗号だけど……0が入ってる時点でその可能性は低いかもね」

 女の人の意見には僕も賛成だ。数字を足したり、全部くっつけてみたりもしたが、まるでダメだった。

 重い沈黙ちんもくが、事務所内に流れる。


 その時、向かいから見ていた男の人が大きな声をあげ、ポンと手を叩いた。

「わかった、逆から見るんですよ! そうすると……」

 そう言い、目の前の紙の上下をひっくり返す。

「0517、この文字やけにカクついてませんか? 電卓とか、電光でんこう掲示板けいじばんの数字みたいに……しかも1と7の距離だけ他と比べてやたら近い。それで思いついたんです」

 紙の左上、元々数字だったそれは、意味を持つ言葉へと変化をげていた。

「U、S、O——嘘?」

 その瞬間、僕の体に電流が走ったような、まるで頭を金槌かなづちで殴られたような衝撃が全身をおそい、手足からあらゆる力が抜けていくのを感じた。

「ちょ、ちょっと大丈夫!?」

 女の人の心配する声も最早もはや耳に入らない。嘘——その言葉だけが脳内で反芻はんすうする。そうか、嘘か。

 わかっていたじゃないか、アイツらの悪戯いたずらだって。それなのに一人で舞い上がって、こんなところにノコノコやってきて。馬鹿だな、僕って……。


 『すきです』の四文字が目の前でゆがんで、ポタポタと落ちた水滴が、紙に乗るインクをにじませる。

 僕はいつの間にか泣いていた。

「あー! 泣かせた!!」

 女の人は側にあったティッシュでその涙をあわててきとる。その優しさが、余計に僕を泣かせた。

「……む? いや、待ちたまえ!」

 二人が慌てるなか、おじさんは急に立ち上がり、その紙を光に透かした。

「どうじだんでずが?」

 鼻をすすりながら、僕は涙声でたずねる。

「この数字の部分……滲んでいるところと滲んでいないところがある。つまり……」

 それを聞き、あたふたしていた二人もその手紙をのぞきこんだ。

「あ……確かに、0は完全に滲んでいるけど5の一部分、それに1と7は滲んでいない! 文字の方も……」

「これって、もしかして……」

 三人は何かを確信したように頷き合った。

「まさるくん、大丈夫。この告白は、嘘なんかじゃないよ」


 おじさんは優しい顔で僕に語りかける。

「君が下駄箱でこれを見つけた時、同級生なんかはもう帰っていたのかな?」

「はい、僕が帰る頃にはもう誰も……」

「じゃあ、手紙を入れてから差出人じゃない誰かに悪戯されちゃったのかもね」

「え?」

 女の人は手紙の滲んだ数字を指差した。

「この0の数字、それに5の一部は水性、つまり水で滲むインクが使われているの。でも……」

 そう続けながら、女の人は指をスライドさせていく。

「この『すきです』の四文字、これは滲んでいない。つまり5の滲んでいない部分や1、7と同じ、油性のインクが使われている」

「……と、言うことは?」

 男の人がそう言いながら、修正ペンで数字の滲んだ部分、つまり後から書き足されたであろう5の一部分と0を消していく。そこに浮かび上がったのは……。

「『三 17』——ミ、ク……?」

 なんととなりの席の女子の名前だった。そういえば、教科書や消しゴムを貸してあげたり、どんな本を読んでいるのか聞かれたことがある……かもしれない。


 ハッと顔を上げると、三人はその手紙を眺めながらニヤついてこちらを見ていた。

 赤い夕日に照らされて、僕は耳まで真っ赤になるほど恥ずかしく、でも清々すがすがしい、そんな気分だった。




随分ずいぶん可愛いお客さんだったね?」

 小さな依頼人が帰った後で、女は茶器を片付けながら微笑ほほえんだ。

「あの子には悪いことしちゃったな……嘘だなんて勘違いさせて」

 学生服の男はソファーに座り込み、頬杖ほおづえをついた。

「まあいいじゃないか。結果的に暗号は解けたのだから」

「確かに、あそこで泣かせてなかったらあの子、一生後悔してたかも……ね?」

 派手な格好の女とコートの男はソファーに座りうつむく彼の両肩をポンと叩いた。

「……上手くいくといいですね、まさるくんとミクちゃん」

 元気よく走り出す依頼人の門出かどでを、三人は二階の窓からそっと見送った。

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名前のないラブレター 御角 @3kad0

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