第5話 炉心融解

 想像力と精神力があればなんでもできるとはいえ、ドリフトにも限界はある。

 例えば、ライフルの破壊力や装甲の防御力はある程度のラインを超えると、精神力を物理的なパワーへと変える変換効率がドリフトエンドを起こしかねないほどに極めて悪くなる。ベースから3倍を超えて増強しようとするとこの現象が起きることから、俗に3倍の法則とも呼ばれている。

 つまり、いくら強化できるとはいえ、基礎能力は大事だということ。

 ティーガーの機動性について申し分ないものの、装甲の強度については不明だった。殴ったら、殴ったほうがダメージを負うほどに頑強に見えるティーガーであったが、装甲の強度は撃たれてみないと分からない。その意味ではチクビームは格好な耐久試験の対象であった。智機が乗っていなければ。

 流石の智機もチクビームをまともに浴びた時には一秒が永遠に思えるほどの重圧を覚えたが、結果として智機は生き延びた。

 装甲の50%が溶解したが、この程度ならドリフトで治せる。武装コンテナに搭載した機器が無傷であることに智機は安堵した。これだけはドリフトでは治せないからだ。

 3倍の法則で考えればドリフトをかけてもクーガーでは間違いなく殺られていた。うんたんメネスでさえもドリフトでも回復しきれないダメージを負っていただろう。

「……いい子だ」

 それらの事象を考慮に入れるとするなら、間違い無くティーガーは重装甲の騎体だった。

 やがて、ティーガーは雲を抜ける。

 眼下に広がるのは闇の中に街灯りがどこまでも広がる大都会の町並み。

 智機の顔に1人で笑みが浮かぶ。

 それは無辜の一般市民を大量殺戮できると知り、溢れてくる殺意と歓喜をかみ殺している悪魔の笑顔。

「ティーガー、地獄を開けるぞ」

 しかし、智機はつまらなそうに悪役面をやめた。

「カマラなら、遠慮無く地獄を作れたんだけど……」


 戦争中の格納庫はひっそりと静まり返っている。

 当然のことながら、使える騎体は一騎残らず戦闘に投入しているからで、騎体を収める広大なスペースがぽっかりと空いている様はある意味では壮観であり、埋めきれない穴の存在を実感させられる。

 ここに何騎帰ってくるのだろうか。

 それを思うとファリルは不安に駆られる。

 時折、振動で壁や床が揺れるだけに。

 ただ、一騎だけが格納ブースに存在している。

 膨らんだ両肩と両ふくらはぎ。

 シュナードラから脱出する際に智機に乗らされたEF。

 コクピットハッチが開いていて、搭乗用のキャットウォークが収納されていない状態のもと、整備員のメイ・ハモンドとライダーが剣呑なやりとりを繰り広げている。

 メネスの修理は完了しているのだろう。

 にも関わらず出撃できない理由がファリルにはわかっていた。

 そのメネスの足元で、5歳ぐらいの女の子がすがりつきながら痛そうに泣いているから。

 その女の子を見た瞬間、ファリルはザンティの背から降りて、走り出していた。

 思案や打算だと、何もなかった。

 ただ、感情だけが先走っていた。

 外で行われている戦闘のことや、シュナードラやクドネルのこと、果ては智機たちのことまでも忘れていた。

 

 女の子の悲しみを止めてあげたいという気持ち。

 ただ、それだけ。


「ごめんね」

 最初、女の子に接近した時、どう話を切り出したらいいのか分からなかったが、そんなことはどうでもよかった。

 ひとりでに涙がこぼれおちた。

「わたしはアナタに負担をかけることしかできなくて、本当にごめんね、ごめんね……」

 申し分けなさでいっぱいだった。

 自分たちの都合で、身体を勝手に改造されて、なおかつ望まない出撃を強制される。

 本当は怖がる彼女の願い通りに出撃させたくはない。

 でも、今はそうも言っていられない。

 結局のところ、ファリルも智機と同じ穴の狢。

 ファリルは自分よりも小さな女の子を抱きしめる。

 力いっぱいに、心を込めて。


 末期色に白帯の入った一隻の戦艦に、巨大なビームが炸裂する。

 張り巡らされたフィールドによって一発轟沈は避けられたが、それでも側面後方が爆発して、その勢いで左舷方向に吹き飛ばされる。

 蝶艦隊丘耶麻の艦艇やEF部隊に一騎のEFが襲いかかる。

 深緑色の装甲に身を包み、巨大なライフルを抱えたEF。

 たかが一騎ではあるが、されど一騎。

 いきなり20騎以上に分身しての乱射に、半数以上のEFが被害に遭い、宇宙空間に光の華が咲き乱れる。廣島や丘耶麻のEFはそのEFを始末しようと突進するが、片っ端から猛烈な弾幕の前にバリアごと吹っ飛ばされてしまい、倒すどころか接近することもできない。

 一見すると勢いに任せているように見えるのだが、一発一発が米粒に写経をするかのような精密な狙撃になっている。

 だから、絶好のタイミングで当たる。

 その様子を延信は半ば呆れながらに見ていると、皇帝が突っ込んできた。

「あの山居女史が前線に出てくるとは。こんな程度で余裕をなくすとは、渋谷艦隊も落ちぶれたものだ」

 智機さながらに正面切って暴れているのは渋谷艦隊の山居志穂。皇帝でさえも一目を置くほどのエースパイロットであるが、渋谷艦隊に所属するEF戦隊全ての唐括を行っているので前線に出てくることはない。

 にも関わらず前線に出てきたというのは、皇帝が言うようにそれだけ切羽詰まっているということなのだろうか。

 実際、切羽詰まっている。

 渋谷艦隊だけ降りても意味がないからだ。これからの戦いを勝ち抜くためには、補給艦や輸送艦といった

物資を輸送する船舶を一隻でも多くシュナードラに下ろさなくてはならない。そのためには、格下の相手であっても蒼竜艦隊と対峙するような全力を出す必要がある。

「切り札は最後に使うものですが、初回で殲滅しておけば最初も最後もないでしょう」

 発想の転換。

 敵の攻撃に耐えながら降下をする必要はない。妨害する敵を殲滅してから降下すればいいだけの話である。ここで国鉄廣島と蝶艦隊丘耶麻を壊滅させてしまえば、渋谷艦隊に匹敵するほどの敵勢力は存在しないので、斉が増援を送るまでの間にかなりのことができる。

 渋谷艦隊の大エースである山居騎を落とせば、渋谷艦隊に深刻なダメージを与えることはできるが、倒せるだけのライダーが両艦隊にいるのだろうか?

「よりによって山居女史が相手とは災難だね」

 世界中全ての人間を呼び捨てにできる皇帝でさえも「女史」とつけているところに評価が伺える。両艦隊のライダーからすれば、山居騎と戦うというのは蒼竜艦隊の騎士を相手にするのと同じだった。

 指揮ばかりで、よっぽどフラストレーションが貯まっていたんだろう。

 実は延信も彼女の騎体を真剣に目で追っている。

 述懐したように、スクリーン越しからでも猛々しさが伝わってくる。最後に見た時よりも馬力がありそうで、長大なライフルを軽々とぶんまわして突撃する彼女を止めきれるかどうか。

 いくら延信であっても、動きを完全にトレースすることはできない。それは攻撃的回避カズダンスを決めることはできないことを意味していた。

「信よ。女史と戦って勝つ自信はあるかね」

 皇帝の下問にも関わらず、信は平然と答える。

「なるべくなら戦いたくない相手ですね」

「あの者たちは信の仇というのか?」

「私としては武人らしく散るのではなく、冤罪で罪人として処刑されてほしいですね」

「……冤罪とはな」

「腹黒いなあ。知ってたけれど」

 真っ向勝負を挑む必要はない。正面から勝てない相手は謀略を駆使して排除してしまえばいいだけの話である。手は汚れるかも知れないが、死ぬリスクはない。

 もっとも、延信は彼女をそれほど憎んでいるいうわけではない。

 渋谷艦隊が両艦隊を殲滅という選択を選んだが、一つ重大な欠点がある。

 殲滅している間に、ガルブレズが落とされるということ。

 下からの報告では、智機が生死不明に陥ったにも関わらず持ちこたえているが、両艦隊の撃滅よりもガルブレズが落ちるほうが早い。

 しかし、この程度の理屈も分からぬ輩であれば、青龍艦隊も戦死者をだしてはいない。

「リップスの2人が見えないんだけど、信ならどう思う?」

「見えないね。おおかた殺られたと見るが」

「……耄碌したか」

「だったら聞くな」

 陽動、と延信は結論する。

 山居騎以外でも引き出しがいくらでもあるのが渋谷艦隊。恐らくは戦闘のドサクサに紛れて少数の部隊を降下させる腹づもりなのだろう。少数であっても彼らならガルブレズを守り切れる。

 魂胆は読めていても、現場に防ぐ手立てはない。少しでもよそ見をしていたら殺られる。派手に暴れているのが陽動だったとしても隙さえあれば全滅にもっていく。シュナードラの軌道上はそういう戦いになっていた。

 負けたか。

 あともう一個艦隊用意できたら、というのは愚痴になる。いくら斉とはいえ無尽蔵に予算があるわけではない。

 この先、シュナードラ戦線はどうなるのだろう。

 変態こと渋谷達哉の思惑通りに事態が推移するとすれば、クドネルは大きな退歩を余儀なくされる。勝利どころか、このままでは負ける可能性さえも出てきた。

 延信なら、こんな無駄な戦い即座に終結させるところなのだが、その権限は延信にはない。その権限を持つ皇帝はこの戦争を終わらせる気はない。マローダーに加えて渋谷艦隊も登場して、面白くなってきたのだから。この戦闘が終われば、より面白くすべくテコ入れを図るに決まっている。

 当事者の都合を無視して。

 防衛や重要拠点への攻撃ではないので限りはあるとはいえ、これまでにない規模の投入になるだろう。どのような結果になるかは延信でも予想がつかない。

 ただ、ロクでもないことになるという予感はある。 敗北が見えたとはいえ、終わらせ方というのもある。軌道上の戦いにしても、早々に撤退するというのも有りだが、それよりも可能な限り渋谷艦隊とトランスカナイの戦力を減らしておくべきなのは言うまでもない。

 画面の一つが延信の興味を引く。

 一隻のシャトルが戦場のドサクサに紛れてシュナードラの大気圏に降下しようとしている様を映し出していた。

 そのシャトルは、延信の興味を引いていたWarTVのもの。

 延信としては即座に撃墜命令を出したいところではあるが、廣島と丘耶麻に対する命令権限はない。リクエストという形で出すことも一応は可能であるが、時間が掛かりすぎる。

 実際、オーダーをかけようと考えた矢先に、更なる情報が入ってきて、自動で新しいウインドゥがポップアップされてきた。

「……やっぱり」

 映し出された映像に、延信の血液が一瞬、沸騰した。


 どうにかして機械的な修理を完了させたのはいいが、いざ乗りこんでみたら機動しないという原因不明のトラブルに格闘していたライダーのシュアードとメカニックのメイ・ハモンドであったが、今は作業の手を止め、開け放したコクピットハッチの向こう側で展開されている光景を見ている。

 2人の視線は騎体の足元にいるファリルに注がれている。

 ファリルは両腕を回して、涙ぐみながら語りかけている。

 そこには誰もいないというのに。

 何もない空間に向かって涙ながらに語りかけるファリルを見て、どんな感想を抱いたらいいのか2人は迷った。滑稽でもあり、狂気さえも感じさせる光景なのだが、ファリルは2人の国の国王なのである。否定的な感想を持つのは不敬罪であり、斉であれば何らかの処罰が下されるところである。が、シュナードラは滅びかかっていて、その現実を認められずに逃避しようとする国王に尊敬など抱けるはずもない。

 困惑する空気を切り裂くように、ハモンドの持っている携帯が鳴った。

「はい、ハモンドです」

「こちら市長だ」

 スクリーンにザンティの顔が映し出される。

「その騎体に乗っているのは」

「バーキビアス・シュアード准尉です」

「バーキビアス・シュアード、新入りか。まあ、いい。お前達2人に話がある」

 スクリーンの向こうでザンティが睨み付ける。その様はやくざの親分にしか見えず、2人は緊張する。

「そこには姫様、いや陛下の他に誰かいるか?」

「いえ、誰もいません」

「そうか」

 シアードの返事に一瞬、気落ちしたような素振りを見せたが、すぐにいつもの強面に戻った。。

「この場にいる皆に言っておく。今見た光景は誰にも喋るな。喋ったら殺す。軍事機密の漏洩で裁判抜きで即刻、銃殺にする。以上だ」

 ザンティが携帯を切ると同時に、傍らにいるクラークソンが話しかけてきた。

「市長にはあそこに姫様以外の誰かがいるように見えますかな?」

 ザンティは首を横に振る。

 そこにはファリル以外の人間はいない。残念なことに。

 だから、シュアードとハモンドがザンティの無茶な命令を受けて当惑する気持ちも分かる。誰もいないのに語りかけている様子は、気が触れたようにしか見えない。

「私にもあそこには姫様しか見えません」

 クラークソンは言う。

「あの騎体、うんたんメネスにはシステム面では何ら問題がない。私が完全に治した。にも関わらず、メイと新米が頑張っているが一向に動かない。が、EFにおいてはこの手のトラブルはよくあることだ」

「問題はコアにあるということか」

 かつては近衛騎士団でEFを駆ったこともあるザンティであるが、ライダーでなくても容易に想像がつく。

 コアについては解明はされているものの、まだまだ未解明な部分も多い。原因不明な要因でコアが起動しないことも珍しいことではない。うんたん化された騎体なら、よくあるといってもいい。

 こうなるとメカニックとしては途方にくれるしかない。

「私たちがコアの問題で原因すら分からず四苦八苦しているところに姫様が現われた。その姫様は存在しているか分からないものに向かって語りかけている。行動の結果、仮にあの騎体が動くようなったら、それは間違い無く姫様の行動によるものだ」

「なにが言いたい」

「ファリル・ディス・シュナードラとは何者なんですかな?」

 大人2人が不穏な会話をしているのを余所に、ファリルはひたすらに女の子を抱きしめていた。

「ごめんね……」

 ファリルは抱きしめて、ひたすらに謝り続けている。

 抱きしめた女の子の身体は、小刻みに震えている。

 怖いのだ。

 戦いに出るのが。

 滅茶苦茶に改造されて、ビームや殺意が飛び交う戦場に出されて死ぬかも知れない恐怖を味わうのがとても怖いのだ。ファリルも智機に付き合わされて、光が命と一緒に舞い飛ぶ戦場を右も左も分からずに彷徨していたのだから、女の子の気持ちが痛いほど分かる。

 ……だからこそ、辛い。

 この女の子に酷なことを言わなければならないと思うと良心が痛む。

「怖いよね。痛いよね。でも、貴方には戦ってほしいの」

 本来ならば、女の子は賞賛されるべきであり、ファリルとしても戦場には出したくない。

「貴方が戦わないとみんな死んじゃうの。智機さんはどこにいったか分からないし、みんなもいっぱいいっぱい。西河さんは必死になって戦っている。でも、貴方が出ないと、ここはもたない。私は…私たちは死にたくない。貴方にはひどいこといっているけど、戦ってほしい」

