ティーガー -Ignition-

@ex_himuro

第1話 Darkchest of wonders


 夢を見ていた。


 大地が光の速さで、爆音を響かせながら迫ってくる夢。

 空気が壁となり下方へとハンマーに叩かれたように身体が押し潰される。膨大な圧力を前にして抗うこともできず、四肢は折り曲げられ、放り捨てられた小石のように一直線に大地へと墜落していく。

 全身を紙のように圧縮される激痛にも関わらず、空気もろとも鼓膜も切り裂いていくにも関わらず、視界が恐怖と共に大地の色に塗りつぶされていくにも関わらず、意識は消えることなく、音速で地表へと落ちていく様を、清らかな水のような平静さで見つめていた。

 何のために生まれたのだろう。

 何のために生きているのだろう。

 何処へ堕ちるのだろう。

 身体の動きが文字通りに奪われている中で唯一、許された思索を巡らせ、答えを求めて意識だけは羽ばたこうとするが、枷につながれたまま、肉体もろとも墜落していくだけだった。

 

 身を切るような痛みと共に智機は現実に立ち返る。

 夢の中でも、現実でも

 全身を分子単位にまで砕かれるような苦痛と共に目覚めが訪れる。

 残骸と見分けがつかなくなっているが、それでも辛うじて原型を保っているビルの屋上のタイルが目に入った瞬間、智機の身体は砲弾のように、ビルの屋上へと叩きつけられる。

 成層圏から地上へと生身一つだけで飛ぶ代償が、智機の身体の中で爆発する。

 普通なら、何処が頭なのか、何処が手なのか足のなのか分からない、DNA鑑定ですら判別することができない肉塊へと変わり果てる。

 成層圏からの落下なだけに、その勢いは留まるところを知らず、天井や床を着弾の衝撃で粉砕しながら落下していく。

 智機の身体を衝撃が押し潰そうとする。

 しかし、智機の胎内、盲腸付近に埋め込まれた衝撃回生機構が智機を押し潰そうとするありとあらゆる圧力を吸収し続けた。

 抜けるフロアが無くなり、ゴムマリのように地面に叩きつけられたところでようやく落下が止まるが、それでも反動で智機のちっぽけな身体が跳ね上がる。

 一階の天井に激突しかけた寸前、智機は何事もなかったかのように天井を踏切板代わりに蹴りつけて外へ飛び出した。

 何事もなかったかのように、砲撃によって穴だらけになった大地に、片足が水鳥のようについた。

 流石に全ての衝撃を吸収しきれなかったようで、足は滑り、身体は曲がり、智機は頭から地面に突っ込んだ。 

 2度3度、視界が回転する。

 しかし、転がる方向を冷静に予測すると、肩、太もも、肘、膝とタイミングに合わせて接地し、勢いに合わせて身体を動かしていくことによって衝撃を殺していく。

 小石のように地面をバウンドして、壁に当たったところで長かった墜落はようやく終わった。

 背中に覚える硬くてごつごつしている感触。

 窓の大半が割れ、壁の至るところに砲弾による穴が空きまくるなどして廃墟と化したビルの森に間に青空が覗かせる。

 地表からたち上る煙で、空はあまり綺麗とはいえない。

 絶え間なく響き渡る轟音と爆音。

 粉塵で色の付いたレーザーが飛び交い、ビルほどの高さがある鋼鉄の巨人たちが、淡く輝く光の膜をまといながら肉弾戦を繰り広げている。

 発泡スチロールとクサヤとシュールストレミングを燃やしたような何とも表現しがたい異臭が鼻腔をくすぐった。

 手と足の指をゆっくりと動かす。肘や膝、肩と股間といった具合に可動範囲を広げていく。

 問題ない。

 流石に痛みが全身に響いている。

 高所からの飛び降りが最良の自殺方法とされるのは落ちていくうちに意識を喪失して痛みを感じなくなるからであって、痛みそのものがなくなるという訳ではない。智機は落ちる直前も直後も意識を保っていられるので、インパクトの時に発生する痛みはおぞましいものとなる。

 凄まじいという表現でさえも生ぬるいもので、高度数万キロから落下する衝撃を知覚するのだから、身体が耐え切れたとしても心が粉砕されるのが普通だろう。

 それが常識というものだ。

「……死ぬかと思った」

 仮に天然であったとしてもふざけてるとしか思えない。しかし、成層圏から生身だけで降下という体験は智機にとっては慣れたものだった。恐ろしいことに。

 痛みがあるという事は生きているということ。

 死者は痛みを感じない。

 生きながら焼かれているほどの痛みはあるけれど、軽く切った程度で骨折や内蔵破裂といった重篤なものではない。

 ……戦える。

 生きているという実感よりも先に闘争本能が牙をもたげている。独りでに笑みがこぼれると智機は戦闘行動を開始した。

 まずは現状の確認。

 一瞬、神経を刃のように尖らせて周囲を探るが殺意を直接ぶつけられてはいないことに気づいて、いったんは警戒レベルを下げる。

 大地震が起きているのと同義語なので、生身の人間なら即座に待避しなければならないところなのだが、智機は冷静に戦況を見切っている。

 智機がEFに攻撃されるという事はない。

 EFで降りてきたのなら迎撃されているだろうが、あくまでも智機は一個人であり、その他大勢の一部にしか過ぎないのだから、取るに足らない石ころに殺意を向ける人間なんているはずがない。

 生身一つで墜落ではなく、降下できる一般人なんて存在しえないのにも関わらず無視されていることに智機はつまらなそうにする。

 もちろん、無視されているほうがいいわけで当面は流れ弾に気をつけるだけでいい。

 この時、智機の直撃を受けたビルが音を立てて砂のように崩れ去った。

 腕時計の文字盤が真っ二つに割れているのを見て智機は舌打ちをする。懐に入れていた携帯もコナゴナに砕けていた。当然だ。耐久性重視で購入しているとはいえ、成層圏から落とした場合の性能保証している製品なんて存在しない。

 唯一、無事といえるのは首に提げたドッグタグと懐にしまい込んでいた手紙ぐらいなものである。

 特にドッグタグが無事なのは幸いだった。これは傭兵組合の身分証で、これがある無しではバイト先での待遇に大きな差が出てくる。

 武器はない。

 さっきの状況では、拳銃なりナイフを持っていたりすると壊れるどころか逆に智機の身を傷つけるしかなかったわけだが、武器がなかったとしても問題はなかった。

 なかったら拾うなり、奪えばいいだけの話。

 好きで落とされるシャトルから。生身で飛び降りたわけではない。パラシュートで降りるという選択肢もあったにも関わらず痛い思いしてまで生身で降りたのは、胎内に埋め込まれたコアが吸収する衝撃の量が桁違いに大きいからである。

 拳銃があろうがなかろうが間合いなんていうものは無意味。

 作戦さえハマれば単騎でもEFを制圧できる自信がある。

 問題はこれから。

 ……あの詐欺師め。

 この惑星、シュナードラへと導いた幼女の姿を思い浮かべると、智機は心の中で毒づいた。彼女に責任はなく、愚痴みたいなものであるとわかっていながらも。


 話は数日前に遡る。


 

 人類が宇宙に進出してから早、数世紀。

 世界は桁外れに広がってはいたが、それでも人々は戦争を根絶する事ができず、世界の何処で激しい戦闘が行われていた。

 智機もまた、その戦争に携わる1人でもあった。


 数日前、智機は惑星ロットンにある都市、キシュウのとあるレストランにいた。

「中佐ですか……随分と高評価なんですね」

 フランス料理のフルコースを堪能し、デザートも終わってお茶を楽しんでいる最中に切り出された商談に智機は素直な感想をもらした。

 智機は一応、14歳でありながら傭兵協会登録の傭兵である。

 傭兵は実力や実績に応じた格付けがなされており、雇用主は格付けに応じた待遇や報酬を与えることが慣例となっている。ランクの呼称は軍隊に応じたものとなっている。

 智機の格付けは大尉。

 ライダーの場合は少尉からスタートするだけに年齢を考えると高評価だと言えなくもないが、智機をディナーに招待した傭兵団のボスは智機をスカウトするために2ランク上の中佐の地位を提示してきた。

「ランクは現状を反映しているとは言えないからね。カマラでは悪名を高めてしまったが、客観的に見れば、キミの仕事ぶりは見事だった。本来なら将官待遇が妥当なんだけれど、あいにくと零細騎士団でね、バランスを考えると中佐しか上げられないんだ」

「それは買いかぶりすぎです」

 中佐としてさえ、不当だと判断されている。

「あの戦いを評価して下さるとは光栄です」

 いずれにせよ、14歳の少年を中佐格として迎え入れてくれるのはかなりの好待遇である。

 しかも、傭兵団のトップ自らが三顧の礼で迎え入れようとしているのだから智機に相当な期待を掛けている事がわかる。

 現状ではこれ以上の条件はないと言ってもいいだろう。

「星団に勇名を轟かせる渋谷艦隊のボスから過分な評価を頂き大変恐縮しております」

「キミがそんな事で恐縮するようなタマだとは見えないけどね」

「提督のご厚意には感謝しております。ですが、この話はなかった事にしてください」

 智機はスカウトを断った。

「やっぱり、変態呼ばわりされたくはないか」

「極悪外道呼ばわりよりは、マシです」

 断られても相手は微笑みを絶やすことはなかった。内心はどう考えているのかは分からないけれど。

「どうせ人を殺すのであれば自分の意志で殺したい。それだけです」

「衛星落としとか毒ガス散布とかやっているから、てっきり仕事のえり好みをしないとは思っていたんだけどね」

 優しい笑みを浮かべつつも人によっては強烈とも受け取られる皮肉を相手は言ったが、智機は平然と受け流した。NEUを退役して傭兵になってからは主に汚れ仕事ばかりこなしてきたのだから、これでも優しいほうだろう。

「ボクはキミには中佐しか上げられないけれど、その代わり、損はさせない。少なくても捕虜や民間人虐殺のようなバカな任務は絶対にさせない。それでも不服なんだね。キミは」

「貴方が貴方のルールで生きているように、オレもオレなりの価値観で生きているんです。ご理解下さい」

 同じ価値観を持つ奴なんていない。ただ、その価値観が最大公約数で割りきれるかどうかだけである。価値観を割り切ることができない尖った奴もいて、智機も相手もそうだった。

「わかりました」

 流石に相手も残念そうだった。

「今回は残念だけど、うちに入りたかったらいつでも声をかけて欲しい。今回提示した条件以上で大尉を歓迎するよ」

「ありがとうございます」

 相手が最大限の敬意と好意をもって迎え入れてくれる事が伝わるだけにその好意を無碍にした事は智機としても辛かった。譲れないものがあったとはいえ。

「その時はよろしくお願いします」

「本音を言うと大尉とは戦いたくない」

「オレも提督は戦いたくありません。でも、そういう状況になったら躊躇なく戦いますけど」

「お手柔らかに頼むよ」

 智機の言葉に提督は苦笑を浮かべた。

「ごちそうさまでした」

「いえいえ」

 智機は席から立ち上がるとレストランから立ち去ろうとする。

「最後に一つだけ。大尉に言いたいことがあるんだけど、いいかな」

「なんでしょうか?

 呼び止められて、智機は立ち止まる。

「僕は大尉のような才能が無為に使い潰されるのが許せない。大尉は少しでもいいから自分を大切にしたほうがいい」


 ネオンサインが明るすぎるキシュウの繁華街を雑踏に混じりながら智機は歩いていた。

 流石に提督の会話を引きずらないという訳にはいかなかった。

 提督から提示された条件はこれ以上はないという代物で常識的に考えれば引き受けるべきものだった。

 それなのに蹴りやがってと理性が恨みったらしく文句を言っている。

 いや、話はこれで切れたというのは無いので携帯で連絡を入れれば入れるのかも知れないが、入れる気も後戻りする気もなかった。

 甘いんだよ、と自嘲する。

 智機を少しでも知っている人間であれば自身を甘いと思ったことに驚いたかも知れない。

 人は誰だって自分の好きなように生きたいと思っている。

 けれど、生活環境の違いや法律とか様々な枠組みによって行動が制限される事なく生きるということは不可能だった。欲求と制約に何とか折り合いをつけて生きていくのが人生で、あくまでも自分勝手に生きていこうとするのは子供のワガママなのかも知れない。

 智機の生き方というのは子供の感傷なのだろうか。

 何処かしらの組織に所属していれば、組織の庇護を受けられて安泰な生活を送ることができる。その代わり、組織の部品として生きることを命じられて与えられた指令に背く自由がなくなる。

 今まで出会った軍人の中で、提督が最良の部類に入るのは間違いなく、極めて妥当な命令を下してくれることを確信しているとはいえ自由がないことには変わりがない

 でも、生きるということはそういう事なのかも知れない。生活の糧を得るために自身の時間を犠牲にしなくてもいい境遇にあるのはほんの一握りである。

 智機の人生は決して自由に生きられたものではなく、むしろ、他者から一方的に運命を強要されたものであると言ってもいい。

 だから、他人に道を強制されるのではなく、自分で道を歩きたいのかも知れない。たとえ、その先に地獄が待ち受けていようとも。

 当面の問題は明日の食い扶持を稼ぐことである。いつものように傭兵ギルドによって求職票を見るだけのことである。汚れ仕事なら見つけるのも容易で報酬も高い。

 提督の言葉が蘇ってくる。

 自分を大切にしたほうがいい。

 提督が智機のことを気遣っているからの言葉であるのはいうまでない。毒ガス散布や衛星落とし、捕虜や民間人の大量虐殺といった仕事は評判を下げ、最終的には自分の首を絞めることになる。因果というのはついてまわるものだから、いつかは報いを受ける時が訪れる。

 智機は自分の力量には自信を持っており、提督が三顧の礼で招聘しに来たという事で思い上がりではないことも証明されている。大国の騎士団でさえもエースとしてやっていける才能の持ち主が日の目を見ずに使い潰されるのはもったいない以外の何者でもない。

 金のためとはいえ権力者の走狗となって、圧政を破壊すべく立ち上がった住民たちを虐殺する仕事ばっかりやっているのはどうかはと思う。仕事のえり好みをしないと見られるのが普通だろう。

 彼女の声が脳の奥で蘇る。

 彼女は提督と同じようなことを言っていた。

 そして、泣いていた。

 昔の智機はひどいもので窃盗はおろか、放火や強盗など何でもやった。

 もちろん、殺人もした。

 そうでもしなかったから生きていけなかったというのもある。

 けれど、人を殺すことにまったく抵抗を感じなかったというのもまた事実である。

 智機からすれば他者というのはすべからく餌であり収奪すべき対象である。今はそうではないとはいえ、敵を殺すことにいささかの躊躇いも覚えないのは今でも変わりない。

 だから、分からなかった。

 智機が人を殺すたびに彼女は泣いていた。自分の手が汚れるというわけではないのに。むしろ、彼女のためならいくらでも汚れても構わないのに彼女は泣く彼女のことが理解できなかった。

 今なら理解できる。

 自分たちさえよければ他人がどうなろうとも構わないという傲慢な考えが最悪の事態を招いてしまったから。

 戦うことを選ばず、普通のように暮らして行けばあのような事が起きなかったのだろうか。

 答えはでない。

 過去についていくら仮定をしてみたところで意味はないが、失敗は失敗としてファイルして同じ過ちを繰り返さないように研究してみるというのであれば意味はある。

 智機が汚れ仕事を好んでやっているのはあくまでも手段であって目的ではない。汚れ仕事をやればそれだけ報酬も多い。報酬が多ければ多いほどやれる事は多くなる。高級機だって手に入れられるし、選択肢も金の分だけ多くなる。が、行動の自由が広がるというだけであって目的のものが手に入るというわけではない。

 深い闇に入り込んだまま、命を賭けている割には出口を見いだせないことに苛立ちと迷いを覚える。

 気がついたら、また失敗を繰り返しているのではないかと自問自答をする。

 智機は色のない瞳で空を見上げる。

 白黒の区別さえあやふやな世界だけど、言える事が二つある。

 自分がやれるだけのことを全力で頑張り、クソったれな現状を打破すること。

「おまえを置いて、オレだけが幸せになれるわけないだろ。ばーか」

 ネオンサインに彩られた明るい夜空から星を見ることができなかった。


 智機はある雑居ビルの一階へと入っていた。

 中はバーになっているが、カウンターとボックス席の他にフリーで使える端末が設置されたテーブルがあるのが特徴である。

 ここは星団の各地に設置されている傭兵組合の支所の一つで、仕事の斡旋を行ったり傭兵同士による情報交換を行う場所でもある。

 人の入りはそこそこといったところ。

「こんにちは、マスター」

 カウンターでグラスを磨いているバーテンに声をかけると明るい雰囲気を持ったバーテンが反応する。

「よぉ、マローダー。変態との会談はどうだった?」

「ロリコンにならないかと誘われたんだが、危ういところで逃げれた」

 正気を疑われる会話ではあったが、会話は成立しているらしい。

「冗談はさておいて、変態から誘われたんだろ?」

「中佐待遇で」

「変態で中佐とはすげー好待遇じゃないか。なんで断るんだよ」

「人に命令されるのは嫌いだから」

「子供を平気でぶち殺せるくせにか」

「命令に従うのが嫌いだ。だったら、NEUなんて辞めてない」

それなりにエキサイティングで安定している職が欲しいのなら傭兵なぞやってはいない。以前の職場はどちらかというば気に入らない職場ではあったものの許容範囲内であった。ライダーという職種は貴重であるため、かなりの高給が約束されている。なによりもNEUは大国の一つだからだ。

「注文だけど、いつものでいいね」

「了解」

 マスターはカウンターからブッシュミルズのボトルを取り出すと智機に手渡した。少し遅れてから氷の入ったウィスキーグラスも手渡されると智機はグラスに並々と琥珀色の液体を注ぎこみ、ストレートで呷った。

 食道から胃へと焼いていくアルコールの感覚がとても心地よい。

 強烈なアルコールを堪能しながら、智機は明日の予定を考える。

 評判が落ちる代わりに実入りのいい仕事を立て続けに選んでいるので当分の間は遊んで暮らせるのだけど、貯めるために仕事をしていると言ってもよく、また、戦争以外に楽しいことなんて知らなかった。

 結局はいつものようにダーティワークになりそうな気配である。

 いつものことだと退屈になるけれど、報酬とリスクからくるスリルのことを思えば耐えられる。それに楽しみがないわけでもない。

 富を独占し、貧困を押しつける支配者共を皆殺しにして新しい世界を作ろうと夢と希望に溢れる人々を圧倒的な力で、分際というもの骨身に刻ませつつ、わき上がる悲鳴のオーケストラを無視して押し潰すのは股座がいきり立つほどに楽しいものである。

 ………なんだ、外道じゃないか。

 当たり前のことを再認識する事によって、自分の立ち位置を見える。人というのは人であることを否定すれば自由に生きられるものである。その事によって安心すると智機は端末に移動して求職情報を検索しようとした。

「そういや、マローダーに仕事を依頼したいという子がいるんだが、聞いてみるか」

 マスターが話を振ってきた。

 珍しい話があったものである。

 受ける受けないは別にして話は聞いてみるのが智機のスタンスなので了解するとマスターは奥に向かって手招きした。

 少しをタイムラグを置いて、その人物が奥から現れては潜り戸を抜けて智機の前に現れた。

「初めまして。御給智機大尉」

 一例をしたのは6歳ぐらいの、どう見ても酒場には場違いな非常に愛らしい少女であった。

 ウェーブのかかったワインレッドの髪をおもいっきり長く伸ばしているのと知性溢れる目をしているのが特徴である。

「初めまして、御給智機です。君は?」

 本能的にこの子はただ者ではないと感じた。

 この子も場違いではあるが、それを言ったら智機だって同じである。

 可愛いことは可愛いけれど、それだけではない何かがこの子にはある。

「私はマリア・ファルケンブルクといいます。今日、貴方に話があって参りました」

 そう、智機と同じ、化け物めいたものを感じる。

「マスターからはオレに仕事を依頼したいと聞いたんだけど」

 マリアは人好きのする可憐な笑みを浮かべるとこう言った。

「大尉殿。貴方の望む戦争をしてみませんか?」


 オレンジ色のEFが、カーキグリーンのEFが張り巡らせた透明の障壁を破って、ライトセーバーの突きをカーキグリーンの機体の胴体にたたき込む。

 光の剣に串刺しにされたEFは爆散するが、仕留めたEFも左右から挟み打ちにあって後を追うように爆散する。

 オレンジ色のEFが懸命になって奮闘しているのは分かるのだけど、数に勝るカーキグリーンのEFが物量に物を言わせて、じりじりと数を削っていく。ランチェスターの法則通りにいけば時間はかかるがカーキグリーンのEFのほうがオレンジを殲滅することだろう。

 オレンジ色のEFが死に物狂いで頑張っているのは、ここで崩されたら終わりだというのが戦っている当人たちが理解しているからである。

 不利な状況はいくらでも経験してきたが、ここまでひどいのは初めてだった。

 いくら智機でも、負けが確定した状況を挽回することはできない。

 ほんの一ヶ月前に始まったシュナードラ星におけるシュナードラ公国とクドネル共和国との戦争は後者が前者を圧倒する展開に終始していた。

 依頼を受けた当時から厳しいことは覚悟していたが、状況は智機の予測を上回る速度で進んでいた。

 智機だって、最初から生身だけで降下しようとしていたわけではない。平気だとはいえ痛いことは痛しマゾではない。

 智機が降り立った都市、公国の首都シュナードラは半数以上がクドネル共和国軍に占領されているようだった。シュナードラ公国軍の残存勢力が未来のない抵抗を続けているように見える。実際、空から落ちる過程の中で智機はクドネル側が空中戦車や歩兵を中心とした地上部隊を差し向けているのを確認していた。人型機動兵器ことエレメンタル・フレーム(EF)が戦場の主役として君臨しているこの時代にあって、それ以外の兵科がでてくるケースというのは敵味方両陣営にEFがいないか、EFによる戦闘が収束して占領の段階に入ったかが考えられる。今回のケースは明らかに後者だった。

 勝敗は決まっている。シュナードラ公国がこの地を放棄しなければならないのは明白で、さもなければ死ぬだけである。智機が来る前に戦力の過半を失い、そして首都も明け渡すことも確定したシュナードラに未来はないように見えた。

 ここまで来ると戦いを継続するのではなく、いつ降伏するかの問題でしかない。

 シュナードラを守るために智機は参戦したわけではあるが、こうなってくると当初の目的は諦めて戦後を考えたほうがいい。

 具体的にはシュナードラ滅亡後、クドネルに雇用される事。

 優秀なEF乗りには希少価値があるので職には困らない。

 年単位で拘束されるのは不本意だが、賭に負けたと思えば甘受するしかないだろう。

 ただ、智機は思う。

「しょぼい戦いしやがって」

 言えることはシュナードラもクドネル所属のEFの動きにはキレというものを致命的なまでに欠いている。一言で言えば「ちんたら」しているということで、圧倒的な差がついてしまう事が不思議である。

 ちなみにクドネルとは書いたが、正確には傭兵団のマーキングが施されているのでクドネルに雇用された傭兵である。

「さてと……」

 未来を決める前に、智機は宿題を片付けることにした。

 軽く視線を街角の一角に向ける。

「そこでオレを見ている奴、出てこい」

 最初から気づいていた。

「出てくればどうなるかは分からないけれど、出てこなければ殺す」

 表情はいつもと変わらないけれど、眼光と声音に殺意を込もっている。

 脅しでも冗談でもなく、本気。

 誰であろうとも。

 ……にも関わらず、その人物は出てこなかった。

 漂う沈黙に真面目に殺気を出していたのがアホらしくなってくる。

 仕方がないので、智機から出向くことにした。

 智機が墜落した、もとい降り立った場所からすぐ近い場所にそれは居た。

 智機は息を飲んだ。

 白い肌に艶やかな蜂蜜色の髪を足首まで伸ばした12歳ぐらいの少女で、日の差さない部屋の中で丹念に育てられた花のように品の良さを感じさせる美少女だった。けれど、着衣は乱れている。

 反応できるはずもない。無理難題といってもいい。

 彼女は今、悲しみに包まれている。

 表情に出ているのはおろか、悲しみがオーラとなって包み込んでいた。おかげで遠慮知らずの智機といえど声をかけられなかった。

 宝石のように美しい瞳も虚ろで絶望以外のものはない。

 智機はそっと溜息をついた。

 少女の心境は手にとるように分かる。

 智機は瓦礫を払いのけてスペースを作るとそこに座り込んでは彼女の顔を見つめた。

 その目に涙の痕跡はない。

 だからといって悲しくないといえば、むしろ逆。

 本当に悲しい時には涙すら出てこないものだ。

 喉の奥に苦いものがこみ上げる。

 少女は一番大切にしていたものを失った。

 智機が絶対の確信を持って言えるのは、彼女の今の顔を見ていると昔のことを思い出してしまうからだった。

 あの時も少女と同じ顔、同じ目をしていたような気がする。いや、絶対にしていた。

 救命艇の窓から遠ざかる宇宙船の姿。

 形を保っていたものが遠くで爆発するのをただ見守るしかなかった絶望。

 あれからかなりの時は過ぎたけれど、あの時に覚えた痛みは忘れるどころか今でも突き刺さっている。

 智機は空を見上げる。

 雲がぽつりぽつりと浮かぶ昼過ぎの青空にはEFから発生するジェネレーターの爆音が轟き、時折、爆発音が混じる。そして、火薬の臭いが混ざるここは戦場だった。

 未だに心に残っているとはいえ、所詮は過去の出来事である。痛みが残ろうが何だろうが、取りあえずは無視して現実と向き合わなくてはいけない。

 今を生きていくために。

 そのためには…

 智機は少女を見る。

 触ってみたら気持ちの良さそうな感じのする肌。柔和な顔。乱れてはいるがそれでも綺麗な蜂蜜色の髪。

 少女には見覚えがある。

 正確には見せられた資料の中に少女の情報があって、顔写真がきっちりと符合している。その事を確かめると記憶を掘り返して状況を分析してみる。

 最悪といってもいい。

 智機以外の人間なら投げ出しているレベル、いや、投げ出さない智機のほうが人としておかしいレベルである。

 しかし、この戦いを終わらせることができるのは智機ではなく、この少女だ。

「あなたは?」

 話かけないと始まらないとはいうものの、どう切りだそうか迷っていた智機であったが幸いなことに少女から口を開いた。ただ、心が半分どっかに行っているようではあったが。

「……オレは御給智機。傭兵」

「傭兵さん。ですか」

「いかにも二束三文の金だけで、お年寄りだろうが赤ん坊だろうが平気でぶっ殺す人間のクズだ」

 智機は意地悪く笑うが、少女は反応しない。

 せっかくのギャグが滑ってしまったかのような居たたまれ無さを覚えてしまう。智機の素性を知らない人が聞いていたら厨二病患者の戯れ言だと思うことだろう。

「具合が悪そうなんだけど、気分は?」

 見ただけで分かることを聞くのはバカだと智機は思ったけれど、少女は智機の心境を忖度することなく口を開いた。

「悲しいんです。何が悲しいのか分からないんだけど、とにかく悲しいんです」

「覚えていない?」

「覚えてないんです。でも、何か嫌なことがおこったことはたしかで、とっても怖くて……」

「わかったから、それ以上は言わなくてもいい」

 智機は遮ると、その白魚のような少女の手を握る。

 彼女は一瞬、びっくりはしたものの少しは安心したような顔をする。

 記憶が飛んでいるのか。

 あまりにも悲しくてショッキングな映像目の当たりにしたのだろう。心が壊れると判断して身体が記憶を遮断したものと考えられる。悲しいはともかく、ショッキングな体験なら智機もしてきたばかりであるにも関わらず平気だが、EFで踏まれても平気な神経を持つ化け物は智機だけだろう。そこらじゅうにゴロゴロしていたらたまらない。そんな化け物がごろごろしているような世界は最悪である。

