第6話 延信さん家の事情

 世の中というのはままならないこと、納得できないことのほうが多い。何の罪もないいたいけな少女が、拉致監禁され、筆舌に尽くしたがたい仕打ちを受けたあげくに生き埋めにされて殺害されるのに、その殺人者は様々な理由から処罰されることなく、その後の人生を何事もなかったかのように過ごし、金銭に不自由することなく家庭も作って大往生を遂げるというのが、当たり前なのである。

 斉の皇帝でさえも、全てが思い通りになるわけではないのだから智機に至っては当然。状況に押し流され、悔しい事や泣きたい現実に打ちのめされ、表情にすら出すことが許されずに飲み込むことしかできなかったのが、今までの智機の人生だった。

 涙を流したくても流せなかったのは、それは弱いから、無力だから。

 状況に流されるのではなく、押し流そうとする状況そのものを壊すために智機は強くあろうとした。強く有り続けるために戦場に出て、勝つために有りとあらゆる人々を殺しまくって、生き残った。

 そのたびに智機は強くなった。

 ティーガーに乗っている智機はどうみても弱者ではない。昔よりも自由になれたような気がする。

 それでも不愉快な出来事は避けられない。

 もちろん、智機はわかっていることではあったのだが、いざ、そのような出来事に遭遇してみるとその事実を忘れていたことを痛烈に思い知らされた。


 アラームがコクピットいっぱいにけたたましく鳴り響いて、智機は目を覚ます。

「こちら、シャトルです。ティーガー72応答願います」

 ターミナルアンカー経由で接続しているWarTVのシャドルからの通信が入るが、智機は通信ウィンドゥを見ず、レーダーに視線を送る。

 EFとおぼしき反応が三つほど。

 一瞬で、臨戦態勢に入るが良く見ると光点はグリーン。敵ならレッドである。

 疑問に思う間もなく、共用チャンネルから通信が入る。

「こちら、渋谷艦隊所属ZTY小隊。代行殿か? 応答を願う」

「こちらティーガー72。渋谷艦隊は味方だと思っていいのか?」

「渋谷艦隊は、シュナードラ公国を全力で支援する」

「了解。助勢、シュナードラ国民を代表して感謝する」

 戦時特有の緊張感がまるでなかったので、会話の展開も大凡の想像がついていた。

 智機は平行して飛んでいるシャトルをみる。

「WarTV。こちら、ティーガー72」

「どうしました?」

「渋谷艦隊とはつながっていたということか」

 シュナードラ軍のEFならいざしらず、通常なら渋谷艦隊のEFがIFFで友軍として表示されることはない。通常なら、渋谷艦隊が参入したとは知らないので、アンノウンとして表示される。にも関わらず最初から友軍として表示されたのはWarTVのシャトルと接続しているからである。WarTVが渋谷艦隊を友軍として認識していたなら、ティーガーでも友軍として認識される。

「渋谷艦隊と同じスポンサーですから」

「了解」

 マリアが友軍を呼んでくれるのを信じてはいたが、渋谷艦隊になるとは思ってもいなかった。背後のスポンサーが智機にとっては問題だったからである。

 スポンサーの意図がどうあれ、彼らはやってきた。とても頼りになる友軍として。

「こちらティーガー72。ZYT、WarTVのお守りを任せていいか?」

「ZYT、了解した。ティーガー72は?」

「こちらはとっとと帰還する」

 智機はターミナルアンカーを外すと、側を飛んでいるシャトルとのリンクが消える。同時に疲労感が身体全体にのし掛かる。

 ミツザワから出撃してから1日経つかどうかであるが、軌道上に飛び出して敵軍と落下する衛星を迎撃、その後、敵首都に降下して一戦を交えるなど状況が目まぐるしく変わった。ドリフトも使いまくったのだから、いくら智機が若いとはいってもその疲労感は半端なものではない。戦闘中はアドレナリン等がたぎっているから感じることはなかったが、戦闘が終了して安心していると貯まっていたツケが一気に襲いかかっていた。