 外から相変わらず憎悪が伝わってくる。その憎悪が芽亜が生きていることを証明しているが、数的劣勢と技術を意志で補っているという状態なので近いうちに限界は訪れる。その前に騎体が出撃できないと間違い無く落とされる。

 だから、女の子に戦ってもらうしかない。

 自分勝手な願いで、女の子にとって嫌なことを強制している。ファリルはそんな自分が嫌になる。

 智機はならどうしたのだろう。

 智機はファリルの何十倍も嫌な経験をしてきた。中には誰もが嫌がる任務を他人に命じたこともあっただろう。その時、智機はどんな想いをしたのかファリルには気になった。智機の体験を聞けばファリルも気が楽になれる。でも、この場には智機はいない。誰も助けてはくれない。ファリルが頑張るしかない。

 相変わらず、女の子は震えている。強ばったまま、ファリルに抱きついたまま動いてくれない。

 ファリルはそんな女の子の背中を優しく撫でる。

 女の子は行きたくないと言っている。

 そんな女の子を死地へと赴かせる、いや、強制するにはどうしたらいいのだろう。

 答えは簡単だった。

 その考えに思い当たった瞬間、ファリルの身体は震えてた。女の子の恐れが伝染したように。

 実際、伝染していた。

「大丈夫、大丈夫…だよ…」

 喉から水分が抜けたようにからからになる。

 膝から力が抜けるが、辛うじて踏みとどまる。

「わたしがあなたのことを護るから……わたしも一緒に行ってあげる」

 誰が見ても無謀だった。

 ファリルはライダーでもない。

 しかも、乗るのは智機でさえも操縦に手こずっていた相当な難物の騎体なのである。そんな騎体をファリルが制御できるはずもない。歩き出せずにずっこけるのが目に見えていた。

 仮に0.000000001%の可能性で動かせたとしても、スーパーまで買い物に行くのではない。

 向かうは戦場。

 最低でも2騎のEFと戦わなくてはいけない。しかも、相手はシュナードラのEFを撃破してきたレッズなのである。

 勝てる以前の問題。

 殺される、存在がなくなってしまうのが怖い。

 そんな地獄に、今度は自分1人で立ち向かわなくてはならないのだ。

 目の前が真っ暗になる。

 どうすればいいのだろうと、大海原に突然放り出されたように途方にくれる。

 しかし、ぎゅっと力が入った温もりがファリルを現実に立ち戻らせる。

 涙が出てくる。

 逃げ出したい。

 でも、逃げばなんて何処にもない。

 守ってくれる人なんて、いない。

「わたしはみんなを守りたい。だから、アナタも手伝って!! いま、みんなを救えるのはアナタしかいないの。だから、おねがいします!!」

 涙が出て、小便ちびりそうになるぐらいに怖くても、ファリルは戦わなければならない。なぜなら、ファリルはシュナードラの国王だからだ。ガルブレズの防衛に女の子の力が必要だというのなら、戦場に出させるためにはなんでもやるしかないのだ。

 女の子が戦うために誰かを、もしも、ファリルを必要だというなら、それでも。

 それに……戦いたくない女の子に戦争を無理強いさせるという罪の意識から逃れることができる。共に戦うことで。

 女の子の身体がそっと離れた。

 なにか気に入らないことがあったのかと思った。

 女の子は呆れと笑みが微妙な割合で混ざり合ったような表情でファリルを見上げている。

 呆れるのも無理もない、ファリルは思う。

 今までのファリルはかっこいいとはいえない。

 むしろ、かっこ悪い。

 智機のように恐れを知らないようで、実は生と死の境を見切って颯爽と動けるようになりたいとファリルは思うのだけど、なかなかそうはいかない。

 しかし、女の子の顔から呆れの成分が消え、完全な笑顔になった。

 忘れられないぐらいの爽やかな笑顔。

 そして、唐突に女の子はファリルの前から消えた。


 一瞬で。

 それこそ、周りが危惧したように、女の子はファリルの妄想でしたと言わんばかりに。


 変化は突然だった。

 今までいくらスイッチを押しても光らなかった、液晶モニタやライトが一斉に光り、4基のジェネレーターが勢いのいい四重奏を奏でている。

 正面のモニタにはシステムが立ち上がり、起動シークエンスが始まっている。

「なんで起動してるの!? さんざんいぢぐっても起動しなかったのに、どうしてどうして!?」

「ハモンドさん」

 何の前触れもなく動き出した騎体にパニッくっているのはシュアードも同じだが、程度は軽い。

「これよりバーキビアス・シュアード、出撃します。ハモンドさんは下がってください」

「分かりました。この騎体はネメスの五倍以上の出力がありますから、50%以上の出力を出す場合にはドリフトでGを軽減してください。ご武運をお祈り申し上げます」

 ハモンドがコクピットから退去したのに合わせて、シュアードはコクピットハッチを下ろす。外界からコクピットが遮断されて、一瞬、真っ暗になるがすぐにコクピットハッチの内側にカメラからの映像が投影される。

 シュアードはハネースでシートを身体に固定させると、正面のタッチモニタに指先を走らせて、次々に表示される項目を指先でタッチすることで、始業前点検を済ませていく。

 まるで冬の寒い日、直に手を晒しているかのように、指先が硬い。

「よぉ、新入り。騎体の調子はどうだ?」

 内側のスクリーンに、ザンティの顔がポップアップウィンドゥで表示される。

「さっきまでのトラブルが嘘みたいに順調です」

「そっか。気楽にいけよ。ヘマしたところで、お前の責任じゃない」

 大変無理がある状況での初陣でシュアードが緊張しているのを市長なりに気遣っていることはわかるが、何の慰めにもなっていない。騎体が起動した瞬間に、事態が最悪の方向へ突っ走っていることを理解していたから。

「こちら、クラークソン。この騎体について捕捉したいことがある」

「はい。なんでしょうか?」

「この騎体は君も知っている通り、機械的な故障は直したがセッティングまでは手が回らなかった。うんたん化した騎体だから、恐らくは代行殿仕様になっているはずだ。幸運を祈る」

 そんなことはサイドスティックを握った瞬間に直感している。シュアードよりも年下なのに戦闘経験はシュナードラの軍人を圧倒している智機の仕様なのだから、操作性よりも性能を引き出す方でセットアップをしているのは言うまでもない。

「えっと、あの……バーキビアス・シュアードさんですか?」

 今度はファリルが交信してきた。

「はい、姫様。なんでしょうか?」

「えっと……あの……その……」

 恐らく、言いたいことがいっぱいあるのだけれど、脳内の辞書容量が足りなくて表現できないといった顔をしていた。

 でも、悪くはない。

 そんなファリルは困っている妹みたいで、シュアードとしては側にいたら手を伸ばして頭を撫でたくなるような欲求に襲われる。

「…本来ならわたしが乗るべきでした。この子のこと、よろしくお願いします」

 この子というのは、シュアードの乗騎のことだろう。ライダーでもないファリルが乗るというのは、考えてみるまでもなく無茶なことであり、それは国王の仕事ではない。

「こちらこそ、よろしくお願いします」

「あと……無理はしないで。無事に生きて帰ってください」

「了解しました」

 シュアードは通信を切るとそっと目を閉じた。

 そんな一生懸命に泣きそうな顔で祈られると無理をしたくなる。このままEFと一緒に逃亡なんてできない。ファリルは泣くかも知れないが、そんな彼女を守って死ぬことに悔いはない。自分自身が生き残ることと引き替えにファリルが死ぬ、あるいはシュアードが死ぬ代わりにファリルを守れるのだとしたら、後者を選べた。何の迷いも思いも残すことなく。

 シュアードは両方のサイドスティックを力いっぱい握りしめた。

「バーキビアス・シュアード、出ます!!!!」


 少女はこみ上げてくる憎悪を外に向かって爆発させていた。

 2対1と数的不利であるが、そんなのはどうでもいい。とにかく、クドネルと名のつくものは一片の欠片さえ残さずに消滅することができれば後はどうなってもいい。自分の身体が滅びたとしても。

 だから、

「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね市死ね死ね市死ね死ね死ね死ね市死ね死ね死ね死ね死ね市死ね死ね死ね市死ね死ね死ね死ねしねしねしねしねしねしねしねねしねしねしねし!!」

 絶叫を上げながら、怒りのままに2騎のEFの襲いかかる。

 2騎が間隔を開けて周りこもうとするなら、分身で対処した。

 芽亜の攻撃こそ当たらないものの、2騎を芽亜を撃破するまでには至らない。意外なことに膠着状態に陥っていた。

 あと、一押しで二騎とも撃破することができる。

 この二騎以外に敵騎はいないのだから、仕留めてしまえばある程度の時間を稼ぐことはできる。その後に来るのは敵か味方か?

 そんなことはどうでもいい。


 ふと、両肩と頭にずしりとした重みを覚えて、芽亜は右手を肩に当てた。

 そこには何もない。

 なぜ、そこに何かがあるのだろうと不思議に思ったが、すぐに答えを見つけては苦笑した。

 戦争が始まる前、芽亜は髪を伸ばしていた。

 ファリルほどではない、とはいっても地面につくすれすれまで伸ばしているファリルがおかしいだけであって、膝辺りまで伸ばした髪を三つ編みお下げにして肩に垂らしていた。

 でも、今の芽亜は髪を産毛よりも短く刈り込んでいる。

 最近なはずなのに、髪を伸ばしていた頃が、遠い昔のことにように思えた。

 

 声が蘇る。


「まず最初に、バイクスとサンザルバシオンで戦火に遭われた方々、亡くなられた方々には深い哀悼の念を申し上げます」

 今にして思えば、これほど空虚な演説というものを聞いたことがなかった。

「ですが、復讐しようと思ってはなりません。シュナードラの人々も同じく人間であるように、クドネルの人々も同じく人間です。殺せば、その家族の方々は嘆き悲しみます。復讐は何の解決にはなりません。憎しみは憎しみを生み、破滅しか生みません。そんなの悲しいです」

 サンザルバシオンでの悪夢から生還して、親戚の家に厄介になっていた頃、最初に聞いたのは当時の首相サリバンの演説だった。

「古代の言葉に、右の頬を殴られたら、左の頬を差し出しなさいという言葉があります。だから、私たちもクドネルの人たちを許しましょう。確かに相手は分かってくれないかもしれないかもしれません。ですが、クドネルの人たちも人間です。私たちが愛を捧げれば、クドネルの人達もきっとわかってくれるます。だから、そのためにも私たちは喜んで殺されましょう。決して戦うなど、罪深きことはしてはなりません間違ったも、殺したりなどしたら私たちは醜き野獣へと成り下がってしまいます。野蛮人と化して地獄へと落とされるなら、無抵抗で殺されましょう。さすれば私たちの魂は天国へ迎えられることでしょう。そこで、無抵抗で命を落としても戦わなかったこと、殺されなかったことを誇りに思うべきなのです」


 その演説を親戚のお茶の間で聴いた後、芽亜は与えられた自室に戻っていた。大きな鋏とバリカンをもって。


 その時の怒りが蘇る。


 両親も弟も、罪を犯していなかった。

 ただ、普通に日々を暮らしていただけだった。

 なのに、惨たらしく、芽亜の目の前で焼かれた。

 助けを求める声が、今までも脳裏にこだましている。

 むしろ、優しくて良き人達を殺した連中を許さなければならない理由が芽亜には理解できなかった。

 家族を焼いた奴等は、同じように焼かれるべきなのだ。芽亜も地獄に落ちようとも。

 丁寧に編み込んだ、膝まで垂れる太い三つ編みのお下げを手に取ると、芽亜は三つ編みの根元、頭に一番近い部分に鋏を入れた。

 大きく広げた鋏を閉じた瞬間、芽亜の心に痛みが走った。

 膝まで伸ばした髪は芽亜にとって宝物であり、その三つ編みのお下げはチャームポイントの一つであった。

 丹念に伸ばしていた髪に刃がぶちぶちと食い込み、切り離していく感覚は気持ち悪く、痛みもあるが怒りがその痛みも消した。

 決めたのだ。

 鋏が完全に閉じると、残った髪がはらりと垂れる。

 そこにいるのは片側の髪を膝までの三つ編み、もう片側は肩に付くか付かないかのアンバンラスな髪型の少女。

 不揃いに切った髪先が傷口のように痛々しい。

 さっきまで頭にくっついていた三つ編みを静かに置くと、芽亜は残っていた片方の三つ編みにも、鋏を広げては根元に当てた。

 決めたのだ。

 あいつらに滅ぼすと。

 それまでは絶対に止まらないと、

 その決意として芽亜は髪を切った。

 坊主になった。


 芽亜の口元から絶叫が迸る。

 

 目の前にあのレッズがいる。

 大上段に振りかぶったライトセイバーを、レッズめがけて振り下ろす。

 間合いは至近、剣速は超高速。

 この一撃は間違い無く当たる。

 跡形もなく、レッズの騎体を両断する。

 予測が確信と変わった瞬間、誰かの声が鼓膜をくすぐった。


 "キミの気持ちは痛いぐらいにわかったよ"


 ライトセーバーの切っ先が、レッズの頭部に当たろうとしたその時、何の動きもなかったにも関わらず、レッズの騎体そのものが視界から消えた。


 "でも、怒りだけで勝てるほど、甘くない"


 緊急脱出レバーをとっさに握ったのは恐らくは本能的なものだったと思われる。

 レバーが作動、胸部装甲が前方に開いて、コクピットが内包された脱出カプセルを排出させる。

 背後に回り込んだレッズのライトセーバーが、芽亜のクーガーを腹部から横一文字に切り裂いたのはその直後だった。

 上下に分割されたクーガーは爆発を起こすが、それもつかの間、炎も煙も衝撃波もレッズの騎体に吸い込まれていくように消えていく。

 瞬間の軌道で、芽亜のクーガーの背後に回りこみ、逆に撃破したのは鮮やかな手並みだったが、レッズのライダーにそれを誇る余裕はない。

 時間を掛けすぎてしまったからだ。

 ガルブレイズの山肌の一角、EFの発進孔が設けられている位置から強大なエネルギー反応を感じていた。新たにEFが出撃する以外の選択肢なんてあり得ないが、ドリフト反応が桁違いなほどに大きかった。

 ノーマルのクーガーではあり得ないほどのプレッシャー。

 素性を知りたいところであるが、詮索している余裕はない。

「くるぞ」

 NSKの隊長が言われるまでもなく、それは2人に向かっている。レッズのライダーは指先に念を込めると、トリガーを引き絞った。

 トリガーに伝わった意志が、電子回路を通して、騎体に握られたライフルに伝わり、同時に騎体本体から転送されたエネルギーを銃身を奔り、本来の出力よりも数倍に増幅されて、前方へと放出される。