 少女はぽつりと言った。

「私のハパとママ、知りませんか?」

「知らない」

 大体の想像はつくけれど、憶測で語りたくなかった。

 言葉が続かなくて沈黙が訪れかける。

 智機としては迷うところではあるものの、無駄な時間を過ごす余裕なんてなかった。

「お前は生きている。これからどうしたい?」

 智機の問いかけに少女は少しの間迷って、小さく声を押し出した。

「……ころしてください」

「両親が生きているのもかも知れないのに」

 智機の目算では死んでいる可能性が高いが死体が確認されたわけではないので否定はできない。少女は動揺したが、すぐに痛みを抱えた顔で首を横に振った。

「何かを忘れているような気がして、でも、知ってしまうと壊れてしまうような気がして。……イヤになってしまったんです。もう、何もかも」

 智機は失望感を味わったが、よくある事として納得することにした。

「だから、私を……殺してください」

 この戦争を続けるか終わらせるのはこの国の人であって、余所からやってきた智機に権利はない。いくら智機が戦いたがってはいても、終わりにしたいという現実を無視することはできない。

 智機は視線を上にずらす。

 オレンジ色のEFが3機まとめて、カーキグリーンのEFの集団に突っ込んでいく。バラバラに運用するよりも一個にまとめたほうが生存確率は上がる。事実、軍勢の中に割り込むことには成功したが、蹴散らして突破することができず逆に包囲されて猛烈な一重二重と猛烈な射撃を受けている。

 ……あいつらは無駄死にっていうわけか。

 恐らく、ここで少女が死ねば彼らは戦う意味を失うだろう。死ぬ意味のない、終わってしまった戦争で死ぬのは全くの無駄死にであり、少女は何処までも続く古井戸の底へと彼らを突き落とそうとしている。無自覚で。

 ただし、彼らも納得ずくで死へ向かっているのだろう。少女と同じ理由で。

「武器は?」

 智機としても戦う前に敗北するというのは不愉快極まりないところではあるが、少女に生きる意志がないのだから勝てるはずがない。不愉快なことを黙って飲み込むのが人生である。

 一応は損失補填の材料にもなるので、条件としては悪い話ではない。

 少女は無言でブラスターを差し出した。

「跪け」

 智機の言われた通りに少女は跪く。建物の破片に覆われた大地についた事によって少女の膝に細かい切り傷がつくが智機は気にすることなく、ブラスターの出力を最低に設定すると少女の後頭部にブラスターを突きつけた。

 少女の首がかすかに垂れたのを銃越しに感じて、智機は銃の安全装置を外して、引き金に指先をかけた。

 智機が軽く指先を動かすだけで、銃からレーザーが放たれ、レーザーは簡単に少女の命を奪うだろう。

 しかし、智機は引き金を引こうとはしなかった。

 無論、殺せないわけではない。

 銃身越しに少女の頭が揺れているのが感じ取れる。

 時間を一秒一秒置くほどに、振幅の幅を大きくなっていく。

「撃ってくれないんですか?」

 いつまで経っても死刑執行をしてくれない沈黙に耐えかねて少女は言った。

 その間にも震えは激しさを増していく。

「おまえ、本気で死にたいのか?」

「……死にたいです」

「嘘をつくなら、もっと説得力のある嘘をついてくれ」

 智機はざっくりと切り捨てた。

「死にたい奴は震えない」

 震えは痙攣と見まがうほどに激しくなっていた。

「死にたいです」

「逃げ出したい、の間違いだろ」

 少女は智機に向き直る。

 その両目からは涙が大量に溢れていた。

 困難に直面した時に逃げ出すことを考えない奴なんていない。ましてや少女の前に立ちふさがっているのは衛星軌道まで届くほどの高い壁である。

 逃げだすための究極の手段というのが自殺する事である。死んでしまえば困難からは逃れられる。ある意味では決着をつけられるのかも知れない。困難を受けるべき存在は消滅してしまっているのだから。

 壁は壁だけでは障壁となり得ない。立ち向かう相手がいてこそ障壁となり得る。

 感じなければ、存在しなくなってしまえば問題はない。

 智機も逃げ出す手段として自殺をすることは否定しない

 ただし、そう簡単に死ねたら苦労はしない。

 人間だって生き物の一種であり、生きたいという獣のとしての本能がトリガーを引くことを躊躇わせてしまう。自殺をするためには本能というダイヤモンドよりも硬い壁を突き崩して無へと突っ走らせる絶望が必要なのだ。

 少女には絶望が足りない。

 意志の力で本能の壁を乗り越えられない。

「逃げ出したいけれど、逃げられないか」

 死ぬ手段ならいくらでも転がっている。そもそもガンを持っているのだから自分で引き金引けばいいのにも関わらず引けない時点で答えはわかっていた。

「わたし……ほんとうは死ななくてはいけないんです………」

「自分の生死を勝手に決めるなよ」

「なんだかよく分からないですけど、大切なものを亡くしてしまったのは分かるんです。胸にぽっかりと穴が開いちゃいましたから」

 少女は力なく笑った。

「……大切なものがなくなったというのに、どうして生きていられるんでしょうか。わたし」

 答えようとして、言葉を失った。

 智機は自分の胸に手を当てる。

 実際に身体に穴が開いてたら死んで居る。仮に生きていたとしても病院の中だ。でも、穴は確かに存在する。心に開いた大きな穴。

 何処までも続く深淵を見つめながら、智機は思い起こす。

 あの日からずっと追い続けていた。

 優しく微笑んでいる彼女を、あの爆発の日から追い続けていた。

 オレハナニヲシテイル。

 あの状況なら普通は死んでいる。にも関わらず生きていると仮定して今でも彼女を追い続けている。

 これは逃げているのではないのか?

 彼女が死んだという現実から。

 そして、彼女がいないのに生きていてもいいのかという感情がわき上がってくる。

 彼女がいなければ存在している意味はないというのに。

 大切なものを失ったのに生きながらえているというのはおかしすぎる。

「だ、だいじょうぶですか!?」

 表情に出ていたのだろう。気がつくと少女が泣きそうな勢いで心配していたが智機は軽く笑ってみせた。

 タイミングがいいというべきなのだろう、オレンジ色のEFが空中で爆発する。

 少女が死ねば、この戦争も終わって平和にはなる。残された人々には重い負債がのし掛かり、売り飛ばされて奴隷にされたり便器の代用品として酷使される明日が待っているのかも知れないけれど、少なくても無意味に殺されることはない。だから、少女の行動も身勝手ではあるが間違っているとはいえない。

 智機はこの国の民ではないのだから、この事については言うつもりはない。

「勝手に決めるなよ」

 それは彼女だけではなく、智機にも言い聞かせる言葉。

「自分の命を決めていいのは自分だけだ。他人がどうこういうことじゃない。だから、オレも生きてもいいし、お前も生きていい」

 仮に彼女がいなくなったとしても、だからといって後を追おうとは思わなかった。

 無駄であってもいい。

 仮想だろうが空想だろうが妄想だろうが成り行きには納得しておらず、納得できないまま忘れ去ることなんて不可能だった。

 そう。オレはこの世界で生きてこうと決めたんだ。

 誰であろうが否定はさせない。

 否定する奴がいたら、神であっても聖人であってもぶっ殺す。

「私は……アナタほど強くないです」

 自分を殺そうとする圧力を前にして怯まずに立ち向かえるのは少数であり、少女は間違い無く折れてしまう多数であった。

「でもさ、死ねないんだろ」

 その通りなので少女は何も言えない。

 智機の言うことはとっくの昔に承知しているはずである。世界の状況を言い訳にして辛い現実から逃げだそうとする自分に醜さと愚かさと、自らの力で飛び降りることもできない勇気の無さに絶望を覚え、噛みしめることしかできないのだろう。

「生きたいんだろ?」

「………」

 少女は答えない。

 立ちはだかるは地獄、退くは無の狭間に立たされて何も言えなくなっている。

 そんな少女に向かって智機は言った。

「なら、戦え」

 少女の顔に怒りの親戚のようなものが浮かぶ。

「戦えって」

「文字通り。死にたくない、でも、公衆肉便器にもなりたくないというのなら戦え。戦って明日をつかめ」

 少女は「こいつ、何を言っているんだ」と言いたげな表情をしている。当然の反応だろう。

「今からクドネルに勝てというのですか?」

「そうだ」

 ほとんど条件反射で言い換えされて少女は絶句した後、少女は激怒した。

「外から来た貴方に何がわかるというのですか!! クドネルに立ち向かえと。このような状況で立ち向かえなんて無理ですっっ」

 どうやら、落ちてきたところを見ていたらしい。

 困難から逃げようとしているのに、智機は立ち向かえといっている。首都が落とされて脳死状態ら陥っているようなものだから、それでも立ち上がれという智機の言葉が何も知らない第三者の脳天気で無神経なものに思えて腹が立つのも当然ではある。

 やればできるというのは寝言だから。

 もちろん、智機もそのことを承知している。

「それで?」

 少女の言葉にも動じず、冷ややかな目線でバカにすることもできる。

「それでって……あなたは」

「なら、お前は敵兵に捕まってさんざん慰み者にされたあげくに、身体を生きながらにして解体されるだけだ」

 少女が怒りを顔に貼り付けたまま固まるのは、智機の言っていることが過酷な現実そのままだったからである。

 智機の脳裏に様々な光景が蘇る。

「選択できる時間はもう、ない」

 いつも、そうだった。

 EFに乗って戦ってきた相手の顔を思い出すたびに、智機は思い出す。

「やるしかないんだよ。生きたければ」

 世界というのは出来ればやる、出来なければやらなくてもいいというものではない。無理だろうが嫌だろうが、生きるためにはやらなければいけないという状況に直面し、乗り越えることで智機は生きてきた。

 智機と少年は年齢がそんなに離れているというわけではないが、短い時間の中で積み重ねてきた経験値の量が少女を圧倒している。それが迫力となって現れ、少女を押し潰している。

 過酷な現実に怯え、逃げたいと願う少女。

 何故、この少女を助けようと思うのだろう。

 基本的には少女が生きようが死のうがどちらでもいい。

 常識的に考えれば、ここで少女を殺した方が楽であり、安全ではある。

 しかし、面白くない。

 少女の首級を手土産にクドネルに下るよりも、この状態から逆転をしてシュナードラを再建させたほうが遙かに見入りがいい。

 もちろん、リスクは大きいが、石橋を渡って堅実に生きようとするのならば、最初からこんなところはいない。

 そして、安易に少女を殺してしまったら、夢を手に入れることができない。

 あの日に近づくことができない。

 遠ざかっていく宇宙船。

 切り離された脱出ポッドの中で、ひたすらに絶叫するしかなかった時のことを思い出すといつでも魂がトップギアで走り出す。

 何かを手に入れるためには、断崖から身一つだけで躍り出るように生を賭けなければならないとするならば、この時が正にそうなのだろう。

「理不尽は耐えるものじゃない。ぶっ潰すものだろ」

 智機の迫力に気圧されたのか、少女は怯えだす。

「……つぶせないから、理不尽ではないのですか?」 意外といったら失礼であるが、頭は悪くはない。

「あなたほど……強くないですから」

「オレだって強くはないよ」

 それこそ、少女は頭を潰されたような顔をする。

 災厄というものを擬人化したような今の智機が「弱い」と自称したところで説得力がない。

「一つ、いいことを教えてやろう」

「いいこと?」

「人は頑張れば強くなれる」

 少女の悲しみが止まった。

「……がんばれば……つよくなれるんですか?」

「最初から強い奴なんていない。個人差はあることは否定しないけれど、がんばらない奴は強くなんてなれない」

 少女の瞳が輝き始める。

 まだ、弱々しいけれど、それでも一筋の希望を見いだして、前へと歩こうとしていた。

「わたしはがんばらないと、いけないんですね」

「幸か不幸か頑張らないと生きていけなくなった。もっとも、世の中というのはそういうものだろう。でも、心配はいらない」

「がんばらなければ、殺されるからですか?」

 実際、ここは戦場。

 捕獲される可能性と死ぬ可能性が半分。何もしはなくても普通に殺される。生き残るほうが遙かに難しい。

「それもある」

 しかし、智機は悪党面をやめると人好きのする笑顔で言った。

「一番の理由はオレがこの国を救いにきたらだ。ファリル・ディス・シュナードラ。シュナードラ公国公女様」

 少女は唖然とする。

 名乗っていない初対面の相手に自分の名前を言われて驚かない人間というのは少ない。

 おまけにファリルには理由を検証する時間が与えられなかった。

「ジャンプしろ」

 脈絡もなく智機に怒鳴れて戸惑うファリル。

「いいから、ジャンプしろっっ!!」

 智機に怒られて、ファリルは慌ててジャンプする。

 ほんの僅かにあいた、ファリルと地面の間に智機の身体が滑り込む。

 背中にファリルの身体が落ちてくるが、平然と智機は受け止める。

「えっ?」

 初対面の人間にいきなりにおんぶされる事になって戸惑わない人間というのはいるかも知れないが少ないだろう。けれど、不幸というか幸いというか頬が赤くなるのを自覚する余裕がファリルには与えられなかった。

 おんぶされた直後、3騎のEFが2人を挟み込むような形で降りてきた。

 巨大な両足が地についた衝撃で地面があたかも地震が起きたかのように揺れ、瓦礫混じりの土埃が舞う。

「ファリル姫ですね。生きたかったら素直に降参してください」

「貴方が降伏すれば戦争は終わる。民が無様に死ぬこともなくなるのですよ」

 スピーカー越しにEFのライダーから怒鳴れてファリルは身をすくませる。蟻のようにファリルと智機の2人を踏みつぶせるEFは恐怖を具現化したものであり、土壇場に据えられたように絶対絶命の危地に落とされたように見える。

 しかし、智機は平然としていた。

 いや、この期に及んでつまらなそうにしている。

「フォンセカにしか乗れない雑魚の分際で偉そうに」

 その呟きを吟味する間もファリルにはなかった。

 智機がファリルを背負ったまま、EFめがけて駆け出した。

 走るという一つの目的に向かって全身の筋肉を連動させると同時にコアに溜めていた力を解放。爆発的なパワーが智機の小さな身体を一気に加速させる。

 ファリルの髪が舞った。

 智機のターゲットになったEFは、智機の意図を認識すると慌てて障壁を張り巡らせようとしたが、その時には既に足下まで接近されていた。

 智機と、背負われたファリルの身体が宙を舞う。

 ファリルの悲鳴がこだまする。

 智機は地面を蹴って飛び、EFの脹ら脛部分の装甲に足を接地させると、そこを起点にして上昇、EFの隣にあるビルへと対角線上に飛び、そこを起点にして、斜めにEFに向かって飛んでいく。

 何物からも支えなく孤立しているという現実。足がついておらず空間から孤立しており、重力という神の力に逆らって高速で上昇しているという感覚。

 智機が接地や飛翔のタイミングを少しでも外したり、飛翔距離を見誤ったら墜落する。今の2人は毛虫のようなものであるからEFが振り払うのも簡単である。そして、智機は無事であっても手が離れるようなことになれば、ファリルは墜落して蠅のように叩き潰される。

 恐怖に心臓を鷲づかみにされるが、ファリルは智機の身体に懇親の力を込めて必死にしがみつくしかなかった。

 どうして、こんな責め苦を味会わなければいけないのだろうとファリルは思う。

 こんな恐怖を体験せねばならないほどの罪深いことをしたというのだろうか。

 自分の存在そのものが悪だと思えば納得できるとは思ったのだけれど、それでも納得はできない。

 智機から手を放せば、簡単に死ぬことができる。恐怖と明日に怯えることもない。けれど、智機の身体をつかむ手から力を抜けなかった。

 死にたかったはずなのに。

 でも、その事に思考を巡らせる余裕なんてあるはずがない。

 少女にとってみれば終わりの見えない長い時のように思えたが、実際の経過時間はかなり短い。

 特に智機と対峙しているEFのライダーは展開の早さについていけないでいる。

 実際の認識と、意識の認識は同一ではない。

 実際に感覚器官が現象を認識していたとしても、意識がその現象を実際に起きている現象だと認識するまで間が生じる。意識が現実に追いつけるまでの時間は一定ではなく個人差や状況によって違ってくる。

 ただの人間がEFに勝てるはずがない。

 そもそも、己の身体だけでEFに立ち向かおうと思う人間なんていない。

 それだけにクドネルのライダー達は智機とファリルが降伏すると見ていた。戦闘意欲をなくすのが常識であり、さもなくば自暴自棄になって暴れるだけであるが、そうなれば踏みつぶすだけで事足りる。虫のように。

 しかし、智機の反応は彼らの予想の斜め上を行っていた。

 降伏するのでもなく、自棄になるのでなく、冷静に戦いを挑んでくるなんて思いもよらなかった。

 いや、狂っている。

 ライダーが騎乗していないEFを乗っ取るのではなく、活動しているEFを乗っ取ろうとするのは狂気の沙汰であるが、恐ろしいのは不可能としか思えないことを真面目なまでの冷静で実行していることだ。

 このため智機の行動は彼らの認識のタイムラグを突く形となる。

 障壁を張るよりも早く接近された事、ビルを利用しての三角飛びで上昇されることなど、そんな事ができる人類なんているはずもなかったにも関わらず、あり得ない光景が展開されている現実を意識が認めるのに時間がかかった。

 最初から最後までのストーリーを組み立てて勝負している智機と、目の前の現実に追随しきれていない彼ら。

 その認識の差は、反応速度の違いとなって現れる。

 先手先手と手を打たれ、対応しようと思ったらそこに智機はいないという悪循環の中、気づいた智機はターゲットにしたEFの腰辺りにまで到達していた。

 ビルから胸部に向かって飛び込んでいく智機に向かってEFは頑丈な腕でなぎ払おうとはするが、その動きは既に見切られていた。

 智機は躱しつつ、二の腕部分に足をつくとそこを支点して跳躍をして、とうとうコクピット部分まで到達する。

 左手で身体を固定しつつ、首にファリルの両腕を回されては締め付けられ、右手をコクピットハッチと本体の隙間に手をかけた。

 ここまで来ると智機もろとも僚騎を撃破してしまうので仲間としては攻撃することができない。

 そして、正気を疑う光景が展開された。

 鈍い音がしてコクピットハッチが強引に引き上げられる。

 当然のことながら開けられないためにロックというものはかけているものであり、ましてや筋肉隆々には見えない少年の、片腕だけの力で分厚いハッチが開いてしまったというのは悪夢じみていた。けれど、これは夢でも空想でもなく、現実に起こっていることだった。

 想像もできないことを簡単にやってのけた当人は高ぶるでもなく偉ぶるわけでもなく、自然に第2ハッチを開けてしまう。

 第2ハッチが開けられたということは、コクピットが開かれていたことを意味をしており、中のライダーが直に智機と対峙する。

「よっ」

 こうなってしまえば、なにもかもが遅かった。

 智機はブラスターを抜くと反応はおろか、智機の接近を現実の物として受け止める暇さえも与えずにライダーに向かって撃った。

 いささか力強さにかける光がライダーの首筋に当り、軽く薙いでみると頭が落ちて、首の切断面から血が迸った。

 ブラスターを刀代わりに使ってライダーを始末すると、智機はシートベルトを外して不用となった死体を開けっ放しのハッチから放り捨てた。

 これで一連のあり得ない行動が終わったわけではあるが、もろちん一息つく余裕はない。

 ただし、ここでファリルを気にすることはできた。

 最初の頃は強烈な力で首を絞めてきたので、足を踏み外して墜落するよりも先に空気の供給を絶たれて脳死するのかと思ったけれど、途中で力が緩んだので死の危機が去った代わりに、ファリルのことが心配になる。

 予定通りにEFを制圧したとしても、ファリルが死んだら意味がない。

 しかし、恐怖を張り付かせたまま失神しているファリルを見ると心配は吹っ飛び、失笑が漏れた。

 ついでにいうと背中から腰にかけて何故か、ぐっしょり濡れていて、日常的に嗅ぎ取っている臭いを放っている。

 ファリルを仔細に見ていると下半身、スカートの中から液体が滴っていた。

 ……漏らしたか。

 智機は脱糞されなかっただけマシと前向きに考えることにした。お漏らしと脱糞では臭さと処理の困難さが余りにも違いすぎる。 

 実際のところ今の機動は智機でさえもギリギリだったのだから、普通の人間が一歩間違うだけで死ぬ世界の中で、自然の法則に逆らって飛んでいくプレッシャーに耐えられるわけがない。ましてや、昨日まで硝煙の臭いを嗅ぐことなく平和に暮らしていた女の子だったのだから。

 小便本体は空中を飛んでいっている途中で散らばったものの背中やパンツにしみこんで不快感を与えているが幸いというべきか気にしている余裕はなかった。

 智機はライダーの代わりに座席に座り、傍らにファリルを押し込めると両側にあるサイドスティックを握りしめた。

 脳細胞を透明で細い無数の触手が這い上っていくのような気持ち悪さを覚える。小水を浴びせられるのよりもこちらのほうが気持ち悪くて危険だ。

 EFは戦艦などの兵器と大きく違うのは意志を持っている事である。会話を交わせるほどではないが犬猫並の知性を持っている。

 つまり、登録されていないライダーが操縦しようとすると、ライダーの脳に干渉して、正規ではないライダーを排除しようとする。

 騎体を上手く乗っ取れるか、あるいは脳に攻撃を受けて廃人になるかはライダーのレベルと騎体の格次第であり、ライダーが騎体を凌駕すれば簡単に強奪できる。

 EFは星団で幅広く使われているフォンセカの装甲強化仕様。対する智機はというと……

 軽く念を込めると見えない触手は存在を消して気持ち悪さも消滅する。と同時に智機の乗ったEFから透明の力場が発生して、放たれたビームライフルの閃光をあっさりと消し去った。

 EFの特徴としてドリフトというのがある。

 これはライダーの精神力を媒介にして空気中や宇宙空間にある物質を取り込み、それをエネルギーとして活用するというものである。

 この結果、残弾が尽きたライフルからも銃をぶっ放せたりとか、バリアーを張り巡らせて攻撃を防いだりとか、カタログスペックを越えた高速機動ができるとか、想像力次第で様々な事象を生み出すことができる。

 これがEFを戦場の主役にさせている要因である。

 智機は2騎からの攻撃を障壁で防ぎ、そのまま一騎のEFに向かって突進する。

 一瞬で距離が詰まる。

 ターゲットにされたEFは慌てて障壁を張るが、刹那の激突の後にEFの障壁はかき消え、体当たりされて上方に軽く浮く。

 見た目とは裏腹に強烈な打撃だったので、敵EFは何もできない。

 智機は敵EF部分のコクピット部分にライフルの銃口を押しつけると、トリガーを引きつつ右に飛び退いた。

 いくら装甲が厚くても、押し当てられては意味がない。

 ライフルの光が敵騎のコクピット打ち抜き背中へと貫通する。過程の中でコクピットの機器もろとろも悲鳴を上げる間もなくライダーが光の中に溶けていった。

 それでも騎体全体が爆発することはなく原型を保ったまま棒立ちとなるEFであったが、そこへ智機を仕留めるべく僚騎が発射したビームライフルのビームが数発着弾して、主が消滅したEFを爆散させた。

「このっっ!!」

 残った1騎が立て続けに智機に向かってビームライフルの射撃を試みるが、智機が張り巡らせたビームによって全て弾かれてしまう。

 智機にしては悠長に見えるかも知れないが、これは強引に開けたコクピットハッチを閉めるためである。

 コクピットから外が見えるのはいいのだけれど、風や爆風、流れ弾が飛び込んでくるので流石に閉めないと危険である。

 しかし、強引に開けた代償で自動では閉まらないので手でコクピットハッチを閉めるとハッチのロック部分をドリフト効果で熱くさせた。

 ロック部分が溶けて、本体に溶接される。

 ハッチが戦闘中に開いたり、流れ弾が飛び込んでくる危険はない代わりに開かなくなってしまったわけではあるが、どうということはない。

「死ねっっっ!!」

 智機が障壁を解いたのをチャンスとみたのか、敵機が高速で接近しつつ、大上段からライトセーバーを振り下ろした。

 戦争を知らない一般人から見れば早く鋭いように見えるのだが、智機はせせら笑う。

「…遅えよ」

 懇親の力を込めて振るったライトセーバーの刃が智機の代わりに空気を切る。すれ違い様に左に体勢をずらした智機のEFの拳がコクピットを捉えた。

 必要最小限の動きで、膨大な質量を持つ金属の塊が高速でコクピットブロックに炸裂する。

 分厚い装甲が施されているだけに大きくへしゃげはしたもののEFを撃破するまでには至らない。

 いや、その気になればカウンターの正拳突きだけで撃破できなくもなかったのだが腕を破損する可能性がある。戦いはこれで終わりというわけではない。目の前の状況に一喜一憂するのは三流である。

