第2話 Born to be free
恒星が水平線の下に姿を消し、空が闇色へと変わる頃、戦艦ロストックではEFの収納に追われていた。
出撃した時とは逆になる形で、EFが滑走路に着艦。戦艦から放たれるガイドビームがEFをキャッチする。
ガイドビームを受けたEFは風向きや艦の速度など計算して自動的に速度を調整。後はライダーが手を放しても、お菓子を食べても自動的にゆっくりと速度を落としながら滑走路へと誘導してくれる。
グラスコクピットのディスプレイの表示されている数値の数々が0になったと同時にEFの脚がガイドウェイを捉えて着地。ガイドウェイはEFごと戦艦内へと運び入れる。
ガイドウェイが停止すると数分の冷却作業の後に、ようやくライダーが外に出られる態勢になるが、それでも出てこれるライダーは少なかった。
数分経っても出てこないので、見るに見かねた整備員がタラップを使ってコクピットに寄るとカバーを開けて非常用開閉スイッチを押した。
ボルトが爆砕される音ともにコクピットハッチが開けられる。
「おい。大丈夫か、しっかりしろ」
反応しないのも道理でライダーは気を失っていた。呼びかけにも応じないので整備員数人が気絶したライダーをコクピットから引っ張り上げる。
ドリフトという物理学すら無視した行動を行う代償としてライダーは心身ともに消耗する。今回の戦闘はシュナードラのライダー達にとっては今まで体験した事がなかった激しい戦い故に、ドリフトも連発し過ぎて結果、格納庫に収まる頃にはほとんどのライダーが気絶していた。
でも、帰ってこれただけでも幸運というべきなのだろう。
戦闘自体は終わったが整備員たちにとってはその後が本番。騎体の収納と整備を迅速に行わなくてはならなかった。戦艦ロストックと3隻の巡洋艦に乗せられたEFだけが、シュナードラ公国軍の全兵力なのだから。
しかし、喧噪を極める格納庫内でもそのEFが納められた一角だけは周囲から切り離されたように静まり返っていた。
二人の整備員が静寂の元である騎体を見上げていた。
溶接されていたコクピットハッチをバーナーで焼き切って開けた痕が手術痕のように生々しい。
全身に施された分厚い装甲はレーザーの擦過痕だらけで触れば崩れ落ちそうなほどにまで壊れていた。ここまでくればいちいち直すよりも交換した方が早いと即決できるレベルである。
いずれにせよ、ロストックに戻ってきたEFの中でもぶっちぎりに損傷がひどい騎体で、それがこの騎体が体験してきた戦いの激しさを物語っていた。
「どう見ても廃棄……ですよね」
若い整備員が40過ぎの油染みがしみこんだ作業着がよく似合うベテランの整備員に向かって言った。
見た目には直すよりも使える部品ははがして、後は廃棄したほうが早い。若い整備員が言うことももっともなのだけど、ベテランの整備員は渋い表情を浮かべた。
「でも、あの代行殿が一応は見ろというからな」
「どう見ても使い物になるとは思えないんですけど」
EFというよりは、もはやガラクタ。
「ま、代行殿の言い分もわかるけどよ」
「どこがわかるっていうんですか」
「だから、お前の目は節穴なんだよ」
ベテランの整備員は持ちこんでいたタブレットを操作すると画面にEFの画像を表示した。
角ばった分厚い装甲が印象的なシルエットはネ
メスである。ベテランの整備員はタブレットと目の前にある騎体を見比べてみた。
目の前にある巨大なガラクタは一見するとタブレットに表示されたのと共通するデザインを持っている。
しかし、よく……見なくてもいくつかの面で違いがある。
肩と脚がメネスよりも大きく盛り上がっており、バックパックの形状もより大きいものへと変化している。特に脚は他から脚を持ってきてくっつけたかのように膨らんでいる。
その整備員は楽しそうに笑った。
「まさか、うんたんを使う化け物が現れようとはな」
「うんたんってなんですか?」
ベテランの整備員は一旦は呆れはした。しかし、理解はした。その技術は星の数ほどいるライダーの中でもできるのはほんの一握りのトップだからである。斉やNEUといった大国ならともかく、とるにたらない国では目にかかることなんてありえなかった。
それら全ては戦闘だけの技術であり、平和にのんびりと過ごしていた小国には必要なかったからだ。
でも、今は違う。
「うちの代行殿はそれほどの化け物だっていうことさ」
……眠れない。
ひどく疲れているはずなのに、眠らなければいけないはずなのに意識は無意識の世界へと落ちていけず、瞼が自然に開いてしまう。
ファリルは瞼を閉じては開くを繰り返しては寝ることを諦めると起き上がり、電気をつけた。
明かりが点ると部屋の全景が広がる。
広さは30平方メートルほど。ファリルが伏しているベッドの他には執務机とソファと椅子。それにシャワースペースがあるだけの簡素な作りで公王を迎えるのには役不足ではあるが、この船は客船ではなく軍艦である。個室が与えられるだけでも贅沢であり、戦艦ロストックにこれ以上の広さがある居室はない。
おそらく艦長室なのだろう。
布団に染みついた匂いが気になって、どうしてもファリルは寝ることができず、結局は起きることにした。
だからといって、ファリルには特にする事がない。
とりあえず戦闘は終わったのだろう。機械の作動音がかすかに響くだけで基本的に静かといってもいい。
ファリルは今の自分に何ができるのか考え、すぐに何もないことに気づく。
智機みたいに一人で何とかしてしまう戦闘力もなければ、妹分のマリアほどに頭がいいという訳でもない。あくまでも普通に暮らしていた少女だった。
智機だったら何を言ってくれるのだろう。
いや、既に言っていたような気がするのだけどファリルは思い出せなかった。
いずれにせよ、ここで一人で悩んでいても答えが出るわけでもなく前には進めない。
早い話、退屈でもある寂しくもあるのでファリルは立ち上がると部屋から出たのだった。
天井を見れば軍艦らしく配管が剥き出しになっている廊下を歩いて、ファリルは隣の部屋のドアの前に立つ。
そこは智機の部屋。
ファリルはドアをノックするが小さくて軽い音は軍艦自体が放つ騒音に飲み込まれてしまったようでしばらく待っても反応はなかった。
もちろん、ドアの傍には押しボタンがあり、そこを押せばチャイムが鳴り、智機が起きて相手してくれるだろう。
ファリルは公王なのだから智機をどんな内容で呼び出しても問題ない。たとえくだらない用件であったとしても。
でも、ファリルは押すのを止める。
智機はロストックに至るまで戦い続けてきた。
ファリルというハンデを背負いながらEFを強奪し、雲霞のごとく大量にいる敵軍に単騎で特攻、攻撃的回避という脳が焼かれるほどの高等技術を駆使して無数の敵を撃破。敵旗艦を撃破して敵中突破という常人では不可能なことをやってのけたのだ。一人で。
ファリルは何もしていない。
ドリフトの連発で衰弱死をしていないのは流石ではあるがいくら智機といえど疲労は避けられない。特にロストックに入る直前の戦闘ではファリルでもわかるように消耗していた。
ガルブレズについたら激務が待っているのが確実である以上、心細いというファリルのわがままで智機の休息を邪魔するわけにはいかなかった。
ひとつわかったことがある。
ファリルが強くなければならないということ。
智機みたいに卓越した技術を身に付けるということではない。ありとあらゆる困難が押し寄せてきても怯むことなく立ち向かえる心の強さがほしかった。心の強さは凡人でも手にいれられるものであり、公王という立場にいるからにはファリルは強くなければならなかった。
だから、強くなろう。
智機は数々の少しでもタイミングがずれたら地獄に落ちるプレッシャーに押しつぶされそうになりながらも跳ね除けてきたから。ファリルだったら気が狂いそうになるそれを智機は涼しい顔で乗り切ってきた。
智機ほどの胆力はないとはいえ、その領域には近づけるとは思う。
いや、近づかなければならない。
ファリルは智機の部屋から離れると宛もなく艦内をさまよい始める。
当然のことながら軍人ではない人間が軍艦内に立ち入れる機会なんて滅多にないので見るもの聞くものが新鮮でファリルの心も浮き立った。
そんな中、あるドアの存在のひとつが眼についた。
「食堂」と書かれたドア。
食堂というからにはお水も飲めるだろうし、小腹も満たすこともできるだろうと思うとファリルは何の考えなしにドアの前に立ってはセンサーに手をかざしてドアを開けたのだった。
その瞬間、好奇心によって浮ついた気分はぶっ飛んだ。
食堂のカウンターは一斉にシャッターが下ろされてその役目を放棄していた。けれど、人々が全ての椅子に座りきれなくて床に腰をつけるなどスペースというスペースが埋め尽くされていた。
小さな子供もいれば、頭が白かったりし禿げ上がったりしている老人もいて老若男女、着ている服も統一が取れていないが一応に死ぬほど疲れきった顔をしているという点は胃が痛くなるほどに共通していた。
ファリルは大量の一般人が軍艦の中に収容されるている理由を悟った。というより理解できなかったら白痴だろう。
彼らは避難民。クドネルの侵攻から命からがら逃げてきて、この戦艦によってすくわれた人々である。
彼らに漂う絶望しきった空気と死んだような眼に脚が凍るが何とか震え立たせて解凍すると回れ右して食堂から出て行こうとした。
ところが機先を制するかのように声が飛んだ。
「こいつ、姫様だぞ」
公家への尊崇なんてないトゲトゲしい声にファリルの足が釘付けにされ、あっという間に若い男4人に取り囲まれてしまう。
「こらっ、逃げんなよっっ」
「わかってるのか。オレ達が家失ったのは全部てめーのせいなんだぞ」
「オレ達の人生を滅茶苦茶にしやがって、どう責任とってくれるんだよっっっ!!」
「す、すいませんっっ」
ファリルは一瞬で追い込まれてしまい機械のように謝るしかなかったが酒が入った連中が素直に許してくれるわけがない。
「ごめんで済んだら警察なんていらねーんだよっっっ!!」
「ひぃっ」
「てめぇがいくら謝っても、オレ達の家や家族が帰ってこないんだぞっっ」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「だから、責任の取りようがないって何度言えばわかるんだよ。このバカ女」
「すみませんすみません」
「ごめんなさいとすみませんしかいえねーのかよっっ このバカ女はっっ」
嘲笑がわき起こる。
心ない罵倒を一心に浴びてファリルは立ちすくむ。智機もきついことを言うが考えていてはくれた。けれど、この男たちにはただファリルをだしにしてウサを晴らすことしか考えていない。けれど、ファリルには言い返すことはできない。ファリルは公家の人間であり、この国の破滅に対して責任を取らなくてはいけないのだから。
「せめてさ、オレ達のウサでも晴らさせてくれないかな」
「……ど、どういうことでしょうか」
嫌な予感がするが逃げられない。盗むように回りを見ても周りの人々は見てみぬフリするだけで助けてなんてくれない。
「気が済むまでぶん殴らせてくれないかな」
「お前ってとことん暴力的だな」
仲間から哄笑がわきおこる。
「この場合は思うままにやらせてくれというべきだろ」
「それもそうか」
男の一人がファリルの細い手首を掴むと耳元でささやいた。
「やらせてくれるんだろ」
「それは……」
「てめぇがこの国を滅ぼしたんだろ。哀れなオレたちに身を捧げるしか責任の取りようがないんだよ」
ファリルの目にうっすらと涙がにじむ。
そう、ファリルが全て悪いのだ。
ファリルがしっかりしていれば戦争にならずに済んだ。戦争で町や建物が破壊され、たくさんの人々が生活基盤を破壊されて路頭に迷い、かけがえのない人を失って身を引き裂かれるような悲しみを受けることもなかった。
だから、罪悪に対する責任をしっかりとろう……そう決意した矢先、男が不意に手を放した。
正確には離させられた。
「レイプするぐらいの能がないから、家も家族も失うハメになるんだよ」
男の手首を見た目とは裏腹に強い力で握りしめて解放した相手を見て、ファリルの表情が喜色に染まった。
智機は慣れた手つきで男とファリルの間に割って入るとファリルをカバーするように立ちふさがる。小さい背中はとても頼もしかったが、ファリルは不安になる。危機が去ったわけでもなくましては智機はやる気だったからだ。
「なんだてめぇ」
「そいつがやる気になっているんだから手前の出る幕はねえんだよ。恋を邪魔する奴は馬に蹴られて死ねってな」
男は仲間たちと一緒に嘲笑するが智機は平然としている。
「因縁つけて強姦するバカが、恋なんてつかうなよ」
「強姦だって!?」
男は智機をにらみ付け勢いと怒声で智機を脅しにかかる。
「こいつのせいでオレ達は家と家族を失った。何されても文句はいえねーんだよっっ ボケっっ」
関わったのが撤退直前だとはいえ、シュナードラの防衛に責任を持つ組織に所属しているのだから責任を問われるのは免れない。だからこそ、ファリルは何も言い返せずに屈するしかなかった。例え相手に否があっても言い返せない気の弱さがあったことを割り引いてもだ。
「こいつのせい?」
智機は男達を冷ややかに笑い飛ばす。
口元に浮かぶ肉食獣のような危険で楽しそうな笑みが浮かぶのを見て不安が増幅する。
「いや、貴様が家を失ったのも家族を失ったのも全ては貴様のせいだ。恨むなら貴様の愚かさを恨め」
空気が凍り付く。
ファリルも凍り付く。
戦火に巻き込まれ、平穏な日々と家族を奪われ、明日が見えない恐怖と不安に悩まされる人々に対してあんまりにも無慈悲すぎる言葉だった。強姦された相手に、強姦の責任を押しつけるようなものである。ファリルから見てもひどいように思われた。
「てめぇ、ふざけるんじゃねぇっっっ!!」
4人の男達が一斉に襲いかかる。
が、相手は無数のEFの動きを予測して、ギリギリの回避行動を行うことによって同士討ちで落としていったという化け物である。100人いるわけでもなく、銃を撃つわけでもなく、EFに比べたら芋虫よりも遅い。
結果として彼らの突撃やパンチの軌道を予測し、当たるか当たらない肌すれすれのところでほんの軽く身体を動かしただけでパンチは空を切り、智機に当たるはずだった仲間の突撃を食らって床に崩れ落ちることとなる。
でも、状況は全然好転しない。
智機の言葉は男だけではなく、この場にいる非難民たちに向けられたもので、当然のことながら周りの空気はヒートアップ。一つ間違えば水蒸気爆発を起こしかねないほどの危険な状況になっていた。
「女の子一人も助けられないくせに、たった一人をよってたかってリンチすることだけはできるか……ほんと、クズの集まり」
殺気だった群衆に囲まれていても平然としているのは頼もしいのだが、火に爆竹を投げ込むような真似はファリルとしてはやめてほしい。間違えなくファリルにまで影響が来るから。けれど、言って聞くような智機ではない。
「君に何が分かるというのかね」
中年の男性が殴りかからんほどの目線でにらみ付ける。
「分かるよ」
智機は涼しげに。
「カスが家を失って路頭に迷うのも、大切な何かを失って嘆き悲しむのも誰のせいでもない。カス自身の愚かさから招いたということだ」
爆弾を爆発させる。
更に空気がヒートアップする。巻き込まれたファリルは顔面が蒼白になるが事態は願いとは裏腹に悪化するばかりである。
「名を言いたまえ」
「人に名を聞く前に貴様から名乗れと……と言いたいところだけど自分で何も考えないカスの名前なんか知りたくもない」
「なんだとっ……」
中年の男性は殴りかかろうとするが、智機のダイモンドです真っ二つにするような冷たくて切れ味鋭い眼差しに沈黙させられてしまう。
考える能もない奴とは言い過ぎだけど平凡に日々を送ってきた男性に比べて、智機はEF100機と戦艦数隻の軍勢に涼しい顔で突っ込んでいった化け物である。男性と智機には戦術で埋めることのできない絶望的な差が存在していた。
この男は化け物。普通ではない。
100騎を越える軍勢に単騎で突っ込むなんて常人なら行うどころか思考するはずもない。例え考えても生存本能が脚を止める。にも関わらず、不意にボールペンが必要となって近所の商店で買い物に出かけるような気安さで殴り込みをかける神経は狂っている。生存本能とか恐怖を感じる感覚が麻痺しているとしか思えない。
そして、恐ろしいのは生き残っているという事。思考だけではなく100騎以上の大群に突っ込んでも生き残れる能力を持ち合わせているということだろう。
場は智機への殺気に満ちているが爆発しないのは氷の塊のように冷たい眼差しで威圧しているに他ならない。
仮に彼らが暴発したとしても智機は何事も無く生き残れるだろう。彼らはEFではなくただの一般市民だからである。比べたら動きが芋虫よりも遅い彼らの動きを読むのは非常に簡単だ。そして、勝利するのだろう。
ファリルも生き残るだろう。あの時と同じように。
でも、気分はあまり良くないというよりも悪い。
住み慣れた家や世界を失い、ただ戦艦に乗せられて訳の分からないところに行く先の見えない不安。
母親や子、愛した恋人たちを失った悲しみ。
それらの全てがバカな自分にある言われたら誰だって激怒する。ファリルだって怒る。溜まりに溜まった行き場のない怒りとストレスがガスのように充満しているのも理解できる。男たちがファリルに因縁をつけにきたのもそういったものなのだろう。
何故、智機は彼らに喧嘩を売っているのだろうか。
常軌を逸しているがバカではない。単騎で100騎以上の陣営に乗り込んだ時も無謀なように見えて智機なりの計算があった。だからこそ、ファリルも生きている。今回もストレスを晴らしたいとか電波に命じられたというのではなく、智機なりの考えがあって敢えて挑発していると考えたほうが自然だろう。
ファリルが命じれば智機は挑発行為をやめるだろう。けれど、智機の真意を確かめてからでも遅くはない。
決して、智機が怖いから黙っているというわけではない。理由も聞かずに一方的に押しつけるのはよくない。ただ、それだけなのだ。
「一応、名乗っておいてやるけどオレは御給智機。姫様付きの騎士だ」
「騎士だとぉ?」
智機が名乗ると空気が沸き立った。
「てめぇが悪いんじゃないんかよ。人のせいにするんじゃないよ」
「戦いに負けたおめーが悪いんじゃないか」
「騎士殿の活躍でオレ達は家族を失ったんだぞ。わかってんのか、こらぁっっ!!」
「こういう時のために飼っておいたのにこの役立たず、税金泥棒っっ!!」
「おまえらが負けたのが一番悪いんだろ。人のせいにするなっっっ!!」
何かが違うとファリルは思った。
「パパ、ママを返せ!! このバカっっ!!」
智機が責められるいわれはない。
騎士団に加入したのがつい数時間前。首都攻防戦の最終段階においてなのでそれ以前の事象についての責任はない。もちろん、それより以前に智機が加入していれば無残な敗北を喫することもなかったと思うがそれは無いものねだりというものであり、シュナードラが智機を有効活用できたかどうか疑わしい。
ファリルはそこまでは気づきはしたものの、騎士という理由で何故、そこまで智機が責められなくてはいけないのか疑問だった。
「無理言ってるんじゃねーぞ」
まさに吐き捨てるという口調。
ファリルはとっさに身構えた。
「NEUがいれば戦争すら起きなかったんだけど」
智機が見た目とは裏腹に、浴びただけで死にそうなほどの眼光で周囲を威圧する。
が、群衆を黙らせたのは眼光だけではない。
「諸君らが家を失い、家族を失い、明日がどうなるか分からない不安に怯える原因。何故、シュナードラがクドネルの侵攻を受けて首都を落とされた理由は極めて簡単だ。兵力が足りなかったからだ」
「それでも勝つ……」
ブーイングを殺意を込めた視線で智機はストップさせる。ファリルの見立てでは本気ではないものの怒っているように見えた。
「「それでも勝つのが騎士だ」ってか。気合いだけで勝てれば苦労はしない」
想いを物理的な力に変えるドリフトがあるおかげで気合いさえあれば性能や技術を凌駕できるが、根性万能論を唱える奴に限って、敵もドリフトを使うことを忘れている。性能や技術のみならず魂でさえも凌駕されているのであれば、勝てるはずがない。
戦局を一人でひっくり返せそうな智機に言われても説得力がなく、量よりも質が重要視されるEFではあるが、数を揃えること。揃えた数を最高のタイミングで送り込むことの重要性は今も昔も変わらない。ましてや、智機がいなければ軍隊の体をなしていないシュナードラに質を期待するのは間違っているを通過しておこがましい。
「無理だと思うから無理なんだ。途中で諦めるお前達が悪い。鼻血を出そうがブッ倒れようがお前らは全力で全力で戦い続けるべきだったんだっっっ!!だから、てめえらのせいなんだ。最後まで頑張れば勝てたはずなのに、諦めた弱虫のせいだっっっ!!」
ファリルでもこれはないと思った。
「何を笑っているっっっ」
嘲りを隠そうともしない智機に男はコメカミに血管を浮き出させながら怒鳴りつける。
「そりゃ笑いたくもなるさ。あんたの脳味噌のめでたさ加減に」
「無能に笑われたくないっっっ」
「なら、あんたが有能だって証明してくれないかな」
男は反論しようとしたが、智機に流し目でにらみ付けられてあっさりと沈黙させる。
「あんたが言いたいことをまとめると途中で諦めるからダメなんだ。最後まで全力で戦えば勝てたはず……じゃあ、今から戦ってきてくんない?」
表情は笑っているが殺意の籠もった眼差しで智機は男を脅しにかかる。
「EFを用意させるから、それに乗ってクドネルの連中を皆殺しにしてくれよ♪」
笑いながらも拒否を許さない智機の態度に男は蒼白となる。
「…私にそんなことが出来ると……」
「無理だと諦めるからできないんだろ? 全力で死ぬ気でやればこの戦争にも勝てるといったのはあんたなんだろ。できないはずなんてないよな。頑張れなんでもできるって、そういったのはあんたなんだから」
迫力があるというのもあるのだけど、男の使った理論でカウンターされているのだから反論できるばずがない。結局のところ、物事には限界というものがあり、精神論で限界値を上げることは可能だが、限界を超えたことはできない。
戦争において軍と軍が戦う戦闘が何かと重要視されがちではあるが、実は物量を揃えて、何処に投入するかという前提条件を造り上げることのほうが重要なのである。
いずれにせよ、自分に出来ないことを他人に強制するのは卑怯だった。
智機はそんな男に目をくれずに説明を始めた。
「兵力が足りなかった原因はNEUとの安全保障条約を破棄してNEUの駐留軍を撤兵させた事。撤兵した駐留軍の補填をしなかった、この二点。NEUが今まで通りにいたらクドネルは侵攻しなかった」
智機が言い終わると静寂がやってくる。
そうだった。
シュナードラは過去の経緯から星団を代表する強国の一つであるNEU(新ヨーロッパ連合)と安全保障条約を結んでおり、シュナードラ本土にNEUの軍隊が駐留していた。数ヶ月前までは。
もし、駐留軍がいたのなら戦争にはならず、人々が家と家族を失い、宛もなく追われることもなかった。
「何故、安保を解約してNEUの軍隊を撤兵させたのか。答えは駐留軍への経費を社会保障費に転用させるためだ。確かに経費の節減にはなった」
駐留してもらうためには莫大な経費、つまり思いやり予算がかかる。それをなくせば経費は削減できただろう。ただし、シュナードラの民は忘れていた。
何故、NEUがシュナードラに居た理由を。
「それがどうした?」
「そんなこと言っているようではバカだ。もっとも最初からこの場にいる連中全てがバカだけど」
そんなにバカと言ってほしくない。
智機には分からないかも知れないが、彼らはファリルの同胞である。同胞をけなされると身を切られるように痛い。バカというからにはそれなりの論拠があるからとはいえ。
「国家の防衛よりも目先の経費削減を優先したのは時の首相がそのように決定したからだ。駐留軍を撤兵させたのに関わらず防衛予算を増やさなかった……高くついたよなあ」
確かに減ったことは減ったが、クドネルの侵攻から今に至るまでの被害額に比べればほんの僅か、1セント2セント程度の取るに足らないものでしかない。おもいっきりバカにされているが、結果として目先の利益に目を奪われて大事なものを失っているのだから、嘲られても仕方がない。
「さて、ここで始めて諸君らの責任問題になる」
場が一気に静まり帰る。
ようやく本題にきたのだから、ファリルは固唾を飲んで見守った。
場の空気が殺気立っているのに智機は空気を無視したかのように平然としている。涼しげに群衆を嘲り笑っていた。
……こういう態度だった。最初の戦闘の時は。
会話に集中しているにも関わらず、敵騎を落としていった。
智機はニヤっと意地悪く口元を歪めると言った。「駐留軍の撤兵の意味を知らず、補填も行いせず、結果として国を失った無能を首相を選んだのは何処のどいつだ?」
冷ややかに笑う眼差しが周囲を睥睨するが声はない。
「軍隊をなくせば平和になる。無防備であれば誰にも襲われない。武器を自ら率先して捨てれば世界はきっと平和になるといった頭の中がお花畑のカスに天下をとらせたのは何処の誰なんだ?」
……誰も答えられなかった。
ファリルは智機の真意をようやく理解した。
シュナードラは立憲君主制である。
公国ではあるが公王以下の公族は象徴、つまりお飾りであり、実際には国民が選挙で議員を選び、最大勢力の党首が首相となって政治を運営としていくという方法を採っている。
国の舵取りをするのは議員であり、その議員を選ぶのは国民1人1人の票である。
選挙でまともな政治家を首相に選んでいたら、経費削減でNEUの駐留軍を撤兵させることなく、従ってクドネルの侵略される隙を与えることもなかった。
しかし、現実に侵攻を受け、首都すらも陥落した。
答えは簡単で、不景気で借金も出来ず、かといって税金も上げられない社会情勢の中で軍隊の大切さを知らない阿呆が政権を握ってしまったからで、その阿呆を王にしたには………つまるところ、シュナードラの民の選択。
家が焼けたのも、優しい父母や目に入れても痛くない子、自分よりも大切な彼女が目の前でなすすべもなく焼かれたり、EFに踏みつぶされたりするのも、そして、先の見えない明日に怯えるのも全ては票を投じた国民の誤った判断の帰結なのである。
シュナードラは民主主義を標榜しており、国民は主権者で最終責任者なのだから、その意味では智機の言うように全てを失ったのも騎士団でも誰もでもない自分たちのせいなのだ。
かけがえ無いの人を死なせた、いや、殺したのも自分たちのせいなのだ。
それだけに彼らは沈黙してしまう。
「それがどう……」
「サルは黙ってろ」
「猿って貴様は」
「話が理解できないんだろ」
優しい笑みが怖い。
「理解したくないのをごまかすのに「それがどうした」なんて使うな」
事ここに至ってもなお開き直るのは理解できないというよりも認めたくないだけなのだろう。何もかも失ってしまったのが誰のせいでもなく、自分たちである事に。智機が殺意の籠もる一にらみで黙らせるとどうしたらいいのか分からない重苦しい沈黙が続く。
「オレ達はあの女に騙されたんだ」
男の1人が言った。
「あの女に入れれば無駄が削減されて税金が安くなる。消費税も上がることがない。景気も上がってみんな幸せになれるんだって、そう言ってたからオレ達はあの女にいれたんだ」
「騙される奴が悪い」
戦闘時と同じように容赦がない。
「騙される奴が悪いって、あんまりな言い方じゃないの」
「てめぇには血も涙もないのか」
「先の首相は無能だった。無能な事ぐらい選挙始まる前に調べれば分かる事だった。資料と言動を分析すれば税金を減らすという主張に根拠がまるでないことが見えていた。でも、貴様らは首相の政策が実行可能か調べることせず、ただマスゴミの宣伝に乗せられるままに首相を当選させた。何度も言うけれど、その結果がこの様だ」
智機の言葉が一言一言、この場に集まった人々の心をえぐっていく。
智機がシュナードラの国情を調べあげていることにファリルは驚いていた。智機はつい数時間前にシュナードラに降下した異星人である。にも関わらずシュナードラの政治について的確な指摘をしている。シュナードラの星系に入る以前にマリアから聞くなり自力で情報収集するして学習してきたということなのだろう。
異星人の智機でも指摘することができたのだから、シュナードラの国民が前首相の政策に無理がある事がわかったはずである。
にも関わらず、掲げた政策が実行可能なのかどうか調べようとも知ることもせず、ただマスゴミの宣伝に乗っかって政権は握らせていない人に政権を握らせてしまった。
確かに智機の言うとおりだとファリルは思う。
でも、何かが違うとも思う。
けれど、感覚の部分で違うといっているだけであって何が違うか明確な形することができていない。曖昧模糊なままでは智機に反論しようとしても無慈悲に叩き潰されるのがオチである。
「……国王が悪いんだ」
かすれたような呟きは怒声混じりの大合唱となる。
「やっぱりてめえらが悪いんだろうが」
「国王が首相を止めなかったのが悪いんだ」
「そうだ、そうだ国王が無能だからオレたちが苦しんでいるんだろうが」
「王が悪いっっ!! 公家が悪いっっ!!」
「この能なしの人殺しっっ!!」
公家を罵倒する人々の声にファリルは怯え、悲しみと罪悪感が胃にこみ上げてきては胃壁を破りそうで気分が悪くなった。
シュナードラには公王がいる。
公王は国の象徴であり、象徴でしかないのであるが、非常時には責任を取らなくてはいけない。何故なら名目だろうが何だろうがこの国の王だからである。しかも、選挙で選ばれた実質的な最高指導者である首相がいないのだから、全ての責任がファリルの小さな肩にのし掛る。
その重たさに早くも身体ごと壊れそうになる。
責任があろうとなかろうとも国王になったからには亡国の咎を一身に背負わなくてはいけない。
だから、責任を取らなくてはいけない。
民衆達によって殴られたり、輪姦されたり、殺されたりしても受け入れなくてはいけないのだ。
身体が震えている。
それはどんなに恐ろしいことでも、嫌なことでも、痛いことでも。
そっと肩に手を当てられる。
それだけで、智機の手の温かさが伝わっただけでファリルは落ち着いた。
ファリルは1人ではない。
「……いい加減にしとけよ。この能無しども」
言葉はそれほど大きくなかったが、それだけで場は静まった。
怖かった。
身体こそ小さいが、EFを放り込んだようなものである。無力な人々はなすすべもなく蹂躙されるしかない。智機の身から発散されてる迫力が周囲を封じていた。
「人の話はちゃんと聞きなさいと父ちゃん母ちゃんから教わらなかったのか」
瞳には軽蔑。
「いや、都合の悪いことだけは聞こえない、おめでたい脳味噌をしているんだろうな」
口元は侮蔑。
「王がいようがいまいが、貴様らには選挙権というものがあって最高指導者を決める権利をもっている以上は貴様らの責任が消えることはない。貴様らの最大の罪は、自分がこの国の最終責任者だという知ろうとしない無知と自分は決して悪くない、この期にまで他人のせいにするその性根。権利だけを言い立てて義務と責任を負わない奴らに選挙権なんかいらないんだよ。残念だったな。斉帝の奴隷ではなくて」
星団の大勢力の一つである斉は帝政なので国民に選挙権がない代わりに国政に責任を持つということもない。皇帝の命令に従っていれば生きていられる。もちろん、生殺与奪の権も握られている牧場の肉牛だったりするのだが。
選挙権を持ったがための末路がこの様だというわけで。
「……どうすればいいんだ」
その男はどちらかといえば助けを求めるようであったが、智機の反応は激烈だった。
みんな一応に言葉を失った。
表情すらも失った。
智機はその男の襟首を掴むとそのまま片手で持ち上げていた。表情こそ変わらないが、下手に激情されるよりも恐ろしかった。
「オレはあんたじゃないし、あんたはオレじゃない」
掴まれている男もわなわな震えるだけで言葉もでない。
ファリルも言葉を失っている。
表情こそ涼しいが実は智機もキレているのではないのだろうか。あり得ない話ではない。彼らは一般市民であることをいいことに様々な暴言を浴びせていたのだから。
奮戦ぶり間近で見ていただけに、ぶち切れたら恐ろしいことになるのは予想がつく。
ファリルとしては止めるべきなのだけど、身体が動かない。声も出ない。汗が流れ落ちるのを拭うことすらできない。
殴ったらおしまいなのだけど、どうすることもできない。
けれど、智機の行動は予想の斜め上を行っていた。
手から力を抜いて、男を落としたのはいいとしても、その男の前に小さい塊のようなものも落とした。
「どうしたい?」
智機が落としたのは小型のブラスターだった。
「なら、そいつで決めろ。このどうしようもなく残酷で惨めな状況から逃げ出したかったら、それで自分の頭を貫け。それとも撃つか? ……撃ちたいんだろ」
智機が口元をゆがめて笑う。悪魔みたいに。
「憎いんだろ? 貴様らの愚かさを明るみにしたこのオレを。だったら、撃てよ」
空気が一気に凍り付いた。
ファリルには智機のことが分からない。
その過去も、好きなものも、嫌いなものも分からない。けれど、一つだけ分かることがある。
自分を撃てよとけしかける奴なんて見た事がなければ、理解もできない。
智機にも自殺願望があるのではないかと思ったのだけど、傲然という言葉をそのまま人にしてにしたような智機からはとてもではないが自殺願望があるようには見えない。
でも、何故?
今のシュナードラは智機がいるから形になっているだけであって、仮にここで智機が殺されたらクドネルは無条件降伏するしかなくなる。智機は危ない橋を渡っていることを自覚しているのだろうか?