 隊長騎のライフルから発射されたエネルギーと合わさって、一直線に発進孔を飛び出していくエネルギー体に向かって炸裂する。

 発進孔が設けられた山腹が爆発、土砂が白く舞い上がる。

 しかし、そのぶちまけられた大量の土砂が吸収されるようにして唐突に消滅する。

 厖大なエネルギー派を浴びたにも関わらず、それは破壊されることもなく、一直線に隊長騎に向かっていく。

 肩と脹ら脛部分が大きく膨らんだ、明らかに大馬力型のEF。

 標的が自分だと察した隊長騎は懇親の力を振り絞って、前方に壁を展開する。

 レッズのライダーが感嘆するほどの分厚い壁に、迷うことなくそのEFは衝突する。

 流石に前進は止まり、壁を壊されまいと必死に抗う隊長騎とそれを突破しようとする敵騎との間に火花が散る。

 その隙にレッズのライダーはその敵騎に標準を合わせるとトリガーを引き絞る。だが、ライフルから放たれたビームが敵騎に当たるよりも、壁が砕け散るほうが早かった。遙かに。

 こうなれば、隊長騎に止める術はない。

 敵騎の雄叫びが高らかに響き渡った。

 回避する間もなく、ただ単純にその敵騎の体当たりをまともに食らった隊長騎は小石のように空高く弾け飛ばされた。

 視界の向こう側、遙か彼方へと。

 衝突の際に衝撃波が発生、レッズのライダーは両腕を翳してガード態勢を取る。

 騎体が上下左右に激しく揺さぶられ、腕の装甲に亀裂がささくれように走った。仮にシートベルトをしていなかったらコクピットの内壁に頭を打ち付けられていただろう。

 隊長騎の姿はどこにもない。

 どれだけのダメージがあるのかは不明だが、この戦場に戻ってこられないことだけは間違いない。

 敵騎は一機。

 ネメスのようではあるが、ネメスとは明らかな差異があるのは、さんざん噂になっていたうんたんネメスに間違いない。

 その騎体からは、先ほどのクーガー同様に闘志が感じられる。ここを落とされたらシュナードラは最後なのだから闘志を燃やさない訳にはいかないのだが、今まで戦っていたクーガーとは明確に違う部分もある。

 隊長騎に体当たりを仕掛けたのが、さっきのクーガーであったら間違い無く隊長騎は破壊されていた。あの憎悪に燃えたライダーがありったけの殺意を爆発させないわけがない。にも関わらず、破壊よりも戦場からの追放に留めたのは、破壊よりも戦闘不能にしたほうが効果的だと判断したからに他ならない。戦闘に加われないのであれば、破壊も行動不能も違いはないが、難易度は後者のほうが低い。

 勢いだけの敵よりも、勢いに加えて計算もできる敵のほうが、遙かに危険だ。

 その、うんたんネメスに乗っているシュアードはぼやいていた。

「……どうなってんだよ。騎体は」

 唾に血が混じる。

 呼吸をするたびに胸が膨らんだりしぼんだりして、痛みが走るのは肋骨が折れて、内臓を傷つけているからに他ならない。

 他にも折れていたり、ひびが入っている箇所がいくつか……というより無い箇所を数えたほうが早い。しかし、今はこの事実だけ把握しておくだけで充分である。

 次にダッシュをかけたら、間違いなく全身の骨が折れる。それ以前に内臓が破裂する。

 ハモンドの危惧も当然だった。

 シューティングゲームを初心者が遊ぶ時、機体の速度を上げすぎると障害物に当たってミスする事が往々にあるのは、機体の速さに初心者の腕前がついてこないからである。反応が遅ければ初心者でも操作がしやすくなる反面、眼前の脅威に後れをとることになる。ましてや、シュアードが置かれているのは仮想ではなく現実なのだから、1コンマでも反応が後れたら致命傷になる。

「なんつう代物に乗っているんだよ、代行殿は」

 うんたんネメスの反応は度を超えていた。

 ほんの軽く踏んだだけで、ライダーの身体が爆発するほどの勢いで加速する。何も考えずに力いっぱいに踏み込んでいたら、間違い無くシュアードの身体は大昔の漫画のように跡形もなく四散していたことだろう。サイドスティックの操作も同じ。ミリ単位の繊細さで操縦しなければ、同じようにシュアードの身体も凶悪なまでのGに耐えきれずに爆発する。目の前の敵よりも、乗っている騎体が敵という鬼畜すぎるシチュエーションにシュアードは泣きたくなるが、泣いている暇がない。

 この騎体の操縦性がライダーを殺すほどに極悪なのは、クラークソンが言ったように智機用にチューニングされているからである。トップレベルのライダーのチューニングってこんなものなのかと、操縦性よりも騎体性能を最大限に引き出すように調整された騎体に、実騎に乗るのが初めての新米が乗るのもどうかとは思われるが、この道を選んだのはシュアード自身なのだ。

 その選択を後悔していないといえば、嘘になるが。

 いずれにせよ、この騎体でなければレッズとは戦えない事実だった。性能は互角かそれ以上はいっているかも知れないが、ライダーの経験値に圧倒的に差がある。怖くないといえば完全に嘘だが、ガルブレズにいる人達を守る、出撃前の泣きそうなファリルの顔が脳裏によぎったら怖さも痛みも何もかも消えた。

 目の前のレッズを倒す、倒すことはできなくても味方がやってくるまで時間稼ぎができれば、この命を捨てても惜しくはない。騎体が暴れたいのというのであれば、経験不足のライダーが足を引っ張るのは嫌だった。それで目的を果たせずに生きながらえるよりも。

 だから、僕は電池でいい。

「僕のことは気にしなくていいから、思い切っていくよ。アイツをぶっ飛ばす」

 シュアードは怒りも不満も全てレッズにぶつけることに決めた。


 ・・・・・


 隣を飛んでいたクーガーのバックパックが前触れもなく爆発、少し急降下したのちに爆発、空中で火球と化した。

 四方八方に飛び散る欠片。

 僚騎のライダーは、即座に欠片が飛び散った方向に向かっていた。

 その爆発を見た瞬間、ライダーは全身が凍り付いたような気がした。その後に想像だにしない恐怖に襲われた。

 その騎体にはライダーが自身を犠牲にしてまでも、守らなくてはいけない人だった。


 その人がEFの空中爆発という惨事にも関わらず、傷一つなく地上に落ちていたことは幸運だった。

 その当時は奇跡の一言で片付けられていたのだが、今にして思えば、厳密に検証すべきではなかったのかと、ザンティは考える。

 無理だった。

 空中で跡形もなく爆発した惨状では、死んでいるのが当然、常識だった。にも、関わらずその人物は生きていた。

 知るのが怖かったのだろう。

 何故、生き延びることが出来たメカニズムを知るのが。

 だから、奇跡の一言で逃げた。

 現実から目を反らした。

 その場に居た誰もかも。ザンティでさえも。


 その人は呆然と、EFが存在していた空っぽの空間を見つめている。

 先ほどの地震のような揺れほどではないが、絶えず細かい振動が空間内に伝わっている。

 ファリルはこれでよかったのだろうかと自問自答していた。

 智機も制御に苦労していた騎体なだけに、他のライダーでは荷が重すぎる騎体である。智機の口調から察するに並のライダーなら操縦するだけで死にかねない代物であるだけに、乗っているライダーはひどい惨状になっている。

 つまり、ファリルが乗っているライダーに死を命じたに近い形になっている。

 うんたんメネスをファリルごときが操れる者ではないのは自覚している。それでもファリルが乗って前線に出ることを希望したのは、そのほうが楽だったからだ。

 他人を傷つけるぐらいなら、自分が傷ついたほうがいい。後ろめたさを覚えることもない。

 肩をぽんぽんと叩かれて振り向くと、ザンティがいかつい顔に優しい笑みを浮かべていた。

「いかがなされました?」

 ファリルはいったん迷ったが吐露にすることした。世間の大人たちのように、胸に秘めたままにしておくことができなかった。

「私はひどい人なのでしょうか?」

「なぜ、そのようなことを?」

「私はあの子に、私ではない人を乗せている。乗っている人がひどいことになると分かっているのに。本当は私が乗るべきだったんです」

「シュアードが乗っているのは奴の意志です。姫様、いや陛下であってもその意志を侮辱するのは許されません」

 実際にはファリルが命令した訳ではない。

 分かっているのではあるが、割り切れない。

 言葉にできない後ろめたさが残る。

「陛下としてはおつらいのでしょう。今回はシュアードの自発的な意志ですが、これから先、陛下の命令でたくさんの人々を死なせることになるのかも知れない」

 ザンティが思っていたことを代弁してくれた。

 ファリルの意志でたくさんの人を死なせることになる。成功でも失敗でも犠牲は避けられない。自分は傷つかないのに、傷つかなくてもいい他人が傷つく責任の重さがファリルの小さな肩に重くのし掛る。

 その責任を思えば、あの騎体で前線に出るほうが遙かに楽だった。

「人にはそれぞれ役割というものがあります」

 ザンティは言う。

「陛下はEFに乗ろうとしましたが、ライダーとしては代行殿はおろか、儂やシュアードにも劣りましょう。ですが、その我々ををまとめて上に立てることについては、陛下の右に出る者はおりません。そして、儂や代行殿の代わりはいくらでもおりますが、姫様の代わりはおりません」

「智機さんではダメなんですか?」

「代行殿は軍のトップとしては有能ですが、経歴が黒すぎます」

 黒いどころの話ではない。

 それ以前に能力がいくらあっても無理なこともある。血統がまさにそれで、智機がシュナードラの王になるのは難しい。シュナードラの王家に生まれていないからである。ファリルと結婚するのなら、また、別の話になるが。

「ま、そんなに難しく考えることもでしょう」

 ザンティは相好を崩した。

「兵士たちは守るもの、帰れる場所があってこそ始めて戦えます」

「帰る場所ですか?」

 家とか、家族など。

 ファリルは大切な両親を失ってしまったけれど、その代わりに大切な仲間ができた。セシリアやザンティ、ヒューザーにそして、智機。

 帰る場所は、そんな人々がいる温かい場所。

「もし、帰る場所を無くしたら、兵士はどうなるんですか」

「戦士になります」

「戦士だといけないのですか?」

「戦士といっても色々ありますが、この場合は戦いを求めて、彷徨い続ける亡者のように成り果てるでしょう。代行殿などがいい例ですな。カマラ戦から1ヶ月が経つか経たないうちに、シュナードラに来てるのですよ」

 智機にも想いや思惑などがあるかも知れないが、その生き様は傍目には血を求めて彷徨い続ける戦闘狂にしか見えないのも事実である。そんな人生が幸せだとはファリルには思えない。

 それは人並みな幸せではない。智機なら平気なのかもしれないが、異常に耐えられる人間なんて、そう多くはない。

「ザンティさんは、私は今のままでいいとおっしゃるのですね」

「彼らが死んだら泣いてください。もし、彼らが生きて帰ってきたら、温かく笑って「おかえり」といってあげてください。それが我々にとって、何よりの福音となります」

「ありがとうございます」

 これから先の人生も、一つ一つの決断に思い悩むこともあるのだろう。そして、この戦いが終わらない限り、大量の人命を背負う重さからは逃れないのだろう。

 でも、ザンティの会話で、進むべき道を見つけられたような気がした。

 不意にザンティの端末からアラームが鳴り響く。

「こちら、市長。どうした? 司令官」

 画面に表示されたのはディバインの顔。

「陛下は側にいますか?」

「ディバインさん。何かあったんですか?」

 その時のディバインは機嫌が良さそうには見えなかった。

 身内が校長の銅像に卑猥な落書きをしたといったレベルの悪戯をしたことを知らされて、苦虫を噛みつぶしているといった顔をしている。

「……やりやがったか。あいつ」

 ザンティは心当たりがあるのか、智機がよくやるような悪戯心たっぷりの笑顔を浮かべる。

「まずは映像を流しますので見てください。その方がてっとりばやいです」

 とにもかくにも、ディバインの言う通りなので、ファリルは端末の画面を注視した。

 画面はニュース番組のようで、ある事象についてキャスターがファリルには分からない言葉で述べている。

 言葉はわからないが、シュナードラについて語っていることが断片的にわかる。

 場面が切り替わる。

 灰色のパーティーションの前にシュナードラの軍服を着ているが、ヘルメットとホッケーマスクで素性を隠した奇妙な男が立っている。でも、ファリルにはその男の正体がわかる。左肩にバビ・ヤールのワッペンを貼り付けているからだ。

 その数秒後、ファリルは叫んでいた。


「――なにやってるんですか!!! 智機さんは!!!」


 時間を少し遡る。


 サイレンが鳴り響く中、クドネル国家騎士団第37分隊ロンバルディ・ユーゲントに所属する少年兵シュウイ・セル=ファイは営舎の中を格納庫に向かって走っていた。

「びびってんのか?」

 隣を走っている兄のドゴンが冷やかす。

「うっさい」

「たかだか、一騎程度に大騒ぎって、うちの軍隊はどんだけびびりなんだか」

「そういう兄さんこそ、びびってんじゃないのか?」

 現在、クドネルは蜂の巣をひっくり返したような恐慌に襲われている。一騎のEFが首都上空に侵入、いや、侵攻している。たった一騎ではあるが、警戒に当たっていた首都防衛部隊をこともなげに殲滅した。それ故に予備や訓練課程にいるライダー全てに出撃命令が下されている。

「びびってない、といえば嘘になるか」

 ドゴンは素直に認めた。

「相手はあのマローダーだからな。正真正銘の化け物にぺーぺーの俺達が戦えなんて無茶だよな。でも、女子トイレに入らずんば、パンティを得ずだっけ?」

「虎穴に入らずんば虎児を得ず、だよ」

「そうだったそうだった。もし、俺達でマローダーを倒すことができれば、英雄じゃんか。親父やお袋、みんなを幸せにすることができるぞ」

 何かを得る、特に実力不相応の報酬を得ようとするなら、危ない橋を渡ってギャンブルに勝つ必要がある。

「…そうだね」

 正直なところ、兄の味方は楽観的すぎる。いや、楽観しなければやってられないといったところだろうか。どの道、彼らに逃げ場などないのだから。


「共和国防衛隊第11小隊全滅です」

 オペレーターの引きつった声が場を混沌へと落とし込む。

「壊滅だと、どうしてなんだ?」

「正体不明のアンノウンが首都上空に接近しています」

「なぜ、今まで見逃していた!!」

 戦況がクドネル圧倒に推移していて、いつのまにか危機感を喪失していたからである。

 戦線は遙か遠く、クドネルがシュナードラを制圧することはあっても、その逆はありえないと大統領を含むこの場にいる面々はそう思い込んでいた。

 何の根拠もないままに。

 でも、現実にはシュナードラにもそれができる力がある。

「敵は何騎だ」

「アンノウンは一騎です」

「一騎で一個小隊が全滅したというのかね。そもそも、奴は……」

 大統領の言葉が凍りつく。

 一つだけ心当たりがあった。

「画面に出します」

 あり得ないと根拠もなく、いや、認めるが怖くて勝手になかったことにしていた可能性。

 雲海を抜けて、夜空に一騎のEFが現われる。

 夜なので、カラーリングは分かりづらいが巨大な体躯に、見ているだけが胃が痛くなるぐらいに頑強な装甲。格闘に特化した巨大な甲殻類を思わせる右腕。そして、左肩に書かれた盾状の黒地の枠に赤枠でБのシンプルなインシグニア

