第10話:ライトスタッフ


 新臨淄から、シュナードラに向かうまでの間、延信は戦艦に用意された執務室で映像を見ていた。


 一騎のEFが両腕でEFを掴んで上昇している

 掴まれた騎体は、その騎体よりも一回り大きく、更に右腕は蟹を思わせるように肥大している。見るからに掴んでいる機体よりも格上なのに、動きを制御されているのは一見すると謎なのだが、延信には分かっている。あからさまといってもいい。

 "やらせている" のだと。

「悪手だね」

「何が悪手なのですか?」

 坊主頭のアイノが尋ねてきたので、延信は映像を止める。

 そのEFが前蹴りをするが、装甲厚の前に蹴った脚が爆砕されるところで映像は止まる。

「マローダーに前蹴りしても無意味。ドリフトを使っていても騎体差で砕けるのは自明だからさ」

「見るからに分厚いですよね」

 コンクリートの壁に向かって、バイクがフルスピードで突っ込むようなものである。間違いなく突っ込んだほうが粉々に砕ける。

「追い込むのなら、余計なことはせず押し込むべきだ」

 延信の目は二騎の奥を見ている。その先にはもう一騎のEFがある。

 彼らがティーガーに勝つにはどうすればよかったのか。

 延信は選択肢を脳裏にいくつも並べ、実現可能性を探るが首を振る。

 あの時点では、彼らには勝てない。

 この時、インターホンが鳴り響く。

「鈴壬矢でーす。はいりまーすっ♪」

「どうぞ」

 第五京が執務室に入ってきたので、この時ばかりは延信も居住まいを正す。

 第五京は敬礼すると本題に入る。

「少将の依頼していた件について、報告にきたよん」

 延信は机の上に置いていたリモコンを取り上げると、画面を早送りする。

 ティーガーが掴まれていたEFを振り回し、そのEFが進路上に待ち構えていた、もう一騎のEFに炸裂しようとしていた。

 第五京が語るのは、そのEFのライダー。

「少将が調査を依頼していたライダー。彼の名前はシュウイ・セル=ファイ。年齢は15歳、ロンバルディ・ユーゲントの少年兵で、今回の戦いが初陣です」

 あの年齢なら、誰だって今回の戦いが初陣だろう。智機みたいにあの年齢で経験を積み重ねているのが異常だ。

「家族構成は?」

「父母はザルツァイの工場勤務、兄弟は兄が一人、弟妹が十人という貧乏家庭。貧乏だから子供を鶏みたいに産んじゃうんでしょうね。でも、こないだのザルツァイ攻撃で住んでいたスラム街ごと落ちてきたEFに押しつぶされてしました」

「それは不幸なことだ」

「兄、ドゴン・セル=ファイもロンバルディ・ユーゲントのライダーで、ティーガーの迎撃に出ましたが戦死しています」

 第五京の口元が悪く歪む。

「弟、シュウイに殺されたようですよ」

 ティーガーを掴んでいたEFが逆に振り回され、凶器として化してそのEFに襲い掛かる。

 そのEFはライトセーバーを抜きながら、突っ込んできたEFを横一文字に薙ぎ払い、その勢いで離脱した。

「兄弟同士で殺しあうことはよくある。ティーガーのライダーもクルタ・カプスで恩人を殺したそうだ。彼も不幸なことには変わりないが」

 この戦いで、彼は家族を失った。

「彼の状況は?」

「現在、軍法会議で死刑の宣告を受けて収監中です」

「ロンバルディは彼に敗戦の責任を押し付ける気か」

 第五京は鼻で笑う。

「流石にそこまで恥知らずではないですよ。もっもと、存在自体が恥知らずといえますが。実家の様子を確認しに兵営を抜け出したのが逃亡罪に問われたそうです」

「それで死刑というのも、厳しい気がするが」

「クドネルはマローダーが流したニセ情報で大変なことになっていますからね。微罪でも死刑にしなければ軍規が保てないのでしょう」

「ニセ情報、ね」

 ティーガーの目的が別にあったとはいえ、与えたダメージは小さいものではない。クドネルの全国ネットワークで「クドネルは斉の傀儡であって、この戦争に勝利しても地獄が待っている」と扇動した。事実であるだけに、反乱とまではいかないまでのクドネル国内は動揺している。些細な罪状でも死刑しなければならないほど、士気が低下しているのだろう。

「少将の指示で執行を停止しております。死刑執行後に執行停止命令というふざけた真似をやらかそうものなら、関係者全員一族も含めて凌遅でおどしてますから、彼はまだ生きているでしょう」

「ごくろうさま」

「でも、彼に生かす価値はあるのですか?」

 シュウイ・セル=ファイ。彼はただの少年兵でしかない。助けるのは簡単だとはいえ、生かす価値はないように見える。

「鈴壬矢大尉。君なら、彼の実力をどうみる?」

「学校の先生から質問には質問で返すな、と教わりませんでしたか」

「学校なんて、まともに行った覚えがなかったよ」

「ロクでもない人ですね」

「君には負けると思うけど」

 ひどいことを言われているのだが、第五京は人好きのする笑顔を浮かべるとあっけらかんと言った。

「アタシには、そういうことは全然分からないですね。軍隊に入ったのもいい男を捕まえて、その後は専業主婦として旦那を搾取しつつ、愚民どもが苦しむ様を高みの見物で嘲笑いながら往生することですねぇ。そんなに期待しないでください。無能な部下として、上官が苦しむ姿を…」