自覚している。
分かっていてもなお死地に踏み込むのが智機であり、智機には智機なりの計算があることも分かった。
彼らには智機を撃てない。
ファリルと同じだから。
先のことを考えることもせず、だらだらと生きていていたから急に目的を見つけろなんて見つけられるわけがない。
ただ、迷うだけ。
闇の中に置き去りにされた牧場の羊たちのように
右往左往するだけでどうすることもできない。
決断するひとすらできずに、ただ流されるだけ。
「なら、死ぬか?」
智機はつまらなそうにブラスターを取り上げると銃口を男に向ける。死神が人に憑依すればこうなるという見本のような智機に男は固まってしまう。
でも、ファリルには分かる。
「な~んてな。決めてなんかやらない」
智機は強姦した後のような爽やかな笑顔でブラスターを下げた。殺気が消えて場に落ち着いた空気が流れるがファリルは複雑だった。
「諸君らの当面の安全は騎士、御給智機が保証しよう。ただし、あくまでも当面であって永続的ではない。せいぜい身の振り方でも考えろ」
智機が言い放つと一気に静まり帰る。
現実が重たすぎる上に智機に迫力で勝てる奴なんていないから何も言えないのも当然である。
去るには充分、いや、むしろ去るほうがこの場にとってはいい事なのだろう。
合図とばかりに肩を叩かれたが、それと同時に思いもかけがない言葉が飛び込んできた。
「なにをいってるんだい」
言葉がした方向に視線を向けると、車椅子に座った太めの老婆だった。周りの人が驚きの目で見ており、車椅子を引いている孫娘とおぼしき少女が居たたまれなさそうな表情をしている。
その少女の気持ちがファリルには分かったような気がする。
せっかく落としどころを見つけたというのに爆弾落としているのだから空気読めよと言いたくなるし、智機にしても邪気たっぷりな笑顔で引くつもりはまったくない。
これ以上のトラブルはごめんこうむりたくないのにと思いつつ、事態は最悪な方向に向かっていく……かと思われた。
「あんたたちだよ。騎士様と姫様にじゃないよっっ」
が、展開は予想外のところに向かっていく。
老婆の怒りが智機ではなく自分たちに向かっていることに一瞬、殺気が涌くが智機の迫力の前にボコボコにされただけに静まり帰る。
「姫様が何をしたって? クドネルの連中を引きつけて私たちを助けてくれたんじゃないか。いいかい。姫様が頑張ってくれなかったら、私たちは死んでいたんだよ。バチ当たりなこと言うんでないよっっ!!」
老婆の一言にファリルは血の気が引いて、その次に目頭が熱くなってきた。
周りの空気も後悔めいた雰囲気に包まれる。
王家に問題がないわけではない。彼らを生かすためにファリルは戦ってきた。ファリルとしては戦ったのは智機であって自分はただついてきただけと力説したいところなのだけど、ファリルが前線にいたということは事実であり、囮になったからこそたくさんの人たちが救われたのも事実である。
場がざわめきだすがファリルを責めるものではない。ファリルを責めるものを責めるものへと変わっていた。
「姫さま、ありがとうございます。おかげで私たちは助かりました」
「いえ、そんな。当然のことです」
褒められることを期待していたわけではない。
流石に責められたくはなかったけれど、ファリルとしては無我夢中で国民のことなんて全く考えていなかった。
褒められることを期待していたわけではないから、純粋にありがとうと言われるのは嬉しい。それだけに全部、自分の力でやったことではないので後ろめたさを覚えてしまう。
智機ならどう対応するのだろう。
案の定というか、智機も素知らぬ顔をしている。オレには何も関係ないよ、と言いたげに。
「姫様が頑張ってくれているのは私がよく知っているよ。姫様は姫様らしく頑張っておくれよ。私も影ながら応援するからさ」
「はい、ありがとうございます」
「文句は気にしなくていいからね。言う奴は私が懲らしめてあげるから」
「だ、だいじょうぶです」
非難する代わりに「姫様万歳」なんていう言葉も飛んできたから現金なものである。
「そこの騎士様も姫様を助けてくれてありがとうね」
老婆にお礼を言われても智機の態度に変化はなさそうに見える。
「いえ、騎士として当たり前のことをしたまでですから」
「それでも一国民としてお礼を言わせてもらうよ。こんなことしかできないんだけど、これからも姫様のため、頑張ってね」
「当然のことです」
智機は相変わらずのポーカーフェイス。
いや、本当にそうなのだろうかとファリルは思った。
口ではうまく説明できないけれど、何かが違うような気がした。
けれど、背中を軽くさすられて退出の合図だと悟るとファリルは動き出す。
「はい」
智機が人混みをかき分け、ファリルがその後を続いていく。
智機がさんざん脅したのと老婆の言葉もあって何ともいえない空気を浴びながらもすんなりと外に出ることができて、ようやくファリルは一息ついた。
……つくなり全身から力が抜けてしゃがみ込みそうになった。辛うじて支えることに成功。壁によりかかるとゆっくりと膝の筋肉を伸ばして立ち上がる。
「どうした?」
「……疲れちゃいました」
この船についてから色々なことがあった。
食堂に入ったら入ったでレイプされそうになって、その後で智機が助けに入ったのはいいのだけれど、智機の対応であわや暴動が起きかける雰囲気となって、群衆もろとも智機に威圧された。
最後が一番怖かった。
そのプレッシャーからも解放されて、ようやく落ち着ける状態になってきた。
「あ、ありがとうございました」
智機が介入していなかったら悲惨なことになっていただけにまずは礼を言った。
「騎士だからさ」
智機の態度は素っ気ない。恐らくはこれくらいは当然だと思っているのだろう。騎士といっても意味は色々だがシュナードラの騎士は要人の警護も兼ねているので当たり前な話ではある。仮にファリルが強姦されようとしたら大変な失態になっていただろう。
それでも、ファリルの表情は暗い。
「…身体はいかがですか?」
「流石に疲れは残っているけど問題ない。戦える」
信じられなかった。
「戦える……んですか?」
「この状況なら、それで充分だろ」
智機が言うようにあくまでも自然体。
強がっているようには全然見えない。
あれだけ激しい戦闘をやらかしたにも関わらず、戦闘できるという智機が信じられなかった。
危惧するはクドネルの襲撃。
智機の活躍と最後の総攻撃でクドネル艦隊もかなりの被害を被った。クドネルの方も戦力の立て直しを図るほうが先で襲撃どころの騒ぎではないとは頭は分かっていても、どうしても不安になる。
噂のレッズはともかく通常のEF相手なら、何騎いようとも智機がいれば問題ないとはわかっていても。
智機が怖いのかもしれない。
……さっきの市民たちとのやりとりを思い出す。
確かに智機は正しい。
完膚無きまでに正しい。
でも、智機の言葉はあんまりも酷すぎる言葉のように思えた。親兄弟が死んだにも関わらず、自業自得だと言っているのである。理屈は正しいのかも知れないのだけど、街を破壊したのも愛する家族を奪ったのもクドネルである。責任はあるのかも知れないが、同時に被害者でもある。少しぐらい、本来はいたわれるべきなのに。
「……納得いかないという顔してる」
心の声を読まれてファリルは口ごもる。引っ込み思案でしかも智機相手なのだから、言いたいこともいえない。
「キツかったとは思う」
なら、何故言ったのかと聞きたい所ではあるが、ファリルよりも早く智機が口を開いた。
「でも、誰かが言わなければいけないことだった」 そういうものなのかと疑問に思うところであったが、智機が追撃を入れてきた。
「ここで自覚させないと同じ失敗を2度3度も繰り返すから。でないと死んでいった奴らに申し訳が立たない」
ファリルは言い返せなかった。
智機の言っていることは全くの正論で、付けいる余地がまったくなかった。
母親に叱られているような気分になってしまう。
言い返したいけれど、相手の言い分が正しいことが分かっているから感情論をぶつける気はなれなかった。
不快ではあるけれど、はね除けるにはきっちりと論拠を構成しなければならない。思ってはいるけれど形にできない今のままでは子供のワガママでしかない。
子供のワガママでは勝てない。
何故なら、智機は不快すぎる現実と向き合い続けてきたのだから。押し潰しにきた現実に勝ってみせた智機に、現実を直視できない子供が勝てるわけがない。
何処が智機と違うのだろう。
歳もそんなに離れていないというのに。
「ファリルも大変だな。ゴミみたいな国民ばっかりで」
笑われているのか慰められているのか分からない言葉を掛けられて、ファリルはいっそう複雑になる。
賞賛が欲しかったわけでもない。
慰めの言葉を期待していたわけでもない。
でも、待っていたのは想像以上に過酷な現実だった。
ファリルを責める眼差しと疲れ切った表情が、だいぶ時を経っても針のようにファリルの心を痛めつける。
考えてみれば、責められることを覚悟するべきだったのに。
智機はそんな彼らを自業自得と切り捨てられるのだけど、ファリルは智機のようにばっさりと思い切ることができずに悩んでいる。
苦しんでいるのも責めているのにも、ファリルたちが愛してならない国民たちなのだから。
それだけに辛い。
ファリルを責める国民たちはお世辞にも美しいとは言えなかった。むしろ、自分たちの責任を忘れて他人に全てを被せても恥じることのない態度は醜悪以外の何物ではなかった。
ファリルの知っている国民はそんな汚い人々ではなかった。そうではないはずだった。
にも関わらずさっき体験した現実が妄想の世界に入ることを拒絶する。
何がいけなかったのだろう。
何を間違えていたのだろう。
何故、愛するシュナードラの人々はそのような人を思いやれない人々になってしまったというのだろう。
「……人間なんてそんなものさ」
智機があっさりと答えを出す。
「目の前のことしか見えていないし、先のことなんて考えない。自分さえよければ他人なんかどうでもよくて、悪いことがあったら……悪いことしても何でもかんでも他人のせいにして被害者面をする。そんな奴らでこの世界は成り立っているのさ」
人間はそんなものだとフォローしているつもりなのだろうけれど、ファリルとしてはあまり嬉しくない。
でも、人間とはそんなに自分勝手な生き物なのだろうか。
人とはもっと優しい生き物ではなかったのだろうか。
少なくても、亡き父親と母親とはファリルに対して優しかったし愛情を持って接してくれた。
だから、必ずしも自分勝手ではないと反論したいところなのだけど、現実を目の当たりにしてきたばかりである。
智機に論戦で勝つ自信なんてあるはずがない。
「ここにいる奴らは幸せすぎたんだ」
それについては同意せざる終えない。
当たり前だと思っていたものが、実は当たり前ではなかった。どうでもよく流していた日々のありがたさというものを骨の髄まで思い知らされている。
「オレだってそうだし」
「智機さんがですか?」
智機はその世界のことが見えるただ1人だと思っていただけに意外だった。
「前にもいったと思ったけれど、オレは正義の味方ではないよ。シュナードラの民が何万人死のうがそんなのはどうでもいい。ここでの戦いがこれからのキャリアにプラスになるから戦っているだけだ」
「キャリアにプラス?」
「どこをどう見ても詰んでいる戦局をひっくり返すことが出来ればオレの名前は大いに上がる。そうすれば次の戦場ではオレを高く雇ってくれる。それだけだ」
「そんなことで……それだけで戦っているんですか?」
「同じことを何度も言わせるな」
わかっていたとはいえ、改めて念を押されるとショックだった。
英雄だと信じて疑わなかった存在が実は人間のクズだと思い知らされるのに似ている。
これもまた現実。
人というのは見返りがあって動くものであり、損をするにも関わらず動く奇特な人間などいない。
ファリルも人のことをとやかく言えるほど高邁な人物ではない。目で見える範囲でのことしか頭になくて世界なんて見ていなかったのはファリルも同じである。
ファリルは改めて智機を見てみる。
そこにいるのは何処にでもいるような扶桑系の少年であり、あくまでもファリルよりも年上なやんちゃさを感じさせる少年でしかない。
何百騎を単騎で圧倒した化け物のようには見えないが、その強さはファリルが身をもって体感させられている。
どこをどうしたら、こんな化け物が出来上がるりだろう。
そう年も離れていないというのに。
だとしたら歩んできたルートによるものなのだろう。
考えて見れば14でライダーをやっているのはおかしい。ライダーの養成課程に入るのは大抵の国では18を過ぎてからであり、一線に立てるようになるまで少なくても2年はかかる。
けれど、目の前にいる智機はライダー。しかも、ルーキーではない、百戦錬磨の風格すら漂わせているライダーだ。
智機が天才だからといっても普通の家庭に生まれて、普通に育ったのであればこうはいかない。
智機の年頃であるならば中学校に通い、テストの点数とお小遣いの無さにぼやきながらも友達や家族に囲まれた脳天気な生活を送っているはずだ。
つい、こないだまでのファリルのように。
でも、智機はライダーである。
EFに乗って、精神力を削りながら戦場を跋扈し、その手を大量の血で染めてきた戦士。
だとするならば智機は普通に育ってこなかった。
人並みの幸せを引き替えに、過酷な経験を積み重ねることによって化物になった。
だいたい智機だって、ファリルの境遇をうらやましがっていた。つまりはそういうことなのだろう。
「どうした?」
あまりにも見つめすぎたせいで気にされてしまう。
「いえ、なんでもないです」
「そういう時に限って、実は何でもあったりするんだけど」
図星なので声が出ない。
智機の過去を聞くのは怖いような気がしたので、別なことを聞いてみることにする。
「智機さんは人が嫌いなんですか?」
「なんでそんなことを?」
「なんとなくですけれど……」
智機の人間観を聞いてみたいと思ったのは、この戦争を生き抜くためにも重要なことだと感じたからである。なんとなくであるが。
「どうでもいい」
「どうでもいいって……」
人類を嫌っているように見えたから意外だった。
「好きでもなければ嫌いでもない、かな。付け加えるなら人類皆平等に価値がない」
「価値がないんですか?」
「姫様もオレも平等に。分かりづらいのなら懇切丁寧に教えてあげてもいいんだけど、ヒス起こすから言わない」
「……私がヒス?」
「オレは外道なんだ。報酬は愚か感謝すらないのに助ける気にはなれない。それだけ」
感謝といったところで引っかかった。
最悪な食堂での時間だったけれど、最後に救いがあった。
車椅子に座った老婆が助けてくれてありがとうとファリルのみならず智機に感謝してくれた。
「智機さんは感謝されて嬉しくはないんですか?」
「感謝されて不機嫌になるほどの変態ではないけどね」
ファリルは勢いこむが次の一言によって封じられてしまう。
「でも、感謝でお腹はふくれない」
それこそ、現実というものにぶん殴られたようなものだった。
感謝される事は嬉しいことではあるけれど、だからといって空腹が満たされることとはまた、別である。それでいいという人もいるかも知れないのだが、智機はそういうタイプの人間ではない。
「本当に感謝しているのなら、言葉だけではないものをくれるだろ。口先だけじゃ感謝じゃない。てめぇの都合通りに他者が動いてくれて喜んでいるだけだ」
ファリルとしてはそうではないと思いたいのだけど、
「姫様は飢えることの怖さを理解していないんだよ」
「智機さんは体験した事があるんですか」
「いっぱいね」
「いっぱい……ですか」
智機は相変わらず笑顔だったけれど、その眼差しは遠く、額面通りには受け取れなかった。
体験した苦労というのがひしひしと伝わってくるような気がする。
タイプは違うけれど、父親に似ているような気がした。
「考えて見れば、姫様にとっても他人事ではなくなったんだっけ」
「……ですよね」
現状を思い出すとファリルは打ちのめされる。
生きながらはしたものの状況はいいとはいえない。死刑執行が延期されただけで、無罪放免になったわけではない。
軍艦の中に大量の難民を詰め込んでいるのだから数日も過ぎれば食料も何もなくて飢えることになる。それこそ、智機の言うように他人事ではない。
遠い世界の事象で現実味がなかったものが、刃となって喉元に突きつけられている。
自分1人だけでシュナードラの民を餓えから救え、なんて命令されたら気が狂う。自信も方策も何もないのだから最悪の結果しか想像できないわけで。
悩んでも狂っても突きつけられた現実は変わらないわけで、ぶっ壊すしか道はない。
幸いなことにファリルは1人ではない。幸か不幸か飢えたことがある人間がいるのは心強いかも知れない。
「智機さんには何か策があるんですか?」
過酷な現実を前にして共に悩んでくれる頼もしい味方がいる。
「オレの策というより、姫様の侍女の策」
「マリアちゃんが?」
「あの詐欺師が姫様を救い出したらガルブレズに行けって指示出したんだ」
ガルブレズには何があるというのだろう。
あそこは何の資源もない群島で、根拠地を作るには持ってこいなのかも知れないのだが、1から作るほどの資材はあるのだろうか。
あったとしても補給の問題は解決されるのだろうか。
最新鋭の兵器と優秀な将卒を揃えたとしてもエネルギーが無ければ意味がない。弾丸が無ければ銃も撃てず、食料がなければ戦えない。EFなら気合いだけでも動かすことぐらいはできるが、それで勝てるのはシュナードラの中では智機だけ。智機がいくら強いといっても1人で勝てるほど甘くはない。
「……大丈夫なんでしょうか?」
「大丈夫じゃね」
智機はあっけらかんとしていた。
あまりの楽観ぶりに不安になる。
けれど、智機には智機なりの根拠があるらしい。
「あの詐欺師の事だから、何かしらの策があって指示出したんだろうと思う。先は先のこととして当面は落ち着ける」
「マリアちゃんを信頼しているんですね」
詐欺師と言っているが、なんやかんやといいつつ従っているのだから認めているということなのだろう。
「ファリルはあいつを過小評価している」
「わたしが過小評価ですか?」
マリアとは幼い頃から実の姉妹のように育った仲で過小評価した覚えなんてなかった。
「可愛い幼子が何の計画や報酬も無しに頼みごとをしてきても断っていた。でも、オレは来ている。この意味が分かるだろ」
智機の人間像を全て掴んでいるというわけではないが、見返りもなしに動く人間ではないという事はさんざん思い知らされている。つまり、智機の琴線に触れるものをマリアが用意できたということ。
いくらファリルでも智機ほどの凄腕を雇うとしたら莫大な金額が必要となる事ぐらいはわかる。今のシュナードラの予算では払えないだろう。
……にも関わらず智機は来た。
「その様子だと、あいつの凄さが分かってきたよう
だな」
見返りが無ければ動かない相手を動かした。
どんな魔法を使ったのかは分からないが情ではなく、国家予算級の代物をちゃんと用意できた。
それは明らかに小学生以下の子供できる真似ではない。
「攻撃的回避とかうんたんが使える奴だけが化け物だと思うな。ドリフトは使えないけれど、あいつも化け物なんだ」
化け物である智機が化け物というのだから、マリアも化け物なのだろう。
でも、マリアはファリル付きの侍女という存在であって、それ以下でも無ければそれ以上でもないという役割に閉じ込めてしまう事になる。侍女という枠に収まる存在ではないのに。
だから、智機は過小評価という言葉を使った。
マリアの事をただの妹としか見ていなかったから。年の割には自分よりも頭が回る子だと思ってはいたけれど、それの持つ意味に気づいていなかったから。
「ったく、ガルブレズにオレの求めるものがあるから頑張ってるというのに無かったら後でぶっ殺してやる」
この時ばかりは普通の14歳の少年らしく見える。
「そんなことは言わないでください」
「出来もしない約束をして騙した報いは受けてもらはないと」
しかし、智機は配管が複雑に這い回っている天井を見上げた。
「でも、あの詐欺師をぶち殺すためには、さしあたって宇宙にでないとなあ」
天井を隔てた向こう側にある空、そして、その先に広がる宇宙。
当然の事ながら制空権をクドネルに支配されているので逃げ出すにしても防空網を突破しない事には始まらない。いくら智機といえどこの星の大気圏を突破するのは大変なことなのである。
「その時は私を殺して投降しようとは思わないのですか?」
「しないよ」
信じられなかった。
「そんなに驚くような事か」
「智機さんは自分で外道と仰られていたではありませんか」
シュナードラの人々が何万人死んでもどうでもいい。面白いから戦うとのたまった人間を外道ではないとしたら、何を外道と呼んだらいいのだろう。
「裏切るしか能がない、無能だと思われるのは心外だ」
「ご、ごめんなさい」
「裏切るつもりなら、ファリルの望み通りに殺してるって」
「……そうですよね」
出会った時のやりとりを思い出すと苦笑してしまう。
泣きながら殺してくれと頼んだのに殺してくれなくて、巻き添えを食らう形でEFに乗せられ、絶望的な戦闘を潜り抜けて今に至っている。数時間前の出来事なのに、遠い昔のように思えてくるから不思議だった。
そう、あの時の事も。
「だいじょうぶ」
父親と母親の顔がフラッシュバックは視界の全てを埋め尽くそうとしたが全身を包み込むぬくもりがすぐに消してくれた。
智機が抱きしめてくれたのである。
「す、すみません……」
痛みも恐怖も、もう感じない
温もりと彼らしくない優しい声が揺れて壊れそうな心を落ち着かせてくれる。
その暖かさに何時までも浸っていたいと思うのだけど、ファリルは離れた。
「すみません」
「いや、謝ることではないだろ。両親が死んだところを見たんだろ。しょうがないさ」
「でも、私は強くならなくちゃいけないんです……私は公王なんですから」
ファリルは公王なのである。
公王であるからには何よりも強くならなければならない。
「気負ってるんじゃねーぞ」
智機の手がファリルの頭を撫でる。
「ファリルのくせになまいきだ」
「ファリルの癖に生意気って何ですか……」
仮にも公王と続けようとして止まってしまう。
「そうですよね。生意気ですよね」
「どうして、いちいち沈没すっかね」
「ごめんなゃはいごめんにゃはい」
両頬を引っ張られて遊ばれてしまう。
「先は長いんだからそんなに気張るな。マラソンを短距離のペースで走ってもすぐにブッ倒れるだけだぞ」
「それはそうですけど」
頭では理解できるのだけど、身体が走ってしまう。
せめて、この人にだけはと一分一秒がもどかしい。
「心配するな。環境がハードだから生きてるだけでも成長できる」
「そういうものなのでしょうか?」
「そういうもんさ。嫌というぐらいに」
「悪人面で慰めないでください」
「悪い。性分なんで」
「ったく、ひどいですよ」
こんなに厳しい状況ではあるけれど、ファリルも笑えるようになってきた。一秒先の未来すら見えないのだけど、これはこれでいいのだろう。
「ところで、ディバインさんたちは?」
「あいつらなら無事。そうでないと困る」
「良かったです」
語尾をあくびが彩った。
ついでによろけたので寸前のところで智機はファリルを支える。
「だいじょうぶ……な訳はないか」
「大丈夫です。安心したらちょっと眠たくなってきました」
力なくファリルは笑う。
「でも、起きないと……」
「ファリルが起きていても寝ていてもクドネルが消えないから」
「ひどいで……な、何をするんですか?」
ファリルの小さい身体を抱え上げてお姫様抱っこすると予想通りにファリルの顔が紅潮して、上がったばかりの魚のように慌てる。
「何って、普通に抱っこだけど」
「抱っこって恥ずかしくないんですか……」
「ぜんぜん。つべこべ言わずにとっとと眠れ。ガルブレズについたらやる事がいっぱい待っているんだから、休める時に休まないと」
「でも、頑張らないと……」
本人はそれでも頑張るつもりだったのだが、開いていた瞼が激しく開閉を繰り広げ、しばらくすると両腕にかかる過重が増すの同時に緩慢に、閉じている時間のほうが長くなり、やがては完全に閉じられた。
戦艦が動くことによってもたられされる様々な雑音の中に、少女の安らかな寝息が混ざる。
「やれやれ」
智機は苦笑の中に優しさが混ざった笑みを浮かべると歩き出したのだった。
智機が艦橋ではなく、CICに向かったのは先の戦闘で艦橋が潰されていたからである。
CICはスクリーンとコンソールに埋め尽くされており、艦橋よりも狭苦しく、片付けられない人間の自室のように雑然としている。照明も意図的に暗く落とされており、気温も肌寒い。
CICの席はそこそこ埋まっていたが、ファリルをお姫様抱っこした智機が現れると、全員が立ち上がり、敬礼で出迎えた。
「姫様の席を作ってくれ」
「……艦長室では不満なのですか?」
「1人では寂しくて寝られないようだ」
「了解しました」
空いた席にファリルを座らせると、智機は艦長に向かって話しかけた。
「艦長。時間がありましたら姫様の相手、お願いできませんか?」
「私で……よろしいんですか?」
その艦長とは、膝下まで全身を覆うように伸ばした亜麻色の髪と巨乳が印象的な、軍人というよりは女子大生にしか見えない女性だった。
気を抜くとはきちれんばかりに大きい胸に目線がいっていまう。
セシリア・ハイネン。
元は艦長付の副官であったが、シュナードラ攻防戦で艦橋が潰されて艦長以下のスタッフが全滅したが、たまたま場を離れていたので難を逃れ、その直後に副長が心臓発作で倒れたところ、一部の推挙によって艦長代行になってしまった人である。
「艦長をやっているよりも、両親を亡くした女の子の話し相手をやっている方が似合っていると思いまして」
「そう言われるのもなんだか複雑ですね。私もそう思いますし」
実際に艦長をするよりも話し相手をしている方が似合うだけにセシリアは苦笑を浮かべる。
「わかりました。でも、姫様の相手なら代行殿のほうが勤まるのではないのでしょうか?」
「どうだろう? オレは人殺しだから」
智機の両手は鮮血にどっぷりと染まっている。
「マローダー、だからですか?」
見るからに癒し系で小春日和の日差しのようにほんわりとした雰囲気を持つ彼女だけど、頭はそれほど悪くはない。
「マローダーを目の当たりにして、どう思いました?」
セシリアは考えこんでしまう。殺人者に対して抱く感想は一つしかないのだけど、そんなのが上司であり、見た目同様に人がいい彼女は智機に気をつかってストレートには言えないのだろう。
「……ちょっと信じられないかも。こんなに可愛いのに凄腕の傭兵さんなんて」
無難といったところだろうか。
実際、何処にでもいそうな14歳の少年といった外見と持っている技術と歩んできた経歴の整合性が全くといっていいほどとれていない。三流小説で良く見られるような現実性がなくて矛盾だらけの設定が、服を着て歩いているのが御給智機だった。
「私は代行殿はいい人だと思うんだけど」
「オレがやってきたことは知っていますよね」
智機のコードネームを持ち出してきたということは、智機の経歴を知っているということに他ならない。
「善悪はおいておいて、代行殿は私たちの国には必要な人だと思うの」
「俺個人の都合で回りに迷惑をかけているとも言えますけどね。素直にクドネルの奴隷になっておけば楽なのでは?」
シュナードラが降伏すれば、この戦争は終わる。
戦わなくても済むし、殺す罪も殺される恐怖を味わうこともない。智機のやっている事は本来ならば体験する必要もない苦難を智機個人の欲望のために、無数の人々に背負わせているともいえる。
「それは違うと思うの。確かに降伏してしまえば助かるかも知れない。でも、その後はどうなるの? そこに明るい明日なんてあるの?」
ただし、その代償として自分自身を失うことになる。生きることは愚か自殺することさえも許されず、家畜としての明日を生きるしかなくなる。家畜としての人生を送ってでも楽な道を選ぶか、たとえ死ぬかも知れない厳しい道のりであったとしても自由を求めて戦うのかは、人それぞれだろう。
「私はそんなの嫌だし、それに代行殿には借りがある」
「借り?」
「代行殿と姫様が頑張ってくれなかったら、私たちは死んでいた。夢を見ることさえもできなかった。だから、振り回されてもいいかなーと思うんだよねー。そうでしょうー、みんなーっっ」
セシリアが声を張り上げるとCICに詰めているスタッフから賛同の歓声が沸き上がる。寝ている奴がいるのにと智機は思ったが、ファリルは爆睡モードに入ったらしくて目覚める気配はない。
艦長と副長がほぼ同時に離脱して、指揮官不在の危機に陥ったロストックの艦長にセシリアが選ばれたのは彼女が艦長を凌ぐ人望を持っていたからに他ならない。
「みなさん、よろしくお願いします」
CICに詰めている全員の好意に智機は謝意を示した。戦争はライダーだけでやるものではない。ブリッジに詰めている要員や整備班、食堂のコックでさえも同じように戦っているのである。
智機の一礼に答えてブリッジから同意の歓声が沸き上がる。
「ただし、言いたいことは言うし、やらせたいことは殺してでもやらせるので覚悟するように」
ブーイングが来るのもこの艦と智機ならではだろう。
実際、シュナードラ軍の練度は最低レベルだった。
シュナードラが崩壊した原因は半分は現実無視の政策を採ったことであるが、半分は軍がダメだったからである。戦うことで糧を得ているのであれば智機も彼らもプロといえるのだが、智機としてはこいつらの同類とは思われたくなかった。軍隊ごっこをしているようにしか見えない連中と。
でも、智機はそんな彼らを面白おかしく見ていられるのではなく、彼らを使いこなさなくてはいけない立場にある。
援軍のあてがない事もないとはいえ、当面は彼らだけで持ちこたえなくてはならない。質の無さを補う量もなければ時間もないという無理ゲーとしか思えない状況であるが、出来ないから無理ではなく、出来なくてもやるしかない状況には智機は慣れている。幸か不幸か。
「現在、使える騎体は?」
「クーガー1騎可動状態にあります」
「まあまあ、だな」
「代行が確保したメネスですが、残念ながら修理不可能だそうです」
治ったら儲け物程度しか思っていただけにダメージはない。
問題なのは。
「残存戦力は?」
「戦艦ロストック、巡洋艦リューゲン、ヒッデンゼー、ウーゼドムです。各艦とも小破以上の損傷を受けています」
「EFは?」
「ロストック収納が47騎、リューゲンが2騎、後はそれぞれ1騎ずつで計51騎になりますね」
「撤退時における喪失騎、およびライダーは?」
「撤退時に3騎喪失、およびライダーが1人、ドリフトエンドで亡くなりました」
「…足りないな」
戦死者を悼むどころかバカにするとは言わないでも、死んだことを責めるような智機の態度によって、CICに不穏な空気が流れる。
「これまでならともかく、あの状況では全員が生き残るのが普通だ」
「生き残るのが普通…ですか?」
「そうだ。第1は姫様を助けるということで士気が最高潮に盛り上がっていたこと。第2はオレが敵の指揮系統を潰したおかげで相手がバラバラになっていたということだ」
特に後者はクドネルに雇用された傭兵団が、雇用主であるクドネル艦隊を智機によって撃破された事によって統一された行動が不可能になっていた。いくら数があっても統制が取れなければ無意味なので、智機としては行けると思ったのだけどシュナードラ軍の練度の低さは想定よりもひどかった。
とはいっても悔やんでも仕方がないことなので、過去は過去の事して割り切るしかない。死者のことすら忘れるぐらいに問題が山積みだった。
「現在、稼働可能な騎体は?」
「電池が4騎。それ以外は3騎です。ガルブレズ到着予定時刻には6騎が稼働可能な見込みです。ですが、全艦の資材で稼働可能なのは3分の1程度。あとの3分の1は修理不可能です」
つまり、使える騎体は大甘に見積もって20騎前後といったところになる。厳しいというよりは過酷だけれど、予測の範囲内でもあった。
「人生ハードモード。そっちの方が面白いか」
「ハードではなくて修羅か地獄。それで楽しめる奴なんて少ないですよ」
男性のオペレーターがツッコミを入れる。ゲームをするのなら大半の人間はイージーモード。場合によってはチートを入れてくるだろう。特典がつくからハードモード以上を選択するわけであって、時間を費やしてまで解けない不快感を味わいたくないという人間の方が大半である。
「人事評価書類は?」
「代行殿のアカウントに既に送信しております」
「そっか」
「ガルブレズは何があるんですか?」
智機でさえ、ガルブレズに何があるのか分からないのだから、艦長以下のスタッフが不安になるのも無理もない。
「まず、ガルブレズの土地所有者は?」
「その事についてですが、調べてみました」
オペレーターが端末を操作して、ブラウザをいくつか立ち上げる。その一つに初老で小太りだが眼光の鋭い男性の写真があった。
「まず、ガルブレズの土地全てがジャコモ・ザンティ氏によって買い占められています」
「どんな人物だ?」
「近衛騎士団に所属した経歴を持つ実業家です」
「実業家ねえ……職種は?」
「不動産と建設業です」
「完璧なまでにパターンだ」
「パターンですね」
真っ当な実業家として見るには悪相すぎる。偏見なのかも知れないがどう見てもギャングの親分にしか見えない。実直さよりもふてぶてしさの方が強い。
「多分、開発を始めたのは1年前?」
「よく分かりましたね。代行殿」
「サリバン政権になったのが、1年前だと思ったんだけど」
自ら軍備を捨てれば平和になると言い放って同盟を解消した結果、惨劇を招いた張本人の事を無理矢理思い出させられて、CICに詰めている人員のほとんどが犬のウンコを踏んだような表情になる。
「偶然ではない、代行殿は言いたいの?」
「どうなんだろう」
偶然の一致というには不自然さはあるけれど、かといって判断するには不確定要素が多すぎる。
しかし、基本的にはどうでもいい事である。
ぐだぐだと悩んでいるよりも行けばいいだけの話だからだ。行ったら行ったでそのザンティ一党が刃向かうようであれば叩き潰せばいい。負けが決まった戦況をひっくり返そうとする事に比べれば遙かに簡単だ。
本当にバカなことをやっている。
このシュナードラの戦いはクドネルの勝利が確定している。智機のやろうとしていることは悪あがきにしか過ぎない。勝ち目がないイコール採算の取れない仕事を請け負うのはただのバカだ。
……1年もあれば充分か。
でも、智機のやることは悪あがきではない。この状況からでも勝つつもりであるし、回りもそのように動いている。
勝ちが確定した戦争に加わるのは儲かるのかも知れないが、それはただの作業と同じ。誰でもできる仕事だ。
「…ったく、もうちょっと楽な戦争がしたいなあ」
「その割には楽しそうですね。代行殿」
「そう見えるのであれば眼科にいったほうがいいですね」
他人から見ればセシリアのほうが正しいと思うだろう。
「オレの予想だとそのザンティグループはその1年前を境に急速に勢力を拡大しているのではないかと思う」
「代行殿の勘ですか」
「そんなところ」
「代行殿。ご機嫌のところ恐縮なのですが」
1人の男性オペレーターが、おずおずと割り込んできた。
「何かな?」
「食堂での事なのですが……言い過ぎではないのでしょうか?」
「へえ~ 君らは姫様が強姦されてもかまわないというわけか」
「いえ。そういうわけでないのですが」
食堂でのファリルが暴行されかけた一件が蒸し返されて空気が重たくなる。
「ただ、言い過ぎではないのでしょうか?」
「事実を指摘して何が悪い」
「それはそうですけど、彼らは家を失い、大切な家族を失っているんですよ」
「だから、いたいけな少女を強姦してもいいとでも? 現実から逃げてもいいとでも?」
正論過ぎる正論に彼らは言葉を失ってしまう。
すっかり静かになってしまったCICの中で、智機は言葉を続けた。
「首都を落とされ、前公王を初めとして大量の人々が殺された事について君らに責任がないとは言えない」
これらの事態を招いたのはシュナードラの軍隊が弱かったからである。智機の指摘に全員が一様に下を向いてしまう。
「でも、今回の事態は君らだけが責を負うものではなく、非現実な選択を選んだ国民全ての責任。にも関わらず、被害者面して背負うべき責任を一方に押しつける奴らに生きる価値なんてあるのか?」
声自体は落ち着いていたが、言葉が持つの意味の重さと、予想される答えの重さにこの場にいるファリルを除いた全員が頭をぶん殴られたような衝撃を受けて立ち尽くす。
智機はそっと立ち上がった。
「空いている騎体の鍵は?」
「C-103号騎になります」
EFのキーを渡されると智機は歩き出す。
「オレはこれから騎体で作業している。ガルブレズまで200キロ圏内まで迫ったらコールしてくれ。先行する」
「わかりました」
「姫様はよろしいのですか?」
智機が出るという事はファリルから離れることを意味する。セシリアの問いに智機は少年らしい苦笑を浮かべた。
「いつまでも一緒にいるのは無理だろ。物理的に」
子供とか大人を云々する前に、それこそ肉体が融合していなければ永遠に一緒にいる事は不可能だ。けれど、セシリアは続けた。
「私でも姫様のお友達になれると思う。でも、姫様が一番安心できるのは代行殿だけ。その事は忘れないでほしいの」
智機はそれには答えず、黙って消えていった。
智機が消えると重苦しい空気が消えて、ほぼ全員が一息ついた。
「……代行殿は何者なんですか?」
「怖い人なのは確か…よね」
オペレーターから問われてセシリアは苦笑してしまう。セシリアからすれば弟みたいな年代の少年なのに、その威は彼らを圧倒している。無数のEFに一騎で立ち向かいながら生き残った、しかも、それらの全ての機動を読み切るという化け物である事実がいっこうに見た目に被さってこないのだが、怖い存在である事には間違いない。
智機が投げかけた「責任があるにも関わらず、被害者面して他人を責める連中は生きていていいのか?」という問いはシュナードラを守る彼らに深く突き刺さっている。
智機みたいに遠回しに死ねとはいえないけれど、理解はできる。そして絶望する。責任がある事を分かっていなければ反省もしないし、従って変わろうともしない。何が悪かったのすら分かっていないのだから、仮にシュナードラが復興したとしてもまた同じことを繰り返すことが目に見えた。
感謝してほしいとは言わないけれど、命を賭けた結果を無意味にされたくない。
「何がいけなかったんだろう」
「ほら、やっぱり。誰が首相になっても同じというのがまずかったんじゃないのかなー」
智機の言葉を受けて、あちこちで今までのことを考える会話が交される。
「私が思うに、これだけは言えるんじゃないかなと思うの」
セシリアも会話に参加した。
「どんなことですか?」
「これは私たちだけではない、シュナードラに住む1人1人全てにとっての問題なの。だから、私たちだけでは勝てない。全ての国民が一つにまとまらなくては勝てないと思うの」
セシリアの言葉にCICの中が静まり変える。
苦笑一色に染まったといったほうがいいだろう。
「今から思えば他人事みたいでしたからね」
「あのマローダーに比べれば真剣さが足りないですよね。オレら」
政治なんて深く考えたこともなかったし、それが重要になってくるなんて思っても見なかった。
「でも、悪い子ではないと思うの」
「マローダー……なんですよね」
独り言だったはがなのに、自然に口に出してしまいセシリアの顔が赤くなる。
「それでも」
にも関わらず、セシリアの笑みは苦笑から優しいものへと変わっていた。
一騎でも多く、稼働騎体を確保すべく戦場のような喧噪と忙しさに包まれている格納庫の中に入ると、智機は指定された騎体を探す。
とはいっても整備終了だと一目で分かる騎体はほんの僅かなので、視線を軽く振っただけで指定のC-103騎が見つかる。
すぐさま指定の騎体に近づくと、今度は正規の手続きでコクピットハッチを開けてコクピットに乗り込んだ。
キーをコンソールに差し込むとブラックアウトしていた計器類全てに灯が点り、コンソールとシートを包むように広がるコクピット内壁にもEFのカメラから見た、格納庫内の全景が投影される。
BYF-003クーガー。
名前こそ大層な名前であるが、フォンセカをシュナードラ仕様に改装しただけの代物で、逃げる時に強奪したメネスとさほど違わない。ただし、智機としては量産騎で無双できるかどうかが重要だと思っている。特別騎で無双するのは誰でも…というわけではないけれど容易だから。
グラスコクピットの多目的スクリーンに騎体の情報を表示させて異常がないか、一項目も逃さず入念にチェックしていく。
システム・オールグリーン。異常無し。
ただし、今すぐ出撃というわけではない。
ハッチを締め切って外界から遮断すると智機はタブレットをケーブルでコンソールにつなげ、内壁に投影されているスクリーンに複数のウィンドウを立ち上げた。