「なせ奴は生きているんだ!?」

それは紛れもないマローダー。

「チクビームでも溶かせなかったんでしょう。更に運の悪いことに、降下ポイントがズデンカに流されてしまった」

 マローダーの騎体が動く。 

 左腕に装備されたスマートライフルの銃口が生き物ように僅かに動いた瞬間、爆音と衝撃が周囲の空間を振るわせて、弾丸が発射される。


 ロンバルディにとって、最低な夜が始まった。


 空から離れた一発の弾丸、ドリフトで加速された実体弾式スマートライフルから発射された弾丸が、狙い過たずに着弾すると、その一体を爆発させた。

 鼓膜を粉々に粉砕する轟音が鳴り響き、爆風と衝撃波が荒れ狂う。噴煙が劫火のように立ち上り、煙が晴れると、そこにあったはずの建物は完全に消滅しており、その痕には地中深くへと続く孔が穿たれているのみだった。

 生存者なぞ、いるはずもない。

「いてくれたら、楽なんだけど……いるわけ、ないか」

 智機が破壊したのは、大総統官邸。

 建物は跡形もなく木っ端微塵に破壊したので、ロンバルディがいたのなら間違い無く死んでおり、最高指導者が死亡すれば、シュナードラの逆転勝利になっていたのだが、智機の勘はここにはロンバルディはいないと告げている。

 時間はないので、智機はとっとと次の行動に移すことにした。

 スクリーンの一つに表示されている首都ズデンカの地図のある点を押すと、ティーガーが細かく向きを変え、その点に左腕に握られたスマートライフルの照準が固定される。

「ファイア」

 トリガーを引き絞ると、ティーガーの左の人差し指が、スマートライフルの引き金を引く。弾倉に入れられていたケースレスの実体弾が薬室に装填され、引き金に連動した撃針が弾丸を包んだ発射薬を叩いて、前方へと押し出す。

 弾丸は包み込んでいた発射薬を燃やしながら銃身内を加速。加えてドリフトによる効果さえも受け止めて、最高速で銃身内を走り抜けると夜空へと飛び出し、ほんの一呼吸の間で狙った地点に着弾した。

 大爆発。

 智機は狙い通りの地点に着弾できたことを確認すると大爆笑した。


「おのれぇぇぇぇぇっ 国鉄廣島の役立たずがぁっっっ!!!!」

 ズデンカの中心に建てた、全高30mはあろうかという巨大なロンバルディ自身の銅像を物の見事に破壊されて、ロンバルディは激怒していた。

「大口叩いておきながら蠅一匹も仕留められぬとは、無能者めっ」

「落ち着いてください、閣下」

 博士がなだめに入る。

「マローダーが閣下が首都にいると誤解している限り、貴方は死ぬことはありません」

「あやつを自由にしている限り、儂の権威が傷つくではないか」

 マローダーがロンバルディの銅像を狙ったのは、第三者への被害を最小限に抑えられる上に、効果的にロンバルディの権威にダメージを与えられるからである。費用対効果では最高といってもいい。

「それでは、レッズを出してもよろしいですか」

「ああ、かまわん。出せ出せ。絶対にあいつを殺してこい!!」


 智機は、続けてライフルを撃とうとしたがレーダーが敵騎の反応で埋め尽くされるのを見ると、あっさりと切り替えた。

 右肩に装備されたサブアームを使って、背中のバックパックから手榴弾を取り出すと、そのまま放り投げた。

 タイムラグを置いて、空中で手榴弾が爆発。

 チャフ入りのスモークが周辺に広がって、視界が全くといってもいいほど取れなくなる。

 続けて、両肩に設置されたミサイルランチャーから、ミサイルを発射させる。

 ただし、これも敵騎の破壊を狙ったものではない。

 メインはウィルスポッド。

 地面に着弾して、地中に張り巡らされたネットワーク網に接触するなり、ウィルスを送り込んで汚染させるというもの。

 続けて、背中のバックパックから偵察用ドローンを発進させて、四方八方に展開させる。

「……いるな」

 取り囲んでいる多数の敵騎を想定して、智機は悪魔のような笑みを浮かべた。

「憐れな愚者どもよ。俺の命ずるままに歌え、踊れ、そして、死ね」

 智機はそっと目をつぶるとなにやら呟き始めた。

 それは詠唱。


「――用意はいいか、野郎ども

 目覚めの時は来た。

 オレたちの旗を高く掲げよ」


 首都を急襲したアンノウンを迎撃するために、大急ぎで出撃したクドネル共和国防衛隊のヴェンジャンス部隊であったが、マローダーを捕捉しかけた直後に、スモーク弾をバラまかれて、視界が効かなくなる。

 それでも、ドリフトを使えば捕捉することは可能なので、あるヴェンジャンスのライダーはドリフトを使ってマローダーを探しだそうとした。

 機器類が全てシャットダウンしたのはその直後。

 メーターディスプレイはおろか、全周囲モニタの全てが消灯していまい、闇の中でライダーは恐慌状態に襲われる。

 サイドスティックを必死に動かすが、反応はない。

 厳密にいえば、全ての動力が停止しているわけではない。完全に停止していたら浮いていられないからだ。とすれば、ドリフト的な力がこの場に働いているからだといえば、そんな細かい考察をする以前にライダーは恐怖していた。本能的に危険な局面を置かれたと悟ったから。

 メーターの光さえも消えた闇の中、心の中から突如として燃え上がった恐れから逃げ出そうとしきりにサイドスティックを動かすが、不意にそのサイドスティック自体も動かなくなった。

 動かしすぎて壊れたのだろうか。

 無意識のうちに、役に立たないサイドスティックから手を離そうとしたライダーであったが、今度は両手がサイドスティックから離れない。溶接されたかのように。無理に力を入れれば皮膚が剥がれる。

 足もペタルから外せず、身体も浮かされられない。

 理解もできない現象が起こった時、人は恐怖に包まれる。

 でも、彼は逃げられない。

 全てのスクリーンに画像が映し出される。

 盾状の黒地に、赤枠の文字でБのマークが無数に映し出される。

 スピーカーから機械音声の声が流れる。

「――用意はいいか、野郎ども」

 それは地獄からの死者の声。

 耳にした瞬間、内臓に強大な負荷がかかって、彼は血を吐く。耳にしたくないと思ったが、手はサイドスティックに張り付いたまま、耳を覆うこともできず、言葉を止めることもできない。

「目覚めの時は来た。

 オレたちの旗を高く掲げよ」


 しかし、不意に拘束は解かれる。

 スティックから手は離れ、足元もペダルから外れる。

 全周囲モニタは、首都の夜景を映し出し、メーターディスプレイには何事もなかったかのように騎体や外の状況が表示される。

「……いったい、なにがおきたんだ」

 騎体はさっきの光景がまるで嘘だったかのような稼働ぶりであったが余韻はライダーの記憶の中に残っている。

 唐突に始まって、唐突に終わった生命の危機に、ライダーは途方にくれることしかできなかった。


「運がよかったな。おまえら」

 智機は皮肉っぽく、つまらなそうに呟いた。

 


「……いったい、何が起きたんだ」

 クドネル軍総司令部の司令所では、誰もが当惑していた。

 マローダーを捕捉してスモークを発射したところで情報が遮断されていた。首都に展開していたEF部隊の連絡が全て途絶していたのだ。

 現在、全てのEFが復旧し稼働状態にあるのだが、EFが急に行動不能になり、復活した理由を説明できるライダーはいなかった。

 ただ、騎体がシャットダウンをしたこと、謎のインシグニアが全ての画面に表示されたこと、ライダーの身体さえも束縛されたこと、謎の音声がスピーカーが流れた、という体験をしなかったライダーはいなかった。

 博士が、ロンバルディに向かって説明する。

「恐らく、マローダーは「軍団」を使いかけたのでしょう」

「軍団だと!?」

 そのドリフトがもたらす結果に、ロンバルディは冷や汗は流す。ロンバルディではなく、博士の言葉を聞いたもの全てが凍り付く。

 敵騎とそのライダーを触媒に、生きとし生けるもの全てが燃やし尽くされるまで破壊と殺戮を繰り広げる不死の軍団を召喚するという、存在してはならない技。

「奴は軍団を駆使することができるというのかね」

「そういうことであれば説明がつきます」

 マローダーが軍団を展開できていたのであれば、共和国防衛隊の騎体は全て、マローダーの支配下になり、当該機に乗っていたライダーは1人残らず軍団を出現させるための贄にされていただろう。そして、狂気の軍団は首都ズデンカを完全に破壊していただろう。住む人々を顕現させるための餌として食い尽くして。

「奴はなぜそうしなかった」

「滅ぼす価値すらなかったのでは。あの都市には、総統がいないということをマローダーも理解しているのでは」

「では、何故使いかけた」

「見せびらかしたかったのでしょう」

 博士は一言で切って捨てるが、説明不足と思ったのか付け加える。

「マローダーが軍団を行使できるとわかった以上、わたし達もそれ相応の対応をせねばなりません」

 マローダーが単騎ならまだしも、戦場に精強な大隊を展開させることができるとするならば、クドネル側も大隊に対応できるだけの戦力を展開させる必要がある。しかし、クドネルといえど兵力には限りがあるので、マローダーとその大隊に対応するだけの戦力を差し向ければ、どこかに穴が空く。

 言葉の意味に気づいて、ロンバルディが青くなった直後、ロンバルディの元に通信が入る。

「誰だ?」

「首都防衛指令のブラウンです。この画像を見てください」

 メインのディスプレイに表示されたのは、盾状の黒地に、赤枠の文字でБというシンプルなインシグニア。

「おい、これはどうした?」

「どうやら、ウィルス弾を打ち込まれたようでして、ウィルスによってネットワーク全体を汚染されています。その内容がこの映像のようでして……」

「早急に駆除せよ」

「無論、駆除に努めておりますが新種なようでして」

「ご託はいい!!」


 クドネル国内のTV全てに、ヘルメットにホッケーマスクをつけた異形の男が写し出される。

 その男は機械合成をかけた声で、クドネル国民に向かって語り出した。

「私はマローダー。故あってシュナードラ公国に味方している者である」

 ようやく、共和国防衛隊のEFがティーガーに向かって攻撃を開始するが、ティーガーに向かって放たれたビームは全て紙一重のところで回避され、ビームは背景に吸収され、一呼吸置いて爆発が光り輝く。

 マローダーの演説は続く。 

「お前らに問おう、お前達は幸せになれたのか?

 他人の地を侵略し、他人を殺し、犯し、略奪し、

 都市を破壊して瓦礫に変え、人々の尊厳を土足で踏みにじって、お前達は幸せになれたのか?

 それは違う。

 お前達は決して幸せにはなれない。

 なぜなら、お前らを支配しているのは、私利私欲のために魂を売った売国奴だからだ」


 その売国奴が魂を売り渡した先は、大爆笑の渦に包まれていた。


「あいつ、おもしれなあ。ライダーより芸人のほうがよっぽど向いてるぜ」

 延信は友人のコメントにスルーを決め込んだが、内心では同意していた。さっきから笑いをかみ殺すのが難しいのだ。プライベートな場所でこの映像を見ていたら、大爆笑していた。何故なら、マローダーの演説は事実を正確に言い当てていたからである。

「それにしても、あいつらもバカだな」

 クドネルのEF部隊は猛烈な射撃をマローダーに浴びせている。それはシャワーといっても濃密ぶりであったが、その程度の弾幕で死ぬようであればシュナードラにはいない。ビームの一発一発全てが、装甲を掠めるギリギリのところで避けられ、行き場を失ったビームは市街地、ズデンカの官公庁エリアに着弾して盛大に爆発する。

 その間にもマローダーの演説はクドネル全ネットワークで放映されている。


「たとえ、お前らがシュナードラを滅ぼしたとしても、お前らもシュナードラのように踏みにじられ、ゴミのように消え去ることだろう。本当の支配者とやらが現われて、お前の残り滓に至るまで絞りとられて、遺伝子の欠片も残さずに滅びさることだろう。

 でも、お前らは同情なんてされない。

 他人を鉄火でもって踏みにじった輩は、同じように踏みにじられるのが道理だからだ。だから、オレがお前らを劫火でもって焼き尽くしてもそれは当然の報いだ。お前らがシュナードラをゴミとして焼き払うのなら、お前らもクソとして処分されるべきだ」


 真上からビームの猛射を浴びても、平然と首都上空から移動しようとする騎体を観察していた延信であったが、友人からのチャットメッセージが入る。

「信はあいつの動き、どう思う?」

「卿は?」

「質問で質問を返すな」

 文句をいわれはしたものの、友人は答える。

「演説の割には破壊が手ぬるい」

 マローダーは回避に終始していて、何故か攻撃していない。マローダーの腕ならカップラーメンができあがるよりも早く殲滅できるのにである。

 現在、確認できる被害は大総統官邸を中心とした官公庁群とロンバルディの銅像だけ。しかも、大総統官邸以外は防衛隊の誤射によるものなので、演説の割にはマローダーが破壊したものは少ない。

「てっきり、軍団でもしかけてくるのかと思ったが」

「マローダーも分かっているんだろ。ここには総統はいないと。奴が単純な破壊馬鹿であったら、苦労はしない」

「奴が、単なる破壊馬鹿ではないという根拠は?」

「防衛隊のEFが、攻撃をしかける前に全機静止していたのはどう見る?」

 間が空いた。

「……なるほど」

 一騎や二騎ならともかく、全騎がシステムダウンしたように静止したのは偶然ではありえない。更なる調査が必要だといえ、マローダーが何らかのドリフトを使ったとみるのが妥当だ。

「自慢したかったというわけか」

「だろうな」

 切り札というのは二種類の使い方がある。

 一つは予兆も伏線もなく、出し抜けに使う方法。

 これは相手を確実に仕留めるために奇襲として使う方法である。初見で使われたら、基礎知識もなにもないので対応できないからだ。しかし、マローダーは敢えて匂わせてきた。もう一つの方法、抑止力としての使用として。

 国境に長々と設置された防壁は一見すると役立たずに見えるが、いざ敵に攻め込められると防壁を乗り越えるのに苦労する、長大な迂回を強いられる、攻め込むポイントが限定されるので迎撃側は充分な態勢がとれるといった具合なメリットがあるように、対策を強要することによって、相手の攻撃を防ぐというメリットがある。

