第7話 シュナードラの事情

 少女の運命はこの一言によって変わった。

「お嬢さん。僕と結婚してください」

 見た目は若いが、中身はいい歳したおっさんが6歳の幼女に、照れもなく堂々と求婚されている光景はどう見てもおかしかった。

 が、それ以上に求婚された幼女の反応は更に斜め上をいっていた。

「結婚しましょう」

「いいんですか!?」

 この光景を目の当たりにした、レオネス財閥総帥風祭世羅も、ただの14歳の少女になっていた。

「ただし、条件があります」

「もちろん、貴女の国を救ってさしあげましょう」

「……提督。のってよろしいのですか?」

「ええ、彼女にはそれだけの価値があります」

 世羅はマリアに視線を向ける。

「貴女、意味がわかっているのですか?」

 マリアは笑った。

 実に6歳の幼女らしい無邪気な笑顔だった。

「はい。渋谷達哉様のお嫁さんになるんです」

「それは悪魔に魂を売ったものと同じなのですよ」

「スポンサーだからといって、ひどい言いぐさですね」

「会長。機会を与えて下さるのは大変ありがたいのですが、夫を悪魔呼ばわりするのは失礼です」

 怒ってはいないとはいえ、マリアの言葉に一理あるので、世羅も沈黙せざるおえない。

 マリアは続けた。

「私はシュナードラを救いたいのです。そのためなら、なんでも行います。そのためには身を捧げることも厭いません。戦地のシュナードラに赴いた人もいるのですから、その方に比べれば私の地獄なんて、軽いものです」

「みんなどうして、よってたかって僕を鬼畜だの外道扱いするかな……」

 当然である。あるいは自業自得。

 穏やかとはいえ、マリアから伝わる母国への強い愛情と決意に、世羅は溜息をついた。

「分かりました。提督も乗り気ですし、勝算も……あるようですから、この話、お引き受けしましょう」


 ガルブレズでも、ズデンカでも、あるいは新臨淄であっても平等に朝は訪れる。

 

 ファリルが目を開けると、そこは配管剥き出しの殺風景な天井。

 一瞬、何処なのかと迷うが、すぐに思い出す。

 ここは現在のシュナードラ公国の領土というべき、ガルブレズの要塞の1室。スチール製の事務机に、同じくスチール製のタンス。

 飾り板がなく、打ちっ放しのコンクリートに配管が血管のように張り巡らされている絵に描いた殺風景な部屋。

 これが現在のファリルの現状。

 目が覚めても覚めなくても一日が始まる。

 一日が始まるということは、ファリルも国家元首としての役割を果たさなくてはいけない。智機が代行としての責務を全うしているように。

 ファリルが起きるのに前後して、隣のベットから人が起き上がる。

「……おはようございます。ひめさま……」

 さしものマリアも、寝起きは寝ぼけている。この時間だけを切り取れば、同年配の子供たちとさほど変わることはない。

「おはようございます。マリアちゃん」

 ファリルはマリアの後ろに回った。

 二人とも、寝る時は髪を一つに束ね、束ねたものを袋に入れている。髪があまりにも長すぎるためである。

 マリアの袋を抜くと、一つに束ねられた髪の束が現われる。

 地面に届くほどに伸びたボリューム豊かな髪。

 ウェーブがかかった髪は、髪袋の効果もあってまとまってはいるとはいえ、それでも髪艶に乏しい。何ならかのメンテナンスが必要だ。

「マリアちゃん。いきまよ」

「はい」

 ファリルはサイドテーブルにある櫛を取り上げると、マリアの髪を梳かし始める。

 身分はファリルが上であるが、そんなのは関係ない。

 まず、最初は毛先から。

 乱れ気味だった髪も梳いていくうちにまっすぐになり、艶めかしい色つやも放ってくる。

 しかし、梳かしているうちに、疑問に思うことがでてきた。

 このまま髪を伸ばし続けていてもいいのだろうか。

 平時ならともかく、今は戦時。

 戦時だというのに、地面に付くほどに長い髪というのは邪魔であり、ある意味、不要不急な贅沢をしているような罪悪感を覚えずにはいられないのだ。

 智機は切るなと言ってくれたのだけど。

 しかし、髪を切ろうと思ったら恐怖がよぎる。

 物心ついた時から髪が長かっただけに、切ったらどんな姿に想像がつかない。そうではないとは事は分かってはいても、得体の知れないバケモノになってしまいそうで踏ん切りがつかない。

 ここは相談してみることにした。

「あのね、マリアちゃん。わたし、髪を切ろうと……」

 マリアの身体が強ばり、ほのかな殺気が立ち上る。

「姫様……わたしの楽しみを奪わないでください」

 ファリルの髪はファリルの髪であって、他人に長さを強制されるいわれなどは無いはずなのに、有無を言わせぬ強制力があった。ファリルがまかり間違ってベリーショートにしようものならぶち殺すほどの。

「…はい」

 首都陥落で死んでいたはずのファリルを、ここまで生きながらえさせているのはマリアのおかげであると言ってもいい。マリアが智機招聘などの手配を施したからこそ夢を見ていられるのであり、更には渋谷艦隊を引き入れるために、その身すら捧げてしまったのだから、マリアには返しきれないほどの借りがある。髪を切らせてもらえないのもしかたがない事なのかもしれない。

「あのね、マリアちゃん。お願いがあるの?」

「お願いも何も、姫様なのですから、よほどの事がない限り、なんでもお申し付けください」

「じゃあ……」


 インターホンが鳴った。

「…おはようございます」

 ディスプレーに映っているのが智機であることを確認すると、マリアがボタンを押してドアのロックを外した。

 間髪入れずに、智機が入ってくる。

「おはようございます。智機さん」

「おはようございます。代行殿」

 ファリルは智機が手に大きな紙袋をぶら下げている。

「その紙袋は?」

「朝飯。時間がないからとっとと済ませるぞ」

 紙袋から取り出したのは、中身の入ったビニール袋とポットで、更にビニール袋から取り出されたのはサンドイッチの包みであった。

「……すみません。朝早いのに」

 ファリルの口から謝罪の言葉が独りでに出た。

 朝食が早いのは、ファリルの用事があるからである。

 智機はファリルの護衛なのだから、付き従うのは当然とはいえ、昨日は軌道上からクドネルまで激しい戦闘を行っていた。消耗が激しいはずなのに、普段通りに、ファリルの前で来られること事態がおかしかった。