ウィンドゥにはタブレットからのデータが映し出されている。それは艦の乗組員たちのデータで性別や身長体重、勤務内容といったパーソナルデータの他に勤務査定の内容も表示されている。
智機はデータを切り替えながら、乗組員たちのデータを脳にインプットさせていく。
「流石にあいつはいないか。そう簡単に見つかるわけないか」
……欠伸が出る。
整備員からコックまで軍の職種を一通りこなした事がある智機にとって一番面倒臭かったのは書類整理などの事務作業だった。
出来れば避けたい作業なのだが、この手の作業というのは非常に重要なのである。前線でEF駆って戦うことよりも。
まずは手駒の確認。即ち、部下となる乗組員やライダーの能力や性格を把握しなければ始まらない。質も量もまったく足りていないのだから、限られた資源を有効に回転させなければならない。
おまけに査定という要素が加わるのが面倒だった。
実はシュナードラの軍隊に階級などない。
階級をつけると非民主的になるからという理由で廃止されたそうなのだけど、民主的な軍隊なんて智機からすれば笑止としか言いようがなかった。上から下までの意見を拾って最大公約数を拾っていくという手法は戦場では全く通用しない。秒単位でめまぐるしく変わる戦況に対応できないからだ。
現実から逃げる奴に勝利はない。
否応でも自分から合わせていかなければならないのに、都合を押しつけるのは愚劣の極みというより他ない。
階級のない弊害は艦長と副長がそろって倒れた時に現れた。誰が指揮をとったらいいのか分からないという阿呆すぎることが随所に起きたからである。艦長の副官でありながら、セシリアが艦長になっているのもCICのスタッフの熱烈な支持があった事と、誰も責任を取りたがらなかったからである。
智機が囮になったとはいえ、無事に生きてこれたのだからセシリアは有能だと思う。
そんなわけで1人1人に階級を設定して、上意下達で動く組織に再編せねばならないのだが、普通の軍隊ならこんなことをする必要がないでめんどくささいことこの上なく、結局のところは査定といっても何もすることもない。
現状の役職を追認して、そこから該当する階級を割り当てるだけである。
最初のうちは律儀に行っていた智機であったが、しばらくすると集中力が切れてきた。
単調な仕事に飽きてきたのかなと思ったけれど、それは間違いで単純に眠たくなってきたらしい。
人に比べれば頑丈な智機だけれど、それでも休息は必要であり、取れる時に取るのが鉄則である。
「……流石にいるわきゃないか」
14歳程度で軍籍についている者を検索したのだが、検索結果は0件であった。当たり前である。
なのでタブレットの電源を落とすとそっと眼を閉じる。
コクピットは寝床ではないと誰かに怒られたような気がするけれど、その言いつけを破っているのは何かがあった時、タイムラグをおかずに殴れるからに他ならない。出撃できるからに他ならない。コクピットのシートも本来は寝床に使うようなものではないのだが、狭いシートピッチと急な角度にも慣れた。
だから、あっという間に意識は闇へと落ちていった。
落ちていた。
ただ、ひたすらに空を落ちていた。
高速で、風の壁に叩きつけられながら地面へと堕ちていた。
どうする事もできなかった。
立つべき場所がないことに違和感を覚えながらも、指をいくら動かしても何もつかめず、数秒先に待っている未来を変えることはできなかった。
視界に広がるのは一面の蒼。
何もないのに、まるで見えない壁があるかのように押しつけられて、指先ぐらいしか自由にもなれないのにも変わらず智機は足掻いた。
かすかに首が曲がる。
すると、一緒に生身だけで堕ちていく仲間たちが見えた。
そう、彼らは仲間だ。
地面に生身で叩き落とすためだけに作られ、一回こっきりの使い捨てで死んでいくためだけに作られた生命体。それが彼らであり、智機であった。
にも関わらず智機は疑問に思う。
墜死という現象はこの段階では発生しない。発生するのは地面についた一瞬。瞬きよりも短い時間で生が無に帰す、決定的な破壊が起きる。
だから、地に落ち行くこの段階では彼らは生きている。にも関わらず、彼らは死んだように一様に意識を失っている。
それが当然である。これから確実に待ち受けているであろう死に意識の方が耐えられないのだ。墜死が楽だというのも堕ちていく間に意識を失って死の痛みを感じないからである。
にも関わらず、智機は感じている。
通り過ぎていく風の音も、視界一杯に広がる青も、身体にまとわりつく冷たい汗も、固体化した風邪に押し潰されていくような感触も。
そして、五感の全てで感じている意識も。
どうして、生きているのだろう。
彼らには意識がなくて、智機にはある理由が分からなかった。
生身で突き落とされるだけの生命体。
それ以外の目的しかないはずなのに、あるとしたらそこにどんな意味があるというのだろう。
智機はところどころ糸のようにほつれながらも原型を保っている意識の中で智機は考えるが、答えは出なかった。
生きるのではなく、生かされる生にどんな意味があるのか智機には理解できなかった。
視界が暗くなる。
そして、衝撃が体内で爆発する。
激痛という言葉では生ぬるい痛みが智機を襲った。
激痛という言葉がやけに空疎に響くのは、成層圏から生身で突き落とされて生き延びた人類なんていないからだ。
その痛みを感じて生き延びた人間がいない以上、どんなに言葉を費やしても空虚なものにしかならない。何故ならそのような体験を人に伝える存在がいなかったからである。死んだら何があるのか分からないのと一緒である。
他人に理解させることができない痛みを智機は知覚させられている。
全身が爆発しそうになり、それが寸前のところで止まり、また爆発しそうになっては止まるという繰り返しが延々と、何十回何百回何千回何万回何億回何兆回何京回と続いた。それこそ世界が終わるまで続くのではないのかと意識ではなく、本能で思った。
その痛みに気が狂うことができれば、どんなに楽だったろうか。
智機は死ぬことも狂うこともできず、身体の中で暴れまくる痛みと衝撃に耐えるしかなかった。
永劫とも思える時間の果てに痛みから解放されて静寂が訪れる。
気がつくとそこには青空がひろがっていた。
さっきまでは包んでいた空が、手を伸ばしても届かない遙か彼方へと広がっていた。
そう、常人なら耐えられるはずもない破壊に智機は耐え抜いたのだ。
だからといって勝利の余韻も何もない。
ただ、真っ先に考える、いや真っ先に動いたのは身体の確認だった。
視力、聴覚、感覚に以上なし。
指先から徐々に可動域を広げていって筋肉や骨に異常がないことを確かめる。
内臓も特に損傷はない。
それらの事を一瞬に判断してわかった事。
戦える。
生きているよりも早く、戦える、普段通りに身体が動いて普段通りに戦えることを智機は実感する。
でも、それがどうだというのだろう。
敵はおろか、回りには誰もいないというのに。
そう、そこにいるのは智機だけ。
真っ赤に染まった岩盤の大地が水平線の果てまで広がる世界には智機しかいないように見える。
確か、大量の人間と一緒に堕ちていったはずなのにそれらの仲間たちの姿が見あたらない。
不思議に思うと手の甲が傷もないのに真っ赤に染まっている事に気づく。べったりとついているというよりは塵よりも細かい飛沫を全身に浴びたという感じの染まり具合で、その赤から漂う鉄錆臭さが何処か懐かしかった。
全身を染めた赤と同じ臭いが、大地からもしていて、やがて智機の口から笑い声がこぼれた。
おかしかった。
傷もないのに全身が赤く染まっているのも、大地が資格にひりつくように赤いのも、全ては彼らの血だった。
あまりにも高度が高すぎたから、命どころか身体すら墜落の衝撃に耐えきれずに爆発して、分子レベルまで粉々になってしまったのだ。1ミクロン程度の細胞の欠片すら見つかるわけもない。ただ智機と大地を染めた真っ赤な何かの正体が、彼らが存在していたという証だった。
彼らは死に、智機は生きている。
でも、それが何だと言うのだろう。
智機はただ生かされているだけであり、生身で空から突き落とされるためだけに製造された生命体にしか過ぎないのだから、また、同じことが繰り返される。
智機は生きている。
けれど、何のために生きているのか分からない。
だから、分からない。
だから、おかしい。
何故、生きる意味を問いかけるような意識を備えて、この世界に製造されてしまったのかが分からない。コンピューターみたいにある目的のために生み出され、人格もなくただ目的を遂行するだけの存在であればよかったのに。
……コクピット内に鳴り響くアラームの音を捉えた瞬間、智機の意識は一瞬で覚醒する。
夢の余韻に浸る間もなく、智機は腕時計型通信装置のボタンを押すと、空間に気体状のディスプレイが投影される。相手はオペレーターだった。
「おはようございます、代行殿」
「おはよ」
智機はスリープモードに入っていた機器のスイッチを入れるとグラススクリーンに光が灯り、表示される内部データを高速で切り替えながらチェックしていく。
システム、オールグリーン。以上無し
「マローダー準備完了。これより出撃する」
「こちら管制、了承した。誘導を開始する」
コクピット全体に鈍い衝撃が走った後に騎体が自動で動き出す。格納庫に収められている時点で台車に乗っており、滑走路までは自動で動く。
着艦しようとする騎体もなく、出撃する騎体もないのでスムーズに滑走路まで進んだ。
滑走路といっても戦艦なので実体はトンネルである。数km行った先に四角く切り取られた開口部から景色が見える。
夜間の時間帯なので外は真っ暗であり、海と空の区別がつかないが星の光が明るく届いており、それなりに良好な天候だった。
「マローダー、出る」
スロットルを押し出すと騎体はフルスピードで加速、戦艦内から外へと飛び出していった。
智機は騎体と艦隊の現在位置とカルブレズ島までの距離を確認する。この時点で200kmを切っているのでEFの足なら一瞬である。
レーダーを確認するが敵影の姿は確認されない。
ガルブレズ近隣に到着するまでは、特に深刻になるということはないという事である。戦闘を考慮しなければそれこそオートパイロットに任せても構わないわけで万が一に墜落という事になっても、智機なら平気だった。
夢を見る。
毎日というわけではないけれど、かなりの頻度で夢を見る。
天空から生身だけで放り出されて、遙か彼方の地面にサッカーボールのように叩きつけられる夢。
「……むかつく」
思い出すたびに腹が立つのは、あの暴虐を前にしてあの頃の智機は無力だったからだ。
いくらたっても、あの時の痛みは覚えている。
夢の中でさえも激痛に襲われている。
あの夢は智機が覚えている最古の記憶であり、衝撃で身体が生きながらバラバラに爆砕されるのを延々と繰り返す苦痛が智機の原点だった。
結局のところ、記憶に捕われているわけでそれがいいのか分からない。
ただ、一つ言えるのは腹も立つけれど、役にも立つということだろうか。
迫り来る大地の色と追放された蒼穹の蒼、そして繰り返されるどんな表現ですら陳腐なものに変えてしまうほどの苦痛、それらのそれらの一つ一つが御給智機の原風景であり、帰る場所でもあったからだ。
言うなれば故郷。
たとえ、地獄であったとしても。
どんなに否定したい場所であったとしても、そこから智機は生まれたのだ。
レーダーに複数の機影が確認されて、智機の神経が警戒モードに入る。
ガルブレズ島まで50km圏内に入っており、そこからEFサイズの敵影が智機の騎体に接近しているのが確認できた。
いくらEFといえど長距離の運用は無理なので、即ちガルブレズ島が基地化されているという事に他ならない。
「こちら、ガルブレズ市。そこの騎体、応答せよ」
市を名乗っているところに吹きかけた。
「こちらはシュナードラ公国軍である。ガルブレズ市といったが、何処に所属しているのか教えて欲しい」
「我々は公家に忠誠を誓う者なり」
「我は公女ファリル・ディス・シュナードラを抱いている。なら、話は分かるな」
智機が言い放つと場に沈黙が満ちる。
心地よい緊張……とまではいかない、ぬるい風呂に浸かっているようなかったるい沈黙。
迫ってきたのは五騎で、機種もフォンセカ系の改造機で統一も取れていない。ファリルと一緒に敵軍に突っ込んだ数時間前と比較すれば質・量共に比較にならない。この程度なら簡単に制圧できる。
それこそ、ハンデとして片腕を使えない状態にしてもだ。
やがて、スピーカーから唾を飲み込むような雑音がこぼれた。
「こちらガルブレイズ市。市長と代わる」
相手の声が緊張でうわずっているのは智機がプレッシャーをかけているからである。この程度の相手ならライフルを撃たずともプレッシャーをかけるだけで勝てる。
それから少ししてスピーカーからこぼれたのは、重々しい男の声だった。
「こちらはガルブレズ市市長のジャコモ・ザンティ。貴公は?」
通信スクリーンに出たのは、事前に見た資料に載っていた老人だった。海千山千の経験を重ねた、市長と言うよりもやくざの親分にしか見えない面構えに寸分とも違いはない。
「こちらはファリル・ディス・シュナードラ公女代行騎士、御給智機だ」
「貴公があのマローダーか。思ったよりも若いな」
初対面の人間にはかなりの確率で言われる言葉である。違った反応を期待しているだけに軽く失望する。
「そんな貴公にぜひ伝えたい言葉がある」
「ほう?」
自称市長は厳しい表情を崩すと、同類を見つけた悪ガキのような笑顔を浮かべた。
「マリア・ファルケンブルク被害者友の会にようこそ」
智機は大爆笑した。
スクリーン一杯に放たれる無数のレーザーの閃光。
レーザーの割には芋虫よりも歩みが遅いのは、最大限まで再生速度を遅くしているからである。
無数のレーザーが向かうのはただ一点。
分厚い装甲を施したEFメネスに向かって、光のシャワーが降りそそぐ。上下左右、360度の区別なく振りかけられる光の雨の中でメネスは一欠片も残さずに爆発するかと思われたのだが、メネスは変わらぬ姿でそこにあり、代わりに背景の中でいくつかの爆発が起きていた。
全てのレーザーの軌道を読み切った、と言葉にすれば簡単なのだが、そのプロセスがいくら限度一杯まで再生速度を遅くしても見えない。
どんな動きをしたのだろう。
いや、それほど動いているというわけではない。
全高18mは越える巨体を秒ごとにセンチ単位で動かす動作の精妙さと針の穴を潜り抜けられるタイミングを見極める目、そしてコンマ1秒でも早かったり遅かったりすれば全てが終わる重圧の中で、科せられた仕事を一秒の狂いもなく遂行できる神経と集中力の高さ、それらを持ち合わせる相手とどう戦えばいいのだろう。映像をいくら見ても、自分がやられる未来しか思い浮かべなかった。
「研究熱心なのは結構だが、いくら見ても無理だよ」
「隊長」
戦隊長がやってきたので、ライダーは映像を止める。
「録画した意味がないわけではないが、その映像をいくら解析したところで、マローダーに勝てる訳がない」
「……ですよね」
彼らは戦闘の終盤でマローダーと戦い、惨敗した。ほとんどの騎体が破壊されるというあんまりなものだった。
本当の強さを知るためには実際に立ち合わなければ把握できない部分があっての行動であったが、やらなければ良かったと夢でうなされるレベルだった。
生きて帰れるのが不思議。いや、不思議ではないのだろう。
「マローダーとやり合うためには、アレ以上の攻撃的回避を身につけないとダメだ……とはいえねえ」
「ですよねえ」
お互いに苦笑してしまうのは、単に攻撃的回避だけでは片付けられないからである。
隊長も彼も、攻撃的回避自体は可能だ。
けれど、相手が1騎2騎、しかも相手がシュナードラ国軍クラスの格下という条件の下である。マローダーの状況下に置かれてやりきるのは無理だとしか言いようがない。
必殺技のモーションを分析して破るのとは違う。いくら見ても彼らとマローダーでは感覚が違うのだから、同じ動作をしようとしても再現できるはずがない。
マローダーには見えるけれど、彼らには見えないものが多すぎる。
こちらはマローダーの動きを把握できないのに、マローダーは全て見通している。そんな相手の裏を掻くのは無理を通り越して笑うしかない。例えば、それこそ神の掌で踊っているようなものだ。
「あのマローダーは本気を出してませんでしたからね」
彼はコンソールを操作して、画像を切り替える。
メネスの比較画像で、肩と脹ら脛部分が膨らんでいるのが違う。
「まさか、この戦いでうんたんを見るとは思いもよらなかった」
うんたんとは、傷を修復するリペアの発展系で騎体に対して不可逆の変質、つまり、騎体を全く違うものに変化させるというドリフトである。
ライダーの特性に合わせて騎体が自ら変質する事はよくあるのだが、この場合は無意識のうちに行われるのに対し、うんたんはライダーが意図して行う点に違いがある。
うまく行けばフォンセカでさえも、斉の朱雀や白虎といった一流中の一流騎体を改造する事も可能だが、騎体を細胞レベルから作り替えることへの負担は大きい。並のライダーなら完成することすらできずに精神力を使い果たしてドリフト・エンドで死亡する。
仮に成功したとしても変化しただけの事であって、それが正常に作動するかはまた別の話である。材料だけで一から作るのと同義なので、ライダーは設計書を暗記した状態で一瞬のうちに一分も狂いなく作らなければいけない。一流のライダーでもあり、EF開発の素養を持ち合わせた人物は滅多にいるものではない。
従ってうんたんが使えるからといって戦闘に直接、寄与するものではない。しかし、うんたんが使えるという事はうんたんレベルの高度な技術が使えるという事でもある。
「うんたんが使えるのに大尉なんて詐欺ですよね」
「アレがなかったから将官級だったろうけどな」
実のところ、あの相手がマローダーだという確証は得られていないのが問題ではない。
マローダーであろうが無かろうが、うんたんレベルのドリフトさえも使いこなせるのは事実であり、その高レベルのライダーが敵になった事が問題なのである。
彼らレベルでは何万人いようとも、マローダーには勝てない。
彼ら2人が生き残っている事がその証拠だった。
あの時、殺る気になれば殺れたはずなのに、あからさまに見逃したから。見逃した理由も単純明快だった。
"100回やっても、貴様らでは勝てねーよ"と見下されたようなものである。その事を自覚させられたのが切なかった。
「白虎の連中から聞いた話だと、光が見えるそうだ」
「光といいますと?」
「拳を繰り出そうとすると、攻撃しようとする意識が光として発生して相手に向かっていくそうだ。その光から少し遅れて実際の拳が飛んでくるから、その光さえ避けてしまえば実際の拳も当たらない。そういうことだ」
「実際にそういうことってあるんですかね?」
「なら、マローダーはどうしてあの状況から勝利した?」
「……ですよね。でも、あの状況では無数ですよね」
1対3というシチュエーションならまだしも、1対無数である。光さえ避ければ実際の攻撃もかわせるとはいえ、それがシャワーとなればかわせるものではない。
「勝てないなら勝てないでやりようはいくらでもあるさ。別にオレ達で倒せと命令されているわけではあるまい」
マローダーに勝てないのは悔しい。
だが、彼らとマローダーとの間には努力や経験では埋めようのない差がある。それこそ、惑星と衛星との距離に等しいほどの差が。
その差を埋めるだけの労力を思えば、悔しさなんて消えてしまう。正確にいえば消えることはないのだけど損得勘定や化け物と対峙する事への恐怖が押し潰してしまう。
それに彼らの目的はあくまでもクドネルを勝たせることであって、マローダーに勝つことではない。
彼らが矢面に立たなくてもやりようはいくらでもある。謀略でマローダーが粛清されるよう仕向るもよし、それ以前に対強敵用の人員に任せればいいだけの話なのだ。
「マローダーとレッズ、どっちが強いんでしょうね」
「騎体と数ならレッズ、経験はマローダーといったところだな」
「普通の感想ですね」
何の面白みもなければ波乱もない、真っ当な感想だった。
「当然だろう。レッズは最新鋭装備が使えるのに対し、マローダーが使えるのはせいぜいフォンセカの改造騎ぐらいものだな」
「マローダーはうんたんが使えるんですよね」
「使えるのと、まともな物が組み上がるのとはまた話が別になってくるからな。加えて、普通のライダーなら死ぬ技だ。いくらマローダーといえど、何度も繰り返せんよ」
「オレからすれば出来るだけでも、とんでもない話ですけどね」
隊長もまったくだとうなずきかけたが、固まった。
「どうかしました?」
「いや、この戦い。下手したら長引くと思ってな」
「シュナードラに残っているのは戦艦1隻と巡洋艦3隻、EFが50騎前後、そのうちの3分の1は使い物にならないと思いますから、30騎前後になりますよね。マローダーは強力ですがレッズをぶつければいいだけの事。物量はうちが圧倒的に有利ですから押し切れるはずです」
「オレもシュナードラが使える兵力はそれだけだと思うが、考えてみろ。マローダーを呼ぶというアイデア、誰が思いついた?」
「言われてみれば……そうですね。あのお花畑首相に思いつけるわけがない」
上司の危惧が部下に伝わる。
自国の軍備を無くせば、他国から侵略されることがないと思い込んでいた馬鹿に、破壊と殺戮の権化ともいえるマローダーを招聘するというアイデアが思いつけるわけがない。
「誰なんでしょうね」
「オレに分かるわけがないだろ。ただ、頭が切れる奴なのは確かだ」
思いついた奴がたかだか10歳以下の幼女だと知ったら、2人とも絶句しただろう。
「ガルブレズに逃げたのも、前もって示し合わせた結果だと見たほうが、良さそうだ」
シュナードラ艦隊はガルブレズに留まったまま動きはない。
どのような根拠があって留まっているのか彼らには分からないが、ガルブレズが根拠地化されている可能性も考慮に入れておくのは当然である。
「二の矢、三の矢もあると考えたほうが」
「マローダーを差し向けただけで、勝てるとは思っていないだろう。増援についても考えるべきだ」
「でも、シュナードラには金無いですよね」
「シュナードラは資源が豊富だからな。その資源を空手形に食いつく奴はいくら……でも……」
続けようとして隊長の顔色が変わった。
「どうしました? 隊長…」
滅多なことで狼狽しない隊長の顔色が変わっている。殺したはずの相手と遭遇したような変化に部下は戸惑った。
「少尉はこの星の、お宝にまつわる話を知ってるかしら」
そういったのは隊長ではなく、部屋の中に入ってきた40過ぎの白衣を着た女性だった。
女性が入ってきたのに気づいて、隊長と部下の2人は敬礼しようとするが、女性はハンドサインで押さえる。
「お宝、ですか?」
「すぐに気付けないようではまだまだね。少佐は気づいてるようだけど」
「長引きそうですね」
「ええ。公式では破棄したと抜かしているけど、あのマローダーを呼んだのだから、確保されていると想定するべきでしょう。あの総統様は呑気にサルベージ計画を立てているようだけど。でも、今の段階では想定であって確定ではない」
「仕事ですか」
女性は悪党のように笑った。
「貴方たちの騎体が出撃可能なのは確認しているわよ」
アラームの音でディバインの意識が覚める。
気がつくと密閉された空間にいた。吐く息がすぐ壁に遮られる空間、簡単に言ってしまえば棺桶の中に閉じ込められているようで甘い匂いが鼻をくすぐる。
意識が落ちる前の記憶を思い起こしてみる。
頭がうまく働かなくて思うようにいかず、辛うじて思い出せたものの万全ではない。EFを駆って辛うじて戦艦に着艦したことは覚えているのだけど、それから先の記憶が欠落しているからだ。
だけど、記憶が無いのは意識がスリ切れるほどにドリフトを使いまくって着艦した途端に昏倒したと考えれば納得いく。落ちている間に敵の捕虜になっていれば、アラームという生ぬるい方法では起こさない。
息苦しいほどに狭い空間に閉じ込められているのは、棺桶と呼ばれている疲労から早く回復するための特殊なカプセルベッドに寝かされているからである。
いずれにせよ、設定した覚えがないアラームが鳴り響いているという事は自分に何らかの命令が下っているからだろう。
腕時計型の端末にあるボタンを押して、アラームを止めると棺桶の内側にあるボタンを探り当てては押し込んだ。
圧搾空気が抜けると同時に棺桶の蓋が跳ね上がり、ディバインは開放感を味わった。
もちろん余韻に浸る余裕もなかったが。
「こちら、ディバインです」
「おはよ、ディバイン。御給だ」
「おはようございます、代行殿。ご用件は?」
「疲れているところ悪いんだけど、早急に来てくれ」
「至急ですか?」
「急を要する事ではないが、それなりに重要なことだ」
「わかりました」
上司の命令にはそれなりの根拠がある。ましてや智機は無能ではないのだから。
「向かう場所は端末に転送してある。それじゃ」
一方的に通信が切れると、ディバインは部屋を見回した。
辺り一面に棺桶が敷き詰められている殺風景な部屋で目に見えるヒントは特にない。
ヒントは音と感覚。
戦艦の中にいるとは思えないほどに静まり返っていて、揺れている感覚がないところを見ると大地の上にいるのだろう。
加えて、智機からの通信が入っているのだから安全な場所にいると考えるべきだ。
いずれにせよ、見慣れない場所なので思案を巡らせていると棺桶のうちの一つが開いて、中から見慣れすぎている奴が起きてきた。
「おはよ、ブルーノ」
「ああ、おはよう。ハルド」
「ここは何処なんだ?」
「知るかよ」
「ブルーノの辛気くさい面が見られるということは、生きているようだね」
「だったら聞くな」
くっだらない会話ではあるが、聞くと安心できるというのも事実である。それが2人の日常だったからだ。
「さっきのは冗談だとして、ここはガルブレズだろうな」
「その根拠は?」
「捕虜だったら、こんな優雅な朝を迎えることなんてできない」
「優雅ねえ」
高級ホテルで紅茶の一杯と共に迎えるのならともかく、打ちっ放しの壁と天井に棺桶が並んでいるだけの光景は優雅とは言えないが、捕虜にされていたら、落ち着いていられるわけがない。
「でも、ガルブレズって無人島じゃないのか」
「その辺りの事情はあの代行殿が教えてくれるはずさ」
と言ったところで再びアラームが鳴る。
「もしもし」
ディバインは智機が遅れていることを気にしているのかと思った。
「悪い悪い。追加事項を忘れてた……」
途中でディバイン以外の人間が見ている事にきづいたらしい。
「おはよ、ヒューザー」
「おはようございます、代行殿。ディバインを呼んで何を企んでるんですか?」
ヒューザーは露骨に連れていけとアピールしている。
「まあ、いっか。ヒューザーも来い」
「うっし」
「追加の用件とはなんですか?」
「2人とも身だしなみを整えるように。つまらないけど、そんなところだ」
そういって再び通信が切れる。
「代行殿はいったい何を企んでるだろう」
「ハルドの空っぽな頭で、あれこれ考えても仕方ないだろ。行けばわかるさ」
「空っぽって、ひでぇなあ」
「事実だろ」
2人は寝ている同僚達に気づかれないように部屋から出ると、智機に言われた通りに身支度を調えてから、案内されるままにコンクリート打ちっ放しの壁と配管が剥き出しになっている天井の通路を歩いていく。
「……意外としっかりしてる」
「まあな」
「ガルブレズって絶海の孤島だったのに、いつのまにワンダーランドになっているなんて、こんなの驚きだぜ」
「ワンダーランドかよ」
地下らしく、自然の光が見えない空間は軍艦の延長線上であり、ワンダーランドというにはほど遠い「……ワンダーランドだな」
けれど、いつ討たれる恐怖に怯えることなく、安心して休めるのは天国といえるのかも知れない。
「どうしてこうなった?」
「知るか。代行殿に聞け」
「それもそっか」
この事については納得したものの、ヒューザーは話題を変えた。
「マローダー・オブ・サテライトストライク。よりにもよって、カマラの鬼畜が参戦してくるとはね」
「不満なのか?」
「えり好みしていられない事ぐらいは分かっている。でもさ、うまく言えないんだけど、なんつうか色々と感じるんだよ。ブルーノはどうなんだ?」
「……オレも同意見だ」
御給智機という化け物クラスのエースがいる事は非常に心強い。残された唯一の希望といってもいいが、希望と一緒に不安も感じている。
助かるために、悪魔と契約を交してしまったような感覚。
「代行殿って何者なんだろう」
「カマラのマローダーだろ」
「ばか、それ以外だろ。ガキだっていうのに、ボクらを遙かに超える軍歴を持っているなんて、おかしいとは思わないか?」
智機は見た目は何処にでもいるような少年であり、EF数百騎を撃破した勇名と忌み嫌われる悪名を持つライダーというには違和感がある。
「おかしいとは思わなくもないが、あれこれ悩むよりも本人に聞いたほうが手っ取り早い」
実際にその当人が同じ島にいるのである。
「……それもそうなんだけどね」
歩くこと数分で、指定された場所へとたどり着いた。
「ブルーノ・ディバイン、ハルドレイヒ・ヒューザー、入ります」
一礼と共に2人が部屋に入る。
薄暗い照明にたくさんのモニタとキーボードと椅子と机、要は戦艦CICをそのまま地上の建物に持ち込んだような部屋で、おそらくはガルブレズ島の中枢という場所なのだろう。そこに待っていたのは智機とファリル、そして2人の見慣れぬ人物だった。
「おっす、2人とも」
「お、おはようございます。ディバインさん、ヒューザーさん」
20代前半の軍人というよりは、大学生のように見える亜麻色の髪と大きい胸が印象的な優しい美女と、50代過ぎの何処からどう見てもやくざにしか見えない、ふてぶてしい熟年だった。
「こちらはオレ達をここまで運んできてくれた戦艦ロストックの艦長、セシリア・ハイネン少佐」
「セシリアです。よろしくお願いします」
「ブルーノ・ディバインです。ありがとうございました」
「どうも、ハルドレイヒ・ヒューザーです。セシリアさんですか……これから暇でしたら、一緒にお茶…いてっ」
「ナンパするな、ボケ」
タイミングよく、ディバインの拳がヒューザーの後頭部に入ったので、ファリルは吹きかけてしまい、いいのか悪いのか分からない微妙な空気が流れてしまう。
「いつから近衛は軟弱になったんだ」
その空気をぶち壊したのは、やくざにしか見えない熟年。
「軽くも何も、元からそうだったんじゃないのか」
「言ってくれるじゃないか」
「硬かったから、オレの出る幕なんてないだろ」
「それを言われると言葉もないな」
智機と熟年が対等の立場で漫才をやり始めていたのをただ見ていた2人であったが、紹介が入る。
「そこの何処からどう見てもヤクザにしか見えない御仁はジャコモ・ザンティ。こんな事があろうかと私財を投げ打ってガルブレズを秘密基地に改造してくれた恩人。しかも、近衛のOBだ」
「どうも、ハルドレイヒ・ヒューザーです」
どう見ても悪党にしか見えないとは思ったけど、さしものヒューザーも空気を読む。
「ブルーノ・ディバインです。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしく」
「そんな訳だから、ザンティはガルブレズの市長という事になる」
「代行殿。どのような理由で私たちは呼び出されたのでしょうか」
勝手に割り込んだくせに、いけいけしゃあしゃあとのたまうヒューザーの問いに智機は答えた。
「簡単に言うと、辞令だ」
「辞令?」
「そういえば、ハイネン少佐と呼んでましたね」
今まで軍隊に階級というものがない国家の中で、セシリアを階級付けで呼んだことをディバインは指摘する。
「今日からシュナードラ軍にも階級制を導入する事にした。聞くまでもないよな」
「多数決で進撃先を決めるなんてあり得ないっすからね」
これにはヒューザーも苦笑するしかない。
「そんな訳だから、まずはキミ達に辞令」
智機に肩を叩かれて促されると、ファリルは緊張で身を硬くし、顔をわずかに紅潮させながら口を開いた。
「ブルーノ・ディバイン卿」
「はいっ」
道理で智機が身支度を調えろといったも理解できる。世の中には格好が大事なこともあるのだ。
ただ、着ているのが礼服でもなく軍服ですらなく、艦内作業着だというのが国王直々に辞令をもらうのに恥ずかしいというのはあるのだけれど、考えてみたら軍服を収めた場所も、帰る家さえも焼けてしまった。
家族でさえも行方が分からない。
でも、今は感傷に浸っている時ではない。
「貴方をシュナードラ軍大佐ならびに、シュナードラ軍総司令官に任命します」
ヒューザーが口笛を鳴らす。
意外というか不思議だった。
昨日まで新米の騎士だったディバインが一夜にして軍のトップになってしまうなんて想像だにしなかった。あまりにも突拍子もなさ過ぎて現実味がない。
ただし、夢のようというより悪夢といった方が正解だろう。
「総司令官といっても傀儡。軍隊ごっこと対して変わらないし」
NEUや斉みたいな大国ならいざ知らず、小さい島が一つぐらいの領土しか持たない国家なのだから、騎士団長や軍司令官といっても、厨坊のごっこ遊びでしかない。
「代行殿が総司令の座に着かないのは意外ですね」
「理由はいろいろある」
何故、ディバインだけが内密に呼び出されたのか理解できたような気がした。いくら、ごっか遊びにしかすぎないとはいえ、まだ歳が若いディバインが抜擢された事に反感を抱くものが現われないとも限らないからである。
「一つは体面。外人が軍の総司令をするのは問題がある」
智機が外国人と言うと、ファリルが寂しそうにしていたのがディバインには気になった。我慢しようとしていたのだけど露骨に出た。もちろん、見なかったふりするするしかないのだが。
「そういうものなの?」
「あくまでもオレはよそ者。この国を取り返すのは、あくまでもこの国の者でなくてはならない」
智機はこの国を取り戻すのは他者ではなく、自分自身でなくてはならないと言っているのだろう。
「もう一つは、オレが表に出るよりも黒幕として動いたほうが都合がいいから。色々と」
人類が地球から飛び出すどころか、誕生まもない頃ならいざ知らず、前線に出る最高司令官などいない。前線に出て闘うのは下っ端の役割であり、その下っ端どもを的確に動かすのが司令官なので、頭脳を失いでもしたら、下っ端どもは何をしたらいいのか分からなくなる。
しかし、今のシュナードラの前線から智機を外す余裕はどこにもない。
で、あるとすれば後方で統括するよりは、智機の裁量で自由に動いてもらったほうが得だということになる。
もっとも、それ以前に経歴が経歴なので智機が表に出られないという事情もある。
「でも、一番の理由はめんどくさい仕事を全部、ディバインに押しつけたいからだろ」
「バレたか」
「バレたかではないですよ」
物資の購入や配備計画を立案するのは重要だとはいえ、やりたくない地味な仕事、出来れば他人に押しつけたい仕事だというのはディバインも同意見だが、どうやら、その類の仕事を押しつけられそうである。
でも、智機のようにシュナードラ国民の期待と責任を一身に背負えるかといえばNoである。
「分かりました。ブルーノ・ディバイン。非才ながらも謹んでお受け致します。我が身命を国のために捧げることを誓います」
だとすれば、ディバインにやれる事は智機の手助けであり、智機を思う存分暴れ回れる環境を作ること。自分たちにも出来る雑務を行う事で、智機をつまらぬ事に煩わせることなく、智機にしかできない領域で100%の力を発揮させることだと割り切ることにした。
「い、いえ、そこまでの事ではないですよ。ディバインさんは自分を大切にしてください」
「ねえねえ、姫様姫様」
「はい、なんでしょうか。ヒューザーさん」
「ボクにはどんな役職くれるのかな?」
「便所掃除」
智機に言われた時のヒューザーの顔といったらなかった。
「べんじょそうじ?」
「ナンパ野郎にはお似合いの仕事だ」
「どうして、そういう結論になるんですか。市長」
「姫を守ることよりも、女をナンパするような奴に騎士なんか勤まるものか」
「そんなぁっ、まだ言いますか」
「安心してください、ヒューザーさん。便所掃除なら私がやりますから」
その一言で空気が凍り付く……というより止まる。
「……あれ、わたし、変なことを言っちゃいました」
「す、す、すいません。オレ、便所掃除でも下着洗濯でも何でもやり……」
また綺麗な突っ込みが入っている。
「ドサクサ紛れに何、言ってる」
「場を和ませるための冗談っすよ、冗談」
「ハルドレイヒ・ヒューザー少佐」
流石にお笑いを続けるのも限界があると思ったのだろう。
戦場で叱責するように智機が言うと、今度は空気が引き締まる。たかが14歳ぐらいの少年だというのに、ヒューザーやディバインには出せない、歴戦の猛者だけが出せる凄みというものが双眸に現われていた。
ここは教室ではない。軍営なのである。
「はっ」
智機に釣られるように、ヒューザーもかかとを打ち鳴らして敬礼する。
智機はちらりと横目でファリルを見る。
温かい眼差しに促されて、ファリルは口を開いた。
「ハルドレイヒ・ヒューザー少佐。貴方をシュナードラ公国統合騎士団団長に任命します」
「ハルドレヒ・ヒューザー、謹んで承ります」
シリアスモードもここまでだった。
「……って、ボクが騎士団長? なんていったらいいんだろう」
「安心しろ。アミダで決めた」
「アミダかよっっっ」
「でないと回りから文句来るだろ」
「そこまで、うちって人材が乏しかったんですか」
「乏しい」
間髪入れずに智機が言い切ったのでファリルは涙目になり、セシリアが慰める構図となる。
「そりゃ、ボクらは何処ぞの代行殿のように強くはないですけどね」
「なら、オレが到着するまで持ちこたえて欲しかった。余裕もったはずだったのにギリギリだったし」
智機が首都攻防戦前に到着していれば、少なくても前公王夫妻も死なずに済んだかもしれないので、洒落になっていない。
「……すみません」
「アミダでもくじ引きでも、乱数でも選ばれたからにはしっかりやれよ。団長殿」
「へいへい。何処ぞの代行殿よりも撃破数を稼いで、モッテモッテのリア獣になってみますからね」
「その意気だ。後輩」
「統合騎士団といいますと?」
シュナードラの騎士団、つまりEF運用部門は通常の部隊配置と、公家護衛担当の近衛に別れている。近衛がエリートという扱いで機材もいいものが渡されているが実力に差がないのは、御覧の有様というものだろう。
「現有の戦力でも定数に足りてないんだから、まとめるしかないだろ」
ディバインは部屋に並べられていた棺桶の数を思い出してみる。
部屋はそこそこに埋まっていたが、騎士団の定数を考えれば到底足りない感じがした。
「代行殿、現在の騎数を教えてください」
「騎士団の生き残りは部品取りも含めて、51騎」
「部品取りですか」
使えるのは35騎程度といってもいいだろう。
「もっとも、市長のところに20騎程度あるから、変わらないけどね」
どういう経緯で一般市民であるはずのザンティが、兵器を手に入れたのかは理解しかねるところであるが気にしないことにした。
「ちょうどメンツも揃ってるから、会議でも開くか」
「会議…ですか?」
「これからの方向性をまとめておこうかと」
戦艦ロストックの艦長兼艦隊司令セシリア・ハイネン、ガルブレズ市長ジャコモ・ザンティ、シュナードラ総軍総司令官ブルーノ・ディバイン、シュナードラ統合騎士団団長ハルドレイヒ・ヒューザーといった具合に肩書きは豪華であるが、その実体はファリルはいいとして、後はやくざと女子大生、大学を出て就職したばかりといった感じの若造が2人に、場を仕切るのが中学生ほどの少年なのだから、笑うしかない。
場所はCICの隣にある会議室。
大きいテーブルを囲む形に全員が座り、コーヒーが行き渡ったのを確認すると智機は前面のスクリーンにシュナードラ星の地図を映し出す。
「周知の通り、我が国シュナードラは大変な危機に瀕している」
瀕しているどころの騒ぎではない。
惑星の大半、3分の2がクドネルを示す黄色で塗りつぶされていて、シュナードラを示す赤はガルブレズ、点でしかない。灰色はシュナードラのクドネルの侵攻を逃れている僅かな地域で、現在は統制を離れた中立扱いになっている。
一番の問題は目に見えないところにある。
「シュナードラ再興が我々の大目標だが、一番の難題はクドネルが敵ではないということだ」
智機は反応を見る。
ファリルが分からずにきょとんとしているのは、いいとしてヒューザーも同じような顔をしているのが痛い。
ディバインとザンティは分かっているようで、セシリアはディバインとヒューザーの中間といったところだろう。
「どういうことですか? 代行殿」
「クドネルにバックがついているということだ。バカ」
あっけらかんと質問できる神経は羨ましいかも知れない。わからないことをわからないと言うのは意外と難しいのだから。
「クドネルだって元々はシュナードラと似たりよったりなんだ。侵攻するのはともかく短期間で圧倒するのは、単独ではできない」
戦争を自ら放棄しましょうというお花畑なシュナードラとは違い、クドネルは内乱に明け暮れていた国家だった。そんな国家が統一を果たすならまだしも、他国の大半を占領できる力なんてあるなんて不可能だとしか思えなかったのだが、現実に起きている。