 大技と呼ばれるものは例外なく、消耗も激しいので乱発はできない。だから、匂わせるというやり方は非常に有効だ。

 その間にもマローダーは首都から移動していた。

 場所はズデンカに隣接するザルツァイ工業地帯。

 マローダーの機動力なら数分で到達できるエリア。

 クドネル最大の港湾を中心に、釘からミサイルまでなんでも製造する工場の密集地帯であり、従って、ここを破壊されるとクドネルの産業に多大な被害をもたらすことになる。

 戦場がズデンカから、ザルツァイに移り変わっても、展開はさほど変わらない。

 防衛隊のEFはバレルロールやインメンルマーンターンなど、様々なアクロバット飛行を駆使するマローダーめがけて猛烈な射撃を浴びせるが、それらの全てがことごとくかわされて、逆にその下にある工場や住宅地などに着弾して、闇夜だった世界に炎が煌々と立ち上る。

 流石に射撃戦は効果がないと悟ったのか、いくつかの騎体が接近戦を挑むが、なかなか捕捉することができない。見た目とは裏腹にスピードが早い。

 それでも一騎二騎が、マローダーの前と後ろから挟み込もうとするが、前方にいる騎が斬りかかるよりも早く、マローダーの巨大な右手で片腕をがっしりと掴まれては裏拳気味に振り回される。

 振り回された騎体は背後から襲いかかろうとした騎体にぶつかり、その騎体を真っ二つに破壊する。

「性格悪いなぁ、あいつ」

 武器として使った騎体を、弾幕への楯に使った後に地面に放り捨てたのを見て、友人が感想を漏らす。

 マローダーは攻撃しない代わりに、誤射誤爆という形で、クドネルの経済に打撃を与えている。


「救われないお前らではあるが、唯一、救われる道がある」

 機械音声による演説は続いている。


「ただちに降伏せよ。

 我が主君、ファリル・ディス・シュナードラの軍門に降り、売国奴どもを排除せよ。

 まったくもって救われないお前らであるが、我が陛下は、ゴミみたいなお前らでもありがたく救ってやるとおっしゃった。

 我が陛下は非常に心優しいお方。その慈愛は天よりも高く、海よりも深く、その徳は神や仏ですらも及ばない全くもって偉大なお方だ。我も、その陛下の慈愛に触れ、全ての人々を幸せにしたいという崇高な意志に感動したからこそ、微才の身でながらもお仕えしておる。

 国民を救うために、自ら戦場に立たれた陛下と、敵の襲撃を恐れ、首都から逃げ出してひとり鼠の巣穴で怯えている卑怯者。

 どちらが上なのかは比べるまであるまい。

 クドネルの国民よ。

 今からでも遅くはない。救われたいのなら、ただち陛下について卑怯な売国奴どもを抹殺せよ。

 、陛下の名を称えよ。

 これは警告である。

 罪深い上にゴキブリよりも愚かだというのであれば、実に救いようがない。この世に存在している意味がない。

 と、すれば君たちが完全に不幸になる前に、跡形もなく消してやったほうが慈悲だと思うのだが、いかがだろう。

 陛下の名を称えよ。

 天使よりも可愛いく、女神よりも気高いその名を称えよ。

 ハイル・ファリル!!」


「なるほど。遊んでいるのはこういうことか」

 最後は老若男女の「ハイル・ファリル!!」の大合唱で締めくくられた演説に、友人が感想を述べる。

 マローダーが地上への攻撃を最小限に留めているのは、自身を圧政からの解放者だと位置付けたいからである。だから、大規模な破壊活動はできない。かといって、これからの事を考えると少しでもクドネルの経済力を削っておきたい。クドネル軍の戦闘行動に支障を来すようにしたい。 

 ……性格が悪いのは、その攻撃という誤射という形でクドネル軍自らの手で行わせているということである。

 身を守るのは絶対の正義だから、非難される覚えなどない。たまたま射線上に工場や民家があっただけのことである。

 それでも言い訳がましく聞こえてくるのは、自身の利益となる破壊活動を、自分の手を汚さずに他者にやらせているからだろう。

「だからといって、クドネルも褒められたものでもないが。つーか、バッカじゃねーの。自分たちで自分たの財産を灰にしているのだから、まったくもって笑えるぜ」

 誤射による攻撃は初めてではないので、露骨なほどに意図が見え透いているのであるが、放置できない以上、排除しないわけにはいかず、マローダーの目論見通りに、外した攻撃がことごとく市街地に炸裂して、築き上げた財産を灰にしている。第三者から見れば喜劇もいいところである。

 マローダーではなく自ら民衆達の家々を破壊しているのだから、戦いが終われば非難の矛先が向かうのは政府当局だ。

「信よ」

 スピーカーから皇帝の声が流れてきた。

「ロンバルディの奴、今頃、腸が煮えくりかえっておるな。助けが必要かもしれぬな」

 ひどく上機嫌である。

「あの道化は我らを絶対悪と抜かしおった。ならば、我らもこの世の悪として、奴の期待に応えてやるのが道理というもの。軌道にいる兵力をズデンカに降下させよ。あの道化を永久に黙らせろ」

「御意」

「いいのか?」

 ここで兵力を降ろすということは、渋谷艦隊ならびにトランスカナイの大多数を降ろしてしまうことになる。皇帝の感情にまかせた命令によって、以降の戦局を難しくしてしまうことを友人が危惧するのも無理もない。しかし、専制君主制の国において皇帝の勅命は神よりも絶対。どんな無茶な命令であっても逆らうことはできない。

「奴を放置するわけもいかないだろう」

「地上にいる戦力でマローダーに対抗できるのはレッズだけ。国鉄廣島の三バカを加えてどーにかといったところか」

 いずれにしても、クドネル軍の中でマローダーに対抗できるのはいない。1体無数の無茶な局面を物ともしなかった化け物なのだから明白だった。

 マローダーが単純な猪武者ではなく、予想した通りの切れ者であるのなら、恐らく迷っているだろうと延信は思う

「めんどくさいことになった」

 本来なら、クドネル軍が首都に侵攻した時点で終わりなはずだった。でも、マローダーという要素で一転して、終わりが見えなくなってしまっている。スポーツの試合でロスタイムに入ったところで同点にされたようなものだった。

「信の言いたいことはわからんでもない…けど」

 プライベートならともかく、公共の場では言えないこともある。皇帝のみならず父親までいる場所では特に。この友人は信のことをよく理解している。

 だから、こういった。

「信は帝国屈指の名家の御曹司なんだろ。ちっとは苦労するべきだ」


 上下左右6方向から襲いかかってくる敵の、攻撃に入るタイミングを精密に見計らい、そのコンマ単位の差の隙間に騎体を滑りこませることによって、背後から襲ってきた敵騎のライトセーバーを、右移動でかわしながら、右側から襲ってきた敵を右腕の肘で吹き飛ばし、なおかつ蟹のようなかぎ爪で肘打ちを食らわせた敵を掴んではぶんまわして、それ以外の方向から来た敵をなぎ払う。

 無数の敵に囲まれているにも関わらず、智機の意識はそれ以外の場所を向いていた。

 メーターディスプレイに表示している地図に輝く赤い点。

 スモークを紛れて、展開させたドローンの一つが、赤くて細身、且つ流麗なフォルムをもったEFが12騎ほど首都に向かって発進したのを感知したが、場所が問題だった。

 首都近郊ではないのは予測の範囲であったが、反応があったのは、クドネル中央部の山岳地帯に近い辺鄙ともいえる基地。

 その基地の周辺に、何か目を引きそうなものを探す。

 あの編隊があのレッズである以上、出撃基地の近くにロンバルディがいるとみて間違いない。

 一瞬、智機の口元が悪魔のように歪むが、すぐに冷静になるのは予想だにしなかった選択肢が提示されたことは、必ずしもいい事とは限らないからである。

 予想していたよりも、簡単に欲しい情報が手に入ると欲も出てくる。けれど、下手に欲をかくと地獄をみることになる。

 計画というのは、状況といったその他もろもろの要因で想定通りに行かないものであるが、好機だからと飛びついて、自ら崩すのも危険である。計画が予定通りにいかないのは戦闘においては半ば当たり前で、智機の状況も本来の予定から外れたものだといえる。だからこそ、いくつもの対応策を用意していて、その策によって動いている。

 想定外の好機だと判断して、自ら計画をブチ壊した場合には、想像外の困難に直面することになる。好機そのものが想定していないものだから。

 人というのは想像外の事象に弱い。

 強者が弱者に負けるのは、弱者に想定外の攻撃をしかけられたのが典型の一つ。

 智機にしても想定外の出来事への耐性はファリルと差はない。ただ、たくさんの事象を想定しているだけであって。

 智機としては乗りたいところではあるのだが、色々と責任を背負っているだけに決断するのは難しい。本来はこんなところで遊んでいる場合ではないのだから。

 様々な思考を巡らせる中、ティーガーに向かって右斜め下から1騎のヴェンジャンスが突っ込んでくる。ドリフトを効かせているのか、光の膜に包まれている。

「乗ってやるか」

 言い終わらないうちに、鈍い衝撃と共に両腕をそのヴェンジャンスの両手に掴まれて、その騎体もろとも左斜め上方へと強制的に上昇させる。

 ドリフトを展開させている上に掴まれていることから、ヴェンジャンスのライダーの思考みたいなものが朧気ながらに伝わってくる。

 智機も思わず苦笑してしまう。

 伝わってくるのは立身出世への強い想い。

 さんざんバカにしまくっただけに、智機を倒したライダーには高い報償が与えられることだろう。そのライダーが願う通り、親兄妹を養えるだけの額は受け取られるだろう。

 でも、彼らは思い知るべきなのだ。

 簡単に倒せる相手に報償はつかないということを。

 ティーガーの腕をつかみながら、その騎体が右脚を大きく前一直線に蹴り出してきたのには智機も失笑する。

「オレを倒したいのなら、死ぬ気で倒せよ」

 そのヴェンジャンスの右爪先が槍のように伸びてきたタイミングに合わせて、智機もドリフトを展開する。

 ドリフトとドリフトの力場がぶつかる。

 ティーガーに軽い衝撃が走るが、次の瞬間にはヴェンジャンスの右脚が、大腿部の半ばほどから飴細工のように、いともあっけなく破砕され、騎体の一部だったものは、砂のように粒子へと一瞬で変換される。硬いものと硬いものがぶつかれば、構造が弱いほうが破壊される。チクビームでさえも耐えたティーガーの装甲は伊達ではない。

 敵ライダーの動揺が伝わってくるのを感じながら、その騎体を振り回す。

 智機は知っていた。

 敵のライダーが智機もろとも突っ込んでいった先に、もう一騎のライダーがいて、2騎めがけて突っ込んでいるのを。

 だから、わかっていて乗ってやった。

 智機は突撃するもう一騎のヴェンジャンスに、ティーガーを掴んだはいいが、右脚を破壊されたヴェンジャンスを叩きつけつつ、右方向へと直角に移動した。

 カットバックの際に、普通なら一瞬で肉体がミンチになるほどの衝撃が智機の身体にかかるが平気で耐える。

 移動し終えた直後、爆発。

「へぇ~」

 予想外なことが起きた。

 突撃したヴェンジャンスも、武器代わりに使ったヴェンジャンスともども破壊されるはずだった。

 そのヴェンジャンスもドリフトで勢いがついていた上に、智機もドリフトを使ったのである。武器代わりのヴェンジャンスと自身の突撃のエネルギーで破壊されるか、万が一に耐えられたとしても武器ヴェンジャンスの爆発に巻き込まれるはずだった。

 にも関わらず突撃したヴェンジャンスも生き延びていた。

「なるほど」

 智機も、そのヴェンジャンスが何をしたかはっきり見えたわけではないが、だいたいの想像はついた。

 智機の口元が、人が悪そうに歪んだ。

「少しは面白くなってきたじゃないか」

 条件反射で最適な行動のはエースとして必要な資質の一つである。それができるライダーに遭遇したのはシュナードラに来て、初めてだった。

 これだから、戦いというのは面白い。

 でも、楽しんでばかりはいられない。

 味方なら無邪気に喜んでいられるが、敵ならば問題だ。今はまだ未熟だが実力をつけたら殺られる

 幸いなことに戦場で敵が目の前にいるにも関わらず、棒立ちになっている隙を逃さず、智機はティーガーの右腕をそのヴェンジャンスに向かって叩きつけた。

「ちっ」

 そこでも、そのライダーは恐るべき反応を見せた。

 胸部装甲が吹き飛んで、赤い脱出カプセルが射出される。ティーガーの巨大な右腕が騎体を貫いたのは、その直後だった。

 脱出カプセルは地上へと落ちて行く。

 智機はスマートライフルの銃口を脱出カプセルに向けた。

 本来なら、脱出カプセルを撃つのは戦場における暗黙のルールを破ることになるが、智機には躊躇いはない。

 本能が盛んにアラームを鳴らしていた。

 こいつは身動きが取れないうちに殺るべきだと。

 生かしていたら、逆に殺られる。

 智機が殺られなくても、身内の誰かが殺られる。


 シュウイ・セル=ファイからすれば瞬く間に状況が変わっていった。滝の上から落下するような変化ぶりに認識がついていけなかった。

 兄が敵騎もろとも突撃するのに合わせて、シュウイも敵騎に突撃したはずなのに、気づくと脱出カプセルで騎体から脱出していた。

 無意識のうちに何かをやったのは間違いないのだが、そのプロセスがごっそり抜け落ちている。

 そもそも、認識と認識の間に起こったことを探る余裕など、シュウイにはなかった。

 スマートライフルの巨大な銃口が脱出ポッドを狙っていたから。

 動いているはずなのに、時が永遠に歩みを止めたようにシュウイには思えた。

 大気圏内ではただ落ちていくしかない脱出ポッド、ドリフトなんて使えないのだから、シュウイの運命は決まったようなものだった。

 銃口の巨大な穴は地獄へと続く道。

 逃れようがない死を前にして、心臓が急速に締め付けられる。

 兄や、弟や妹たち家族の姿が脳裏にクローズアップされる。

 死にたくなかった。こんなところで。

 でも、いくら足掻いても救われるチャンスすらない。

 死神に心臓を鷲づかみにされてシュウイはいっそのこと、さっさと殺してくれと願うが銃口からは弾丸が発射される様子はなく、刑場で放置されているような状況にシュウイは気が狂いそうになる。

 が、銃口のほうが脱出ポッドから反れた。

 敵騎は脱出ポッドに興味を無くしたように上昇し、その後をビームが数本通過する。

「……たすかったの…か?」

 答えるものはいない。

 敵はあのEFだけなのだから、シュウイを害するものなんていない。

 先ほどまで重圧がかかっていたのが、嘘のように消えたので最初は夢でも見ているのではないかと思ったのだけど、奇跡が現実に起こったことを知り、助かったという実感を改めて感じると乾いた笑いがおきる。

 シュウイはふと思った。

 兄貴はどうしたのだろう?

