アンドロイド殺し
つるよしの
火星第三コロニー刑事法廷にて
――ええ、私と主人の仲は、だいぶん、冷え切っていたのではないでしょうか。もうあの頃、すでに。
そう、彼がこの火星の土着のウイルスに冒され、床に伏せるようになった日々より、もっと遥か遠い昔に。
ですが、どちらが先に心を離したかを問うのは、野暮なことだと思いませんこと? ことに、男女の仲においては。それこそ、古来から人を悩ませる「卵が先か、鶏が先か」という愚問にも等しいものでしょう。
ですから、私は、もうずいぶん前から主人から褥をともにしておりません。でも、それに彼は文句を言うことは無かった。なぜなら、私は、自分の代わりに、
ああ、そういえば、彼にそれを提案した時、主人はただ一言、私にこう懇願しましたわね。
「わかった。だが、そのアンドロイドの姿形は、俺の好きにさせてくれ」
もちろん、私はその彼の要望を快く受け入れました。すると、彼はただちに、私が発注したアンドロイド製造業者に連絡を取り、自分がどんな容貌のアンドロイドを所望するかを伝えました。そして一ヶ月後、届いたアンドロイドを見て、私は深い満足の吐息を漏らしました。なぜなら、その姿形は、ほぼ生き写しといってよいくらい、私にそっくりだったからです。
そして、彼がその女性型アンドロイドに、リーリアという愛称を与えたことを知り、さらに私の心は満たされました。リーリアとは、私が、彼と出会った頃、つまりは、夜の街に立っていた昔に使っていた、
彼は、ことのほかリーリアを、気に入り、かわいがっていました。そのことは、間違いありません。なぜなら、夜が訪れると、私は彼の寝室の前を訪れては、固く閉ざされた扉に耳を押し当て、彼とリーリアの睦言を忍び聞いていたのですから。
時にうわごとのような、時に熱に浮かされたような、その一語一句を私は深く記憶しております。今も脳裏に、熱をもって鮮やかに浮かび上がるほどに。それほどに、彼とリーリアのやりとりは、愛に満ちあふれたものでした。
私はあの声を思い出す度に、まるで自分が主人の腕の中で愛されているような錯覚に陥り、いまにもこの身の中心が昂ぶり、豊かに濡れるような感覚を味わうことが出来ます。
ですから、主人があの致死性のウイルス感染症に倒れた後、医師の他にはリーリアしか部屋に入れないと決めたときにも、私はなんの不平を漏らしませんでした。なんせ、特効薬がなく、完治する見込みのないうえに、傍に近寄った者も98.4パーセントの確率で罹患するという恐ろしい病です。ですので、主人が私を部屋に入ることを許すはずはありませんでした。
私は主人のその心遣いに満足しました。同時に、リーリアが看護用のアンドロイドとしても完璧に働くことが出来ることを知り、私は主人にリーリアを与えてよかったと心から思ったものです。
あの時、そう、主人の容態が急激に悪化し、危篤に陥ったとの知らせが私のもとに訪れるまでは。
その日は急にやってきました。
そう、あれは、私がひとりで静かに食事を摂っていた昼下がりの時分だったでしょうか。部屋のモニターから急にベルが鳴り響き、何事かと驚く私の前に、主人の部屋に詰めていた医師がスクリーンに映りました。彼の顔がいつになく緊迫した表情だったのを見やり、私の心臓は激しい鼓動を響かせ始めます。
すぐさま私はスープを啜っていた手を止めると、スプーンを床に放り投げ、スクリーンに駆け寄ったのです。
「奥様、旦那様の容態が」
「なんですって」
私は震える声でスクリーン越しの医師に言いました。
「今すぐ、寝室に行くわ」
「……奥様、申し上げにくいのですが、旦那様はそれを望んでおりません」
「え?」
「旦那様は今際の際を、おひとり……いや、リーリアと過ごしたいとお望みです。その他の誰も部屋に入れるな、との仰せです」
私は思いもしない事態に、しばし、言葉を失いました。ですが、私は我に返ると、こう叫びました。