「クドネルが主体となって攻めてきている、いや、そのスポンサーがクドネルを代理にして攻めてきている、そう考えてもいいかな」
「オレも同意見」
「ど、どうして、何故、私たちが狙われるんですか?」
ファリルが早くも涙目になっていた。
「それは分かるような分からないような……」
と言ったのはセシリア。
「国境付近の海底で希少金属の鉱脈が見つかって、それで揉めたのが始まりなのよね」
乗り物の動力源やEFのコアなどに使われる希少金属の鉱脈が見つかり、しかも莫大な産出量が見込まれたので、戦争に至る動機としては充分である。
「あるにこした事はないから、侵略されるのも無理もないとは思うんだけど……」
「その辺りが謎だ」
「どういうことなの?」
「クドネルの背後にいるのが、斉である可能性が高いからだ」
斉という単語を持ち出した瞬間、場の空気が固まった。
ディバインやザンティは言うに及ばず、脳天気なヒューザーでさえも重圧で固まっている。
「斉って、あの斉です…よね…」
ファリルが現実から逃げたがっているのが明らかだった。ファリルだけではない、智機以外の全員がそうだった。逃げだすことは責められない。それほどまでに巨大で絶望的な存在だった。
「そうだ。あの天下無敵のDQN国家の斉だ」
智機は現実を突きつける。
「ちょっとちょっと、クドネルに斉がついているなんて、根拠はなんですかっっ」
「意味がなさそうに見える侵略行為を仕掛けてくるのはあそこしか思い浮かばないからだ。こういう場合は最悪を見積もったほうがいい」
最悪を見積もった場合、思ったよりも大したことがなければそれならそれで喜べるのだけれど、希望的観測で物事を見て、外れた場合は悲惨だ。圧倒的な現実の前に蹂躙されるしかなくなる。
「クルタ・カプスといいカマラといい、NEU近辺で短期間のうちに立て続けに争乱を起こっているのも偶然ではないだろ」
「儂も代行殿の意見に賛成だ。希望的観測に任せた結果がこれだ」
人の善意なんていう宛にできないものを宛にした結果、国が崩壊したのだから自嘲うしかない。
希望というのはあくまでも可能性があるというだけの話で、期待するものではない。持つなとは言わないけれど勘違いするようになったら終わりだと智機は思っている。
「斉がバックについている証拠はないですけど、代行殿の見方は正しいと思います。少なくても、レッズの技量と騎体はクドネルには用意できないものですからね」
「はぅぅ~ 斉か……厳しいよぉ」
セシリアが素に戻っているようだったが、仕方がないだろう。
大斉帝国。通称、斉。
星団の中で、最大の版図と軍事力を誇る国家であり、星団制圧を国是としている姿勢から周辺国家からは恐れ、嫌われている存在だった。
その力は大国数カ国でようやく相手に出来るほど。特にEFの技術では他国を圧倒している。良くも悪くも斉が中心となって星団を動かしているといっても過言ではない。
そんな大国がバックについている国に立ち向かえというのだからファリルやヒューザーが絶望するのも当たり前である。むしろ、慣れていると言わんばかりに平然としている智機のほうがおかしい。
「代行殿には、対抗できる策はあるのか」
「ないこともない」
智機は人々を見つめた。
ファリルは絶望的な状況から解放されると力が入っている。
が、それ以外の人々は苦笑いをしている。各人の個性が出ていると感心するが自分自身のことなので笑えない。
読まれている。
マローダーの意味を知れば簡単に答えが出ること。先読みしないのが慈悲なのかも知れない。
つまらない、むしろ場を寒くさせると知りつつもギャグを言わざるおえないことに自嘲しながら智機は言った。
「表向きはクドネルであって斉が戦争しているわけではない。クドネルの首都に衛星なりコロニーなり、落とせるものを落として都市ごと首脳を抹殺すれば、この戦争は終わる」
智機の仮説が正しければ、あくまでも戦争をしているのはクドネルであって斉ではない。クドネルの政治家連中全てを抹殺すれば、斉であっても大義名分を失って戦争継続不可能になり、この戦争はシュナードラの逆転勝利に終わる。
「そ、そんなのダメですよっっっ!! 絶対にダメです」
ただし、途中の過程をすっ飛ばして勝利を得る代償として、無数の一般市民も巻き添えにすることになる。
「今の時期ならチャンスですよ」
「ダメです」
「姫様に代替となる策はあるんですか?」
無いことがわかって言ってみると、ファリルは泣きそうになる。
「智機さんは人の命を…」
ファリルは言いかけて絶句し、言い直す。
「……ダメです。たくさんの罪のない人が死んじゃうじゃないですか。そんなのダメですよ」
「大丈夫ですよ」
「何が大丈夫なんですか」
普段なら論拠もなく、すり替える事もせずに泣き落としと落とそうとするなぞ聞く耳もたずに粉砕するところなのだが、智機を見る回りの視線は冷ややかなものだった。
勝つ事と引き替えに、罪もない人々の命を少なく見積もっても数百万単位で奪うことに耐えられる人間はそう多くはない。耐えられる存在がいたら、それは人間ではない。
大量殺戮を提案する鬼畜を温かい眼差しで見られるわけがない。それでも踏みにじるように無視できる智機であったが、立場は弁えなければならない。
「……了解しました。別の策を考えます」
ファリルの権威を借りて上に立っているのだから、ファリルの意向を無視することはできない。
「どんなアイデアがありますか。代行殿」
「まずは現状把握。ガルブレズに備蓄されている食糧で今の人口だと、どれだけ持つ?」
「だいたい1年間だ」
「1年間って凄いなあ」
「民政については儂に任せておけ。代行殿が思い煩うことがないよう完璧にこなしてみせる」
「頼もしいなあ」
「でも、肝心の戦力がアレだよねえ」
50騎あまりのEFで何が出来るというのだろう。更に言えば、EFだけでは戦争はできず占領には歩兵も必要なのだが、そちらの方が深刻なぐらいに足りていない。
「出来れば、早めに残った土地を抑えておきたいところなんだけど」
「それは無理です。兵力が足りなすぎます」
「だよなあ」
智機としてはクドネルが再編中の間に手を伸ばしておきたいところではあるが、無いものねだりであることも知っている。
「強いて言うならクドネルよりもEF稼働率が高いということか」
智機の目の色が違ってくる。
「腕のいいメカニックがいるのか」
「それなりにね」
ザンティが自信ありげに断定するのだから、信用していいだろう。
いくらEFといえど母艦に帰ってから、即出撃という訳にはいかない。損傷を負っているのであれば修理しなくてはならないし、無傷であっても各部のチェックが必要だ。運が悪ければ空中分解する。
再整備の時間を縮めることは重要で、その意味では朗報といえた。
もちろん、補うというには戦力差がありすぎるのだが。
「とりあえず、応援が来るまで防戦。つまらないけど、しょうがないか」
「その応援、来るんですか?」
智機は答えようとしたが、遮るように警報が鳴り響いた。
「どうした」
智機は顔色一つ変えずに、CICからの報告を受ける。
スクリーンにオペレーターの顔が映し出される。
「クドネルのEFが迫っております」
「数は?」
「2騎だけです」
「なら、偵察だ。慌てることない。暇な奴ら一個小隊、クーガーで迎撃。ただし、深追いはするな。騎体を保全することが第1目的だ」
「了解しました」
通信が切れると同時に緊張も切れて、場に落ち着いた空気が流れる。
「当然と言えば当然の反応だな」
衛星偵察が発達しているとはいえ、強行偵察でなければ獲られない情報というのもある。
「総攻撃まで、あと何日ですかね。代行殿」
「再編までせいぜい3日ところ。クドネル全兵力では無いけれど、一部だけでも押し敗れる力がある」
「条件は首都攻防戦よりも悪化してますからね」
「一発目は耐えられるかも知れないけど、二発目は無理。それまでに援軍が到着できるかが鍵だな」
「代行殿がいても?」
「あっちにもレッズという切り札があるから。実際に見てないから何とも言えないけれど、少なくてもオレだけでレッズを圧倒できるとは思えない。だとすれば単純に引き算の問題になる」
現有戦力では何とか守り切れるが攻めに出て、領土を回復することが出来なければお話にならない。
「援軍なんて来るのかよ」
ザンティとブルーノと智機、そしてセシリアののやりとりに、ヒューザーはようやく口を挟む。
「可能性は遙かに高い」
「その根拠は?」
「一つは奴らの戦略。この戦いにおける斉の目的は分からないけれど、強いて推察するなら、奴らなりに戦略を模索した結果だと思う」
「その心は?」
「斉といえど無制限の侵略活動が不可能になっている」
「親斉勢力に政権を取らせて実権を握り、その国に斉国民を入植させることによって斉に併合してしまおうということですか?」
「ディバイン、正解」
「ふざけた話だね。まったく」
「ふざけてるもクソも、弱ければ玩具にされるしかない。腹が立つんだったら殴り返せ」
これまでの話を黙って聞いていたファリルが、涙目でにらんできたが、智機は見なかったことにする。
「これを成功させると他国にも波及する。だから、他国としても助けるしかない」
他国も一枚岩ではなく、独立した国家を無理矢理、併合したケースもあるので、斉の支援の元に一斉に独立運動をやられたら溜まったものではない。初動を誤ればボヤが、街全体を埋め尽くすような大火になってしまう。
「危ういところで助かったというわけ、か」
「正確には恥をさらさずに済んだ、だ。まだ、助かってない」
「ヒューザーのそういう脳天気なところが羨ましい、というべきか」
「褒めてくれて恐縮です」
「褒めてない」
「見込みがあるのは分かりましたが、問題はどれだけの代償を支払う事になるかですね」
「他国がシュナードラのためにタダで働いてくれると思っているのは、おたくらの前首相だけだからね」
外交というのは、他国はあくまでも自国の国益を最優先に動いているという事実を弁えることが大前提である。自国よりも他国の国益を優先して働く政治家なんていない。いるとすれば無能か売国奴のどちらかだろう。
如何にして、自国と他国の利害を一致させる事が基本なわけで、他国が自国のために動いていると勘違いすると大失敗する。自身だけではなく大勢の人々さえも巻き込んで。
「あの人のことを持ち出すのは……お願いだから勘弁してください」
結論を最初に決めていて、結論に結びつかない現実は無かったことにするバカを国の代表にしてしまったことを智機の皮肉で思い出させられてしまい、智機以外の人々は落ち込んでしまう。
「レアメタル権益の全てを要求されるのはまだ、いい方。場合によってはうちらを助けずに、傀儡政権を樹立しにかかる事も考えられる」
「それって助けになってないじゃん」
「クドネルからすれば攻撃目標が分散するから、今よりは生存確率が増す。あるいは結局、シュナードラは何処かの保護領になるか、だな」
「つまり、シュナードラは消滅ということ?」
「確かにシュナードラは消滅するかもしれない。でも、国は滅んでも、それ以上に守らなければいけないものってあるだろ? 姫様」
いきなりふられて、つっかえつつもファリルは答える。
「……私にとっては国民が大事です……なら、クドネルに降伏という手もあったのでは」
「僭越ながら、それは間違っていると思います。バイクスやサンザルバジオンでの惨劇はお忘れですか」
智機に反論を試みるファリルであったが、ディバインの反論の前に沈黙してしまう。
「クドネルのバックが斉だったら、待っているのはシュナードラ人の絶滅だけ……決めたんだろ、生きるって」
逃げ出す機会はいくらでもあった。
でも、ファリルは生きている。
「儂としては姫様に死なれたくない」
「ボク達は国民もそうですが、同時に公家にも忠誠を誓っているんですよ。姫様に死なれたら、ボクらに生きている価値はありません」
「近衛のくくりはなくなっていますが、公家の楯であり槍でもある立場には変わりません」
智機の強烈な指摘を受けた後に、ザンティ、ヒューザー、ディバインから温かい言葉を貰って、ファリルは泣きそうになってしまう。
「斉ほど常識がない国はないから、それ以外なら保護領として大切に扱ってくれる可能性はある。姫様だけを考えるなら、それもアリだと言えるかも知れない。国を治めることなく、死ぬまで何不自由のない年金生活を送れるんだ。最高じゃないか」
「そしたら、国民はどうなるんですか?」
「知らね」
「知らね、ってそんなの無責任じゃないですか」
「だったら闘って、シュナードラの地からクドネル共を追い出せという話になるね。何処に獲られるにせよ、他人に運命を委ねることに変わらない。なにされようが文句は言えないんだ」
「……あ、あの~代行殿。姫様をいじめないでください」
殺伐とする空気に耐えきれずにセシリアが言うと、空気が一気に沈静化する。
「確かにやりすぎたかも」
「どの道、国債を大量に発行しなければならないと思いますが、そのためにはある程度の成果はあげないといけないですね」
「利回りが恐ろしいことになりそうだ」
たかが、3%では手を出してくれない。
「出資を募るだけ募って、トンズラっいうのも面白そうだな」
「いや、先輩が言うと洒落にならないんですけど」
ザンティがまんま、やくざにしか見えないだけに。
「あからさまに高い配当に手を出してくれるほど………」
どう見ても、払う気ゼロとしか思えない高配当にも関わらず手を出す人間がいくらでもいるのは、巨額詐欺事件が一向に絶滅しないことでも分かる。
都合がいい事だけしか見えない人間を、騙すのは簡単だ。
「みんな性格悪すぎですよ……」
「騙すことばかり考えないでください」
主に智機とザンティの黒さについていていけず、女性陣は苦笑するしかない。
「ネズミ講でも原野詐欺でも絵売りアンでも結構ですが、説得力のある嘘がつけなれば付いていきませんよ。あるんですか?」
助けが来る可能性があるとはいえ、実際に来るかどうか分からない。また、間に合うかどうかも分からない。智機がいるとはいえ、レッズで相殺されると考えると良くて2波、悪ければ第1波で終わり。残された時間もそう長くはない。
「あるよ」
でも、智機は落ち着いていた。
「あるんすか?」
「良く考えてみろ。どうしてオレはここにいる? 何故、無人島と思われていた島がこんな要塞に改造されていたんだ」
ザンティは悪党のような笑みを浮かべ、ファリル以外の人間はあっけにとられ、そして、ファリルは両親に隠していた0点のテストを見られたような表情を浮かべる。
「何故、代行殿はここに来られたのですか?」
「ある詐欺師に騙された」
「詐欺師?」
「ここに来れば、思い通りの戦争が出来て、望みのものが手に入ると聞いたんで乗ってみたんだが、来てみたら御覧の有様だ」
流し目でファリルを見る智機の眼差しは、あまりいいものとは言えない。
「…だから、姫様を余りいぢめないでください」
「その詐欺師っていうのは誰なんですか?」
「マリア・ファルケンブルク。姫様付きの侍女なんだけれど」
智機はドッグタグをテーブルにあるセンサーに当てて、保存してあるデータを端末に読み込ませると指先を軽く動かして、目的のデータを前方のスクリーンに表示する。
「どっかの銀行の残高みたいだけど、いちじゅうひゃくせんまんじゅうおくひゃくおくせんおく……兆??」
表示されたデータの金額にヒューザーが驚愕していた。
「これ何処の口座?」
「公家の隠し財産の口座。最新ではないから、金額は正確ではないことは言っておく。あと、20社ぐせらいは支配下においてあるそうだ」
「うそ……」
心臓を弾丸でぶち抜かれたように、ファリルは唖然とする。
「うちってこんなに金持ちだったんだ……お小遣い、上げてほしかったなあ………いえ、なんでもないですなんでもないですっ」
思わず本音が出てしまい、ファリルはうろたえる。
「ボクだって、実家がこんな金持ちだったらフェラーリを要求したくなります」
「涎出てるぞ、ハルド」
食うや食わずやの生活を送っているところに、実は国家予算に匹敵するほどの預金があると知ったら、どんな事に使おうかと妄想するのは自然な事である。
「私だったら、スィートをいっぱい食べまくりたいなあ……」
「その気持ち分かりますっっっ!!」
ファリルが少女らしく同意したが、その時についセシリアの大きな胸にいってしまい……固まってしまう」
「セシリアさん……大きい、ですよね」
「おっきいは正義」
ボソリと呟かれた言葉が空気を止める。
セシリアの顔がほんのりと赤い。
この場にいる全ての人の視線が一点に集中した。
――智機だった。
「代行殿って、もしかしておっぱい星人?」
「おっぱい好きで何が悪いっっ」
「あ、開き直りなおりやがったっっ!!」
「……やっぱり、胸があったほうがいいんですね。代行殿」
ファリルの智機を見る眼差しは、さっきとは違った意味でトゲトゲしい。
「姫様はまだ若いではないですか。成長しますよ」
あからさまに傷ついている少女を、ザンティがフォローする。
「……本当ですか?」
それでも、まだ疑わしいようだった。
「女性の身体については何とも言えません。成長するとは保証できませんけれど、しないとも言い切れませんからね」
「そっか……代行殿も男の子なんだね」
「いえ、まあ、その…オレはただの鬼畜なんですけどね」
「とかいいつつも少年の眼差しは、撓わに実った乳房に釘付けだった」
「そこ、勝手にナレーションするな」
「……いい加減、本題に戻してくれませんか」
ディバインの一言で閑話休題となる。
「公家の財産はともかく、原資は何処から調達したんですか?」
「公王が宮廷費の一部を分けてくれたと言ってた。嘘はついていないだろう。あいつの事だから、絶対に了解は得たはずだ」
「それでも流用はいけないことですよね」
公室費は結局のところは、税金から出ているわけで、その一部を流用する事は違反に当たる。
「大当たりしかいいけれど、外したら悲惨なことになってたぜ」
公金を流用しての株式投資はロクな事にならないのが常なので、ヒューザーの危惧ももっともなのだが。
「問題はない」
「どうして?」
「マリアが公室費流用で大損こいていたら、おまえらは今頃、生きてない」
マリアが株投資で荒稼ぎして、ある程度の活動費を獲たからこそ、智機がシュナードラに来られたわけで、仮に失敗していたら智機が来ることもなく、従って首都攻防戦でザンティ以外の人間は死んでいた。
智機の身も蓋もない指摘に、回りの人間は引いていた。
「という訳で、じいさん」
「じいさんとは失礼な、小僧」
「オレが如何にして、あの詐欺師に騙されたかという話をしたんだから、今度はじいさんの恥ずかしい話を聞かしてくれ」
ヒューザーもディバインもこの事が聞きたかった。
絶海の孤島がいつのまにかに秘密基地に改造されていた顛末は非常に面白いし、言い逃れできる話ではない。
回りからの期待を一身に受けて、ザンティは語り始めた。
「きっかけはサリバン政権の発足だった。あの女は耳障りのいい事を吐いて当選したけれど、儂は信用なんてしなかった。根拠が全くなかったからな。NEU撤兵という話になってこれは危険だと思ったがどうする事もできなかった。その当時は左前で国よりも、儂たちを喰わすことに必死だった。その時だった、あの詐欺師が現われたのは」
「マリアちゃんの言葉を、良く信用する気になれましたね」
「あのクソ首相よりも根拠はあった。それに前公王陛下からのお言葉があったからのう」
「父様の!?」
「6歳の女の子がじいさんを動かそうとしても門前払いにされるだけだから、権威を借りるのは正しいやり方だ」
智機のフォローにヒューザーが反応。
「ちょっとまて、6歳!? そのマリアというのはチビっ子なのか!?」
「はい。私にとっては妹です。私なんかよりも遙かに頭が良くて凄いと思っていたのですが…」
ヒューザーの眼差しが膨れあがった公家の隠し口座の金額に注がれる。
「凄いってもんじゃないだろ、これは」
大人でもこれだけ稼げないというのに、幼女の年代で国家予算に匹敵するほどの儲けを出しているのだから、天才というより他ない。
「儂の企業も詐欺師のアドバイスでたちどころに持ち直したからな。そんなわけで、この市を建設したというわけだ。首都が陥落した時、避難できるようにな。もっとも、儂としては無駄になったほうが良かったのだがな」
戦争にならなかったら、こんな設備はいらなかった。
「代行殿の根拠は分かりました。ですが、戦費としてはいささか心細いのでは」
「確かに。あと一桁ぐらいは欲しいね」
ディバインの言うように、一家が遊び暮らすには充分だが、戦費となるといささか心持たない。
「何もかも足りないことは、言われなくてもあいつにも分かってる。ちゃんと対応してくれるさ」
ガルブレズ島北西200kmの空中を二騎のEFが飛んでいた。騎種は外見的にはステケレンブルクのように見える。
「これでいいんですかね」
EFに乗った部下が、同じくEFに乗った隊長に話しかけてきた。
「これでいいに決まってるさ。無理して死ぬこともないだろ」
「こんなところで死ぬのもアホらしいですからね。で、どうやら基地になっているみたいですね」
「こんな島がいつの間にか基地に改造されているなんて思いもよらなかった」
二人は偵察任務を受けて、ガルブレズ島の偵察を試みた。結果はガルブレズから迎撃部隊が出て退散せざるおえなかった。無理をすれば撃退する事も可能であったのだが。
偵察というよりは散歩みたいなものではあったが、情報は得られた。
島の中に艦船は見られず、レーダーの範囲内に踏み込んでから数分も経たないうちに迎撃のEFが現われた。
「1日や2日で戦艦を収納できるほどのバンカーが建設できるとは思えないですから、計画があったのでしょうか?」
「そういう事だな。シュナードラにも切れる奴がいるらしい」
と言ったところで隊長は溜息を漏らした。
「それほど切れるのならば、当然、アレは確保されていると考えるべきか。なあ、ティムよ」
「はい」
「この戦、下手をすれば長くなるぞ」
時間は少し、遡る。
シュナードラから遠く数光年は離れた惑星の、会社の応接室に彼女はいた。
少女というには余りにも幼すぎる彼女は、応接室のソファに座って天井を見上げている。
ソファ、テーブル、照明、スクリーン。モノトーンの色調にまとめ上げられた調度は派手ではないものの、ソファの座った感触で上質なものが使われていると分かる。
一見すると豪奢ではないが、粗末ではない。目に見えないところでの気配りが計られている。
応接間というのは客人を出迎える場所である。従って、調度一つによって出迎える主の性格というものが見えてくるものなのだろう。
主が来るまでの間、マリアは智機との会話を思い出していた。
「これからどうする?」
「スポンサーを募ります。増援は期待しておいてください」
「なかったらなかったで、衛星でも落とすなり軍団を展開させるなり、いくらでもやりようはある」
「大丈夫ですよ。智機さんがシュナードラに行ってくださりますから」
智機でさえも口説き落とせたのだから、企業や私設軍も口説き落とせないわけがない。
マリアは言う。
「この後、レオニスグループに行きます」
「レオニスグループといえば、変態を動かせるからというのは分かるけれど、行ったところで無駄足に終わるぞ」
「なぜですか? トモキ・カザマツリ=シャフリスタンさん」
智機はビールを飲んだつもりで小便を飲まされたような顔をする。
「その名前で呼ぶのなら、オレとあそこの会長との間にどんないきさつがあったのか分かっているだろうに」
「そんなの話してみなけば分かりません」
「キャラが違っていないか? それともオレの見立て違いか?」
「どういう意味ですか?」
「やるなら100%勝てる算段をしてから行う。少なくても行き当たりばったりで事を進めるタイプにはみえないんだが」
「利害が一致する、儲かるのであれば犯した相手であっても手を組むのがビジネスだと思いますから」
智機は言った。
「おまえ、周りの大人どもから生意気だって散々言われていただろ」
「ええ。でも、私には陛下と姫様がいました。それを言うなら智機さんも似たような体験をしてきたと思われますが」
思い出してみると、おかしかった。
あの時ばかりは智機も熟練の傭兵ではなく、どこにでもいるような少年の顔であったから。
気の毒だったと思わなくもない。
なにを言われてもしかたがないことを智機がしてきたことは事実であるが、いささか礼に欠いた対応でもあった。
「……お待たせいたしました。商談が長引いてしまって、申し訳ございません」
自動ドアが開いて、現われたのは彼女よりも年上だけれど、それでも14歳ぐらいの少女だった。
烏の濡れ羽色な黒髪をストレートに膝ぐらいまで伸ばした、精巧な人形を思わせながらも鋭いナイフの切れ味も併せ持った美少女。ただし、学校の制服やラフな私服、あるいは豪奢なゴスロリ系のドレスではなく、タイトスカートにビジネススーツを隙無く着こなしているところに少女の性格と立場が現われていた。
「いえ、こちらから押しかけてきたようなものですから。忙しい中、わざわざお時間を割いて頂きありがとうございます」
「ビジネスですから、どんな立場の方であろうとも礼儀正しく迎えるのは当然のこと」
少女は微笑んだ。
「貴女とは一度、会いたいと思っておりました、商談抜きで。マリア・ファルケンブルクさん」
「こちらこそ。風祭世羅会長」
「飽きたかも知れませんが、お茶はいかがしら?」
「それでは、オレンジペコを頂きます」
「貴女の商談の内容を検討させて頂きました」
外から紅茶の入ったティーポットと、サンドイッチとスコーン、指サイズのケーキが置かれた三段トレイが運ばれてきて、応接室は優雅なアフタヌーンティーの様相を呈してきたが、会話の内容は優雅とはほど遠いものだった。
「貴女の資産や所有株式の提供、希少金属鉱山や復興開発の独占権、更にはオリジナルコアの譲渡。悪くはない話ですね」
「ありがとうございます」
「ですが、シュラードラが今から逆転するのは至難なのでは。斉が介入しているという話もありますから、成功する見込みのないビジネスにお金を掛けても無駄なのでは」
「会長の仰る通り、成功は至難だと思います。手は打っておりますが私が思った以上に早く進んでおります。タイミング次第では最悪の事態になるかもしれません」
「実現不可能な夢を見るのは、やめたらいかがですか?」
「至難ではありますが不可能ではありません。石橋を渡るのにも慎重になるのも悪くはありませんが、時には思い切った勝負に出てみてはいかがでょうか。歴史に残る大商人は思いきった勝負に出て、勝ったからこそ、その名を残せたのでは」
「その誘惑に乗って勝てたのはほんの一握り。後は無残に砕け散りましたね」
「会長は勝てる自信がない、という訳ですか」
「勝負するのは貴女ですもの。私からすれば不思議ね。どうして、そこまでの自信、いや最悪の事態にはならないという確信が持てるのかしら」
「……会長は知っていますか?」
「何が?」
「カマラのマローダー。別名、衛星落しのマローダー。カマラ戦争を終結させた鬼畜のエースが何処にいるのか、を」
会長の表情が変わる。
一瞬ではあったが顔に赤みが増し、怒りの色に染まる。普通の人間には分からないほんの一瞬であったが、マリアには見えた。
14歳にしていくつもの大企業を手中に収めた天才企業家ではなく、普通の何処にでもいるようなただの14歳の少女に戻ったのを。
マリアの一言が、会長の心に大きな波紋を広げたのを。
「あのマローダーを雇用したのですね」
「彼ならばある程度は持ちこたえることが出来ます。ただし、持ちこたえられるだけです」
「いえ、マローダーなら勝てます」
「その代わり、カマラの惨劇が繰り返されるとも言えます。あの人ならやるでしょうね」
二人とも笑おうとして失敗し、渇いた空気が流れる。
「……勝つためには会長、貴女の尽力が必要です。私では株投資で資金を稼ぐことは出来ますが、軍関係に働きかけることは出来ません。せいぜいマローダーに働きかけるのが精一杯でした」
「まだ、貴女は6歳じゃない」
マリアがいかつい傭兵連中と交渉し、命令している姿が想像できない。
「それを言うなら、会長もマローダーも14歳ですよね」
「まったく、おかしい話ね」
存在している場所が似つかわしくなくて、視覚の異常を疑いたくなるという点では会長も同じ。妄想か、3流小説家の書く安っぽいフィクションが現実として再現されている事には変わらない。
会長は懐から携帯端末を取り出して、二言三言通信を交わすと通信を切った。
「少し待ってください。時間も有限ではありませんから、削れるのなら少しでも削ったほうがいいでしょう」
「……会長」
「私に声をかけてくれたのは私の資金力と外交力、そして「変態」のスポンサーだから?」
「その通りです」
実はもう一つの要因があるのだが、マリアは言わなかった。無用な火種を投げ込むべきではない。
「「変態」に貴女の計画の可否を判断してもらいます。それでよろしいですか?」
「かまいません」
会長は眉をひそめる。
一通りの結論が出たようで、忌々しいけど仕方がないといった具合に肩の力が抜ける。
「あくまでも判断は任せますが、あの「変態」なら貴女の姿を見れば間違えなく可を出しますね。それも計算に入れたのかしら?」
「それはどうでしょう?」
「その代わり、貴女は生きながらにして地獄を体験する事になるのね。どうして、損な道を歩くのかしら。貴女の才能なら一人でも生きていけるのに」
「私は1人ではありませんから。大切な故郷も失いたくない、家族も失いたくない。そのためには喜んで地獄に落ちます」
「………そういうのは良くないですね」
「どうしてですか?」
「否定するつもりはありません。大切なものを守りたい気持ちは人として当然です。でも、自分の身を犠牲にしても、というのは間違っている。私の知り合いにそういう人がいるから、彼の真似はしてほしくありません」
「でも、会長はその方のことが嫌いではないのでしょう」
「どうでしょうね」
会長ははぐらかすが、半分は自白してしまっているようなものである。
この時、スピーカーから部下の声が流れる。
「渋谷提督がお着きになられました」
「通しなさい」
「かしこまりました」
間髪入れずにドアが開くと、そこには部下に案内されて1人の男性が現われる。
「こんにちは、会長」
見た目は20代後半から30代半ば。人の良さそうな先生を思わせる人物で、敏腕のビジネスマンには見えないが、6歳と14歳の少女たちに比べれば遙かに場に合っている。
「ご足労をかけました。渋谷提督」
「会長は我が渋谷艦隊にとって大切なスポンサーですからね」
渋谷艦隊司令官、渋谷達哉は視線を会長から、マリアに向けた。
「貴女が株式市場を賑わしている天才少女、そして、あの御給智機を引っ張り出したマリア・ファルケンブルクさんですね」
「初めまして。渋谷提督」
「ボクが好条件を提示しても入ろうとしなかった、あのマローダーをどうやって引き入れたのか興味があります」
「聞きたいですか?」
渋谷はマリアを見つめる。
脚の爪先から、頭頂部の天使の輪っかが浮かぶ髪艶までじっくりとなめ回す眼差し。
しばらくの間、新種の昆虫を確かめる科学者のようにすみずみまで観察をすると渋谷は口を開いた。
「まとめると助けがくるから、それまで死守、という事でよろしいでしょうか」
会議も終盤にさしかかって、ディバインがまとめに入る。
「勝利条件は旧領回復。いや、旧領よりも国境沿いの資源地帯を抑えることが最低条件か」
智機の国民よりも資源のほうが大事だと言わんばかりの態度に、ファリルはむっとする。
「報酬として、最低でも鉱山地域の独占開発権は要求してくるだろう」
「世知辛い話だ」
「世の中なんてそんなものさ。若造」
「だから、反逆するんだろ」
ザンティとの会話を楽しんだ後に、智機は話題を切り替える。
「一つだけ忘れてはいけないことがある」
いくら歳が若いとはいっても、年齢不相応な実績を積み上げているだけに、全員に息を飲ませるほどの迫力がある。
激しい戦争を生き延びてきたという点では、ザンティですら勝てないのだから、智機の一言一言には一般市民を踏みつぶすEFの踏み込みのような重さがある。
「それは姫様がおられるということだ」
「わ、わたしですか!?」
その様な重さで自身が言及されたので、ファリルは緊張する。
「仮にクドネルの総統と、姫様が大統領戦に出馬するししたら、どちらに入れる?」
「そんなの姫様に決まってるじゃないですかっっ!!」
予想通りのヒューザーの反応。
「当然、だな」
「私も姫様に入れます」
「言うまでもないですよ」
「そ、そんな、私は大したことではないです」
「その謙虚さといい、敵国の市民にまで気にかける優しさといい、オレ達が担ぎ上げるには申し分ない。クドネルに勝っているところはそこだ」
だからこそ、命を賭けるに値する。
ファリルは頼りないかも知れないけれど、真剣に国のことを想っていることには間違い無く、だからこそ、守りたくなる。
「オレ達は一つにまとまれる。クドネルはそうではないという事ですか」
「利権やら意見やらが絡むんだ。あっちの総統には姫様のように強引に押さえつけられるほどのカリスマ性はない」
「具体的に言えば親斉派と反斉派の対立ですか。うまくいけば立ち回れるとは思いますが、そうそううまく行きますかね」
「だいたい、斉が関与している証拠なんてあるんすか?」
「今のところはね」
「そんなことはどうでもいいんですよ」
セシリアにしては、意外だった。
「敵が何者だろうとそんなの関係ありません。私たちは私たちで頑張るしかないんです。頑張って頑張って頑張れば、きっと道は切り開けます」
「頑張っても報われるとは限らないけれど、頑張らなければ何も得られない。最低条件なんだよ」
言葉こそ辛辣ではあるが、顔は笑っていた。
「代行殿はどうして、ネガティブなんですか」
「悪い。経験上、そういう物の見方しか出来なくて」
「そんなのはダメです」
「了解っと」
智機は手を中央に向かって付き伸ばす。
「合わせるんだ。代行殿にしては珍しいなあ」
ヒューザーが意図を察して、手を伸ばす。
「形も重要なことって意外とあるんだぞ、後輩」
ザンティも手を伸ばす。
「へいへい」
「こういうのは高校以来で、照れ臭いですね」
ブルーノも手を伸ばす。
「ばーか。お高くとまってんじゃねーぞ」
「まあまあ。こういうのも悪くはないですね。というより大好きです」
セシリアも手を伸ばす。
最後にファリルだけが残される。
「私も……いいのですか?」
「いいも何も、姫様が音頭とってくれないと始まらない」
「私が取るんですか?」
「たりーめだろ。トップはファリルなんだから、こういうのはファリルが仕切らないとダメだよ」
「わかりました」
ファリルも手を伸ばして、みんなの掌が一つにまとまる。
「それはでは行きます」
ファリルは息を飲んで覚悟を決めた。
「目指せ、シュナードラ復活っっ えいえいおーっっっ!!」
「えいえいおーっっ!!」
一発で綺麗に揃った。
「ちょっと緊張しまいました」
「良かったですよ、姫様」
力がほどよい感じで抜けたファリルとセシリアを見ながら、智機はこれからの事を考える。
食料事情など住民問題はザンティに任せられるとはいえ、軍事面ではディバイン達に丸投げというわけにはいかない。作戦や戦略を考えるのは楽しくないとは言わないけど、状況が無理ゲーすぎる。
衛星落しは面倒なことをすっ飛ばせる手段であったわけだけど、流石に拒否されたので別の案を考えなくてはならない。
あの人なら、どう考えたんだろうと、智機は思ってしまう。
純粋に興味本位として。
考え込みかけた智機であったが、アラームの音が思考を中断した。
「代行殿、大変です」
相手はオペレーターだった。
「どうした」
「通信が入ってます。相手はクドネル人民共和国総統テオドール・ロンバルディからです。姫様との直接会談を望んでいます」
オペレーターからの報告に、場が一気に緊迫する。
「受けるしかないよな」
「何処にいくんですか?」
智機が立ち上がったのを見て、ファリルは焦る。
「オレは裏方だから表に出るのはまずい」
「……」
それでも、ファリルが悲しそうな顔をしているのを見て、智機は苦笑するとファリルの頭をぐりぐりり撫でた。
「そんな顔をするなって。ディバインに任せておけば、この場は問題ない」
「オレですか?」
「おいおい、最高司令官殿もそんな顔をするな」
全権を委任された格好になって、ディバインまでもが不安そうになるのを見て、智機は呆れた。
「首都を脱出する時に比べれば、遙かにマシだろ。オレは使えない奴に任せたりはしない」
「……了解しました」
ディバインが敬礼したのを確認すると智機は出て行った。
ファリルが唾を飲み込んだのに合わせるかのように、巨大なスクリーンにクドネルの軍服を着た50過ぎの人物が現われる。
「お初にお目にかかる。ファリル・ディス・シューナドラ公女」
「初めまして、ロンバルティ総統」
「まずは、前公王陛下並びに公妃殿下が薨去なされた事をお悔やみ申し上げる」
総統からすれば儀礼上、当然のことではあるが、この場にいる人間たちが一瞬にして激怒したのは言うまでもない。
ディバインも激怒しかけたが、智機からこの場を任されたことを思い出して心を静める。
智機なら、どのように処理したのか気になるところだが、考えている余裕はない。
「姫、落ち着いてください」
ファリルの様子がおかしくなりかけていた。
必死になってこみ上げてくるゲロを押さえ込もうとしているのだけど、抑えきれずに苦闘しているように見える。
セシリアが抱きよると少しは落ち着くものの、それでも苦しみは続いている。
「御覧の通り、姫様は会話できる状態ではない。代わりに私、シュナードラ国軍総司令ブルーノ・ディバインがお相手する。よろしいか?」
「構わない。総司令は貴公か。マローダーではないのだな」
「総統も、わざわざ弔辞を述べるためにきたのですか」
「違うな。単刀直入に言おう。姫様を我々に捧げて降伏せよ。ならば、それ以外の命だけは助けてやろう」
「断るといいましたら?」
「この地に衛星を落とす」
「ふざけ…」
「落ち着け」
その言葉を聞いて、ヒューザーが憤激するがザンティが強引に押さえつける。
役割的に制御する側に回っているが、ザンティでさえも激怒している。
ディバインも叫びたいのはヒューザーのように叫びたいのはヤマヤマなのだが、立場上、激昂する訳にもいかず、どのように対処すればいいのか模索する。
とはいっても、それほど難しく考えることでもなかった。
「私の一存では決定出来かねないので考えさせてください。後ほど、お返事いたします」
「いいだろう。ただし、期限は3日後、12時までだ。いい返答を期待しているよ。それでは」
通信が切れて場に沈黙が訪れる。
「ちきしょう…ざけやがって!」
ヒューザーが机を激しく叩いた。
ディバインにも怒りがこみ上げるが、怒りに浸るには立ちふさがる現実があくまでも過酷過ぎて呆然としてしまう。
ファリルを引き渡して降伏しろと言っている。
拒否すれば、衛星を落とす。
占領ではなく、破壊を目指した脅威に抗うには、明らかに兵力が足りなすぎる。状況は銃弾を頭に撃ち込んでしまいたくなるぐらいに絶望的だった。
「姫様……大丈夫です……」
「はい……すみません」
ようやくファリルが落ち着いてきて、ディバインは安堵するが、その代わりに罪悪感がこみ上げる。ファリルが両親の死にショックを受けていた事を知っていたはずなのに、気配りが足らなかった。
「辛気くさい面してるなあ、みんな」
智機が再び現われる。
「姫様寄越せ。嫌なら衛星落とすで機嫌が良くなるわきゃねーだろ。ボケ」
智機は軽薄だったが、落ち込んだ態度を取られるよりはマシだ。
「回りには何もないから、衛星でも隕石でも落とすにはもってこいだ」
おかげで環境被害が起きない。絶海の孤島という環境がここではマイナスに働いてしまった。
「でも、衛星落とすって……どうすりゃいいんだよっっ」
「どうするもこうするも対処するしかないだろ。オレが迎撃に行って、残りの戦力で防衛」
「代行殿だけで平気なんですか?」
「平気というつもりはないけれど、オレについていける奴が、この軍にいるのか?」
それを言われると言葉もでない。
「それよりも大切なのはクドネルよりも、姫様だろう」
間違っているかも知れないが、間違ってはいない。
「す、すみません」
気分の悪さを引きずっていたけれど、それでもさっきよりは回復していた。
「お恥ずかしいところを見せてしまって」
確かに、政治家として見るならファリルの対応はまずいどころではなかった。
「いや、ファリルの体調を失念していたオレの失態だ。悪い」
「そんな、悪いだなんて……困りますよ。こんなに頼りなくても王なんだから、しっかりしないと」
「気張るなっつーの。ファリルはPTSDなんだからさ」
「ぴーてぃーえすでぃー」
「目の前で家族が死んだんだから、誰だってそうなるって。本当は病人に無理はさせたくなかったんだけど。時間はかかるかも知れないけど、ゆっくり治していこう」
「…はい」
「で、確認だけど徹底抗戦でいいかい?」
「徹底抗戦…ですか?」