 余裕が生まれると映像がフラッシュバックしてきた。

 武器代わりに振り回されたヴェンジャンスが、シュウイの騎体めがけて突っ込んできた。シュウイも突っ込んでいるので回避することはできない。正面衝突で間違い無く互いに破壊される。

 とっさに握っていたライトセーバーを横一文字でなぎ払うように、その騎体に叩きつけ、その反動で無理矢理に曲がって、その騎体の横を通り過ぎた。

 その騎体が爆発したのは、その直後だった。

「…兄貴!!」

 当初のプランでは、兄のドゴンが敵騎を捕まえては突き上げ、そこに向かってシュウイが突撃、上下で鋏み打ちにするという算段だった。

 兄のドゴンが敵騎を捕まえ、シュウイの射程圏内までに突き上げるところまではうまくいっていた。しかし、彼らの作戦は見破られていたことをシュウイは気づいていない。行動がうまく行っていると思っている相手を罠に落とすのは非常にたやすい。

 その結末は、あまりにも悲惨。

「…うそだろ……オレが兄貴を殺したなんて……うそだろ」

 パラシュートが自動で開いたこともシュウイは気づいていない。

 認めたくなかった。

 兄がもう、この世にいないということを。

 その兄を、生き残るためにシュウイが殺したという現実を。

「嘘だぁぁぁぁぁっっっっ!!」

 嗚咽が誰にも聞こえることもなく消えていった。


 シュウイが助かったのは奇跡でもなかった。

 脱出ポッドを破壊したかったのは山々だったのだが、猛烈なビームの弾幕が迫ってきたので回避せざるおえなかったのである。

「早かったな」

 スクリーンに映し出されているのはヴェンジャンスとは違う、赤を基調としたスマートで流麗なフォルムの騎体。ティーガーと同様に高速型に見えるが、そのコンセプトは至って正道である。

 数は11騎。

 話に聞いたのよりも1騎少ないがその理由は想像がつく。

「やっぱり急がないとまずいか」

 一抹の不安がよぎるが、今更どうこう言っても始まる話ではない。ザルツァイでの破壊活動もだいたいやり終えたので速攻で撤収というのが筋であるが、その前に彼らレッズの実力を確認しておきたいところであった。

 彼らが、これまでの相手のように片手間で倒せる相手ではないことは雰囲気から伝わってくる。

「見せてもらおうか。レッズとやらの実力を」

 智機が言い終わらないうちに、レッズはティーガーを包み込むように散開すると一気に襲いかかってきた。


 ファリルにしてみれば、地獄とはいかなくても拷問にかけられたような時間だった。

 ヘルメットにホッケーマスクという怪しげな風貌の男は、画面でファリルの素晴らしさをこれでもかといわんばかりに力説していたが、ファリルはそこまで自身を立派な人間だとは思えない。むしろ、ダメ人間だと思っているだけに褒めているつもりで、嫌味を言っているのだとしか思えなかった。

 顔から火が出るのだしら、ファリルは今、たいまつになっている。

「智機さんはわたしのこと、実は嫌いなんですか?」

 内心で思っていたことを、ザンティにぶつけてみた。

「なぜ、そう思うのですか?」

「わたしはそこまで立派ではありません。褒めているつもりで実は嫌味を言っているようには聞こえません」

「陛下を神のように立派な方だと、誇張してでも伝えなければ知らない人はついていきません」

 智機の演説の内容はファリルのPRである。

 選挙活動だと思えば理解できる。選挙に当選するためには貴重な一票を入れるに値する人物だと思わせる必要がある。そのために誇張もやむを得ない。

 でも、それはそれで寂しいとファリルは思う。

「誇張はあるにしても陛下は立派な方だと思います。それは代行殿の行動を見ても明らかです」

「行動?」

「代行殿は陛下の意を組んで行動しているではありませんか」

 その気になれば、智機は虐殺もできた。

 でも、智機は逆に和平を呼びかけている。

 敵国であっても喧嘩をせずに、仲良くなること。それがファリルの夢。

 その夢を非現実的だと笑うのは簡単だけど、ファリルの理想とは真逆の世界に生きていた智機が、なぜかそうはしなかった。

「あの男が陛下に使えている意味を考えてください」

 バカにされているような気がしないでもないのだけど、智機がシュナードラのために戦っているのは間違いないのない事実。

 あれほどの人物の主君たる資格がファリルにはあるのだろうかと自問自答する。

 自信なんて、そんなものはない。

 やっぱり、ファリルは非力で頼りない。

 そんな自分自身を誇りに思えてくる日は、そのうち来るのだろうか。

「……でも、外道ですよね」

「ああ、ほんとに外道ですな」

 だからといって、自らの手を汚さず、敵自らの手で自分たちの町を破壊させるというやり口は、納得はできるが汚いという印象を拭うことはできなかった。

 それとファリルにはザンテイに言いたいことがあった。

「どうなさいました? 陛下」

「……市長も絡んでましたよね」

「なんのことですかな」

 ザンティはとぼけるが、あの演説映像の作成にザンティが絡んでいるのは明白だった。いくら智機でも、1人で映像が作れるわけがなく、そのような人員を手配するにはザンティの力を借りなければならない。

 その結果が羞恥プレイなのだが、それはいい。

「ったく、こんなところで遊んでないでくださいよ」

 ファリルからすれば、チクビームから耐えきることができたのなら、とっととガルブレズに帰還してほしいところだった。智機がガルブレズに戻ればファリルが死の恐怖に襲われることも、芽亜やシュアードも苦労することもなかった。

「半分は事情なのでしょう。あのチクビームには耐えられましたが、流されたことには間違いないですから」

「半分は?」

「こういう機会でしか、クドネルに攻撃をしかけられないからですよ。なんだかんだといって、代行殿も我々のことを信頼しておられるのでしょう」

 ファリルから見ても、智機がシュナードラ軍を信頼していると見るのは少し疑わしい。

 実際、シュナードラ軍を信頼しているというより、シュナードラ軍が善戦するほうに賭けたほうが正しい。幸か不幸か、智機の目論見はうまくいっている。

 いずれにしても、智機には無事に帰ってきてほしい。

 ファリルの胸に感覚が蘇る。

 ……光の中に、ティーガーが溶けていく光景。

 あの時は智機が死んだと思った。

 心から何かがごっそりと奪われたような感じがして、立っていられなかった。

 あの時、智機が生きているといったのも、そう思わなければ、ファリルという存在は粉々に壊れてしまうからだった。

 その智機が生きていた。

 嬉しいことは嬉しいが、忘れていた恐怖が蘇る、

「智機さん。大丈夫でしょうか?」

「大丈夫でしょう」

 ファリルの悩みを、ザンティはいともあっさり解決する。

「なぜですか?」

「この映像は録画です。つまり、現在とはタイムラグが発生している。撃墜されたとは聞きませんから」

 ファリル達が見ているのは、他星のニュース映像。つまり、引用されたものでありリアルタイムで映し出されたものではない。よって、現在は向かっている可能性がある。

 運が良ければ、すぐさま智機が助けに現われてくれるかも知れない。


 レッズのライトセーバーの突きが、うんたんメネスの肩装甲を掠める。

 シュアードとしてはカウンターを叩き込みたいところであったが、相手の動きが速すぎて入れることができない。

「……やっぱり強いよなあ……」

 実際に戦ってみてわかったところであるが、レッズは強い。スピードもパワーも桁違い、躱しているだけで精一杯で、それさえもヤスリをかけられているかのように心がえぐられていく。

 実際、心だけではなく、身体もえぐられている。

 ティーガー同様、軽く動かすだけでも途方もない重力加速度がかかる騎体なのである。ドリフトをG軽減に使わなければ、身体が跡形もなく破裂している。

 それだけに、相手の攻撃を躱し続けていられるということが信じられない。

 生きていることが不思議なように思える。

 攻撃しようと思わないから生きていられるが、レッズのライダーの技量ならシュアードを圧倒できる。たった12騎でシュナードラ軍を制圧した化け物が、今回が初陣の新米を瞬殺できないほうがおかしい。

 にも関わらず、シュアードは生きている。

 騎体の優劣?

 レッズとうんたんメネスの騎体性能は同等、うんたんネメスのほうが上かも知れないが、レッズのライダーには多少の優劣を補える。

 遊んでいる?

 それはないと否定する。

 レッズの剣勢からは、勢いが伝わってくる。技量に加えてその勢いに圧されているからだともいえるが、逆にいえば、相手は焦っている。焦っているのに、遊んでやろうという気が起きるわけがない。

 答えは、シュナードラに増援が来るからだ。

 間違い無く、助けは来る。それまで持ちこたえられれば、それでいい。

 逆にいえば、助けが来る前に撃破されればレッズに蹂躙されるだけなので、それまでまで持ちこたえなければならない。

 実力差を勘案すれば、すぐに破壊されてもおかしくはないのに持ちこたえられていられる、あり得ない奇跡の理由をシュアードは探している。

 それがレッズ撃破のヒントになるはずだから。

 なぜ、シュアードはレッズの攻撃を回避し続けられるのだろう?

 シュアードでも、避けていられる理由が分からないからだ。

 相手の攻撃がまったく見えないのに、適当にスティックを動かしているだけで避けられる。

 無意識のレベルで回避できるようであれば、こんなに苦労はしていないから、間違ってもシュアード自身の実力ではない。

 シュアードはこの騎体の経歴を探った。

 この騎体は智機がシュナードラ脱出の際に奪い取り、うんたん化した騎体である。

 クラークソンは言っていた。

 この騎体は智機仕様になっている、と。

 かの御給智機が駆っていた騎体であり、従ってこの騎体には智機の経験の一部がコアに刻まれている。

 レッズの攻撃を回避できているのは、騎体が回避してくれているから。

 この騎体が回避できているのは……

 間違いない。


「そういうことかよ」

 レッズの騎体11騎に包囲されてから、かなりの時間が経ったように見えて、実はそれほどでもないような気がする。

 違和感を覚えるのに、さほど時間はかからなかった。

 左右上下前後、ありとあらゆるところから連携の取れた攻撃を行っており、これにはさしもの智機も回避に専念するしかなかった。

 これまでの相手とは違って、サンプリングは取れない。

 サンプリングが取れないのは予測の範囲内であったが、初見の相手だというのに初めて戦った相手のようには見えなかった。

 どこかで見覚えがある動き。

 上から加速をつけて降りてきた二騎が、ティーガーと接触する直前になって、直角で左右に分かれて、挟み込むように襲いかかってきた。

 ドリフトをかけた猛烈な攻撃が2発、ティーガーを挟み込むように襲いかかるが、智機はレッズと同じように騎体を左右に振って躱す。

 そのたびに、身体が破裂ほどのGがかかるが、この程度は

 更に多数の方向から敵騎が殺到してくるが、智機は躱す。

 躱せる。

 明らかにドリフト無しでは身体が破壊される急激な動き。

 智機の口から独りでに笑いがこぼれた。

「悪い冗談だな。おい」

 世界はくだらなすぎて泣けてくるほどの冗談でできている。

 おかしくてたまらない。

 見覚えがあるのも道理だった。

 戦闘終了後のシミュレーションで、自身を敵として出してみたことがたびたびある。自分こそ最良の敵であり、客観的に実力を把握することができるからだ。

 11騎全てが、自分を仮想敵にした場合の動きと合致していた。

 マリアは、ここに智機が望む戦いがあるといっていた。

「……この戦いに参加するのは、オレの運命だったといいたいのか」

であったと」

 マリアは智機の本名は知っていたけれど、過去は知っていたのだろうか。

 流石にそこのまでの事情は知らないだろう。

 もし、知っていてあんなことを言っていたとしたら、感情的になっていたかもしれない。 

 1騎だけならともかく、11騎全てが智機と共通の動きをするのは異常であり、その異常を説明できるとしたら、智機にはこれしか思い当たらなかった。

「……あのババァ、生きてやがったか。殺したと思っていたのに、殺しきれなかったらしい。まあ、いいか。あのクソババァが生きているということは、アイツだって生きているということだろ」

 でないと、この世は理不尽。

 わかっているとはいえ、善人が虐げられ、悪人どもが報いを受けずに高笑いしている世界なんて存続に値しない。

 殺意の籠もった狂った笑い声を上げていた智機であったが、1騎のEFが突撃してくるのを見ても、やっぱり笑うのはやめなかった。

「……おまえ、アホだろ」



 ガルブレズ近海の海上では混戦になっていた。

 レッズによって防衛網を突破された後は、敵味方乱れての戦いになっていた。もちろん、リンクを継続する余裕もなく、ただ目の前の敵を倒すことだけしかできない惨状になっていた。

「いったいどうすりゃいいんだよっ」

 ヒューザーは目の前のステケレンブルクと切り合っていた。

 数秒置きにライトセーバーとライトセーバーが交錯。

 互いの力が拮抗しているのか、いくらドリフトを多用としても押し込むことができず、仕切り直しては、隙を見つけて切り込むものの、相手に対応されてというのを繰り返している。

 ディバインは助けが来るとは言っていたけど、空から何かが降ってくる兆候はどこにも見えない。

「……くそがっ」

 展開させているサブウィンドゥに友軍の展開情報を映し出しているが、状況は思わしくない。戦闘開始時に比べて、半分近くの僚騎が落ちている。

 そもそも、ガルブレズ本島ではレッズに侵入されて、新人が辛うじて食い止めている状態である。助けに入らないといい加減にまずいが、まずは目の前の敵を破壊して突破しないことには始まらない。

「落ちろーーーっっっ」

 ドリフトを最大限に展開させながら、目の前にいるステケンケレンブルクめがけて突撃する。

 何十倍の質量になって伸びる光の刃が、敵騎を捕えようとするが、敵騎もバリアラインを張ってライトセーバーを防ぎ切る。

 それでも、ヒューザーは力尽くでバリアラインごと敵騎を撃破しようとしたが、背後から気配を感じた瞬間、思わず顔色を失った。

 目の前のステケレンブルクは囮で、背後からドリフトで巨大化させた光の刃を、真上からヒューザーに叩きつけようとしていた。

 ヒューザーは自身の迂闊さを呪った。攻撃に全フリしていたから、ドリフトを防御に回せない。

 死にたくはない。

 でも、死にたくはないとは思っていても、死は免れそうにない。

 脳裏に様々な人々の顔が蘇る。

 家族、母校の恩師、級友たち、職場の同僚や先輩、それにディバイン。

 智機にザンティ、それにファリルとセシリア。

 やっぱり、死を受け入れることなんてできない。

 せめて、セシリアやファリルのような可愛い子たちを彼女にするまでは。熱いキスをするまでは。

「くっそーーーーっっっ、死…」

 言い終わらないうちに世界は白い光に包まれ、爆発音が激しいビートを刻んだ。

 

 ヒューザーは死んだのかと思った。

 死んだとしたら、ここは天国なのだろうか。

 天国には行けないだろう。

 ライダーである以上は、たくさんの人々を殺してきたから。

 でも、死んでも、そこにあるのはEFのコクピット。

 シートにサイドスティック、いくつかのペダルと騎体の状況をライダーに示してくれるディスプレイ。

 そして、外の世界を一分の隙無く映し出す全周囲モニタ。

 ……生きてる?