 撃破までには至らなかったがコクピットを直撃されたEFはよろけて動きが止まる。

 智機はすかさずビームライフルを斉射。一拍の間を置いてビームがEFに命中して爆球へと変えた。

 流石に一呼吸はおける。

 けれど、休んでいられる余裕はない。

 周囲ではシュナードラのEFが数倍もするクドネルのEF相手に絶望的な戦闘を繰り広げている。

 ただ勢いに任せているだけの戦闘。

 ドリフトの効果は精神に左右されるのでライダーの実力差を根性でごまかすのは可能であるが、それだけでは勝てないのも事実である。

「しょうがねえな」

 智機は呆れたように溜息をつくと戦場に躍り出た。


 振動で目が覚めると、そこは狭くて薄暗い場所だった。

 どうして自分がこんなところにいるのか、ファリルには理解できない。

 それを理解しようと思考を巡らせようとした時、世界が揺れた。

 ほんの僅かな程度ではあるがファリルは自分がいる世界を認識する。

 狭い空間にも関わらず、360度に建物の全てが崩壊して瓦礫が散乱した荒野が見渡せる。

 ちゃんと立つ地があるにも関わらず、立っている地が見えず、言うなれば空に立っているような感覚。

 答えはEFのコクピットに無理矢理、押し込められているからである。

 EFのコクピットは周囲を取り囲む全ての空間がスクリーンになっている。だから、宙に浮いているような錯覚を覚えることになる。

 そして、コクピットに座っているのは見知らぬ少年。

 殺してくれと頼んだものの、叶えてくれず……

 光景を思い出すとあの時の恐怖が蘇る。

 少年に無理矢理おぶわれ、死の恐怖と共にEFめがけて上昇してきた、あの光景である。

「目が覚めたか」

「…はい」

 恐れがないといったら嘘になる。

 コクピットが明らかに少年によるものではない血にまみれていたからだった。足下にも血が溜まっていて、赤紫色に変色している。

「貴方はいったい何者なのですか?」

「オレは御給智機、傭兵。階級は一応、大尉」

「いちおう?」

「前の戦いから、それほど日が経っていないからギルドも評価しようがないんだ」

 返り血にまみれていることを除けば何処にでもいるような14歳の少年であり、傭兵のようには見えないのだけど、人は見かけによらないことは恐怖と一緒に教え込まされたところである。

「正義の味方さん…ではないですよね」

「オレがそんな善人に見えるか」

 もちろん見えない。

 確かに智機は「この国を救いにきた」と言う。

 けれど、意図が見えない。

 悪の存在が許せないという正義の味方なら安心できたのかも知れなかったのがどう見てもそうは見えず本人も否定した。

 かとなると何らかの見返りを期待して救いに来たわけであり、助けた代償としてどのような見返りが必要なのか分からないのが怖い。

 どう見ても智機は正義の味方の正反対にしか見えなかったから。

「マリア・ファルケンブルクという詐欺師に騙された」

「マリアちゃんにあったんですか!?」

 声のトーンが上がって、ファリルの不安が一発で氷解する。

「マリアちゃんは元気ですか? 大丈夫なんですか!?」

 声が1オクターブ上がる。

「マリアは元気だった。むしろ、君のほうが心配されるべきだろう」

 マリアはファリル付きの侍女で両親が事故死した事から、幼い頃から姉妹のように育ってきた。ところが最近、遠縁の遠縁の遠縁の伯父が亡くなり、遺言で遺産を相続することになったのでその手続きのためにシュナードラを離れた。

 クドネル共和国のシュナードラ侵攻が始まったのはそのすぐ後だった

「でも、どうして、マリアちゃんが智機……さんを?」

「マリアが、姫様よりも遙かに優秀だから」

「……マリアちゃんはすっごく頭がいいですけど」

 ストレートに言われてファリルはへこむ。

「そんなに落ち込まなくていい。この国ではマリア以上に頭がいい奴なんていない」

「そこまで…なんですか」

「事情は後で説明するとして、そのマリアにシュナードラを救ってほしいという依頼を受けて、この国に来たんだ」

「マリアちゃん……そこまで気を回さなくてもいいのに」

「それだけ姫様のことを大切に思っているという事。大好きな人たちを置き去りにして、自分1人だけが幸せになれるわけないだろ。マリアはみんなを助けたいと思って、必死になって考えた。その答えがオレ」

「でも、善意ではないんですよね」

「もちろん。貰えるものは貰う」

 その少女の想いに答えてボランティアといえばかっこいいのだけど、現実はそう甘くはない。

「シュナードラの勝利を信じている奴がいるんだから、期待を裏切るわけにはいかないだろ」

 マリアがファリルの生存と母国の勝利を信じて智機を送り込んできたのだから、ここで白旗を上げるのはマリアを裏切ることになる。死んでしまえば裏切る痛みを感じないとはいえ、マリアの気持ちを傷つけることになるだろうと思うと、ファリルは罪を犯してしまったような気持ちになってしまった。

 だから、ついこんな言葉が出てしまう。

「……すみません」

 かといって首都を落とされ、父母とはぐれてしまっている状態が逆転するのは難しい。というより敗北という現実から目を背けているだけでしかない。このような戦争に縁もゆかりもない智機を巻き込んでしまったのが辛かった。

「全てを承知して来たから気にするな。勝手に負けようとしたのはむかついたけど」

 智機の言う通りでひたすらに恐縮するしかない。

「報酬は公王もしくは公国責任者との間で応相談と言っていたから、よろしく頼む」

「応相談……ですか」

 不安が現実のものとして表れてくるが、智機は舐めてんのかこいつというような表情をする。

「言っただろ? オレは正義の味方じゃないって。傭兵を動かすにはそれ相応の見返りが必要なんだよ。クライアントに死なれたら元も子もないから、これはサービスしてやるけど」

「……はい」

まったくの正論なのでファリルは言い返すこともできない。そうでなくても議論になれば満足に受け答えもできないのだから。

「だいたい、それなりに費用をかけているんだから、タダで帰れるかっつーの」

「そ、そうですよね」

 公共交通機関なんて、そんなものとっくの昔にストップしている。

「せっかくだから、こいつでも読んでゆっくりじっくりねっとりと考えてくれ」

 智機が懐から取り出してきたのは、一通の封筒。

「これはマリアからの手紙。ファリルに渡してくれって頼まれた。オレのことを不審者扱いしているみたいだけど、こいつを……」

 言い終わらないうちにファリルが手紙を奪い取ったので智機は苦笑する。

 自分が不審者にしか見られないというのは理解している。

 人間だったら高空から生身だけで飛び降りたらひとたまりもないし、三角飛びで立っているEFの胸部までたどり着けて、なおかつ片手でコクピットハッチを開けるという真似なんてできない。

 ファリルが智機を化け物と同一に見てもおかしくはない。

 しかし、通りすがりの関係ではなく主人と使用人という関係になるのだから信用してもらわないと困る。

 そのためにはこの戦場へと誘った詐欺師ことマリアからもらった手紙が役に立つというものだろう。得体の知れない奴でも肉親のように信頼している奴からの口添えがあれば話は違ってくるだろう。

 手紙の中身は敢えて見てはいないものの、マリアのことだから問題はないだろう。

 むしろ、マリアのほうがしっかりしている。

 12歳が6歳に負けるというのも頭が痛いところではあるが、ファリルが年齢よりも幼いというより、マリアのキレっぷりが異常なのである。

 頭の回転速度の速さは化け物といってもいい。

 智機はマリアとの会話を思い出すが、6歳というのが年齢詐称だとしかおもえなかった。が、智機も人のことはいえない。6歳ぐらいには他人がその話を聞いたら妄想だとしか思えない経歴を歩んでいた。

 とりあえず手紙を読むことに集中させることによって、現実から目を反らせることができる。

 一騎のEFが突進しながら突きを入れてくるが、智機は数ミクロンの差で躱しつつ、銃剣の切っ先を相手の胴体にたたき込んで撃破する。

 智機は戦闘中である。

 物量に任せて近衛騎士団のEFを駆逐しているクドネルのEFを殲滅にかかっている。

 こいつらを駆逐することは簡単だが、問題はこれが始まりにしか過ぎないという事である。

 口でいうのは簡単だが、実行するのは難しい。

 盛り返すといっても、首都を落とされて滅亡寸前の国を盛り返すのは至難以前の話。

 クドネルのEFを殲滅してから、その後である。

 ファリルを連れて首都を脱走するのが目標だが、その先のプランが見えなかった。

 基本的に智機は脳筋で前線に突っ込んで暴れまくるのは得意だが、戦略戦術を考えて後方で大勢を指揮するのは得意ではない。正確にいえばそんな仕事はやりたくない。

 けれど、智機が自分で言ったように得意不得意ではなくて、やらねばやられるだけなのだからやるしかなかった。

 あの人なら、どんなプランを立てたんだろうか。

 NEU時代の上官であり師匠だった人の面影を思い浮かべてしまう。ライダーとしての力量は越えたと自負しているが指揮官や参謀としての力量はまだまだ及ばない。

 性格や嗜好をシミュレートし、その人になりきって作戦を立案してみようとしてみたが違うような気がしてやめた。結局、智機は智機であって他人にはなれない。

 智機はEFを走らせ、ビームライフルやライトセーバーを操りながら、サブウィンドゥに様々な情報を展開させていく。

 元々はクドネルのEFなのだから、当然のことながら作戦データが入っており、それを見ないはずがない。

「奴ら、勝ったものだと思ってやがる……って当然か」

 作戦は普通に囲んで、進捗状況に応じて輪を狭めていくというオーソドックスなものである。芸はないが物量で圧倒しているので無理に奇策に走る必要もない。

 正確には1箇所だけ大きな穴が空いているのだけど、自然に空いているのではなくわざと開けてあると見るのが妥当だろう。完全に囲んでしまえば逃げられないと悟ったネズミが死にものぐるいで暴れて被害がでる。穴さえ開けていれば逃げることも考えるし、穴付近に伏兵を置いておけば敗残兵をなんなく殲滅することができる。データにはないが、下っ端なので知らされていないのだろう。

 レッズと呼ばれる軍団のデータもない。

 侵略しているクドネル共和国の兵力は自前の国軍と雇い入れた傭兵団で成り立っている。

 その中でもレッズとシュナードラの軍兵たちが呼称している12騎の赤いEFの集団が強力で、マリアが言うにはレッズによってシュナードラの国軍の大半が殲滅させられたという。

 智機としては戦ってみたかったところではあるが、残念というか幸いというかこの戦闘にレッズは投入されていない。

 休んでいるのか、それとも他の場所に投入されているのか分からない。

 いくつかの可能性が浮かぶが全ては推測ではあり、推測の一つを事実と仮定して行動するのは危険だ。

 智機はマリアの言葉を思い出してみる。

「貴方が望む報酬が欲しいのでしたらかったら、ガルブレズを確保してください、か」

 智機は首都近郊の地図を表示してみる。

 首都の周りにはベッドタウンとおぼしき、いくつかの都市があるが、ガルブレズという表記が見あたらず、仕方なしに検索を掛けてみた。

 地図のスケールが大きくなる。

 シュナードラ全土地図になってようやく表示されたその場所は首都から1000km以上も離れた南海にある大きな島であった。海がそのまま堀になるので守りは堅い。

 構想がまとまってくる。

 マリアのことだから考えがあって、確保しろといったのだろう。

 いくら智機でもシュナードラの地理は詳しくない。裏を返せば何処を確保しようが構わないということなのだけど、ここは従っておいても損はないだろう。

「……あの、大丈夫なんですか?」

 どうやら事態のおかしさにファリルは気づいたらしい。

 動き自体は最小限なのだが急加速したと思えば急停止したり、右に左に移動したり、ジャンプしているのだから、気づかないほうがおかしい。

 戦闘は終わっていない。続いている。

「大丈夫。問題ない」

「問題ないといわれましても」

 智機が真面目に戦っているように見えないのが一番の問題だった。

 最初は戸惑っていたクドネルのEFであったが、敵だと分かるとシュナードラのEFそっちのけで集中攻撃を加えてきた。

 装甲を貫通して臭ってくる殺意にファリルは身をすくませる。

 一重二重と囲まれている危機的な状態。

 にも関わらず、智機からは危機感が感じられない。開戦前のシュナードラの政治家のように他人事のようにEFを操縦している智機に不安を通り越して憤りすら感じてしまう。

「落ち着けよ」

「どうして落ち着いていられるんですか?」

 焦ったり我を失ったりするのは問題だけど、落ち着きすぎるのも問題なようにファリルは思えてならない。

 他人事なのだ。

 実際に操縦しているはずなのに、ゲームで遊んでいるような雰囲気がしている。御給智機という人間は現実を現実の物として受け取れない人間かと錯覚してしまう。

 その一方でファリルは気づいていない。

 ドッグタグに封入された戦闘データを、多目的スキャナーからこの騎体にインストールをしていることに。

「何故、そう思う?」

 智機の問いかけにファリルは考える。

 この時、智機の精密な射撃を受けて、1騎のEFが爆散する。

 何故、真剣さや真面目さが感じられないのか、その理由を考えてみて少ししてから結論が出る。

「……ライダーといったら操縦するたびに「遅いっっ!!」とか「私にも見えるぞ」とか「食らえっっ必殺、シャイニング武士道っっ!!」とか叫んだりはしないのですか?」

 昔、ファリルは無理に頼み込んで訓練用のEFに同乗させてもらったことがある。

 戦闘もなく、ただ飛行しているだけなのにライダーは真剣そのもので冗談など言える雰囲気ではかった。その事を思い出せば智機の態度は不真面目なもののように思えてくる。

「確かに叫ぶ奴はいる」

 アクションを起こす時、攻撃された時、あるいは攻撃する時にいちいち叫んだり、何気ないライトセイバーの突きに大仰な名前をつけて絶叫するのは珍しいことではない。特にEFの場合は気合いが強ければ強いほど強力な攻撃を出せるので、叫ぶことによって込めた想いをブーストするのは常套手段である。

 実際、意識が高ぶった時には何かしら叫んでいるのは智機も自覚はしている。

「でも、必要もないのに熱くなるのは三流」

 力押しが有効とはいえ、全てがそれでまかり通るほどEFというのは甘くない。焼けた鉄の塊を片手に握りしめながら冷静に戦況を見極める神経が要求される。

「今は必要がないというのですか?」

「そうだ」

 智機はニヤリと笑う。

 その直後、カウンターで胴体部分を横一文字に切り裂かれたEFが爆発して閃光がスクリーンを染め、爆音が激しく轟いた。

「仮にオレがドジったらここで死ぬだけ。ファリルもそれが願いだったんだろ?」

 その事を持ち出されると、ファリルとしても何も言えなくなってしまう。

 ファリルは死を望んでいた。

 ふざけた操縦で撃たれれば何の問題もなく死ねる。存在しないものは何も感じない。わざわざ自らの手を煩わせることなく、勝手に殺してくれるのだから願ったりも叶ったりなはずなのに、いざ死と生の狭間に立たされると死を怖がり、生を望んでいる。

 ……死にたくない。

 優しい父母と妹のようなマリア、友達と一緒に笑い合って過ごした日常に戻りたい。

 でも、生きるためには乗り越えなければ山は高すぎる。

 だって、ファリルは公女なのだから。

「心配するな。こんなところで死ぬつもりはない」

 自分の弱い心を見透かされているようで、むかつくとは言わないが憂鬱にはなる。

「死ぬつもりはないのでしたら、少しは真面目になってください」

「いや、これは余裕」

「それがふざけてるっていうんです」

「戦闘中に携帯ゲーをやってるわけじゃないから」

「やってたことあるんですか?」

「もちろん」

「もちろんって……」

 おそらく無駄話をするような感覚で戦闘中にゲームでも遊んでいたのだろう。信じられない話ではあるが、ありえないとも言い切れない。

 なぜなら戦闘中でありながら、情報の精査やファリルとの会話に力を入れているにもかかわらず、死んでいないからだ。

 智機は真面目に戦闘をしていない。

 内心は読めないが少なくても訓練中の騎士たちに見られる熱さや必死さ、焦燥感みたいなものは感じられない。傍らにジュースやポテチを置きながらゲームに興じているような気楽さで戦いに挑んでいる。

 にも関わらず、ふざけたことに殺られるどころか被弾すらしていない。

 シュナードラのEFを数で圧倒していたクドネルのEFから集中攻撃を浴びても、ながら操縦でそれらの全てを紙一重で躱し、カウンターで簡単に撃破しているという現実のほうが悪ふざけを通り越して理不尽に思えてくる。いくら血をにじむような努力をしても才能の前には叶わない現実を見せつられているかのように。

 クドネルがへたれているという訳ではないのに。

 ふと、ファリルは気づく。

 戦闘中にも関わらず、Gがあまりかかっていない。

 EFの戦闘は高速で戦闘するのが基本なのだが智機はあまり動いてはおらず、従ってライダーや同乗者にかかる重圧も少ない。

 まるで熟練した運転手が運転するロールスロイスのリムジンに乗っているような感覚である。

 以前にファリルが搭乗した時、戦闘でないにも関わらず智機よりも激しい行っており、終わって降りた時には吐いてしまったが、今回はそういうことはない。もちろん撃破されない事が前提であるのだが、不思議とそのような恐怖感を感じなかった。

 智機が移動を多用しないのは、もちろんライダーどころか戦闘員ですらないファリルを気遣ってのことである。

 EFといえば高速機動が定番であるにも関わらず、その常識をあざ笑うかのような戦いぶりに智樹への不信感が戸惑いへと変化しているさなかに現実に戻される。

「公女様」

 智機が話しかけてきた。

「……なんでしょうか?」

「手紙は読み終わったようだけど、オレの事は書いてあった?」

 ファリルは黙って、文面を思い返してみる。


「御給智機大尉は若いですが最強の騎士です。私見ですが、蒼竜騎士団の騎士にも比肩する能力をお持ちです。お姉様に対して不遜な態度をとられるかもしれませんが、公国再建を望んでいるのでしたら、彼に全権を預けてください。評判は悪いですが、勝利に対しては誠実なまでに拘るお方です。彼の才幹が存分に震えるよう配慮をお願いします」


 マリアがそういうのだから信頼してもいいのだけど、智機の態度が微妙である。しかし、智機の身体能力の高さをその身で思い知らされたことを思いだす。

 ビルとEFを利用して三角飛びという真似は2度と体験したくない。

 ……そこで何故か下半身、パンツが濡れていることに気づく。

 原因を探ろうとするが、矢先に智機が言った。

「公女殿下。某を公女代行騎士に任命して頂きたい」

「代行……ですか?」

 智機の要請にファリルは戸惑う。

 代行騎士とは文字通り、公女の代行として責務を負うものであり、この場合は軍事をファリルに代わって行うことを意味する。智機の言葉はファリルの言葉でもあるので将兵は智機に従わなくてはならない。問題なのは、智機が外道なことを計画していて、ファリルの命令ということでやれてしまうということである。

 はっきり言ってしまえば専横。

 許してしまうことに躊躇うのも無理はない。

 マリアならともかく、智機の気心なんてしれないのだから。

「この国をどうこうしようというわけじゃない。滅びかけの国の称号をもらっても嬉しくないし」

 称号や権限というのは与えた組織の重さによって初めて効力を発揮するわけであって、滅びた国から与えられた称号というのは子供銀行の通貨と代わらない。せいぜい詐欺の道具として使えるだけである。

 自覚はしているけれどはっきりと言われると屈辱なのかファリルはうなってしまう。

「それなのに何故、ほしいんですか?」

「必要だから。偉い奴はどれだけ生き残っている?」

 分かるわけがない。

 EFの襲撃によって父母と離ればなれになってしまい、首相などの要人が生きているかどうか分からない。強いていえばクドネルとEFと熱戦を続けていた近衛騎士団が確認できる中では偉いのかも知れないけれど、生き残っているのが団長格か団員なのかは分からない。

「今のシュナードラにとって何が必要なのかといえばリーダー。なんならファリルが陣頭で指揮をとってみる?」

 とれるはずがない。

 ファリルは今まで普通の女の子として暮らしていた。少なくても少年でありながら硝煙の臭いをまとわりつかせた智機とは違う。操縦した事もないのに、EFの操縦しなくてはならないのと同じでどのように将兵たちを動かしていいのか見当がつかない。

 一歩間違えただけで、あるいは動かなかっただけで彼らが死ぬと思うと震えが止まらない。

 けれど、その役割が負わなくてはならないのは、どうやらこの国で一番偉いのがファリルのようだからである。


 ファリルの思考が止まる。

 

 暖かくて優しかった両親は何処にいるのだろう?


 立っていた大地が突然無くなってしまったかのような恐怖を覚えた。

 ファリルは両親のことが嫌いではない。

 むしろ、父と母、それにマリアの4人と一緒に暮らした、笑顔に満ち足りた時間が大好きだったのに。

 どうして触れようとしなかった。

 ファリルの脳裏に映像が再生される。

 爆風を受けて横転するエアカー。

 天地が2度3度ひっくり返る思いするが、辛うじて両親たちと脱出する。

 瓦礫が散乱して歩きづらい荒野となった大地を必死になって走るが、ビルだったものの破片に足を取られて転んでしまう。

 先を行っていた両親が心配そうに振り返る。

 その時だった。

「いやっ!!」

 思い出してしまった。

「いやっいやっいやっ」

 その先の光景を。

 思い出してはならない光景を

「いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやぁっっっっっっっ!!」

 ファリルがいきなり悲鳴を上げたので、火薬庫に爆竹を投げ込んでしまった事を智機は後悔するが、浸っている暇はない。

 五騎のEFが前方後方左右全ての方向から迫ってくる。それぞれが高速移動していて、その結果、一騎につき5騎6騎と分身している。

 フォンセカ改造機にしか乗れない分際で、分身機動をやるとは智機も感心してしまう。ドリフトに頼ってのことなのだろうけど。

 前面に敵、中ではファリルが泣き叫んでいるという頭の痛くなる状況でありながら智機はつまらなそうに呟いた。

「やれやれ」

 無数の敵が同時に襲いかかってきても問題ない。


 有象無象、それらの全ての敵を一瞬で切り伏せればいいだけの話。

「女の子が泣いてるっつーのに、おとなしくしろよ」

 智機はそれを実行してのけた。

 めんどくさそうな顔で。もとい、涼しい顔で。


 本体よりも何倍も大きくなった銃剣の光の刃が一閃して、敵騎の刃やビームライフルの弾丸が智機に到達するよりも早く、その敵騎たちを実物、幻関係なく切り裂いた。

 立て続けに爆発が5つ。

 閃光の花が爆発音と共に咲き、微細な破片を散らしながら消えるとそこにいるのは智機の騎体だけだった。

 クドネル側のEFは全て殲滅した。

 ようやく戦闘に決着をつけ、ファリルにだけ集中できる環境を造り上げると智機はファリルの様子を確認する。

「パパ、ママ、パパ、ママ、パパママパパママパパママパパママパハママっっっっ!!」

 正気を失っているファリルに智機は愕然とした。これならば、片手間で無数のEFと戦っている方がまだマシというのはさておき、哀しみと絶望に染まったファリルの瞳を見て、ファリルの身にどんな現象が起きているのか智機は一発で悟った。

 自分よりも大切な存在を目の前で奪われた経験なら、智機にもある。

 智機の場合は、その大切な人が悲惨な状態になって消えていくのをどうする事もできずに見守ることしかできなかった。


 遠ざかっていく宇宙船。

 やがて、炸裂する爆音。

 あの時のことは覚えている。

 存在を救えなかった自分と、そのような運命に追いやった世界への怒りと共に。

 ファリルはどうなのだろう。

 戦闘マシーンとして生まれてきた智機とお姫様として育てられてきたファリルとではキャラクターが違うだろうし、宇宙と地上では見れられる風景も違う。

 とりあえず、智機としては抱きしめて涙と恐怖をその身に受け止めるしかなかった。

 爪が深く食い込んでくるが、気にもならない。

 どうすれば彼女の哀しみを癒せるのかは分からないが、少なくてもひとりぼっちにさせるのは危険だった。

 暴れるのを押さえ込みつつ、背筋や頭を撫でてやる。

 無論、それだけで収まるほど甘くはないが、最初に比べれば落ちついてくる。

 このまま静かになってくれればいいかなと思いながら、智機は正面に視線を向けた。

 クドネル側のEFは全て殲滅。

 残ったシュナードラのEFが智機を取り囲んでいる。

 数は5騎。

 1対5では結果が知れているように見えるが、量が戦局に何らかの影響も与えないことは智機の戦いぶりが証明している。

 彼らは囲んだまま動けないでいる。

 当然の話で、軽く20騎以上はいたEFを智機がこともなげに殲滅した。鬼神のごとき智機の戦いぶりを目の当たりにして、それでも戦いを挑む奴がいたとしたら、そいつはバカを通りすぎて知的障害者といってもいい。

 しかも、智機が片手間で撃破していた事を知っていたら彼らは絶句かもしくは絶望しただろう。

 ファリルが懇親の力をこめてしがみついているおかげで動きが制限されているので条件は厳しいが、それでもこいつらを殲滅できる自信が智機にはある。むしろ、ハンデとすらいってもいい。

 この場合はどうしたらいいのだろうか。

 答えはスピーカーから流れ出る。

「メネスのライダーに告げる。我々は卿と話し合いを所望する」

 倒せる相手ではなく、かといって話し合いが通じない相手ではないという事であれば、やる事は一つだけである。

「ふざけるな、ディバイン。大隊長を差し置いて交渉など僭越にもほどがある」

 年かさらしい男が最初に話しかけてきた男を責めるのを見て智機は複雑な気分になった。経験上、この手のタイプは偉そうな態度の割には使えない人間が多い。クルタ・カプスやカマラでは敵よりもこの手の味方に苦労させられた。

「オレはディバインという人物としか交渉しない」

 最初に話しかけてきた人物のほうが物わかりがいいと判断。メインチャンネルで宣言すると何とも言えない空気が流れ込んできたような気がしたが、智機は構わず続けた。

「ターミナルアンカーを射出する。手を上げてくれ」

 手を上げてきたEFに狙いを定めて、グリップではなくセンターコンソールにあるボタンを押した。

 胸部装甲の一部が空き、ピンク色に塗られたケーブルがEFに向かって射出される。

 先端がコネクタになっているそれはターミナルアンカーといって、EF同士が有線で通信を行うために使われるものである。ネットワーク社会においての一番の防諜手段がネットワークを使わないことというのは今も昔も変わらない。