「気にするなよ。ファリルのやろうとしている事は間違っていない。大変だとは思うが」

「姫様のなさる事は政略的に正しいです。ですが、覚悟が必要になるかと思われます」

 これからする事を思うと、ファリルとしては気が重くなる。

 でも、智機以下の人々が責を負っているのに、主君であるファリルが、その責務を果たしていない事に比べれば、遙かに楽だった。

「とっととご飯にしようぜ」

 分厚いフランスパンに割って挟まれた、色々とりどりの愚。

 レタスの薄い緑や、トマトの赤、卵の黄色やスライスされた肉の赤みの鮮やかさが眩しくて、どこからともなく胃の音が鳴った。

 マリアが棚から、カップを三つほど出すと、ポットの中身を注ぎ入れる。

 コーヒーの黒に近い濃厚な茶が眩しい。

「砂糖はいる?」

 マリアが言った。

「私は砂糖二つとミルクで」

「てっきり、入らないと思った」

「私は見栄は張らない主義ですから」

「姫様は?」

「私もマリアちゃんと同じでいいです。智機さんは?」

「アイリッシュコーヒーで」

「アルコールは絶対にダメです」

論外だった。

「冗談だ」

「智機さんが言うと、ぜんぜん冗談に聞こえないです」

「酒飲むと、ストレス解消にちょうどいい」

「それはストレス解消ではなく、依存なのでは?」

「かもな」

「とにかく、お酒は絶対にダメです」

 ファリルが締めたところで、サンドイッチを包んでいたラップをめくって朝ご飯になる。

「いただきます」

 いっせいにサンドイッチにパクついたのは良かったのであるが、一口二口噛んだところで、ファリルは口を離した。

「なにこれ……」

 しかめっつらを通り越して、泣き顔になっていた。

「そんなにひどかったのか?」

 ファリルが手にしているのは、レタスとローストビーフのサンドイッチ。

 見た目は非常に美味しいそうではあるのだが、味がかけ離れている。

「食べてみてください」

 ファリルが適当な大きさにちぎったサンドイッチを、智機がほおばる。

「これ、緑飯」

 智機の口から出たのは聞き慣れない単語。

「緑飯?」

「大豆ペーストに栄養源やら保存剤やら対アレルゲン防止剤をぶち込んだのをフードプリンターで生成したもの。簡単にいえば、もどき食材。見た目は精巧だけど」

「正式名称はソイレントグリーンですね」

 智機が言うように二つ並べると、見た目には区別がつかない。

 味も区別がつかなければ良かったのに、ということなのだが、それっぽい味がするだけで食感が全然違う。オリジナルに及ばないのは言うまでもない。

「何故、緑飯なんか……」

 ファリルは疑問に思ったが、言っている途中で答えに気づいて暗くなる。

「まずいけど、簡単に作れて備蓄ができる」

 代用食材製のものを提供されるのは補給が厳しいからである。現在のファリル達はほとんど包囲されているようなものだと言ってもいい。

「こいつなら、最低10年は持つ」

「身体に悪そうですね」

 食材が自由に手に入らないというのであれば、非常用食材に頼らざるおえない。味よりも生産性や保管性汎用性のほうが重要なのだ。

「フードプリンターで、見た目をそれらしく見せられるだけマシ。カマラだと、塊をそのまま喰ってた」

「大変でしたね」

 外見を既存の食材に似せていることで、食事している気分が味わえるだけ余裕があるのだろう。智機は淡々としていたが、ファリルには苦労の一端が忍ばれた。

 あまり想像もしたくない。

「緑飯のブロックでもまだ、マシ」

「それ以下があるんですか?」

「聞きたい?」

「聞きたくありません!!」

 グロい話になることだけは予想できた。

「…にしても、見分けはつくのでしょうか?」

 おのおの一つのサンドイッチは片付けたとはいえ、まだ数は残っている。食材が本物なのか、緑飯なのか見た目では判別がつかず、包みのビニールにも区別が明確ではない。

「ここは、分けるしかないな」

「それがベターですね。私が分けます」

「よろしく」

 マリアが棚からナイフを取り出して、公平になるようにサンドイッチを分割し始める。

「智機さんは、身体の具合はいかがですか?」

「至って普通。疲れていないといえば嘘になるけど、戦場ならこんなもん」

 智機は嘘つきだとはいえ、当人が言うように疲労を無理してごまかしているようには見えない。ベテランらしい落ち着いたたたずまいは健在であった。

「……昨日は本当に焦りましたよ」

 焦ったどころの話ではなかった。

 ティーガーがチクビームの光に飲み込まれた光景を生中継させられただけに、あの全身が凍り付いた。智機の死ねば、その時点でシュナードラの敗北は確定だった。

 それだけなのだろうか。

 セシリアも言っていた。智機が戦死することもある、と。

 智機を見ていると死にそうには見えないが、光の中に消えていったところを目撃すると、唐突に目の前に身内が消滅することも起こるという現実を突きつけられる。

「ファリルこそ、大丈夫かよ」

 智機の一言でファリルは我に返る。

「ファリルも傷が癒えていないことを忘れるな。ファリルの代わりはいないけど、オレの代わりはいくらでも」

「智機さんの代わりはいません!!」

 ファリルが声を張り上げたことで、空気が一瞬、張り詰める。

 智機が何かを言いかけたが、マリアが遮った。

「今は渋谷提督がいますから、戦略は問題ないですが智機さんがシュナードラの大黒柱であることは昔も今も変わりません。大権を預かった以上、智機さんには公王陛下代行としての重大な責任があることを自覚してください」

 渋谷艦隊が到着した事で、必ずしも替えが効かない存在がなくなったとはいえ、智機が消えたら大きな打撃にいうまでもない。

 少ししてから、智機が溜息をついた。

「わかった。悪かった」

 智機が非を認めるのは、ちょっとした珍事かも知れない。

 涙目になっている美少女に勝てる人間というのは、少ないとはいえ、智機はその少ない例外でもある。

「ほんと、あの時は……本当に怖かったんですから。無事ならさっさと帰ってくれたらよかったのに」

 智機がいなくなったショックで、ファリル自身も消えてしまうかと思った。

 それぐらいに、智機の存在はファリルにとって重い。

「智機さんは、わたしのことを嫌いなんですか」

 そして、不満に変わる。

「なぜそうなる」

「あの演説はひどいです。あそこまで私は立派ではありません。褒め殺しです」

 あの時の恥ずかしさを思い出すと、自然と恨み節がこみ上げてくる。

「実際、陛下は素晴らしい方ではないですか」

 どう見ても、心の底から思っているようには見えない。

「もっとも、バカ正直にヘタレをヘタレと紹介したら、宣伝にはならないんだけど」

「矛盾しますよ」

 詐欺をしかけるにしても、ダメを美点と言いくるめて喧伝しない限りは引っかかるカモもひっかからないのはわかっているとはいえ、智機のあからさまな評価にファリルの気持ちは重たくなる。

「智機さん。失礼です」

 マリアがフォローしてくれるとはいえ。

「無事なら無事でよかったですけど、早く助けてほしかったです」

 チクビームで流されたとはいえ、ティーガーの機動力なら、早めにガルブレズに帰還することも可能であった。

「やりたかったんだ。攻撃をしかけられる機会なんて滅多になかったから。おかげで収穫も得られた」

「持ちこたえたからいいようなもの、どれだけの人が迷惑したと思っているんですか」

「うちの連中なら、持ちこたえてくれると信じてた」

 絶対に嘘だと、ファリルは思った。

「シュアードさんと西河さんが頑張ってくれなかったら、落ちてました」

「そうらしいな。二人は?」

 ファリルの表情が曇る。

「西河さんはとりあえず命に別条はないみたいなんですが、シュアードさんが」

「単に息をしているだけで、人間なのかそれとも、肉屋に陳列された松坂牛かの区別がつかなくなっているといったところか」

「…智機さん」

 全部を説明したわけではないのに、理解できているのは智機とはいえ、不謹慎である。光景を想像するとファリルは気持ち悪くなった。

 現実もそのようなものであったから。

「あいつ、うんたんメネスで出撃したんだろ。なら、そうなる。オレの操縦特性に合わせたから。原型保っているほうが驚きだ」

「どういう操縦特性なんですか」

 首都から逃げてきた時、ファリルはドリフトの対G補正を切るよう頼まれて拒否されたのだけど、拒否されたのが正解だったというのを冷や汗と一緒に思い知らされる。ドリフトの対G補正を切っていたら、ファリルは今ごろ、スーパーで陳列される肉隗と化していた。

 ファリルは改めて思う。

 スロットルを軽く開けただけで、操縦者を木っ端みじんに粉砕するほどの凶悪な重力加速度がかかる騎体を平然できる、いや、そのような危険な設定にしたがる御給智機という人間は何者なのだろう。