ファリルは急に現実を突きつけられてしまう。
「拒否すれば、この島に衛星を落とされてしまうんですよね」
「飲めば、ファリルの身がどうなるかは分からないぞ」
「それでも、この島の人たちが助かると言うのなら」
智機は不意に笑顔を浮かべる。
一見すると優しそうな笑顔だったが。
(なら、初めて会った時に死ねばよかったんじゃないのか)
ファリルが生きているから、誰も彼もが地獄に巻き込まれている。
……ひどく不安になる笑顔だった。
「何やったんだ、代行殿は」
「……想像もしたくない」
アイコンタクトで最初に出会った時の頃を思い出させられ、ファリルが引きつったの見て、ライダー2人組が小声で話し合う。
「あくまでも徹底抗戦ということで、問題はどう立ち向かうか、だ」
強引にまとめたところで本題に入る。
「上空の敵兵力は、代行殿がいちばん良く知っておられると思われますが」
「上空にいるのはクドネルの第二艦隊と禁狼血刃(きんろうけつば)衛星落しはこいつらが中心だろう。第二艦隊はともかく、禁狼血刃は厄介だ」
「禁狼血刃は空母持ちですからね」
艦隊は基本は戦艦、金がある場合には巡洋艦、無い場合は駆逐艦であり、空母が使われる例は少ない。他艦種とは違い砲撃力がないので、EF抜きでの砲撃戦では不利に働くからである。従って、空母を運用するのは大国などの大艦隊に限られており、禁狼血刃もそのうちの一つである。
「クドネル第2艦隊は戦艦3隻と巡洋艦12隻、禁狼血刃は空母2隻、戦艦4隻、巡洋艦12隻。ここから導き出されるEFの数は大凡で550騎、か」
「いくら代行殿でも500騎は厳しいんじゃないんですか……いや、変わらないか」
同じような数を相手にして、回避だけで勝ってきた化け物である。
「いくら何でも禁狼血刃をクドネルやその手の連中と比べるな。もっとも、変態を相手にするよりはマシ」
「へんたい?」
変態といったら普通に変態なので、軍関係者でないファリルが唐突に思ったのも無理はない。
ヒューザーがフォローを入れる。
「変態というのは渋谷艦隊ですよ。数ある傭兵騎士団の中でも最強と知られる存在……ただ、色々と問題があって、つけられたあだ名が変態なんですけどね」
「その渋谷艦隊というのは強いんですか?」
「強いよ。仮に、クドネルに渋谷艦隊が参入していたら依頼を断ったぐらいに強い」
「………」
「せんせーっ」
ヒューザーが手を上げる。
「なにかね、ヒューザー君」
「代行殿はどれに乗って行くんですか?」
重要な問題だった。
「普通にクーガーに乗るしかないだろ」
「普通にクーガーって……あっさりっすね」
「しょうがないだろ。奪ってきたメネスが使い物にならないっていうんだから、ある物で我慢するしかない」
「また、うんたん使うというのは?」
「そう使えるものでもないだろう。出なければ、普通にうんたんメネスで出撃する。違いませんか?」
「その通り。使えるといっても動かせる程度で、実戦で使えるレベルではない。とりあえずはクーガーでやってみせる……と言いたいところなんだけど」
何故か智機は言いよどむ、というよりは溜めた。
「そこの変態市長」
智機が視線を向けたのは、会話に参加していなかったザンティだった。
「誰が、変態だ。何処ぞのロリコン司令と一緒にするでない」
「これは失敬。オレ達が深刻な会話をしているというにニヤニヤしているものだから、どこぞのロリコン司令のような妄想をしているのではないかと」
「……どういう会話だよ」
「ほう、気づいたか。小僧」
黒さ100%オレンジジュースのような濃い会話にヒューザーが突っ込むが、ザンティは平然と無視する。
「何か、面白いネタを見つけたか思い出したんだろ。言ってみろよ」
「……2人ともいい笑顔、といってもいいのかな……」
「見ているだけで胃が痛くなるような笑顔ですよね」
どう言いつくろっても、2人は悪党にしか見えなかった。
ザンティは端末を操作して一言二言言ってから着る。
すると間髪入れずに会議室のドアが開いて、1人の男性が現われた。
「やあやあ、みなさん初めまして」
「紹介しよう。この御仁はジェームズ・リチャード・クラークソン博士。EF開発者だ」
「どう見ても博士に見えないんだけど」
年齢はザンティと同年配であるが、身長が高く筋骨隆々。ザンティほどではないが頭が禿かかっていて、チン毛を頭皮に移植したように見える異相はヒューザーが言うように博士には見えなかった。どちらかといえば肉体労働者である。
「ジェームズ・リチャード・クラークソン…何処で聞いたことがあるような名前だな」
「何故、EF開発者の人が出てくるんだ?」
「……まさか」
ディバインの表情が静かに驚きへと変わる。
「知っているのか、ディバイン!?」
「どうやら、後輩も気づいたようだな」
「ジェームズ・リチャード・クラークソンって何処で聞いたことがあると思ったら、ダイナソアの作者か」
数分後、ファリルと智機は廊下を歩いていた。智機が想いだしたように呟くと、先導していた肉体労働者にしか見えない自称博士が反応する。
「ほう。私の作品を知っていたとはね」
「一回、整備した事があるんだけど複雑っぷりに泣いた。その後にフォンセカ整備したら簡単で簡単で、こいつを作った奴に出会ったらぶっ殺そうと思ったことを思い出した」
「殺す気になったかね」
「さあね」
ノリがいいのか、殺伐としているのか分からない2人を余所に、ファリルは何故、歩いているのだろうと戸惑ってしまう。
「私たちは何処に向かっているのでしょうか?」
「よそ者のオレよりも、ファリルのほうが詳しいと思ったんだけど。シュナードラに眠っているお宝の話」
「お宝?」
答えになっていない。
「国境地帯に希少金属の鉱脈が発見された事が、戦争の原因になったのは置いておいて、一緒にコアも発掘されたのは覚えている?」
「コアって、エレメンタルフレームのコアですよね」
コアというのは、ドリフトを発生させる動力源であり、機ではなく、騎と表現されるEFの根源ともいえるパーツである。極希に発掘されるオリジナル・コアを元にコピーが製造されるもので、従って製造には制約がある。オリジナルは作れないため、いかなる大国ともいえどコピー元であるオリジナルを所持しなければ、EFを自国生産する事は不可能なのだ。
「クオレ係数20という素晴らしいものでありながら、あいにく時の政権はサリバン(バカ)だった」
「クドネルの侵攻を防げたかも知れないほどのブツなのに「戦争を誘発させる恐ろしいものは、この世界にはいらない」なんて抜かして、破壊を命じるんだから、ほんとお花畑にもほどがある。罪深いほどに」
クオレ係数とはオリジナルコア自体の強さを示す指標であり、数値が高いほど優秀である。一般的に使われているフォンセカが7なので、それを考えると星団随一といってもいい。
来ると思っていないというより、存在すら知らなかった人物が来ているのだから、ファリルでもその先の展開が読めてくる。
「実は捨てられてなかった」
「そういうことです。姫様」
智機まで招聘することに成功したマリアなのだから、資源を無駄に捨てるわけがない。
「そのオリジナルコアを基にEFを一騎試作しました。これから行くところはそのEFのあるハンガーです」
「……楽しそうですね」
「そりゃねえ」
もはや、智機はこみ上げてくる歓喜を隠そうとしない。ファリルには智機の歓喜を止める権限なんてないのだけれど、可愛い猫を見つけては抱き上げるような笑みではなく、仕掛けた罠に引っかかって無残な姿になった猫を見て喜んでいるような笑いなので、胃が痛くなってくる。
「クオレ係数が20って言ったら大国の旗騎(テスタロッサ)クラスじゃないか。センチュリオンズでひたすら媚び売ってなければ乗れないんだぞ」
まだ、貴方の所有物と決まったわけではないと突っ込みかけて、ファリルは気づく。
ライダーを雇うには金がかかる。しかも、智機クラスのエースであればどれだけの額になるのか見当もつかない。
マリアが想像以上に資金を稼いでくれたとはいえ、金だけで動かすにはこの戦況は余りにもリスクが高すぎる。
大国の旗騎クラスの騎体が手に入るとならば、この厳しすぎる戦況に命を賭ける価値がある。いくら金を積んでも手に入るというものではないからだ。
やがて、3人はハンガーの中に入る。
それは異形の巨人。
水色の装甲に身を包んだEFはクーガーよりも2割増しほどに大きかった。
膝ぐらいまで伸ばした黒髪を後ろで三つ編みにまとめている女性メカニックが作業しているが、張り付いている虫のようにしか見えない。
「これが現在制作中のEF、JCF-001Cです」
「……これがEF…」
そのEFはお世辞にもかっこいいとは言えない。
「アニメに出てくるような主人公機を想像して、宛が外れたというような顔ですな」
「い、いえ、そんな……」
「胸部はフォンセカからの流用に間に合わせの増加装甲、ジォネレーターはEFではなく、軍艦か」
ジェネレーターはEFよりも宇宙船の物が手に入り易く大出力ではあるが、サイズも大きいのでEFのフレーム内に収めるには工夫も必要で何かと効率も悪い。
「コア自体は実に上質なものを使用することが出来たのですが、フレームの素材自体はあるものを活用するしかなくてね」
大国が莫大な資金を投じているものではなく、個人が限られた資金で細々と作っていたものなので、手に入る素材も限られたものになる。
ここまで仕上げられたのが奇跡というものなのだろう。
「ガワのほとんどは寄せ集めだが、設計は一応新規だ」
「当たり前だろ」
ファリルは仔細にEFを確認してみる。
フォンセカの流用パーツに、やっつけ感丸出しの増加装甲をつけた胴体が膨らんでいるのは、クラークソンが語ったように宇宙船用のジェネレーターを搭載しているからだろう。
何処をどう見ても異様だ。
騎体は巨体であり、更に背後には肩からお尻までを覆えるほどのバックパックユニットが取り付けられている。
肩のパーツが不自然なまでに大きい。詳細は分からないが恐らくはエネルギータンク、もしくは武器の搭載スペースなのだろう。
その肩から腕とは別に、二つの細い副腕が伸びている。
極めつけは右腕。
左腕は副腕を除けばクーガーとそれほど違いはないデザインなのに対し、右腕は倍以上の太さがあり、殴ったら殴られた方よりも殴ったほうが骨折するほどに頑丈な装甲で覆われている。巨大で鋭い5本の格闘クローを装備したその形は人類というよりは甲殻類のもの。EFの持つ汎用性を斜め上の方向に投げ捨てていた。
掌には巨大な穴が穿たれており、上腕部が畸形なほどに膨らんでいるのは、火器を搭載しているからであろう。
「どのようなコンセプトで作られたのでしょうか?博士」
「今まで数々のEFを扱ってきましたが、もっとも最高のコアを素材にすることができましたので、理想に走ってみました」
「理想?」
「二高一重」
ファリルには何のことだか、さっぱり分からないが智機が意味を教えてくれた。
「高機動、高火力、重装甲。要は最強のEFということ」
音よりも早く動けて、自然災害にも匹敵するほどの火力があって、どんな攻撃にも耐えられる装甲。この三つの要素を兼ね揃えられれば最強ともいえるが、実現困難とも言える。
見ているだけでも吐き気がするぐらいに、これでもかといわんばかりに頑丈だし、火力にも気が配られているのは分かる。
「……これで動けるんですか?」
第一印象は鈍重の一言。
二つまでなら出来なくもないのだが、三つも兼ね揃えるのが難しいのは高機動と重装甲が相反するからだ。
装甲を施せば施すほど重くなり、高速からかけ離れていく。その矛盾する難題を解決するために幾多の技術者は挑戦してきた。具体的にいえば馬力の増強や軽量且つ頑丈な素材、抵抗を受けにくい形状などであるが、ファリルの目の前にある騎体は軽量化の努力を端っから放棄していた。
この騎体が目にも止まらぬ早さで動くところなど想像もできない……というよりも、怖い。
「普通、高速と言ったら限界まで重量を削って、大出力のジェネレーターといったところなんだけど」
「それでも構わないんだが、面白くない」
「面白くない……」
「そういや、アンタは業界きってのPOWER厨だった」
「POWER厨?」
「こいつには2基のジェネレーターを搭載している。EF用の物ではない、水雷艇の物を極限までチューンしたものだ。これがもたらす意味を代行殿なら理解できるはずだ」
この場合の水雷艇とは、もちろん水中で動くものではなく、軍艦の中でも一番小型の艦種のことを差す。戦闘力は最低レベルである代わりに、速度は最速だ。
「なぜ、EFのを詰まなかったのですか?」
「残念ながら都合のいいのが見つからなかった」
「ほんとかよ」
水雷艇でもEFの速度に勝てないのはパワーウェイトレシオ比でEFが凌駕しているからであって、ジェネレーターの出力は軍艦の方が高い。しかし、軍艦用の搭載しているEFが存在しえなかったのは単純に詰むには大きすぎるからである。
「高火力、高機動、重装甲を追求したと言ったよな」
「ああ言った」
「嘘とは言わないけれど、言い訳だな、それ。チューンしたとも言ったけれど、どれくらいの出力になった?」
クラークソンは悪びれもせずにいった。
「戦艦クラスの出力まで増強した」
「戦艦クラス!??」
そして、ファリルが驚く。
「新型ジェネレーターの設計もできていたのですが、新規に作る時間の余裕も資金もなかったので既存品の改造ということになりました」
そういう問題ではないだろうとファリルは思った。
目の前にそびえる、知らない間に作られた騎体はEFとしては大型ではあるが、戦艦レベルのパワーを受け止めるには小さすぎるということぐらいはファリルにも理解はできる。
「せっかくクオレ係数20の高純度のコアを手に入れたんだ。ここでPOWERを追求せずにいつ追求するというのかね」
高機動の追求には二つの方向性がある。一つは軽量化、一つは出力の増強。大抵の軍や企業などでは極限まで騎体を軽くして常識の範囲内での高出力のエンジンを詰むのが、高速系騎種の基本である。あくまでも、非常識なまでに高出力という真似はできない。過剰なパワーにフレームがもたなくなる。
ドリフトなら空中分解を防ぐことも可能だが、ドリフトの常時発動を前提に入れての騎体設計をする開発者はいない。
「バカみたいに高出力のジェネレーターを搭載するために装甲も兼ねて頑丈にしたというわけか」
そこで出てくるのが重たいフレームに、高馬力のエンジンを乗せ、エンジンの力だけで高機動を実現するという発想である。
たとえ1BOXであっても、宇宙船用のジェネレーターを搭載すればスーパーカーを楽々とぶっちぎれるのと同じ理屈である。
目の前にいる騎体がフォンセカ系よりも大きいとはいえ、水雷艇に比べれば小さい。にも関わらず宇宙船用のジェネレーターを搭載するのだから、パワーウェイトレシオ比は大半の騎体を凌駕する。
ただし、小規模ながらもザンティがEF部隊を編成できていることを考えると、必ずしもEF用のジェネレーターが必ずしも手に入らなかったというわけではない。
「こいつの出力はベルリン級よりも1割ぐらい増している」
「ベルリン級といいますと?」
「NEU圏内で広く使われている戦艦。ひらたく言えば、ロストックの同級」
「ちょっと待ってください」
目の前にあるEFと首都からガルブレズに来るまでに乗った戦艦とほぼ同じ出力なんて信じられないことだった。法螺を吹いているとしか思えない。
「つまり、最初から高火力、高機動、重装甲を狙っていたわけではなくて、EFにどれだけ高出力のジェネレーターを詰めるかどうか実験したみた結果、高火力と重装甲も実現したっていうことだろ」
ジェネレーター出力が常軌を逸しているので、下手に軽量化をしようものなら、速度を出した瞬間に崩壊する。自転車にスーパーカー用のジェネレーターを積んでも動かした瞬間に崩壊するのと同じだ。それ以前に積めないともいうが。
智機が最初に殺してやりたいといった気持ちが、ファリルにも理解出来たような気がした。
「装甲があったほうがストレス無しに戦えるだろう。むしろ、代行殿は高機動とは真逆の戦い方が得意のように見受けられるが」
「好き好んで楯ばかりやってたわけじゃないんだけど。でも、戦術の幅が広がることにこしたことはないか」
重量を抜きにしてひたすら馬力を追求する方法の利点は出力に余裕があるということである。高機動特化型の騎体は装甲が薄いので防御戦には向いていないが、この騎体は過大すぎるジェネレーター出力にも耐えられるよう騎体が強化されているので、誰かを守って被弾することが要求される防衛戦でも対応できる。
もちろん、規格外の大型ジェネレーターを搭載しているのだから欠点もある。
「燃費は?」
「少し悪い」
直後の智機を見て、ファリルは物凄く悪いんだと解釈することにした。
「回せなくもないが、基本的には騎体のエネルギー全てを騎体制御に回す仕様になっている」
ビームライフルなどの光線系兵器は本体から無線で供給されるのが基本である。にも関わらず、自粛して欲しいというのは稼働事情が厳しいのだろう。
「バックパックがコンテナになっているのは、そういうことか」
「???」
「火器系全てをエネルギーカートリッジで賄っている」
よく見れば上腕部の肘付近に細長いくぼみがついている。そこにカートリッジを差し込む仕様になっているのだろう。
また、副腕が装備されているのもカートリッジの交換を円滑にするためだろう。
「弾薬庫背負って戦闘か。ぞっとしないなあ」
「だからそこは一番頑丈に作っている。一発当たればおしまいなのは、どのEFも一緒だろうが」
騎体の動力源の傍にコクピットがあるのだから、脱出装置があるとはいえ、当たれば一発で死ぬのはどの道、同じである。
「固定武装は頭部に60mmバルカン砲が2門、右腕は見ての通り格闘専用になっていて、クーガー程度はドリフトを使わなくても握りつぶせるほどの握力がある。また、戦艦主砲を搭載する予定だ」
「予定ということは、まだ搭載されていない」
「流石に戦艦クラスとなると入手が難しくてね」
「そういうことだったら昨日、戦艦を何隻か沈めてきたから、パーツを手に入れてくればよかったかな」
いくら智機であっても、そんな余裕はなかった。
「肩部に装備にしているのはカートリッジコンテナだが粒子砲ユニット、ベアリングランチャーに交換することができる」
「高火力なのは間違いない。予定通りにいけばの話だけど」
「感想はどうかね。代行殿」
「かっこいい」
ファリルは智機の感性を疑ってしまった。
目の前にあるクラークソン博士が造り上げた騎体は一言で言えば鈍重。右腕を除いたパーツは適当な騎体から適当にツキハギして、ゴテゴテ増加装甲をくっつけたという外見は良くて無骨、悪ければダサいという代物であり、視覚いっぱいに広がる圧倒的な質量がもたらす恐怖感はあっても、爽やかなイケメンのようなかっこよさはない。
でも、智機の騎体を見る目は最初と変わらない。
気持ち悪ささえ感じられるグロテスクな見た目であっても、智機の士気が下がることなく、むしろ、燃え上がっている。この時ばかりは年相応の少年のように見えた。やっぱり、男の子は戦闘マシーンを見ると燃え上がるのだろう。
「なんか文句でもあるのか、こら」
「い、いえ。文句なんてありません」
ただ、ファリルからすれば獲物を見つけた野獣のような凄みのある笑みを浮かべるのはやめて欲しいと思う。どう見てもファリルは捕食される側だから。
「姫様を脅してどうする。それはそうと、気に入ってくれたようでよかった」
「量産化は無理だけど、これなら充分に戦える」
いくら試作とはいえど、このままで量産するのは不可能だ。
ファリルはおそるおそる、クラークソンに質問してみることにした。
「この騎体に乗れるのは?」
「この国では代行殿だけだ」
EFの性能はクオレ係数の高さに準拠していて、係数が高ければ高いほど性能を高めてくれるが、その代わり、コア側も乗り手を選ぶ傾向にある。
レベルが高ければ高いほど、ライダーにも技量が必要とされ、シュナードラ軍のライダーのように極端にレベルが低いと騎乗拒否されてしまうこともある。
「JCF-001Cが量産の暁にはクドネルを圧倒して、シュナードラを再興できるぞ」
「乗れるライダーがいなければ、話にならないだろうが」
それ以前に、バランスを度外視してまで強大なジェネレーターを搭載したピーキーすぎる代物を制御できる変態がごろごろしているとは、ファリルにも思えない。
「こんなこともあろうかと、実は量産計画を立てているのですよ」
「量産計画ってちょっと待ってください」
乗れない騎体を量産しても無意味だ。EFに関しては門外漢であるファリルでさえも言いたくほどだったが、それを解決したのは騎体から降りてきた整備士の少女だった。
「JCF-001Cはあくまでもコアの性能を確認するための試験騎です。量産騎の計画は別にあります」
「だろうな。早急に仕様をこちらのアドレスに送ってくれ。後で詳細を検討する」
重要な案件ではあるが、クドネルの侵攻が72時間後に迫っているのだからそれ以上にやらなければならない事がいっぱいある。
「貴女は?」
想像はつくのだけど、敢えてファリルが素性を尋ねるとクラークソンが紹介する。
「彼女はメイ・ハモンド。私の弟子だ」
「弟子ではありません。部下です」
却下したくなる気持ちも分からなくもない。
「だから、同情の目でみないでください」
「す、すみません」
「代行殿も変態を見るような目で見ないでください」
智機のほうがひどかった。
「JCF-001Cの完成度はどれぐらい?」
「平然とスルーしないでください……で、現時点の完成度は20%といったところです」
「20%?」
ファリルの目やクラークソンの口ぶりからは既に完成しているように見える。武装のいくつかが取り付けられていないだけで20%だけというのはおかしい。
「この騎体には欠陥があるんです」
「欠陥?」
「この騎体が加速をすると最大で200Gがライダーにかかるんです」
「200Gって……」
普通の人間にはその言葉の意味するところが分からない。
「人間が耐えられる最大の重力加速度は180Gです。通常動作でライダーを殺しかねないほどの騎体に搭乗なんて認められません。だから、いかにしてGを抑えようと模索しているのですが、なかなかうまくいかなくて……」
ファリルとしては、色々な意味で唖然としてしまう。
現状最大級の出力をたたき出すジェネレーターを搭載するために堅牢なフレームになったのだが、問題なのは出力過剰なジェネレーターから生み出されるパワーを騎体のみならずライダーも受けてしまうという点にある。つまり、耐えられないのだ。
出力追求のためにはライダーの命も考えない設計も平気で行えるクラークソンの変人っぷりには唖然とするしかない。
200Gの重力加速度がかかれば人は生きていけない。原型さえも留めないだろう。メイのいうことは100%と正しい。
「それだけ?」
しかし、智機の前では考えに考え抜いたギャグが滑ったような雰囲気になる。
「……それだけって、それだけですけど……それだけで止めるには充分ではないですか」
でも、ファリルは見た。
目の前にいるこの少年がパラシュートも無しに生身で落ちてきて、地面に高速で激突しながらも何事もなかったかのように立ち上がったのを。
「なら、問題ない」
200Gだろうと智機には耐えられる。そよ風程度でしかない。
「問題大ありです。だ……」
悪魔のような笑みを浮かべて強行しようとする智機に、開発に携わる者の良心として止めようとするメイであったが、張り上げた声が途中で止まった。
空気が絶対零度の領域にまで凍り付く。
メイはおろか、ファリルやクラークソンまで動くことが出来ない。
……智機が地獄の魔王のように怖かった。
短いのかも知れないけれど永劫のように感じられる一瞬。
メイの顎の鳴る音で、ファリルとクラークソンの硬直が解ける。
「いいな」
「……はい、わかりました……」
「いい子だ」
智機の言葉に何故かファリルの背筋が凍り付いた。
立っていられずにメイの身体がハンガーの床へと倒れ込み、両手をつく。さっきまでの勢いは何処へやら、恐怖で泣きじゃくってしまっており地面に2種類の液体を垂れ流してしまっていた。
両目から絶え間なく迸る涙……股間からあふれ出る生暖かくて妙に黄ばんだ液体。
「……いかんなあ、代行殿。無駄に凝りまくるところは気に食わないが、これでも大事な弟子なんだ」
智機があの一瞬の間に何をしたのか、分かってしまうだけに言わざるおえない。
「智機さん。後でメイさんに謝ってください」
端から見ていたファリルでも、裏路地で背後からいきなりナイフを首筋に突きつけられたように怖かったのだ。直接、殺意をぶつけられたメイにとってはそれ以上であるのは言うまでもない。恐怖のあまりに漏らしてしまうのも当然だ。
「これは代行命令。逆ら……」
「なら、姫様命令です」
考えてみたらファリルも智機の行動に付き合わされて漏らしていた。だから、他人事とは思えなかった。
「了解しました」
智機が受け入れたのが意外。
「それではビジネスの話をしましょうか。姫様」
しかし、話をすぐに切り替えてしまうのが智機らしいといえばらしいのだけど、丁寧な言葉使いをするのが不安でもあり、痛かった。
「ビジネスですか?」
「何度も言いますけど、ボランティアで来たわけではありませんので」
智機は傭兵である。
正義の味方をやりに来たわけではないので報酬を払わなければいけない。正当な報酬が支払われなければ智機に拘束されて、ファリルの身柄を手土産に投降されても文句は言えないのである。
今までそういう話がなかっただけに、いきなり現実を突きつけられてファリルは緊張をする。
「報酬ですが……」
ファリルは唾を飲み込み、どのような報酬が要求されるのかと判決を待つ囚人のような気持ちで聞いた。
「まずはこのJCF-001C。および活動に際しての必要経費および小遣い。これが基本報酬。成功報酬は宇宙船一式と追加の金銭。でも、これは戦争が終わった時でいいでしょう。ファルケンブルク女史を代理に立てても結構です」
思ったよりも穏当で胸を撫で下ろす。
「小遣いっていくらぐらいなんですか?」
「姫様と同じぐらいで」
普通の一般家庭の子と同じ程度しかもらえなかったことに感謝する時がくるなんて思いもよらなかった。
「わかりました。それでお願いします」
仮にJCF-001Cを渡さないのだとしても、智機以外に乗れるライダーなんていないのだから、なら渡してしまったほうがいい。智機からしても、大国の旗騎クラスのEFを手にいられるのだから取引としても悪くはない。
「後で文章にしておきましょう。それでは握手」
今更、求められることもないと思うのだけど拒絶するのもアレなので握手をする。
「そうだ。一つ条件をつけてもいいですか?」
「オレが受け入れられるものであるのであれば」
「では言いますね……」
言おうとしてファリルは言えなくなってしまった。
とても、恥ずかしい。
火が出るくらいに恥ずかしい。
「いいえ、なんでもないです。後で気が向いたらでいいですか?」
「了解。JCF-001Cの件についてですが、後で文面に起こしますのでサインを下さい」
「わかりました。
突っ込みがなかったことに安堵する。
こうして契約があっさりと成立すると智機は当面の問題に取りかかった。
タブレットから投影式のスクリーンを立ち上げると、会議室につなげる。
「こちら、智機だ」
「代行殿、新型騎はどんなものですか?」
ディバインの問いに智機はタブレットを持ち上げて、カメラに新型騎を映し出してみる。
数十秒間続けた後、タブレットを下ろして画面を見ると、ザンティ以外の人間があっけにとられていた。
「なんていうか……その……可愛くないですよね」
セシリアの言うことも最もである。アレを可愛いという人間は視神経か脳のどちらかがおかしい。
「いや、可愛さは必要ないとは思うんだけど、絶対、主役機ではないよね。あれを主役機というなら、スポンサーから文句が来て絶対に変えられるよ」
ヒューザーはらしいといえばらしい。
「……使えそうですか?」
見た目は抜きにして性能を問うてくるのはディバインらしいとも言える。
「ああ、充分に使える」
横目で弟子を介抱するために離れていたクラークソンが戻ってきたのを確認すると本題に入った。
「これより、今後の作戦の概要を伝える」
その一言でタブレットの向こう側が一気に緊張する。
一斉に血の気でも引いたかのように静まるのに対し、智機は変わらない。いつもの人生を舐めきった緩さを保っている。
「一言で言うなら、敢えて釣られてみる」
「あの騎体に乗って落下物の迎撃ですか」
「そういうこと。大量の敵相手に単騎でドンパチするのは始めてではないから、落下物の迎撃は何とかなると思う。問題なのはお前らだ」
単騎特攻が初めてでないと言い切れるのが智機らしくて頼もしいのだけど、ディバインとヒューザーがわかり安いほどに重くなるのは、智機がいない状態での戦闘を強いられることを理解しているからだ。
敵の作戦は宇宙からの落下物攻撃と陸地からの侵攻と二正面になることが予想されるからで、衛星攻撃は、智機で対応できるものの問題は陸地からの攻撃である。
10倍の物量、圧倒的な質、そして智機がいないというシチュエーションで守りきらなければならないのだ。
「代行殿が地上で迎撃するというのはどうかな。クオレ20の化け物なんでしょ。地上でも落とせるとは思うんだけど」
「ヒューザーのくせに、いいアイデアじゃないか」
「ヒューザーのくせにとは何ですかっっ」
「あの代行殿に褒めて貰えているんだ。光栄に思え」
そのアイデアは智機も考えた。
智機と新型騎の性能なら、落下物が島ぎりぎりまで落ちてきても欠片も残さずに粉砕する事が可能だろう。同時に地上から侵攻されても智機なら対応できる。当座を凌ぐためにはこれがベストだろうと思われる。
「ヒューザーのアイデアは悪くないんだけど、それでも敢えて釣られにいく」
「その訳は?」
「今がチャンスなんだ」
智機の返事にディバインは訳が分からないという顔をする。
「オレ達も援軍が期待できるのと同じように、クドネルにも援軍が期待できる。むしろ、クドネルのほうが多い。わかるな」
「ええ、分かります」
クドネルの指導者ならともかく、斉から派遣された人間なら増援を呼ぶだろう。智機なら迷わずにそうする。
「でも、現状ではクドネル側の援軍は来ていないし新型騎の存在すら知らない。そこに攻勢に出るチャンスがある」
「攻勢ですか……」
「わざわざ宇宙に出るよりも、地上ぎりぎりで落とした方が安全だというのはわかりきっている。でも、それではダメだ。攻勢に出る時に出ないと一生、受け身のまま。いつかは殺られる」
智機がライダーとしては有能であり、EFも未知数ではあるが強力といえど限界はある。
「賭けになりますよ」
「そういうセリフは戦争になる前に言え。今のオレ達は危ない橋を渡りまくるしか勝ち目はない」
ちっぽけな孤島と僅かな戦力で強大な敵を相手に逆転しようというのだから、壮絶な無茶をしなければならない。安全策を採るには何もかも足りなすぎた。
「……了解しました。出撃はいつになりますか?」「博士。大気圏の外に出るとしたら、どんな方法がある」
ドライブの力によって翼のある無しに関わらず、反重力で飛ぶことができるが、EFといえど何の追加装備も無しに重力の枷から外れて、星の外に飛ぶことはできない。
「JCF-001Cなら普通にロケットに括り付けるだけでいい。6時間ほど準備が出来る」
「3時間で準備しろ」
「無茶抜かすな。が、努力はしてみる」
「データとのインストールと操縦系統は?」
「フォンセカには合わせている。一応は」
スタンダードともいい騎種に合わせているとはいえ、フォンセカとは全く違う騎体なので相違点も山ほどある。
テストもなしにぶっつけ本番とは無茶な話だが、やるしかない。
「劣化コアの用意は?」
「3つぐらい用意してある」
博士の言葉にヒューザーが喜色を浮かべる。
EFの性能は6割から7割はコアによって決まるので、単純に換装しただけであってもEFの性能は格段に上がる。ライダーとしては心強い。
けれど、ヒューザーの期待は木っ端微塵に打ち砕かれる。
「コアを載せ替えるのは簡単だが、マッチングテストに時間がかかる。騎体、ライダーともどもだ。それこそブースターを準備するよりも時間がかかる」
コアは意志や相性があるので、単純に載せ替えたところで機能するとは限らない。そこがEFの難しいところである。
「どれくらいですか?」
「3日間、いや二日と数時間あって1騎換装できれば御の字といったところだ」
「ちぇっ」
ヒューザーが残念がるが仕方がない。
「では、今から10時間…いや、12時間後に作戦を開始する」
「急ぎすぎじゃないかなあ……」
セシリアが珍しく疑問を唱える。
「時間をかければクドネルが有利になる。奴らの応援が来る前に可能な限りの戦果が欲しい」
「分かりました」
「というわけで、今後の予定は決まり。じいさんは民政。ディバインは軍政、ヒューザーはディバインの補佐という形でよろしく頼む。セシリアもといきたいところだけど、艦長は休養が必要だ」
「それをいうなら、代行殿も必要だと思うの」
「オレはまだまだ働けると言いたいところなんだけど、やるべきことやったら、ある程度は永眠してる」
「死んでるやんけっっ!!」
智機のわざとらしいボケにヒューザーがツッコミを入れた。
休める機会があれば可能な限り寝るのが傭兵としての鉄則である。次、いつ休めるかは分からない。下手をすれば次の休息が永遠の休息にもなりかねない。
「わたしは…どうすればいいのでしょうか?」
「姫様にもちゃんと仕事がありますからご安心下さい」
みんなが忙しく働いているのに自分だけ働かなくていいのかという顔をファリルがしていたので、智機は慇懃無礼にフォローを入れる。
「どんなお仕事ですか?」
「みんなを励まして回るだけの、簡単なお仕事です」
「みんなを励ますって……難しいです」
「でも、姫様にしか出来ない仕事です」
ディバインもフォローに入る。
「わたしにしか出来ないおしごと」
「そりゃそうだろ。この島で一番偉いのはファリルなんだから、姫様以上の演説なんてオレにはできない」
「うう…緊張します」
「姫様なら出来ますよ」
「と、まとまったところでオレは当分の間、こいつのセットアップにかかり切りになるからよろしく」
「だめです」
智機の発言力なら通るはずなのに、ディバインが待ったをかける。
「どういう事だよ」
「代行殿が黒幕に徹するのであれば民衆の前に出る必要はありませんが、軍内部の人事については代行殿自らの説明が必要になるかと思われます」
「そうそう。アミダで騎士団長になっちゃった訳だし」
「多分、旧国境騎士団の連中から苦情が出ると思われます。顔見知りをトップにするのではないと」
「知己で固めるのは当たり前だろうが」
ディバインとヒューザーをトップにつけたのは智機の独断である。騎士団新人の2人がいきなりトップになってしまったのだから、その判断基準が見えないと不平不満を漏らす奴らが必ず出てくる。ので、その意図について説明しなければならない。
しかし、ヒューザーはともかくティバインも楽しそうに見えた。
「ったく、使えない癖して地位だけは要求しやがる。だから、負けるんだよ」
ぼやいたところで始まらない。
「というわけで以上、会議は終了。これより作戦を開始する」
「了解しました」
ディバインの返事を聞いて、智機はタブレットのスイッチを切った。
「博士。こいつの設計図を早急によこせ。どうせトラブルが出まくるんだから、うんたんで補正する」
「了解」
テストでいきなり実戦である。考えてみれば恐ろしい話である。戦っている最中にトラブルでいきなりジェネレーターが停止してしまえば死を意味する。智機だから問題がないといえるが。
「それでは、戻りましょうか」
「はい」
「ちょっと待った」
やることは終わったので、次はみんなの元に戻るところなのだが、クラークソンが呼び止めた。
「こいつの名前はどうする? 形式名だけでもいいが味気ないだろ」
製造元やベースのフレーム名で型式番号が自動的に決まるとはいえ、クラークソンの言うようにそれだけでは味気ないのも事実だった。
やはり、自身の騎体なのだからちゃんと名付けてやりたい。
「ハンマーヘッド・I・スラスト・イーグルというのはどうだ? クールだろ」
「長いから却下」
とはいっても、いざネーミングとなると特にアイデアが浮かばない。
「姫様が名付けてください」
「私がですか?」
せっかくなのでファリルのふることにした。
「この騎体は公室費で作られたものですから。姫様がこの騎体で得られる権利というのは名前をつけることぐらいです」
この騎体は本来はファリルのものであったにも関わらず、一度も乗らずに智機に譲渡されることになる。持っていたとしてもファリルには操縦できないのだから意味はないのだけれど、それでもこの騎体からファリルが得ようとしたいのであれば、それは名前をつけることである。
「わかりました」
「モーリス・マリーナという宇宙一おぞましくて恥ずかしい名前にしてやれ」
ファリルはハンガーにそびえ立つ異形の騎体を見上げる。
二重三重の装甲に覆われたその騎体はEFというよりは、金属の塊。鉄塊を尖らせたような爪を五本伸ばした右手は破壊だけに特化されており、禍々しさをいっそう引き立てている。神話で言うなら魔を打ち払って人々に平和を与える英雄神ではなく、その英雄神に殺される魔物だった。
ファリルにしたところで名付けの引き出しがあるわけではない。
ただ、名前だけはかっこいもののにしたいと思った。
「……ティーガーというのは、いかがでしょうか?」
「虎といえば、斉の白虎だろ」
クラークソンが反対したように感じられて、ファリルは怯む。
「それでいいんじゃね」
「智機さん?」
「せっかく姫様が名付けてくれたんだから、有り難く拝領しておきます」
「異論はないが、被ってるぞ。いいのか」
「だったら、白虎を超えばいい」
智機は見上げる。その視線の先にはティーガーと名付けられた騎体、新しい相棒の姿が映っていた。
「こいつにはその力がある」
「バカな奴」
通信が終わり、スクリーンも切れると博士はひとりごちた。
「誰がバカなんですか?」
通信が切れるのに合わせたかのように、隊長が現われた。
「あのクソ総統。衛星落しに私のレッズも協力してやろうと申し出たのに断りやがった」
「博士もシュナードラがクオレ係数20以上の希少コアを確保した事を黙っていたんでしょう。お互いさまですよ」
「ティーボウ少佐も何か掴んだようね」
「あんまり面白くない事実ですけどね。EF開発者をリストアップしてみたところ、ある技術者がシュナードラに入国していた事が分かりました」
「誰?」
「Dr.ジェームズ・リチャード・クラークソン。代表作はダイナソア。戦争が始まる少し前に入国したまま消息不明になっております」
「希少コアが発掘された国に、一流の開発者が入国。偶然かしら」
「本気で言っているんですか? 博士」
希少コアが発掘された国にわざわざ外から訪れた。公的には破棄と発表されたものをである。これが偶然だとは思えなかった。
「クラークソン博士はどの位置にいる人なのかしら?」
「乗り手を無視してまでパワーを追求する狂った博士ですが腕は一流です。例えばダイナソアは乗り手は選びますが相性が良ければ本国の騎体であっても殺られるほどの力を発揮します。渋谷艦隊の山居志穂やNEUのシャフリスタンも乗騎にしているほどですから」
「なら、あのゴミならぴったりね」
博士の言うゴミが誰なのかは気になったが聞いても答えてくれないだろうと思った。今のは博士の独り言のようなものだったから。
「マローダーは最凶のEFを手に入れたようね」
「完成度はともかく、EFを完成させるには充分ですからね」
最高レベルのコアと、癖はあるが一流の開発者の組み合わせ。導き出される答えは最凶、もしくは最強のEF。
あくまでも確率の高い可能性として語っているだけなので本国のEFとは比較はできないが、それに比肩すべき性能を持っている可能性が高いだろう。
そして、最強クラスの騎士の組み合わせ。
EF戦は騎体もさることながらライダーの能力にも大きく左右される。たかが一騎といっても侮ることはできない事は、昨日の戦いで証明されている。EF戦では数よりも質のほうが重要なのだ。
「……鬱になりますね」
レッズのように味方にすれば心強いが、敵に回せば悪夢としか言いようがない。隊長からすれば昨日の戦いでいいように弄ばれたことを思い出す。
一瞬でも手足をもがれ、何も出来ずに破壊されると感じた恐怖と、いつでも殺せるにも関わらず見逃された屈辱と、その屈辱をぬぐいさることができないと分かってしまった絶望。
……こいつにだけは百万回戦っても百万回とも負ける。
それ以上に問題なのは、マローダーが布石でしかないということだった。
更なる増援が来る見込みがなければ、マローダーがこの仕事を引き受けるわけがない。仮に衛星落下作戦が失敗すれば、予測よりも楽に終わるはずだった作戦が、予測よりも長期化する可能性も出てきた。
「でも、いい機会かしら?」
「呼びますか?」
「犬は躾けないと駄犬に成り下がりますから。いいタイミングかしらね」