 射出されたアンカーをそのEFが接続してきたのを確認する。

「小官はブルーノ・ディバイン、シュナードラ公国近衛騎士団騎士だ。貴官の名を知らせよ」

 スクリーンに表示されたウィンドゥに写っているのは20代前半の北欧系とおぼしき美青年である。

 ディバインはやや驚いているようだった。

「オレは御給智機、傭兵大尉。公国侍女、マリア・ファルケンブルグの依頼を受けて公国軍に加勢しにきた」

 EFに乗っている智機を見て驚かない人間というのは少ない。少年ライダーというのは極めて稀な存在だからである。

 おかげで智機からすれば、自分を見た時の反応がその人物の器量を計る物差しとして使える。

 ウィンドゥが二つ現れる。どうやらディバインの騎体に勝手にアンカーを接続したらしい。

「大尉だと? 冗談も大概にしろ、坊や。EFは子供の玩具じゃないんだぞ」

 そういってきたのは中年の男性で偉そうな態度を取っている。声から受ける予想が現実と一致そうではあるが、あまり嬉しいことではない。

「EFはおっきい子供の玩具でもないんだけど」

「なにぃ、貴様。口答えするかっっ!!」

「僕はハルドレイヒ・ヒューザー。ブルーノと同じく騎士だ」

 会話に割り込んできたのは見たところ17か18ぐらいの人なつっこそうな青年だった。ただし、ヒューザーの場合は見た目よりも歳を食ってそうな感じはある。

「君ってほんとに凄いなあ。特に最後のアレなんかどうやったらあんな風にできるわけ? どうやったらできるのか後で僕に教えてくれよ」

 ここまで無邪気に感動されると違う意味で反応に困ってくる。年上にも関わらず素直に賞賛できるのは素晴らしいことかもしれない。

「その少女は?」

 ディバインが智機に抱きつきながら泣いている少女の存在に気づく。

「女の子を乗せて搭乗とは……って、おい」

 陽気なヒューザーも少女の顔を見て、反応が止まる。

「バカもん。きゃつの隣に座っているのは姫様できないかっっっ!!」

 3人がようやく智機の同乗者の正体に気づく。

「ファリル姫は当方が保護した」

 智機の宣言に3人は色めきたつが、ファリルの様子を見て上がったテンションが下がっていく。

「……どうしちまったんだよ、姫様」

「姫様に何があったんですか?」

「悪夢を思い出したらしい」

「公王陛下は?」

「姫様の反応を見た感じでは、どうやら死んだらしい。……見ちまったんだろうな、きっと」

 三者三様の沈黙が訪れる。

 智機とは違い、彼らはシュナードラの近衛である。守るべき人を守れなかった悔いや哀しみなど色々とあるのだろう。

 けれど、哀しみに浸っている余裕はない。

「ブルーノ卿。軍の司令官や政府閣僚の生存状況を教えてほしい」

「まず、近衛騎士団の残存兵力は小官たち五騎のみです。騎士団長は戦死。現在の指揮は第三大隊長のヴォルフガング・ノヴォトニー卿が努めております。首相官邸ならび官公庁街も壊滅、政府閣僚も全滅です」

「ということは、シュナードラ公国の元首はファリル公女ということでよろしいですか?」

「恐らくはそうなりますね」

「こら、儂を無視して話をすすめるな」

 もちろん智機は聞く耳をもたない。

「よくやった。でかしたぞ、少年。とっとと姫様を我に渡すがよい」

「悪いがメネスを強奪する過程でハッチを壊して溶接したから、自力で開けることはできない」

 ノヴォトニーの勝手な要求を智機は拒絶。

「ならば儂が開ける。じっとしてろ」

「断る」

 外側からの刺激でハッチを開けることはできるが、破壊という形になるので戦闘が困難になる。

「貴官はシュナードラに加わるといったな。ならば貴官は儂の部下ということだ。軍では上官の命令には絶対に服従。わかったら、さっさと引き渡せ」

「残念だが、貴官にオレへの指揮権はない」

 智機が冷ややかに言うとノヴォトニーは怒りで顔を真っ赤にさせた。

「貴様っっっっ!! 何を言っているのかわかっているのかぁっっっ!! 貴様がシュナードラに志願する以上、現在の最高指揮者にあたる儂の命に従うのが当然というものだろうがぁっ!!」

「妄想乙」

 智機の口元から冷ややかな笑みがこぼれ落ちる。

「妄想乙とはなんだ。無礼だぞ」

「それ以上貴官の下らない妄想を聞いている時間はない。ファリルを寄越せ? なら奪い取ってみせろよ。力づくで」

 智機が言い終わると沈黙してしまう。

 できるはずがない。

 数に任せて殲滅しようとしていたクドネルのEFを単騎でありながらこともなげに殲滅したライダーを相手に勝てるわけがない。

 しかも、ファリルを人質に取られているのだから付けいる隙すらねない。

 静かになったところで智機は厳かに宣言した。

「小官は公女殿下より公女代行騎士を拝命した。これより貴官たちは我の指揮下に入ってもらう」

 智機の言葉に3人のライダー達は言葉を失った。

 ノヴォトニーは怒りで固まり、ディバインは疑問、ヒューザーはあっけにとられた後、面白そうな表情を浮かべる。

「要求はなんだ? 誘拐犯」

 智機が宣言したところで説得力は皆無であり、ファリルを誘拐したと見るほうが自然である。智機は思わず「誘拐犯じゃねえ」と突っ込みそうになったがヒューザーの笑みを見てやめる。

「姫様から真偽を確かめたい」

「姫様はまともに話せる状態ではない」

 ディバインが裏を取ろうとするが智機は拒否した。実際、さっきより落ち着きはいるものの錯乱していることには変わりなく、まともに会話できる状態ではない。

「貴様が代行だとぉぉっっ ふざけるなぁっっっ!!」

「それ以上は抗命と見なして銃殺するぞ」

 命令するより所を失ってノヴォトニーは絶叫するが、笑いどころである。

 もっとも、代行騎士というのは智機の自称なのだが。

「誘拐犯からの要求だ」

 いい加減に茶番は終わりである。

「首都シュナードラは残念ながら落とされた。我々、シュナードラ軍はこの地より撤退する」

「ふざけるな。近衛騎士に撤退などありえんっっ!!」

「了解しました。代行殿♪」

 ノヴォトニーは絶叫しっぱなしであるが、ヒューザーはノリノリで受け入れた。

「了解しました。代行殿の方針は?」

「ディバイン。そいつは代行ではない」

 ディバインも受け入れたようである。ノヴォトニーを鮮やかにスルーすると騎士らしい提案をする

「我ら騎士一同が盾になりますので、代行殿はその隙に」

 近衛騎士団の目的は自らを盾にして王族の命を守ることにあるのだがらディバインンの提言は当然といえるのだが。

「むしろ、その逆?」

「逆?」

 言っている間に智機はクドネル軍の配置データを各機に転送する。

「敗北が決まった以上、我々に出来る手段はただ一つ、残存兵を可能な限り集めて撤退すること」

「穴が空いてるよな」

「それは罠だ。ハルドレイヒ卿」

「また学校で習ったことを忘れたのか? ハルド」

「うひー。厳しすぎー」

 転送されたデータを見て、ヒューザーが包囲網にある穴の存在を指摘するが智機とディバインから即座に突っ込まれてしまう。

「じゃあ、どうすりゃいいんだよ」

「オレが全員の脱出を支援する」

「支援って何をするんだ?」

「これから敵旗艦を落として指揮系統を混乱させる。穴が空くから、そこからまとめて脱出しろ」

 3人ともこの指示には唖然とする。

 首都の攻略には戦艦3隻、巡洋艦12隻からなるクドネル第二艦隊があたっている。それだけでEFの総数が120騎に達している戦力であり、加えていくつかの傭兵艦隊が加わっているので200騎は越えている。

「敵旗艦を撃破って簡単に言うかな……」

 智機がやろうとしているのは一言でいえば敵中突破である。それを一騎でやろうというのだから無茶以上に……おかしい。

「代行殿が我らの及ぶところではないエースだというのはわかりますが」

 普通に考えるなら絶対に無理。

「お前ら、こやつは代行ではない!! 痴れ者を倒せ」

「代行殿の騎体には姫様も乗っていられるのですよ」

 ましてや智機の傍らにはファリルがいるのである。智機1人ならまだしもファリルの命を賭けていいものではない。ファリルが死んだらゲームオーバーなのだから。ディバインの危惧は当たり前である。

「小官は代行殿も我らと共に行くべきだと具申します」

 ありったけの味方をかき集めて撤退をするのであれば、智機も同行すべきというのは理にかなっている。戦力を可能な限り集中するというのは基本中の基本だ。

 実際、智機もそれを考えた。

「ブルーノ卿の具申は大変有り難いものではあるが、残念ながら却下させてもらう」

「その理由は?」

「姫様が同乗しているのとメネスの性能から勘案すると、君たちを守りながらの戦闘が難しいからだ」

 智機が言い終えると間が空いた。

 言葉はないが、熱が空間を焼いている。

「僕たちを守りながらか。随分と舐められたもんだね」

 シュナードラの騎士たちが足手まといだと言っているのも同然だった。実際に騎士と智機の戦闘力には大きな差があるのも事実で、共に行動させると智機が騎士たちに合わせることを強いられ、智機の良さを殺してしまうことになる。その影響は極めて大きい。

「貴様。甘言を弄して姫様を売るつもりだな」

「売り飛ばすのに、いちいち貴官らに相談するか」

 ファリルを売り飛ばすのにわざわざ騎士団の面々と相談する必要はない。

「いったい何をやられるつもりなのですか?」

「秘密」

「……自信があるのは結構ですが、甘く見ていると火傷しますよ」

 ブルーノの言葉に刺がないといったら嘘になるのだけど、智機はスルーする。

「肝に銘じておく」

「ハッチを壊すことはわかるんだけど、代行殿が突撃するのであれば、やっぱり姫様は僕たちに預けたほうが」

「卿達に姫様を預けるより、オレが守ったほうが生存率が高い」

「さいでっか」

 単騎で敵中突破を仕掛けるよりも、集団で包囲網突破を狙うほうが生存率が高いのは自明なのだが、いつまでも通用すると思うな常識である。

 ……出来れば通用してほしいのだが。

 もし、彼らがコクピット内での状況を知っていたり、智機がEFを強奪する過程を見ていたのであれば絶句していただろう。

「貴様。そんな勝手が認められると思うのか」

「ならば作戦案を提示してくれ。検討に値するものであれば検討はする。ただし「公国と騎士団の尊厳を守るためにオレ達は玉砕する」というのは却下」

 ノヴォトニーは当然のように文句を言うが、智機に切り替えされて絶句する。

「玉砕の何が悪い。こうなった以上、我の誇りと……」

「全て悪い」

 それでもノヴォトニーは反論するが、冷静に切り捨てられる。

「貴様は誇りと尊厳とか抜かしているが、現実から背を向けて逃げるのを美化してごまかしているだけだ」

「……このッッ!!」

 ついに切れたノヴォトニーはライフルの銃口を智機に向けるが、その怒りも凍り付く。

「大隊長殿は大人しくしてください」

「…き、貴様。上官に向かって何を」

 ディバイン騎がノヴォトニー騎の脇腹にライフルを突くつけていた。

「今の上官は貴官ではなく、代行殿です」

 かつての上官に向かってディバインは冷静に言い放った。

「代行だと? それは奴が勝手に言っておるだけだ」

「姫様が認めたのか自称なのかはさだかではありませんが、彼が姫様を確保しているのと、我々を瞬殺できる事は事実です。加えて、彼の命令は無茶ではありますが有益だと判断します」

 ディバインはそれでかつての上司を黙らせると今度は智機に向かって問いかけた。

「貴官に問う。この状況であっても、シュナードラに勝てる見込みがあるというのか?」

「確かに勝算があるとはいえない」

 首都は落とされ、公王以下の要人は壊滅、残っている戦力も詳しくはわからないが少ない。下手をしたら、この五騎だけかも知れない。だから、智機としても調子のいいことはいえない。

 智機は笑った。

「でも、勝算がなかったら死ぬというのか。貴官は」

 全員に怒りが走ったのは、智機があからさまに彼らのことをバカにしていたからである。

「貴様っっ」

「ブルーノ・ディバインに問う。貴様は何がしたい?」

 ディバインの激昂を智機は冷ややかにスルーする。

「何をって、何をだ」

 相も変わらない涼しげ態度とは裏腹に、モニタ越しに伝わる迫力がディバインの内側から吹き上げた怒りを縛り付ける。

 どうみても14歳の迫力ではなく、それに比べればディバインたちの怒りはちっぽけなものでしかなかった。

「貴様は何をしたい。勝ちたいのか、騎士団の誇りとやらに殉じて死にたいのか、それとも負け犬としての一生を送りたいのかどっちだ?」

 彼らは動くことが出来なかった。

 軽くて弱そうな外見とは裏腹に、全身から放出される空気が騎士達の心を縛り付け、地面に押し潰す。

 智機は敵に対峙するように彼らに向かって気を発している。気は騎体を包み込むように広がり、智機のメネスを何倍もの大きさに見えている。

 彼らは悟った。

 智機には絶対に勝てない。

 少年でありながら、年上の彼らを圧倒している。何倍物の戦闘経験を積み重ねている。智機がシュナードラ軍にいるのであれば、智機よりも強いシュナードラの兵士なんて存在しない。

 魔王のような智機から、ディバインは生きる意味を突きつけられる。

 他人の命令や状況に流されるのではなく、自身が心から思う道。

 ディバインは答えることができなかった。

「死にたいというのならそれでも構わない。でも、障害があるから、戦わなくてはいけないから、それだけで生きるのを諦めてしまうのか?」

「……ぶち壊して進めということなのか?」

「そういうこと」

 今度は毒のない笑みと共にディバイン達を押し潰していたプレッシャーも消えた。

「無茶苦茶な方ですね」

「人間、いつかは死ぬ。オレも貴様も。ただ、死に方といっても色々ある。死に様を強制されるか、あるいは全力で足掻いた末に死んでいくか、オレは後者のほうがいいと思っている」

「そういう代行殿は死んだことがあるんですか?」

「こいつは1本取られた」

 ヒューザーが茶々を入れたことによって、いつもが完全に戻ってくる。

「それに勝つためには、姫様にも危ない橋を渡ってもらう必要がある」

「どういうことですか?」

「敵が攻めてきて、味方を置いて真っ先に逃げ出すトップと、最後まで踏みとどまって1人でも助けるトップ。信用するのはどっち?」

 シュナードラのパイロット陣はお互いに顔を見合わせる。

 当然のことながら、信頼できるのは後者である。

 最高指揮者は一番最後に死ぬのが鉄則だとはいえ、みんなを守るために身体を張らなければ、人はついてこない。今がまさにその時だった。

 そして、それは先々のことを智機が考えているからだともいえる。


「そういえば、忘れていたことがあった」

「なんですか? 代行殿」

「自己紹介を忘れていた。戦歴データを送る」

 智機はタグに封入されている自身の経歴を三騎に送った。コネクタを通じてディバイン達の騎体にも伝達される。

 三人は一瞬、意識が飛んだ。

「……マローダー……カマラのマローダー…だと」

 ノボトニーはこんなガキがトップクラスの傭兵だと信じられないといった顔をしていた。ノボトニーの反応が普通だろう。予想の範囲内ではある。

 ヘルメット越しにでも伝わる。

「よかったな、少年」

 殺人鬼を見るような眼差し。

「うちの首相。代行殿が来たら平和と人道に対する罪で処刑すると息巻いてたぜ」

「ひどい話だ」

「ひどいのは代行殿だろ。戦争だとはいえ、民間人の大量虐殺なんて許される話じゃない」

「勝ってしまえば、そんな弱者なんか最初からいなかったことになる。問題ない」

「……」

 ヒューザーが憤るのも無理もない。

 許されないことをしておきながら、後悔する訳でもなく、それどころか自慢しているような口ぶりなのだから腹が立たないほうがおかしい。

 しかし、勝ってしまえばなかったことにできてしまうことをリアルタイムでやられるているのが、シュナードラの現状である。

「それでも、今のシュナードラには代行殿の力が必要だ」

 絶対的なエースを見る畏敬と

「代行殿はこの戦況をどのように判断しますか?」

 そして……希望。

 智機は言った。

「ここはまだ地獄じゃない」

「地獄じゃないだと…」

 破壊されたビル、地面に散らばる瓦礫、随所に立ち上ると炎と煙、そして火事だけでは説明がつかない色々なものがまぜこぜになった臭い。

 昨日までは美しかった街が見る影もなく破壊され、大勢の人々が住む家を無くして焼け出される惨状がリアルタイムで展開されているにも関わらず、智機は地獄ではないと言い放つ。たくさんの人々が死んでいるにも関わらず。

「破壊はされている。が、それだけだ。カマラに比べればぬるい」

 智機がただのガキであれば、ぶん殴っていただろう。

 でも、ただのガキではないことは、彼の持つ名前と経歴が証明している。 

 問題はあるけれど、実力があるが故にも問題を起こせるともいえるエースが目の前の地獄そのものな光景を目の当たりもしながらも、地獄ではないと言い放つ。

 ディバインは言う。

「この戦い、もしかして勝てる……と」

「姫様が捕まっていたらアウトだったけれど、確保できたから問題ない。後はお前ら次第」

「オレ達次第?」

「オレは外人だ。この星の人間じゃない。勝てる余地は僅かばかりはあるけれど、お前ら自身にやる気がなければ勝てる戦も負ける。ま、お前ら全員、うんこをしたらトイレットペーパーで尻を拭く程度の決断すら出来ないへたれだとして方法はある」

「その方法は?」

 ヒューザーは聞いてみたが、その判断を後悔することなる。

「カマラをここで再現するだけ。その時は、姫様は預けるとして、お前らは時間を稼いでくれればいい。相当タイトになるけれど、やってやれないこともない」

「カマラを再現って……正気か」

「今なら、クドネルの連中は大気圏外から衛星を落とされるなんて思っていないはずだ」

 言葉の意味に、智機以外の人間は絶句する。

「正気も何も分が悪い賭けに賭けた。賭けたからにはどんな手段でも勝ちにいく。救われるのだから、お前らにとっても悪い話じゃない」

「大勢の人たちが死ぬんですけど……」

「それがどうした」

「それがどうしたって、貴様は人間かっっ!!」

 智機の人を人と思っていない態度にノボトニーが激発するが、智機はあくまでも覚めていた。

「大勢の人間を殺す程度で鬼畜呼ばわりされるなら、貴様らも同罪だ」

 周囲の空気が一気に沸騰する。

「……僕、代行殿のように大量に人は殺してませんが」

「でも、無能さ故に首都にまで敵軍に攻め込まれ、たくさんの人を死なすことになった。貴様らが有能であれば、そこまで死ぬことはなかった。つまり、貴様らの無力さが殺した。違うか」

 智機の意図を理解すると熱が一気に静まり変える。

 政府の意向はどうあれ、シュナードラ軍が強ければクドネル軍を国境線で押しとどめられたかもしれない。国王以下の人々が死ぬことはなかった。

 結果として守りきることができなかった。

 言い訳がヤマほどあるが、どう言いつくろうとしても死んだという事実をぬぐい去ることはできない。

「貴様らの無能さによって死ななくていい人々が大量に死んだ。故に貴様らはその責任をどこかで払わなければいけない。ただ、破産管財人、あるいは弁護士として雇われたオレとしては、オレの都合のいい形でツケを払いたいだけだ。シュナードラの人は死ぬのは嫌だけど、クドネルの人が死ぬのも嫌だ? なら、死ねよ。邪魔だから」

 智機の良心に突き刺さりまくる指摘に3人は沈黙を余儀なくされるが、沈黙は短い。

「わかった」

 ディバインの語尾に密やかな怒りがこもっていた。

「そっか。死にたいのか」

「この地はオレ達のものだ。クドネルでも、お前のものでもない。この地の未来はオレ達が決める」

「ブルーノ……」

 ヒューザーの呟きが響いた。

 そして、笑い声がこぼれる。

「了解した。ブルーノ・ディバイン」

 人を殺したくて殺したくてたまらないといいたげな智機の笑みだった。

「了解しました。代行殿」

 笑みは一瞬で智機は真面目な顔をして、司令官としての命令を下した。

「残存する戦力を可能な限り集合。包囲網を突破した後はガルブレズに集結。復唱せよ」

「こちら、ブルーノ。残存する戦力を可能な限り結集。包囲網を突破した後はガルブレズに集合」

「なお、騎士団団長代行にブルーノ・ディバイン。補佐にハルドレイヒ・ヒューザーを任命する。これは公女の命である。トップは貴官。責任をもって残存兵力を指揮せよ」

 この難局を乗り切るためには命令系統が確立されてなければならない。リーダーの資質以前にリーダーさえいなければ組織だった行動はできない。つまり、1人1人が孤立したまま叩き潰されることを意味する。幸いにして公国なのだから、現在の最高権力者である元首の命ということであればまとまるだろう。

 ディバインはいったんは驚いたけれど、すぐにポーカーフェイスを取り戻した。

「その命、謹んでお受けいたします」

「僕が補佐か。ケチだなあ」

 口ほど不満というわけではなく、むしろ楽しんでいる。

「話はだいだい終わったけれど、一つだけ聞きたいことがある。レッズと呼ばれる集団を見たことがあるか?」

 この戦場で唯一、気がかりなのはレッズと呼ばれる集団が見えないことだった。予備兵力として待機していると考えるのが穏当であるが、問題は何処で彼らが投入されるかである。

 脱出はしたはいいものの、集結先のガルブレズで伏兵していましたといったら流石の智機も白旗を掲げるしかない。

「レッズに会ってたら、ボク達生きてないってば」

 ヒューザーから苦笑がこぼれ落ちた。

「代行殿の騎体にデータはないんですか?」

「ない」

 クドネルのEFを強奪しているとはいえ、分かったことはこの戦場にはいないという事。それとレッズの立ち位置だけである。

 レッズは重要機密扱いの存在であり、フォンセカのローコスト改造機にしか乗れないような傭兵風情に動向を明かせるはずがない。

「諸君に尋ねたいことがある。レッズの姿が見えないが、キミ達ならどう見る?」

「普通に考えれば予備兵力として置いているのでしょう。残念ながら先の戦いで趨勢が決まってしまいましたから。万が一ということもありますし、無理して前線に出す必要はないかと思います」

 まず、ディバインが先陣をきる。智機と同じような感想だが、常識的な思考だといえる。

「最初からうちらの負けが確定していた戦いだし、ひっくり返せると思えるバカは何処かの代行殿ぐらいですかね」

 伏せ字になっていない。

 でも、こういう雰囲気は智機も嫌いではない。

「一番恐ろしいのは、逃げ出した先に伏せてあったということでしょうな」

 ノヴォトニーもいい加減に諦めたらしい。

「ガルブレズってどんな街だ?」

「一言でいうと辺境、ど田舎だね」

「南洋の孤島であります。攻撃方法が限定されるので守りやすい地形ではありますね」

「国立公園みたいなところだから、逃げるには便利かもね」

 守備側より攻撃側が有利なのは、攻撃側が自由に攻撃目標を選べるけれど、守備側は守らなければいけないポイントに部隊を割かなければならないからである。多ければ多ければ回せる数も少なく、各個撃破の餌と成り果てる。

 智機は安心することにした。人よりも牛や羊のほうが多い場所にわざわざ兵力を分散させるメリットがない。この展開はクドネルにとっても予想外であり、対応するには距離が遠すぎる。

「もう一つはクドネルも一枚岩ではないとは思われますが」

 さんざん智機に文句をつけてきただけに説得力がある。3人だけだというのに親智機と反智機に別れているのだから、国軍であっても様々な派閥がある。ましてや、クドネル軍には多数の傭兵軍が参加しているのだから、クドネルと傭兵軍のバックについている勢力との間に色々な軋轢があるはずである。

 むしろ、まとまっているほうが不思議。

 勢力と勢力の間隙を突ければ勝ち目が見えてくるかも知れない。そこまで生き残ることが出来ればの話だが。

「最後にお前らに言っておきたい言葉がある」

「なんすか? 代行殿」

 ヒューザーの声はどう解釈してもふてくされている。その様子に智機は安心したようにほくそ笑む。

「そんなに大した言葉じゃない」

 智機は宣言した。

 獲物を虎視眈々と狙う野獣のような瞳と笑みで。

「新欧州連合アルビオン国シャフリスタン艦隊及び、旧カマラ人民民主主義共和国軍第72装甲騎兵師団バビ・ヤールはこれより、戦闘を開始する」


 アンカーを切り離し、爆音を響かせて、急速に遠ざかっていくEFをディバインは見つめていた。

 あっと言う間に空の向こうへと消えていくEFのように事態はディバインの想像を超えたスピードで進んでいた。

 クドネルの侵攻が始まってから1ヶ月も立たないうちに首都が落とされるなんてあり得ないだろと誰かに突っ込みたくなる。フィクションとしてでも企画段階でも没にされるような現実にした誰かに。

 本来なら、騎士というエリートになれたのだから金に困ることもなく、人々からの尊敬を集め、いい嫁さんを貰って暖かい家庭を築いて、安穏に一生を終える予定だった。

 でも、生きていくためには受け入れたくない現実を直視するしかない。

 そう、生きるためにも。

 士官学校を卒業して騎士団に入団したばかりのルーキーではあるが公国と公家への忠誠は骨の髄まで叩き込まれており、今回の戦いではノヴォトニーがさんざん叫んでいたように、圧倒的な敵軍を前にしても一歩も引かず、騎士団の誇りを胸にして鮮やかに散華するはずだった。

 騎士とはそういうものだから。

 でも、智機は真っ向から否定した。

 まさか自分よりも遥かに年下な少年から説教されるなんて思いもよらなかった。

 そして、今は戦場のまっただ中にいるにも関わらず、状況を忘れて呆然としていた。

「ブルーノ。シャフリスタン艦隊はともかく、バビ・ヤールはどれくらいの規模だったんだ」

 同じようにヒューザーも呆然としていた。

「バビ・ヤールは名前こそ師団だったが、実際は最大でも旅団程度の規模しかなかったそうだ」

 智機の言葉は言葉こそ行行しいが、要は「我々は戦闘を開始する」程度のことしか言っていない。

 部隊名を羅列していたが、シャフリスタン艦隊もバビ・ヤールもとっくの昔に消滅している。つまり、たった一人であることには変わりがなく、それこそ誇れるものがなにもない子供の世迷い言でしかない。

 にも関わらず、これほど心を踏みつぶす言葉はなかった。

「つまり、一個艦隊と一個旅団がボク達の味方してくれるということか」

 あの時、智機は一人ではなかった。

 あの瞬間、あの場に居たものだちは智機に付き従う複数の人間、それこそ一個師団はあろうかという兵士たちの存在を感じていた。

 存在しないはずなのに、それは確かに智機と共にあり、そして彼ら1人1人が持つ存在感がディバインたちの心臓を直に踏みつぶした。

 だから、あの場にいたのは智機1人ではない。

「オレ達はライダーだ。士官学校を卒業して力と運で近衛部隊に配属された」

 喉の奥から苦いものがこみ上げる。

「でも……オレ達のやっていたことはライダーごっこだった」

 御給智機について知るところは少ないが、ディバインやヒューザーが平和な生活を謳歌している中で、地獄のような世界で戦い、生き延びてきただけは分かる。それでも知らない人からすれば同じライダーだというのが、ディバインには滑稽に思えてならなかった。