 その肉体もさることながら、その思考は悪魔だといってもいい。ほんの躊躇いもなく何千万も殺戮をやってのける精神性は人とは呼べないのであるが、かといって御給智機という存在がいなくなったら悲しいのも事実であり、その悪魔に頼らざるおえない立場だというのが、とっても複雑だった。

 ただ、それ以前にマリアと智機と一緒にご飯を食べている時間がとっても楽しい。

 父と母はもう戻ってこないけど、智機がその空白を埋め合わせてくれてマリアも帰ってきた。戻ることはないと思っていた温かい日々が戻ってきた。

 この時間がいつまでも続いていてほしいとファリルは思う。

「マリアは旦那の相手はしなくてもいいのか?」

 幸せに浸っていたところで、智機が容赦なく現実に引きづり戻す。

「私は渋谷達哉の副官である以前にファリル公王の侍女ですから。夫の許可も得てますからご心配なく」

 マリアの薬指にきらりと光るリング。

 再会できたのは嬉しいとはいえ、まさか旦那を見つけて帰ってくるとは想像だにもしていなかった。

 置いていかれたような感がある。

「旦那と一緒に夜の生活を送ったことはあるんだろ? 感想は?」

「と、智機さん!?」

 智機は平気で地雷を投げつけてくる。

 慌てるファリルは対称的にマリアは冷静だった。

「思ったよりも紳士的な方でした」

 僅かにがっくりといった印象があるのは気のせいなのだろうか?

「紳士ということはあの提督、裸で徘徊する性癖があったのか。ロリコンに加えて露出狂では救えねえ」

「智機さんは絶対に紳士という言葉を誤・解・してます!!」

「いや、黒鉄廣島に裸で戦う紳士という有名なライダーがいるから、紳士というのはそういうものだろ」

「その方は紳士ではありません。紳士を騙った変態ですっっっ!!」

「ウチのたっちゃんも裸で徘徊する趣味はありません」

 マリアの言葉にファリルと智機は顔を見合わせる。

 ……たっちゃん!?

 マリアの咳払いで空間に音が戻ってくる。

「私からすれば、肩透かしというかもうちょっと陰獣味があったとよかったと思うのですが」

「意外にチャレンジャーだな」

「陰獣ってなんですか?」

「大斉きっての大変態。蒼龍騎士団きってのエースだけど同時に目についた老若男女は平時だろうが戦時だろうが一人残らず強姦しまくるというバカ野郎。おかげで没遮欄というコードネームでは誰も呼ばない」

「陰獣味がなくてもいいじゃないですか!」

 会話が弾んだところで、智機の携帯にコールが入った。

「もしもし。こちらティーガー72」

「渋谷だ。その様子だと姫様たちと一緒のようだね」

「ああ、みんな一緒だ」

「それならちょうど良かった。これから会議を行うから、みんな来てほしい」

「了解した」

 携帯を切ると智機は肩をすくめた。

「ファリルが望んだことは後回しになりそうだ。いや、ファリルが望めば先にかることもできるけど」

「それには賛成しかねますが、どうですか。姫様」

 ファリルとしては後回しにした方が楽である。また、会議のほうが優先順位が高いので後回しするほうに正義はある。でも、説明のできない罪悪感がこびりついて放さない。

 知ってかしらずか智機は言った。

「いや、先に会議だ」

「なぜですか?」

「涙目で会議に来られたら、オレがファリルをいぢめたと誤解される」


「おはようございます。姫様」

「…おはようございます。セシリアさん」

 会議場に入ってきたファリルは、どこかよそよそしかった。明らかに何かしらの不満を抱えている。

「何をしたんですか?」

 セシリアは続けて入ってきた智機に敬礼で応えるものの、疑問点を小声でぶつけてきた。

「何もしていないけど」

「姫様をいぢめるのも大概にしてくださいね」

 誰も彼もがファリルをいぢめているように見るのは心外だと智機は思うのだが、半分は事実なので言い返す言葉もない。

 いずれせよ、ファリルが不満を抱いていても会議が始まれば問題はない。個人の些細な感傷など気にしている余裕がなくなるからだ。

 ただ、智機は思う。

 この場にヒューザーがいなくてよかったと。彼ならば容赦なく突っ込んでくるからだ。

 CICにいるのは智機、ファリル、セシリア、ディバイン、ザンティという定番メンバーであるがヒューザーの代わりに渋谷艦隊司令官渋谷達哉と、その副官マリア。そして、トランスカナイの代表者であるドーンボス大佐が加わっている。

「これから会議を始めるが、渋谷中将、ドーンボス大佐。何か情報入ってきましたか?」

 ドーンボスが言った。

「国鉄廣島に増派がありました」

「流石、斉。行動が早い」

「行動が早いといいますと?」

 渋谷が、面白そうなものを見つけたような顔をしたので、ファリルが質問をする。

「我らクラスのライダーが何名か派遣されているのでしょう。でないと、クドネルはシュナードラに負けます」

「クドネルが負ける!?」

 シュナードラがこの小さな孤島に閉じ込められている状態で、クドネルに勝てるなんてファリルには冗談としか思えなかった。

「そのために、ズデンカで遊んできたんでしょ?。代行殿」

 話が智機に振られる。

「オレがズデンカを攻撃したのは、チクビームを食らったというのもあるけど、最大の目的はロンバルディの居場所を割り出すためだ」

「その目的は果たせたのかい?」

「レッズを引っ張り出せたから、後はそっちの分析が聞きたい」

 今度はマリアが話す。

「代行殿が獲た情報を分析したみたところ、ロンバルディが潜んでいるのはここヴァイオントダムの地下である可能性が非常に高いです」

 サブディスプレイに、クドネルの中央部の地形やダム湖の写真が表示される。

「その根拠は?」

 ディバインが質問をする。

「ただの多目的ダムにしては予算がかかりすぎてますもの。骨が折れました。いろいろとプロテクトや隠蔽がかけらていましたから。よって、ダムとしての機能もなくはないのですが、要塞化されているのでしょう」

 疲れ果てたといった感じで、マリアは大きく伸びをした。

「そういう事だから、代行殿とクライネ、葵、それに僕と志穂で殴り込みを掛ければ、落とせなくもないんだけど、黒鉄廣島も増強をかけたから、難しくなった」

 ライダーの質ではシュナードラが上回っていたので、やろうと思えば突撃をかけられなくもなかったが、相手も相手なので穴を埋められてしまった感がある。

「やろうと思えばやれなくもない」

「無茶は言わないように。他人の目はごまかせても、僕の目はごまかせないよ」

 今にも出撃しかけた智機を、渋谷が制する。

「今の代行殿で作戦行動に出るというのは、冬山に散歩程度の装備に挑むようなものだよ」

「そこまでいうか」

「代行殿が若いとはいえ、ティーガーは量産型とは比較にならない負担が大きいんだから、無茶はよくない。参謀長権限でストップだ」

「はいはい」

 智機としても、起き出して数時間が経過しているのにも関わらず、身体が一行に目覚めてこないのは自覚しているので強くはいえない。気ばかり焦っても、1人で戦争はできない。

「いつから、渋谷提督は参謀長に」

「たった今決めた」

 智機の適当さ加減に、突っ込んだディバインは絶句する。

「渋谷提督に仕事をしてもらうとすれば、作戦の立案以外に考えられない」

 参謀の基本的な仕事は戦略戦術といった計画の立案で、部隊への指揮権がない代わりに参謀が立てた計画には誰も逆らえない。ディバインや智機であってさえもである。計画の立案にかけては智機でさえも遠く及ばない。人材を適材適所にあてるのは常識以前の話である。