 戦える戦えないでいえば、売られた喧嘩は買えるが、かといって自ら売り込む気にはなれない。

 その間にも、ティーガーはシャトルから離れている。

「帰るぞ。相棒」

 シャトルとの距離が充分に開いたのを確認すると、智機はティーガーのスロットルを開けて、機体を急加速させた。


 ほんの数秒で到達した、ガルブレズの大地は荒れ果てていた。欠けた峰や森や山の至るところに穿たれている黒い穴が破壊を物語っている。 

 さんざん踏み荒らした冬の田圃のような大地は、惨憺の一言であるが、智機としては思ったよりも被害が少ないように見えた。

「こちら、ティーガー72。ゴール裏、応答せよ」

「こちら、ゴール裏。代行殿、ご苦労さまでした」

 ポップアップしたウィンドゥにオペレーターの姿が映る。

「そちらの被害は?」

「EFは10騎、落とされました。15騎は中破です。艦船は巡洋艦ウーゼドム撃沈、ロストック大破」

「セシリアさんは」

「セシリア艦長は無事ですが、死傷者が多数出ています。ロストックはまだしも、ウーゼドムが」

 大破や撃沈レベルで死者がでないのはおかしい。特にウーゼドムは絶望といってもいいだろう。

「ライダーの方々は生き残っていますが、ノボトニー副団長が戦死なされました」

 ガルブレズの大地が、ここまでボコボコにされたということは最終防衛網を突破されたことを意味するので、防衛網を構築していたライダー達の運命も明らかだった。

 智機はそっと目を瞑る。

 最初に会った時から開け好かない奴ではあったが、一応は味方である。感情はどうあれ、悼むことにはかわりはない。

 その一方で、意外と死ななかったともいえる。

 時間がそれほどたってはいないとはいえ、智機の加入が様々な方向にいい影響を与えるのだろう。

「俺が戻ってくるまで、持ちこたえてくれてありがとう」

「感謝の言葉は西河准尉とシュアード准尉にいってあげてください。渋谷艦隊が来るのでレッズの侵攻を止めてくれたんです」

「その2人は?」

「2人とも意識不明の重体です。西河准尉は持ち直しそうですが、シュアード准尉が……」

「シュアードの騎体は?」

「シュアード准尉は代行殿が使っていたネメスで出撃しました」

 それならば重体になる説明がつく。智機は全てのリミッターを外す仕様にするので、他のライダーが乗ると制御の効かない重力加速度で死にかねない。特にうんたんメネスは加速度に機能を振った騎体である。むしろ、挽肉にならないほうが不思議である。

 それ以上に不思議なのは、メネスを稼働状態に持っていけたことであるが、それは後で聞けばいい。

「姫様は?」

 その問いに対する、オペレーターの表情はあまり意地のいい物ではなかった。温かくもあったが。

「先ほどから格納庫でお待ちです。首を大変長くして」

「了解。これより、ティーガー72帰投する」

 ガルブレズのEF発進孔が見えてきたので、智機は通信を切った。

 ティーガーは発進孔へ直進のルートを取り、発進孔から放たれるガイドビームを受信すると、後は智機の手はいらない。サイドスティックから手を離しても、後は勝手にティーガーが動いてくれる。

 ティーガーは発進孔のトンネルの中にいる。

 トンネルの中は柔らかい色調の灯りがついているだけの、暗くて細長い空間であるが、そこを抜けると広大な格納庫の中に入る。

 犠牲者が出ているにも関わらず、智機の出撃前よりも格納庫が賑わっているように見えるのは、渋谷艦隊やトランスカナイの艦艇やEFが入居しているしているからだろう。EF収納スペースに収まっているのが、シュナードラのクーガーよりも、渋谷艦隊のエスポージトやトランスカナイのマクベスが目立つのが微妙である。

 このため、閑散としていた格納庫が一気に雑然とした空気になっている。エンジニアたちや脚部や胸部に取り憑いて、溶接の火花を散らしながら懸命に修理作業を行っている。エスポージトやマクベスよりもクーガーのほうが損傷が激しいのは、智機としても苦笑するしかない。

 また、渋谷艦隊の堂々と派手に女の子がペイントされた痛軍艦。更に目を引くのは4騎のダイナソアが並んでいるということである。

 ダイナソアと一口にいっても、生産騎数が少ない騎体なので、1体1体がライダーの趣味や特性に合わせてカスタマイズされていて、同じ外観のダイナソアはひとつとして存在しない。