「なに感慨に浸ってるんだよ」

 幼い頃からの腐れ縁であるヒューザーが茶化す。

「もっとも浸りたくなる気持ちもわかるんだけどね。僕だって展開の早さについていけてないんだから」

 智機はディバイン達に生きる道を示したどころか、希望はあるといってのけた。こんな状況でもひっくり返せると思うのはただのバカにしか見えないのだけど、智機は本気でやろうとしている。そんな智機を見ていると根拠もないのにやれてくるように思えてくるのが不思議だった。

「頑張ろうぜ。団長代行殿」

 これからのことではあるが、智機に同調してしまった以上、ヒューザーと共に智機側として行動せねばならない。好むと好まない関わらず。

「そうだな」

 でも、そんな日常も悪くもない。

 何も代わらない日常の繰り返しで一生を終えるよりも、こっちのほうが遙かに面白いとディバインは感じていた。さっきまでは死を覚悟していたが今は違う。力を尽くせる余地があるのなら限界まで出し尽くすというのが騎士の本文でもあり、それ以前に死にたくなんてない。生き残る余地があれば這い上がりたい。

 ましてや、くっそたれなクドネルに一撃を食らわせられるというのであれば。

 負けたままで終われない。

「でも、レッズと代行殿。どちらが強いと思う?」

 しかし、勝つのは容易ではない。たとえ智機であっても。

 クドネルの赤い悪魔たち。

「レッズのライダーと代行殿の技術は拮抗していると思う。ただ……」

「数も多いけりゃ、EFも圧倒的にしょぼいもんな」

「明らかにライダーの技量に追いついていない。代行殿にふさわしい騎体があると思うんだが」

「でも、たった一つだけ言えることがあるぜ」

 ヒューザーは自信たっぷりに言った。

「それは?」

「あいつらは、これから地獄を見ることになる」


 いつでも父の背中は大きかった。

 気が強めな母親に常に尻を敷かれながらも、ファリルの顔を見るたびに優しく笑ってくれた。

 そんなに身体が大きいわけではなく、筋肉質というわけではない。でも、背負ってくれる背中がとっても大きくて、母親に叱られたり、友達と些細なことで喧嘩になって憂鬱になったとしても、父親に頭を撫でられたり背負ったりしてもらっているうちに、いつしか寝入ってしまって暖かさの中で眠ってしまい、目が覚めた時には嫌なことも悲しいことも消え去っていった。

 あったかな父親の背中。

 ファリルは憎しみも哀しみもない幸せな世界にいる。

 ただ、暖かさしかない世界に。

 けれど、身体に何かが辺り、聴覚がかすかな騒音を捉えて意識が覚醒へと向かう。

 瞼が開き、ぼんやりとした画像にピントが合いだしてくる。

 360度に広がる空の風景と、前方にある複数のモニタ。両側に張り出しているサイドスティックというEFのコクピット

「…………」

 父親ではなく、見知らぬ少年に抱きついていることに気づいてファリルの顔が真っ赤に染め上がる。

 心臓が激しく鼓動する。

 初めて会ったばかりの少年を無意識で頼ってしまった罪悪感と自身の情けなさ、そして父親と同じような安らぎを覚えてしまったことによる恥ずかしさが混ざり合って表現しようにないものとなってファリルを責め立てる。

「おはよう」

 その少年……御給智機は片手で書き物をしている。どうやら自動操縦にしているらしい。

「……その、ありがとうございます……」

 心を絞り出すようにして、ファリルは言葉を紡ぎ出す。

 智機には色々言いたいことはあるが、助けられたのは事実だった。特に精神面において、智機がいなかったらどうなっていたか分からない。

 智機といれば安心することができた。

「あと、ごめんなさい……」

 経緯は知らないが智機の行動を束縛していた事はわかる。それだけに申し訳なさが先に立ってしかたがないが智機は笑って、ファリルの頭を撫でた。

「あんまり気にするな」

 その感触がとっても気持ちよかった。

 現在の状況はというと何処かに向かって飛んでいることは分かる。

 いつの間にか戦闘は終了したらしいが、その代わり、砲撃によって破壊された都市の廃墟の背景として浮かぶ空に点在するのは散々、見せつけられてきたクドネルのEFである。これだけ見ている限りではシュナードラ全軍は覆滅してしまって、この広い世界にファリルと智機しかいないような錯覚を覚えてしまう。

 智機がぼそりといった。

「行きたかったんだろ。両親のいる世界に」

 明らかに気をつかっている優しい言葉に、ファリルは逃げ出したい現実を思い出す。

「はい」

 優しくて暖かかった両親はもう、いない。

 その両親を奪い去った世界というのは、少女にとっては余りにも苦い。

 横顔を思い出すたびに泣きそうで、胸を生きながらして切り裂かれそうなぐらいに辛いのに、どうして生きなければいけないのか少女には理解できない。

 何故、こんなにも苦しい想いを味わなければいけないのだろう。

 それほどの罪を犯したというのだろうか。

 世界は自殺はしてはいけないと言う。

 でも、それがどうしたというのだ。

 苦痛から逃れようとして何が悪い?

 この先は地獄しかないのに、よってたかって歩かせようとするのは正しいことなのか?

 ――でも、ファリルは死ねなかった。

 死ぬ機会はいくらでもあったはずなのに、未練たらしく生にしがみついている。

 ファリルの背筋に冷たい汗が流れ落ちる。

 ……見渡す限り敵ばかりというのはとてつもなく恐ろしい。

「今は大丈夫。奴らから見れば、この騎体はまだ味方だから」

 智機が奪ったのはクドネルの騎体であるからクドネルの陣内を横行してもさして問題になることはない。ただ、所定の持ち場から離れているので遅かれ早かれ行動を怪しまれることにはなる。

「しくじったら死ぬだけだ。心配はいらない」

「……それはそうですけど」

 智機の人の悪い笑顔に却って不安を覚えるが、殺してくれと頼んだだけにそれを言われるとファリルは何も言えなくなってしまう。

「智機さんはその……大切な方を亡くしたことはありますか?」

 失礼な質問だと思いつつも、ファリルは言った。それはファリルにとって必要なことだった。

 智機は平然と答えた。

「いっぱい」

 ファリルは息を飲む。

「…いっぱい、ですか」

 どんな人生を辿ったら大切な存在をいっぱい亡くしたといえるのだろうか。しかも、ファリルと智機はそんなに歳が離れていないというのに。

 本当だとしたら想像を超えた人生を歩んでいるといえるのだけど真実なのか、それとも冗談で言っているのかは分からない。

 ただ、そういった時の智機の眼差しが、現在ではない何処が遠い場所を見つめているような感じがした。

「智機さんは……どうしたんですか?」

 もし、智機が本当に大切な人をいっぱい亡くしたというのであれば知りたかった。

「大切な人を亡くされて、どう思ったんですか? 何をしようと思ったのですか?

 大好きな人が存在しない世界の中でどうして智機は生きようとしているのだろう。

 ファリルの目から見れば、智機は葬り去りたい現実を受け入れて、何事もなかったかのように生きているように見える。

 どうすれば絶望を受け入れて、智機の境地に立てるのか知りたかった。

 狭いコクピットの中は静かになる。

 さしもの智機もこの件に関しては深く考えてみたことがなかったのだろう。漠然としたものはあるが形にはなっていないので、形にするための時間を必要とした。

「そうだな……オレの場合は悲しいというよりも、そうさせた物への怒りのほうが強かった」

「怒り、ですか」

「人は絶望に直面した時、3つの行動を取る。怒る、死ぬ、諦める、このどれかだ」

 悲しい、とは言っても受け止め方は人によって違う。喪失させるものは運命や寿命といった人知の及ばないものだから大抵の人間は抗うことを諦めるか、あるいは死ぬことを選ぶ。

 しかし、智機はファリルや大多数の人間とは違って戦う道を選んだ。智機には自身や周りを傷つけたものに対して拳を振り上げることができる強さと気概を持っているから出来た。

「……強いんですね」

 今はそんな智機の強さが眩しい。それに比較して自身の弱さが情けない。

 でも、智機は言っていた。

 強いとは思っていない、と。

「人それぞれだからね。オレからすれば姫様が羨ましいし」

「私がですか?」

 自分には誇れるところが何もないというのに、何処にうらやましがられる要素があるというのだろうか。

「正確には境遇。大切なものを奪ったものへの反逆できる力なんて欲しくなかった。そんなものがあるなら、その大切な人々が生きていてほしかった」

 ファリルは公女である。

 国の象徴という立場だから、生活には一生涯困ることなく、周りの誰からも好感と敬意を持って接してくれる。おまけにシュナードラの国柄で王族としての障害を感じたこともなく、従って日々を生きるために苦労をすることもなかった。

 一生部屋の中に閉じこもっていても、食べ物に困ることなく呑気に暮らせるというのは充分に羨ましがられる境遇ではあった。今までは。

 智機の表情は明るいが、秋の風のように白い。

 これが智機の本音なのだろう。

 力も、金も権力なんていらないから好きな人には生きていてほしかった。彼らの姿を二度と見ることもなく、声を聞くこともなく、頭を撫でられることもない。ファリルも改めて失ったものの大きさを噛みしめているだけに、智機の痛みも嘆きも肌身で理解できた。

「智機さんは逃げようとは思わなかったんですか?」

 智機だって、一応は人間。

 大切なものを、人を失ったというのであれば、逃げようとは考えたはずである。

「そういや、そういう選択もあったかな」

 自殺をするというのも一つの選択。

 世間の道徳では禁忌とされる行為だが、消えてなくなる当人からすればどうでもいい話である。ファリルとは違い、智機ならば、逃げると決めたら自身の頭に向かって躊躇いもなくトリガーを引くことができだろう。辛くて強大な現実の壁に立ち向かうよりも遙かに楽なのに。

 それなのに、なぜ逃げようとはしなかった。

「でも、オレは逃げられなかった」

「逃げられなかった?」

「大切な人たちを失ったっていっただろ」

「はい」

「半分は、オレの命令で死んだ」

 その言葉にファリルは絶句する。

「半分は死んだ? オレの命令!?」

「一ヶ月前、オレはある戦場で戦っていた。こんなガキがライダーやっているのもおかしいけど、部隊の指揮なんて任されて大変だった。意味は分かるな」

 指揮というのは、大量の武器や兵士たちを的確に動かして率いる軍を勝利に導くのが仕事である。目的のために殺しあうのが戦争なのだから、どんなに最良なな命令を下しても、部下たちが死ぬのは避けられない。

「後悔なんてしていない。でも、オレの命令で死んだことにはかわりはない」

 大切な人が死んだ。

 自ら下した命令で死んだ。

 失ったものへの悲しみと怒りで振り上げた拳をどこにぶつければいいのだろう。

 ぽっかりと胸に空いた穴をどのようにすれば、埋められるのだろう。

「どれくらいの人たちがいたのですか?」

「師団とはいうけれど、色々なところからかき集めても3000人切ってた。でも、戦争が終わった時には3人しか生き残らなかった」

 失われたそのものの数にファリルは圧倒される。

 智機が無能だとは思えない。

 にもかかわらず、千単位で失われた人命。

 それはどれほどの地獄だったのだろう。

「言っとくけど、姫様も他人事じゃない」

 智機は釘を刺す。

 ファリルの顔から一気に血の気が引いた。

「姫様は姫様だから姫様なんだ。その両肩に何千何万の領民の運命がかかっている。代わってくれる相手は、もういない」

「代わってくれる人は…いない」

「ファリルはこの国の王なんだ。姫様というほうが好きだから、こっちで呼ぶけど」

 もう、両親はいない。

 ファリルは公家の一員、唯一の生き残り。

 政府首班も全滅してしまった以上、ファリルがこの地の王。

 震えが止まらなくなる。

 国民がどれだけ生き残っているのか、この時点ではさだかではないが責任を負う割合は智機でさえも凌駕している。王である以上、国民1人1人の全ての責任を負わなければならないのだから、旅団単位の数字などほんのちっぽけでしかない。

 ファリルの判断が一つでも間違う、いや、早かったり遅かったりするだけで、たくさんの人間が死ぬのだ。

 いや、既に大量の人間が死んでいる。

 だからといって、全ての国民が死に絶えたわけでもなく、その国民も死んでいいわけではない。

 気が遠くなる。

 それだけの人々の重さを背負える自信が、ファリルにはない。

「逃げられないんですよね」

「ていうか、今更、逃げられたら困るんだよ」

 智機の瞳に僅かばかりの殺気が灯った。

「指導者どもが、不愉快な現実から逃げ続けた結果が、この有様なんだろうが」

 言い返せない指摘がファリルの臓腑をえぐる。

 翻ってみれば、隣国が突如として攻め込んできたという現実を大人たちは受け止めていなかった。それどころか、一部に至っては存在しないものとして発狂、イデオロギーに逃げて否定していた。

 その結果が、今の状態。

「チーム・アナコンダの騎体に告げる。持ち場を離れているぞ」

 突如、割り込んできた通信にファリルは救われる。もとい、ファリルの意識は現実に立ち返る。

「賭けをしようか」

「賭け?」

 戦闘中だという現実に、自動的にファリルの身体が硬くなる。

「ここで死ぬか生きるか。死んだらはいそれまで、この場を生き延びられたら、オレのいうように生きて貰う。簡単な話だ」

 一騎のクドネル国軍のEFが進路を塞ぐ形で現れた。

 パーティの再開に、智機の瞳は輝き、1人で笑みがこぼれた。

「しっかり捕まってろ」

 一方的にファリルに言うと智機は通信を開始した。

「アナコンダ4、了承した」

「了承したって、何……」

 通信をしながら智機はトリガーを引いている。味方であるはずの騎体が攻撃してくるとは思わず、行く手を塞いでいた騎体は何が起こったのか分からずに爆散した。

 混乱が伝染する。

 味方だと思いこんでいた騎体が前触れもなく発砲してきて僚騎たちを撃破したのだから、平静でいられるはずもない。予想外の事態に混乱が広がっていく。

「いいか見てろよ、お姫様」

 敵軍が動揺している中、ながら作業でEFを撃破しながら智機は言った。

「少しは真面目に戦争してやる」

 確かに敵軍は混乱している。

 けれど、あくまでも一時的なものであって智機の騎体を完全に敵だと認識すれば死んだ事すら気づかされないうちに始末される。突っ込んでいるのは一騎だけであり、数騎は倒したとしても200騎近い敵に囲まれているのだから。

 普通の人間なら死ぬ死なない以前に、このような状況に進んで身を置こうとは思わない。

 智機の視界に、幾筋ものの光が見える。


 視界を埋め尽くすほどの光の糸が走り、その糸は複雑な軌跡を描きながら智機に迫っていく。ただし、そのスピードは虫が這うほどに遅い。

 一騎だけならその動きを読むのは簡単。

 しかし、十や百の動きを同時に読めといわれたら、それは至難の業になる。一騎だけではなく多数の騎体の動きを計算し、刹那の時間で答えを出すのは至難ではなく無理といってもいい。

 実際、這ってくる無数の光を避けようとするたびに爆ぜるような痛みが脳に走る。

 一本でもそれなのに同時に数百本も来るのだから、並みのライダーなら比喩ではなく本当に脳が爆発する。

 しかし、智機は押さえつける。

 脳の爆発を外側から強引に押さえつける。

 永劫にも思える刹那の時間。

 智機の視界の中で光が弾けた。

 

 素人からすれば戦闘中のEFに同乗させられることほど恐ろしいことはない。スクリーンの外から無数の光芒が飛び込み、EFの巨体が頻繁に目前まで迫ってくるからだ。それは蟻が人間によって踏み潰されるのを知覚するのに等しい。それでいて自身ではどうすることもできないのだから、柱に括り付けられて火責め水攻めなどの拷問をフルコースで味わうようなものである。

 気がついたら、というより生物としての本能が狂気の世界への逃避を許してくれなくて、スクリーンに迫ってくるEFに気づくとファリルは反射的に目をつぶった。

 爆発による振動がコクピットに響き、瞼越しに閃光が走る。

 でも、ファリルは死んでいない。

 意識が消えていないことに気づいて、ゆっくりと瞼を開けるがこういう時に限ってEFが迫ってくるかビームライフルの光芒が飛んでくるかのどちらかなので瞼を閉じては小動物のように震えることを二度三度となく繰り返す。そのたびに恐怖の神がファリルの心臓を握り締めて揺さぶった。

 けれど、握りつぶすことはない。

 否、握りつぶせない。

 爆発音が轟き、騎体は揺れて閃光が瞼の上からでも容赦なくいたぶるが、何度繰り返してもファリルを殺すことができなかった。

 一思いに意識を消滅させてくれれば楽だったのかも知れない。

 生きられるという保障もなく、かといって死の世界にも連れて行ってくれない。どちらの世界にもいけず中途半端だから苦しいのに。

 でも、ファリルは生きている。

 死と恐怖をこの身で実感している。

 

 隣では生きようと一人の少年が必死になって格闘している。


 何故、自分たちが生きられるのかファリルにはわからない。

 さっきとは違い、今回は高速を出している。下に広がる景色が目にも留められない速度で流れ去っていた。ビームライフルの光芒がシャワーのように降りかかり、四方八方からEF達が殴りかかっている。

 文字通りの孤立無援。

 ドリフトを使うのならば一瞬で死ねる状況でも生き延びることは可能だが、智機はドリフトを使えない。

 ファリルにはどれくらい出ているのかわからないものの、凄まじい高速を出していることは間違いない。にもかかわらず痛覚神経を切断されたかのように伴うはずのGを感じないのは、ドリフトを搭乗者にかかる負荷を減殺するために使っているからだ。

 異なるドリフトを同時に発動させることは基本的にはできない。ライダーの意思を母体として発動するからで、運転中に携帯を使っていたら事故るのと同じである。

 智機がわざわざGを減殺するためにドリフトを使っているのは言うまでもないことであり、自分の存在が足かせになっていると思うと申し訳なく思う。

 もっとも、ファリルが死ねば負けが決まってしまうのだから、ファリルの命を最優先にするのが当然で、むしろ一対百の戦場に連れて行く智機の神経がおかしいのだが、ファリルは気づいていない。

 クドネルのライダー達がドリフトの使用をためらうはずがない。実際、5体や6体に分身して襲いかかる手練れもいる。

 とっくの昔に騎体ごと蒸発しているほうが自然なはずなのにファリル達は未だに生きている。

 それどころか攻撃しているはずのクドネルのEFが次々と撃破されている。

 ただ、逃げているはずなのにクドネルのEFが次々と爆発音と共に光の球に変わっていた。

 死神の代わりに、驚愕の神がファリルに舞い降りる。

 理解できない。

 生き続けていることさえも奇跡、というよりも悪意の偶然としか思えないにもかかわらず生きていて、敵を撃破しているというのが理解の範疇を超えていた。

 また至近距離で爆発が起きる。

 ……どんな魔法を使っているのか、智機に聞ける状況ではない。

 智機はあくまでも余裕を保っているように見えるが、素人目にもはっきりとわかるぐらいに激痛に襲われている。それでも、左右のスティックを動かし続けるのをやめない。数センチ程度の細かい動きで素人目には動かしているように見えないのだが、その代わりに回数が半端でないので両腕が痙攣しているように見える。

 ファリルには智機が何をしているのか理解できない。

 理解しようとして、ますます混迷が深まる。

 なぜなら智機は攻撃してないから。

 いくら智機といえど、数で圧倒されていて、騎体がそれほど優秀でもなく、ドリフトさえもつかないのだから攻撃を切り捨てて、移動と回避に集中しなければいけないのはわかるのだけど、攻撃もしていないのに、EFがバタバタと虫のように落ちていくのが理解できない。

 ただ、確実に言えることはひとつある。

 智機がすごいということ。

 戦闘よりも他のことに集中している態度でありながらも完勝することも凄ければ、無数のEFや飛び交う弾幕をギリギリのタイミングを見計らって潜り抜け、なおかつEFを撃破していく手管は神業の一言につきた。

 EFというのは奇跡の機械

 意思を触媒にして、周囲にある物質を自分の力として利用することによって要塞砲すらも防ぎきれたり、その要塞すらも一振りで粉砕できる件を作り出したといった具合に想像力次第で何でもできる。

 でも、便利なドリフトに頼るのは本当の奇跡ではない。

 奇跡というのはドリフトすらも凌駕したところにある。自分の技量だけでドリフトに勝てるのがこれこそ神業というものだろう。

 その証拠であるかのように、智機は笑っている。

 頭が割られるほどの激痛に苦しみながらも課せられた責任を放棄することなく、おびえることなく笑っている。獲物を駆るティラノザウルスを思わせるような不安にさせる笑みではあったけど、身体に重い負担をかけている苦しい状況であるにもかかわらず、楽しんでいることがわかる。

 痛いのに楽しめる、その神経がファリルには理解できない。

 その直後、ビームが被弾して激しく騎体が激しく揺さぶられる。

 ファリルは悲鳴を上げかけるが智機の表情を見て悲鳴でさえも凍りつく。

「…くっそたれが」

 騎体にも痛覚があるのなら、神経が智機ともつながっているような反応ではあったが激痛に悩まされているというよりは凄惨の一言につきる形相にファリルは恐怖を忘れて息を呑む。

 智機でさえも完璧ではない。

 ごめんなさい、と謝りかけたが智機の見つめただけで人が殺せそうなぐらいに鋭い眼差しに言葉が凍りつく。

 私がいるから智機は地獄に巻き込まれているのだと思ったけれど、すぐに間違いだと気づく。智機は強制ではなく自らの意思でこの地獄に踊りこんだのだ。苦しんでいるのにも自業自得でありファリルが責めを負うことはない。そうだと割り切れないのもまた事実ではあるが。

 意図はどうあれ、ファリルを生かすために戦っている智機にファリルは何をしてあげられるのだろう。何がためになるのだろう。

「大丈夫」

 地獄にありながら、目的を達成するために苦痛を強いられているのにもかかわらず、智機はファリルへの気遣いを忘れていない。

 ファリルはただ乗っているだけだというのに。

「負けるかよ」

 根拠はないけれど、力強い意思表示にファリルは何もかも忘れて安堵を覚えた。

 前方に3騎、上下左右から一騎ずつ、後方に3

騎と一気に攻め寄せてくる。

「大金をがっぽり稼いで、可愛い嫁さん迎えて子供を大量に作らなければいけないつっーのに、こんなところで死ねるかっつーの」

 智機はあわてず騒がず、かといって冷静ではなく気楽な態度でスティックを激しく動かした。

 脳を破壊するほどの苦痛に晒されているにも関わらず、ファリルのことを気遣い、しかも敵騎を撃滅するなどきっちりと結果を出している智機。


 ――そんな智機をファリルはかっこいいと思った。


「おいてめぇっ、ちゃんとよけ……」

「このへたくそがどこ狙ってやが……」

「くそがっっ、あたれあたれあたれあた……うがっっ」

「なんなんだよ、あのメネスっっ!! 中身は朱雀じゃねーかっっっ!!」

「相手は何者なんだっっ」

「ばかやろう、オレにあて…」

「この無能が!! 味方を殺す気か!! ちくしょうっっっ」

「レッズはこないのかよっっっ 肝心な時にぃぃいっっ!!」

 旗艦のブリッジ内にライダー達の断末魔の叫びが響きまくっていた。

 自分の存在が消えていくことを知覚せざるおえない恐怖よりも、怒りが先に立つそれは地獄の悪鬼どもが消えてゆく時の怨嗟の叫びのように消えていた。

 さきほどまでの試合が終了したような和やかな空気は掻き消えて、胃を締め付けるような恐慌と緊張がブリッジ内を支配していた。

 戦争の帰趨は前の戦で決まっており、今回の首都攻防戦も決定を確定に変換させるものに過ぎなかった。

 傭兵軍と国軍との混成艦隊は最後の抵抗を続けるシュナードラ国軍をあっさりと打ち払い、市内中心部も制圧。公宮にもEF隊がなだれ込み勝利は既に確定。そのまま公主一家の死亡が確認されて終了というのが見えてきた。

 IFF反応を発してきたEFが突如として味方に向かって発砲した時点でも確信は変わらなかった。狂ったか何かはわからないが不意打ちで倒せるのはせいぜい一騎か二騎、よっぽどの幸運があれば五騎といったところで一騎が暴れたところでたかが知れる。

 ……ほんの数分前までは。

「防衛ラインD突破!!」

 前方に配置してあった巡洋艦の前部を極太のビームが飲み込み爆発。残された後部も黒い煙を上げながら地面へと落下、その途上で爆発する。

 その有様を見ていた指令官がうめいた。

 1対多数の不利を物ともせず、本陣まで突っ込んでくるそれに恐怖を覚えるのはターゲットが指令官が座乗している旗艦にあるのは言うまでもないからである。

 普通なら、勝敗以前の問題。

 不意は撃たれたとしても数分で撃破されるだけなのににも関わらず防衛ラインを突破している。

 それどころか、戦艦からの猛烈な対空射撃と数個小隊のEFからの射撃に挟み込まれても、猛烈なシャワーを触れる触れないのギリギリのところで回避しきっていた。


 数センチ程度の変化で躱しているだけに、戦艦やライダー達の腕が悪くて当たられないかのように見える。

 そして、結果は最悪。

 EFのビームライフルから放たれた火線は一直線にターゲットが背景にしていた戦艦の側面に炸裂。大きな穴を穿ちながら次々と誘爆、EFもターゲットの身代わりとなって戦艦の対空砲火を浴び、怨嗟の叫びを上げながら次々と爆発していった。

 味方の誤射を浴びた戦艦も中間部を失い、残った前部と後部も地上に落ちて爆発する。

 常識では考えられない、あり得ないことが現実として起きている。

 そんなことが出来るのは……化け物。

 指令官は恐怖に心臓を鷲づかみにされている事をおくびにも出さないように勤めながらも指示を出す。


「全艦、対空砲撃を密にしつつ後退。EF隊も射撃中心でターゲットを攻撃。ただし、ドリフトは使うな。繰り返す、ドリフトは使用禁止だ」

 たかが一騎、しかも大国の精鋭騎でもない量産型の改良型に本気の逃走命令を下すのは屈辱ではあったが、留まっていれば殺られる危険が高いのも明白である。感情は置いておいて現実は現実として処理しなければ死ぬ。

 指令官は脳裏に赤いEFの姿を思い浮かべた。

 友軍である12騎のEFは指揮系統に問題があるとはいえ、シュナードラのEFと艦隊をそのEF達で屠っていた。指揮官やその他の傭兵部隊もそのEFをサポートするかあるいは見ているだけの簡単な作業だった。