「代行殿がそう仰られるのであれば、小官として異を唱えるものではありません」

 武功において、この場に渋谷提督を超える者はいない。智機でさえも。

 軍略という難易度が非常に高くて重圧がかかる仕事をディバインはしたくもなく、その道にかけては一流という人物が引き受けてくれるのだから、ディバインとしても異論はない。

「増派は今ので終わりではない。僕の予測では間違いなく、蒼竜騎士団の騎士も参戦する」

「蒼竜騎士団!?」

 ファリルが驚くのも無理もない。

 蒼竜騎士団は超帝国斉において、皇帝の親衛隊を務めるエリート中のエリートであり、その武名はいささか傷ついたとはいえ、銀河最強の名を轟かせている。

「渋谷提督には、いささか心当たりがありそうですが」

 ディバインが言うと、渋谷提督は笑った。

「心当たり? もちろんあるに決まっている。なんたって、僕と志穂で蒼竜騎士団の1人を倒しているんだ。敵討ちにこないはすがない」

 帝国最強のエリートの1人が、蛮族と見下した連中に倒されたのだ。仮に遺族が望んでなくても、斉民族が冒涜されたのだから敵討ちをしなければならない。

「渋谷提督。蒼竜騎士団の強さは?」

「強かった。強かったよ。2人がかりでなければ倒せなかった。いや、倒せたのは正直、運だったと今でも思う。あんな相手とは2度と戦いたくない」

 宣伝文句がただの見かけ倒しというのは、よくあることだが、実感のこもりすぎた渋谷の言葉に、場は沈黙に包まれる。

「誰が来る?」

 破ったのは智機。

「斉帝国梁国王家世子にして蒼竜騎士団天巧星、浪子延信。またの名を星殺」

 その名を聞いて、ファリルとセシリアが息を飲み、ディバインも狼狽するとまではいかないまでも、顔色を変える。ザンティは笑っていた。

「星殺ってまさかあの……」

「代行殿と並んで前首相が戦犯指定していた、たった一騎で一つの星を破壊した化け物だ」

「しかも、フォンセカでね」

 渋谷のその一言に、堪えきれなかったようにディバインも表情も変えた。

「星殺の現場はテレビで見ましたが、あれが蒼竜ではなかったんですか」

「ガワだけ蒼竜にしていたけど、ジェネレーター音はどう聞いてもフォンセカだったよ」

「よくそんなのに勝てましたね」

「僕も不思議に思う。半分は運だった」

 1年前、ある星で斉国にとって大事件がおきた。

 ある、併合を決めた国に訪れた斉国皇太子夫妻が、孤児院における併合反対派の自爆テロによって暗殺されたという事件で、その報復は極めて苛烈なものになった。

 まず、手始めに斉国に在住していた、全てのある星国籍・出身者が建物に閉じ込められた上でフッ化水素酸のシャワーを浴びせられる形で処刑され、更に、ある星に住んでいた人々全員がたった一騎のEFによって皆殺しにされた上、徹底的に破壊されて星としての機能を失った。結果、本気になった斉国の残虐さを全星団に見せつけるという形になった。

 中でも目を引いたのは、たった一騎でその国全てのEFを滅ぼしたという蒼竜騎士団のEF。

 いくら弱小国とはいえ、たった一騎で滅ぼせる訳がない。でも、そのライダーはやってのけた。フラッグシップの蒼竜ではなく、フォンセカで。

 その相手がシュナードラに来るのである。

「渋谷提督は星殺をどうみますか?」

 ドーンボスが聞く。

「簡単ではないね。蒼竜騎士団でも、急先鋒邢凱なら手玉に取れる自信はあったけど」

「つまり、渋谷提督並の腹黒と」

「そういう事になりますかね」

「……手玉に取れるんだ」

 敵を見たらつっかかるしか脳がない相手なら、いくらが能力があっても対処はできるのだが、強くて策略もこなせる相手とあっては頭を抱えるしかない。

 智機の言葉も失礼だし、ファリルも溜息をつきたくなるが。

「会ったこともないのに、よく相手の推察ができますね」

 セシリアがもっともな問いを入れてくる。

「蛇の道は蛇というか。ある程度の情報を手にいれることができる。星殺の延信は蒼竜騎士団天魁星、延義の次男で、元々は世子になれる立場ではなかった」

「提督が、その兄をぶっ殺したから跡継ぎになれたと」

「僕が立地太歳を殺らなかったら、他家に養子へ行くか一生部屋住みで終わる身分であったが、当人はそれで良しとする人物だったようだ」

「その意味は?」

「梁国王家といえば、堅物を絵に描いて額縁に飾っているような超真面目人間たちの家系だというのに、彼に限っては、やる気の欠片も見いだせない怠け者で、奥方が浮気したのではないかという噂まであったそうだ」

「早い話がニート希望、と」

「そういうこと。ただの貴族の御曹司なら問題はないんだけどね。単細胞な猪よりも面倒だ」

「何が面倒なのですか?」

「有能なニートというのは、楽するために智恵を絞るからね」

「そういえば、国鉄廣島から渋谷提督に電文がありました」

「内容は?」

「読み上げます「渋谷達哉様、マリア・ファルケンブルク様。こたびのご結婚おめでとうございます。つきましては新郎が幼女暴行の罪で逮捕される事がないよう、心よりお祈り申し上げます」」

「わかってんなあ」

 智機の呟きが場の空気を代表していた。

「斉って、大帝国の割にはノリがいいような気がするのは気のせいでしょうか?」

「ヒューザーの小僧がいないのが、実に残念だ」

「どういう意味ですか、市長」

「司令官どのの推察通りの意味ですよ」

 ヒューザーがこの場にいたら、まさにいいボケとツッコミ芸を見せてくれたはずである。

「そのノリの良さが斉の強さなんだろうね。余裕があるから諧謔もかませる」

「冗談のつもりで、虐殺もできると」

「そういうこと」

「全くもって笑えない話ですね」

 ディバインがひとまずオチをつけた。

「渋谷提督への祝電は余興でしょう。こちらのメッセージが遙かに重要です「これはゲームだ」と」

「ゲーム、か」

「なるほどね」

 トランスカナイからの報告に、智機と渋谷は二人そろって悪戯小僧めいた表情した。

 ファリルは不安そうになる。

「これはゲームって、どういう意味ですか?」

「本気は出さないということ。奴らが本気を出していたら、提督とレオニスグループがついていたとしても話にならないから助かったというべきか」

「損益分岐点が低いということだね。彼らが本気ならば我々が死に絶えるまでその手を止めることはないだろう。でも、この戦いはそうじゃない。本来なら起こさなくても良い戦いだからね。損失が利益を超えると判断したら彼らは手を引いてくれるだろう」

「どのあたりが分岐点になりますか?」

「これはシュナードラ対クドネルであって、シュナードラ対斉ではないということ。あくまでも主軸はクドネルだから、そいつらに勝てばいいというのがひとつ」

「もう一つは?」

「ゲームだということは勝ち負けを気にしなくてもいいから、通常の戦争とは違って思い切ったことがやれる。例えば、新兵器の実験。この戦争は試すのには絶好の機会だから、実戦データをある程度くれてやればいい」

 想像もつかないほどの脅威になることだけは間違いがなく、シュナードラはその脅威に立ち向かって生き延びなければならない。

「勢い込んで作った新兵器が実は大失敗作だった、とかだったらいいのですが」

 希望的観測に頼るのは司令官としては落第だとはいえ、セシリアがぼやくのも無理はない。

 智機が尋ねた。

「ドーンボス大佐。宇宙の状況は?」

「軌道では蝶都会岡耶麻と我々トランカナイがにらみ合ってます。緊張はあるものの落ち着いています。ただ、岡耶麻から地上への物資のやり取りが多いところを見ると、主力は地上に降ろしているようです」