予測よりも困難にも問題だが、遙かに楽できたからといっていい訳ではない。外れていることは同じなのだから、要は予測通りに行くことが重要なのだ。
この場合は失敗したら彼らの信用が下がるのだが、簡単に勝ちすぎるとクレームがくることも事実だった。
「めんどくさいことになりそうですね」
「楽しいじゃない」
「博士は楽しくても、現場は面倒なんですよ」
その結果。この人物がプレッシャーを受けることになった。
「せっかく朕がいい気分になっていたところを呼び出すとは随分、偉くなったものだな。信」
斉国宮殿後宮の奥深い所、延信が相対している、風呂上がりな雰囲気でバスローブにその身を包んだハゲ頭の男は星団半分を支配している斉国皇帝である。
「シュナードラ関連については信に任せておる。まさかとは思うがクドネルが勝って戦争は終わりましたというつまらぬ報告で呼び出したのではあるまいな」
もし、そうであるのなら速攻で首を落とされかねない雰囲気ではある。
実際、クドネルの全面勝利は確定したような状況である。予定調和なことは公務の時に報告すればいいだけのことで、わざわざ皇帝のプライベートを潰してまで報告するようなことではない。
実は皇帝は報告の内容を察している。
決して善人とはいえないが、着替えの最中に延信が施した仕掛けが見えない暗君ではなく、実際、顔は笑っていた。
「5月9日、クドネル軍はシュナードラ首都シュナードラに侵攻。クドネル軍はシュナードラ軍を撃退、公王及び公王夫人の殺害を確認しました。が、戦闘の最中にカマラのマローダーが突如、大気圏外より乱入。シュナードラ側についたマローダーによってクドネル第3艦隊は壊滅。公女ファリル以下、軍艦4隻、EF50騎以上の逃走を許してしまいました」
「勝つには勝ったが終わらせることができなかったと」
「御意」
「信はマローダーが乱入してきたと言ったが、本当にマローダーなのか?」
「マローダーであるかはこの際、問題ではないかと思われます。彼の力は陛下も充分に堪能されているはず」
延信の仕掛け。
それは皇帝が着替えている最中、BGM代わりにシュナードラで行われた戦闘、クドネル軍の間で交わされた無線交信を垂れ流したことだった。
「生きようと叫びもがきながら、訳も分からず為す術も無く散っていく様は実に愉快、愉快」
一発も当てられずに、マローダーを狙った攻撃が逆に友軍機を落とされるという、クドネルに取っては悪夢の時間帯の無線交信をである。
「この後、NSKはマローダーがうんたんを発動させたのを確認しております」
「信の言うように名前は重要ではないな。名前だけで勝てるほど戦というのは甘くはない。いや、名前だけで退いてくれる相手ばかりではつまらん」
相手が何者であれ、うんたんまでもを使いこなす凄腕が敵軍に参戦してきたという現実には変わらない。
ただ、皇帝なのでハッタリが効かない相手と戦うのは楽しいと言っていられるが、延信としては真逆である。激突すれば多かれ少なかれ人は死に、たとえ勝とうも味方も損害が出る。それがほんの少しであっても、人と資源は無限ではないのだから、その積み重ねはやがて取り返しの付かないダメージへと返ってくることになる。
だから、名前で怯えて退いてくれる相手のほうがやりやすい。本来は威圧だけで退かせることが最上なのである。
「シュナードラ軍はどうしておる」
延信は傍らの巨大多目的スクリーンに地図と座標を表示して説明をする。
「シュナードラ軍は現在、首都シュナードラから南方洋上にあるガルブレズ諸島に潜伏中。NSKからの報告によれば既にガルブレズ諸島は要塞化されているそうです」
「要塞とは随分、手回しのいい」
「シュナードラにも目端の利くものが居たのでしょう」
「あの無能首相に殺人鬼を招く智恵があるとは思えないないからな」
「今後、クドネル軍はガルブレズに衛星攻撃を行う予定です」
「あの殺人鬼が衛星攻撃を食らうのは面白い。でも、殺人鬼のことだから黙って食らう気はないはず。で、朕のお楽しみの時間を潰してまで信が訪れているのは、クドネルの攻撃がうまくいかないと見てのことだろう」
「シュナードラ軍に蒼竜級のEFが配備されているという報告が上がっております」
「ほう」
皇帝の目付きが変わった。
「シュナードラが蒼竜級のコアを引き上げたものの、首相が平和のためにならないといって破壊するという宣言がありましたが」
「あの発言を聞いた時、救いようのない愚物だと思ったがやはり秘匿されておったか。そもそも、オリジナルのコアは破壊できるものではないからな。その蒼竜級のコアがシュナードラに確保されている上に、そのコアを搭載する騎体に乗るのがあの殺人鬼か。面白いことになってきたではないか」
「NSKはシュナードラに更なる増派が来るものと想定しております」
「籠城の準備を整えた上に殺人鬼までも招聘した腕利きが、その程度で終わらせるとは思えない。殺人鬼に加えて増派まで来た日には分からなくなるな。楚王も勝ち寸前だったのに逆転されそうで、歯がゆい想いをしていることだろう」
ここで説明は終わり、いよいよ本題に入る。
「以上のようにシュナードラ側の戦力増強が見込まれることから、現場では更なる増派を要求しております」
シュナードラ紛争は延信が担当しているが、独断で増派することはできない。最終的には皇帝の判断ということになる。
「だから、朕のプライベートを潰してまで、ということか」
「御意」
時間が遅くなればシュナードラ側の増援が間に合ってしまい、増援の量と質にもよるがクドネル及び派兵した戦力での事態の打開は難しくなってしまう。これまで費やした予算を考えれば危急の案件であった。
「あいわかった」
幼少期から仕えていたこともあって、皇帝の意図はだいたい理解できる。
が、次の皇帝の言葉は意外なものであった。
「信よ。貴様なら如何様に差配致す?」
これまで顔色一つ変えずに対応していた延信も緊張する。
皇帝は本気だからだ。
皇帝の機嫌一つで延信の生死が決まる。
延家が斉国屈指の名門だからといって関係ない。返答一つ誤ればいとも簡単に殺される。この国では皇帝の命令こそが絶対の法だからだ。そこには道理もなにもない。ただ、感情があるだけである。
普通に考えれば皇帝の意を酌んだ発言をすればいい。幸いにも、延信は皇帝の性格を熟知している。
「シュナードラと和平を致します。蒼竜クラスのコアと幾ばくかの領土の交換という条件なら、飲まざる終えないでしょう」
「延家の三男坊は優しいのう」
これは決して褒め言葉ではない。
全星団に侵略の手を伸ばす斉において慎重論は臆病と誹られる傾向にある。今回の場合は完全勝利が目の前に迫っているにも関わらず、勝っている側から妥協をして、相手にも救われる余地を残すのだから、許し難い惰弱と受け取られかねない。新領土に住んでいた先住民は絶滅させるのが斉のやり方なだけに。
「これが採算が取れるラインかと申し上げます」
「ほとんど制圧しているのにか?」
皇帝の疑問ももっともである。圧勝しているにも関わらず、辛勝という判断を延信は下している。
一歩間違えばその場で処刑、皇帝の視線も温かいとはいえないにも関わらず延信ははっきりといった。
「マローダーが降りてきた時点で完全勝利の可能性は潰えました。カマラで人民民主主義共和国を勝たせたマローダーですから、今までのシュナードラとは違います。制圧は可能ですが今までのようにたやすくいかないのは間違いありません。想像以上に戦費を費やすことになりましょう。割が合わなくなります」
「うちの民が死ぬわけではあるまい」
「逆に言えば、我々が正面切って戦うわけでありません」
「九分九厘攻め落としながらマローダーに逆転負けされる可能性があると」
「指揮官の優劣ではマローダーに分があります。NSKからは増派を求められておりますが、マローダーも増援を求めることは可能です。状況次第によっては泥沼に引きづりこまれます」
求めに応じて増援を送るのは簡単だが、シュナードラの反撃程度では更に増援を送らなければいけなくなる。大金を費やしながら負けるようなことになれば最悪である。
「それに今ならば楚王様、秦王様の両方にも顔が立ちます」
「義の息子でありながら、如才ないのう、信」
「皇位につくのか誰なのか分からない以上、余計な恨みは買いたくありませんから」
「だが、朕の恨みを買うのは平気というわけか」
「陛下は意にそぐわない意見を述べても、首を刎ねようとはしないお方だと存じ上げております」
皇帝は笑った。
「……試しているのか? 信」
皇帝の意向に沿うような言をしても問題がないにも関わらず、延信は首が飛ぶリスクを無視するかのように平気で皇帝の意に沿わない意見を述べた。
巧言を弄するのは簡単であるが、それではダメである。いくら星団の半分を支配する強国の皇帝であろうとも、思い通りにならない現実は山のようにいくらでもある。目を閉じ耳を塞いだところで現実というのは変わらないし変えられない。真っ正面から見据え、変えようという覚悟を決めない限り。
にも関わらず、気に入らない現実から目を背けるのは暗君の誹りを受けてもやむを得ないだろう。待っているのは破滅だからだ。
「いえ。滅相もございません」
そして、諌言を受け入れる度量があるかどうかを見定められていた。
「まあ、よい」
皇帝は眼光を和らげた。
「信の言はもっともである。性急な感もなくはないが、今が利益を確定させる時というのも理解はできる。が……」
言葉を句切るということは延信の進言が否定されることを意味していた。
「利益を得るつもりなら、この戦いは端から仕掛けてはおらぬ。せっかく、かの殺人鬼が酔狂にも舞台に躍り出たというのに、ここで仕舞いにしてはかの者に申し訳が立たぬではないか」
こういうことになるとは最初から分かっていた。
この戦争は是か非でも起こさねばならないという戦争ではない。むしろ、必然性があるのかどうか疑わしい、この戦いが発生した最大の要因は、戦いを娯楽として楽しむ皇帝の嗜好にある。
「増援については信に任せる。いつまで増派を続けるかも信に任せたいところではあるが、殺人鬼の出方次第によっては貴様にも踊ってもらうかも知れぬな」
「僕は、血を見るのは嫌ですから、なるべくなら前線には出たくはないですね」
「ならば、天巧星を捨てるがよい。延家は名門なのだから、楚王や秦王のように遊んで暮らせるだろうに」
「それを許さない親父であるのは、陛下もよくご存じでは」
「そうだな。その前に義に殺されるか。名門延家の三男坊」
「よしてくださいよ」
この辺りになると皇帝と臣下の会話ではなく、親戚の甥とおじさん同士の会話になっていた。
「それでは下がってよいぞ、信」
「はっ」
伝えたいことは全て伝えたので延信は下がろうとしたが、その矢先に呼び止めた。
「そういえば、信は和平の条件として、領土と引き替えにオリジナルコアといっておったな」
信はそれが妥当だと思った。
というより、シュナードラにはそれしか交渉の材料がない。
でも、皇帝には違う見方があるらしい。
「朕ならそれに、あそこの姫の身柄を付け加える」
延信には意味が分からなかった。
オリジナルコアに加えて最高指導者の身柄というのも一応は考えたが、斉にファリルを手に入れるメリットが見あたらない。ファリルは美人であるが美人ならいくらでもいる。それこそ美人だけで一個師団が編成できるほどに。
精神的象徴を失えばシュナードラの民も分裂するとはいえ、それだけに抵抗も激しく、ましてやマローダーが増援に入った今では受け入れられないだろう。その条件を付け加えるとするならば、あのマローダーでさえも心を折るほどの強い一撃が必要となる。とても割が合うとは思えない。
「諌言の礼として教えてやろう。彼女を手に入れるのが勝利条件なのだ。今回の戦争は」
不意にアラームが鳴り響いて、智機は腕時計を見る。
「……こんな時間か」
いくら楽しくてもスケジュールというものがある。
智機の体内時計ではそれほど時間が経っていないように思えたのだけど、現実ではかなりの時間が過ぎていた。それを知るためにアラームをかけている。
硬くなった身体をほぐそうとティーガーのコクピットの中で背筋を伸ばすと先延ばしにしていた疲労が一気にのし掛ってきた。
けっこう疲れている。
にも関わらず、時間を忘れてしまったのはこの相棒を弄っているのがとても楽しかったからだ。
公務の後、ずっとティーガーのセッティング作業に追われていた。まだ生まれたの真っ新な騎体に智機の今までの戦闘で得たデータを詰め込んでいく。その過程で思い知ったのはティーガーの性能だった。
笑いがひとりでにこみ上げてくる。
こいつと一緒に暴れまくる時が楽しみで楽しみで待ちきれない。それこそ夢精したくなるほどに。
今すぐにでも出撃したいところではあるが、回りの準備が整っていないので待つしかない。
もちろん嬉しくないのだけど、世の中というものはそんなものであり、待ち時間の間にやるべきことはいくらでもある。
とりあえずは寝ること。
本音をいえば、いつまでもいぢっておきたいところではあるが、寝られる時に寝るのも仕事である。特に今回は出撃してしまえば一日ぐらいは寝たくても寝られない状況になりそうだから。
問題は何処で寝るかということである。
希望はコクピット。
智機が最高権力者なのだから、そのままコクピットで寝ても問題はないのだけど、記憶の中で声が囁いていた。
「コクピットは寝床じゃねえ」と。
智機からすれば、アラートが鳴ってもタイムラグ無く戦闘準備できるので合理的だと思うのだが、言い返すたびに怒られていた。拳固つきで。
コクピットはあくまでも戦闘する場所であって、休む場所ではないというのが、その人の持論であったが智機には理解できなかった。自殺がいけないことがわからないように。
ただ、不快ではなかった。
懐かしいだけで。
智機は思う。
あの人は、この限りなく詰んだこの状況に対して、どのような手を打ったんだろうかと。
笑えてしまう。
人は万能ではないし、全知全能を尽くしたところで無理なものを無理矢理に押し通すような事はできない。
いくら努力したところでも、前提自体が間違っていれば無駄だからだ。
仮に"あの人"の策が100%の確率で成功するのだとしたら、智機はずっと昔に死んでいた。
バカなことをしていると智機は思う。
コールドゲーム成立の点差で、走者無し2アウト、2ストライクの場面で勝利をしなければならないという無茶な状況に首を突っ込んでいる。誰にも頼まれたという訳でもないのに。
ティーガーを得られたとはいえ、割に合わないと思わなくもない。
その気になれば楽に生きられるというのに何故、進んで地獄に片足を突っ込むのか智機自身も理解できない。マゾかよとツッコミを入れたくなってしまう。
いずれにせよ、どのような立場に置かれても迷うことなかった。目標達成に向けてありとあらゆる感情を廃して突っ込むしかなかった。
今までも。これからも。
端末から着信を知らせるアラームが鳴って、智機は出る。
「ディバインです。少し、お時間よろしいでしょうか?」
「何の用だ?」
「今後について、代行殿と少々話し合いたいと思いまして」
「悪ぃ。オレ、ホモじゃないから」
「……オレもホモではありません」
「冗談だ」
「不快な冗談です」
「わかった。少し話し合おう」
これから長い間、智機はここから離れることになる。
いつ戻れるのかは智機でも明言することはできず、下手をしたら戻れないのかも知れない。
いずれにせよ長時間離れるのだから、残る人間たちと徹底的に話し込んで意志統一を図ることが重要だった。
智機にすればへたれた彼らが、いつ背後から刺しにくるのか分かったものではなく、彼らからしても智機に全幅の信頼を置いていいのかどうか疑問に思っていることだろう。
知れば知るほど、不信感を抱かれる智機の経歴だけに。
ファリルには不満なことだらけだった。
「姫様、お願いしたいことがあります」
ファリルが智機が決めたスケジュールによって、島内の各地を巡って、島内各地を巡回して兵士や非難民たちに慰労の言葉をかけていると、高校生ぐらいの少年少女たちに詰め寄られた。
側で警護しているヒューザーの顔色が変わる。
「オレ達も戦わせてください」
黒人の少年の言葉にファリルは戸惑ってしまう。
「戦わせてって……」
「クドネルの侵略に我慢できないんです。家を追い出された恨みを晴らさせてくださいっ」
「だめですっ」
ファリルの大声に周囲はあっけにとられる。
「学徒動員になっちゃうじゃないですか。そんなのダメです」
彼らはどう見ても学生。子供を徴兵するのは禁忌中の禁忌である。だから、いくら頼まれたところでも受ける訳にはいかない。
「僕たちが子供だから、ダメだと言うんですか?」
「そうです」
「でも、代行殿だって、僕よりも子供じゃないですか」
「いや、あの人は規格外だから基準にするな」
智機がEFに乗って戦っているのだから説得力がないどころか、論理が破綻しているのでヒューザーがフォローする。
「何故、学生(こども)が戦ってはいけないのですか?」
髪を極端に短く切った、静かな雰囲気を持った女子学生が質問する。表情は平静ではあるが、目が怒っていた。
「それは……」
ファリルは答えられない。
学徒出陣は禁忌であるが何故、学徒出陣がいけないのか分からなかった。
「姫様は学生だから戦ってはいけない。つまり、学生は黙って殺されろと仰るのですが」
そこまで言うつもりはないのだけれど、静かに切れている彼女の勢いに圧されてファリルは反論することができない。
「そこのキミ、落ち着けって」
ヒューザーが助け船を出す。
「シュナードラを助けたいと思うキミ達の気持ちには感謝する。でも、戦闘経験のない素人をすぐさま戦場に投入できないというのは分かるよね」
彼女も熱くなりすぎているのを自覚したのか、眼光を和らげる。
「経験者なら大歓迎だけど、新人をいくら投入しても役に立たない。教育する手間も考えたら、却って足手まといなんだ」
兵士というのは技術職である。単純に数が多ければいいというものではない。素人を投入しても無駄に死なせるだけ。バイトを一人前にできるほどの余裕もない。ヒューザーの説明には理があり、従って彼らも黙らざる終えない。
「でも……」
それでも不満そうな彼らのために、ヒューザーは救いの手をさしのべてみる。
「一応、念のために代行殿に聞いてはみるけど」
すると、彼らの表情が再び明るくなる。
「代行殿って、あの代行殿ですよねっっ!!」
問題がないとはいえないけれど、シュナードラでは憧憬に値する武功を立てたことに間違いない。
少なくても彼らにとっては智機は英雄だ。
「ちょっと待ってね」
ヒューザーはタブレットを取り出すと智機と通信を試みる。
「どうした?」
すぐに出た。
「高棒たちが軍に志願したがっているんだけど、どうする?」
「普通なら拒否する」
「まあ、そうだろうね」
智機の反応が否定的だったので、周りの学生たちは落胆する。
「でも、今は幸か不幸かライダーが余っているから、育成できる余裕はある」
脱出できたEFのうち、3分の1が使用不能になったからといって、その相棒であるライダーが再起不能になったわけではない。
騎体よりライダーが多いので、騎体運用に余裕ができるとも言えるし、新人を入れても教育することができる。
「入れる気があると」
「適性試験は受けさせる。全員外れでも何の問題もないし、当たりが出ればめっけもの。ライダーは多いにこしたことはない」
「了解しました。代行殿」
ヒューザーはタブレットから外すと学生達に向かって高らかに宣言する。
「というわけでみんなには適性試験は受けてもらうぜ。落ちたら恨みっこなし、当たれば晴れて花のライダー。で、OK?」
「オッケーですよーっっっ!!」
学生が戦うこと自体が無茶なので、智機の提案は最大限の譲歩といえた。
しかし、納得できないものが1人いた。
「どうして、彼らを戦場に出すのですか?」
ファリルはヒューザーから端末を借りると、端末越しに文句を言った。
「出すも出さないも、今は戦争中。みんなで団結しなければ生きていけないし、遊ばせておく余裕もないんだ」
「だからといって、学生たちを戦争に出すのは間違ってます」
「なんで学生たちを戦場に出してはいけないのか、その理由を口で言える?」
その理由を引っ張りだそうとして……ファリルはなにも言えなかった。
なぜ、学生たちを戦場に出してはいけないのか。
その答えは探せばいくらでもあるだろう。
「学生連中を戦場に出したくない気持ちも分からなくもないし、納得させられるだけの理由も見つけられるだろう。でも、ファリルが学生達を戦場に出すのを嫌がるのは、単に周りの大人が学徒動員反対といっていたから、それを無条件に信じ込んでいただけだろ」
全くの図星なので、ファリルは言い返すことができなかった。
間違いだと周囲の大人たちが言っていたから、そう思っていただけで、何故、いけないのかその理由を考察することもしなかった。
「素人を戦場に送り出しても死ぬだけだから迷惑だというのはある。でも、姫様」
「……はい」
智機は言った。
「この腐れた国でも、守りたいという彼らの気持ちを踏みにじる権利が姫様にはあるのか?」
忘れようとしても忘れられないぐらいに、まざまざと蘇ってくるのはファリルが間違っていて、智機が正しいからだろう。
だからといって、一方的に打ちのめされるのはファリルも嬉しくはない。
たまには言い負かしたいとは思っても、勝てる要素が全く見あたらなくて落ち込むというのがファリルの現状だった。
やってきた智機はディバインの目からは、とても上機嫌なように見えた。玩具を買ってもらったガキのようだった。
「楽しそうですね。代行殿」
「楽しいに決まってるじゃんか」
ディバインの目の前にいるのは年相応の少年。ただ、手に入れたものは子供が扱うには余りにも危険すぎるものだった。
「あのクソジジィは無茶苦茶だけど、いい仕事しやがる。初めてだよ、オレについてこれるEFに乗れるのは」
「今までどんな騎体に乗ってきたんですか?」
「フォンセカ、フォンセカMKⅡ、メネス、ロック、ヘレフォード、アルバコアなどなど。ボウタにも乗った」
「NEUの最新騎種?」
「センチュリオンズにいたことは知っているだろ。もっとも、反応が鈍すぎるダメダメな騎体だったけど」
騎体が悪いのではなくて、智機の要求する水準が高すぎてついて行けなかったのではないかとディバインは思う。メネスによる戦闘データを見たが、智機の反応に騎体が追随しきれていなかった。
「そんなことを聞きたかっただけなのか?」
智機と戦術や戦略のことを尋ねると教授に質問するように緊張する。キャリアがケタ違いだからだ。
そのような相手であっても言わなければいけないことを言わなくてはならない。そのためにディバインは智機と対峙する。
「代行殿は本気で、クドネルに衛星を落とすつもりですか?」
「必要なら落とす」
智機は変わらない。
いつもと同じように、自身をひっくるめた世界の全てを嘲笑いながら外道な事を平気で口にする。
その一言がもたらす意味を理解していない子供のように。実際、智機は何処にでもいるようなただのガキにしか見えない。
「無辜の民が何千、何百万人と死ぬのですよ。貴方は分かっているのですか?」
衛星を落とせば一気に決着をつける事は可能だろう。だけど、その手軽さの代償として罪もない人が何百万、下手をしたら何千万人も死ぬことになる。
「ディバインはオレのあだ名を知っているよな。言ってみろ」
喉元に切っ先を突きつけられたような気分になる。
「……マローダー・ザ・サテライトストライク」
衛星落しの襲撃者。
「そうだ」
口元を軽くゆがめて笑う智機は地獄の悪鬼だった。
「何千人万人も死ぬも何も、既にカマラでは二千万も殺してる。今度は三千万、下手をすれば一億は殺すのかも知れない。でも、それがなんだ? たかがスコアが2千万から1億2千万に跳ね上がるだけだ。衛星を落とさなくても、カマラの死者たちが生き返るというわけでもない。何億人も殺さなければ勝てないというのであればいくらでも殺戮する、それだけだ」
意味が分からないというのであれば可愛げがある。あくまでも比較の話ではあるが。
智機は数千万人単位の殺戮がもたらす意味を分かって上で、確信犯で大量殺戮をしようとしている。その方が救いようがないほどにタチが悪い。
思わずディバインは叫びかけたが、壁が鳴る渇いた音がした。
ディバインでも、智機のものでもない。
振り向くと、そこに歯を鳴らして震えるファリルがいた。
見てはいけないものを知ってしまったと言いたげなファリルを見て、熱くなった心が冷えてくる。
「その話、本当なんですか?………智機さんが数千万人も殺したなんて、嘘ですよね」
ディバインは知っている。
ファリルが語りかける少年が、平気で罪もない何千万人もの人々を手にかけた外道であることを。
にも関わらずディバインは期待した。智機が否定してくれることを。主君と仰ぐ少女の心のためにも。
「本当だよ。カマラで衛星を落として、勝利のために2千万人も殺した」
智機は爽やかでありながら邪気もある笑顔で少女の幻想を打ち砕いた。
ファリルの大きな瞳から勢いよく涙が迸ると、そのまま勢いよく走り去っていった。
通路の向こうにファリルが消え去るのを確認してから、ディバインは呟いた。
「……気づいてましたね」
「バレた?」
「不自然なまでに仰々しかったですからね」
「何千万人も何も…」の下りのセリフが大仰で、ディバインではなく盗み聞きをしている人物に、わざと教えているような素振りだった。
「いいんですか?」
智機の過去は知られたくない過去である。
「調べれば分かることだ。どうせ亀裂が入るのなら、早いほうがいい」
智機の経歴はデータベースを調べれば分かることである。現にディバインやセシリアもそうして智機のパーソナリティを知っている。簡単にバレるようなことを隠し通しても意味がない。
「とはいっても、堂々と「オレは殺人鬼だ」とは言えないから、ちょうど良かった」
ただし、知らないほうが良かったというあまりにもショッキングなネタではあったが。
「いいんですか?」
いずれ知ってしまうのであれば早めに教えておいたほうがいいネタであるとはいえ、ファリルが智機に不信感をもたれるのはまずい。
「かまわない。姫様はオレに妙な幻想を持っていたから、そんなものはぶっ壊す。距離は置いたほうがいい」
智機の言葉には理があるように見える。
ディバインの目から見ても、ファリルは伝説の勇者を見るような憧憬の念を持って見たような気がする。勝手に期待しておきながら後で裏切られたと逆ギレをされるぐらいなら、最初からぶち壊しておいたほうがいいのだろう。平時ならともかく、戦時では幻想で目を曇らすのは死ぬようなものだからだ。
ただ、ディバインはファリルのことが気になる。心配もする。姫というだけでもなく、一人の少女として。
ひとりぼっちにさせていいだろうか。
「もしもし。セシリアさんですか? 智機です。お休みのところ、申し訳ありません」
智機は携帯を取りだして、セシリアと通信をつなげていた。
「オレの過去が姫様にバレちゃいまして。フォローをお願いします」
ファリルとの亀裂を放置するのは智機も問題だと思ったらしい。傷ついた女の子を癒すにはセシリアが適任だろう。その原因を作っているくせに飄々としている智機の態度には文句がないというわけではないのだが。
しかし、どういう会話の流れになったのか智機は苦笑する。
「分かりました。この際ですから、仕方がないですね。この埋め合わせはいつかします」
部下に命令をする上官ではなく、部活の先輩に無理矢理な頼み事をする後輩のような会話を終わらせると、智機は憮然とする。
「どうしたんですか?」
今の智機を見て、邪気が涌かないといえば嘘になる。
「セシリアに「姫様のことを愛しているから」と言ってもいいですか?」と聞かれた。姫様をなだめるためには手段なんて選んでいられないから、了承するしかなかった」
セシリアはファリルを説得するに当たって「恋人」の論法の使用を求めて智機も了承した。ひどい目に合っている、あるいは合わせている女の子に対して「オレがお前を愛しているから」という言葉は最強の殺し文句になる。
「ひどい話ですね」
智機がファリルが好きなのであれば、わざわざセシリアが許可を取ることもない。
「ひどい話だ」
「一番ひどいのは代行殿ですけど」
「……それを言うな」
この時の智機はディバインから見ても面白かった。年頃の少年らしいとも言えるが。
「実際、代行殿は姫様のことをどう想っていられるのですか?」
公務というよりは、個人的な興味である。頭から爪先まで堅物な人間というのは何処にもいない。
「好きだよ」
あっさりだった。いつものすまし顔、内心では動揺しているかも知れないが、外面では動揺しているようには見えないあたりはただの中坊ではない。
「それは「好き」か「嫌い」かの好きですね。オレが聞きたいのは「Like」か「Love」のどちらかですが」
「Likeだろうね。それは」
「やっぱり代行殿は外道ですね」
ファリルは騙されることになる。
ディバインはファリルの全てを知っているわけではないので、騙されないことも否定できないが、いずれにせよ悪意を持って接されていることになる。臣下として、強いていうならディバイン個人の感情としてディバインは気の毒でならない。
「勝つためなら、衛星を落とす奴が善人だと思っていたのか?」
そんな善人などいない。
いや、善行として行っているのなら救いがない。悪人だという自覚があるだけマシなのかもしれない。レベルの低い話であるが。
「こんな外道に好かれても、姫様には困るだけの話だろ」
この少年は一体何者なのだろう。
「代行殿は……姫様のことを心配なされているのですか?」
「心配するよ。この戦争は姫様にかかっているから」
家族と言うよりは、道具に不具合が出ると困るからというような言いぐさにディバインは不満を持つ。
「代行殿は何が目的なんですか」
「この国を私したいなどとは思っていないから安心しろ。この国に私するほどの価値があるとでも思っているのか?」
ある訳がない。
ちっぽけな島一個と、辛うじて50騎も寄せ集めただけの吹けば飛ぶのような国なんて欲しくない。
「言いたいことは無いこともないんだけど、充分な報酬を貰ったんだから、報酬分の働きはしないとね」
「ティーガーか?」
「青龍や朱雀に匹敵するほどのEFだ。シュナードラ一国よりも全然価値がある」
国よりもEFのほうが価値があるのは奇異と思えるかも知れないが、智機はライダーである。ライダーはEFがあればこそライダーたりえるわけで、EFの性能に執着するのは自然なことだった。
「宇宙最強の存在になって何がしたいんですか?」
あるいは敵国首都に衛星を落として、大量殺戮鬼の汚名を背負ってまで。
「流石にそこまでは言えない」
ディバインにも親友のヒューザーに話せないことがあるように、智機にも話せないこともある。ディバインには話したくないことを喋らせる権限はない。
「ティーガーをもらったからには、オレにはシュナードラを再興させる義務が生じるわけでオレは逃げようとは思わない。いや、逃げられない。ぶっちゃけ人命よりも契約が大事なんだ。人から裏切られることがあっても、こちらからは裏切ることはない。裏切るつもりなら……端っから衛星なんて落とさなかった」
智機は外道だ。
勝利のためなら大量殺戮も涼しい顔をして行えるほどの鬼畜ではあるが契約、もしくは約束に対しては真面目だと言えた。
忠実に履行はしようとしたが故に大惨事になった
ともいえるわけで、ここまで来ると誠実とさえ言えた。バカがつくぐらいに。
「随分とめんどくさい生き方をしてますね」
智機の歩いている道は茨の道、修羅の道でありその先に続く先は地獄。智機ほどの才能ならば楽に生きられるはずなのに、大金を叩いて苦労を買っているような智機の生き様には呆れるしかない。
「本当はもっと楽に生きられるはずなのに、どうしてこんなに苦労するのか、ほんと、分からない」
「ひょっとしてマゾですか?」
「否定できない」
ディバインはこの少年をどう見たらいいのか迷っている。
表面だけ見るなら、この少年は許されないことをした外道で。
「場所、変えるか」
情報が遮断されているとはいえ、傭兵協会から提供される傭兵の個人データは公開されているものである。平和ボケしていたシュナードラ軍とはいえ、傭兵データは採取しているし定期的にアップデートされてオフラインの領域に保存されている。
セシリアはモニタにある傭兵のデータを表示させている。
その顔写真は子供っぽさが残る……というよりまだ子供のもの。
「……マローダー…か」
経歴を見れば殺人鬼としか思えない凶悪傭兵が上司になり、あまつさえフォローを頼まれるとは想像の埒外だった。
面倒なことに巻き込まれたと思うが、智機の経歴は簡単に調べられることなので避けられないことだったのかも知れない。ファリルの精神を落ち着かせることができるもセシリア以外にはいないことも理解していた。不本意ではないといえば嘘になるけれど。
本人が近くにいるのだから聞くのが一番手っ取り早いとはいえ、経歴を辿るだけでも見えてくるものがある。
そして、言えることが一つある。
ブザーが鳴り響いた。
「あの……ハイネンさんはいらっしゃいますか?」
声だけでも深く沈みこんでいるのが分かる。セシリアは苦笑しつつも立ち上がった。
智機に案内された場所はEFハンガーだった。
「感想は?」
ディバインの目の前には、ティーガーの巨体がそびえている。
「実際に見ると禍々しいですね」
EFの平均よりも2割ぐらい大きい巨体を分厚い装甲で包んだその姿は無骨そのもの。大きく張り出した肩と蟹爪のような巨大な右腕が異形的イメージを増加させる。
「こいつが高速で動くところを想像したくないですね」
「分かるか」
視覚にまで重さが伝わってくる騎体ではあるが、ディバインには騎体質量を上回る出力を備えていることが分かる。見た目の鈍重なイメージとは裏腹に想像を超える速さで動けるということである。
それにもう一つ、気づいたことがある。
タブレット越しに見た初見からの変更点として、左肩にマーキングがされていた。黒地に赤枠の文字で、盾状の枠の中にБと書かれている。随分とシンプルなインシグニアである。
「バビ・ヤールですか」
それが恐怖の代名詞であることをディバインは知っている。
「それがオレのアイデンティティみたいだから。忘れたくもないし、忘れさせやしない」
「バビ・ヤールは白ではなかったのでは?」
黒抜きといえば白であり、第72装甲騎兵師団バビ・ヤールの師団章も同様なのだが、この師団章に使われているのは白ではなく黒ずんだ赤である。
「そのままだと差し障りがあるし、何よりも芸がない」
「そうですか」
バビ・ヤールの名前自体、堂々と出せるものではなく、民主主義共和国に所属していないのに違いを出したいという気持ちも分からなくもない。
「で、衛星落しの件ですが」
ディバインは忘れかけていた本題に戻ることにした。
「そういう話もあったっけ」
智機は分からないところばかりの人間であるが、ただ一つ言えることは倫理に訴えるのは無駄ということだ。口先だけの正義では止められない。
ディバインは穴を突くことにした。
「代行殿の提案には問題点があります」
「へぇ~」
智機の不貞不貞しさは変わらない。
「政府首脳の所在がつかめないのに落とすなんて意味があるとは思えません」
衛星落しは諸刃の剣である。
国の中枢である政府首脳を一瞬で抹殺できるから逆転することが可能な訳で、逃げられてしまえば終わりになる。大量虐殺を行った国家なんて誰も支持しないからだ。一瞬で殺しきる必要がある。
しかし、智機は変わらない。
動揺を隠しているというより、それぐらいの反論はされても当然だろう。
いや、智機のことだから恐ろしいことを考えているのかも知れない。
勝つために首都に衛星を落として数百万の人々を殺戮した男である。大陸全てを滅ぼさなくてはならなければならないとしても智機はやる。単純にスコアが増えるだけ。1度記録されたスコアは抹消されず、既に大量のスコアを得ているのだがら、いくら増えてもどうということはない。
想像するとディバインの首筋が急速冷凍される。
「言っただろ。必要があればって。読解力ないなあ」
幸いにもすぐに解凍される。
「代行殿の言葉が足らないだけです」
必要ならやるということは、裏を返せば必要がなければやらないということでもある。
「カマラの時はうまく行ったけれど、二度目は警戒される。加えてあっちの総統はカマラと同じように臆病くさいから首都にいない可能性は高い」
「何故、提案したのですか?」
「提示することは無駄ではない。実際、外からの助けが期待できなければ、衛星を落とすぐらいしか勝ち目がない。もっとも「軍団」を展開させればそれだけで事足りるともいえるが」
それは恐るべき情報であった。
「やはり、代行殿は「軍団」を……」
「使えるけれどなるべくなら使いたくはない。軍団を展開するというのは、大量虐殺と同じ意味だから」
「そこまでひどいんですか?」
「ディバインはドリフトの理屈を理解できると思うが」
「周りにある物質をライダーの思考、精神力を引き金にしてエネルギーに変化させる」
「その通り。軍団の維持にはとてつもないエネルギーが必要となるし、加えてあいつらは斉人並に貪欲だ。と、ここまで言えば想像もつくだろう」
「アヴァロン防衛戦の再来、ですか」
「それ以上。手心を加える必要性が全くないから」
ディバインは智機がシュナードラは地獄ではないと言った意味を理解した。
確かに都市は灰燼と化し、大勢の人々の命が失われた。
でも、破壊したのは智機ではない。
智機であるのなら、それこそ灰すら残らない焦土と化している。そこには人々が生存する余地もない。生命の一分子でさえも残さない徹底した破壊になるだろう。
ディバインには想像もつかない。
「言っておくけど好きで殺戮やっているわけじゃない。ただ、宛が外れればやるしかなくなる。それだけだ」
智機は外から助けがくると言った。
可能性は高いというが、来ない可能性も否定はできない。50騎程度の戦力と4隻の艦艇だけで大量の軍勢と戦うことも想定せねばならない。
そのような地獄であっても勝とうするならば人工衛星でも小惑星でも落とされなければ勝ち目がない。
クドネル本土全てに落としてでも。
失われる人命と罪の重さ。
ディバインからすれば吐き気のする現実であったが、嫌だからといって無視することができない。どんなに不快なものだったとしても逃げることになんてできない。
目の前にいる少年は逃げ出したくなるぐらいに不快な現実と対峙していたのだということを。
「負けたらどうなるんですか?」
現実を受け入れるのか、それとも勝つのか。
勝つことよりも降伏するほうが遙かに楽だ。
「まず、クドネル側の非道は無かったことにされ、代わりにシュナードラが無辜の大虐殺を行ったことにされる」
ディバインの血液の温度が瞬時に高まった。
「オレたちだってオレ達なりの正義があるように、クドネルにもクドネルなりの正義がある。正義と正義がぶつかって負けた側が滅ぼすべき絶対悪になる。ほんと、この国の連中は負けることを気楽に考えてやがる」
「代行殿は負けるとは、どのように考えておられるのですか?」
「昨日、いやそろそろ一昨日ぐらいになるのかな。オレ達は脱出するに当たってたくさんのEFを落としたけれど、落とされたライダー達はどうなった?」
「どうなったと言われても」
「そういうことだ」
ストレートに言えるはずなのに、智機は回りくどい言い回しを使う。考えさせるように。
「つまり、死んだ」
撃墜されれば脱出ポッドが動いて助かることもあるが、死ぬこともある。
「オレは負けるという本質はそういう事だと思っている。そして、負けたら死ぬのは動物やライダーだけだと思っている奴らが、どれほど多いことやら」
「国も殺されるというのか?」
「野郎は殺されるか強制労働で野垂れ死に。女子は強姦されまくって、クドネルのDNAが混ざり合って50年後ぐらいにはシュナードラ人は絶滅、といったところか。素晴らしいじゃないか」
「何が素晴らしいんいですか」
智機のバカにしたような言葉によってディバインは思い出す。クドネルの侵攻によって破壊された町並みと大量に死んでいった人々のことを。
自身の無力さ故に死んでいった人たちのことを思えば、瞬時に怒りが涌く。
「戦争というのは価値感が異なるから起きるんだ。なら淘汰して一つにしてしまえばいい。もともと、オレ達は地球という星からやってきた一つの存在だった。シュナードラという存在が無くなっても世界が平和になればいいことじゃないか」
「ふざけるな」
「サリバン首相なら、望んだことじゃないのか。身を守って相手を殺すぐらいなら、黙って殺されろと。それがシュナードラの国是だと思ったんだけど、違ったか」
あのお花畑首相の主張を思い出して絶句する。
智機が揶揄しているのではなく、この国の首相が実際に演説していたことなのだから、ディバインも反論できない。
「負けるということはそういう事だ。ディバインも軍人なら分かることだろ。最悪な事態を想定して動け。間違っても強盗や人殺しの慈悲に期待するな」
「………それが嫌なら勝て、と」
「そういうこと」
どんなに絶望的な状況でも。
「クドネルの人々を皆殺しにしてでも」
「そういうこと」