 重装甲でしかし、一見すると別騎体に見えるが、仔細に観察すると共通のラインが見える。

 いずれにしても、滅多に見ない騎体なので4騎並んでいる姿は壮観だ。

 あの提督も、騎体に関してはまともだと感想を抱いているうちに、ティーガーの専用エリアに近づいてきた。

 コクピットハッチ付近のキャットウォークには、オペレーターの言葉通りにファリルが待機している。

 スクリーン越しであるが、重大な試験に臨むかのように緊張しているのが見てとれた。

 ティーガーは指定のエリアに到着する。

「おつかれ。ディーガー」

 智機は相棒にねぎらいの言葉をかけると、システムのメインスイッチを切った。

 一斉にメーターモニタやメインスクリーンから光が消えて真っ暗になり、そのすぐ後に非常用の灯りが灯る。

 ボタンを推すと、圧縮空気の音ともに二重になっているコクピットハッチが開けられて、格納庫内の空気が流れてくる。

 智機はハーネスを外すと、コクピットから離れて、コクピット前に展開したキャットウォークに降り立った。

 今までは感じていなかった疲労感が一気にのし掛かってきて、疲れているということを意識する。今すぐ寝たいというほどでもないが、限界は見えていない。

 目の前にファリルがいる。

「おかえりなさい。智機さん」

 何か色々と言いたいことがあるのだけど、いっぱい有りすぎて何も言えないといった感じで固まっている。

 智機は片手をついて、跪く。

「陛下。ただいま戻りました」

 ファリルの反応はない。

 智機としても、ファリルが真剣な面持ちで固まられてしまうとどんな対応をしたらいいのか迷ってしまう。部下ならともかく、ファリルは主君である。

 女の子でもある。

 が、それほど迷うこともなかった。

 我慢の限界が来たのか、ファリルの大きい瞳から涙が一気にあふれ出た。

「智機さんのバカ!!」

 ファリルは弾かれたように、智機に向かってダッシュすると体当たりするように抱きついた。

「智機さん死んじゃったんじゃないかって。わたし、わたし、すっごくすっごくこわかったんですよ」

 涙と一緒に言葉が熱く、迸る。

「生きてたなんて、どうして言ってくれなかったんですか」

「いや、あれは敵を騙すには、まず味方から…」

「そんなの関係ありません!!」

 騙すも何も、あの状況ではシュナードラと連絡を取るのが不可能なのだが、今のファリルには理屈が通用しない。

「あの時、智機さんが死んじゃったと思ったら………」

 その後はまともな言葉を出せず、ただ、智機に抱きついて、ひたすらに泣きじゃくるだけだった。

 こうなってしまえば、やる事は一つしかない。

 智機は長い髪が覆う背中を優しく撫でると、痛みを与えないように注意をしながら、抱きしめる圧を強めた。

「かえってきてくれてよかった……本当によかった……智機さんが死んじゃったら、わたし、わたし……」

 ファリルの涙の、体温の熱さが智機にも伝わる。

「大丈夫。帰ってきたんだから」

 いなくなってしまったら壊れてしまうほどの重さ。

 今日は色々なことがあった。

 楽しいこともあれば、苦しいことも。

 そして、短機関銃を無差別に乱射したくなるぐらいに嫌なこともあったけど、泣きながらも智機が帰ってきたことを喜んでいるファリルを抱いていると、ネガティブなものを溶けていく。

 この泣いている女の子の魂を暖めてやる事以上に重要なことなんて存在しないのではないのかと思えている。

 ただいま、と迎えてくれる人がいるからこそ、智機も帰ってこられた。

 妹がいたら、こんな感じなのだろうかと思った智機であったが、コンマ数秒で喉の奥から苦さがこみ上げてきて智機は後悔する。

 こんな男を、替えの効かない大切な存在だと思ってはいけない。

 泣きながらも、帰還を喜んでくれている事に有りがたさを覚えつつも、智機はこれではいけないと考える。

 小学校や中学校に通う一般的な女の子なら許されるが、ファリルは国王。己以外は取り替え可能な部品なのだから、部品の喪失にいちいち取り乱してどうすると言いたくなる。

 たとえ智機でさえも例外ではない。渋谷艦隊が来た以上は唯一無二の存在ではなくなったのだから、切り捨てる機会があれば容赦なく切り捨てるべきなのだ。

 そこまでファリルが強ければ、智機の苦労も軽減されているはずであり、それがいいのか悪いのかは分からない。臣下として仕えるのならまだしも、いくら智機であっても、他者を使い捨ての道具としか思っている奴と付き合いたいとは思えない。

「……智機さんは、私のこと、憎んでます?」

 風向きが変わってきた。

「なんのことでしょうか」

「智機さんが行ったクドネルでの演説です」

 ファリルはこれ以上の恥辱を受けた覚えはないと言わんばかりに顔を真っ赤にさせている。

「わたし、あそこまで立派ではありません。褒め殺しです。あれは」

 その時のファリルの表情が容易に想像できて、しかも、100%正しいと核心できる。

「滅相もない。陛下は大変立派な方です」

「だから、私はちっとも立派ではありません」

「むくつけきおっさんと可愛い美少女、どうせ支配されるのであれば、可愛くて、この若輩者の臣下を手厚く出迎えてくれる美少女に支配されたいと思うのは当然の摂理でしょう」