 明らかに絶死だったにも関わらず、敵味方を表示するウィンドゥを見ると、敵と味方の数が一瞬で逆転していた。味方のIFF反応は先ほどと変わらないのに対して、敵の反応は10分の1以下、それこそ倒そうとしていたステレケンブルクを含めて5騎以下にまで削減されている。

 殺ろうとするのなら、いくらでもチャンスがあったのにステケレンブルクは動こうともしない。

 いや、動けないといったほうが正しい。

 上空に、一騎の見慣れないEFが現われていた。

 漆黒に塗装された、ティーガーと同じ重量級系の騎体で、背中に背負った巨大なユニット、大量の砲身をユニット化したものを背負っている時点で砲撃戦主体なのが人目で分かるEFだった。

 両手に1本ずつ持っている巨大なライフルが更に凶悪なイメージを与えている。

 恐らく、クドネル軍のEFはこいつの砲撃によって始末された。

 あれだけ大量にいたクドネル軍のEFをほぼ一掃した破壊力は恐ろしいものがある。

 ヒューザー程度の実力では、このEFには勝てない。近づく以前に跡形もなく消滅している。

 だから、このEFは敵ではない。

 EFがヒューザー達を敵だと認識していたら、今頃、この世にいない。

 スピーカーから無線が流れた。

 ティーガーに負けず劣らずの凶悪な見た目とは裏腹に、少女の声。

「こちら渋谷艦隊リップス小隊、リップス2。これより、渋谷艦隊はシュナードラ軍を援護する。シュナードラの指揮官と話がしたい」

 その直後、スピーカーからどよめきが津波のようにわき上がった。


 ステケレンブルクに乗っていたクドネル軍のライダー、ティム・サンチェンスは僚騎の数を確認した。

 一瞬で全軍の9割が消滅した。

 サンチェンスもバリアラインを張っていたから、猛烈な射撃から生き延びられたわけで、張っていても騎体に深刻な損傷があることを伝える警告アラームがうるさく鳴り響いていた。。

 戦況をちゃぶ台のようにひっくり返したEFを見る。

 渋谷艦隊所属EF、ヘンリエッタ。

 悔しいというよりも乾いた笑いしかおきないのは、相手が強すぎるからだ。星団でも有数の精鋭艦隊が誇るエースの片割れである。ティムには敵う相手ではない。

 隊長は行方不明。生きているのか死んでいるのかもわからない。

 リップス小隊は2騎。

 もう1騎がどこにいるのかといえば、説明するまでもない。

 後はEF部隊の指揮を任されたものとして、最低限の務めを果たすことぐらいしかできなかった。

「全軍撤退」

 ティムは肩口に装備したスモークディスチャージャーから信号弾を三連発で打ち出した。

 だいぶ日が傾いてきた空に弾丸が撃ち出されては、立て続けにピンク色の光が三連発で輝いては消える。

 それと同時にクドネル軍のEF部隊は撤退を開始した。


「団長、追撃しますか?」

「いや、いい。被害の把握と人命救助が先だ」

 残り数騎の敵を撃ったところで意味もなく、戦闘も限界。戦闘よりも落とされたライダーの捜索の方が優先だった。

 渋谷艦隊の騎体が現われたことで、戦闘が終わって生き延びられたことを確信することができた。

「こちら、シュナードラ統合騎士団団長、ハルドレイヒ・ヒューザー。助力感謝する」

 オープンチャンネルでリップス2に話しかける。

「これも契約のうちだ、気にするな」

 ヒューザーが思わず苦笑いしてしまうのは、一言で言ってしまえばタダで働く傭兵などいないにつきてしまう。報酬があるから傭兵を雇えるわけであって、対価にどれほどのものを要求されるのか不安にならないといえば嘘になるが、そんなこと気にしてもしかたがないのも事実である。

「ガルブレズ本島に関しては心配はいらない。リップス1が向かっているから、問題なく迎撃できるはずだ」

 レッズのEFの性能については分からないことは多いが、リップス1の騎体性能もレッズと同等かそれ以上といってもいい。さっきまで大量に存在していたクドネル軍のEFを一瞬で駆逐して見せたのだから。加えて実戦経験の差でライダーの技量も上回っていると考えれば、レッズの1騎ぐらいは簡単に駆逐できるだろう。

 それにしても、とヒューザーは思う。

 全周囲スクリーンにポップアップさせたウィンドゥに映し出されているのは、随分と小柄なライダー。

 ヘルメットを被っているので詳細は分からないが、身体の小ささと声から、智機ぐらいの少女だということはわかる。

「なにかいいたいことでも?」

 リップス2はヒューザーにガン見されていることに気づいたらしい。

「落ち着いたら、ボクとデートしよう♪」

「はぁ?」

 初対面でナンパしてくるヒューザーの図太さに、リップス2は呆れた。

 ……この状況では、呆れないほうがおかしい。

「本気でいってんのか?」

「ボクの美少女レーダーは告げている。この子は絶対に美少女だって」

「おまえ、頭おかしいって言われるだろ」

「時々ね」

「頭がおかしいってわかっている相手にほいほいついていけるかよ。まあ、あたしを美少女と言ったことについては褒めてやらんでもない。でも、どこぞのマローダーに勝ってから出直してきな」

 部下たちがいっせいに笑った。

「ですよねー」

 現状ではどれだけ努力したところで智機に勝てないのは明白なので、遠回しに断られたのも同然だった。

 ヒューザーも本気で口説いていたわけではない。

 年齢は遙か下なのに、ライダーとしての能力が凌駕されていることに複雑なものを感じないでもないのだが、それ以上に年端もいかない子供が戦場で戦っている事に感慨を抱かずにはいられなかった。

 ヒューザーが智機ぐらいの頃には、ディバインと一緒に中学でバカをやっていた。

 勉強はめんどくさかったけど、毎日が楽しかった。

 あの頃に戻りたいと思う。特に今はその欲求が強い。


 バカやヘマをやっても、死ぬこともなかったあの時代に。

 でも、智機といった連中は、ヒューザーがバカやっていた年頃から既に戦場を経験しているのである。

 それは不幸なのだろうか?

 ヒューザーからしてみれば地獄なのだろうと思うのだけど、自分の価値観だけで他人を計ってはいけないことは承知している。

 ただ、ヒューザーと同じ青春を送っていたにも関わらず、戦争に巻き込まれた少年少女たちがいる。


 そいつらは、幸せなのだろうか。


 レッズのライトセーバーが右肘を掠めると、シュアードも同じ場所を切り裂かれたような痛みを覚えた。

「このっっ!!」

 反射的にシュアードもライトセーバーを振り下ろすが、その時には既に光の刃が届かない範囲にまで逃げられてしまっている。

 応援が来るまで、相手の動きを封じてればいいだけの簡単な仕事だと思っていたのだが、現実はそれほど甘くなかった。

 相手の攻撃への反応が間に合っていると思っていたのに、少しずつ遅れている。

 そのため、完全に交わせずに相手のライトセーバーを食らっている。掠り傷程度とはいえ、積み重なれば致命傷になる。

 騎体を動かすたびに、ドリフトで殺していたはずの反動が押し寄せてきて傷ついた身体を痛めつける。

 集中しなければと言い聞かせているのに集中できないのだ。精神力を餌にしてドリフトを使い続けているので体力が持たないのだ。

 このまま続くと間違い無くレッズに殺られる。

 いや、機動を続けるたびに押し寄せる過大なGを殺しきれなくて、300km以上の速度で生身でコンクリートブロックに衝突したように身体がぐちゃぐちゃに潰れる。

 戦場から逃げ出すことはできるが、その代わりにガルブレズはレッズに蹂躙される。

 戦い続けることに限界はきたが、かといって目の前のレッズを倒さなければ救えない。でも、レッズに一撃を与える光景を想像することはできない。

 ならばどうする?

 一瞬だけ、シュアードの脳裏に恐れがナイフのようによぎったが迷わなかった。

 レッズがライトセーバーをうんたんメネスめがけて振り下ろされる。

 今度ばかりは避けなかった。

 勝負は一度きり。

 レッズのライトセーバーが、うんたんメネスが掲げた右腕の前腕に食い込んだ。それこそ、自らの腕に刀が食い込んだような激痛が走るがシュアードは耐えた。

 ライトセーバーの刃がうんたんメネスの前腕を両断できずに、半ばで止まる。

 シュアードは騎体を一歩前に踏み込ませると、その勢いで騎体の左の拳を全身全霊の力を込めて、レッズの騎体に叩きこもうとした。

 ストレートが最短距離で伸びていく。

 肉を切らせて骨を断つ。

 現状ではシュアードにはこれ以上の手立てはない。当てるのが難しいのなら、当てられに行くしかない。死ぬかもしれないが、シュアードから一切の恐れは消えていた。自分1人がいなくなっても、この島さえ守りきればそれでいい。

 が、この場に智機がいたのなら、シュアードの目論見に穴があることを指摘していただろう。

 ティーガーのように腕と武器が一体化しているのなら、シュアードの作戦も有りなのだが、ライトセーバーは手持ち武器で、簡単に投棄できるという点をシュアードは失念していた。

 うんたんネメスの鋼の拳が、レッズの細い胸部を捕えようとした瞬間、かき消すようにレッズの騎体は消えて、拳は空しく空を貫く。

 背後から忍び寄る気配と、騎体の背中に押し当てられた何かに、シュアードは絶対絶命の窮地に立たされたことを知った。

 レッズが、拳を押し当てた状態でドリフトを発動すれば何もかもが終わる。

 いや、まだ終わらない。

 絶対絶命の危地に立たされたとしてもドリフトが使えないという訳ではないから、ドリフトで防げるかもしれない。

 シュアードは丹田に力を込めて、これからやってくる打撃に耐えようとした。

 が、こなかった。

 対応しようとした直後に、レッズはうんたんネメスから離れた。その直後に空からビームが数発、着弾して土煙を派手に巻き上げる。

 シュアードはビームが降ってきた方向を見た。

 空に1騎のEFが現われていた。

 グレー一色のそっけない騎体で、スマートで軽そうな装甲から、軽量高機動系の騎体であることは明白だった。

 その騎体は空からレッズの騎体めがけてビームライフルを撃ちまくるが、レッズは躱すかバリアラインで防御するかして、被弾せずに済むと、予備のライトセーバーを振るいながら、新手の騎体めがけて突撃する。

「助かったのか……」

 交錯しては離脱、交錯しては離脱、互いに一撃離脱を繰り返す2騎のEFを見て、シュアードは呟く。

 あの騎体が敵なら、シュアードは生きてはいないから、助けにきた味方であるには間違いない。そして、見た事もないフォルムなので、シュナードラ軍所属の騎体でもない。

 つまり、外からやってきた騎体。

「すっごいなあ」

 互いが互いを撃破しようとライトセーバーと銃剣を振るいあっている光景を見て、シュアードは感嘆していた。

 とにかく早い。一撃一撃を目で追うとしても目では追えない。改めて、よくあんな攻撃を避け続けられたものだと感心する。

 もう、やめてもいいのだろうか?

 レッズの相手はあの騎体に任せても問題はない。つまり、助けが来るまで持ちこたえるというシュアードのミッションは達成できたのも同然といってもいいだろう。

 いや、まただ。

 増援が来たところで戦闘が終わった訳ではない。やってきた味方が倒されるかも知れないし、逆に敵の増援もやってくる可能性があるわけで、まだまだ眠れない。

 無理矢理理由づけていない限り、すぐに寝てしまい、そのまま二度と起き上がることができないかもしれない。

 ただ、シュアードごときが参戦したところで迷惑になるのは分かっていたので、チャンスを待つしかない。

 弓弦を引き絞った矢のように。

 レッズが動きを止めるその一瞬を。

 コンマ単位の時間であっても、この騎体ならその隙に渾身の一撃をたたき込める。

 シュアードはその機会を待った。

 一瞬でも気を抜けば無意識へと沈み込む身体と戦いながら。

 ……その機会はおもったよりも早く訪れた。

 2騎の騎体が一瞬、静止する。

 それは海上のほうで、信号弾のピンク色の光が三連発で光ったせいであるが、シュアードはその事には全く気づいていない。

「いっけぇぇぇぇぇぇーーーっっっっ」

 シュアードは雄叫びを上げて、全身に残された力を爆発させる。

 シュアードのありったけの気持ちがコアに伝達。コアはインテークを通して、空気やチリ、土といったものを吸収しながら、それをエネルギーへと変えて4つのジェネレーターへと伝達。通常のEFが搭載する物よりも数倍のパワーを誇るジェネレーターが、更にそれ以上の出力を叩き出しながら、上昇していく。

 気づいた時には、眼前にレッズの騎体があった。

 レッズが静止したのはほんの一瞬、コンマ以下の時間であったが、瞬きよりも短い時間であったとしても、それは致命傷になった。

「侵略者は死にやがれーーーーっっっっっ!!」

 うんたんネメスの巨体が、レッズの軽量な騎体を空高く、弾き飛ばす。

 レッズが接触直前にバリアラインを張ったが、ドリフトで強化された騎体が光速を越えんばかりの勢いで衝突したのだから、完全に無意味だった。

 レッズの騎体が1秒も立たないうちに、空の向こうに消えていった。

「……勝ったのかな……」

 完全に気が切れた。

 騎体の操縦ができなくなって、地面に落下しようとする。

 落下する代わりに、受け止められたような感触が伝わったのは、空から助けに来てくれたEFが抱き留めてくれたことから推測ができるが、それ以上のことはわからない。

 手に、身体に力が入らない。

 限界を超えて踏ん張っていたところに、2度目のフルパワー突撃をかけたのだから、身体が完全にぶっ壊れた。

 骨は砕け、皮膚は裂け、穴という穴から血が大量に噴き出している。こうなってしまえば、ドリフトはかけられない。

 指先さえも動かすこともできず、視界は目を開けても真っ暗なまま。

 シュアードは死ぬのだろうと思った。

 でも、不思議と恐怖はない。

 逆に清々しいほどに気持ちよく思えたのは、自身が存在しなくなるという恐怖よりも達成感が凌駕していたからに他ならない。シュアードはシュアードなりに持てる力を出し切った。

 ありったけの力を絞りに絞りきって出せたのは、生まれて初めてだった。

 これだけ頑張ったのだから失敗しても悔いはないのだけれど、それ以上に勝てたという事実のほうが大きかった。

 みんなを、あの姫様を守りきることができたのだ。

 だから、悔いはない。

 このまま、バーキビアス・シュアードという存在が死んだとしても。

 むしろ、このまま生き延びたとしても、今以上に安心して安らかに死ねるという機会は得られないだろう。


 ただ、最後に女の子の叫びが響いた。

 初めて聞く、知らない女の子の声。

 いや、知っているのかもしれない。

「おにいちゃんっ!!」という絶叫。


 叫びの意味を吟味する間もなく、シュアードの意識は闇へと一直線に落ちて行った。


「こちら渋谷艦隊リップス小隊所属、クライネ・シャイデック大尉。シュナードラ公国応答せよ」

 戦闘が終結したところで、オーブンチャンネルで空から降りてきたライダーからCIC宛に通信が入る。

「こちら、シュナードラ公国軍総司令ブルーノ・ディバイン。助力感謝する」

 回戦が開くと、正面のメインウィンドゥに、コクピットにいるライダーの画像がポップアップされる。リップスの同僚共々、ライダーにしては小柄で細く、声質から推測すると智機と同年代の少女らしい。