 無数のシュナードラのEFを屠っていく連中はとても頼もしい存在だった。

 けれど、この戦場には赤いEF達はいない。

 その連中がいない現実が腹立たしく、そして、シュナードラの将兵たちが味わった絶望を今度は自分たちが味わされている現実に打ちのめされる。どう考えても目の前の敵は連中に匹敵するエースとしか思えなかったから。

「それとこちらに回線を回してくれたまえ」

「了解しました」

 オペレーターより通信回線が回されるのを確認すると指令官はマイクに向かって語りかける。

「アナコンダのライダーに告げる。何故、我々を攻撃する」

 相手はUMAといった化け物ではない。EFとそのライダーである。交渉で停戦できるのであればそれに越したことはない。

 スピーカーから機械的に嗄れたような声が流れた。変調を掛けているのだろう。音声だけで映像は流れてこない。

「我はアナコンダのライダーではない。シュナードラの兵士である」

 予想通りの反応である。

「なら我が軍に投降しろ。今なら貴官を捕虜ではなく客人として迎え入れる。クドネル共和国第二艦隊指令官セバスチャン・フリードリッヒの名で保証する」

「悪いが断る」

 クドネルに投降するつもりならば最初から戦いを仕掛けてはいない。

「貴官も分かっておろう。戦争は既に終わっておる。シュナードラは既に負けた。仮に我が艦を潰したところで本国艦隊など無数の戦力が控えている。貴官にはどれほどの戦力があるというのかね。そのメネスだけでレッズに対抗できるはずもなかろう。よって貴官の抵抗は無意味である」

 正論である。

 仮にこの場を切り抜けられたとしても、クドネルに与えられるダメージはほんの些細なものであり、蟻一匹が象の大群と戦うような世界が待っている。普通ならばそんな絶望的な状況を選びはしない。命を惜しむのは生命なら当たり前のことだからだ。

「いや、有害である。この戦いで我がクドネル共和国が勝利することによって戦争が終結するからだ。貴官の行為は無意味な殺害行為にすぎない。平和を愛するものなら今すぐ我々に降伏すべきだ」

「シュナードラの人民を殲滅して平和を歌うか」

「この星は我々クドネルの物。シュナードラなぞただの害虫にしかすぎん。害虫を駆除して何が悪い。当然のことだ」

 間が開いた。

 もちろん静寂が訪れたのではない。

 濃密な対空射撃とEFの射撃によるビームの雨を敵騎は小刻みなステップで、当たる当たらないのギリギリを見極めながら突き進み、この時になって始めて攻勢に出た。

 鳥の翼のように右腕を広げ、その手に握られたビームライフルからはビームが迸る。

 迸ったビームがそのまま射出されるのではなく、棒状に固定。そして、戦艦を飲み込むほどの巨大な刃になったのは敵騎がドリフトを発動させたからである。

 巨大な剣を煌めかせ、敵騎は前方にいる僚艦へと突っ込んでいく。

 僚艦は必死になって後退するが、もちろん敵騎から逃れるはずがない。

 巨大な光の刃が戦艦の後方、エンジン部分に食い込んだ。

 敵機は戦艦と平行するように前進して行く。引きずった光の刃がその戦艦をバターのように引き裂きながら。

 敵機が通過し終えた後、遅れたように僚艦が爆発してその姿を光の球へと変えた。

「戦艦ブラックプール撃沈っ」

 オペレーターが平静さを装うとして半分は失敗しながら僚艦の撃沈を報告した後に再び敵機からの通信が入った。

「シュナードラの人間に死ねと呼びかけながら、投降を呼びかける? そんな愚かな話はないな」

 声に掛けられたのは怒りかそれとも嘲笑か。変調が掛けられているので伝わらなかった、それはそれで幸いだったのかも知れない。

 敵騎は光の刃をしまうことなく、旗艦に一直線に突っ込んでくるからだ。

「諸君の本音をさらけ出してありがとう」

 敵騎は艦橋前面に広がっているスクリーンに迫るように大きくなる。

 騎種はメネス。ベストセラーのフォンセカのカスタマーで、装甲を強固にしだけの取るに足らない騎体なはずなのにレッズのEFや伝説の斉国製のEF群よりも凶悪に見えた。

 指令官のみならず、艦橋に入れる全員の表情が恐怖に染まる。

 EFや対空砲座の射撃は当たらない。

 後退しようにも間に合わない。

 そして、彼らは

「せっかくだから、死ね」

 運命に叩き潰される。


 首都シュナードラ、ヴィーキンギト地区。

 広大な森が展開する公園エリアに、あちこち被弾した痕が見える戦艦が着地していた。

 ハッチは開け放たれ、続々と焼け出された非難民たちが疲労困憊な様子で乗り込んでいく。

 その上空を三隻の巡洋艦と15騎ほどのEFが警戒している。戦争のまっただ中であるにも関わらず、空気が落ち着いていた。

 周りに敵影はいない。

「敵騎の騎影なし。避難民の収容続行しますか?」「続行してください。限界まで」

「了解しました」

 セシリア・ハイネンはCICでオペレーターからの報告を受けながら、思考している。

 胸が100はあると思えるぐらいに大きく、ボリュームと癖のある亜麻色の髪を膝ぐらいまで伸ばした、軍人というよりは、短大卒業したての優しい保母さんにしか見えない彼女が戦艦ロストックの指揮を執っている。理由は艦橋が破壊されたこと、副長が心臓発作で倒れたこと、そして、艦内で一番の人気を集めていた女性軍人だからである。

「艦長。いったいなにがおこっているのでしょうか?」

「…う~ん……」

 何度となく繰り返されるやりとり。

 敵に襲われる心配をすることなく、難民収容に専念できるのはパシラ地区にいる敵本体に異変が発生したからである。

 敵艦隊と直援の騎体群に入った敵の一騎が突如として、破壊行動に移り、敵は狂乱したとおぼしき騎体を破壊することができず、逆に次々と撃破される始末で、艦隊自体にも損害が出始めているというのが掴んだ情報だった。周辺に敵騎がいないのもそのアンノウンを破壊するためである。

 シュナードラ側からすれば一息つくことができたのだが、現時点では暴走した敵騎の正体を掴んでいないので、どうしてこんなことになったのかが分からない。

 それより、セシリアの最大の関心事は未来にある。

 一隻の戦艦と、3隻の巡洋艦と付随するEFと、戦艦に非難してきたたくさんの人々。

 これら全ての戦力がセシリアに集中しているのだが、それは集まってきた人々への責任を負ってしまったことを意味していた。

 今ならば首都を脱出するのは簡単だろう。

 問題はその先

 どこに逃げればいいのか、どうしたらいいのか分からない。

 初めて戦闘に参加して、成り行きで艦長になってしまい、意外にも才覚を発揮して、どうにか机下の将兵たちを生き延びさせていたが、その先の答えを導き出せずにいた。

 命さえ保証してくれるのであれば、降伏も視野に入る。

「陛下は?」

「わかりません」

 上位にいる人物に判断を委ねようにも居場所も生死さえもつかめていない。他人の人生を含めた全てを自身で決済しなければならない現実に、打ちのめされたかけた時、スクリーンに五騎の騎体が現われた。

「近衛騎士団の騎体です」

 CICの空気が一気に弾けたのも、プレッシャーに押し潰されてかけていたのはセシリアだけではなかったからである。

「こちら、近衛騎士団のブルーノ・ディバイン。艦長とお話がしたい」

「戦艦ロストック艦長代行を勤めます、セシリア・ハイネンです」

 スクリーンに映ったディバインは艦長の代行の若さに戸惑ったようだった。智機ほどでないにせよ、インパクトは大きい。

 しかし、表情が曇ったのはだいたいの事情を察したからなのだろう。艦橋部分の破損は一目で判別がつく。

「シュナードラ公国公女、ファリル姫様から全軍への命令を伝えます。アンカーを出しますので」

 セシリアは緊張する。アンカーを出すというのは傍受されないための秘密の会合を意味するから。そして、あまり表沙汰にはできない内容になる。

「了解しました。コネクターカバーオープン」

 ディバインの騎体とおぼしき騎体からアンカーが射出されると同時に、戦艦側もスリットが開閉し、アンカーが磁石で引き寄せられるかのように素早く接続される。

「まず、最初に陛下にならびにお妃様は崩御なされました」

 予想されたことだったとはいえ、敬愛する両陛下が亡くなったのだからCICの空気がまた重たくなる。

「現在の元首はファリル姫ですが姫様は現在、戦っておいでです」

 間が開き、少し遅れて事情が飲み込めるとCICにどよめきがおきた。

「姫様が戦ってって、どういうこと!?」

 セシリアも素に戻ってしまう。

「現在、姫様はパシラ地区で敵艦隊と交戦中。姫様の命令は可能な限り、戦力を集めてガルブレズに逃走せよ、とのことです」

 男性のCIC要員が叫んだ。

「パシラで暴れている敵騎って姫様なのか!?」

 CICに動揺が広がる。

 一番死んではいけない人物が、こともあろうか前線で戦っているのである。単騎で。

「どうして止めなかったんですか?」

 セシリアの言葉も当然である。足止め、もしくは囮要員はディバイン達の仕事であって、ファリルがやっていい仕事ではない。

 無茶にもほどがある。

 ファリルが死んでしまえば、終わりである。

「問題ない」

「なにが問題ないんですか」

 セシリアからすれば頭が痛い問題である。

 その一方でCICに詰めている要員の何人かはある事実に気づく。

「でも、状況を観察するにあたって、姫様は生きてますよね」

 そう、EF単騎で無数の敵に突っ込むという無茶なことをしているにも関わらず、逆に敵を蹴散らしている。

「普通だったらあっという間に殺されている」

「うちの姫様って無双できるタイプだったのか?」

「いや、絶対にそうは見えない。可愛いけど」

「諸君らの危惧はもっともであるが心配はいらない。むしろ、私と一緒にいるよりも生存率が高い」

 意味不明なディバインの言葉であったが、セシリアは突っ込む前にディバインの表情に気づいた。

 ……ディバインも呆れているのだ。

 今、目と鼻の先で行われている事象に。

「現在、姫様はカマラのマローダーによって守られている。よって、問題ない」

 事実が爆弾となって、CICで爆発した。

「カマラのマローダーって……あのほんとにカマラのマローダーなんですか?」

「本当にカマラのマローダーだ。カマラ人民民主主義共和国を勝利に導いた、あのマローダーだ」

 マローダーというのは略奪者という意味の言葉で、語感と意味のかっこよさからコールネームに使うライダーは後を絶たない。が、カマラのマローダーといえば、たった1人しかいない。

「……マジかよ。あの変態殺人鬼がうちに来たのかよ」

 それは悪意と軽蔑、そして恐怖を持って語られる名前。

「ひょっとして姫様。危なくない」

「食われるかもな」

「守られているじゃなくて人質にされているの間違いじゃないのか」

 その一言にCICの空気が固まる。

 そして、セシリアは見た。

 ヘルメット越しに、ディバインも固まって汗を1滴2滴垂らしていたのを。

 マローダーについては悪い話しか聞かないのだけど、問題はそこではない。

「その、マローダー…さんは信用していいんですか」

「マローダーがどのような思惑で、オレ達に味方しているのかは知らない。でも、マローダーがオレ達に味方して、ありとあらゆる手段で勝とうとしていることだけは確かだ」

 仮に、智機がクドネル側の人間ならば終わっている。

 寝返る心配もない。

 今のシュナードラに裏切るだけの価値もないから。

「ありとあらゆる手段で……」

 その言葉が意味するところに、CICの空気が沈黙する。

 勝つためなら、外道という言葉でさえも生ぬるく思える所行さえもやる覚悟。

「マローダーは言っていた。希望があると」

「希望……?」

「オレ達はまだ負けてはいない。今からでも遅くはない。この戦いは…勝てる」

 誰もが負けると思っていた。

 絶望しかないのと思っていた。

 生きるか死ぬかではなく、いつ死ぬのかの問題かと諦めていた。

 それを否定する者がいた。

 詰んでるとしか思えないのに、それでも勝てるという奴がいた。

「そりゃ、勝てるでしょうね」

 オペレーターが呟いた。

「クドネルの首都に衛星でも隕石落として、住民ごと首脳陣を抹殺すれば勝てるでしょうね」

「そして、オレたちはあのバビ・ヤールみたいに全滅するんだ」

「いいかげんにしなさいっ」

怒鳴り声がCICの中に響いて、詰めている全ての人間が一点に向かう。

 セシリアが怒っていた。

「マローダー? だから、なに? 彼が初めて私たちを助けにきてくれたんだよ。経歴はどうあれ助けにきてくれた人なのに、感謝するどころかバカにするなんておかしい!! 恥を知りなさい」

 穏和だと思われていた人物の暴発以前に、正論であるためオペレーター達は一言も言い返すことができなかった。

 経歴はどうあれ、彼はシュナードラの人たちを救いに来てくれたのである。困難な仕事になるのを承知の上で。

 たった1人の救い主を歓迎するどころか嘲笑するのは、笑えないギャグでしかない。それこそ、シュナードラの民が救いに値しないことを証明していていた。

「なに贅沢ぬかしてんの」

 セシリアと歳が近い女性のオペレーターが捕捉を入れる。

「人格に問題がないとは言えないけど、マローダーは超一流のライダー。どれだけふっかけられたかわかったもんじゃないけど、本来なら頼んだって来てくれない存在。うちらはいつから偉くなったのかしら」

「私たちに勝てる可能性があると思ったから来たんでしょう。その超一流の傭兵が勝てるって言っているんだから、私たちは勝てる。助けに来てくれた人が頑張ってくれるのに、私たちが頑張らないのは間違ってる」

 セシリアの叱責と励ましによって白けていた空気が変わり始める。

 絶望から希望へ。

 熱気が高まり始めていた。

「へぇ~ やってくれるじゃん」

 捕捉を入れた女性オペレーターが、空気を読まずに口笛を吹いた。

「やってくれるって、どういうこと?」

「あっちの通信を傍受してみたところ、旗艦が落ちたって大騒ぎしている。やるねぇ、マローダー。いい仕事してくれる♪」

 一つ間が開いたあと、歓声が爆発した。


 空に一際大きい光の球が爆音と共に生まれ、それを構成していたものと一緒に消えていく様を彼らは眺めていた。

 戦艦一隻とEFが10騎の小規模な傭兵艦隊である。この空域にいて他の艦隊から攻撃を受けないということはクドネル側の艦隊には違いないのであるが、戦闘には関わらずに傍観している。

「これで本国艦隊は全滅か」

 リーダー格のライダーが戦艦のオペレーターから残ったクドネルの艦隊の一隻が落とされた事を知らせて呟いた。残っているのは傭兵艦隊のみである。それでも数は多くて戦闘を続行できる能力はあるが、クドネル艦隊を潰されて彼らを指揮できるものがいなくなった。頭がいなくてはどれだけ数があっても無意味である。

「この星はクドネルの物か。奴らの言葉は間違ってますね」

 部下のライダーが皮肉っぽく言った。

「この星を含めた全宇宙は陛下の物。それを知らぬ反逆者どもは星ごと駆除する……って本国の連中なら言いかねませんね」

「洒落にならないからやめろ」

 リーダーは苦笑してしまう。

「しかし、あのライダーは凄いですね」

「現在の被害は?」

 リーダーの求めに応じて、違う部下が答えた。

「戦艦3隻、巡洋艦5隻が撃沈。いずれもクドネル本国艦隊所属です。EFは50騎が撃破、35騎が大破しています。いずれも同士討ちです」

「同士討ちねえ」

 戦場での誤射は日常的に起こることであり、各軍はその対策に追われている。しかし、同士討ちで失われるのは5騎がせいぜいといったところだ。同士討ちはあくまでも偶然の産物だからである。それが50騎にものぼるということは偶然ではなく必然である。もちろん、同士討ちしたもの同士が狙っていたということはあり得ない。

 ――つまり、ターゲットである敵騎が誤射を意図的に誘発させたということ。

「ちゃんとデータはとれているか?」

「ばっちりです。ただ、見終わったら気持ち悪くなるかも知れません」

 狙われた敵騎が相手の機動を読み、緻密なポジション取りすることによって同士討ちを誘発させる。具体的に言えば味方Aが撃ったビームが外れ、代わりにに射線の先にいた味方Bに当たる、この業界では攻撃的回避と呼ばれる高等テクニックである。相手の攻撃をギリギリのところで躱しつつ、その攻撃を近くにいる相手の友軍に命中させるのには最低でも相手と相手の友達、つまり二騎以上の動きを読むのが前提となる。相当な実力差が無ければ読む事は難しく、カウンターで自身の攻撃を当てるのはまだしも相手の攻撃を相手の友達に当てるのは至難といってもいい。

 しかも、1対10なら何とかなるかも知れないが今回のケースは1対100以上の戦力差である。

 リーダーは100騎以上の騎体の動きを全て読み、なおかつコンマ単位の世界で的確な行動が取れるのかどうか自問する。読んだだけではダメで予測を行動に反映させなければならないのだが、この戦力差では数ミクロンでも行動が早かったり遅かったり、座標が狂っていたら死んでいる。

 ドリフトという手もあるが、ドリフトはライダーに負担をかける。加速する、攻撃を増幅させるのとは違い、脳の処理能力を増大する方向にドリフトすることになるので負担がより重くなる。これだけの戦力差でドリフトをかけるのは自殺行為といってもいい。脳が爆発することになる。

 背筋に冷たさが走る。

 ……自分にはこのような常軌を逸した真似ができない。

「よりによって、とんでもない化け物が来ちゃいましたね」

 ゲームに例えるなら、激戦の果てにアイテムもMPも気力も使い切り、ヒットポイントも一桁代に減らされた激闘の末にラスボスとの戦いに勝利して、いざエンディングといったところで、更なるラスボスが来たようなものである。

 非常に憂鬱になるところではあるが桁外れの実力差に部下Aとしては失笑するしかない。

 一方、部下達は正体不明の敵騎について雑談をしている。

「レッズとどっちが上なんだろう」

「どう考えてもこいつだろ。乗っている騎体がヘボくて助かったぜ」

「っていうか、あれってアナコンダの騎体だよな。まさか、アナコンダのライダーな訳……ないよな」

「なら裏切るタイミングが遅すぎるだろ」

「いくら奴らでもサボることはありえないから……」

「途中までは楽勝モードだったんだから、戦闘よりもレイプに夢中になることもありえるだろ」

「それは妄想の飛躍じゃないのか」

「オレだって無理があるのは重々承知している」

 メネスが強奪された経緯を知ったら、彼らはそのありえなさに絶句していただろう。アナコンダのライダーが仕事をサボって女子供を強姦することを優先してしまい、騎体を放置することになって乗り逃げされたというほうがまだ説得力がある。

「いい加減、現実から逃げるのはやめたらどうだ」

 リーダーが部下達の雑談に加わった。

「現実って……やっぱり、あのライダー。本当にカマラのマローダーなんですかね」

 ライダーの正体はシュナードラ軍の通信を傍受すれば容易に知ることができた。ある時期からそのライダーのコールネームを連呼するようになったからである。

 そのライダーが本物なのか、偽物なのは断定することはできない。

 本物のマローダーなら、EF操縦のみならず部隊指揮にも定評があるが、そのライダーは単独で行動しているので指揮官としての力量は見えない。

 もっとも、シュナードラ軍のライダーとのレベル差がありすぎるので、あえて単独行動しているのかもしれない。

「相手がマローダーであるかどうかは問題ではない。操縦においてマローダーに比肩すると思われる力量があることが問題なんだ」

 戦争は名前で勝てるほど甘くはない。

 相手が本物なのか偽物なのかは関係なく、否定しようが逃げようが、マローダーレベルと推察されるライダーが敵側に参戦してきた事実が問題なのだ。

「……考えてみれば、マローダーとは目の付け所がいいですね」

 マローダーだと仮定すれば階級は大尉。

 カマラ戦の働きぶりからすれば将官待遇されてもおかしくなく、平時であってもシュナードラのような小国の総司令を務めても不自然ではないにも関わらず、査定が低いのは、そのカマラ戦が異常な形で終わったため、傭兵ギルドとしても評価が難しいからである。大尉というのも、一応は功績を挙げたからであくまでも暫定的なものである。

 傭兵ライダーの格付けは傭兵ギルドが行い、その格付けに従って雇用主が報酬を定めるという取り決めになっている。ただし、格付けと実際の能力の釣り合いがとれているかどうかについては疑問視されており、マローダーはその好例だといえた。

 つまり、将官クラスの一流を比較的、格安な報酬で使えるということである。その意味ではまさにマローダーはお買い得物件だとも言えた。

「でも、平気なんですかね」

 傭兵ギルドがマローダーを査定しきれていない、もう一つの理由は査定が完了する前に実戦に出ているからでもある。

 実はカマラ戦が終結してから1月しか経っていない。

 戦の規模に応じて、ライダーには休養が必要だというのがこの業界の常識である。カマラ戦はその激戦ぶりから最低でも3ヶ月の休養は必要とされていた。

「クルタ・カプスから2週間後にカマラだからな」

「元気ですね」

 戦の規模や凄惨さに応じて休養が必要なのは、それだけ消耗が激しいからである。特にライダーはドラフトを多用する都合上、意志の消耗が激しいため適切な休養を取らなければ、そう遠くない未来に廃人かドリフトアウトかの末路を迎えることとなる。

 それ以前に普通のライダーならば、ある程度の日数が立たなければ戦いにはいけない。

 にも関わらず、マローダーは間をおかずに戦場に立った。

「そうかな?」

 その事は、必ずしも健康であるとはいえない。

 いくらマローダーとはいえ、心身へのダメージは免れず、明らかに回復しているとは思えない。完全な健康状態の時よりも死のリスクが高まっているにも関わらず戦場に出るのは、心身が消耗している事に気づいていないか、あるいは消耗よりも闘争本能が上回ってしまっているのか、恐らくはその両方だろう。

 そのような状態は健康だとは決していえない。事実、その手の戦闘狂は戦死かドリフトエンドのどちらでロクな末路を迎えない。

「よくやる気になったよな。勝ち目がないのに」

「いや、勝ち目ならあるんじゃないのか?」

「確かに…そこまでシュナードラは憎まれてませんからね」

「落とす衛星もないというのに」

「……しっかし、素直に末期色に入ればいいものを」

「変態とは思われたくなかったんだろうよ」

「ちげぇねえや」

 仲間のぼやきに苦笑がわき上がる。

「しかし、妙ですよね」

 マローダーを追っている部下が口を挟んできた。

「何故、マローダーはドリフトを使わないのでしょうか?」

「自慢したいからじゃないのか?」

「お前みたいな芸人じゃないから」

 ノリツッコミが入るが、その部下は冷静に言葉を選んだ。

「正確に言えばドリフトを使用しています。ただし、ライダーにかかるGを軽減させるためにです」

 使用不可と同じである。Gへの耐性がなければライダーはつとまらない。

 EF戦においてはドリフトが使えないというのは死んだも同じ。それでも勝てるのが化け物であり、マローダーもその眷属という事ができる。この兵力差で攻撃的回避という成層圏から裸で飛び降りるような真似をしているのはパフォーマンスではなく、それがドリフトに対抗できる唯一の選択だからだ。数十手先の敵の機動を読めるのはドリフトではなく経験と才能がなせる技で、攻撃と防御で同時にドリフトするのは至難だから意図的に誤爆を起こさせるというのは極めて有効である。

 友軍が敵になるなんて読めない。しかも、

 敵の動きを読み、初動が遅れているにも関わらず相手よりも先んずる、いわゆる後の先をマローダーが有効に使えていることは意外ではあったが、それがトップライダーである。けれど、ドリフトが使えていればもっと楽に戦闘が出来ているのも事実である。

 ドリフトを操縦者のG軽減に使っている理由。可能性があるとすれば一つである。

「……まさか、本当に姫様を乗せているのか」

 それはGに耐えられない同乗者がいるということ。

「アナコンダって、確か王宮付近に行ってたよな」

「そういえばそうだ…な」

 空気が急速に熱を帯びてくる。

 同乗者がVIPであるのならば、マローダーを落とすことによって戦争を終結させることができる。それを考えればマローダーが暴れるのも灯火が消える前の最後のあがきにしかすぎない。

 洞察が当たっているのだとすれば、バカなら何も考えずに突っ込んでくるだろう。マローダーの搭乗するメネスは無傷ではない。あちらこちらにビームの擦過痕がついている。ライダーの技量に騎体がついていけていないのだ。加えて同乗者の存在も激しい機動を行う上での足かせになっている。倒すには絶好の機会……というよりこれを逃したらあり得ないというほどのチャンスのように見えてくる。

 けれど、それで落とせるようであれば苦労はしない。

 マローダーからすればピンチではあるが逆境を力に変えてみせるのが一流である。今だってそうだ。1対100という無茶な戦闘バランスであるにも関わらず圧倒している。

 リスクと効果を天秤にかけているところにメインチャンネルから音声が流れてきた。

 か細い女の子の声だった。


「武器を捨てましょう」

 とその人はいった。

「軍隊なんていりません。武器を持つ手を優しさに変えればこの世界は平和になるのです。武器の代わりに愛を説きましょう。相手は人間、私たちの想いが彼らに伝わり、彼らも武器を捨ててくれるはずです。さあ、その一歩、素晴らしい一歩を踏み出しましょう」

 ……でも、その言葉が戯れ言だというのは眼下に広がる無残にも破壊された大地を見れば分かる。

 ある人はいった。

「この星は我々クドネルの物。シュナードラなぞただの害虫にしかすぎん。害虫を駆除して何が悪い。当然のことだ」

 世界は善意に満ちあふれてはいない。

 無償の善意なんてさらけ出してしまったが最後、自分たちのことしか考えていない連中に骨までしゃぶられることになる。こういう善意のことを語る連中というのは人間というのが動物の一種だということを忘れているのだ。動物というのは目先の欲を満たすためだけに生きているものであり、そして、弱肉強食、弱者は強者に頭の先から爪先までがりがりと食われて栄養分として吸収されない分を糞尿という形で排泄されるのが現実である。

 人間としての見えや外聞がかなぐり捨て去られ、弱いものは強いものの餌になる動物の論理が横行する世界でファリルはどのように生きたらいいのか迷う。

 それこそ、死の世界に走っていってもいい。

 死んでしまえば、これ以上は何も感じなくても済む。生きていれば刺されるように痛いようなことも気にせずに済む。

 そして、側にいる智機の操縦を軽く邪魔するだけで願いは叶えられる。智機が凄いライダーであることはわかるが、同時に針の上で片足立ちしているような危ういバランスを保ちながらの操縦であることも分かる。

 しかし、敵戦艦を落としてから攻撃が落ち着いてきたような気がするのは何故なのだろう。

「そりゃ、1騎なのに全然落とせなくて逆に旗艦が落とされているんだから、慎重になるのも当然だろ」

「そういうもの……なのでしょうか?」

「斉でトップ張れる連中なら、一掃できてる」

 智機だったら斉でもトップは張れるのではないかと思う。できない理由は本人の資質よりも騎体の性能だろう。

 智機の反応に騎体がついていけてないのだ。

 斉の騎士団で使われている騎体に智機が乗ったらどういうことになるのか想像してみる。

 それはとても恐ろしいことなのだろう。

 敵も迂闊に攻撃することができなくなって、かといって智機から行動を起こすこともないという膠着した時間の中で智機は言った。

「姫様。演説をお願いします」

「え、えんぜつですか?」

 たくさんの人の前で自分の意志を表明することなんてやった事がないだけに戸惑ってしまう。

「望んだことではないとはいえ姫様は王なんだから、王には終わらせるケジメがあるだろ?」

「そ、そうですよね……」

 智機の言っている意味は分かる。ファリルは公女だからだ。そして、両親が死んでしまった今は最高権力者なのである。実体はなくても。

「封筒の裏に草稿をメモっておいたから、それを参考に」

「はぁ……」

 やる気というよりも大勢の人を前に喋るというプレッシャーに打ちのめされるが拒否することもできず、仕方なくファリルは封筒の裏を見た。

 そこに書いてあるのは草稿ではなかった。

 短い時間で戦闘をしているのに完璧な草稿を書けというのは無茶であるが、書いてあるのはプロット程度のメモ書きではなかった。


「好きなこと、思ったことを自由に喋れ

 後戻りはできないが、全力でサポートしてやる

 ただし、金の切れ目が縁の切れ目という言葉を

 忘れるな」


 自由に話せというのが難しい。

 これが指定されていれば指定された通りに話せばよかった。それが自分の運命を決めるものであっても従うつもりだった。その方が楽だったから。

 しかし、智機は自分の意志で動けと言っている。安易に時勢に流されることを許しはしない。

 なんていう人なんだろうと思う。

 ファリルはこれからに思い巡らせる。

 どんなことを目指していても怖いことは怖い。それはビルの屋上から何も見えない闇の中に飛び込むようなものだ。

 足がすくむ。

 でも、飛び出せないことはなかった。

 ファリルは1人ではないから。

 側に智機がいる。

 周り見渡しても敵ばかりで四方八方からビームのシャワーを浴び続けていても生存し続けている事実がとっても心強かった。

 だから、怖くない。

 彼が助けてくれるといったから。

 それは何よりも勝る力となる。

 ファリルは言いたいことを頭の中で簡単にまとめるとおすおずと口を開いた。

 智機がドリフトでメッセージを増幅させる。


「は、初めまして。シュナードラ公国公女、ファリル・ディス・シュナードラです。敵の人も味方の人もき、聞いてください。よ、よろしくお願いします」

 演説している途中に襲撃という事はない。手詰まりになっているだけに取りあえずは聞いてやろうということなのだろう。

「まず最初にこの戦争で亡くなった人々に哀悼の意を捧げます。シュナードラの人たちもそうですがクドネルの人たちもそうです。やっぱり人が死んじゃうのは悲しいです」

 シュナードラはともかくクドネルの人たちにまで哀悼を捧げたら、シュナードラの人々に怒られるかなと思ったけれど、両親のことを思い出したらどうでもよくなった。やっぱり人が死んだら悲しい。当人だけはなく、家族にとっては永遠に埋めようのない空虚を抱いて苦しむことになる。痛いのだから、そのような苦しみを他人に与えたくはない。

「やっぱり戦争はだめです。いけないと思います。ダメだと思います」

 ファリルは拳をぐっと握りしめる。

 戦争はなくなってほしい。

 大切な人たちがなくなってしまうのだから。

 でも、口で言ったらといって戦争がなくなるわけではない。

 智機は鼻で笑っているのだろうか?