「顔だけですか?」

「どうせ、人は顔しかみないのだから当然でしょう」

 人はうわべだけ。中身まで見てくれるのはほんの僅かである。つまり、第一印象で好感度を上回れば後はどうでもいい。

 無茶苦茶ではあるが、筋は通っているのでファリルは言い返せない。

「一つ質問があります」

「なんでしょうか?」

「顔、笑ってません?」

「笑ってませんよ」

 大嘘だった。

 智機は平然と言ってのけたが、口元の歪みが嘘だということを雄弁に物語っていた。

「智機さんってば、いぢわるです」

「おかえりなさい。ご苦労様でした。中将どの」

 不穏になりかけた空気であったが、この場に現われた人物たちが空気を変える。

 ファリルがその人達が現われたのに気づいて、智機の横にポジションを移したのに合わせて、智機は敬礼した。

「ご助力、感謝致します。渋谷提督」

 現われたのは軍人というよりは、採用されたばかりの中学校の教師にしか見えない青年と、その青年に寄り添う制服を着た6歳ほどの幼女。

 彼こそが、変態と恐れられている渋谷艦隊のボス、渋谷達哉と、ファリル付きの侍女であるマリアである。

「ご助力なんて。正統な報酬さえ約束されれば、相手が世界の悪だったとしても味方になるのが我々ですから」

 智機はこの2人に違和感を覚えた。

 合うのがそう遠い昔ではないというのに。

 表現はできないが、確実に違和感がある。

「でも、中将殿とは共に戦ってみたいと思っていました」

「オレも、天下に名高い提督の采配を楽しみにしてました」

 渋谷提督が握手をするために、手をさしのべてきたので、智機も手を伸ばして握り返す。

 この時に智機は違和感の正体に気づく。

 提督の左手の薬指に指輪がはまっている。

 それが持つ意味に智機が知らないわけがない。

 提督が結婚したのは提督個人の事情であり、智機にとやかく言う権限はない。せいぜい、人並みに祝辞を述べる程度であるが、あることが智機には引っかかった。

「マリア。質問がある」

「はい。なんでしょうか?」

「その左手の薬指は?」

 なぜか、ファリルの目線もマリアの小さな指にいく。

 薬指にはまっている銀色の指輪。

 もちろん、最後に会った時にははめていなかった。

 男性とは違って女性なのでファッション的な意味合いではめているということも考えられるが、提督も指輪をはめているのは偶然の一致なのだろうか。根拠はないが、智機としては偶然とは思えず、ある嫌すぎる可能性が浮上して、本能が高い確率で事実だと告げていた。

 ただし、マリアの左手を見て、素直に驚くファリルに智機は今まで気づいてなかったのかよと上下関係を忘れて突っ込みそうになった。

「代行殿、陛下。落ち着いて聞いてください」

 提督はのたまわる。

「私、渋谷達哉はマリア・ファルケンブルグ孃と結婚することとなりました」

「私たち、結婚することになりました」

 一呼吸を置いて、格納庫にファリルの絶叫がこだましたのは言うまでもなかった。



・・・・・



 梁国府こと、梁国王延氏の屋敷を見た者は当惑するという。

 もちろん、貧相ではない。斉建国の元勲で生き残っている数少ない後裔であり、帝国士大夫筆頭にもあげられる名門である。斉には延家以外の異性諸侯王は存在しない。格でいえば実はシュナードラ公家と同格なのである。

 しかし、シュナードラ公家公邸の数百倍規模の宮殿を持つことも可能にも関わらず、その邸宅は家門とは不釣り合いなほどに質素であった。

 むしろ、異常。

 臣下の邸宅の中で、皇宮に一番隣接しているのが譜代の名門たる所以であるが、塀に囲まれた広大な敷地に建つのは、高さが3階から5階ほどのドーナツ型をした建物で、申し分け程度に屋根瓦がついているだけの、ビルディングが適度な間隔を置いて建てられている様は個人の邸宅というよりは官庁、もしくは何らかの軍事施設にしか見えない。

 延信が運転している車も同様である。

 延信としてはいいかげんにランボルギーニやフェラーリを乗り回したいところであり、スーパーカーはおろかハイパーカーをも維持できる財力を持っているにも関わらず、実用性だけの素っ気ない軍用車を愛車にせざるおえなくなっている。

 質実剛健。華美を廃して質素に生きることが延家なのだ。

 延信は延家の敷地内に車を走らせ、それから5分ほど後に自身の住居として割り当てられた建物の前に辿りつく。

 こちらも、ドーナツ型をした三階建てのビルである。延信は部屋住みの身分ではあるが、四畳半一間の部屋ではなく、一戸建てを割り当てられている。名門延家の世子としては質素すぎるのは言うまでもないが。

 延信の乗った車に反応して、建物の側にある小さな車庫のシャッターが開き、延信はバックで車庫に車を入れると、そのまま降りた。

 建物に唯一、存在する外と中をつなぐ大きな扉、というよりも門の前に立つ。門に据え付けられたカメラが主の存在を認識すると、重厚な音響を響かせて自動的に開いた。

 延信は門の中へと一歩、歩を進めた。

 ドーナツ、もしくはタイヤ状の建物なので、真ん中はぽっかりと空いた空間になっている。

 利用は持ち主に一任されているので、延信宅ではこの空間を花壇として活用している。花が咲く頃になれば目も温かくて綺麗な光景が広がるのであるが、今は開花時期ではないので、青々とした緑が生い茂るのみである。

「お帰りなさいませ。三爺」

 その花壇の前で、1人の女の子が延信を待っていて、延信の姿を見るなり深々とお辞儀をした。

 年齢は6歳ほど。

 斉国伝統の旗庖とメイドドレスを組み合わせた衣装が女の子の身分を物語っている。特筆すべきはその金髪で、頭の両脇に頭ほどの大きさがある三つ編みのお団子を結い上げて、その余りの三つ編みが足首まで届いては折り返して、お団子のところで更に折り返してという事を繰り返しているので、髪をほどいてみればとんでもない長さになることが想像できる。