「そんなはずないわ!」
そして、私はスクリーンの前から身を翻すと、部屋から飛びだし、主人の寝室へと廊下をひた走りました。無機質な銀色の長い廊下に、私の弾む息と足音が響き渡ります。やがて、いくつもの扉を虹彩認識により難なくくぐり抜けて、私はほどなく主人の寝室の前に辿り着きました。ですが、その扉だけは、いくら私の瞳をもっても、頑なにロックを解除しようとしないのです。
私はたまらず、扉に耳を押し当てました。そう、かつて毎夜のように行っていたあの
「……リーリア、リーリア。俺の、手を、握っておくれ」
「はい、ご主人様」
「……いや、リーリア、今だけは、俺の名を、呼んでくれ。俺の、名前を」
「ご主人様。それは私の脳内プログラムで、禁則事項になっております」
「……あの女め。わかった、それでは、せめて最期まで、俺を、その美しい瞳で、見つめていてくれ」
「了解です。ご主人様」
「ありがとう、ありがとう、リーリア。これでもう、俺には思い残すことは、ない」
それから、どのくらいの時間か、ただ、彼の啜り泣くようなか弱い声が扉越しに響くのみでした。それは細く、長く続きました。そしてそれが途切れてからほどなくして、唐突に扉が開き、医師が部屋から出てきて、主人の臨終を私に告げたのです。
その翌日、主人の宇宙葬がしめやかに行われ、彼の遺体を乗せたカプセルが、コロニーから飛び立ち、永遠の闇の中にちいさく溶けゆくのを見届けると、私は彼女の元へ向かいました。
彼女――リーリアは、居室のなかで所在なげに佇んでいました。私とそっくりの顔、そっくりの瞳、そっくりの唇。それは、その時の私と同じく、心なしか青ざめ、悲嘆に暮れているように見えました。まるで鏡で自らの姿を見ているかのように。
ああ、みなさんは、なにを馬鹿な、とお思いかも知れません。そうですよね、アンドロイドが感情を持つはずなど、ありませんよね。
ですが、私の心は、その時、確かに感じ取ったのです。
主人と彼女は、愛し合っていたと。
次の瞬間、私は部屋にあった花瓶でリーリアを力任せに殴打していました。セラミック製の花瓶で、二度、三度と彼女の顔を殴りました。途端に、私そっくりのリーリアの顔の人工皮膚は裂け、中から金属部品と配線が飛び出しました。
自分そのものの、しかしシミひとつないなめらかなその肌が破れ、みるみるうちに醜く崩れてゆくさまを見るのは、不思議ではありましたが、なんと表現したらよいか分からない快感を私にもたらしました。
リーリアの身体が崩れると、私はその上に馬乗りになり、さらに殴りつけました。髪を鷲掴みにし、首を締め上げ、さらには内部の制御装置が丸見えになり、それが床に砕け散っても、私の手は止まることはありませんでした。そう、私は、リーリアを、これ以上になく残虐に痛めつけ、破壊し、葬ったのです。
――分かっています。人型アンドロイドを理由なく損壊してはいけない、と、厳しく法律で定められているのは。ですから、私がいま、この場に立たされ、罪人として裁かれていることには、なんら異議は申し立てません。
いま、述べたとおり、私がリーリアを破壊したのはまったくの、事実なのですから。
ですが、アンドロイドにむざむざと主人の心を盗まれた私は、いったい、そのほかに、どうすればよかったというのでしょう。私がリーリアを、破壊したのは、それでも間違いだったと言えるのでしょうか。私はリーリアの罪を許すことなど、できません。
ええ、未来永劫、できかねます。それだからこそ、私はリーリアに罰を与えたのです。
それでも、私は彼女を破壊――いえ、殺したことで、罪に問われるのでしょうか。
アンドロイド殺し つるよしの @tsuru_yoshino
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