 流石にアイノに睨まれたので自重する。

「冗談よ、冗談。怒らないで、勇ちゃん」

「寿退社を狙うのなら、私と結婚するというのは」

 延信は平気で爆弾を投げ込むのだが、第五京の反応は激烈だった。

「却下です。少将はイケメンですし、家柄も申し分ありませんが梁王家は貧乏で有名じゃないですかぁ」

 梁王家は格式こそ高いが、嫁を一生涯に渡って贅沢させるほど資産に恵まれているというわけでもない。

 アイノが二人を睨んでいるが、かまっていては埒もあかないので、延信は本題に戻ることにした。

「彼には才能があると思う。あのマローダーも評価した逸材だ。それほどの才能が下らないことで潰されるべきではない」

「帝国は私兵禁止ですよ」

 私兵という定義は曖昧であるが、皇帝以外の個人が私設部隊を構築するのは禁止である。

「手駒は多いことにこしたことはない。彼がこの戦争に生き残れたら糾軍に入れるから問題ないよ。これはマローダーへの嫌がらせなんだ」

「嫌がらせとは?」

「マローダーは彼を殺すこと失敗した。その彼がマローダー、あるいはその縁者を殺したら、マローダーは死ぬほど後悔することになる」

 アイノはどん引きし、第五京は悪人のような笑みを浮かべる。

「閣下はアタシよりも腹黒ですね」

「僕ほどの聖人もいないと思うが」

「それは少将…いや、勇ちゃんだけですよ」

 第五京は「少将だけ」と言おうとしたが、アイノに睨まれたので言い直した。

「そういう底意地の悪い話なら、了解しました」


 延信にとって短いようで長い旅も終わりに近づいていた。

 新臨淄からシュナードラ周辺宙域に移動するのはワープの使用で短時間で済んだが、シュナードラ降下とそれからの移動が手間取った。

 アイノの手が伸びてきたのを察して、延信は目を空ける。

「少将、後少しで到着です」

「早いな。もうちょっとのんびりしていたかった」

 延信は大きく伸びをする。

 リニアのコンパートメントはゆりかごタイプのシートが4つ、2組で対面になるように配置されていて、シートは後ろを気にすることなくフルフラットにできる仕様になっている。肘掛には10インチのモニタとテーブルが内蔵されており、シートの細かい部分や壁、窓周りに至るまで手の混んだ細工がされている。斉の宮殿と比較すると造作の雑さは否めないが星団最強国家と比較するほうが間違っている。

 シートの素材も上質で、ふかふかなのがとても心地よい。

 ただ、色彩が金で統一されているのが趣味が悪い。成金趣味丸出しである。

 延信は嘆息する。

「うちではこんな感覚、絶対に味わえない」

「そうですよね。私も溶けていたくなっちゃいます」

 アイノが同意する横で、第五京は唖然としていた。

「梁王家はそこまで貧乏なんですか?」

「貧乏というより贅沢禁止。例えばスーパーカーに乗りたいのに、吉利の軍用しか乗せてもらえない」

「お金があっても贅沢させてくれないなんて、侘しいですね」

「タチが悪いのは梁武王が決めたことだから、誰にも逆らえない」

「金がない癖に、プライドだけは高い旧家に生まれるのも問題ですね」

「まったくだ」

 梁王家が帝国随一の名家なはずなのに、清貧極まりない日常を強いられているのは建国の元勲だからである。功臣というのは裏を返せば帝国を脅かす反逆者であり、帝国成立後に一族まとめて粛清されるということも列挙にいとまがなく、斉に置いても例外はない。疑いをかけられないよう、財はもとめず清貧に生きるというのが梁王家の方針であった。それが異性諸侯王という立場でありながら生き残っていた要因の一つである。

 他愛もないやり取りをしているうちに、リニアが減速する。

 南バンド大陸最大都市、ボンネビルに到着。

 ロンバルディの元に直行できなかったのは、バイオントダム周辺の基地に収容できる艦隊のキャパシティを越えていたからである。

 このため、地下に張り巡らせたリニアでロンバルティが住む地下要塞に移動している。内装がやたら豪勢なのもロンバルディ専用の車両を使っているからに他ならない。

 窓にホームが映りこむ。

「鷹城少将、鈴壬矢大尉。行ってらっしゃいませ」

 これから先は軍属はおろか下級軍人でも行けない場所になるので、アイノとは別行動になる。真面目に敬礼をするがすぐに崩れるのは、延信のやる気が見るからに欠けていたからである。

「……たるい」

「しっかりしてください。此度の戦が不本意なのは理解しますが三爺は梁王家を担う方なのです。だらしない姿をならさらないでくだ…」

 延信の手がアイノの剃ったばかりの髪のない頭を撫でる。

 その感触はまるで宝石を撫でているよう。

「…ひきょうです……」

 見た目は男の子にしか見えないはずなのに、熱のこもった目と頬をしたアイノはすっかり雌だった。

「それでは行ってくるよ」


 車両が完全に止まり、ドアが開くと延信と第五京は列車から降りる。

 地下ホーム、赤いカーペットが敷かれたプラットホームを歩いていると、複数の軍人たちが談笑しているのを見たので2人は直立不動してから敬礼をする。

 その軍人たちも延信たちに気づくと、同じように敬礼を返す。

 軍人たちの中心にいた軍人が延信に声をかけた。

「長旅ご苦労。少将」

「ご苦労と言いますけれど、まだ始まったばかりですよ。大将」

 身長が一際高く、まるで梁武王が再臨したような強者としてオーラを隠すことなくまき散らしているこの軍人は糺軍総監ペイトン・ブレイディ。非斉人系軍人のトップがシュナードラ戦線にやってきた。

「始まれば後は少将に任せて暴れまくるだけよ。ストレス発散にはちょうどいい」

 ブレイディは腕っぷし、すなわちライダーとしての技量でトップにまでのし上がった人物である。EFでの戦闘や指揮に特化していて、それ以外の雑用には向いていない。よって、何も悩まなくてもいい。