 延信はその女の子の頭を撫でた。

「ただいま。アイノ」

「お仕事お疲れ様です。お食事に致しますか、それともお風呂ですか」

 食事なら、仕事という名の観戦会で食べてきたので、お風呂ということになるが、延信には早急にやれねばならぬ事があった。

「姉上の元に参ろう」

 頭を撫でられて、子犬のように嬉しがっていたがアイノであったが、一瞬にして表情が変わる。

「大姐の元にいけるのですね」

 6歳の女の子が放っているとは思えない、鬼気迫る空気に延信は苦笑する。

「早とちりするな。廟に参るだけだ」

 アイノはあっけにとられたが、言葉の意味を理解すると女の子らしいふくれっ面に変わる。

「ひどいです。三爺」

 延信はアイノの頭を撫でる。絹のような質感に加えて、巨大な三つ編みが持たらす独特な触感がとっても気持ちいい。

「アイノが勝手に誤解しただけだ」


 延信の姉こと、武哀公主は先の皇太子の陵に培葬されている。皇陵に葬られているので延信でも許可が必要であり、蛮族身分のアイノは絶対に立ち入ることができない。

 延家の陵墓にも分骨しているとはいえ、邸宅からは相当な距離があるので簡単にはいけない。

 このため梁国府の中心にあり、最大規模を誇る建物の中庭にある家廟に行くことになる。ここには延家の人達全てが祀られているからだ。

 廟は中央の楼にあるので、ここから歩いて行くことになる。

 短い道中の間、アイノがポツリといった。

「ご出征なさるのですか。三爺」

 帰ってくるなり風呂でも食事でもなく、廟参りなのだから、子供でも察しがつく。

「任された案件が思ったより複雑化して、俺も前線に出ねばならなくなった」

 延信はその時の状況を思い浮かべてみた。


「よぉ、一杯やるか」

 シアターのラウンジで待っていたのは、ガウン姿で酒を手酌でついで酒をあおるスキンヘッドのジジィであった。何も知らなければ、何処でもいるような陽気な酔っぱらいにしか見えない。唯一、異彩を放つとすれば精緻な彫刻が施された座卓と、同じように彫り込まれた酒の甕ぐらいなものである。

「仕事中ですから」

 延信は皇帝の側に近時している初老の軍人を、横目で見る。

 その軍人はわざとらしく咳払いをした。

「いかに天巧星とはいえ、天魁星の前で堂々と酒を飲む度胸はないか」

 皇帝は呵々大笑すると、軍人に視線を向けてアイコンタクトで下がるよう指示。軍人は一礼をするとこの場から去っていくが、延信と隣り合った一瞬に視線を交錯ざせる。

(粗相のないようにな)

(わかっております)

(だが、陛下も困ったお方よ)

最後の辺りは絶対に愚痴だろう。

 父親が視界から完全に消え去った後で、皇帝は信に尋ねた。

「義はなんと言っておった」

「粗相のないようにです」

 流石に最後は言えない。

「それだけか?」

「それだけですよ」

 皇帝は何かを言いたそうであったが追求はせず、代わりに指を鳴らした。

 奥に控えていた侍臣が現われて、盆に捧げ持った急須と茶碗を延信のテーブルにおくと、茶碗に急須に入ったお茶を並々と注ぐ。

 茶碗から湯気と一緒に香木のような香りが立ちこめる。

「酒は飲めなくても、これなら飲めるだろう。信」

「謹んで、いただきます」

 一口飲んで見ると、ウーロン茶の渋みの中にほのかな甘みが舌を刺激する。それだけで相当な高級品だとわかるお茶だった。皇帝が出したものなのだから、当然といえば当然だが。

「まずは、ペイトンと何を話しておった」

 延信はラウンジに呼ばれる前に行っていた交渉を思い出す。

「シュナードラ戦線の事です。作戦指揮の権限でペイトン卿に配下の騎士を都合して頂きました」

「それは構わないが、いささか急ではないのか?」

「急いで戦力を都合しなければ、敗北する可能性がありました」

「敗北とは、よもやクドネルがか」

 追い込まれていたのはシュナードラであってクドネルではない。そのクドネルが至急の手を打たなければ敗北の瀬戸際に追い込まれているとは、にわかに信じがたい話であった。

 延信は、冗談は言っていない。

「陛下。マローダーが首都を攻撃した目的。わかりますか」

「朕にクイズを出すとは、いい度胸をしておるな」

 その割には皇帝は楽しそうであった。悪ガキのように。

「マローダーも最初から、首都攻撃を考えていたわけではあるまい」

 衛星を迎撃し終えた直後のマローダーの作戦は最初から決まっている。ガルブレズが落とされたら、そこで敗北だからだ。マローダーがクドネル首都を攻撃したのは、半分は仕方がなかった面が強い。

「迎撃されるのはマローダーも予想していた事。対応策もないような輩であればカマラでは生きていけなかったでしょう。賭けになるとはいえ、マローダーにとっては攻勢に出る機会があったというのも事実です」

「つまり、チクビームのドサクサに紛れて、攻撃することも考えていたと」

「ご明察の通り」

「だが、マローダーが首都を攻撃した理由が分からぬぞ」

 延信は言った。

「マローダーがクドネルの首都を攻撃した理由。それは、ロンバルディの位置を割り出すためです」

「その訳は」

「首都攻防戦の終盤、マローダーはECMを全開にして逃走しました。これは電子偵察仕様で出撃していた事を意味しています」

 それはマローダーが首都攻撃も選択肢に入れて作戦行動を行っていた事、本気ではなかった事。力を抑えていても大破壊を行える事を意味していたが、それ以上に重大な意味があった。