「斉は地上戦で決着をつけるつもりのようだな」

「岡耶麻とは戦えますか?」

 ディバインの問いにドーンボスは首を横に振る。

「軌道には山居中佐がいますが持ちこたえるのがやっとですね。駆逐とまではいきません」

「奴らを駆逐できたら、制宙圏が確保できるから有利に立てるんだけど、その程度のことは奴らも考えているか」

「今のほうがマシです。貴方方が来られる前は完全に抑えられてましたから」

 この世界は宙域を制したものが戦を制する。帝都が落ちる前は完全に掌握されていたが、智機が来てからは渋谷艦隊の介入もあって、宙の支配は免れた。

 次の渋谷の一言で空気が緊張する。

「ここで話題を変えて、ビジネスの話をしましょうか?」

 渋谷艦隊ならびにトランスカナイは慈善事業でシュナードラに来たのではない。レオニスグループがシュナードラを再興するというビジネスのためにやってきたのだ。当然のことながら行為には対価というのが発生する。問題はその対価がどれくらいかということなのだ。

 各人のタブレット、ならびに壁面のモニタに契約内容の書面が映し出される。

 ファリルの表情が泣き顔に近いものになる。

「…厳しいですね」

 セシリアの声がシュナードラ側の意見を代弁していた。

 ファリルもセシリアもディバインも予想はしていたとはいえ提示された契約内容は想像を越えるほどに過酷なものだった。復興がなったとしても経済面ではレオニスグループの傘下に下るといっても過言ではない。

 その一方で違った見解もある。

「ザンティさんはどのように思われますか?」

「こんなものというか、至って普通だな」

「九分九厘負けた状態から逆転なんて博打だからふっかけられるのも当然だ。むしろ、この条件だと良心的すぎて疑いたくなる」

 経験を積んでいるザンティと智機の見解はまったくことなるものだった。

「こんな国よりもオリジナルコアのほうが貴重ですからね。少なくても資源地帯の確保が最低の勝利条件ということになりますか」

 レオニスからの条件には資源地帯の確保も含まれているので、最低でも目指す到達点はそこからという事になる。

 画面に動きがあった。

「姫様、よろしいのですか?」

 ファリルがタブレットに表示された文面にタッチペンで署名をしており、その様子が壁面のディスプレイにも映し出されていた。

「これで契約成立…でしょうか」

「契約成立です。我々、渋谷艦隊とトランスカナイ、そしてレオニスグループはシュナードラの勝利まで微力を尽くさせていただきます」

 渋谷の笑顔がどことなく胡散臭いものに見えるのは、気のせいではないのだろう。

 一方でセシリアが戸惑いを見せているのは決断が早いように見えたからだろう。

 ファリルはいう。

「これはマリアちゃんが必死にまとめてくれた契約ですから、これが限界だと思います。渋谷艦隊様たちの協力がなければ私たちは助からないんですから、これでいいんです」

 一見すると過酷な条件のようにみえるが、これはマリアが必死に値切り倒して得た結果だといってもいい。マリア以上の交渉ができるわけもなく、レオニスグループの支援が無ければ生きられない以上、シュナードラに選択の余地はない。

 その結果、ザンティは満足げになり、智機はいつもの悪戯めいた笑みを浮かべている。

 全面的に信頼されて、マリアも得意そうだった。

「公王陛下の賢明なる判断で契約が迅速に完了しましたので、当面の作戦に話を戻しましょう」

「参謀長様の見解は」

 セシリアが切り込む。

「普通に力押し。包囲網を完成させてからの強硬策、といったところだろうね。戦力は圧倒的にあちらさんのほうが上だから、芸がなくても強引に押し込める」

「私たちは耐えるしかないのでしょうか…」

 セシリアが落ち込み気味になるのもシュナードラには圧倒的に戦力が足らないからである。とすれば何も役もない籠城戦に耐えるしかないということになってしまう。

「それは面白くないから、代行殿の出番だね」

 智機が我が意を得たりと肉食獣のように口元をゆがめた。

「ゲリラ戦、か」

「ティーガーの性能なら単騎で暴れることも可能で、なおかつ機動力もあるからこの手の活動にはうってつけだ。おまけに軍団という脅しがあるから、かなりの軍勢をひきつけておくことができる」

「代行殿が抜けると防衛力が低下しますが」

 ディバインが問題点を指摘する。

「そこは僕たちでカバーできる。代行殿が内でこもっているよりも、外で暴れてもらったほうが利益になる」

 外から援助が来るかといえば怪しい現状である以上、中にこもって防衛に謀殺されて体力を消耗するぐらいなら、外で暴れてもらった方が遥かに価値がある。本土をクドネルに支配されているとはいえ、その支配は安泰とはいえないからだ。

「了解しました」

「いつ出撃する? 早いほど有利だろ」

 途端に智機が勢い込む。シュナードラの数少ない有利は、組織が小規模なだけに立案から行動まで手早く行えるという点にある。

「代行殿。ここに参謀長として貴官に命令を下す」

 渋谷は真面目な表情で言った。

「明朝7:00まで休息を言い渡す。修練やティーガーに触れるのも禁止」

 この時の智機の顔は見物だった。

「……納得いく理由を聞かせてもらおうか」

「休息が嫌だなんて贅沢な。本気で僕と代わってもらいたいぐらいだ」

 怒っているというほどではないせよ、敵意をむき出しにする智機に対して、渋谷は風に柳とばかりに平然としていた。

 代わってほしいというのも本音なのだろうけど、渋谷と智機の役割が全然違うので無理である。

「一つは代行殿は良くても、ティーガーの整備やバックアップの編成には時間がかかる。本来なら一日でも足りないぐらいだ。代行殿に質問だが、カマラ戦からシュナードラまで何日経った?」

「三か月ほど?」

「ひと月しか経っていない。ライダーにしてみたらほとんど休みを取っていないようなものだ。よって、代行殿に必要なのは休息だ。そして、今が取れるかもしれない貴重なチャンスなんだ」

 この場にシュナードラ軍のEF部隊統括責任者であるヒューザーがいないのは、昨日の戦闘で体力精神力を大幅に消耗して、とても会議に出られるような体調ではないからである。ヒューザーだけではなく、ガルブレズ防衛に携わったライダー全員が爆睡している。ドリフトの使い過ぎで死亡することもあるのだから、ライダーとは過酷な仕事なのだ。そして、いざ作戦が始まってしまえば休みをとる暇もなくなることを考えると、余裕があるうちに休憩をとるべきなのである。もはや、仕事だ。

「代行殿は常識外の体力をお持ちだが、それでも限界はある。重要な局面で限界が来られたら僕たちとしては大いに困る。代行殿は自身のことを適当に考えておられるようだが、倒れたら悲しむ人が最低でも2人いるようだから、その人たちのことも考えてあげるように」