「面倒なところだけ丸投げするのは、勘弁してください」

 つまり作戦立案や物資の手配といった面白くない仕事は、ブレイディとは対称的になんでもこなせる延信がこなさなければならない。美味しいところだけを持っていかれ、面倒な仕事を押し付けられるのは不公平感がある。延信が帝国屈指の名門であることを割り引いても。

「戦闘は俺が全部こなすから、卿は後方で女を抱きながら書類仕事をこなしてもよいのだぞ」

「そのようなことであれば、私も新臨淄でリモートワークを行いたかったのですが」

 前線に出るということは敵兵を心置きなく鏖殺することが出来る代わりに、自身も殺されるリスクが高い。そのため貴族の御曹司は兵役に出るとはいっても戦火が及ばない後方勤務であることがほとんどである。延信も貴族らしく贅沢で怠惰な生活を送りたかったのに、現実は前線に赴いている。

 人生を振り返りたいところで長くなるのでやめた。

「前線だからセックスの片手間に仕事ができるのではないか。新臨淄なら梁武王に殺されておるぞ。それは冗談だが遊びのような任務に肩肘張ることもあるまい。俺は変態やマローダーとの戦いを楽しみにさせてもらう」

 防衛戦争ならともかく、この戦いは権力闘争の一つと兵器の実験という起こさなくてもいい戦争である。遊ぶのも全力を尽くすべきであるが、かといってこの戦いで死ぬのもバカバカしいというものである。

 そう考えると延信は滅入る。

 遊びとはいえ戦争である以上は犠牲が出る。延信は生き残ることについて自信があるとはいえ、意味のない戦いで死ぬのは余りにも下らなすぎる。犬死にといってもいい。世の中に様々な個性があるように、延信のように人生を怠惰に暮らしたいと思う人間もいれば使命感に溢れた人間もいる。ここは最適な人間、強者との戦いに魂を燃やす人間に任せたほうがいい。

「死ぬのは大将に任せて、小官はその分まで楽させていただきます」

 ひどい言い草であったが、ツボに入ったのかブレイディは笑うと延信の肩を叩いた。

「この任務は本軍の奴らがついてくることは理解していたが卿で良かった。これが急先鋒や陰獣なら息が詰まる」

 糺軍総監は帝国三役の一角と言われ蒼竜騎士団団長、延信の父と同格だとされているのだが、斉国において非斉系の人種は奴隷階級なので軋轢を生む。今回のように特権階級の人間が奴隷身分の下につくと職場の雰囲気は最悪で、同士討ちさえおきかねない。実際、延信の仕事は蒼竜とそれ以外の部隊との折衝が主になっている。斉人よりも非斉系との付き合いが多い。

 思い出すと頭が痛くなってきた。

「大将の下につくのは今回が初めてですが」

 延信はブレイディと会話をしたことは何度もあるが、一緒に仕事をするのは初めてである。

「卿についてはロイから話を聞いている。我ら奴隷と平気で友達付き合いができる士大夫なんて珍獣ではないか。それに卿は面白い」

「小官のどこが面白いのですか?」

「戦歴の割には、士大夫のどら息子にしか見えないところが」

 陽気な態度を崩していないブレイディであったが、この時のブレイディは顔は笑っていても目だけは笑っていなかった。獲物を見るような冷たさと鋭さ、そして猛々しさで延信を見ていた。

 しかし、一瞬で鋭さは消える。

「欲をいえば、浪裏白跳と仕事がしたかった」

 ブレイディは一気に鼻の下を伸ばしたエロ親父になってしまい、幕僚たちが一斉に沸いたが延信は不快に思わなかった。誰だって野郎よりは騎士団随一の絶世の美人と組めたほうがいい。

「ベストよりもベターですよ。急先鋒や陰獣と組まされるよりマシだと思ってください」

 同僚よりも、他部隊の人間を好ましいというのは問題であるが斉においてはよくあることである。


 延信と第五京、ブレイディとその幕僚たちがゲートを潜り抜けてホールに入るとクドネルのテオドール・ロンバルディ総統が待っていた。

「クドネルにようこそ!! お待ちしておりました。マニング大将、鷹城少将」

 シュナードラとのビデオ通信では高圧的な態度で接していたのに対し、延信とブレイディ一行を出迎えるロンバルディは同一人物とは思えないほどに卑屈になっていた。

 ブレイディは左右に控えていた幕僚に一瞥すると、幕僚は下卑た笑みを浮かべながら、ロンバルディの左右に展開する。

 ブレイディはロンバルディをにらみつけた。

「ロンバルディ。貴様は我らにとってなんだ?」

「はい。私は閣下にとっての忠実な下僕であります」

 この答えにブレイディは呆れたように首を振った。

「ひざまづけ!!」

 怒鳴り声が大地を粉砕する雷鳴のように轟く。

 帝国三役、最強の一角として称えられる戦士の一喝は、この場にいた人々。ロンバルディに付き従っていた役人や軍人たちを地面に押し付けるほどの圧があった。延信でさえも衝撃波が津波のように伸し掛かってきたように感じられたのだから、凡人である彼らが耐えられるわけがない。

 全身から滝のように汗を流し、恐怖を顔中に張り付けつかせてカエルみたいに平伏するロンバルティにブレイディは立て続けに命令する。

「口を開けろ」

 ロンバルディが命令に従って口を開けると、ブレイディはロンバルディの顔に向かって歩み寄り、猛々しさを残しつつも笑いながら言った。

「全部飲めよ。こぼしたら殺す」

 ブレイディはおもむろにスボンをチャックを開いて、猛々しい股間のEFを晒すと、その筒先をロンバルディの顔面に向けた。

 その後の展開は言うまでもないだろう。

 よっぽど貯めていたのだろう。股間のEFから大量の液体が迸り、シャワーのようにロンバルディの顔面に振り注ぐ。脅されている以上、ロンバルディには飲むしかない。ロンバルディの頭は黄色く濁った水にまみれ、必死になって飲み干そうとするロンバルディは苦痛と汚辱にまみれていた。