クドネルの政府首脳の所在がつかめなくても、衛星を落とすことに意味がないわけではない。所在がつかめないのであれば、大地ごとクドネルを抹殺すればいいだけの事である。
クドネルの大地に衛星、下手をすれば小惑星でも落とせば、問答無用でクドネルは消滅する。
その余りにも危険過ぎる思考にディバインは震える。クドネルが憎くないとは嘘になるが、民族まるごとジェノサイドをしたいわけではない。
でも、目の前の少年は虐殺しなければ勝てないのであれば、虐殺しろという。
が、現実はもっと過酷だった。
「でないと、姫様が大変なことになる」
敗者の扱いが地獄になるというのであれば、その頂点に立つ姫もそれ以上に地獄になるのはわかっていた。
でも、智機の口ぶりではディバインが想像しているのよりも遙かにハードになりそうな気配であった。
「大変というと、輪姦や性奴隷など?」
「姫様は可愛いからな」
しかし、智機は首を横に振る。
「公衆便所扱いされるとは思うが、便所なら便所なりに可愛がってくれるから、その分だけマシだ」
毎日二十四時間耐えまなく性欲処理させられるのも地獄だが、智機はそれ以上の地獄があるという。
「死刑ですか?」
「いや、姫様は実験体として扱われる。人ではなく、研究対象として、物として取り扱われる。パラシュートもなしに生身で1万回も成層圏から突き落とされるようなことを体験させられることになる」
ディバインの血液の温度が2度上がった。
「生身で落とされたら死ぬでしょうが」
「物の例えだ」
公衆便所にされるのは非道ではあるが、雌としては扱ってくれる。希望さえも見られるかもしれない。
でも、実験対象に救いはない。
あるのは仮説の実証のために、身体を好きなようにいじくり回される人生だけ。いや、人生というのも怪しい。もう人ではなくネズミでしかないのだから。
「何故、実験動物になるといえる」
「ディバインはEFの声を聞いたことがあるか?」
ディバインとしては意味不明な方向転換のように思えたが問いかけて言うのをやめる。智機のことだから合理的な意味があってのことなのだろう。
「……ありません」
EFの意志らしきものは感じたことはあっても、明確な声を聞くことはディバインにもなかった。
「オレだってない。変態やシャフリスタン提督でさえも聞いたことがないだろう。でも、姫様はオレがうんたんをした時にメネスの叫び声を聞いたといった。それが何を意味するのか分かるか? ディバイン」
意図が見えてきた。
「姫様には特別な力がある、と?」
もちろん、ファリルの錯覚という可能性もある。
「こればっかりはオレにも何ともいえない。あるかも知れないし無いかもしれない。ただ、斉もファリルに特別な力があると見ていると思う」
どんなに不確かなことであれ、戦争に置いては有りとあらゆる状況を想定しなければならない。根拠も無しに想定しなかった結果が今のシュナードラだからだ。
「そういうことであれば、斉の動機にもある程度、説明がつく、というのもある」
「動機?」
「姫様にはひょっとしたらこの世界のあり方を変える力があるかも知れない。姫様を知ることで世界を手に入れられるとすれば、どんな手を使ってでも手に入れようとするだろ」
EFは感じられることはあっても、叫んだりしない。
それが常識なはずだった。
「あるかどうかも分からないのですが?」
「でも、確かめる価値はあるし、斉ならそれだけで戦争を起こせる余裕もある」
ディバインは智機の言葉を理解した。
冷気と殺意に襲われる。
もし、ファリルにこの世界を変える力があるとして、世界征服を狙う組織がファリルの身柄を確保したら、その身は細胞の一片まで調べに調べ尽くされることだろう。そこには人間の尊厳も愛情も何もない。ただ、徹底的に物として扱われるだけである。
智機の言うことは誇張でも脅しでもなんでもない。
そして、ファリルが実験動物として貶められるようなことがあればディバインは生きていけないだろう。
公家を守護する近衛なのだから。
国を守るため、この可愛い姫を守るためならディバインはなんでもする。
「どうした?」
ディバインは我に返る。
「いえ、なんでもありません…」
寒気がする。
守るためにはなんでもやる。
そのためには平気で人を殺せる。
何百人何千人も殺せなくては姫が守れないというのであれば、何百何千も殺す……
いつの間にか智機と同じ思考になっていた。
「なお、この件は他言無用。ヒューザーにも喋るな」
「あいつ…いや、ヒューザー少佐にもですか?」
「信頼していない訳ではないけれど、機密保持の基本だからだ」
機密保持の基本は、秘密を知る人間を可能な限り最少に抑えることである。
「そこまでなものなのですか?」
「こればっかりはオレにも分からん。ファリルも気づくかも知れない。ただ、出来ることなら人間のままで終わらせてやりたい。それが人情って奴だろ」
「人権やら尊厳やらを平気で踏みにじれるような代行殿から、人情という言葉が出てくるなんて驚きです」
「言ってくれるじゃないか。という訳で後で調査頼む。姫様の経歴を調べてほしい。恐らく、過去に斉の興味を引く、何らかの事件があったはずだ」
「姫様?」
話に聞いたが、目の前にいるファリルの目には涙が浮かんでいた。
付き合っていた彼氏の浮気現場を目の当たりにして、逃げ出してきた直後といった感じだった。
「どうぞ、こちらに」
セシリアが促すと、ファリルは重たい足取りでセシリアの自室の奥へと向かう。個室とはいっても軍施設なのでそれほど広くはない。机に付随する椅子にファリルは座り込んだ。
「今、お茶を入れますからね」
ファリルの反応はない。
相当ショックなことだったのだろう。
困ったことになったと思うが、今のファリルを立ち直らせることができるのはセシリア以外にはいないというのも明白だった。
セシリア自身、饒舌という訳ではないのでストレートにいってみることにした。
「代行殿となにかあったんですか?」
効果てきめん。
見事なまでの驚きっぷりにセシリアは微笑ましいとは思ったが笑ってはいけないところだったので抑えるのに苦労した。
「だって、代行殿の後に可能な限りついてたじゃないですか」
「………」
真っ赤にしているところをみるとファリルはバレていないと思っていたのだろう。
無論、他人からすれば一目瞭然だった。
ファリルは目を閉じ、思考を巡らせる。
目を開けると、高飛び込みをするような緊張っぷりでファリルは口を開いた。
「智機さんがいっぱい人を殺したって本当ですか?」
「代行殿は傭兵ですもの。姫様もご存じの通り、一流の傭兵ですから、シュナードラの全軍など及ばないほどの実戦経験があるかと」
それを言ったらおしまいである。
「でも、姫様が思われているように代行殿が過剰に、しかも一般市民まで手にかけているのも事実よ。代行殿が雇っていた軍と率いていた部隊をご存じですか?」
「わからないです」
「代行殿はカマラ人民民主主義共和国第72装甲騎兵師団バビ・ヤールの師団長でした」
「バビ・ヤールって、あの……」
ファリルの表情が恐怖に染まる。
「カマラ戦争において軍民問わず無数の殺戮行ったうえに、敵国の首都に衛星を落として数千万規模の民間人もろとも政府首脳を抹殺したあの殺戮大隊の指揮官、彼こそがマローダーと呼ばれる殺人鬼なんです」
「代行殿は何故、カマラにおいて殺戮に関わったのですか?」
「命令されたから」
命令に背くようでは何も成り立たない。それが非人道な命令であったとしても。
それだけで終わってしまうのであるが、ディバインは食い下がる。
知りたかった。
敬愛する姫が慰み者にされる未来を回避するためには、他者を殺さなくてはいけない。
そういうことがわかっていてディバインはライダーになったとはいえ、限度というものがある。敵国とはいえ民間人を数千万単位で殺せるほどの神経はディバインにはない。
でも、状況次第ではやってのける覚悟も必要になる。過酷なまでの現状に目の前が真っ暗になるが、目の前にいる少年はやってのけた。
「代行殿は上に命令されただけであっさり従うほど従順だったのですか? 命令がもたらす結果について想像が出来ていたはずです。抵抗や良心の呵責など、何も感じなかったですか?」
無条件に従うのと、命令を理解した上で従ったのでは様相が異なる。特に最後の作戦に関しては、指令を下した上層部に全ての責任を押しつけているのではないかとディバインは疑っている。被害者ぶるには手にかけた人々の数が余りにも大きすぎたから。
「カマラに降下して、最初にカマラからオレに下された命令ってなんか分かるか? ディバイン」
「わかりませんが」
「パルチザンが潜んでいると思われる村落を、一村も残らず掃除」
その言葉の意味に気づけないほどディバインは愚かではない。
「確かな証拠があったわけではないけど、かといって抗命の余地もなかったのは分かるだろ」
疑惑だけであって、確証があって行ったわけではない。それは軍の命令で民間人を殺戮したことの告白。
「あの時、衛星を落としたのは勝たなければ吊されるからだ。衛星落しに至るまでに数え切れないほどの民間人や捕虜を殺害してきたから降伏したところで認められるわけがない。なら、吊そうとする奴らを1人残らず殺るしかないだろ」
「どうして、智機さんは衛星を落としたんですか?」
「命令されたからなの」
「命令されたからで、それでいいんですか? 命令されたからといいって無数の民間人を巻き込んでも構わないんですか?」
「ファリ……姫様…」
セシリアのファリルを見る目が痛々しいものになる。
「それが戦争なの」
「それが戦争……」
「正直、私たちだって他人事じゃない。展開次第によってはカマラを繰り返すかもって代行殿も言っていたけれど、たくさんの民間人を殺すぐらいなら、代行殿は裏切ってもいいということになる。それでもいいの?」
セシリアの問いにファリルは絶句する。
大量の敵国民を殺すよりも、智機が裏切ってくれたほうがいいというのであるのなら確かに敵国民の被害はないが、その代わりにガルブレズに逃れてきたファリル達が救われない。ファリルが犠牲になるのはまだしも、シュナードラの国民たちを巻き込むのは許されない。
「代行殿がカマラで衛星を落としたのは、そうするしか勝てなかったから。敵国の軍勢によって首都を包囲されるぐらいに追い詰められて、どうすることもできなかった。勝つため、生きるためには首都ごと敵国首脳を抹殺するしか方法がなかった」
「そんな……」
これが平時なら、智機のことを殺人鬼だと罵っているだけで済んだ。
智機に言わせれば甘いとのことだが、それでも予断を許さない状況に陥っていることには違いない。
「……落としますよね」
「やる時はやる。そういう人ですよね」
数日程度の付き合いだとはいえ、智機のパーソナリティはある程度つかめている。冷酷なまでに躊躇うことがない。
ふと、ファリルにアイデアが思いつく。
シュナードラの国民も、クドネルの国民も救われる最適な方法を。
……ファリルだけが地獄を見るが、それで何もかもが救われるのならそれでいい、はずなのに震えが止まらない。
「それはだめです。姫様」
何も言っていない。
「なにがダメなんですか?」
「クドネルに降伏しようと思っていたんでしょ」
ファリルの顔が真っ赤になる。
「ど、どうして!?」
「……バレバレですから」
考えていることが、すぐに出てしまうという自覚はファリルにもある。
「降伏すれば私たちは命だけは助かるかも知れない。でも、命が救われるだけ。死ぬと奴隷になるのとどっちがいいの?」
降伏後のシュナードラ国民の扱いについては聞かされていないが、智機と敵指令官とのやりとりを聞いていたから過酷になるだろうとは想像できる。降伏というのは負けを認めたということであり、敗者側の扱いは勝者に全てを預けるということになる。上下があるとするならば上になるということはありえない。
命さえあればいい、というのは簡単だが、セシリアを見たらいえなかった。
「生きているだけでは幸せなんていえない。姫様がいてくれなかったら私たちに生きる意味なんてない」
感動が胸の奥からこみ上げてくる。
「そんな。私なんてどうしようもありません。情けないしヘタレだし、弱いし、いいところなんてぜんぜんありません」
シュナードラ国民にとってファリルが大事な理由は、ファリル本人ではなく、長きに渡ってシュナードラ公室を抱いていた歴史にあるのだが、ファリルにはそこまで考えが至っていない。
だからといって、ファリル自身に魅力が全くないというわけではない。
「代行殿だって、姫様がいなくなったら悲しむ」
「智機さんが?」
信じられなかった。
勝つためなら、大量殺戮の躊躇わない戦闘マシーン。それが智機である。従って、ファリルにとっての智機というのは雇い主と傭兵といった関係でそれ以上でもそれ以下でもないはずだった。
「代行殿の今後の見通しは?」
カマラの件については、突っ込めば突っ込むほど心が折れてくるので、当面の問題に切り替えることにした。今は智機の昔話よりも、クドネルの来襲のほうが遙かに重要である。
「本当はとっくの昔に戦争なんて終わっていたはずなんだ。クドネル側からすれば」
「どっかの殺人鬼が酔狂にも乱入してきましたからね」
「シュナードラの完全制覇は難しくなった。半ば遊びで起こしている戦争なんだから、まともな奴なら、ここで和議を入れると思ったんだけど、姫様を差し出さなければ許してくれそうにないな」
クドネルとしては、大した被害もなくシュナードラを併呑できる予定だったのが、智機の乱入によって計画が狂いに生じた。まともに当たってもクドネルはシュナードラに勝てるのかも知れないが、これまでとは違い被害が莫大なものとなる。
展開によっては計画から根底から覆されることを考えれば、シュナードラ領のほとんどを占領しているので、和議に応じても収支的には問題がない。むしろ、株式で言うなら今が利益を確定させるちょうどいい機会だろう。少なくてもそれ以上の儲けは智機がさせない。しかし、ファリルの身柄も確保が条件となると話が違ってくる。
ファリルを売り飛ばすつもりは全くないのだから、諦めてもらうまで抗戦しなければならない。問題は諦めるラインである。
「斉にしてみたところで、ここで負けても、それほどの痛手にはならない」
スポンサーの斉にしたところで、本土を攻め込まれているとか、皇族が殺されたという話ではないので負けた大した被害はない。金銭的に損をするかもしれないが取り返しの付く額である。
「他人の戦争ほど面白い娯楽はないから」
「腹が立つ話ですね」
「一番面白いのは参加することなんだけど」
「もっと最悪ですね」
「でも、愛憎が絡まないから楽。カマラなんざ、どっちかがどっちかを根こそぎ殲滅しなければ収拾のつけようがなかった」
自分たちの命を娯楽として見られていることには腹が立つが、逆に言えば感情が絡まないということでもある。憎悪のレベルにまで達してしまうとどうしようもない。智機が言うと説得力がある。
「我々からすれば、許し難い話ですが」
ディバインの口調が刺々しいのは、クドネルの侵攻によって大量のシュナードラ国民が死んでいるからである。軍人ならまだしも、緒戦で民間人が都市レベルで大量に虐殺されているのだから我慢できるものではない。
「クドネル側の民間人もぶっ殺せばカマラ同然の泥沼になる。オレがいっても説得力はないんだけど」
報復は報復を呼び、結果として取り返しのつかない泥沼と化す。世の中は納得できない事、理不尽な事だらけであり、時には我慢して飲み込まなければならないことも良くあることなのだ。
「雇い主は共存がお望みだから、できる限りの要望は叶えてやるのがプロっていう奴だろ」
「カマラで衛星落した、外道の言葉とは思えないですね」
「ディバインは、クドネルにどれだけの増援が来るか予想できるか?」
強烈な皮肉も関わらず平然とスルーされてしまった。
「大兵力で圧倒するのが基本ですが」
和平という話がない以上、クドネル側にも増援が送られることが決定的となっていた。そうでなければ、せっかく得た成果が無くなるのが目に見えているので否が応でも送らなければならない。
問題はその数。
ディバインが言うように大兵力で攻めるのが常識である。智機でさえも諦めるほどの物量で押せば、戦わずに降伏してくれるので結果的には支出も最少で済む。逆に逐次投入はやってはいけない愚策である。投入する兵力、兵力が潰されてしまっては投入した意味がない。金と命を投げ捨てるだけである。
「ディバインの言う通りだけど、行けるかどうか難しいのが救いというか皮肉というべきか」
「希望的観測ですか?」
「シュナードラごとき小国を料理するのに、牛刀はおろかEFを持ち出す意味があるのか、ということ」
国境でレアメタルの厖大な鉱脈が発見されたことが戦争の原因になったとはいえ、鉱脈程度なら斉領にいくらでもあるので、わざわざ代理戦争を行ってまで取る必要もない。そもそも有人惑星一つだけの星系を得るのに斉全軍を投入する意味はない。
ディバインは最初の会議での内容を思い出す。
さしもの斉とはいえ、無制限の侵略行為は困難になりつつある。現状を打破しようと様々な試みを行っており、クドネルの侵攻もその一つの可能性だといえた。
比較的に小規模な国家に働きかけを行って、親斉政権を樹立。連合を造り上げて各大国を圧倒していくという作戦なようで、NEU周辺で起きている様々な争乱もこの計画に基づくものと言われている。
つまり、これまでの斉とは違い大兵力は出せない。
更に、もう一つの要因がある。
「斉の一連の働きは楚王の差配によるものと言われている」
「楚王。次期皇帝候補者の1人ですね」
「皇太子亡き後、秦王と共に最有力候補と称されているが、評判は両方とも余り良くない」
「悪いの間違いでは?」
「そうとも言う」
百人は下らないとされる斉国皇帝の子の中でも、正后の嫡子で最年長にあたることから有力候補と目されているがどちらかに決めきれないのは、似たり寄ったりの愚物という評判で、決め手に欠けるからである。とすれば実績を積み立てるしかない。
どの勢力もある程度に成長すれば、内部に派閥ができて対立がおきる。斉も例外ではなく、むしろ、無いほうがおかしい。
勝てば銀河最強国の皇帝、敗者は下手すれば処刑なのだから、その争いは激しいものになる。こうなると外敵よりも憎くなるので、一方が計画を発動させれば、その対立側は失敗を願い、妨害もする。
「まとめると斉国内の諸事情から、大兵力を出す見込みは低いということですか」
「斉からすれば、他国に揺さぶりをかけることができれば成功なんだから、シュナードラが取れようが取れまいがそんなものはどっちでもいい。外したら外したで、その時はその時だ」
つまりは落とすことになるのかとディバインは思った。
躊躇うことはしないが、かといって無制限に落とすという訳でもない。全ては智機に委ねるしかない。
「問題は、オレよりもお前ら。現状では、増援呼ばなくても叩きつぶせるだけの兵力がクドネルにはある。オレとティーガーなら持ちこたえる事は可能だ」
ディバインは胃が締めつけられるような痛みを覚える。
衛星落しとタイムラグをつけて侵攻してくるであろうクドネル軍に、智機抜きで立ち向かわなければならないという厳しい現実が待っていることである。
「ディバインたちは、姫様のために狂戦士化する覚悟はあるのか?」
厳しさがナイフとなって内臓をえぐる。
狂戦士化とは、ライダースキルの一つで、自身が撃破されて即座に再生、眼前の敵を殲滅するまで戦い続けるという技である。ただし、自身の命を引き替えにしての発動となる。
国を守るため、姫を守るため、ディバイン達には命を捨てる、人間ではなくなる覚悟があるのかと問われている。
特に智機に問われるとハンマーで全身を叩きつぶされたような痛みを覚える。
「……そんなのは最初から分かっている」
「アヴァロン攻防戦は終わりだったから玉砕してもよかったけれど、今回は終わりというよりは始まりだから死なれたら困る。いざとなったらやってもらわなければならなくなるけど」
予想されるクドネルの攻撃を乗り切ったとしても、これで終わりという訳ではなく、ある程度の目処をつけるまで戦いを続けなければならない。途方もない道のりになってしまうが、バーサークしなければ守れないというのであれば否が応でも実行しなければならい。
「バーサークしようと思っても簡単にやれるものじゃないけれど。手伝ってはやれるが、結局は騎士団次第だ」
ショックだった。
「バビ・ヤールって、どんな部隊だったんですか?」
旧カマラ人民民主主義共和国第72装甲騎兵師団バビ・ヤールは一般には虐殺師団や殺戮大隊として名高いが、イメージだけが一人歩きしていて、詳しい事は知らない。
一週間前まではそのバビ・ヤールの関係者を雇うなんて思ってもみなかった。
「元々は懲罰部隊だったの」
「ちょうばつぶたい?」
「戦争の後期になって劣勢に立たされたカマラ共和国が、兵力の穴埋めに刑務所に入っていた犯罪者や軍法会議に掛けられた軍人、それに敵国の捕虜たちを集めて作ったのがバビ・ヤールの始まり。だから、軍隊とは名ばかりの犯罪者の集まりで、敵軍の戦闘よりも民間人の殺戮や略奪に夢中になっていた。もっとも、軍のほうでも捕虜や民間人の殺害、更には楯といった、汚れ仕事を請け負わせていたから、どっちもどっちよね」
「どうして、智機さんが、その部隊の中に」
「単純に見込まれたから?」
「見込まれた?」
「代行殿は、カマラに来る前はセンチュリオンズにいたのよ」
「センチュリオンズって、すごいじゃないですかっっっ」
センチュリオンズとはNEU内における主力騎士団の一つでエリート中のエリートと呼ばれる部隊である。
「でも、なぜ辞めたんですか?」
センチュリオンズの一員になったということは何一つ不自由のない人生を約束されたということを意味する。にも関わらず捨ててしまったことをファリルには理解できない。これは一般的な反応というものだろう。
「色々あったの」
「色々、ですか」
「そう、色々」
智機のことなので、色々で片付けるには嫌な事も黒い事も血生臭いことなど多すぎて片付づけられないのであるが、あまりの濃さに二人とも耐えられそうにないので、色々で片付けるしかなかった。今は。
「なにはともあれ、代行殿が指揮官となった部隊は寄せ集めの犯罪者集団から精鋭集団へと変わることになる。虐殺師団や殺戮大隊とか言われているけれど、半分は褒め言葉なの」
智機が来ただけで、シュナードラ軍の雰囲気がガラっと変わった。クドネルの攻撃に右往左往するだけで何もできなかった軍隊とは呼べない素人の集まりが、ほんの数時間だけでまとまりのある行動が取れるようになった。
経歴も人種もバラバラな連中が、一つの強烈な個性によってまとまっていく様をファリルも体感している。
「でも、バビ・ヤールの奮闘も空しく民主主義共和国は、稚拙な戦略もあって追い詰められていき、最終的には首都を包囲されることになった。そこまで言っちゃえば分かると思う」
「はい。分かります」
そして、智機は衛星を落しにいき見事、政権を衰滅させた。首都ごと皆殺しにして。
「バビ・ヤールの人たちはどうなったんですか?」
智機は言っていた。
生き残ったのはたった3人だけと、
でも、でも死んでいった兵士たちの様子は、あの言葉だけでは伺い知ることはできない。
「バビ・ヤールは、代行殿が衛星を落しに行っている間、彼らは何十倍もの兵力で攻めてくる敵軍から首都を守った。そして、敵軍の殲滅と引き替えに彼らは玉砕した。狂戦士化してまで首都を守ったの」
「狂戦士化…」
命を捧げることとによって、眼前敵を全て沈黙させるまで戦い続ける禁断の秘技。
技量を問う以前に、命を捧げられるほどの思い入れがなければ発動することはできない。
絶対絶命の境地に追い込まれて、彼らはどのような想いで命を捨てて、首都を守ろうとしたのだろう。想像するに大した恩恵も与えていない街を。
「話はこれで充分か?」
これから起こるであろうクドネルの襲撃について、話はまとまった。
智機にしてみればする話はないのだが、ディバインにはある。
「代行殿は何故、カマラ戦に参戦したんですか?」
兵士とは違い、傭兵には戦いを選ぶ自由がある。智機が参戦した時期には旧カマラの敗北が決定的になった頃で、この段階で旧カマラに参戦をするという事は宝くじの一等賞金を狙うような博打か、あるいは悲惨な敗北に快感を味わうためのどちらかとしか思えなかった。
智機は気持ちがいいほどの爽やかな笑みを浮かべて答えた。
「戦争が大好きだからだ♪」
言葉とは裏腹に、邪心の欠片さえも全くない態度が見ていて頭が痛くなる。
「……ほんとに戦争が大好きなんですね」
予想通りではあったが。
「クルタ・カプスから2週間後にカマラだからさ、我ながら血に飢えているとしか思えない。でも、この話に教訓があるとするならば心の隙間を埋めるために戦いを求めてはいけないということ。更なる絶望を生むことになる」
2週間程度なら休んでいるとは言わないので、普通なら連戦することはできない。普通なら神経が持たないし、ディバインが智機の立場に立たされても拒否する。それでも連戦し続けるのは自身が語るように智機は戦闘狂なのだろう。
「代行殿は初めての任務が、パルチザンが潜伏していると思われる村落の一掃と言いましたね」
「ああ、言った」
「その任務。絶対に拒否はできなかったのですか?」
強制されたのであれば同情の余地はある。
「いや、逃げようと思えば逃げることもできた」
智機はあっさりと答えた。
つまり、民間人殺害を伴う任務については拒否することもできたわけで、こうなってくると話しが違ってくる。智機が殺人が好きであれば、裁かれるのも自業自得である。
「でも、あの状況では避けようがなくて、オレが逃げても他人がやらされるだけだった。なら、オレがやっるほうがよかった」
「なぜ、よかったんですか?」
「いくらでも憎んでくれていいから」
まだ、無抵抗な人間を虐殺したくて、上司の命令をダシにしたというほうがマシだったかも知れない。少なくも、わかりやすい。
「憎まれて、嫌われて、それでも構わないですか」
「ああ、全然かまわない。火をつけたいのなら放火魔に、強姦をしたいのであるなら性犯罪者に。詐欺をしたいのなら詐欺師に。虐殺をしたいのであれば殺人鬼に。適材適所っていう奴。オレがこの手の仕事に向いているから引き受けた。合理的だろ」
人は他人から好かれたい、嫌われたくないという生き物である。なぜなら、一人では生きていけないから。周囲を敵に囲まれているという状況に耐えられないから。
それなのに、この目の前にいる少年はいくらでも憎まれても、好かれなくても構わないといっている。
世界の全てに憎まれても平気だと宣言している。
冗談なのかも知れないし、あるいは強がりであるのかもしれない。
しかし、智機の経歴が、それを否定する。
人に憎まれ続ける結果を積み上げて、今に至っているのだから。
でも、意味が分からない。
「人から嫌われて、憎まれるようなことを引き受けて、代行殿にはどんなメリットがあったんですか?」
「カマラについた瞬間、オレが権力を握らなくちゃいけないと思った。上の連中がバカばかりでうかうかしていたら奴等の作戦で殺される。そのためには信用っていう奴が必要だけど、オレには姫様みたいなカリスマなんてないから、他人がやりたがらないことを進んでやるぐらいしかなかった」
「その結果は?」
「蔑まされはしたが、そんな奴等はどこぞのお花畑首相並の無能だからどうでもいい。それ以上に立派な漢たちの信望を集めることができたから、やって良かった」
その漢たちは、智機の配下についたバビ・ヤール達の兵士たちなのだろう。
恐ろしいのは、憎まれても構わないということは裏返せば、どんなに鬼畜外道なことでも平気でできるということである。他人の感情を斟酌する必要がまったくないからだ。
遠慮や配慮や考慮といったものを一切阻害した時、この男がどんな地獄を造り上げるのかと思うと戦慄が走る。
「実際、勝ったからな。勝ってしまえばどんなに悪業を働いたところでも無かったことにできる。だから、オレ達は勝たなくてはいけない」
ただの悪党、と切って捨てることができるのなら、どんなに楽なのだろう。
「思えば、良かったよ」
「……何がですか?」
脈絡もない話題の展開にディバインはついていけなかった。
智機は言う。
「ファリルが衛星を落とすことに反対してくれたから、オレは心置きなく衛星を落とすことができる」
さりげなく落とされた爆弾。
ディバインには智機が何を言っているのか理解できなかった。
落とすことに反対してくれたから、落とすことができるとは矛盾している。
でも、智機のことだから矛盾に気づいた上での発言である。
「独断専行ですか?」
すぐに理解はできた。
「カマラでは前総統の命令だから責任を前総統に被せることができた。シュナードラではファリルが反対したにも関わらず、部下が命令違反をした。全てはオレの責任でやることであって、他の誰にも責任はない」
「代行殿はどうするんですか?」
「流石に責任被って死刑になる気はないから、トンズラこくけれど、それでいい」
「何がいいんですか」
「みんなが泣くのも苦しむのもオレのせい、オレ1人を悪いものにして呪えばいい。オレはなんだってやれる。罪もない老若男女を嘲笑いながらぶっ殺せる鬼畜だ。いいことじゃないか」
「なぜ、そこまでするんですか」
智機の覚悟は自分1人が犠牲になってでも世界を救おうという覚悟だ。いくらティーガーが報酬だとはいえ、度を超えている。ティーガーのためにそこまでする義理はない。
「誰彼もが呪えば呪うだけ、憎めば憎むだけ、オレは強くなれる。そんなところかな」
智機は用は済んだとばかりに、ディバインの前から歩き出す。
その小さな背中が完全に消え去るまで、ディバインは動けなかった。
恐れ、怒り、様々なものが胸の奥で渦巻いて、形にならなかった。
それらがようやく一つになった時、ディバインは壁を殴っていた。
「ふざけるな!! 御給智機っっっ!!!」
ディバインは連続して壁を殴る。壁は僅かに震えるだけで壁は壊れず、むしろ殴る手に痛みが走るが
痛みを怒りが上回っていた。
「この厨二病がっっっっっっっ!! 殉教者を気取るのもいい加減にしろっっっっ!!」
「珍しいなあ」
呑気な声がして、我に返って振り向くとそこにはヒューザーが立っていた。
「ブルーノが吠えるなんて。槍でも降るんじゃね。いや、だから衛星が落ちてくるのか」
「縁起でもないこと言うな」
無礼なようにも聞こえる親友の軽口で、ディバインは冷静さを取り戻す。
「格納庫に入る前に、代行殿とスレ違ったんだけど、何が?」
「あの人とオレ達の価値感が余りにも違い過ぎてて、ショックを受けているところ」
「フラれたと思った?」
「……殺すぞ」
「アメリカンジョーク、アメリカンジョーク」
「ところで、ハルドはなぜここに?」
「一仕事終えたんで寝るところ。その前に最新鋭騎を一目見たくてね。いっぱいやるか?」ブルーノも休憩取ったほうがいいぞ。休んでないだろ」
ディバインはヒューザーの右手に中身の詰まったビニール袋がぶら下がっている事に気づく。
「ほらよ」
ヒューザーがビニール袋から中身を取り出すと、ディバインに向かってぶん投げる。
キャッチするとそれは缶ビール。
いつもなら、ふざけるなと言いたいところではある。
「……休むか」
ディバインはプルタブを引き抜くと、口をつけて一気に飲み始めた。
今は自棄酒したい気分だった。
「……なんだよ、これ」
舌に感じたのはアルコール独特の熱さではなく、やや苦みのあるアップルサイダーの味。
よーく見るとラベルに表記されていたのは「こどもびぃる」
もちろんアルコール度数は0
「酒飲みたいのはやまやまなんだけど、数日後に隕石落しされるかも知れないのにアルコール飲めないだろう」
「で、探した結果がこれか」
ノンアルコールビールですらない、子供向けアルコールテイスト飲料であるが、ヒューザーの真っ当な言い訳に沈黙する。智機が必死こいてティーガーの調整を行っているのに、いい歳こいた大人2人が2日酔いというのは様にならない。
「あの……お願いがあります」
「どうしたんですか? 姫様」
「その…プライベートの時は姫様というのは遠慮してほしいのですが……」
セシリアはクスリと笑った。
「あの……いけませんか……?」
気分を害してしまったと思ったのか、怯えるところが可愛くてたまらない。
「じゃあ、ファリルちゃん」
セシリアは力一杯ファリルを抱きしめる。
「……はい」
「わたし、ファリルちゃんみたいないもーとがほしかったのー。よろしくねー」
その時のセシリアは至福意外の何物でもなかった。
「あの人と色々と話をした」
「どうだった?」
「圧倒された」
「代行殿を見ているとナイフが喋っているみたいで落ち着かない」
「あの人は言っていた。「いくらでも憎んでかまわない」と」
「どんな地獄を見ているんだろうな。代行殿は」
いくら尽くしても、いくら愛しても報われることはなく、世界の誰からも憎まれる。
世界の全てが敵。
助けてくれる者は誰もなく、少しで油断していれば殺される世界。
それはどれだけの地獄なのだろう。
「恐らく、あの人に見えているのは劫火で焼き尽くされた後の何もない砂漠」
誰にも愛されない、味方などいない孤独。
そんな孤独にディバインは耐えられない。一瞬後には銃で頭を撃ち抜くだろう。
でも、智機は憎まれてもいいといった。
「いや、死体で覆い尽くされた荒野なんだろうな」
憎んでくれても構わないとは言ったが、憎まないとはいっていない。憎まれるべきだが、智機から憎むなといったら最後、その口に銃を突っ込まれ、ニタニタと獣のように笑う智機の眼前に見ながら、頭を吹っ飛ばされることだろう。
どうせ、1人なのだから人がいようがいまいが関係ない。ならば憎い人類を1人残らず一掃したほうが気持ちいいとエスカレートしても不思議ではない。
「どうやったら、あんなのができるんだか」
「考えてみろ。あの歳でカマラを経験しているんだ。どうかしないほうがおかしい」
智機の憎まれてもいい発言は、青二才が粋がっているのではなく、人間の醜悪な面を見せさせ続けられてた人生の中で得た答えである。
小学生ぐらいで民間人の大量処刑をやらされてきた。既に地獄を生き延びてきたのだから歪まないほうがおかしい。黙っていれば普通の少年と変わりがないだけ奇跡なのかもしれない。
「代行は、カマラが初陣だったのか?」
「違う。公式で確認される最初の軍歴はNEUのシャフリスタン艦隊だ。ガートルード・シャフリスタンの従兵をしていたそうだ」
「あの鬼エースのね。確か、クルタ・カプスで反乱起こして戦死したんだっけ」
「代行殿に倒された」
さしものヒューザーも絶句する。
持っていた中身入りの缶ビールを取り落とし、地面に接地するスレスレでキャッチする辺りは無駄に器用であるが。
「従兵ということはいつも付き従っていたんだろ」
「そういうことになるな」
「どういう想いでぶっ殺したんだ?」
「清々した」
今度は派手に吹き出した。
必死に咳き込むところを見るとこどもびいるが気管に入ったらしい。
「ハルドは従兵と上官の関係を親子のように見ていたようだけど、そうだとは限られないだろ。奴隷のような関係だったら、ぶち殺したくなるのも自然だろう」
本当のところは知らない。
憎む関係なら説得力はあるけれど、ヒューザーの言うように信頼関係を築いたことも否定はできない。
一番いいのは本人に聞いてみることであるが、
「いや、ハルドの言うように信頼関係に結ばれていたんだろうな」
「なんだよ、その言いぐさは。吹いたビール返せ」
「代行殿と初めて出会った時、離れる時に何を言ったか思い出せるか」
「忘れた」
「バビ・ヤールとシャフリタン艦隊が参戦する、と言っていた。艦隊にいい思いがなかったら、わざわざ含めたりはしない」
嫌な記憶しかなければ、存在そのものを最初からなかったことにする。所属していた事を誇りに思ったからこその言葉だったのだろう。
……それだけにこどもびいるがやけに重い。
「あの人、生きていて楽しいのかな?」
「さあな」
どのような経緯があったのかは定かではないが、それなりに思い入れのあった場所を自らの手で消し去ったら、どれほどの痛みが来るのか想像もできない。
仮にディバインがそのような局面に遭遇したら恥も外聞もなく逃げる。死ぬ事さえも辞さない。
でも、智機はそれをやった。
そして、今もなお生きている。
ディバインの予想が正しいのであれば、意識にそれこそ肉親を失ったような空白が空いているはずである。
「ハルド、おじさんたちは?」
ヒューザーは無言で首を横に振ると、ビールをあおった。
「……生きているとは思うけどね」
「よく楽観できるな」
「そうと考えなきゃ納得できないでしょ。つうか、どっかの誰かさんのおかげで悲しむ暇もありゃしない」
「そうだな」
軍職についていなかったら肉親が見つからないことへの悲しみに浸っていることができただろう。しかし、2人とも軍職で、何の間違いか司令官職に抜擢されてしまった。こうなってしまえば悲しみに耽溺することはできない。2人が判断を誤れば2人だけではなく、多数の人々が死ぬことになる。課せられた責任の重さに耐えられるのかどうか気を抜けば不安になるが選択の余地はない。全身全霊の力で持って最大限の努力をするしかない。
「この戦いが終わったら、ボク。セシリアたんのおっきな胸で慰めてもらうんだ」
「ハルド、それ死亡フラグ。というより、いつからハイネン少佐はお前の彼女になったんだ?」
「なる予定。ばりっばりっのエースライダーに惚れない女などいない!」
「なれるといいな」
「ファリルちゃんは、代行殿……智機くんのことはどう思っているの?」
「どうって……?」
「まずは裏切られたと思っている?」
それは否定できない。
軍人だから人を殺しているのは仕方がないとしても、殺害範囲が民間人にまで及んでいるのは弁護が不可能だった。再び出会った時にどんな顔をしたらいいのかわからない。
「嫌いになった?」
反射的に首を横に振る。
智機がいなかったら、ファリルの人生はクドネルの首都侵攻で終わっていた。
意図はどうあれ、智機がこの星に降りてきてくれたからファリルは生きている。この地にいるみんながシュナードラ再興の希望をつないでいられるのも智機のおかげである。
ティーガーという報酬を与えたとはいえ、過去のことで智機を拒絶するのもおかしいとファリルは思う。 大量殺人鬼よりはマシだとはいえ、ひどい恩知らずになったような気がする。
外道な過去があったとはいえ、智機には様々な恩を受けている。
「最初はどう思った?」
「怖かった」
生身だけで、このシュナードラの地に墜落しながらも平気で立ち上がり、ファリルの求めに応じて銃で撃ち殺そうとしたけれど、撃ち殺されず、ただ震えているだけのファリルに立ち上がることを強制した。その有様はまるで悪魔だった。
その後の行動はもっとも悪魔。
ファリルを背負って、事もあろうに2体のEF相手に生身で喧嘩を挑んだのである。巻き込まれたファリルはたまったものではなかった。
ビームが掠っても死ぬし、智機が足場を踏み間違えても死ぬ。
翼やエンジンもなく、ただ跳躍力だけで飛んでいる浮遊感には恐怖しかなかった。
止めに……お漏らしまでさせられてしまった。
顔が真っ赤になってしまう。
でも、その怖さというのは強さの裏返し。
智機が起動しているEFを乗っ取りに行く課程や、その後の無茶な戦闘の数々は怖かったけれど同時に凄かった。
特に無数のEF群に単騎で突っ込み、ほとんど何もしていないのにも関わらず敵騎が勝手に落ちていく様は神業としか思えなかった。
後で攻撃的回避という高等テクニックをやっていた事を知らされて、驚いたが。
そんなことを、たやすくやってしまえる智機は単純に凄いと思った。
見とれてしまうほどにかっこよかった。
だから、次のセシリアの一言が信じられなかった。
「もし、智機くんが死んだら、ファリルちゃんばどうする?」
それは信じられないことだった。
死神その物しか見えない智機に、人の命を奪うことはあっても、奪われる図なんて想像もできなかった。
「智機さんが死んじゃうなんて、嘘、ですよね」
セシリアは首を横に振る。
「ファリルちゃん。世の中には絶対ということはないの」
数日前までは、シュナードラが他国に攻め込まれるなんて想像もしなかった。リアリティに乏しい夢物語だと思っていたけれど、いつまでも永遠に平和でいられるというのが、何の根拠もない思い込みでしかなかったということに気づかなかった。あるいは目を反らしていた。
高いところに立っていて、でも、支えている柱が針のように細いものだったら、その事実を忘れたくなる。
智機は充分に強いライダーである。
でも、強いライダーがより強いライダーに敗れる、もしくは運などの要因によって弱いライダーによって敗れ去ることもある。
そもそも、智機に出会ってからロストックに収容されるまでが綱渡りの連続。
智機は確信を持って行動をしていたが、読みが少しでも外れていたら死んでいた。冷静に考えてみたら、智機とファリルが生きているのも奇跡だった。
智機が死んだらどうなるのだろう。
目の前が真っ暗になる。
ファリルは気づいた。
智機が死んでしまったら、胸にぽっかりと大きな穴が空いてしまうことに。