 渋谷がファリルとセシリアに視線を向けると、ファリルは昨日のことを思い出したのか泣きそうになり、セシリアはほんのりと頬を赤く染めてしまう。

「代行殿が倒れられたら私も悲しいです」

 智機は無言である。

 渋谷の言葉に理があるのが理性では納得できるのだけど、感情では納得できていないのだろう。

「代行殿。軍団の使用には体力が必要でしょう」

「やってもいいのか」

「そこは現場の判断で」

 軍団を発動せざるおえない時に限ってガス欠では救えるものも救えない。

「了解した。なら、今日一日休ませてもらう」

「まっ…」

 ファリルが何かを言いかけて沈黙する。

 周りの視線が集まってしまったので、恥ずかしくなったファリルは顔面を盛大に赤くしながら俯いてしまう。

 その意味を智機は察した。

「提督。その前に公王陛下直々の任務があるから、それを済ませてから」

「陛下の勅命は絶対ですからね」

「基本の方針は代行殿が陽動攪乱で、それ以外は籠城戦の準備ということでよろしいでしょうか。参謀長」

 ディバインがまとめに入る。

「現状ではそういうことになるね。面白くはないんだけど」

「それでは解散、といきたいところですが参謀長と代行殿にお話があります」


「殺風景なところに僕と代行殿を集めて、どんな話をしてくれるんだい?」

 別室、小さな会議室で智機とディバインと渋谷だけになる。

「マリアには話さなくてもいいのか?」

「ファルケンブルク女史には知ってもらいたい事ですが、今は姫様に怪しまれます」

「超重要機密だけど、陛下には知られたくないことか。それなら僕から話すけど、それでいいかい?」

「助かります」

 渋谷とならマリアと2人だけになれる。

「提督。マリアとの夜の生活はうまくいってる?」

「うまくいっているよ。おかげで、シュナードラに来てからは寂しいんだ。流石に年だからアレなことはしていないけど」

「年齢差がいくつあると思っているんですか」

 ディバインがぽろっと本音を出してしまう。

「んなこと考えていたら結婚するか」

「愚問でした」

「ひどいなあ。年齢差がある夫婦は僕たちだけではないのに何故、僕だけ責められるのだろう」

 それはロリコンだからと智機とディバインはツッコミそうになった。突っ込んだら負けなので言えなかったが。

「ディバイン。なにを見た?」

「これを見てください」

 ディバインが端末を操作すると壁面のディスプレイに映像が映し出される。

 監視カメラの画像なのでお世辞にも綺麗とはいえないが、格納庫でファリルがいるのが確認できる。

「誰もいないね」

 ファリルは空っぽの空間に向かって、あたかもそこに誰かがいるかのように喋っている。言葉を連発するにつれてエキサイトしてきたのか興奮、そして涙ぐむが画像に映っているのはファリルだけなので奇異を通り越して、ファリルの精神状態が心配になってくる。両親を失ってからそう時間が経っていないのでPTSDの症状が悪化したのかと疑いたくなる。

「これはシュナードラ防衛戦で、うんたんメネスが出撃する直前の画像です。この時のメネスは原因不明の不良でシステムが立ち上がらなかったのですが、この画像の直後、突然、メネスが起動しました」

 会話が終わって、ファリルが呆けたところで映像は終わる。

「カメラや僕たちには見えない何かがそこにいて、姫様には見えていたということか」

「ディバイン。この光景を見た奴らは?」

 智機のまなざしがナイフのように鋭くなりかける。

「市長とクラークソン博士、シュアード准尉とメカニックが数名です。市長が銃殺付きの緘口令を布きましたから漏れていないと思います」

「いい判断だ」

 決して冗談ではない。

「あそこにはメネスの精霊がいて、姫様が説得してくれたからメネスが起動した、と解釈していいのかな?」

「小官もそう思います」

「あの場所に姫様を行かせたのは奇跡を起こしてくれるから、と期待したからか? ディバイン」

 智機の言葉にはささくれ程度のトゲがあったが、ディバインはうなずく。戦闘前の智機とのやり取りが記憶に残っていたからだ。

「あの時はやれる事はなんでもやりますし、縋れるものは悪魔にだって縋りつきたい気分でした。もっとも、陛下の起こしたことは想像以上でしたが」

 その勘は当たっていた。

「EFのことを斉国語で精霊騎と呼ぶのは、EFが単純な機械ではなく精霊を宿す器であるが故に、そのパイロットも騎士という。でも、僕の軍歴の中でEFに魂の存在は感じたことはあったけれど見たり会話をしたということはなかった。代行殿は?」

「提督も見たことがないんだから、俺も見たことがない」

 現役の、しかも一流と称されるライダーが体験できなかったことを、ライダーでもない少女が体験した。

 もちろん、渋谷が言ったのは仮説にしかすぎず盛大な勘違いをしている可能性もあるが、否定されていない限りはあるものとして扱ったほうがいい。


 ファリルには、ライダーにはない特別な力がある可能性。


「陛下を売ったら、僕たちは助命されるかな?」

「冗談でもやめてください」

 ファリルの身柄を引き換えにであれば交渉が成立する余地があるのだから笑えない。

「これは失礼。でも、厄介なことになったのも事実だね」

「声が聞こえたならまだしも会話まで成立すると。この先どうなることやら」

 ファリルの能力はうまくすれば戦況を変えることができる可能性があると同時に勝利条件を極めて高くしてしまう諸刃の剣でもある。ファリルは現状、一般人と思われているが特別な存在だと知られてしまえば斉は本気になる。

「立地太歳でも厄介だったのに、あれが集団でこられたら尻尾を巻いて逃げるしかない」

 そうなったとしても渋谷を卑劣漢とそしる者は誰もいないだろう。斉が遊び気分でいるうちに決着をつけるしかないが、それはそれで難問なのは言うまでもない。

「陛下の力に頼らないようにするのが一番ですね」

「使っていい力ではないからね」

 斉に悟られたら危険というのもあるが、それ以前に人外の力を使い続ければ使用者も人ではないものになっていく。ディバインも智機も渋谷もファリルは人として生き終えてほしかった。

「斉はどこでファリルが怪しいと思ったんだか」

 どんなに怪しい案件であっても、覇権が握れるネタと判断すれば採算性を無視して突っ込めるのが超大国の特権であるが、何が注意を引いたのかが謎だった。

「陛下の過去のどこかが引っかかったんだろうね」

「市長が臭いか。後で探りを入れてみる」

 マリアは知らないだろう。生まれる前に起こったことだと考えられるからだ。

「陛下にはお知らせしますか?」

「難しいな」

「自分自身のことだから、いつかは気づくとしてもね」

「知ったら知ったで、この国を救うために乱用しかねないから教えないほうがいい」

 妥当な結論にたどり着いたところで三人とも苦笑いをしてしまう。

「それが姫様のいいところでもあるんですけどね」

 自身にこの国を救える力があると知ればファリルは躊躇いもしないし制御もしないだろう。いくら強力だとしても指揮官として、作戦を無視して暴れまくる味方は害でしかない。そして、この場合は悪意よりも善意のほうがタチが悪い。

「最初に会った時はヘタれだったけど、それなりに成長している。誰の入れ知恵かは知らんけど」

「だからこそ、陛下には人として生き終わってほしい」

 一見すると優しそうではある渋谷であったが真剣な願いでもあった。

 この先の未来なんて見えない。

 ただ、ファリルの力が人ならざるものである以上、その力を使い続ければ人ではなくなってしまうことを三人は確信していた。

「そういえば、陛下は代行殿に何をさせようとしているのですか?」

 

 重傷者はタンクベットに入れられてはナノマシンの力で無理やりに治療され、怪我が回復すると戦場に向かうことになる。このためベットを使う負傷者は、タンクベットを使うまでもない軽傷者か、順番待ちの患者、もしくはその何れかではない者に分けられる。

 

 闇の中、眠れそうで眠れない、かと言って起き上がることもできない中、意識だけが身体から切り離されたけれど沈むことも飛ぶこともできず、水の中に浮いているような感覚の中で、彼は何故生きているのかと考えていた。

 もう、助からないことだけはわかっている。

 最後に覚えているのは猛火の中に飲み込まれたということだけ。

 さっきまで感じていた強烈な痛みが、凪ぎのように唐突に消えた。

 生まれてこの方、いいことなんてなかったような気がする。

 小中高と幼年期から無難な代わりに心をときめくような出会いをすることまで青年期までを過ごし、学校を卒業したはいいものの就職先が無くて軍隊へ。そうしたら首相からは犯罪者集団のように扱われ、降って沸いたようなクドネルの襲撃に右往左往したあげく、とうとう命運が尽きた。