「趣味悪いですね」

 第五京の小さい呟きに延信は仕草で同意をする。

「俺の聖水はうまかったか? ……犬」

 ブレイディが生理行動を終えると股間のEFをズボンに治めながら、ロンバルディに問いかけるが反応がなかったので威圧すると、ロンバルディは悲鳴を上げた。

「お、おいしかったです。閣下」

 ブレイディのいうように全然飲めていないのだが、今の命令を遂行するのは無理だろう。

 居住まいを正すとブレイディはロンバルディに目をくれず、随行していた軍人や役人たちに向かって言い放った。

「聞け、クドネルの諸君。貴様らは下僕ではない、我々の犬だ。二本の脚で立つ犬だ。にも関わらず、この愚かな犬は人間であると錯覚したから罰を与えた」

 ロンバルディの左右に展開した幕僚たちはビデオカメラを見せつけながら撮影している。ブレイディの放尿からのシーンは全国ネットでクドネル軍部に流されている。

「クドネル全ての国民は犬であり、我々の所有物だ。犬が我々に逆らうことはゆるさん。自由意志なんて高尚なものはない。我々のために生き、我々のために死ね。そして、我々によって生かされていることに感謝感激し涙せよ。少しでも異論を述べる輩は当人はおろか家族血縁一匹残らず殺処分する。以上」

 ブレイディの行動は、クドネルに上下の立場を分からせるための示威であり、今後の施政方針演説である。斉からすれば、それ以外の勢力は下僕もしくは犬であって、格下というのは従うものであり共に行動するものではないのである。

 ブレイディのとった行動は醜悪ではあるが、意味があることは理解できる。

 延信も似たようなことをするからである。


 延信が来る前も、来た後もその空間はかわいそうなぐらいに空気が張りつめていた。

 待っていたのは11人の少女と1人の女博士。

 延信が入ってきたのを察知して素早く敬礼、それから直立不動するまでの少女たちの動作がプログラミングでもされていたんのように一秒の狂いもなく一致しているのは、見ていて気持ちいいほどだった。

 延信は少女たちを見る。

 一見するとバラバラなのは身長が一致していないから。ほとんど大人といってもいい子もいれば、まだ小学生といった子もいて体型だけはバラエティに飛んでいる。ただし、違いはそれだけでカーキを主体とした軍服と帽子も、そして何も浮かんでいない表情など、奇妙なほどに一致している。

「こんにちは。このたびクドネル人民社会主義共和国特殊作戦群の指揮官についた鷹城潤一郎です。陛下のためにあなた方の御尽力が必要です。よろしくおねがいします」

 蒼龍騎士団所属のエリートとは思えない緩い訓示を行ったあとで、延信はやれやれといった体で肩の力を抜いた。

「いきなりというのなんだが、君たちの力を知りたい」

 リーダーらしい少女が発言する。

「失礼ですが、閣下は私たちの戦闘記録を見られたのではありませんか?」

「君たちの戦闘記録は見た。でも、古人いわく「百聞は一見にしかず、百見は一触にしかず」という言葉があって、君たちの力を肌で感じてみたい」

「わかりました。では、どのような形で知りたいのですか? 閣下」

「その前に、君たち。全員帽子を脱ぎたまえ」

 延信の命令に、少女たちは表情もなくベレー帽を脱ぐ。

 その頭に髪はない。

 年頃の少女だというのに、その頭は徹底的に剃り上げられていて頭皮を天井の光に晒している。光に照らされた頭皮には毛穴はあるが、1ミクロンほどの髪も見えず、ただ不毛の荒野だけが広がっている。

 このため帽子を脱いだ少女たちは、女の象徴をことごとく捨て去っているので少年たちにしか見えない。胸がまっ平らなものは女の子には見えず、胸があるものはなまじ軍服越しに女性の象徴を主張しているので奇形にしか見えない。ただし、身体の骨格や筋肉の付き具合は女性そのものであった。

「趣味が悪いね」

 ただ、彼女の頭に数字が入れられている。それについて博士が言う。

「この物たちは兵器です。兵器には飾りはいりません。ただ識別できるだけで充分です」

「博士はそういう意見ですか」

 延信は少年の姿をした少女たちに向き直る。

「ルールは単純だ。僕と対峙して、どちらかが投げ飛ばせばそれで勝ち、以上だ。誰が僕と勝負する? 勝てば……そうだな。僕ができる範囲で願い事を叶えてあげてもいい。誰が僕と戦う?」

 戦う相手などいるはずがない。

 少女たちの前にいるのは軍服を着た優男である。夜な夜な親の財産で遊び歩いているような大貴族の御曹司風の男で、生まれついて箸より重たいものを持ったことがないように見える。表面的には延信を制圧するのはたやすいことだろう。