 表情では分からない。

 智機という人物はよく分からないのだけど修羅場を潜り抜けるテクニックと時折見せる凄みのある笑みから地獄を渡り歩いてきたことだけは分かる。

 今の惨状のまっただ中に居れば首相の言っていることなんてただの戯言に過ぎなかった。言葉は綺麗だけど現実が伴っていないから理想というのは美しく聞こえるのだ。

 だから、智機は恐ろしく写るのだろう。

 ファリルは生きている。

 夢とか空想の世界ではなく、この現実の中で。

「でも、平和のために一つを民族を滅ぼせというのは間違っています。同じ人間ならわかり合えるはずなのにどうして殺し合わなければいけないのでしょうか。だから、私たちは戦います。話し合い、みんなが分かってくれるその時まで、私たちは決して諦めません!!」

 ファリルは勢いに任せていいきると、そのまま俯いた。

 顔が赤く染まっている。心臓が熱く、いつもの何倍よりも早く鼓動している。

 締め付けられるように痛くなった。

 悪い子だとファリルは自己嫌悪に刈られる。

 戦争が終わることが望みであるのならばここで降伏したほうがいい。自国民にどのような惨禍が降りかかる分からないが戦争を忌避しながら、戦争を続行をするというのは矛盾しているような気がした。

 それ以前に今言ったことは全て嘘っぱち。

 本当はただ、智機を見たかっただけ。

 智機が飄々とした態度でその実は悪魔のように笑い、炎と硝煙の煙がたなびく世界に降り立って何処に向かうのか、過程の中で何を生み出し、何を壊し、無慈悲なまでの暴力で敵も味方も善人も悪人も区別もなく殲滅した果てにどんな世界が広がるのかこの目で見たかった。

 ……いや、そこまで鬼畜ではないとは思う。

 いずれにせよ、ファリルには希望が生まれていた。

 捕まることは地獄。

 生きていくことも地獄。

 かといって、死ぬこともできないのだから生きるしかない。

 この世界には優しかった両親はもう、いない。

 でも、生きていける。歩いていける。

 寂しくないといえば嘘になるし、怖くないともいえば嘘になる。

 何故なら、この先も戦争による犠牲者を増やし続ける道を選んだのだから。

 そう、この手は智機と同じように血にまみれることになる。直接、殺すことがないとはいえ、殺すよう命令するのだから人殺しと同じ。ファリルはこれから業を背負って生きていくことになる。なぜならばそれが姫の、いや王が負うべき責任なのだから。

 小さな肩に背負わされた重い業。ひょっとしたら生き続けることよりもここで死んだほうがよかったのかも知れない。

 目眩がする。

 でも、死ぬには死ぬで勇気がいる。

 たとえ、その生が血塗られたものであったとしても生きたかった。ファリルが何を望んでいるのかは自分でも分かってはいないけれど、少なくても望まない生き方や死を強いられられたくはなかった。

 殺すことでしか生きられないというのであれば、それでも生きてみたいとファリルは思った。

 智機が自分にどんな評価を下すのかファリルとしては気になるが恥ずかしさで死にそうなる。

 おそらく智機の評価は最低だろう。少なくても為政者としては最低ランクだとファリルは思っているから、自分の言っていることは支離滅裂で地獄を生き延びてきた智機からすれば歯牙に掛けないか、嘲笑されるのがオチだろうと思ってきた。

 それだけに智機が頭を乱暴に撫でてきたのは予想外だった。

「よくやった」

 しかも、合格点は取れたといわんばかりにねぎらってくるのは埒外だ。

「上出来だ」

 智機の何処の琴線をくすぐったのかは知らないが、とにかく褒められたことにファリルは嬉しくなった。しかし、図に乗るなといわんばかりに肩を叩かれる。

「……わかっているよな」

 もう、死ぬなんて言えない。

 智機が言ったように後戻りはできない。

 死んだほうがマシな厳しい旅が待っているが、それでも進まなければいけない。

 怖いといえば怖い。

「はい」

 でも、歩いていける。

 1人ではないから。

「でもさ、生きようと思った時に限ってあっさりと死ぬんだよな」

「そんな縁起でもないこと言わないでくださいっっ!!」


「やっぱり戦争はダメです、か」

 他の傭兵たちが勢い勇んでマローダーに向かって突っ込んでいくのを遠巻き見ている傭兵団のうちの1人のライダーが呟いた。

「それなのに戦争を続ける、なんて鬼畜な姫様なんでしょうね」

「言ってやるなよ、それは」

 ファリルの言っていることは矛盾だらけなのかも知れないが、かといって人の心を引きつけないというわけではない。人というのは矛盾の塊だからだ。

「人が死んじまうのは悲しい、か」

 傭兵といえど彼らも人の子である。

「そういやお前に家族はいたっけ?」

「妻や子供がいたけどみな死んだ。お前は?」

「……故郷にお袋がいるけどあんまりいい想い出なんてないな。あったらこんな因業な商売なんてやってないだろ」

「でも、おまえの心はオレの心。オレの心はこう叫ぶ。親孝行してえと」

「バカいってんじゃねえよ。戦場を忘れちまうところだったじゃないか」

 彼らにだって親兄弟はいて、人によっては妻や恋人、子供もいる。彼らは家族の存在を思い出されては、愛しき人々から遠く離れた場所にいるという事実を再認識させられていた。

 好んで修羅の道に入ったとはいえ家族を想う気持ちは残っているだけにファリルの言葉は忘れかけた、意図的に忘れようとしていた感情を刺激されていた。それは傷口にナイフを突き立てられたようなものである。でも、痛いよりは懐かしかった。

 彼女は敵の味方の区別もなく死者を悼んでいた。

 懐かしいからこそ、心地よいからこそ封印していた。


 言っていることは矛盾ばかりで指導者としては稚拙なのかも知れないが、人としての純粋な想いが籠もった言葉であるだけに政治家の言葉よりも心を揺さぶった。

 それだけに複雑だった。

「オレ、シュナードラに寝返っちゃおっかな」

「下らない冗談はよせよな」

「バレたか」

「でも、その気持ちはわかる。有権者としては何処の国の総統よりなんかよりも姫君のほうに票を入れる」

「オレもだ」

「てめぇと気が合うなんて……こりゃ、死ぬかな」

「なんだと、てめぇ」

 彼らはファリルを殺さなくてはならない立場にある。雇い主よりも遙かに好感を持てる存在を消滅しなくてはいけないので気分は複雑だった。もっとも、やれといえばやれるのが傭兵というものであり、戦い終わって酒飲めば綺麗さっぱりと忘れることできる程度の複雑さではあったが。

 けれど、姫を殺すのは重い障害が立ちふさがっている。

「リーダーはどう思います?」

 一時は意気消沈したクドネル側ではあったが、相手騎体に姫が乗っていると分かっては掌を返したがごとく息を吹き返して再度、マローダーを責め立てていた。

 相手はたかが一騎。しかも、傷ついた量産型。

「……倒せるわけないだろ」

「自分もそう思います」

 その程度で倒せるのなら突っ込んだ時点で消滅している。さんざんかき回されたあげくに旗艦が撃沈されるという阿呆な事態になってない。

 相手は200騎以上の騎体や艦艇、無限に近いほどの量のビームの軌跡を全て読み切って、自らの手を汚さずに多数の騎体を落とした化け物なのである。

 あちこちに損傷が見られ、ドリフトが使えないとはいえ、だからといって殺れる相手とは思えなかった。

「どうします? 撤退しますか?」

 指令系統は全滅に近いのだから独断で撤退しても問題になる事はない。しかし、リーダーは首を横に振った。

「戦わずして退くことは陛下がお許しになるまい」

「下手したら一族もろとも死刑ですからね」

「軽く突くだけでいい。スズメバチに刺されて死ぬなよ」

 戦いが終わらないことが確定した以上、彼らは敵となるマローダーの力を計らなくてはいけない。これまで遠くからマローダーの戦いぶりを観察してきた彼らではあったが、見ているだけでは限界がある。森の中で素手だけでヒグマと戦うような危険を冒してでも。

「了解っと」

 部下達の間で軽く笑い声が起きる。


 ある部下がリーダーに向かって言った。

「具申したい事があります」

「なんだ? 言ってみろ」

「小官はマローダーを攻撃するよりも、残存勢力を叩いたほうがいいと思いますが」

 それはリーダーも思っていたことだった。

 マローダーが危険を冒してまで単騎突撃しているのは、自らを囮にすることによって友軍を一騎一隻でも逃すことにあるのは言うまでもない。

 その目論見は成功しており、マローダーにひっかき回されて注意を公国軍残存兵力に向けられないでいる。指令系統を破壊されて、残りの傭兵部隊は功名に逸っていて、残存兵力を叩こうという物好きはいないだろう。

 ただし、戦局全体を見れば残存兵力を潰しておいたほうがいい。たとえマローダーとはいえたった一騎で戦争を行うのは不可能だからだ。

 数が多いとはいえ、マローダーに比べれば蚊以下の強さしか持っていない公国軍残存兵力を叩くほうが気が楽である。

「言っただろ。軽く突くだけでよいと」

 だが、リーダーは拒絶した。

「我々に与えられた任務は共和国を勝たせることではない。無益な戦闘で無駄に死ぬこともあるまい」

「分かりました」

 部下が了解したのを見て、リーダーは付け加えた。

「それに公国軍を甘く見るな」

「奴らをですか?」

 部下の口調が呆れたものになるのは、ひいき目に見ても公国軍が弱すぎたからである。赤ん坊に殺されるかも知れないからと注意されて呆れるのも無理はないが、リーダーは真剣だった。

「計算できない強さこそ、怖い物はないよ」


 戦局がひとまず落ち着いたところで、ディバインは集合した兵力を把握してみた。

 集結させた戦力はEFが40騎と戦艦が一隻に巡洋艦が3隻。船は中破レベルのダメージを負っている。一個艦隊にも満たない戦力ではあるが数十分前の状況を考えるとこれでも集められた方だろう。

 それというのも智機の暴れっぷりが凄まじいからだ。たった一騎で敵旗艦を撃滅するなど大混乱に陥れていて、その結果、シュナードラ各軍への警戒が緩くなっていた。

「……わかっちゃいたけどすげーよな。代行殿は」

 詳しいことは傭兵団よりも把握していないが、悲鳴よりも味方の無能ぶりを罵る怨嗟と激怒に満ちあふれた敵軍の通信を傍受していれば智機がどんなことをしでかしたのか理解できる。シュナードラの兵が練度不足だとはいえ流石に誤射誤爆の異常なまでの多さを偶然の一言で片付けるアホはいない。

 誤射を偶然ではなく意図的に発生させる。

 それも無数の敵相手にやれるのは大国のエースぐらいだろう。少なくてもディバイン自身には無理という自覚がある。

 一歩、いや数ミリ歩間違えただけでも死ぬプレッシャーの中で躊躇いもなく行える智機の神経が信じられない。

 それだけに智機が騎士たちを邪魔だと言ったことも理解できる。

 智機の戦術は視界に広がる物全てを攻撃対象にする事によって成立するもので、そこに撃破されてはいけない友軍機を混ぜたら敵の攻撃を敵友軍機に当てるという処理に加えて、味方機には当てないという処理も強いることになる。智機ならば友軍機の存在を計算に入れられるのかも知れないが、本来なら必要のない無駄な負荷をかけることになってしまい、オーバーフローを起こして落とされることになる。また、智機が処理しきれたとしてもシュナードラのライダー達の技術が卓越しているわけではないので落ちたら元もこない。

 攪乱は智機に任せて、残りは集結に勤めるという戦術は今のところ上手くいっている。

 クドネルの旗艦は落とされ、現在は雇用された傭兵艦隊が好き勝手に戦闘行為を継続している。彼らはファリルの乗った智機騎を落とすことに集中している。シュナードラ艦隊は眼中にないので今ならば逃げられるだろう。

 でも、ディバインの心にファリルの声が響いている。

 幼児のようにたどたどしい口調だけど、一生懸命に世界に向かって自身の決意を伝えていたファリルの声が良心を刺激している。

「騎士団長殿、大隊長。済まない」

 親友であるヒューザーが珍しくシリアスな表情をしていた。

「ハルドレイヒ卿。何処へいくつもりだ」

「代行殿から副団長なんていうものを拝命したわけなんだけど、そういうのってやっぱ僕の柄じゃないや」

 ヒューザーは笑っている。表向きには。

「王国騎士ハルドレイヒ・ヒューザーはこれより代行殿の支援に参ります」

 それは死地に向かうことである。

 智機ほどの腕前もないのに一騎で突っ込むのは自殺行為でしかないのだが、ヒューザーはいつものように爽やかだった。

「ハルドレイヒ卿。どういうつもりだ」

「どうもこうもないでしょう。代行殿がたくさんの敵を相手に戦っている。なのにオレ達は……」

「代行殿の命令は戦力を可能な限り保持して撤退する事にある。卿も貴重な戦力だ。勝手は許さない」

「バカ者っっっっ!!」

 ノヴォトニーが一喝した。

「我らはなんぞや」

 立場はディバインが上なのだが、数時間前では上官であった人物の迫力にディバインは押されてしまう。

「我らは騎士であります」

「騎士の務めとはなんぞや」

「騎士は公家の剣でもあり盾でもあります。公王が手を振り上げられば先陣を切って突っ込む者であり、退かれる時には身を挺して守るものであります」

「その公王は何処におられる」

 戦場をまっただ中にいる。

「本来ならば我らが盾となって逃がさなければならぬのに、実際には安全地帯にある。公王を危険に晒しておきながら惰眠を貪るとは何たる恥辱ぞ」

「しかも、その公王を守っているのが、よりにもよってカマラの殺人鬼だからねえ。僕らは首くくって腹切るしかないよね」

 2人の言うように、本来ならファリルを近衛として守護すべきなのに戦場に置き去りにした形になり、自分たちは安全地帯にいるのだから面目丸つぶれである。ヒューザーの言うように全員自決せねばならないほどの恥だろう。全員が騎士団員というわけではないが公家に忠誠を誓っているのは全員同じだ。

「去りたい奴は去れ。儂は姫様を助けに向かう。あの若造に大きい面をさせてたまるか」

「……まさか、大隊長殿と意見が合うとは思わなかったっす」

 智機と出会った時は喧嘩していただけにヒューザーも苦笑する。

 ただし、一見駆るそうなヒューザーの双眸に覚悟の光が宿っていた。

「そういうわけだから、ブルーノ。地獄で合おうぜ」

 さんざん遊び倒した後に我が家へと帰るような自然さでヒューザーは死地へと踏みだしかけたが、ディバインは冷酷に押しとどめた。

「貴官のやる事はただの無駄死だ。代行殿も言っていただろう。無駄に死ぬことは許されない、感情に逸って死ぬ場所を間違えるな」

「死ぬ場所を間違えるな、だと?」

「騎士としての務めを果たすことが出来ず、ただ生きながらえている事に不甲斐なさを覚えているのはハルドと大隊長だけだと思ったら大間違いだ」

 このまま逃げれば命だけは長らえることができる。しかし、引き替えとして大切な何かを失うことになる。それでは生きている意味はなく、ブルーノ・ディバインはただの肉袋と成り下がる。

 人が生きている理由というのは人の数ほどにあるがディバインの場合は簡単明瞭である。それが失われる事の方がディバインにとっては嫌だった。大切だと認識する心と身体よりも。

 だから……


 智機が言ったことは別に冗談でもない。

 演説前は落ち着きを見せていた戦局であったが、ファリルも搭乗していると知ってからは再び敵の攻勢が活性してきた。この騎体が落としたら戦争が終わるだけでなく多額の報償間違いなしなので誠に持って現金な連中である。もっとも、智機も現金という意味ではどっこいどっこいという自覚はある。

 仮に演説をしなかったら敵は撤退をしていた可能性が高いので余計な感もある。いや、戦術的に

は全くの無意味である。

 しかし、戦略の観点で捉えればまた違ってくる。

 今の演説は敵だけではなく味方にも届いている。

 この戦争を続けるにせよ終わらせるにせよ、最高指導者であるファリルの意志表示は必要不可欠であり、終わらせるのならともかく続行するとするならば味方のモチベーションを上げておくことが重要になってくる。そのためには危ない橋を渡ってでも演説をする必要があると智機は判断した。

 再び無数のビームが騎体に向かって降りかかってくる。

 前、右、左、後ろ、そして上からも。

 それは第三者が見ればシャワーをあらゆる方向から浴びせる、もしくは光の網を被せられたように見える。普通ならこれで終わったと思われるが智機はこのような状況をさっきから幾度なく繰り返してはそのたびに生き延びていた。

 これだけ数が多ければ全てが同じタイミングで発射されているように見えるがそうではない。同じ部隊から一斉に射撃されたそれであっても遅い早いのズレはある。ほんの僅かなズレではあるが智機からすれぱ充分であった。

 無数の光が触手となって取り囲むように智機に向かって伸びていく。

 数は数えるのバカらしくなってくるぐらいに多いが、どうという事はない。

 毛虫が這う速度とどっこいどっこいだから。

 複数どころではない光の軌跡と敵の現在と未来における位置を瞬時に計算しながら智機は小刻みに左右にあるスティックを小刻みに動かし、騎体もライダーの命に応えてほんの数センチ程度の距離を激しく移動する。

 このほんの僅かな動きの繰り返しが奇跡を生む。

 結果、騎体を狙ったビームはことごとく、騎体をかすめて通り過ぎ去り、そのうちのいくつかは射線の先にいた友軍に炸裂して爆発する。

 何も知らない人間が見れば、ビームが意志を持って外したかのように見えるかも知れない。無論、そんなことはないが。

「奴らもバカじゃあないか」

 確かにビームが当たっで爆発した騎体もあったが、ビームが当たる直前にフィールドを張れたことによって爆発を免れた騎体もあった。これは智機の行動がだいぶ読まれていることを意味している。攻勢の際にドリフトをかけるを自重すれば、友軍のビームから身を守ることもできる。

 それよりも騎体のほうが深刻だった。

 智機のイメージでは完全に躱し切れていたはずなのに、現実ではあちらこちらに掠ってしまい、無視できないダメージになってしまっている。

 これは言うまでもなく、智機の能力に騎体が追いついていないからである。それがズレとなって現実に反映されている。ほんの僅かではあるが蓄積される事によって大きなものになるのは貯金と同じだ。

「私のことなんか気にしないで下さい」

 ファリルが恐怖に震えながらも言った。

 その意味するところはファリルの身を気遣うことなく、おもいっきりドリフトを発揮して欲しいということであるが智機は首を横に振った。

「それはダメだ」

「どうしてですか?」

「200Gに姫様が耐えきれるとは思えないから」

 ライダーに200Gの衝撃を要求するほどの加速力を発揮すれば一瞬で脱出することは可能である。しかし、智機はともかくとしてファリルが耐えられないのは言うまでもない。

「200Gを受けたらどうなっちゃいます?」

「まあ、ミキサーに掛けられたような感じになるかな」

「生きながらにですか?」

「そう」

 予想通り、ファリルは言葉を失い、少ししてからそっと呟いた。

「………空から落ちてきたんですよね」

 聞かれてはまずいと思ったからこそ、ファリルは小声で呟いたのだけど配慮もむなしく、しっかり聞かれている。

「見てたのか?」

 反応されて、ファリルは驚きつつも小さくうなずいた。

 どうやら、ファリルは智機が墜落する様を目撃していたらしい。

「なら、話は早い」

 遅かれ早かれ智機の異常性が露呈するのだから、早いほうがありがたい。無論、ファリルが何を感じているのかは知ったことではないが、異常であることを理由に排除されなければそれでいい。

「でも、どうやって突破するのですか?」

「やり方はいくらでもある」

 状況はあくまでも悪化の一途を辿っているが予測の範囲内である。

 飛び交う敵弾を回避しながら、次の一手を思案していると前方に3騎、後方から2騎のEFが智機の騎体を囲むように上昇してくる。

 珍しい、と智機は思った。

 大抵の傭兵が使用するのはフォンセカ、あるいはフォンセカの改造バージョンである。

 智機を取り囲みながら発砲してくる騎体はフォンセカを速度重視にチューンしたステケレンブルフに似ているが、ジェネレーター音がステケレンブルフのものとは違っている。

 だからといって、どんな騎体なのかは流石に分からない。

 ただ言えるのは絡みつくように迫ってくる光の速度がやけに速いということ。

 一瞬で光が擦過していく。

 智機は口笛を吹いた。

「……やるねえ」

 早いとはいえ、彼らの動きは読み切った。

 ビームもぎりぎりのところを掠めて過ぎ去った。

 しかし、今までのように過ぎ去ったビームが友軍機を撃つというところまでは至らなかった。

 ドリフトによるフィールドで弾いたのではない。

 きっちりと躱してのけたのである。

 彼らの存在は最初から把握していた。

 現在はともかく、敵騎の撃滅命令が下っているにも関わらず静観を決め込んでいた事には注目していた。

 戦闘を目的というよりも、あきらかに智機を観察していたからだ。

 それは即ち智機が実力を発揮する前から、智機の実力を認識していたということでもあり、認識できる能力の持ち主ということもでもある。

 それだけに彼らの参戦を楽しみにしていたということもある。

 智機はおもむろに敵軍が密集している中へと突っ込んだ。

 もちろん、激烈な弾幕が智機に向かって降りかかるがどうということはない。むしろ、友軍機に当たることに遠慮して、彼らが攻撃を控えてくれることを期待したが、智機が友軍機を盾にしながらも堂々と発砲してきたことによって、その目論見は木っ端微塵に打ち砕かれる。

 もちろん、複数のビームが盾にした不幸な友軍機に当たって爆散し、それでも智機は生きているが状況の悪さには変わりない。

「驚いたなあ」

 前方の三騎が連携して智機を追い込みつつ、後ろからの二騎がトドメを刺すという定石な方法で智機に攻撃をかけている。ただし、この戦闘の中で戦っていた連中の中では手管が洗練されている。

 それでも智機は生きているとはいえ、彼らの動きは鋭くて、なかなか今までの敵と同じようにこれまでの敵のように同士討ちという状況には持ち込めない。

 今までの敵とは桁が違う。

 動きや攻撃の切れ味の鋭さから、智機は自分と同じ同業者の臭いを感じ取る。

 智機の口元に笑みが浮かぶ。

 苦しい状況で強敵と遭遇しているにも関わらず、智機は楽しんでいる。少なくても彼らがいないよりいる事のほうを楽しく覚えていた。

 だが、不安な気配が現実を突きつける。

「大丈夫」

 高速で飛ばしても執拗に追いかけてくる敵騎が、これまでとは違う強敵だと気づいたのかファリルが不安がっていた。

 不安がり、自分が怯えることによって智機に重圧をかけているのではないかと済まなくなる気持ちで押し潰されるファリルの頭を撫でてやる智機ではあったが、ファリルが落ち着くことはあっても状況が改善されたわけではない。