 ならば、なぜ、自分は生きているのだろう。

 いいかげん消えてもいいのに。

 この世界に未練を持っているのに疑いをもった矢先、顔面に熱量を持った液体がガーゼに覆われた顔面に零れ落ちたのを感じた。

「ボールズ一…等兵、貴方の…頑張り…のおかげで…我が軍は助かり……ました」

 聞いたことがある。この春風のようにさわやかで心地よい声。

「シュナ…ードラの国民を代表して……ファリル・ディス・シュナードラが貴方にお礼…を言いたい……ありがとうございました……」

 今までも強烈だったのに、それが前戯であったといわんばかりに熱のこもった液体が台風となって降り注ぐ。

 ……よかった。

 彼は生きている理由を見つけられた。

 彼女のために生きてきたのだと。

 彼女を護るために生きてきたのだけど。

 路傍の小石のような自分であったと思っていたけれど、それでも意味はあった。

「しなないでください…ボールスさん」

 塵のように世界に溶け、最初から存在しなかったかのように消えていくけれど彼女を守れたのだ。それでいい。

 だから、


「ボールス……」

 肩を強く揉まれたあげくにツボを刺激されて、ファリルは我に帰る。

「智機さん」

「彼は死んだ」

 声音も表情も智機にしてはひどくやさしい。

「………」

 ファリルに対しては苛烈なぐらいに茶々や突っ込みを入れてくる智機であるが、病床に横たわっていた負傷兵に戦闘時でも見せないような真剣さと敬意を持って敬礼した様子に、その彼がたった今、旅立っていった現実をファリルも認識する。

「彼は幸せだったのでしょうか?」

「幸せだった。ほら、顔が笑っているだろ」

 彼の顔面はそのほとんどが包帯に覆われていて、口と鼻しか露出していない。表情なんて分からないのに智機は断言する。

 根拠があるようには見えないが、今は智機がそう思うのだからそうだと思うしかない。ここにいるシュナードラの将兵とは比べ物にならないほどの場数を潜り抜けているのだから。

「彼は何を言おうとしていたんですか?」

 その言葉は声に残らず空に消えていったが、智機が言い当てる。


「姫様に泣いてほしくなかったんだ」

「……泣くなって言われても無理ですよ」

 言っている傍からファリルの涙腺が活動する。

 守りたかったものを守れた喜びと、その守りたい人がいまで幸せであってほしい祈りと想い。

 命をかけてくれて守ってくれた人への感謝と想い、そして永遠に失った悲しみが交錯する。

「この国を守ってくれた人たちに感謝したいんだろ?」

「はい」

「なら次、行くぞ」

 こうして、ファリルにはキツい時間が始まった。


 彼たち、彼女たちは

 年齢も人種も性別も様々で、

 ただ致命傷を受けたことだけが共通していた。

 無反応な者、かろうじて喋れた者、

 行く者、行かない者など反応も様々であったが、ある事だけは共通していた。


 これまでの戦闘で致命傷を負った者たちへの見舞いを終えたところで、ファリルは病棟連の待合室で一息ついた。

「……つかれました……」

「よくやった」

 死者を見送るのは想像以上に重労働だった。それだけに智機も優しい。

「でも、なぜ負傷者の見舞いなんてやろうと思った?」

「痛いですけど、みんなに死ねと命令するよりは痛くありません」

 指揮官の役割は、勝利のために部下に最適な行動を取らせること。それが勝つための唯一の手段であるのであれば死ねと命令しなければならない。本来なら自身が行うべき仕事を他人に投げているのだから、まともな良識を持った人間には隕石が落ちてくるような重圧になる。

「智機さんはどうだったんですか?」

「どうって?」

 智機はファリルの問いについて考える。

 部下を死に追いやるような命令を下すことに葛藤はあったのか、あるとするならどのようにして克服したのか聞きたいのだろう。

「言っとくけど、あまり参考にならないと思うぞ」

「智機さんは外道、だからですか?」

「姫様にしては言うようになったじゃないか」

「いたいですいたいです」

 智機は笑顔でファリルの頭に拳を押し付ける。

「でも、智機さんだって最初から外道だった訳ではないんですよね」

 智機は外道だ。だからといって生まれ落ちた時から外道だったわけではない。善人も悪人も最初からそのように生まれ落ちてきたわけではない。

「まあ、慣れだな」

 人間というのは便利なもので、どんなに嫌な仕事であっても数をこなせば慣れていく。死体の処理といった汚い仕事、あるいは処刑仕事、民間人の虐殺であっても最初はぎこちなかったものが手際よくこなせるようになる。良心も麻痺していく。

「慣れたんですか?」

「別に好きでやっているわけではない。みんなが勝つため、生きることにやっている事なんだから割り切れた。こういうのは下す側ではなく、下された側の方が楽だというのはファリルも分かるだろ」

「…はい」

 戦闘の終盤、うんたんメネスに乗ろうとしたのは指示をするよりも、乗って戦ったほうが気分としては楽だったからだ。道具に感情なんかいらない。ただ目の前の責務をこなしていればいい。

 ファリルは死ななくもいいが、その代わりに苦しまねばならない。人を死なせた責任を背負って生きなければならない。死ぬというのは当人からすれば楽なのだ。罪など責任など、そんな重たいものに煩わせることなく済む。

 でも、智機が言うように他人を死なせることに慣れてしまうのだろう。最初は抱いていた罪悪感も溶けて消えていってしまうのだろう。

 そうなってしまえば、ファリルという存在はどのような物になってしまうのだろう。

「でも、姫様は慣れないよ」

 意外だった。

「……どうしてなんですか?」

 智機から否定されるとは思いもよらなかった。

「言っただろ。オレは血も涙もない外道だって。だから、平気で人のいる大都市に衛星も落とせるし、勝つためなら

死ねと命令できる。でも、姫様は違う。多少は慣れるかも知れないが罪悪感は消えないだろう。姫様は中途半端だから」

「中途半端?」

「姫様は自分の行いを全て正義だと肯定できる善人でもないければ、オレみたいな悪人でみない。善人とも悪人ともいえない中途半場だからこそ、苦しむんだ」

 ファリルは今までの人生を振り返ってみて、目的のためなら躊躇いもなく人殺しができるほどの悪党ではないと自信を持っていえるが、かといって完全な善人だと確信することもできない。単純に凡人なのだ。

「だからこそ、ファリルのお見舞いは悪くはないと思う。あいつらの人生に意味を与えてやったんだから」

「意味…ですか?」

「大抵の人間は生きている意味を探しているし、見つけられないことに絶望しながら死んでいくものだ。そんなのなんてどうでもいいのに」

 言われてみればファリルも考えたことはある。

 幸いというべきかファリルは公国の象徴として生まれてきたのだから、そこまで深く悩まずに済んだとはいえ、もしも、ファリルが一般庶民の子として生まれてきたと仮定したら生きている意味を見いだせずに絶望していたのかもしれない。