 蒼龍騎士団第三十六席にして、数億の人々をフォンセカ一騎で滅ぼした悪鬼には見えない。

 そのような実績を残した修羅であることを、毛筋にも出さない緩さがワーヒドには恐ろしい。

 情報と実情の大幅な乖離に彼女たちは動けない。

 ワーヒドは目線をサヴァに動かす。

 レッズ達の中でも一番好戦的なサヴァでさえも動けない。顔に出さないように務めているがそれでも恐怖が浮き出ているのがワーヒドには見えた。

 硬直した時間が長く続くのかと思われた。

 延信の前に2人の少女が進み出る。

「閣下を倒せば、我々の力を認めてくれるのですね」

「僕を倒すことができたらね」

「ならば、このサラサが閣下を…」

 周囲の者が止める間もなかった。

 サラサともう一人の少女が延信に突っ込んだと思った瞬間には、床に転がっていた。

「思った通りだ」

 突っかかったサラサを延信が投げ飛ばすプロセスを正確に捉えたものは誰もいない。

「君たちの才能は認める。だが、経験が足りない」

 延信はワーヒドとサヴァを見る。

「そこの2人は僕のことが少しは見えていたようだが君には見えていなかった。これが実戦なら君は死んでいた」

 戦場において大事なことは対峙する実力を正確に見極めることである。自身を過信して相手を過小に見る者はその甘さを敗北で思い知らされることになる。今のサラサのように。

 それでも相変わらず軍服を着た優男にしか見えない延信の怖さが、彼女たちには恐ろしい。

 ブレイディが警戒したのも、延信のヤバさを感じ取ったからに他ならない。

 それでいて、延信はサラサの軍服の喉元を掴んで無理やり起き上がらせると背後に回ってささやいた。

「敵を甘く見て、無謀な勝負を挑んだ報いを受けてもらうぞ」

 サラサの顔に恐怖が浮かぶ。

 延信は懐に手を突っ込むと、あったものをそのままサラサの首筋に突き立てた。

 延信とサラサ以外の人間が驚愕に染まる。

 サラサには何か肉体的な罰が与えられるのかと思った。

 しかし、項に蚊に刺されたような痛みが走っただけ。

 その代わりに身体が一気に重くなった。

 突然、重たい該当を頭から被せられたかのようで視界が真っ暗になった。

 動こうにも突然被せられた重さに自由に動けない。

 不意に視界が開けた。

「閣下。なにをなされたのですか?」

「サラサといったね。これを見たまえ」

 延信が差し出した手にあるのは鏡。

 鏡の中には見慣れぬ少女が映っている。

「思ったのも効果があったね」

 ちょっと癖のある赤い髪を伸ばした少女。真ん中に分けられた量感たっぷりな髪が少女の全身を超えてどこまでもどこまでも伸びている。

 鏡に映る少女は唖然としている。

 サラサはおそるおそる頭に手を当てる。

 普段なら柔らかいと共に頭蓋骨の硬さを覚えるはずなのに、絨毯のような柔らかい糸のようなものが頭皮を包んでいて、それを描き分けないと熱い頭皮を触ることができない。

 細い糸で出来上がった集合体は頭を包み込み、首に続いて、肩から腰、膝へと雪崩落ちている。

「坊主の君も可愛いけど、女の子は髪を伸ばしていたほうが素敵だよ」

 サラサはそこで気づく。

 部屋を埋めつくすほどに髪を伸ばした少女はサラサ自身なのだと。

「思ったよりも効くではないか。増毛剤」

 延信はひとりごちると、サラサ以外の全員に号令する。

「全員、前に習え」

 相変わらず恐ろしさを感じさせない延信であったが、上官の命の前に一秒も遅れることなく直立する。

 延信はワーヒドの背後に立つと、懐から増毛剤の入ったアンプルを取り出すとワーヒドの項にアンプルを突き立てた。

 アンプルの中身がワーヒドの体内に入ると、髪が物凄い勢いで生えてきて一瞬のうちに全身を包み込み床にあふれだす。

 ワーヒドが一瞬にして坊主頭からラプンツェルのような長髪の美少女になったことを確認すると、姉妹たちの項にアンプルを突き立てて他の子たちも長髪の子たちに変えていく。

「閣下、何をするのですか!!」 

 博士が止めようとするが延信が手を止めることはなかった。

「僕は彼女たちを陛下にふさわしい臣下に作り変えているだけだ」

「臣下ですと!?」

「博士。貴方は思い違いをなされているようだ」

「勘違い?」

「彼女たちも陛下の臣であって、貴方の兵器ではない。陛下はどちらかといえば長い髪の少女が好みだ。ならば兵士であっても、陛下の好みに沿う姿になるというのが臣下の務めだ。繰り返す。彼女たちは決して貴方の兵器ではない。この件であれこれ言うのであれば陛下に叛意があるとみなす。彼女たちも僕の指揮権にあることを覚えてもらおう」

 延信の行為も、先ほどのブレイディの放尿と同一である。

 この博士は、レッズ達の制作者であるがそれだけにレッズを使って勝手をする可能性がある。斉では私兵厳禁で博士にもその原則が適応される。例外を認めればツケ上がることになる。延信の立場が上だと分からせる必要がある。

 にしても、と延信は身長よりも長くなった髪に戸惑っている彼女たちを見て思った。

 やり過ぎた、と。


 シュウイ・セル=ファイからすれば、事象がジェットコースターのように目まぐるしく過ぎていった。

 命からがら軍営に戻ってみたものの、ザルツァイが攻撃されていることを知って条件反射で脱走していた。

 必死な思いでザルツァイに向かっていたが、そこでシュウイが見たものはEFが墜落して炎上したスラム街の跡だった。

 黒く焼け払われた一面の野原と、そこに建物があったことを物語る残骸と墜落したEFの破片。そして、漕げた空気。

 あの時の絶望は思い出す。

 この破壊を家族が生き延びたとはいえず、この場所に家族が帰ってくる希望にすがりつく余裕もなく軍警に逮捕。数時間の拘束の後に牢屋の中で、裁判もなしに牢屋で銃を頭に突き付けられた。