 彼らが強敵、とは言っても斉の騎士団ほどではないのでドリフトを使えば一気に突き放すことも可能なのだが、問題はドリフトにファリルが耐えきれるかどうかである。

 ……正直言って、こればっかりは何とも言えない。

 一応は彼らの攻撃を回避し続けることは可能ではあるが、永遠に動き続けていられるというわけではない。いつかはどこかで攻勢をしかける必要がある。

 そのポイントは何処か。

 針の穴ほどの機会が訪れることをビームのシャワーを避け続けながら辛抱強く待つべきなのか、それとも少し強引にでもアクションを仕掛けたほうがいいのか。

 ……実はそれほど難しくはない。

 困難ではないが、彼らの機動は読み切っている。流石に同士討ちを狙うのは虫が良すぎるが、かといって仕掛けるポイントはいくらでも見いだすことができる。

 でも、問題はこの先。

 少しでも未来に向けての布石を打つ必要がある。どんなことであっても。

 例えば騎体の性能。

 様々な量産騎を乗りこなしてきた智機であったが、この騎体は智機の技量に釣り合っているとはいえない。少しはマシな騎体に乗れそうな気配はあるが、保険はかけておいても損はない。

 そして、練習。

「そろそろ本気を出してやるとすっか」

「今まで本気じゃなかったんですか?」

 ファリルは理解できないという顔をする。脳みそが爆発しそうな激痛と闘っておきながら本気を出していないとのたまう神経が常人にできるはずがない。

「少しばかり力入れるから覚悟しろよ」

 その直後に腕を強く掴まれる。

 血管が締め付けられるほどの痛みに僅かばかり智機は顔をしかめるが、奇妙にも心地よかった。

 それが生きているということだから。

 ビームの雨を避けながら、5騎ではない別の傭兵団の騎体に接近する。ゼロ距離からの発砲の中で智機はメネスの騎体構造をイメージした。

 フォンセカ系ならある程度は共通であり、メネスにも乗った経験があるので機体構造のイメージができる。

 次に、この騎体をどう改造するかイメージしてみる。

 智機はどのような騎体でも乗りこなせる自身はあるが、やっぱり高機動な騎体が好みである。

 そして、ファリルも安全も一応は必要だろう。

 智機は敵騎の撃破と同時に空間に騎体を停止させるとそのまま光を発生させた。

 

 ファリルの鼓膜に悲鳴が轟いた。

 ……リーダーには何が起きたのか分からなかった。


 自分の少し前の記憶では、マローダーはあたかも自爆したように激しく光り輝いたはずだった。

 なのに気がつくと、光が嘘だったかのように消え失せ、自分の周囲で爆発が立て続けに起きていた。

 リーダーには誰が爆発したかのを確認する暇どころか、状況を確認する余裕すら与えられなかった。

 恐怖に襲われて反射的にスティックを左に動かす。

 しかし、本能的な操作も間に合わず細かい爆発が立て続けにおきて騎体が揺れた。モニタの一つが損傷箇所を素早く表示する。だが、リーダーにそれを確認する間はなかった。

 ふれあえる距離までメネスが迫ってきたからだ。

 メネスのゴーグルタイプのヘッドカメラが、実物大の大きさぐらいにまで拡大され、装甲越しにライダーをにらみ付けてくる。

 時間にしてほんの数秒であるが、リーダーには永遠のように思えてならなかった。

 殺される。

 生物としての本能が感じる恐怖が包み込む。

 だが、メネスは攻撃する事なく、興味を失ったかと言いたげにリーダーの騎体の前から立ち去っていった。

 その直後、9時の方向よりビームが複数飛んできたが、2騎の僚騎がカバーに入ってフィールドを張り巡らせたことによって守られる。

 損傷はモニタを見なくても分かっている。

 両腕両脚の破壊されている。もはや戦えない。単に浮いているだけだ。

 リーダーは僚騎に尋ねた。

「他はどうなっている? ゴールド6」

「ゴールド2、3、5が墜とされました。しかし、脱出ポッドの射出を確認しています」

 とりあえず、撃墜はされたけれど部下が無事なことには安堵する。

「悪ふざけが過ぎたかな」

「どうでしょうね」

 ようやく苦笑できる余裕が出来たとはいえ、恐怖の爪痕は色濃く残っていた。

「ゴールド4、6。奴の機動は見えたか?」

「全然わかりません」

「一応は撮ったつもりなので、後で解析をすれば……」

 光ったと思った次の瞬間には消えていた。

 なおかつ、僚騎が三騎まとめて墜とされていていた。マローダーが瞬時に動いて、三騎をまとめて始末したというべきなのだけど、そこまで至るまでのプロセスがごっそり省略されていた。

 ドリフトを使って高速移動をしたと考えるのが自然だが、彼らが把握できないほどの高速を出していたら中にかかる重圧も相当なものになる。

 姫の生命を無視したとしか思えないのだが、遊んでいる余裕があるところを見ると自暴自棄になったのではなく、マローダーなりの計算があったというべきなのだろう。

 そう、マローダーはリーダーを撃たなかった。

 その気になればいとも簡単に始末できたというのに。

 恐怖がよぎる。

 あの瞬間、何が起きたのか分からないがただ一つだけ言えることがある。

「……うんたん…か」

 それは数百騎相手の攻撃的回避ですら児戯にしか思えないことをやってのけたということ。

 震えが止まらない。

 しかし、終わった事象について考えられていられる余裕などなかった。

 9時の方向より猛烈な弾幕がクドネル側のEFめがけて襲いかかり、弾幕に晒された友軍のEFが次々と爆散していく。

 その9時の方向を確認すると40騎余りのシュナードラのEFが軍勢の中に突っ込んでいった。

「……潮時か」

 リーダーの騎体や部下の数もさることながら、クドネルは統制が取れていないのに比べ、シュナードラのEF群の士気が高くなっているのが見てとれる。こちらには大儀も何もないのに対して、シュナードラには敬愛する姫様を助け出すという目的を見いだせているのだから、もはや勝負にはならない。

 心の強さや士気の高さがドリフトの強さに直結する。

 多少の実力差があっても、士気で凌駕すればドリフトで圧倒することができる。リーダーが部下からの具申を却下した理由はそれだった。

「生存者を確保の後、撤収」

「了解しました」

 了承した後で、部下が苦笑を浮かべた。

「楽に終わると思ったんですけどね」

 本来ならば、この戦いでシュナードラの王族や政府首脳を抹殺して戦争が終わるはずであり、実際に九分九厘まで行っていた。

 あの男が乱入してくるまでは。

「まあ、いいじゃないか。戦を楽しめると思えば」

 状況が覆ってしまったことを悔やんでも仕方がない。問題なのは突きつけられた状況とどう向き合っていくかである。難しいことではなかった。戦場で戦うということは不条理な条件と強制的に向き合わされるということであり、リーダーはそれらの状況を乗り越えて生きてきたからである。

「……そういう気分になれませんけどね」

「オレも同じだよ」

 実力伯仲している連中が相手なら楽しめるが、超絶秘技を使いこなす化け物相手では恐怖しか涌かない。勝ち目があるから楽しめるのであって勝ち目がない相手と戦うのは無理ゲーである。

 この戦いに参加しているライダーの中で奴に勝てる者はどれくらいいるのだろう。

 少なくても、対等に戦える存在と奴が戦うべきであり、自分から望んで戦う気にはなれなかった。自殺するようなものだから。

 リーダーはボヤいた。

「世の中、そううまくいくものではないな」

 

「こちらディバインです。代行殿、姫様。応答願います」

「こちら、代行。両人とも健在」

 智機がディバインからの通信に応答すると、メインのウィンドゥにポップアップされた通信用ウィンドゥの中でディバインが安堵する様子が見て取れた。

「これより騎士団および国軍で敵軍を駆逐します。代行殿および姫様は戦艦ロストックにお下がりください」

「命令を無視した上で命令とは虫のいい」

 ディバイン指揮する全軍がこの戦場に乱入してきたのは智機の命令にないことである。そして、命令違反は軍隊における禁忌の一つであった。命令違反を許してしまえば軍隊崩壊してしまう。

 智機とディバインの間に緊張が走る。

「なんてね♪」

 が、今のは冗談だと言わんばかりに表情を緩めた。

「ありがと、今のは本当に助かった」

 軍人というのは命令遵守を求められる一方で、時には命令を破ることも要求される理不尽な職種でもある。そして、今が破る時であった。

「敵軍の駆除は貴官らに任せる。ただし、あまり深追いはするな」

「了解しました」

「……ディバインさん。ありがどうございます」

 2人の剣呑な会話が終了したの見計らってファリルが口を挟むと、ディバインも緊張する。

「いえ、当然のことです……それでは失礼します」

「ディバ…」

 不自然な間があったが聞く前にディバインから通信を切られてしまう。

「騎士団の役目を完全にオレが奪っちゃったからね。彼としては墓穴があったら埋まりたい心境じゃないのかな。意外とシャイなんだね」

 戦争に関してはシャイさの欠片もない智機がディバインの心境を解説する。

「でも、さっきのはいったい……何をしたんですか?」

 智機が行った機動は敵の隊長と同様にファリルにしても謎だった。止まったと思った瞬間には遠い座標に移動して、なおかつ3騎の敵騎を撃墜していたのだから訳が分からない。プロでさえも把握できていないものを素人が理解できるはずがない。

 と、すれば当人から聞くしかないのだけど。

「ちょっとした魔法を使った」

「……魔法?」

「敵の動きを読むよりもこっちの方が辛い」

 表情こそあいも変わらず笑ってはいるが、長距離を駆け抜けた犬のように荒い息をして肩で息をしており、心なしか疲労しているように見える。

 さんざん無茶しておいてピンピンしている方がおかしいとはいえ、行う前と行った後の落差がひどすぎた。

「あの、大丈夫なんでしょうか?」

「大丈夫だろ。奴らだってバカじゃない」

 ディバインの独断によってシュナードラ国軍が突入した事によって戦局は一変していた。数こそクドネル側が多いものの士気の高さで補えるほどの戦力差でしかなく、しかも統一した指揮がとれないのだから、普通の傭兵なら撤退するに決まっている。事実、クドネル側は撤退のモードに入っていた。ここまでくれば智機の出る幕ではなく、騎士たちに任せればいい。深追いしすぎて墜とされないよう注意するだけである。

 とりあえずは今日も生き延びられた。

 ただ、反省するべきところはある。

 ……まだまだ青いなあ。オレも

 智機が生存を実感できるのもディバインの独断が合ればこそである。残存兵力をまとめて戦域から離脱せよという智機の命令を遵守していたら、今頃はまだ戦闘中だった。ファリルに言った「ちょっとした魔法」を使っても、敵軍を突破するには少々の時間が合ったから。

 だから、ディバインの援軍が非常に有り難かったと同時に智機は指揮官としての至らなさをも痛感させられていた。

 的確な独断専行が出来る部下というのも得難いものではあるが、独断専行自体は本来はあってはならないことである。それでも正解だということは、上司の指示が間違っていた、あるいは判断が甘かったということだった。

 その甘さが多数の人間を死なせることになったら、軽率という言葉では済まされない。

 それよりも心配なことがあった。

「身体、大丈夫か?」

「だ、だいじょうぶです」

 ドリフトを発動させた瞬間、智機も疲弊したがそれ以上にドリフトを使っていないはずのファリルが、智機以上に疲弊したのが気になった。ティバインには見せられないほどの疲労ぶりだった。

 今は言葉通りに落ち着いたようである。

「悲鳴が聞こえたんです」

「悲鳴?」

 そのような悲鳴は聞こえなかった。

 発した可能性があるとすればファリルであるが、ファリルが悲鳴を上げなかったのは確認している。

「痛い、苦しいって……声というよりは犬や猫が痛がっているようでしたけれど、とにかく聞こえたんです」

 悲鳴を上げる可能性がある物が一つあった。

「……悪い」

 悔恨の想いが自然に迸っていた。

「いえ、智機さんが謝るようなことでは……」

「違う。こいつに」

 ファリルの目がスクリーンや計器類を追う。

「この騎体のことですか?」

「オレがさっき、この騎体を一から作り替えていたん

だ」

「一からってそんなことできるんですか?」

「可能だよ。もちろん、誰にだってできる芸当ではないんだけど」

 実際、完全に成功しているとは言い難い。

「EFには意志があることは知っている?」

「はい。知っています」

「だから、騎体を1から作り替えられるということは騎体にとって物凄いストレスになるんだ。いきなり手足が余分に増えてくるところを想像してみろ」

「嫌ですね」

「だから、悲鳴を上げたんだ」

 個人によって多少の差はあるがEFを大事に思わないライダーはいない。無理にドリフトを使わなくても切り抜けられたシチュエーションだったので、これにはさしもの智機も罪悪感を抱かずにはいられなかった。

 でも、それ以上に気かがりになることがあった。

「あの……智機さん。落ち込まないでください。らしくないというか、その……不公平です。わたしにいっぱいひどいことをしている……かもしれないです」

 ファリルは智機を慰めているが、その理由が思い当たらない。

 少ししてファリルが勘違いしていることに気づく。

「ファリルはもう少しひどい目に合うべきだ」

「どうしてですか!?」

「ファリルは王としてミジンコ並に物足りないから、少しぐらい痛い目にあってでも成長しろ」

「ミ、ミジンコ……」

 ごまかせたことに智機は安堵する。

 さっきの出来事で、ファリルという人間が分からなくなった。

 EFには確かに意志が存在するが、感じる事はあまりない。せいぜいEFを乗っ取る際、登録されていないライダーに拒否反応を示す程度で、EFの悲鳴など聞いたことがない。智機に限らず、格上の存在でいえば渋谷艦隊の提督や、かつての上司でさえも聞いたことがなかっただろう。

 にも関わらず、ファリルは聞いていた。

 ファリルが嘘をつけるようなキャラではないことは、会ってみて数秒で理解している。

 それにドリフトを使った直後にファリルの気分が悪くなったのも、苦痛にあえぐ騎体と同調してしまい、その余波のせいという事であれば説明がつく。

 ライダーでさえ聞こえないものをファリルは聞いた。

 常識が崩壊する現場を目の当たりにした。

 ファリルを問い詰めたいところではあるが、本人が何が起きたのかを理解できていないのだから、意味はない。重要ではあるが、現時点で出来ることといえば推移を見守ることだけである。

 ……面白いことになった。

 少なくても退屈はしない。

「どうやら、賭けはオレの勝ちのようだな」

 長かった戦闘もようやく終わろうとしていた。

 シュナードラ軍一丸となっての猛攻に、クドネル軍は蜘蛛の子を散らすかのごとく逃げていく。周囲も味方ばかりという状況になっていた。

 制御は相変わらず難しいが、攻撃的回避で脳を酷使すること比べればマシである。

「そう…ですね」

 2人は生き延びた。

「大丈夫ですか?……」

 気がつくと智機の変化に気づいたのか、ファリルが智機以上に落ち込んでいた。

「大丈夫。ちょっと反省点があったから」

「反省点ですか?」

 ファリルは驚いている。

「アレだけの事をしたのに、反省点なんてあるんですか?」

「まずかったところを見つけ出して修正しないと、後でたくさんの人間が死ぬ」

 失敗するのは仕方がない。智機だって完璧ではないからだ。問題は失敗を糧に成長出来るかどうかである。

「智機さんは自分に厳しい方なんですね」

「どうなんだろう」

 それくらい当然といいたいところではあるが、内容を変えた。

 ファリルが自分のことのように落ち込んでいるのが気になった。

「どうした?」

「あれだけ凄い智機さんでも足りないのだとしたら、わたしなんかどうなってしまうのでしょうか?」

 智機でさえも足りないのだとしたら、ファリルは足りないどころの騒ぎではない。

「確かにミジンコみたいな物だな」

 智機は容赦はなかった。

「……ですよね。ミジンコか回虫ですよね」

 更に言えば、指導者として頼りない自覚があるだけにファリルはますます落ち込んでしまう。

「だったら、頑張ればいいんだよ。というより、環張るしかないんだよ」

 ファリルは生きると決めた。

 宣言したからには目的を達するその時まで頑張るしかなかった。理不尽なものだとしても、災厄というものはそういうものだから見ないふりをする事は出来なかった。

 向き合って、乗り越えるしか道はなかった。

「幸か不幸かファリルは王になってしまった。その責任はオレでも代わってやることはできない」

 智機が王になることに納得出来るシュナードラ国民は1人もいない。

「でも、支えてやることはできる」

 その小さな肩にたくさんの人々の命や運命がのし掛ってはいるが、考えようによってはそれだけの人々に支えられているとも言える。

 少なくても1人ではない。

「ファリルはオレにはなれないけれど、オレだってファリルにはなれないし」

「……でも」

 ファリルは優れた人間には、劣った人間の気持ちなんて分からないと言いたげな顔をする。

「言い換えたを変えるとファリルは脳で、オレは手足なんだ。手が使えないというわけでもないのに、わざわざ口で操縦する奴なんていないだろ」

「智機さんと私では役割が違うということですよね」

「そういうこと」

「では、私は主にどんなことをすればいいのでしょうか?」

 そんなもの自分で探せよと言いたくもなるし、自分で答えを見つけなければいけないような事を聞く態度には不安にもなる。

「そうだな……」

 甘いんだろうな、と思った。

「めんどい事とか大変なこととか、あるいは黒いことはオレ達でやるから、ファリルは覚悟さえ決めてくれればいい」

「どんな覚悟ですか?」

「いざという時になったら、オレ達の罪を背負って死んでくれる覚悟」

 きつい言い方だとは思うけれど、王とか大統領とか指導者というのはそういうものである。何故なら、智機はファリルに死ねと言われたら死ななければならない。臣下の生殺与奪を握っているのと引き替えに、臣下に対して全責任を負わなければならないのである。

 余りにも重たい言葉にファリルは考え込んでしまう。

「……て、言いたいところなんだけど、姫君の場合はそれ以前の問題」

「そ、それ以前ですか~~!!」

 底だと思っていた場所から更に落ちていくことに素頓狂な声がコクピットに響き渡る。

「ファリルは死ぬ前に、他人を踏みにじってまでも生き残ることを考えろ」

「踏みにじってって……って、犠牲にしてでもですか?」

「そうだ。世界中の人間の命全てを踏み台にしても生き延びる神経がなければ、世界のために死ねるかっつうの」

「だったら私は一生底辺のままじゃないですか」

 ファリルの性格では他人を犠牲にしてまで生き残るのは難しい。実際、智機としてはファリルは今のままでいてほしいとは思う。

 あえて、そういったのはこういう人間ほど死にやすいからだ。

 ファリルみたいないい子が死んで、智機みたいな腐れ外道が生き残るというのは、きっと死後の世界にいる神様という奴が性格のいい子をほしがるからなんだろう。智機が同じ立場に立ったら、神と同じ選択をするだろう。

 智機の真意を知らずファリルが沈没するのを幸いとして、智機は周囲を確認する。

 気が抜けた時に飛んでくる砲撃、あるいは流れ弾にやられる可能性が高いのだが、どうやら杞憂に終わりそうである。

 実は騎体の制御が大変だった。

 戦闘している時よりも大変だった。

 調子に乗りすぎたか。

 一瞬でジェネレーターを4基増設したのはいいものの、出力がバラバラで同期も取れていないので、ちょっと気を抜いただけで右に寄ったり、左に寄ったり、時には急加速をしたりする。まるで暴れ馬に乗っているような感覚である。ドリフトを使っているから余計なGを感じないでいられるだけで、実は智機でなければ制御不能に陥って落ちる状態にある。

 増設前は見かけとは裏腹に素直な操縦特性で、ミクロン単位の機動も素直さがあっての事ではあるが、智機としては少しばかり操縦が難しくてもパワーがある騎体のほうが好きである。暴れ馬を力技でねじ伏せるのが快感だからだ。

 操縦が難しくなったのは腕でねじ伏せるからいいとして、問題はジェネレーターからのパワーが不安定で暴走しがちであり、下手をすれば爆発する可能性がある事である。

 ジェネレーターに釣られるようにして、コアまでもが不安定になっているのだから尚更。

 ただし、戦闘状態ではなく、戦艦までの距離も近いので無事にたどり着けるだろうと智機は楽観していた。

 空を飛んでいるEF。

 眼下には破壊された都市が広がっている。

 今日の戦闘は終わったけれど、智機にとっての戦争は始まったばかり。

 下を見るのをやめると、両側には智機の騎体をガードするようにシュナードラの騎体が飛んでいる。取りあえずは味方ばかりではあるものの、残った数と敵の数を比較してみると落ち込みはしないが、かといって楽観的な気分にはなれなかった。

 道のりは遠くて険しい。

「お願いがあります」

 ファリルの心の中で何かしらの決意が固まったのだろう。

「私はこの国を助けたい。せめて、生き残った人たちを守りたい。私たちを助けてください」

「言った条件が守られるのであれば協力する。これはビジネスだ」

 ファリルは息を飲んだ。

 深呼吸を繰り返して、緊張を解きほぐすとようやく口を開いた。

「騎士御給智機。貴方を公女代行騎士に任命します……私たちの国をよろしくお願いします」

 頑張ってみたもののグダグタになってしまう少女がおかしくて可愛らしかった。

 だから、智機もこの時ばかりは真面目になる。

「その役目、謹んでお受け致します。全身全霊持って、この国に平和を取り戻すことをお約束します」

 ……ここまで来るのに長かったような気がした。

 兵力が質、量共に乏しく、物資も期待できないとはいえフリーハンドの権限を得たのである。

 戦争が出来る。

 誰にも命令をされることがない。

 バカな上司の思惑に振り回されて、無駄に死者を出すことがない。

 自らの意志で人を殺すそんな戦争が出来るのだ。

「報酬の件については終わった後で構わないでしょうか?」

 智機ほどの実力を持つライダーなら契約金も高額になるだけに今のシュナードラでは心持たないといったところなのだけど、智機はファリルの頭を撫でて落ち着かせる。

「それは後でいい。マリアもオレが欲しいものがガルブレズにあると言っていたし、それを見てからにしよう」

「マリアちゃんがですか?」

 ファリルもようやく妹分の怪しさを自覚し始めたらしい。

「大丈夫。さっきはきついことを言ったけれど、ファリルに責任取らせるような事には絶対にさせない」

 たとえ、どんな困難な道のりであろうと絶対に勝ってみせる。

 実際に困難な訳であって、智機ほどに強くはないファリルは目の前のハードルの高さに気のない返事をするだけだった。

「安心しろ。詰んだら、安らかにトドメを刺してやるから」

「安心できませんっっっ!!」

 その通りである。しかも、楽しそうに言うのだから説得力がない。

「なんだ、普通にノリツッコミが出来るじゃないか」

「そういう問題じゃありません」

 ファリルの言う通りであり、智機がおかしいだけなのだが、重かった空気もだいぶ軽くなってきたのは事実だった。

「そんな事はならないように、オレはオレなりにやってみせるけど」

「もう……少しは真面目になってくださいよ。さっきは……」

 ファリルは小声でぶつぶつと言っていたが幸か不幸か智機には聞こえなかった。

「悪いな。シリアスが持続しなくて」

「まったくですよぉ……」

ファリルは咳払いをして気持ちを落ち着かせると言った。

「ありがとうございます」

 それでも勇気が必要だったのか、言い終わった後に軽く赤面する。

「あんまり気にするな。オレが利用するためにあんたを助けた。ただ、それだけだ」

 智機は相変わらず悪党めいた笑いを浮かべているが注意深く聞けば冷静というには力が入っているように聞こえただろう。ファリルには気づく余裕がなかったが。

「それでも嬉しいです」

 バカにしているような智機の態度に気圧されながらもファリルは言った。

「生きてるって凄いことなんですね」

「おまえさ、最初に出会った時、何を頼んだ?」

「はうぅっっ」

 初対面で殺してくれるよう頼んだ人物のセリフだとは思えず、当然すぎる智機のツッコミにファリルは赤面したまま固まってしまう。

 でも、それが正直なところなのだろう。

 高い所から飛び降りた場合、地面につくまでは生きているがついた瞬間に衝撃を受け止められずに跡形もなく破砕されるように物事と言うのはほんの一瞬で変わってしまう。

 同乗しただけとはいえ、今まで戦火を知ることなく暮らしていた一般人が戦闘のまっただ中に放り込まれて生きて帰ってきたのだから、人生観が180度違ってしまうのも当然である。むしろ、変わらないほうがおかしい。

 そう、死んだら終わり。

「わたし……生きてもいいんですよね」

「決めるのはオレじゃない、でも、否定する奴は許さない。それだけだろ」

「智機さんらしいですよね」

 ファリルは笑っていた。

 自嘲するかのように笑っていた。

 智機はファリルの肩を叩いた。

「泣きたいんだろ」

 バレバレだった。

 どうやら、死んでしまった両親のことを思い出してしまったらしい。

 ファリルがこれからを生きることによって、両親から遠ざかっていくのが悲しいのだろう。

 人は時の移ろいと共に流れていく。

 死者は永久に停止している。

 時間が経つにつれて人と死者との距離が離れていく。

 だから、他人の死が悲しいのも知れない。

 生きていることが尊いのかも知れない。

「……でも、わたし」

「簡単に泣き出すわたしって格好悪いと思ってるだろ。安心しろ、元から格好悪いから」

 実際にかっこ悪い。

 ファリルの小水を浴びているだけにかっこいいとは絶対に言えないのだけど、流石にはこれを指摘するのは自重した。

「ひどいですよ。智機さん」

 ファリルは笑っていたけれど、声がひび割れていた。

 智機は続けようとしたが、言うべき言葉がない事に気づいた。

 智機だって、あんまり人のことを言えた義理ではない。

 大切な人を亡くした時、智機だって泣けなかった。いや、体面とか矜持とか様々なものに縛られたからこそ泣くに泣くことが出来なかった。

 ファリルとは違って我慢することが出来たからだとも言う。

でも、喪失を引きずっていないと言った嘘になる。

 その微笑みの前に智機は言葉をなくした。

 優しい笑顔だった。

 見ただけで怒りや悲しみがすっ飛んでしまい癒される暖かな笑顔だった。

 長いとは言えないけれど激しい時間の中で失った何かが蘇ってくるような気がする。

 瞳や頬の色、姿勢に至るまで全力で感謝の意を伝えてくるファリルを見て背中をくすぐられたような照れくささと嬉しさがわき上がってくる。

 こんなファリルを見れられるだけでも助けた甲斐はあった。

 でも、智機は嬉しさに浸ることができなかった。

 ――似ていたから。

 だから、ぶち壊すことにした。

「悪いんだけど、漏れてる」

「漏れてる……って」

 ようやくファリルは気づく。

 下腹部がぐっしょりと濡れていて、しかもなにやら香ばしい臭いが立ちこめていることに。

 その液体の意味を知った瞬間、少女の悲鳴が轟いてはむなしく消えていった。

 





 


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