怖くなる。
そのまさかが現実のものとなれば、立つ大地ごと崩れて、永遠の闇へと落ちて行きそうで。
「なあ、ハルド」
「どうした、ブルーノ」
2人の周りには大量の空き缶が転がっている。
「クドネルに負けたのはオレ達のせいだ。そして、バカを首相に選んだ国民のせいだ。でも、代行殿にはクドネル戦については何の責任もない。これはわかるな」
智機が憎まれても構わないことをいい事に、身内にも非道を働くようなことするような輩であったら、ディバインも遠慮無く智機を憎むことが出来ただろう。
しかし、智機が民間人の処刑を行ったのも衛星を落としたのも、誰もがやりたくない嫌なことを代わりに、進んで引き受けただけのことである。
誰かの身代わりになって憎悪を買っている。
智機は憎まれれば憎まれるほど強くなれるからと語っていたが、ディバインはどこにメリットがあるのか理解できない。
ただ、便所掃除程度なら、多少の後ろめたさは持ちつつも「そういう奴だから」ということで流すこともできただろう。
でも、まだ警戒心もなく、無邪気に笑う赤ん坊の頭に銃を突きつけて引き金を引くような役割を押しつけておいて、自己を正当化するような真似はできない。
「仮に代行殿が衛星なり隕石をクドネルに落として戦争を終結させたら、オレ達騎士団全員は腹を切らねばならない」
「智機くんは必要なら自らの意志で、クドネルの人達全てを皆殺しにできると思う。智機くんは自らの意志で引き金を引いたというとは思うけど、本当は違う。私たちの無能と悪意が、智機くんに無理矢理引き金を引かさせるの」
セシリアの一言はパイルバンカーの切っ先となって、深々とファリルの胸に突き刺さる。
「私たちの無能……」
それはさんざん智機が指摘していた。
政治に置いて判断ミスさえしなければ、そもそも戦争にはならなかった。その罪と責任は何処かで果たさなければいけない。少なくても、降伏するというのは責任を果たした事にはならない。
たとえ残虐な結果になったとしても。
「智機くんに問題がないとはいわない。でも、カマラ戦において一番醜いのは、智機くんじゃなくて汚い仕事を押しつけた大人たちよ」
ファリルは初めて見る。
セシリアが怒っているところを。
「この先どうなるかは分からない。でも、最悪な手段で勝ってしまったら、私たちの罪さえ代行殿に背負わせてしまう。首都を落とされたのは智機くんのせいじゃないのに」
この戦争の結末は見えないが、汚い展開になるのは避けられないだろう。
本来ならば責任としてすべきシュナードラ国民が行う仕事を、何の責任もない智機に押しつける。
そして、期待通りに汚い仕事を完遂した智機を汚れた騎士だと嘲り笑う。
……初めてだった。
「姫様お願いします。どうか、シュナードラの国民を卑怯者の民にしな……」
「そんなことは絶対にさせませんっっ!!」
こんなにも血が熱くなったのは。
「……ひめさま……」
言葉を遮られたにも関わらず笑顔になるセシリアを見て、ファリルは恥ずかしくなってしまう。
やりたくない仕事、汚い仕事を何の責任もない人に押しつけてふんぞり変えるのは最低。それこそ、智機が言うに存在する価値もないのだろう。
弱いのは仕方がない。
でも、命がけで自分を守ってくれて、なおかつ責任を背負うとしている人を殺人鬼だと罵倒する卑怯者にはなりたくない。誰にもそうはさせない。
ファリルは気づいた。
自分にはそうさせるだけの力があるということを。
「ったく、しょうがねえな。わーったよ。セシリアさんを口説けないのは残念だが、そん時は一緒に腹切ってやるから、安心しろ」
「……すまん」
「いいってことよ。昔からだからな。でも、死ぬつもりはないからな」
「そうだ。俺たちは絶対に死なない。死ぬものかよ」
「ああ。モッテモッテのリア獣になってやるからよ」
「落ち着いた?」
「はい」
セシリアと話したことによって落ち着けた。
「とりあえず、智機くんと会って話してみること。それが一番」
全てが納得行ったわけではないが、歩くべきルートは定まった。後は突っ込むだけ。玉砕するかも知れないが、突っ込まなければ変わらない。
「ありがとうございます。お礼は……」
「いいの、いいの。ファリルちゃんのおねーちゃんになれるだけでも嬉しいから」
セシリアの表情が少しだけ変化する。
嫌な予感がした。
ちょっとだけ、智機っぽかったから。
「ファリルちゃんは智機くんのこと、好き?」
少しは予想していたとはいえ、顔が真っ赤になってしまう。
冷静に考えて見ると、好きなのかも知れない。
嫌いであれば、智機の外道すぎる過去を聞いてもショックはうけない。
何よりも智機が死ぬかも知れないと聞かされた時には絶望を覚えた。それこそ、大地ごと闇へと崩れ落ちるようだった。
智機が死んだらどうなるのか、想像ができない。
その意味では他人ではない。
でも、ファリルの命令でその人を死地へと向かわせている。
智機は平気、慣れているともいうが、だからといって、ファリルも平気でいられるわけではない。
「じゃあ、ファリルちゃんは智機くんに幸せになってほしいと思う?」
「欲しいです」
即答だった。
命がけでファリルを護ってくれた智機だからこそ、地獄を歩いてきた智機だからこそ、そして、嫌なことや辛いことをたくさん経験した智機だからこそ、幸せになってほしかった。
幸せは人の数だけある。
「でも、快楽殺人するのが幸せというのはダメですよね」
セシリアも答えられない。
人は誰にでも幸せになる権利はある。しかし、他人を傷つけてまで幸せを追求する権利はない。
しかし、智機はライダー。
戦場に出るのだから、基本的には誰かを殺さない限り帰ってはこれない。智機が殺した人々も同じ人間であり、幸せになる権利があった。
踏みにじる権利はない。
でも、踏みにじらなければ生きて帰ってはこれない。
その矛盾の前に、ファリルはどうすることもできなかった。
「市長、偵察ポッドとウィルスポッドの在庫はあるか?」
智機は端末ルームにいて、携帯越しにザンティと会話をしている。
「多分あるだろうと思うが、探してみる」
「半々の割合でティーガーに搭載してほしい」
「了解したが、何に使うんだ?」
「局面次第では使用する事になるから」
「局面ね……何を企んでいる?」
武器弾薬とは違い、両方とも戦闘に使えるものではない。局面によっては使えるかも知れないが、逆を言えばただのゴミにしかならない。
「武器ならドリフトで代用が効くけど、偵察とウィルスポッドの代用はドリフトではできない。それだけ」
「てっきり代行殿なら、殺戮やむなしだと思っていたんだが」
「出来る限り、顧客の要望に応えるのがプロだから」
「なるほど」
「あと、協力者の中からプログラマーと映像作家をリストアップ」
端末の向こうで、ザンティが笑顔を見せる。年寄りだというのに悪ガキのような笑顔である。
「随分と面白そうなことを企んでいるじゃないか。ライブなんていうのも面白そうだが」
どうやら、智機のやりたいことを理解したようである。
「本音をいっちゃえばやりたいところなんだけれど、流石にそんな余裕はないのが残念」
「作家は必要ないのか」
「文章は自分で考えたい。だから、映像作家は2時間後でいい」
「まあ……がんばれ」
「それじゃ」
智機は通信を切ると、目の前のディスプレイを確認する。
通信だけならどこでもできるが、なぜ、端末ルールに踏み入れたかといえば、手頃なものならなんでも製造できてしまう多目的3Dプリンターは、この端末ルームぐらいにしかないからである。
ディスプレイを見て、完了の表記が出ているのをプリンターのトイレを開けると、ワッペンが複数枚できていた。
いずれも、ティーガーにマーキングされていたのと同じ、盾状の枠に赤に黒抜きでБと書かれた師団章である。
智機はそのワッペンをじっと見つめる。
遠くを見るような目で。
「……行くぞ。お前ら」
寂しくも猛々しいその呟きは、誰にも聞かれることなく消えていった。
・・・・・
智機は目の前にいる3人の人物を見た。
黒人の少年と気が強そうな少女。
この2人はタブレッド越しではあるが見たことがある。
更に、2人よりも年上な男は、大柄にも関わらず3人の中で一番緊張しているようで、落ち着いていない。パンティでも盗んでいて発覚を恐れているかのように見える。
無論、察しはつくが。
「テスト合格おめでとう。これで君らも騎士団の仲間入りだ。もっとも、それが君らにとって本当の幸運かどうかは分からないが、頑張ってくれ」
彼らは、EFの適応テストに合格、つまりライダーとしての適性が認められた者たちである。テストは盛況だったが、合格したのは3人だけ。でも、確率で考えれば3人でも多いといえた。
「君がジャスティン・マンジールくん」
「…はい」
智機よりも遙かに上背があり、智機よりも遙かに強そうに見えるのに妙に落ち着きがない。
「姫様にあんなことをしようとしたのに志願とは、どういう風の吹き回し?」
死体のように身体が硬直する。
そう、ガルブレズに向かう道中で食堂に訪れたファリルに乱暴を働こうとした連中の1人である。
「こんなオレでも姫様の役に立ちたいと思いまして……」
「姫様は過去の経緯を気にしないし、きっと貴様の身を親のように案じてくれるだろう。オレも過去の経緯は気にしない」
智機の口が獲物を見つけた肉食獣のように歪んだ。
「でも、姫様を裏切ったら……分かっているんだろうな」
もし、そうしてしまったらどうなるか、智機の表情が物語っていた。
相手がどこにいようが追い詰める。
そして、生きながらにして無限の地獄へと突き落とす。
「……気にしないといいながら、気にしているじゃないですか」
灼熱の処刑場にいるような雰囲気に居たたまれなくなったのか、黒人の少年が空気を和らげるべく口を挟んだ。
「悪い悪い。姫様は素直でいい子だけど、人を疑うということを知らないから、どうしても心配性になる」
「僕らからすれば、代行殿ほど信用できないような気がするんですが」
智機は少年を見つめる。
「えっと、バーキビアス・シュアード君だっけ」
人が良さそうで、頼りなさそうにみえる。
肌の色は違うが、目の前にいる少年と似たような雰囲気を持った友達がいた。
「はい」
そいつが側にいれば、智機としても非常に楽ができるのだが、あいにくとそいつは智機から数光年も離れた場所にいる。
そいつは今頃、どうしているのだろう。
シュアードもそいつと同じような運命を辿るのかと心配にはなった。
「まあ……がんばれ」
でも、100%同一な人間というのは存在しない。
「それだけですか?」
「お前らはまだライダーのひよっこだ。戦闘はおろか操縦の仕方も知らない。それをこれから知る段階だから、今は生死なんて気にしなくてもいい」
「でも、すぐに気にしなくてはならなくなるんですよね」
クドネルが明日には攻めてくることは、民間人の間でも周知の事実になっていた。智機たちが情報統制を強いたところで、クチコミは止められない。
「控え目に言っても厳しい戦いになるのは目に見えている。勝つにしろ負けるにしろ死人が出るのは避けられないから、訓練課程が終わらないうちにお前らが実戦を体験することになるだろう」
仮に次のクドネルの攻撃を乗り切れたとしても、半数は死亡する。つまり、3人の初戦は早くも次の次になる可能性が高い。
でも、明日予定される戦いに勝てるかという保証は智機もできない。
衛星落しは智機とティーガーで防ぐ算段がついたとはいえ、問題はその後のクドネルの攻撃である。智機がいない状態で、騎士団だけでガルブレズを守り通さなくてはならない。
それこそ、レッズが登場しようものなら今度こそ終わりかねない。
腹立たしいのは、今は騎士団が守れるよう祈りを捧げることしかできない現実。自分自身の力ではどうにもならない現実。
「だから、自分の出来ることを精一杯頑張れ」
「自分の出来ることって?」
「それはディバイン達からおいおい指示がある。どうせ、死ぬなら死ぬで見苦しいほど足掻いて死ね。それだけでも違うぞ」
シュアードに対する言葉はこれぐらいにして、今度は少女に視線を向けた。
「君が西河芽亜さんか」
一見すると少年にしかみえない。
理由は髪をバリカンにでも掛けたように刈り込んでいるからである。ベリーショートを通り越して坊主頭といってもいい。
彼女の眼差しは鋭い。
殺気立っているといってもよく、顔から「今すぐにでも戦わせろ」というメッセージが伝わってくる。
少女なのにマンジールよりも短い坊主頭や、憎悪に彩られた表情に、智機は芽亜の事情を察した。
年齢に反比例して濃密な経験を積んだ智機だから、芽亜を見ただけで理解できたが、ファリルでも彼女の出身地を聞けば察することもできる。
この手のタイプは難しい。
悔やみや励ましの言葉をかけるのは簡単だが、どれだけいっても口先だけでは届かない。身体に刻みつけなければ意味がない。
「……どうしたんですか?」
芽亜は笑われたと思ったのだろう。
実際、智機は苦笑したくなったが芽亜を笑いたくなったのではない。
まるで、智機自身を見ている気がする。
「西河に言いたいのはただ一つ、仲間がいることを忘れるな」
「仲間、ですか?」
「やる気があるのは結構なんだが、先走ると墓穴を掘る。自分1人で自爆ならまだしも、仲間まで巻き込むなっていう話だ。いくら西河でも自分だけが生き残って、助けに来た奴が死んだら寝覚めが悪いだろう」
それでも平気であれば、様々な意味で見所があるといえるのかも知れないが、そこまでの神経はなかったようで芽亜も押し黙ってしまう。
「これはみんなにも言いたいことなんだが、過去も大事だが、それ以上に今を大事にしろ」
「代行殿にとって過去は取るにたらないことなんですか!?」
一旦は大人しくなった芽亜であるが、何かを刺激したのか芽亜は激しく詰め寄る。
「そうはいっていない。ただ、過去というのは終わったこと。出てしまった結果は変えられない。死人を生き返らせるためにはどんなことでもするが泣いても喚いても不可能だ。だから、今を大切にするしかない。西河は友達はいるのか?」
毒気を抜かれたのか、芽亜は途方に暮れたような顔をする。
年相応の幼さが垣間見えて、親とはぐれた子供のような芽亜は智機も可愛いと思う。
シュアードが芽亜に視線を向ける。
向けられたことに芽亜が気づくと、シュアードは微笑んだ。
すると恥ずかしそうに、芽亜はそっぽを向く。
芽亜は大丈夫だろう。
まだ、踏みとどまれているから。
「いなくなった後で後悔しても遅い。だから、オレは今を護るために、シュナードラを終わったものにしないために戦っている。みんなもそうであってくれればうれしい」
そう、あいつは決して過去ではない。
……絶対に"今"なのだ。
少し遅れてから、3人がバラバラのタイミングでうなずく。
「でも、お前らも過去になるな」
智機の口元が気持ち良さそうに歪んだ。
「でないと、姫様が泣くことになる」
近くにあるドアを開けると、ファリルが態勢を崩しながら、飛び込んできた。
控え室の床に転びそうになるが、辛うじてバランスを保つに成功する。
「驚かさないでください。物理的な意味で泣きそうになったじゃないですか」
「すみませんでした。姫様がいらっしゃっていた事に気づけなくて」
「本当ですか?」
「本当です」
ファリルは疑わしいそうに智機を見ているが、この程度でポーカーフェイスを崩す智機ではない。
「それでは、期待の新人たちへのお言葉。よろしくお願いします」
今日の予定は新入りへの訓辞。
同時刻にディバインが既存騎士団員に向けて演説をぶちあげ、それにファリルが同席した後、今度は新人に向かってファリルが声をかけるというスケジュールになっていた。
遅れたのはディバインの演説が長引いたのだろう。
ファリルが新人達に訓辞を終えると暇な時間ができる。
長い時間休めるというわけではないが、暇であることには間違いない。
「ティーガーの調子はどう…でしょうか?」
「やっとトラブル地獄から解放されたところ」
本来なら、昨日のうちに衛星迎撃に出ていたばずだったのだが、新型騎にありがちなトラブルシューティングに悩まされていて、ようやく解決の目処がついたところだった。
「スゲジュールを考えると……ギリギリで出撃できるか」
智機がいくら疲れて見えるのは、ティーガーのトラブルに忙殺されていただけではない。
「大丈夫か、ファリル」
「大丈夫ですけど、国を作るのって大変だったんですね」
「まさか、オレもこんなところに来て国を作るとは思わなかった」
ザンティ以下、助けてくれる大人が大勢いたとはいえ、政務軍務においての体制作りは大変な作業だった。
騎体設計から事務処理まで一通り叩き込まれている智機とはいえ、あくまでもライダーが本業であり、組織構築はあくまでもオマケである。でも、不得手だからといって人がいないのであれば率先して働くしかない。
「ほんと、シュナードラって頭数が多い割には使える奴が少ないのな」
「面目ないです」
ガルブレズに脱出できたシュナードラの首脳陣はファリル1人という有様なので、仕方がないといえば仕方がない。
「でも、やっとこれでストレス発散ができると思うと、嬉しくって嬉しくってたまらないぜ」
全てが終わったというわけではないが峠は越えた。今まで貯まった鬱憤を敵兵共にぶつけられると思うと楽しくてたまらない。その意味では智機は幸福である。ファリル達は衛星攻撃を受けるプレッシャーに耐えなければならないのだから。
「騎士団との間で嫌なことでもあったのか?」
新人達に訓話をしたファリルであったが、お世辞にも明るいとはいえなかった。明らかに数分前の出来事を引きずっていた。
更にいえば、西河にも突っ込まれて涙目にもなっていた。公王としての威厳がまるでないがファリルなのでしょうがない。
「いえ。なにもありません。なにもありませんでした」
「大方、ディバインが「姫のために死んでこい」と演説して、ファリルとしてはそんなこと止めさせたかったんだけど、騎士団連中からは笑って拒否されたと見た」
「わかってるじゃないですかっっっ!!」
ファリルはいぢめっ子を見るような目付きで、智機を見つめた。
ファリルの性格や想像うんぬんというより、智機がディバインを焚きつけたので自作自演もいいところである。
「……どうして、みんなは死にたがるのでしょうか。国なんかよりも、皆さんの命が大事なのに」
「誰だって死ぬのは怖いよ」
智機はわざと語気を荒上げる。
「自分の命よりも大切なものを見つけたんだから、主君であるファリルは、その気持ちを酌んであげくちゃだめだ」
ファリルであっても他人の生き方を強制する権限はない。だから、止めるよりも応援してやるべきなのだが、それはそれで逃げたくなるのだろう。これから逝くであろう人々の想いを背負ってこれからの人生を生きていかなければならないのは大変な重圧である。
でも、それは仕方がないこと。
「実際、あいつらだけでここを護らなくてはいけないんだから、死ぬ気で頑張ってもらわなければ困る。でないとみんな死ぬ」
彼らに死ねという命令を下しているのだから。
「あの……西河さんはどうして怒っていたのでしょうか?」
ファリルはうなずくと話を切り替える。
シュアードとマンジールは素直に話を聞いていたのだが、西河だけが国よりもライダーの命を優先させるファリルの軟弱ぷりに怒っていて、智機が止めに入るほどだった。
智機は答えを言う。
「西河はサンザルバシオン出身なんだ」
サンザルバシオンとは今回の戦争で真っ先にクドネルの侵攻を受けた都市である。
その当時の市長は無防備都市宣言を出して真っ先に降伏したのはいいのだが、待っていたのはクドネル軍による虐殺だった。
ファリルもそれだけで事情を察したらしく、叱られたように落ち込んでしまう。
「そりゃ、親兄弟をぶっ殺されているんだから復讐のするなって言われても無理な相談だろ」
どこかの首相なら「殺すぐらいなら殺されろ」とのたまうところなのだが、そんな事を言おうものなら主張を自らの身で実践してもらうだけの話になる。
「この戦争で死んでいった連中は多いからな。デイバインやヒューザーの家族も見つかってない。誰だってクドネルの連中をぶっ殺したくなるだろ」
ファリルも、父母を殺されている。
「でも、智機さんは単純にいいとは言ってませんでしたよね」
「聞こえていたのか?」
「はい」
実はファリルが途中から、ドア一枚隔てた場所に近づいていたのに気づいていた。
「西河には確かに復讐の権利はある。が、理不尽なのを我慢しなくてはならないのが世の中だ。あいつには強姦した相手とも共闘するようなことでも飲んでもらわなれければなくなるかもしれない」
ファリルに理想があるとすれば、シュナードラとクドネルの区別なく仲良くといったところだろう。それは憎しみの心に駆られる、あるいは因果応報の論理でサンザルバシオンでやられたことをやり返すというのは相反する。
耐え難いことでも我慢しなければならないのは、とっても辛いこと。
でも、それが現実であるのなら戦うにしろ逃げるにしろ、無いことにする事だけは許されない。
「この先、どう転ぶかは分からないけれど先走って死にそうだから、あいつ。流石にオレだって味方には死なれたかない」
「だから、今が大事だとおっしゃったのですね」
「まあね」
ファリルの視線が、智機の左肩に注がれる。
「どうしかした?」
「智機さん。その師団章…」
智機が着ているのはシュナードラ軍の軍服。少年ながらも歴戦の軍人に見えるが、左肩に貼り付けている師団章はシュナードラには存在しない師団の物だった。
黒と赤で、盾状の枠の中にБというシンプルなインシグニアは侮蔑と恐怖の証。
「それ、バビ・ヤールですよね」
バビ・ヤールはシュナードラの師団でもなく、アヴァロン防衛戦後に解散していて消滅している。
「たった1人だけど、オレが死なない限り、バビ・ヤールは終わりじゃない」
たったひとりなのに大隊だの師団を名乗るのは滑稽ではあるが智機は真剣だった。師団に所属していた人々がいたからこそ今の智機がいる。彼らのおかげで生きていられるようなものだから、それは決して忘れてはいけない記憶だった。
薬でも、飲み過ぎれば毒となるように全ては適量を護ること。
終わったしまったことでも、時には力となる。
「智機さんにとって、バビ・ヤールは大切だったんですね」
「だったんじゃない。過去系で語るな」
智機にしてみれば終わっていなくても、他人からすれば過去の存在なのだろう。
「あの、智機さん」
ファリルがなにかを言いたそうにしていたが、途中で口ごもってしまう。
心拍数と脈拍が限界まで上がっているのが端から見ていても明らかで、少女が少年エースに告白しているようだった。実際も見た目の印象とそう遠くはない。
槍のような眼差しに気圧されるファリルであったが、それでも必死の努力で言葉を紡ぎだす。
「こうやって話のは久しぶり…ですね」
「そうだな」
「……智機さん……この後の予定はありますか?……?」
「女の子とデート」
智機は即座に後悔した。
一瞬で、ファリルが涙目になっていた。
「いや、冗談だから」
「冗談…ですか?」
「本当に冗談ですか?」
「本当に冗談だって」
ファリルにとっての地獄はここからだった。
やりとりの意味に気づくとファリルの顔が一気に赤くなる。
智機に気がなければ、智機が誰とデートをしようが心を動かされることも、一喜一憂として慌てることも赤面することもない。
まさしく自爆。
「……智機さんの…バカ」
ファリルにできることはそっぼを向きながら悪態をつくことだけだった。
智機としては笑いがとまらない。
いや、笑いをこらえるのに苦労する。
「デートなどセックスなんかやっている余裕があればいいんだけど」
「……そうですか」
智機が先頭に立って働いていることがわかっているだけに、ファリルはしょんぼりする。泣いたり怒ったり落ち込んだり、表情がころころ変わるのは面白い。でも、遊んでいられる余裕があまりないのも事実である。
「実は、後は寝るだけだけ」
寝るだけとはいっても、起きた後は寝るどころか休憩さえもままならないので、就寝といっても重要の仕事になる。衛星落しをたった1人で阻止しなければならないのだから。理解しているだけにファリルも落ち込む。
「話があるなら付き合う」
「ほんとですか!?」
ファリルは一旦は喜ぶものの、迷惑をかけているのではないかと思って落ち込んでしまう。
「いいよ」
ファリルが言うように、差しで話し合う機会がなかなか無かった。忙しかったというのもあるが、ファリルから接触を避けられていたというのもある。経歴がバレてしまったことが原因であるのは明白で、戦場に出る前に話し合っておきたかった。
「どこで話す?」
廊下の立ち話で済むような話ではない。話をするなら飲み物を自由に調達できる食堂が理想である。
ファリルは笑顔になった。
「実は、いい場所があるんです」
冷たい風がファリルの頬や髪を荒々しく撫でていく。
「考えてみたら、久しぶりだ」
ファリルが案内した場所は外。
ガルブレズの居住区は全て地下にあるので、耐爆ハッチを開けた先にあったのは砂浜だった。
波の音が静かに響く。
日はとっくの昔に暮れ、世界は黒一色に塗られていて陸と海と空の境界線が曖昧になっていた。
空に浮かぶ無数の星々の光が、ほのかに砂浜と海を照らしている。
「いかがでしょうか?……」
環境としては人工的に管理されている地下のほうがいいに決まっているのでファリルは不安になる。
「いや、ここでいい」
智機も満更ではなさそうだったのでファリルは安心する。
2人は波打ち際をただ歩き始める。
なにを話せばいいのだろうか?
2人きりになってみたのはいいものの、特に話すネタが見つからない。かといって智機を前にして無言でいるとプレッシャーを感じてしまう。
こういう時はしばらくすれば、智機が話を振ってくれそうな気がしないでもないが、それではいけない。
その時、風が髪を撫でていく。
「あの…智機さん……」
「なに?」
顔が真っ赤になり、心臓が激しく鼓動、脈拍も加速するがファリルは気にしないことにした。
「……智機さんは…髪が長い子…と…短い子、どちらが好きですか?」
ファリルの髪はとても長い。
いくらかボサボサ気味の蜂蜜色の髪が全身を包み込むようにして伸びている。
物心ついた時からロングヘアであり、この姿の自分がとても気に入っているファリルではあるが、この非常時にこんなに髪を長く伸ばしているのは非常識なのではないかと思ってしまう。
でも、いざ切ろうとすると怖かった。
今までの自分ではない、違う何かに変貌してしまうのは大げさなのだろうか。
「長いほうがいい」
だから、意外だった。
「短いほうがいいのでは?」
「決めるのはファリル次第だけど、自分の好みではなく状況で髪を切らせてしまうのは、辛い」
なにがあったというのだろうか。
トラウマとはいえないまでも、完全に無傷という訳ではない。何かあったのか知りたいところであるが、多分、教えてくれないだろう。
「わかりました。絶対に切りません……でも、前髪は切ってもいいんですよね……」
「お前の髪だろ」
智機は苦笑するが、いつもと違って毒はない。
智機を見るたび、話しかけるたびに胸がときめく自分がいて、彼の好む姿になりたいと願っている。
……そういうことなのだ。結局
智機は本来なら許されない罪人である。
「なんだよ。その顔は」
この胸のうち、智機は知っているのだろうか。
「智機さんは、何が幸せなんですか?」
「なんだよ、幸せって」
ファリルは少し考える。
口に出すのは簡単だけど、正直にはいえない。
「戦友というのは、戦友の幸せを望んでいるものですよね」
ストーリーを組み立てる。
「へぇ~」
智機はいぢめっ子の顔をする。
ファリルは小動物の本能で思わず身構える。
「カマラで大量殺戮したオレを、戦友として認めてくれている訳か」
智機の皮肉に正視することが出来ず、あさっての方向を向く。
両手を組み、動かしながら懸命に言葉を紡ぎだす。
「そんな貴方を雇っているのですから、雇っている……雇ったからにはどんな人間であれ家臣です。家臣を大切に思わない王様なんていません」
無茶苦茶な論理に智機は笑いをこらえるような事はしない。
「そうだな……」
ふくれかけるファリルであったが、智機の眼差しが遠く見ていることに気づいた。
「やっぱり、戦うことかな。カマラから一ヶ月しか経っていないのに、また戦闘やっているんだから我ながら戦狂いとしか思えない」
「そうですか……」
智機の幸せを願っているとはいえ、快楽殺人が認められるわけがない。
「もちろん、快楽殺人が好きっていうわけじゃない。ライダーとして、戦場で戦うことが楽しいだけ」
懸念は回避されたものの、心は晴れない。
戦うことを求めて戦場を渡り歩く。
当然、敗者と勝者がいて、敗者は死ぬ。
戦争というのは、戦争するだけの目的があってそれを叶えるために相反する陣営が戦うだけであって、手段でしかないのに、智機は手段が目的になっている。人を殺すために戦っていることに空しくならないのだろうか。合法になっているだけで快楽殺人とは違わないのだろうか。
「智機さんは死ぬのが怖くないんですか?」
ファリルは怖い。
認めたくない現実を認めざるおえなくて、その現実から逃げるため、拒否するために死のうとした。でも、それ以上に死ぬことを恐れる本能が強くて、結局は死ねなかった。
でも、智機は違う。
ファリルなら足がすくんで一歩も動けない死地へと平然と突っ込んでいった。
ネジがダース単位で外れているのではないかというぐらいに狂っていた。
死に対する恐怖なんていうのを感じていなかったように。
「怖いと思わないことはない。でも、その瞬間がとっても楽しい」
「楽しい?」
ファリルにはわからない。
殺されそうになっているにも関わらず、楽しめる神経が理解できない。
「死にそうだな、って思う時、生きているって感じている。普通の生活も遅れないこともなかった。でも、戦場で生きている時間のほうが遙かに充実していて生きているという感じがする」
「でも、残された人はどうするんですかっっ!!」
ファリルの目からは涙がにじみ出していた。
「智機さんが死んじゃったら……わたし、どうすればいいんですか!!」
父や母を失った時のように、智機が死んだら大きな穴が開いてしまう。そうなってしまえば、ファリルは生きていけるかどうか自信がない。
いや、父母が死んだ今でも生きているのだけれど、智機まで死んでしまったら、どういうことになるのか想像ができない。
智機はファリルの頭を軽く撫でた。
「だから、オレは戦うんだ」
智機はファリル達との契約に基づいて戦っている。
「幸せっていうのは、すぐ側に転がっているのかも知れない」
「どういうことでしょうか?」
智機は満天の星が瞬く空を見上げる。
「今が幸せなんだろうな」
「今が、ですか?」
「まだ誰も死んでないから」
両親が生きている時は幸せだなんて思わなかったけれど、今となれば生きていて欲しかったと痛感する。
日頃の何気ない一日こそが幸せだった。でも、気づいた時は既に遅かった。
智機は何度、喪失を繰り返してきたのだろう。
この戦いの行方は見えないが、犠牲者が出ることは間違いないからである。智機も危険だが、危険の度合いではディバインもヒューザーもファリルも大差はない。
それこそ、ファリルが死ぬかも知れない。
「そうだな……やっぱり、今が幸せなんだよ。景色も良くって可愛い女の子もいて、何よりものんびりできるこの時間が。酒がないのは残念だけど」
「酒って、智機さんは未成年でしょうがっっ」
「それがどうかした?」
「どうかもクソもありません。未成年はお酒は禁止です」
「酒は食い物だからオッケー」
「ダメですっっっっ」
生きるか死ぬかの重い話をしていたのに、ズレていくのがおかしかった。
「智機さんは幸せですか?」
「幸せ不幸せでいうなら、幸せかな。すっげぇEFを手に入れて、これから楽しい戦場が待っているんだと思うと居ても立ってもいられない。股座がいきり立ってくる」
欲しい物を与えられたガキのように目を輝かせている智機は見ていて微笑ましいが、背景を知っていれば笑顔も凍り付く。仕方がないとはいえ、これから起きる破壊と殺戮を想像するとファリルとしては肯定できない。
智機は戦争を楽しんでいる。
「言っただろ。オレは弁護も弁解のしようのないクズなんだって」
目の前にいる人間を、人間以下のクズとして断罪することができれば、どんなに楽だったのだろう。
でも、しかたがない。
その人に今までファリルもみんなも護られてきたのだから。
「あの、智機さん。お願いがあります」
「どんなお願い。報酬次第でやれることならやるけれど」
ただで人は動かない。
現実という名の刃を突きつけられて、ファリルは怯むが、それでは話にならないでファリルは一歩、前に出た。
「智機さん。この国を好きになってもらえませんか」
そして、笑った。
「わたしたちは智機さんに対して出来ることはあまりありません。でも、智機さんが護ってくれるに値するよう素晴らしい国にしてみせます。智機さんがバビ・ヤールを誇りに思うように、シュナードラに助けてくれたことを誇りに思えるようになったらうれしいです」
「上から目線だな。だから、王族は嫌いだ」
ショックを受けるファリル。
「うそうそ。冗談だって」
「……冗談だったんですか。嘘ばかりの智機さんなんて……」
「オレがどうかした?」
「……ばかぁっ」
気がつくとファリルはぐったりとしていた。
死んだという訳ではない。
適当に歩いたり、波打ち際ではファリルがはしゃいだりなどしていたが、いつか安らかな寝息を立てて眠っていた。
お姫さま抱っこをしているので、ファリルの質量がそのまま智機の両腕にのし掛るが、満ち足りたようで幸せ全開な寝顔を見られるのだから、これはこれで損ではない。
この土地を好きになってくれ、か。
智機は空を見上げる。
闇夜にぽつりぽつりと瞬く無数の星。
ファリルが言うように、この浜辺に来てよかったと思った。これから智機が護ろうとするもの、命を賭けるものの姿をこの目で確認しておきたかった。
少なくても嫌いではない。
いくら智機であっても、他人から向けてくれる好意を無碍にすることはできない。こんな自分に熱い想いをかけてくれるのだから、それに応えるしかない。
もっとも、口先だけになってしまうこともあるので、油断はできないが。
智機の眼差しが空を射る。
星はすぐそこにあるように見えるけれど、手を伸ばしても届かない。
自分ではなく、智機の幸せを願ってくれる人は本当に有り難い存在。
「悪いけど、オレは幸せにな…」
「……なないでください」
決めたつもりだったのだが、語尾にファリルの呟きが重なった。
ファリルには聞かれたくなかっだけに一瞬、焦るが寝言だったことにすぐに気づく。
「……しなないでください……」
波の音にファリルの寝言が重なった。
「ともきさんがしんじゃったら、ファリル、かなしいです……ひとりにしないでください……」
死なないよ、と言いたいところではあったが確約できないことはいえない。死ぬ可能性はどこにでも転がっている。格上でも格下でも倒されることもあるし、それ以前に何かの拍子でティーガーがトラブルを起こしたら、智機といえど一溜まりはない。
幼子のように無邪気な顔をするくせして、悲しいことをいうファリルを何とかしてやりたいと智機は悩む。
まるで、家族みたい。
あくまでもクライアントでしかないのだから、ファリルの心情なんてどうでもいいはずなのに、悲しい顔をしていたら、力になってやりたくなる気分になるのが不思議だった。
それがファリルの魅力なのだろう。
「死なないよ」
結果は読めないが、玉砕するつもりはない。
「オレは嘘つきだからさ、オレが死んだような映像を見せられたとしても、作戦のために死んだふりをしていると思え」
いよいよ、この時がやってきた。
智機の正面に展開されているモニタには、ティーガーのデータが各種データが映し出されている。
「フリマ炉の出力、チェック。エネルギーバイパス、チェック、補助ロケットブースター、チェック」
智機がモニタに表示される項目を確認し、異常がないことを確認するとすぐに項目が切り替わる。メネスを乗っ取った時は行えなかったプリフライトチェックであるが、今回は出撃なので当然行う。まだテストも行っていない騎体なのだから、いつも以上に入念なものとなる。
一箇所でも赤点取れば作戦続行が危うくなるが、組織構築と平行してトラブルシューティングに追われていただけのことはあって、これまでの苦労が嘘のように快調に進んでいく。
「システム・オールグリーン」
異常がないことを確認すると、モニタから全ての文字が消えて、ティーガーのコクピットに静寂が訪れる。
それも一瞬のこと。
「こちらティーガー、システムチェック終了。いつでもどうぞ」
「こちらミツザワ了解した」
智機は今、ガルブレズから10000メートル以上も離れた高空にいる。
ティーガー含めたEFや艦船、空中戦車などの有りとあらゆる機械はフリマニウムという元素を燃料としたフリマニウム原料炉、略してフリマ炉で動いている。これは今までの歴史の中で燃料として使われた物質の中で一番の高出力でありながら安定性も高く、汚染の危険性も低いという夢のような物質である。
フリマニウムの発見によって石炭や石油、プルトニウムといった物質を過去の遺物にしてしまったが、重力のくびきから逃れるには出力が足らないため、使い捨ての補助装置を別途装着することになる。その用途には旧世代のロケットエンジンが多用されることが多い。
衛星軌道上にあるクドネル軍を迎撃するために、今回は艦艇から空中発射という方法を選択した。
ティーガーのパワーなら補助ロケットを増設せずとも宇宙へ飛び出せるが、代替が効くのであればそれに越した事はない。
智機とティーガーが乗っているのは仮想巡洋艦ミツザワ。
シュナードラ軍所属ではなく、元来はザンティ所有の商船をEFを運用するために改装したもので、EF輸送と発着させるためだけの能力しかないが、智機にはそれだけで充分である。
これから後は出撃するだけだが、智機に緊張感はなくリラックスしている。
「姫様から通信が入ってます」
「了解。つないでくれ」
出撃前にファリルからの通信が入るのは想定内である。
「おはようございます、智機さん」
スクリーンにファリルの顔が映し出される。
いくらか緊張している。
「おはようございます」
「智機さんはヘルメット、被らないですか?」
保護スーツは着ているけれど、ヘルメットは被っていない。
「ヘルメットがもたないから」
「……もたない」
ティーガーが想定通りのGを出すのなら、ヘルメットシのウィンドゥ部分が間違いなくもたない。
ちなみにティーガーのライダーに数百Gがかかる問題への対策として、メイがリミッターをかけていたがメネスに毛が生えた程度までに性能が低下してしまうため、智機がリミッターを解除している。
「智機さん。お話があります」
智機と呼んでいる事はプライベートなのだろう。
「ディバインさんから聞いたのですが、もしもの時は独断で衛星を落とすと……いってましたね」
「ああ、言った」
「わ、私が命令していないのに、独断でそういうことをするのは……許しません……」
ファリルの言うことはもっともである。
へたれとはいえ、ファリルが主君なのだから主君の命令に背いて好き勝手をやれば指揮統率が成り立たなくなる。智機がファリルの臣下の中で一番偉いが、それだけに率先して遵守しなくてはならない。
釘を差しにきたことは評価しつつも落胆する。ファリルは「シュナードラを気に入ってほしい」と言っていたが、ファリルの言葉は智機の行動を制限するもので、明らかに真逆だった。
「ですが……」
間が空いた。
プライベートからオープンへと切り替えているのだろう。恐らく軍や避難している民間人全体に向けての会話になる。
「私は代行殿に全権を委ねました。代行殿の意志は公王の意志、代行殿の声は公王の命令、代行殿の行動は公王の行動です。全ての責任は私が持ちます。だから、心置きなくやっちゃってください」
そんな事を言われたら、心置きなくなんてできないだろうが、と智機は心の中で毒づいた。
マリアは言っていた。
「貴方の望む戦争をしてみませんか?」
望む、とは言われても、はっきりとした形が見えてているわけではなかった。
性能の高い騎体に乗れる、上司が無能ではないが条件であり、シュナードラではその2点を叶えている。と今まではそう思っていた。
この年齢にして様々な戦い経験している智機であるが、今までの陣営は必ずしも理想的にはいえなかった。それこそ芽亜に語ったように理不尽なことを受け入れさせられることの連続だったといっても過言ではない。
でも、シュナードラでは泣くのも笑うのも罪に塗れるのも全ては智機の意志なのだ。
智機の口元が歪む。
望む戦争には人それぞれの形がある。地位や名誉、それに忠誠。
誰かに忠誠を誓うというのは智機の柄ではないのだが、シュナードラのライダー達がファリルに命を捧げるほどの忠誠を誓って戦う心理を理解できた。
君主としてはファリルはまだまだ未熟。しかし、それは大した問題ではない。
足りない分はみんなで支えればいいだけの話。
智機は表情を引き締めると、極めて真面目に口を開いた。
「――了解しました。陛下」
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