 本来なら、脱走兵として処分されるはずで、シュウイはその運命を受け入れていた。突然、大切にしていた家族を亡くしてしまったから。父も母も兄弟たちもいなくなってしまって、シュウイだけが辛くて冷たい現実に取り残されてしまった。

 この世に未練なんてない。

 鉛玉を食らえれば家族の元に行ける、はずだったのに直前で死刑命令が撤回され、シュウイの意思など一切合切が無視されて事態が進行していった。

 そして、声をかけられる。

「セル=ファイ上等兵。ヘルメットを外してもかまわないよ」

 ロックが解除された音がした直後に声を掛けられていたので、シュウイは視界を完全に覆っていたヘルメットを外した。

 シュウイがいるのは大企業の重役専用室といった部屋で、テーブルセットとデスクセットで構成されている。テーブルは木製、ソファも黒革製のシュウイの目から見ても高品質なものが使われているのに対して天井は配管がむき出し、壁もコンクリートの打ちっぱなしと殺風景なのがチグハグで、本来は客のことを想定していない施設に応接間としての体裁を調えたことが分かる。

 そして、デスクの先に椅子に座っている一人の青年。

 黒鉄廣島の軍服に身を包んだ彼は、貧乏家庭で育ったシュウイとは対称的に、箸より重たいものを持ったことがなさそうな優男だった。エリートの家系に育ち、そのまま出世コースを歩いてきたような品の良さはあるが傲慢さは感じられない。

 階級章は少将。

「私は鷹城潤一郎。黒鉄廣島の傭兵少将。でも、この国の総統よりも偉い」

 マローダーが言っていたことは真実なのかも知れないがシュウイにはどうでもよかった。

 だから、シュウイの反応はない。

 階級が上の人間に対して、シュウイの態度は無礼なのだが延信は気にせずに続けた。

「まずは君の家族の訃報に心から哀悼の意を捧げます。私もつい先日、家族を失ったばかりだから肉親を失った悲しみを理解できる」

「ありがとうございます」

 シュウイには鷹城の人間像は掴めていないが、辛うじて弔辞に対しての礼儀は残っていた。

「……なぜ、僕を生かしたのですか」

 延信がシュウイを生かした張本人なのは理解できる。そして、家族を無くしたという理由だけで助命するほどの善人ではない。利用価値があると判断したからシュウイを助命したのだ。

「君の戦闘記録を拝見した。実に興味深い内容だった」

 記憶が蘇る。

 一気に炎が立ち昇る。

「僕がミジメにやられたのが、そんなに興味深かったのですか」

 表情に出さないようにするのが苦痛だった。

 マローダーと戦ったが手も足も出なかった。翻弄され、最終的には生き残るために……兄を殺すことになった。

 強ければ、喪失と屈辱を味わうことになった。

「マローダーはクルタ・カプスでガートルード・シャフリスタンを倒し、カマラでは想像を絶する手段で勝ち抜いた歴戦だ。デビューしたばかりの新人が倒せるとは思い上がりも甚だしい」

 延信がいうようにシュウイとマローダーでは実力差が隔絶している。技量で圧倒されている上に使用している機材も隔絶しているのだから勝ち目なんてあるはずがない。

「私も、手駒が欲しくてね。初戦はさんざんだったかも知れないが、君にはライダーとしての才を感じた。それが助命した理由だ」

「どこに才を覚えたのですか?」

 兄を倒され、マローダーには手も足もでなかったのに評価される点があるなんてシュウイには信じられなかった。

「あの夜、マローダーが本気で殺そうしていたのは君だけだった」

 マローダーと戦った時の光景が蘇る。

 気が付いたら、騎体から脱出ポッドで脱出していて何もできない状態で、スマートライフルの銃口を向けられていた。その穴は地獄の釜。抵抗も何もできずに消される未来が確定していて、シュウイは命が消えることを恐怖を覚えるしかなかった。

「……俺、だけなんですか?」

 カスでしかないシュウイをマローダーが本気で消そうとしたなんて、信じがたかった。

「脱出ポッドで脱出したライダーは狙わないのはライダーにとって暗黙の掟。その掟を破ろうとしてまで君を殺そうとした。今は取るにたらないかも知れないが、それでも消そうした事に君の才を感じた。それが助命した理由だ」

 加えて、あの時のマローダーはレッズ以外の敵を攻撃的回避で倒していた。同士討ち程度で倒せる技量であり、本気になって殺したかった訳ではない。そのことからシュウイを殺そうとした事実が重くなる。

「セル=ファイ上等兵の状況は、軍令違反による死刑執行を私の権限で止めているところだ。君は死にたいのかも知れないがマローダーを大喜びさせることもあるまい」

 シュウイの心に炎が宿る。

「閣下は、俺に仇が討てると」

 家族を失った絶望もでもなく、自身が消滅する恐怖でもなく。

「私に服従する代わりに、君には復讐できる機会を与えよう。これでいいかい?」

 シュウイは直立すると延信に敬礼した。

「かしこまりました。俺、いや小官の全てを閣下に捧げます」

「そこまで硬くならなくてもいいよ」

 そう。家族の仇を討てる。あのマローダーに復讐できる。それだけでシュウイは燃えていた。


 シュウイが去り、懸案事項の一つを片付けて安堵した延信であるが五分も立たずにインターホンが鳴ったので、直結させている端末の画面を見ると身長以上に伸びた髪を二つに分けて、片腕ずつで抱えた少女が映っていた。

「アルヴァです。よろしいでしょうか?」

 レッズの一人であるが、何処か引っかかる。

「閣下?」

「すまない。入りたまえ」

 呼びかけられたので思考を中断すると延信はボタンをクリックした。

 クリックに連動して、ドアが開くと少女が入ってくる。

「その様子だと、長さは決まったようだね」

 調子に乗って増毛剤で髪を伸ばしたのはよかったのだが、やりすぎて身長の数倍まで髪が伸びてしまったのでレッズたちは断髪の必要性に迫られ、延信が好みに応じた長さに切るということになった。