「あの漫才、もとい首都攻撃はブラフであったと」

 偵察装備をしていたのは、情報収集のためである。

「マローダーが暴れればクドネルはレッズを投入せざるおえません。が、レッズはロンバルディの親衛です」

「そういうことか」

 皇帝は理解したようだった。

「ドローンをばらまいておいて、レッズの発進位置を割り出せば、自ずとロンバルディの隠れ場所も割り出せるとふんだか」

「仰る通りでございます」

「あの暴れっぷりといい、漫才といい、全てはブラフか」

 あの時、クドネルにはマローダーを抑えられるのはレッズだけであり、そのレッズは本来はロンバルディの身辺警護を担当している。つまり、ロンバルディの側にレッズはいるということになる。

「延信が狼狽した理由もわかった。あの変態どもなら、ロンバルディの居場所も割り出せるだろう。あのマローダーと変態の組み合わせなら、今のクドネルには勝てない」

 クドネル軍の現時点における有力なライダーはレッズと国鉄廣島の3人組だが、マローダーに加えて渋谷艦隊の面々と比較すると力不足なのは明白だった。エースライダーの総力をあげて突撃さえされれば間違いなく負ける。

 ただ、渋谷艦隊はともかくマローダーには休息が必要なので、攻め込むには時間がかかる。

「それでペイトンと話をつけたというわけか」

 帝国には無数のEF艦隊があるが、その中でも頂点に立つのが皇帝警護の蒼竜、戦場で先陣を切る朱雀、奇襲担当の白虎、中行廠直属の玄武が最精鋭とされており、まとめて四神艦隊と呼ばれている。

 が、延信は自分たちに匹敵する実力がある存在を知っている。

「斉国の戦争でない以上、四神を投入するのは難しいでしょう。この手の仕事は糺軍ですし、我々と同じ力量を持っています」

「斉国では彼らを蛮族とバカにはするがな。この任務は奴等にはうってつけというものだろう」

 糺軍。

 蛮族身分、あるいは外国出身の将兵が所属するいわば外人部隊で、ここで使用されているEFは四神よりも格は落ちるが、腕は四神の連中にも引けをとらない。

「信の友達も動員するのか?」

 延信は苦笑する。

「エバンズ少佐が参戦してくれれば心強いのですが、時間がないので距離で選ぶしかありませんでした」

 一刻も早い戦力投入が要求されるので、シュナードラに最も近い場所にいる騎士たちからの派遣になった。

「ペイトンと話した理由はわかった。が、信に聞きたいことがもう一つある」

 皇帝は不意に真顔になった。

「信、中行廠に何を調べさせていた」

 諜報機関に独自に調べ物をさせていた。それ自体が疑惑を招くのも当然である。

「任務上、必要なことだったのか?」

 謀反の計画を練っていた。皇帝によってはそれを口実にして一族族誅をしてもおかしくないだけに双方に緊張が走る。

 しかし、中行廠から皇帝に報告が行っているはずである。

「この事件の黒幕を知りたいと思いまして」

「黒幕とは。黒幕は我々ではないのか?」

 トボけかたが白々しい。

「我々の楽勝だった戦いを泥沼に引きづり戻した張本人をです。マローダーや渋谷艦隊といったクセの強い連中を呼ぶことを思いつける知恵者が、あの当時のシュナードラ政府首脳にあるとは思えませんでしたから」

「あのお花畑のバカどもに、あいつらを召喚できる知能があるわけがない。で、その知恵者の正体はつかめたのか? 信」

 信は懐からスマホを取り出すと、アプリを立ち上げて操作をした。

 壁面にあるスクリーンに幼女の姿が映し出される。 ワインレッドの髪を大きいお団子に纏めたあどけない幼女。

 名前はマリア・ファルケンブルグ。 

「詳しいことは中行廠に報告を頂いてもらうことにして、結論から言いますと黒幕はこの6歳の幼女です」

「……この幼女に、我々は弄ばれたということか」

 流石に皇帝も信じられないといった顔をしている。無理もない。

「恐らくは公室費を元手に、AIよりも的確な株式投資で数百倍にも膨れあがらせ、それを企業買収に使って短期間のうちに巨大な財閥を誕生させた。しかも、買収された企業も瞬く間に業績を数倍に倍増。フィクションなら間違いなく編集に釘を刺される事象ですが、間違いのない事実です」

 実際、調査を依頼した中行廠の担当者も信じられないというコメントを残していた。

「そして、マローダーならびに渋谷艦隊の招聘に成功した」

「風祭世羅の再来という訳か」

「御意。この戦いについて、私は無駄だと言いましたが撤回します。彼女を得るためでありましたら、いくらでも犠牲を払ってもいいでしょう」

「信が宗旨替えをするとは意外だ。その心は」

「いくらでも遊び惚けていようとも、彼女に政治を任せているだけで後生の歴史家とやらが、名君と称えてくれるのですから、投資を惜しむべきではないでしょう」

 皇帝は大爆笑した。

「信の怠け者ぶりも筋金入りだな。褒めるべきか…いや、梁武王が聞いたら速攻で信の首を刎ねるだろうな」

「その時は、陛下の慈悲でお助け下さい」

「帝国に何も尽くせぬ無能なぞ、梁武王に粛清されるがよい」

 いくら遊び惚けていても、勝手に善政を行い称えられるのだから、これほど美味しい話はない。ただし、政務を自ら手放したツケは傀儡化、もしくは簒奪という形で返ってくるので、完全に美味しい話とはいえない。