「…だから、あの方は笑っていたのですね」

「可愛い女の子に看取られるのは最高だろ」

 ファリルは最初に見舞って事切れた兵士の顔を思い出す。

 つい先ほどのことだったのに、物凄い遠い昔のようなことのように思われるのだが、智機が言うように彼は笑いながら死んでいったような気がする。

 むしろ、見送るファリルのことを心配していた。

「こんな私でもできることがあるとすれば、この国のために頑張ってきた人を出迎える「おかえり」って言ってあげる。それぐらいだと思ったんです。問題…ないですよね」

「それといいと思いますよ。姫様」

 そこで口を挟んだのはマリアだった。

「ありがとうございます。マリアちゃん」

「ご苦労」

「……ずいぶんエラそうですね。智機さん」

 実はマリアは2人に随行していたのだが、今まで目だ立ったなかったのは撮影役に徹していたからである。

「西河さんとシュアードさんはお見舞いにいけますか?」

「シュアードは無理だ」

 智機の即答にファリルは暗くなる。

「シュアードは絶賛修理中だから。手遅れだったら真っ先に看取りに行っているから奴は心配しなくてもいい」

「…大丈夫なんでしょうか?」

 今までの説明からするとシュアードは人間と挽肉の見分けがつかない惨状になっているようだった。

「大丈夫だ。いや、大丈夫にさせる」

「智機さんってほんと外道ですね」

 再起不能かも知れない人間を無理やり戦場に復帰させるという智機の言い草には、高熱を出しても出勤させるブラック企業の上司味が感じられてファリルは眉をしかめた。

「西河さんは?」

「西河さんは軽傷ですが、あの方は戦前から精神面に問題を抱えていましたから、陛下がお会いになられたところで双方とも不快に思われるかもしれません。いかがなされますか?」


 西河の病室に訪れると待っていたのは硬く張りつめていた空気がだった。

「………」

 病室に訪れたファリルを半身起こして見つめている西河の眼差しは冷たい。拒否をされないだけマシだとはいえ責めているようでファリルとしては辛い。

 西河の事情はある程度把握している。

 しかし、西河の心理を覗き見たようなものなので、隠していたことを他人の口から暴露させられるのはいい気はしない。いや、喧嘩になる。

 刺すような沈黙に絶えられなくて、ファリルは突っ込みやすいところから話かけることにした。

「西河さん。その頭は」

 数cm単位で髪を刈り揃えた坊主頭だったが、その僅かに残った髪さえもなくなって完全な坊主頭、まだ青白い頭皮を晒している。

「抜けた」

「…抜けた?」

「ドリフトの影響。医者がいうには二度と生えない」

 その直後、西河に戸惑いがうまれる。

「…なぜ泣く」

 一瞬でファリルの目から涙が溢れ出していた。

「ごめんなさい。私が戦わせたから」

「私が戦ったのは私の意思。この頭はその選択の結果だからしかたがない。ハゲになった代償でみんなを守られたから、それでいい」

「ごめんなさい」

 それでもファリルの涙は止まらない。

「私は私たちは…この国を守るはずだったのに守れなかった。みんなを傷つけた、西河さんに苦しい想いをさせた。私たちがしっかりしていたらみんな平和で幸せだった。それを壊しちゃってごめんなさい」

「ひめさ……」

「だから、ありがとう」

 西河の言葉をファリルが止めた。

「こんな頭になってまで頑張ってきてくれたことにありがとう。みんなを守ってくれてありがとう。それに……死なないで生きてかえってくれて、ほんとにほんとにありがとうございました」

 感謝されたのはいつのことなのだろう。

 故郷を焼かれ家族を失い、逃げ出してきたシュナードラからも逃げ出し軍に志願したまでの間、西河の胸中にあったのは怒り。誰かを憎んでいて、それしかなかった。それ以外の感情を喪失していた。

 戦いの鬼であった西河に生きていてくれてありがとうと、感謝してくれた人がいた。

 それがきっかけで西河の目の前に様々なものが蘇る。

 怒りと憎しみによって塗りつぶされていたもの、消されていた感情が。

「……西河さん?」

 今度はファリルが戸惑う。

 さっきまで無表情で冷たい眼差しをしていた西河の瞼が零れていた。

 僅かに零れていた涙はほんの数秒で怒涛となり、嗚咽も加わって激しいものになる。

 そんな西河にしてあげれることは子供も分かるほどに明白だった。


「あいつも救われたのかな。いや、救われたか」

 ファリルと西河の鳴き声を智機とマリアが病室の外で聞いていた。

「智機さんに言いたいことがあります」

「なんだ?」

「自身を外道を自任するのであれば、酒量は控えたほうがいいですよ」

 人が酒を飲むのは日々の生活で生まれたストレスを発散させたいからである。客観的に見れば智機の日常というのは胃が破壊されるほどにストレスだらけだといえる。

「性格悪いな。マリアは」

「智機さんほどではありませんから」

 可愛い顔と柔らかい物腰なのに、いう事はキツい。

「あと、姫様は中途半端ではありません」

「分かっているよ。お人よしな善人だということは」

 善人にも二種類ある。

 一つは自分の行いが正義と信じて疑わないタイプ、もう一つは悪人でも優しく接せずにはいられないお人よしタイプである。智機としては使いたくなかったから中途半端と言ったわけで。

 為政者としてはともかく、この戦争が終わってもファリルは今のままのお人よしでいて欲しいところなのだが、この先、何があるのかは分からない。ただ、智機としてはファリルが被らなくてはいけない泥は代わりに自分が被ってやりたかった。

 これまでのように。

「でも、あいつのやっていることは残酷なことになるな」

 ファリルが死ぬ寸前の軍人に感謝を伝える、これ自体は美談だといえる。しかし、結果としてシュナードラの軍人たちは国のために死ぬことを躊躇わなくなる。ファリルの意思に反して。

「代行殿としては望ましいことではありませんか?」

「それもそうだが…オレも少し甘くなったな」

 補給が一番重要ではあるものの、志気の高さも勝敗に影響するのでファリルの行いは間違いではない。指揮官としては歓迎すべきことなのだろう。

 マリアが意味ありげに咳払いをした。

「商談の続きをしませんか?」

「商談? シュナードラとレオニスとは締結されたばかりだが」

「代行殿だけの文言はお忘れですか?」

「あれか」

 シュナードラとレオニスの契約内容はプロジェクターと各人のタブレットに提示されていたが、実は智機のだけで追加の文言があった。

"御給智機氏には次の要求をかなえられたし"

「この際だから済ませましょう」

「いいのか?」

 智機たちがいる場所は人通りが少ないとはいえ、一通りが皆無というわけではない。

「クルタ語とカマラ語、どちらがお得意ですか?」

 マリアは言葉を切り替えた。

 両方の言語もシュナードラで話者は皆無といってもいい。両方の言語に通じる話者が通りかかるという万が一がない限り、秘密は守られるだろう。

「ほんと、おまえって性格悪いな」

「作戦のためなら衛星を落とせる外道ではありませんから」

 前置きしたところでマリアは言った。

「レオニスグループ総帥風祭世羅様からの伝言です。御給智機は事が済んだら、ただちに出頭するように。以上です」

「なるほど」

 この時の智機は人がいいとはいえない。戦場に挑むかのように激烈だった。

「レオニスがわざわざをオレに味方にしてくれるのが意外だったんだが疑問が溶けた。手ずからにオレを殺したいからか」

「智機さんに敵意があるなら、こんなに手をこんだ事はしません。智機さんは夫を敵に回して勝てる自信があるのですか?」

 智機を始末したいのであれば、渋谷艦隊がクドネルにつけばいい話である。この時は珍しいことにマリアが智機個人に対して憤慨している様子であった。

「智機さんは会長に対する責任があるのですから、いつかは果たさなければダメです」

「そうだな。あの時は離れなければダメだったけれど時間も経っているから、今がちょうどいいかもな。で、事が済んだらというのは、この戦争が終わった後のこと?」

「いえ。智機さんが夏に通じる扉を見つけ出せたら、とのことです」

「なんだよ、それ」

 文学的な表現だということは分かるが解釈の余地がありすぎる。

 ただ、シュナードラの戦争が終わったとしても余裕があることだけはわかった。

「了解した」

「ほんと、智機さんってロクでなしですね」

「いつものことだろ」

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