「よろしいのでしょうか?」

「ここしか切る場所がなすでしょう」

 上司から座っていた席を進められてアルヴァは戸惑うが、現実に髪を切れる場所はここしかないので、アルヴァは席に座った。

「お客さん。どの長さまで切りますか」

「足首まで」

 意外だった。

「閣下?」

「いや、君のことだからてっきり坊主か、それに近い長さに刈るのかと思っていた」

 賢者の贈り物には最適であるが、長い髪はライダーとしては邪魔である。

「閣下はなぜ、このような御戯れを?」

 延信は机の引き出しを開けて、櫛を取り出すと彼女の長い髪を梳く。

「この戦自体、私からすれば押し付けられた他人の宿題のようなものだからね。少しは潤いを求めたい」

「私たちは兵器として生まれました。人に似ていますが人として扱ってはならないのです」

 延信の行ったのははっきり言って無用なことである。賢者の贈り物を得るためにはいいが、戦闘に長い髪は邪魔だからだ。余計なウェイトにもなり、どこかにひっかけることからデメリットが大きい。

 延信はいう。

「君は人だよ。僕からすれば女の子でしかない。それに」

「それに?」

「君は人として扱われることを、それほど嫌がっているように見える」

 梳いている髪越しに彼女が動揺しているのが伝わる。

「だから、出来る限り切らないと」

 彼女が兵器扱いを望んでいるのであれぱ、今までの通りの坊主かベリーショートを要求したはずである。けれど、彼女は変わることを選んだ。

「はい。私は人として扱われることに感謝しております」

 彼女はその事を素直に認めた。

「その証として残しておきたいのです。なぜ、そのようなお情けを我々に」

「君らも大切な臣民だ。陛下も全国民に情をかけているのだから、君らも臣民の一員として情愛をかけられてしかるべきなのだよ」

「ええ。そういうことにしておきます」

 含むところがあるように聞こえたが、彼女がこの年頃の少女らしく笑顔を見せていたので、延信は自己満足な行為にも意味があったと思うことにした。

 延信は思い出す。

「私からも聞きたいことがある」

「なんでしょうか?」

「君はサラサという少女と一緒に襲撃したね」

 そう。初顔合わせの時にサラサと一緒に延信の襲撃した少女であった。

「はい。おっしゃる通りです」

「サラサなら分かる。居丈高で自身の力を誇示したいのが見え見えだった。君はそうではない。私と戦うことが無謀であることはわかっていたはずだ」

 延信がなかなか思い出せなかったのは、サラサの印象が強すぎたのもあるが思慮深そうに見えて、勝ち目のない勝負に挑むようなタイプには見えなかったからである。見た目の印象に反する行動を取ったのも意外でもあるが結果を受けてもなお、思慮の浅い行動を取るようにみえなかった。

「閣下は仰られていました「私に勝てば出来る範囲での望みを叶えよう」と」

「ああ言った」

 延信は得心する。

「君の望みは?」

 彼女は言った。

「自由が欲しかったのです」


 「クソが」

 腹立ちまぎれに博士は壁を叩いた。

 延信が行ったことは博士のレッズ達に対する指揮権の剥奪。

 手放したくないのは当然であるが、延信の立場が上なので逆らうことができない。その気になれば、というより虫の居所が悪いという理由だけで博士を消すことも可能なのだ。

 腹が経つがどうすることもできず、周囲にあるものに八つ当たりすることしかできない。

「博士」

 その時、呼び掛けられて振り向くといたのは第五京。

「鈴壬矢大尉。どうなされました?」

「博士。陛下より貴方に密命があります」

「密命?」

「少将の言葉は気にしなくてもいいですよ。あの2人は飾りです」

 第五京の言葉の意味に気づくと、博士は悪人のような笑みを浮かべた。


 どうしてこうなったのだろう。

 応接間でひたすらお茶を飲み、お茶請けの菓子を食べていたロイでは、今までの状況を把握しようとしていたが無駄だった。

 まず、いつものように職場の書類仕事を終えて帰宅しようとすると、呼びかけられてそれに応じた。

 断っても良かったのに引き受けてしまったのが運のつきというべきか。

 その結果、目隠しをして案内されたのがこの応接間というわけである。

「遅くなったね。ロイ・エバンス少佐」

 現れたのは斉国士大夫風の男。顔を仮面で隠している。

 ロイは仮面をつけている理由を知りたいと思ったが、腹が立つ返答が来ると予想ができたのでやめる。友達として付き合っていられる延信が例外だ。

「小官に何をお望みですか?」

「君の上司と友人がある任務のために、シュナードラに向かっていることは知っていると思うが、その任務をブチ壊して上司を殺してほしい」

 斉国の後継はこの戦いを推し進める楚王と、それに反対する秦王の二派に別れていて、各大国に属する周辺諸国に内乱を起させて斉国派にするという楚王の計画が成功すれば皇位は楚王に近づく。皇位継承の敗者は処分されかねないので対抗者も必死にならざるおえない。

 加えて、楚王は蛮族勢力を取り込もうとするのに対し、秦王は蛮族の地位向上が許せない国粋派に属している。

「何故、そのような依頼を小官に」

「君が適していると判断したからだ」

 国粋派が蛮族に依頼するのもおかしいが、このような利敵行為を斉人に依頼できるわけがない。糺軍には個人の依頼を引き受けることが黙認されている。

「小官にどのようなメリットがありますか?」

「この依頼が果たされた暁には、君を糺軍総監に推挙しよう」

 大したメリットになっていない。

 糺軍は完全に実力社会。序列下位であっても証明できれば上位になれる。ロイが上司、ペイトン・ブレイディよりも上だと証明できる機会が与えられたといえなくもないが、リスクが見合わない。