 ヒューザーと同じような感想を抱くが、流石に表に出さない。

「渋谷艦隊ならびにトランスカナイはシュナードラ公国に参戦する。近いうちに部隊が降りてくるだろう」

「こちら、ゴール裏。クドネル共和国軍の部隊の撤退を確認した」

 ヒューザーからの連絡が入ったことによって、CICには安堵の空気が流れた。智機が消息不明になり、島の上陸を許したなど絶望的だっただけに、奇跡といってもよかった。

 とにかく、戦いは終わった。

 しかし、ディバインは周囲を睨みつけることによって、浮ついた空気を封じ込める。

「ネメスのライダーは?」

「反応はない。恐らく気絶しているのだろう。一刻も早く医者に診せたほうがいい」

 シュアードが既に肉の塊になっている可能性もなくはないが、ディバインは考えないことにした。シュレーティンガーの猫である。

 誰がどう見ても限界を超えた機動であり、しかも、智機が調整した騎体である。乗っている人間はタダでは済まない。

 それにレッズと戦っていたもう一騎のライダーも気になる。

「ただちにハッチを開ける。早急に来てほしい」

「了解した」

「全軍、負傷者の探索並びに救助急げ」

 ライダーとの通信を切ると、安堵の空気は消えて途端に騒がしくなる。ディバイン達にすればこれから本番だった。もう1人の新米のライダー、海上で撃墜されたEF。沈められた巡洋艦や大破した戦艦、昨日まで会話していた人間が無残な死体に変わるのを見るのは重いことではあったが、さっきまでの絶望的な戦闘に身を投じることを思えば、どうということもなかった。おそらくシュアードも無残な姿に変わり果てているから。

「司令。代行殿は大丈夫なんでしょうか?」

 唯一の問題は智機の現在箇所並びに行動である。ガルブレズに戦闘は決着がついたが、智機の戦闘は終わってはいない。

 しかし、ディバインは吐き捨てた。

「あの人なら、なんの問題もないだろ」


 一見すると戦況はレッズ優位のように見える。

 ザルツァイ工業地帯上空、11騎のレッズが1騎のEFを包囲している。いくらマローダーとはいえ、11騎のEFに包囲されており、練度も高い。よって戦況は極めてレッズ側に有利であり、マローダーは回避しているだけで殺られるのは時間の問題のように見える。

 が、実際はぜんぜん違う。

 取り囲んでいるレッズのライダー全てが手や足などに汗を掻き、背筋にドライアイスを押し当てられたような寒気を覚えているのはライダー達には分かっていたからだ。

 マローダーが追い込まれたのではなく、追い込まれたフリをしているのだと。

 取り囲んではいるが、取り囲んでいるだけであって絶対の制御化に置いているわけではない。巨大な虎を銃無しで取り込んでいるようなもので、いつ食い破られてもおかしくないような重圧を全身で受けている。

「ねえ、ワーヒド」

 そのうちの1人が無線で会話する。

「なんだ、スィッタ」

「……強いね、あの人」

 少し間が置いてから返答があった。

「ああ、強いな」

 ワーヒドの声にかすかな震えがあった。

「なにびびってんだよ、ワーヒド」

「サヴァも震えているではないか」

 ワーヒドの臆病を責めるサヴァだったが、ワーヒドに同じようなプレッシャーを受けていることを突っ込まれてしまう。

「こ、これは武者震いっていう奴よ。と、当然だろ。奴は強いからな」

 サヴァのごまかしにクスリとするスィッタであった。

「ワーヒドもサラサも情けないわね、カスごときにびびっているなんて」

 生まれかけた温かい空気が、冷笑によって吹き飛ばされる。

「なに、カスごときに怯えているのよ。アンタたち」

「サラサ、敵を甘く見るのは危険」

「いい、私たちは優秀なの。そこらにいるゴミやカスどもよりも遙かに優越しているの。あんなのはハッタリ、臆病者はせいぜい震えてなさい」

 サラサの騎体が突出しようとするのを見て、他の仲間が静止するが、それでも構わず、サラサの騎体は突出する。

 でも、スィッタには見えていた。

 その後は条件反射だった。

「カスを始末するのはこの私、サラ……」

 

 サラサの騎体が突出しようとした矢先、その前にスィッタの騎体が割って入った。

 ティーガーの蟹のような巨大な右腕がスィッタの騎体を貫き、いとも簡単に上下に両断して、爆発吸収される。

「スィッタ!!」

「スィッタねえさまぁぁっ」

 レッズの無線では悲鳴が連発されるが、ワーヒドが沈める。

「待て、スィッタは生きている」

「生きてる?」

「ああ、生きてるね」


「やるなあ」

 一個の脱出カプセルが地上に落ちて行くの流し目で確認すると智機は素直に賞賛した。仲間の1騎が無謀にも突撃をしかけてきたが、確実に殺られると見越し、脱出しつつ無人機な騎体を間に割って入らせるよう突っ込んだのである。

「これだから、戦という奴は面白い」

 突撃をしかけてきた騎体を、ライダーごと間違い無く仕留める確信があっただけに拍子抜けな感がなくもないのだけど、それ以上に展開を読んで最適な策を実行できた敵ライダーの技量に素直に賞賛した。

 智機としては、このまま遊びたいところである。

 しかし、一面真っ黒に染まるレーダーが、智機を現実に立ち返らせる。

 軽く視線をずらすと、空が真っ黒だった。そのくせ微妙に点滅を繰り返しているのは夜空だけではなく、宇宙から無数の敵騎が降りてきたからだ。智機1人を仕留めるために。

 笑いが止まらない。

 これほどの騎体が智機1人を殺すために終結しているのである。ならば、智機も応じるのが礼儀だろう。何人、何十、何百と殺しても智機からすればスコアでしかない。血が沸き立つ。闘争心が牙をもたげる。視界に映る全ての事象を無に帰せと、心の何処かで叫ぶ。

 ここで軍団を展開させれば、どのような地獄が広がるのだろう。

 風景は様々ではあるが、少なくても退屈はしない。彼ら彼女らにとって相応しい殺戮をみせられる。

 そうだ、ここにいる奴等全て皆殺しだ。

 幾多の人々が何もいわない、醜い肉塊へと変えることができれば、肉塊の山を作り、血の川を流す。

 そうすれば、心に出来た渇きも少しは癒されるのだろうか。

「……あぶっないなあ」

 智機は悪鬼じみた笑みを苦笑に変える。

 危うく飲まれるところであった。

 忘れていた。

 智機は決して幸せになってはいけない。

 歩みを止めてはいけない。

「狙いはいい」

 戦場の外に意識が反れたのに乗じて1騎のEFが突っ込んできた。智機も浮かれていただけに危ないところではあったが、相手の剣が突き刺さるよりも先に、巨大な右腕が、相手のライトセーバーを持った腕を挟み込む。

「よぉ、後輩。初めましてというべきかな」

 接触しているから、智機の声は相手も伝わる。

 冷静ぶってはいるが、僅かに震えているのは可愛いと智機は思う。

「あのクソが生きていて、こんな後輩たちができていようとはな。これだから世の中っていう奴は面白い。お前らと出会えたのは楽しかった」

 嘘偽りない気持ちであったが、世の中には引き時がある。今がその時だった。

「ババァにいえ。会ったら殺す」


 ザルツァイ工業地帯を写しだしているスクリーン全てが焼き付きでも起こしたように真っ白く染まった。白く染まったまま何も映らない。

「あの野郎、最後に隠し球を持ってやがったな」

 その光景を見ていた延信に、友人がチャットでツッコミを入れる。

 延信でもなくてもマローダーが何をしたのかは一目瞭然である。ドリフトを使って電子妨害をかけた。言葉にしたら単純であるが、問題なのはその規模で、ズデンカ首都圏一帯に電子妨害がかかって、全てのレーダー類が使用不可になっていた。三倍の法則が働くのでドリフトだけでは、ここまで強力な電子妨害はかけらない。

「本気ではなかったということか。どれだけ底が知れないんだろう」

 電子戦仕様で戦っていたということである。電子戦仕様ではノーマルと比較して多少戦力が落ちるので、ポテンシャルを出してなかったといってもいい。それで軌道に上がってからの宇宙戦や、その後のズデンカ戦でも圧倒していたのだから、全力を出したら物凄いことになる。

「という訳で、うちの大将が熱くなってやがる」

「それは大変だ」

 友人の上司は、糺軍と呼ばれる外人部隊のトップである。その人物がマローダーの戦いぶりに感化されて熱くなっているのだから、延信としては頭が痛い。今後の展開が簡単に予想できるだけに。

 延信は肩を揺すって、固まった筋肉をほぐした。

 ようやく、力を抜くことができる。

「これでお開きといったところか」

「だろうね」

 マローダーが全力で電子妨害を仕掛けたのは逃走のためである。そして、ティーガーの尋常ではない機動力を考えれば、戦場から離脱できたと考えたほうがいいだろう。

 ガルブレズについては既に報告を受け取っている。

「おもしろかったなあ。信はどうよ」

「つまらなくはないが、できればマローダーには負けてほしかった」

 1騎だけどスペシャルな騎体が、地上から宇宙、また地上へと股にかけての大暴れ。鈍重そうな見た目とは裏腹に気持ち悪いぐらいの機動性を発揮して蹂躙する様子や、逆に攻撃的回避を駆使して、攻撃せずに誤射でタメージを与える名人芸は見ていて飽きなかったが、当事者となると見方も違ってくる。延信としては、こんな役にもならない仕事などとっと終わらせたいのだが、延信の願い空しく、戦争は終結せず、事態は最低な方向へと向かっている。

 特に問題なのは渋谷艦隊が参戦したこと。

 結果は覆せないので、切り替えるしかない。

「なかなか良い見せ物だったぞ。信」

「御意」

 ウィンドゥがポップアップされて、皇帝が話しかけてくる。上機嫌で何よりといったところだろう。色々と問題のある皇帝であるが、この状態で「族誅」などとはいわない。

「マローダーは優に及ばず、あの変態も参戦してくるとは面白くなってきたではないか。先行きが楽しみだ」

 画面には映ってはいないが、側に近似している父親は内心、苦虫を1ダース単位で噛みつぶしていることだろう。

 この戦争を企画した楚王、その対抗馬である秦王にとっては気がきではないが、皇帝からすればこの戦いはどうでもいいのである。

「にしても格が違うとはいえ、たかが1騎程度に蹂躙されるとは情けない。テコ入れが必要になるな」

 一連の戦闘で確認できのは、ライダーとEFの質がシュナードラに負けているということだった。マローダーはいわずもがな、渋谷艦隊まで加勢されたとあっては話にならない。このままでは負けるのも時間の問題だろう。勝利するためにはテコ入れを図らなければならないが、それは泥沼に浸かることを意味していた。投資が際限なく膨らみ、赤字になるのが目に見えている。

 いわんこっちゃない、と延信は思うのだが、この国では皇帝の命令は絶対なのだから、しかたがない。

「信よ。せっかくだから、奴等の司令部に電文を送れ」

 意外なことではあった。

「かしこまりました。文面はいかがいたしましょう」

 すると皇帝は悪ガキのように口元を歪ませた。

「これはゲームだ」


「ご無事でしたか、隊長」

NSK隊長、マーク・ティーボゥ大佐は旗艦イオアン・ズラトウーストに連絡が取れてようやく安心できたところだった。

「まさか、ここまで飛ばされるとは思わなかったけどね」

 ティーボゥの現在位置はライスカル。ガルブレズ攻略の拠点であるポルタ・マリスから東に100kmの地点で、つまり、海を越えて吹き飛ばされたということに他ならない、それだけうんたんネメスの体当たりは強烈だったということである。

 問題はティーボゥ自身のことではない。

「レッズの位置は?」

 ガルブレズ攻略軍が退却したことは知らされていた。問題なのは助力してもらったレッズの安否である。万が一にも戦死しようものならティーボゥの責任問題になる。

「レッズはカルソラ諸島にいます」

「カルソラとは派手に飛ばされたなあ」

 カルソラ諸島とはポルタ・マリスの反対側、つまり、クドネル側の海域にある諸島で、その距離は10000km以上にもなる。おおざっぱに半分に見積もっても5000kmは飛ばされたといってもいい。

「その距離なら問題ないか」

 従来のクドネル領内に飛ばされたのなら現地の軍が保護してくれる事には間違いはない。そもそも、ティーボゥ達が対応するには距離が余りにも遠すぎた。せいぜいできることは連絡を入れることぐらいであった。

「隊長」

 オペレーターの声色に不安の色が混じる。

「どうした?」

「レッズの現在位置に、何かが高速で接近しているような気がしているんですが……気のせいですかね」


 それは偶然だった。

 首都から逃走してガルブレズへと向かうティーガーと、逆にガルブレズから弾き飛ばされたレッズとの邂逅。


 ティーガーの巨大な右腕が、レッズの騎体の左肩に当たり、左腕全体をそのまま弾き飛ばした。

 不意の遭遇で面食らったレッズは逃走しようとするが、完全に手遅れだった。

 間合いを空けるよりも早く、胴体をその蟹のような巨大な爪で鷲づかみにされる。

 智機は下に向けてダッシュ。

 1秒後にはその下にある、無人島の岩礁にレッズの騎体を叩きつけていた。

 設置する寸前にドリフトを使って衝撃を和らげており、レッズは智機の同類なのだから、この程度では死なない。

 間髪入れず、左腕の長大なスマートライフルを、レッズの右腕に当てて吹き飛ばし、更に全質量を掛けて両脚を踏みつぶして完全なダルマ状態にした。

 こうなってしまえば、ドリフトは使えない。

 更に智機は胸部装甲の僅かな隙間に右手の爪を差し入れると、器用にも装甲をはがした。

 剥き出しにされたコクピットの中にいるのは、1人の少女。

 智機も自らのコクピットハッチを開け、スクリーン越しにではなく、自らの目で彼女を見た。

「投降しろ。命だけは助けてやる」

 智機としては、彼女たちを作り出した奴は殺したくなるほどに憎いが、彼女たちそのものは憎んでいるというわけではなかった。

 盲腸に喜びのようなものが伝わってくる。

 強大な敵と対峙しているにも関わらず、少女からは恐怖のようには見えない。むしろ、智機と出会えて喜んでいるように見える。いや、間違いなく喜んでいる。

 困るんだよなー、こういうのって。

 智機は内心で呟きつつも相好が緩んでいるのは自覚している。どうやら、少女は智機の求めに応じて投降してくれるらしい。

 が、盲腸から伝わってくるものが喜びから恐怖へと変わった。


 その直後、レッズとティーガーを中心としたエリアは大爆発の激しい光に包まれた。


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