「しかし、謹厳実直を絵に描いたような義から、こんな軽薄な奴が生まれるとは信じられぬ……ほんとに貴様は義の息子なのか?」

 現梁国王延義は元より、代々、謹厳実直質実剛健を絵に描いたような人物を排出することで有名な延家なだけに、怠惰な延信は異端児であり、浮気で誕生したと思われるのは延信も慣れていた。

「母上のことは、陛下もご存じなのでは」

「あやつが浮気をするタイプではないのは承知している」

 延信の祖先である梁武王は、護国の武神と今もなお称えられる人物であり、質実剛健の鏡と思われるが、子孫の延信としては、実は策略家だったと思っている。その策謀を家系永続のために費やしただけで。

「朕もひとつ桓公になってみたくなったが、小管仲は獲られるものなのか?」

「極めて難しいでしょう。かの渋谷艦隊司令渋谷達哉は、かつて独身であったと聞きましたから」

「独身であった、とはな」

 延信はわざと意味不明な言い回しをしたが、皇帝は理解したようであった。破壊計画を立案しているテロリストのような楽しそうな表情が物語っている。

「あの変態にも春が来たということか。実にめでたきことではないか。信、祝電を送ってやれ」

「御意」

 この2人の結婚は単純に変態と幼女の結婚という枠に留まらず、小管仲が渋谷艦隊に取り込まれたことを意味していた。斉がマリアを手に入れるには渋谷艦隊に一定以上の勝利を収めねばならず、それは簡単なことではない。

「しかし、管仲の生まれ変わりがおりながら、使えずに亡国とは、つくつぐ救えないな。シュナードラ公国とやらの猿どもは」

 シュナードラが滅亡寸前まで追い込まれたのは、経済危機に端を発している。管仲や晏嬰といった名臣の生まれ変わりというべき人物が抱えていたにも関わらず起用せず、現実よりも理想を優先する狂信者を起用して結果、首都陥落を招いたのだから、愚かとしかいえない。

 しかし、6歳ぐらいの女の子をいきなり蔵相にというのも無理な話である。シュナードラは立憲民主制なのだから、それなりの手続きや資格が必要になる。斉の今生皇帝なら、強引に宰相に据えることも可能であるが、国家としてはあまり健全な形ではない。逆のパターン、無能なお気に入りを宰相にしてしまったら待っているのは滅亡だからだ。

 よって、公家としては私有財産の管理を任せるだけが精一杯だったのだろう。

「脇道に逸れまくったな。本題に入ろう」

 これまでは信から聞くという形であったが、本来は皇帝が信に向かって命令を下したいから招致した。

 ここから本番である。

「このシュナードラ戦役では信が責任者となって進めてもらっていたが、信のやり方では生ぬるすぎるという苦情が来た。レッズの1騎も失った。よって、信には責任者から降りてもらうことになった」

 信にとって、ここまでは悪くはない。

 シュナードラ攻略に失敗すれば責任を取らなくてはいけないのだから、延信としては気楽な立場になれて嬉しくないといえば嘘になる。

 延信の本音にしては、この任務から解放してほしいところであるが、世の中そこまで甘くはない。

「が、信には、副責任者として責任者を補佐してもらう事になる。そして、前線に出てもらうぞ」

 残念いえば嘘になれるが、予想通りだったので驚きもなない。

「御意。臣の後任は誰になりますか?」

 問題は、誰が延信の上役になるかということである。脳裏に数名が瞬時にリストアップされる。能力的には問題はないが、相性も重要になる。その意味では組みたくない奴が何人もいる。

「急先鋒殿では?」

「信、真顔で冗談を言うのはやめろ。あいつは戦士としては有能だが、変態と戦うには正直すぎる」

 蒼竜艦隊の同僚であるが、極めて付き合い辛い相手が上役になるのではないとわかって、安堵する。

 延信は末席とはいえ蒼竜の所属である。信以上の格上となれば、それこそ蒼竜所属の騎士団員しかいない。しかし、この戦いに蒼竜の騎士を複数投入するのはいささか過分だ。ゲーム気分で戦うのなら。

 皇帝の決断は、暴挙とすら思えるものだった。

「信の上司は、ペイトンだ」

「ペイトン卿が臣の上司とは、思い切った人事に出ましたね」

「これは斉軍ではなく、国鉄廣島の人事だ」

 その言葉に、この戦いの立ち位置が現われているとはいえ、無茶苦茶な人事であった。秦王が知れば激怒どころではすまないだろう。

 糺軍総監ペイトン・ブレイディ。

 帝国軍部では、一応は蒼竜騎士団団長延義と同格とされているが、糺軍が蛮族身分なので実際の格としては延信よりも遙か下である。差別対象の蛮族の下に、皇帝守護のエリートがつくのは「国鉄廣島」内の人事とはいっても許されることではない。