 何よりもこの依頼を受けるということは、友と戦うことを意味する。性格が悪い。

「もちろん。君が望む物があれば与えよう」

 ロイは天井を見つめる。

 一見すると何の変哲もない天井であるが、斉国のことだから何もないわけがない。この光景は誰かが見ており、今までの発言もこれからの発言も拾われている。

「閣下。この依頼を引き受けるのはやぶさかでもありませんが条件があります」


「なるほど。秦王はこの手で来るか。敗者は間違いなく死だから必死だろう」

 皇帝は部下からの報告を聞いていた。

「よろしいのですか?」

 秦王の行為は裏切り行為である。

「たかだか一企業の行動に、我々が口を挟むことはあるまい」

「御意」

 行動の主体は黒鉄廣島であって斉ではないので、企業内の内部抗争に口を挟むことではないということであれば納得できる。

「シュナードラに黒鉄廣島の手の者を送り込むというアイデアは悪いことではない」

「内応が期待できるからですか」

 水滸伝における梁山泊は、敵軍にスパイを送り込み、そのスパイを敵軍の重要に位置につかせては裏切らせるという戦術で多数の都市を落としていた。この場合のスパイ、ロイが重用されればこの戦術も生きることになる。

「問題はロイ・エバンスが裏切るような人物であることだが、緑ちゃんはどう見る?」

 報告した部下、蔡緑は答える。

「彼の経歴や人格を総合的に判断した結果、内応するとは思えないです。過去にトラウマがあったようで」

「それは残念だ」

「陛下が望むのであれば、彼に指示を出すことも可能ですが」

「それはダメだ」

 皇帝は首を横に振る。

「秦王はロイに約束をした。約束というのは破ったことを誇るのではなく、愚直に守り通すこと。たとえ損を被っても守り通さなくては誰もついてこない。我が息子たちは信用を得ることの尊さを知る必要がある」

「御意」

 皇帝は天井を見上げると嘆息した。

「ロイ・エバンズか。大して目立たぬ立場の人間のようだが、あの信の友をしていることは才の持ち主なのだろう。それなのに友と戦うことも辞さぬとは随分と面白い奴だと見た。朕も一つ、オーダーしてみたいことがある」


 一見すると、そこは牢獄には見えない。

 広々とした寝室とソファセットに加えて、パーティーも行えるテーブルセットもある居間。そして、大浴場ほどの広さがあるバスタブとレインシャワーがついたシャワーブース、二つの洗面台もあるなど一流ホテルのスィートルームほどの規模を誇り、調度品も部屋の規模にふさわしい一流品で備えられている。

 加えて、壁にはカーテンと窓を模した装飾があり、覗き込むとその窓はスクリーンになっていてランダム、もしくは部屋の主の都合に応じて風景の映像を写し出すことができる。

 しかし、外から鍵がかかっていて、彼女の意思で外に出ることはできず、監視カメラや隠しマイクが装備されているのは言うまでもない。

 本棚にはいくつかの書物があるが、その全てがロンバルディ総統の徳を称えるだけの書物であり、見ることができる映像も検閲がかかった映像作品、もしくはクドネルのプロパガンダ映像である。

 そのような、60過ぎても定職につかず、親の年金頼りに引きこもっているニートには天国のような環境で彼女は思索の翼を広げる。


 幸せになるためには、どうしたらいいのだろう。

 

 まずは平和で生きることが重要だ。

 でも、平和に生きるためにはどうしたらいいのだろう。 

 まずは武器を手にしてはいけないこと。

 ましては軍隊を持たないこと。

 軍があるから、その基地があるから狙われるのだ。

 軍隊がなければ襲われることもない。

 武器がなければ攻撃されることもない。


 それでも、襲い掛かられたらどうすればいいのだろう。


 その時は殺されてしまえばいい。

 

 抵抗すると相手を傷つけるのかも知れない。

 下手をすれば殺すかもしれない。

 相手を殺すのは許されない。

 ならば、殺されたほうがいい。

 相手のためのその身を捧げることは、とても素晴らしいこと。この世で尊く美しいままで行けるのだ。それはどれだけ大金を得ようが、この美しさには叶わない。

 他人のために命を捧げること素晴らしいことはない。


 でも、あの国民たちは私の意思を裏切った。


 何度も何度も無抵抗で殺されろと命令したのに、あの国民たちは私のいう事を聞かず、あげくの果てには売国奴と罵って投獄した。

 売国奴がなんだというのだ。

 国を売る事よりも大切なことがあるのに、バカな国民は何一つして分かっていない。

 だから、シュナードラのゴミども高潔なる素晴らしいクドネルによって、徹底に排除され、その穢れた魂を浄化して天へと向かうべきなのだ


 そうだ。

 シュナードラは死ぬべきだ。

 死ねべきだ。

 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねしねしねしねしねしねしねねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねねしねしねしねしねしねしねしねしねしねねしねしねしねしねしねねしねしねしねしねしね!!


 こうして、彼女の一日が終わる。


 










 ガルブレズのCICに警報が一斉に鳴り響き、詰めていた軍人たちの表情が一気に変わる。

 ディバインがレーダーを見ると、範囲の全てが敵兵を指し示す赤い点で覆われている。これまでにもガルブレズは危機を迎えていたが今までのが児戯だとしか思えないほどの物量に圧倒され、ディバインは舌を噛んだ。






 ―――偽りの平和は終わり、クドネルの総攻撃が始まる。




 

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