「信の先祖である梁武王も言っておられただろう」

「「慢心と差別は敵である」と」

「蛮族でも有能な者はいくらでもいるし、斉人でも無能な者はいくらでもいる。無能は排斥し、有能な者を人種問わず使わなければ、いくら斉とて滅亡する。だからこそ、光を失ったのではないのか」

 蒼竜艦隊だといえ、無敵ではない。

 その事が、信が前線に出なければいけなくなった理由。

「信よ。一つ疑問に思うことがあるのだが。あの変態がシュナードラに現われたのは延家一門にとっては願ってもない事なのに、いまいち本気ではないのは何故だ。怠惰な信ならともかく、義までも」

 渋谷艦隊の渋谷達哉と山居志穂は、延家にとって討ち果たさなければならない仇である。

「梁武王様は仰られてました「戦場で討たれたことを仇に思うな。倒した者を褒め称えよ」」

 戦場に出るということは、敵も相手を殺す気でいるのと同じように、自身も敵を殺す気で戦っている。殺意と殺意がぶつかって、凌駕した者が生き、凌駕された者が殺される、ただそれだけの事なのである。

 兄が渋谷艦隊に落とされたのは映像で確認したが、真っ正面からぶつかって負けた。ただ、それだけのことなのだが、周りがそれで納得してくれない事も信は理解している。宇宙を統べる神のごとき斉人が、蛮族ごときに敗北したのは決して許されることではないからだ。

「流石は梁武王といっておくが。でも、光も可哀相だな。武哀が亡くなった時には八つ当たりで一つの星を滅ぼしたくせに」

 …信の血が一気に熱くなる。全身の血が蒸発しかねないほどに。

「いや、すまんすまん。すまんことをした。あいつらは悼恵の慈愛を踏みにじったゴミだった。ゴミすら劣る連中は存在するに値せん。1億だろうが2億だろうが

いくらでも焼却するのが当然。あいつらを人扱いしてすまんかった」


 2人が家廟に入ると、自動で灯りが点灯する。

 浮かび上がるのは、梁国府初代梁武王の塑像。

 首都の商業区域にある梁武王廟は絢爛豪華であるが、家廟は延家の家風を繁栄して大変地味なものなっている。塑像も古代中華風の鎧に身を固めているのは同じだが、こちらは黒檀製の黒一色なものになっている。

 左右の壁には位牌が並んでいる。天井から床下までぎっしりと並んでいる様は壮観とも異様ともいえる。

 延信は持参した線香を差すと、ライターで火をつけた。薫りと共に細い煙が立ち上る。

 アイノがぽつりと言った。

「三爺。アイノもお連れください」

「前にもいったが、戦場に連れていくことはできない」

 アイノの願いは最初から想像がついていた。

 却下されて涙目にくれるアイノを見て、延信も心が痛むが非戦闘員を戦場に連れていけるわけがない。帝国貴族には、戦場に愛妾を伴う輩がいなくもないが、延家にそれをやろうものなら、間違いなく延信の首が飛ぶ。

「俺に加えて、アイノにもいかれては父上も寂しくなる。父上もいい加減に年だからな」

 延信が蛮族であるアイノを可愛がっていることに不満を述べる輩は多いが、流石に梁王家を敵に回すようなことはしない。シュナードラに行くよりも、家に留まっていたほうが遙かに安全なのだが、更にドツボにはまっていくこととなる。

「……三爺も……死んでしまうのですか?」

 延信はアイノを泣かせたくはなかった。

 悲しい想いをさせたくはなかったが現実は非常で、嫌なことでも宣告しなければならないことがある。病気に罹っていて、罹っていないと想いこもうとしても、それは無理な相談なのと同じ。

「簡単に殺されることはないが、確実に帰ってこられると約束することはできない」

 帰ってくると約束すること自体は簡単だとはいえ、安易な約束はできなかった。

 いくらでも、嘘つくができる延信であったが、アイノ相手に嘘をつくことは難しい。

「今度の敵は、それほどまでお強いのですか?」

「兄上を倒した相手だからね」

「二爺を…」

 相手の強さが理解できたのかアイノは絶句する。

 可哀相なぐらいに固まったアイノの背中を、延信は優しくさすった。

「もちろん、僕だって蒼竜の端くれだから簡単に負けない。でも、相手はあの兄上を倒した渋谷艦隊。間違いなく生きて帰ってくれるとは言えない。だから、アイノには、ここで祈っていてほしい」

「祈る、ですか?」

 神なんて信じない。

「天国にいる姉上に。僕が無事に帰ってこれるように。アイノが本気で願うのであれば聞いてくれる。なんたって、僕らの姉上だからね」


 でも、逝ってしまった姉なら絶対に信じられる。


「なあ、信よ」

 報告が終了して、信がラウンジから退出しようと矢先、皇帝に呼び止められる。

「何か、ありました? 陛下」

「この後、信は家廟に向かうのだろう」

 出征が決まって、時間的余裕もないとあれば、家廟に向かうのは家に帰った直後しかない。

 皇帝は言った。

「武哀に会いにいくのだろう。朕から"よろしく"と伝えてくれ」

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