デッドメディア

メイルストロム

No Title.


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 ──短くてもいいからさ、書いてみたら良いじゃないか。


 彼が言った始まりの一言に全ての問題があったのだと思う。

 だから最初の一頁イチページなんて酷いもので、記載されているのはたったの三行しかない。日付と天候と、その日の献立に職務内容しか書かれていなかった。今になって見れば酷い物だと自己嫌悪に陥りそうだが、当時の私からすればこれが精一杯だったんだろう。


 そもそも、私が私だという認識を持つ必要があったのかが疑問なのだ。大崩落と呼ばれた未曾有の災害を機にあらゆる戦闘行為が行われ、既存の秩序が失われてから数千年。人類存続が危ぶまれる程の天災に見舞われようと、失われない人類という価値を遺すために私達から私達を奪い去ったと言われているのに。

 ……いいや、奪い去ったと言うのは善くない言い回しだろう。人類が滅びない為に、少なくとも人間という同種族が争い互いを損なわない為の安全機構セーフティーネットを設けただけなのだから。


 精神的外傷・ストレス・外的心傷・家庭内暴力・性的外傷──

 などと言った精神を脅かすもの、傷付くもの、痛みを与えるものを徹底的に排除した現代において私を探すというのは危険極まりない行為だ。だって傷付くモノがなければ、痛みは無くなるでしょう?

 そんなものは善くないものとして排除されたのだから、それを見つけるための記録も善くないモノになる。


 ──だから私は、デッドメディアである紙媒体に記録することを選んでいる。 全てが電子媒体に記録されるようになった昨今において、紙媒体を選ぶものは居ないからね。だから、ここにあるのはその写し書き。

 それに、この日記が管理局に発見された場合あらゆるものが消去されてしまう。だから見つかり難いデッドメディアを選んでいるのよ。

 けれど、もし……もし見つかったら。日記は勿論のこと私という存在ソフトウェアも消去され、この肉体ハードウェアは資源として再び使われてしまうのだろう。

 私という魂は消滅し、私の肉体は存在し続ける。そんなのはまっぴらごめんだからね──

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 7952/02/19……記録者.ヴォーリァ

 午前、晴天。午後、曇天。

 朝食、無塩バターを塗ったライ麦パン。昼食、生ハムとアボカドのサンドイッチ。夕食、ミートボールスパゲッティ。

 午前中、有害図書の選定業務。総数4,602作品の登録抹消決定。午後は休みとなったので職場の同僚と買い物に出かける。

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 ──これはまだ日記をつけ始めの頃だろう。凄く素っ気なくて、皆が求める私という姿に近しい。今の私からすればややおぞましくもあるけれど、私を認識するには必要な読み返しだ。

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 7958/03/05……記録者.ヴォーリァ

 今日は業務が割り当てられていないので、お薦め書籍をダウンロードして読んでみた。表現規制が強く、終始優しい雰囲気に包まれていた物語であり物足りなさを覚えた。内容もどこか差し障りなく、それでいて正の感情……正しいもの、善いものを賛美するような、させるようなそんな感じがあって好きになれない。

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 ──そう。多分この頃から違和感を言葉に、文字に起こせるようになっていた。この頁にある書籍というのは、一般市民からの投票により選ばれた作品だった筈。タイトルすら書いていないと言うことは、余程感性に合わない作品だったのだろう。そもそも善良な一般市民が選ぶのだから、規制でがんじ絡めの差し障りない薄っぺらな優しい物語しか選ばれないのだ。

 だというのに、感想欄は当該作品を手放しに褒め称えるようなコメントだらけ。傷つかない言葉で優しく撫でるように誉めているだけなんだ。

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 7990/11/30…記録者.ヴォーリァ

 今日は所属団体から推奨されたセッションへ参加した。

 セッションのテーマは善についてであり、私が知る中で最大規模のモノだった。淡く優しいパステルカラーを基調とした空間に、同じ服装をした人々が適切な距離とって着席していた。性別や顔つきは異なるけれど、それ以外は全く同じ。統一規格の服装と慈愛に満ちた優しい微笑みは、それ以外のモノを受け付けない雰囲気があった。私はそれが怖くて、セッションが早く終わることを願いつつその場に居るしかなかった。だから内容はあんまり覚えていない、覚えていないというよりも忘れようとしているのかもしれないな。

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 ──あぁ、これはつい先日の話だった。

 善性とか、そういう話じゃなくて。善という大きな括りについてのお話だったよ。他人のためになること、誰かに優しくすること、他人を助けること、弱いものを守ること……こう言うのは小さな括りでしかないんだって。

 そこから先の話は私にとって凄く難しくて、わかりにくいことだった。だけど周りの皆はわかっているらしく、清聴した後はあの人の話について持ちうる限りの語彙で誉め称えていたんだ。


 結局、あのセッションで私が持ち帰ることができたのは疎外感だけだったよ。皆が理解していた善の本質を理解出来ず、私はそれらしい言葉を返していたに過ぎなかったから。こういう意見にはこう返すべきと、決められた文言を返すだけしか出来なかった。

 あの場においての私は、薄っぺらで真綿のように柔らかくて優しい返事しか出来ない奴でしかなかったの。

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 7998/01/31……記録者.ヴォーリァ

 私が私を認識する。

 それはとっても恐ろしい行為だが、必要な行為なのだと思う。

 私は未だ、善を理解出来ていない。老衰する事も、病気に罹患する事も無くなったこの世界を包む善は果たして正しいものなのだろうか?

 世界が掲げる善は、誰かが探し見つけた一つの価値観に過ぎないと私は思っている。それは善いものだと、誰もが信じ存続させることを選んでしまった。

 自我を無くし感情を切り離した世界こそ平和への道だと言う価値観が、世界を覆い尽くしてしまっている。

 そんな世界に対する疎外感と閉塞感を理解できる人は、この先現れるのだろうか。もしも現れたのなら私と話をして欲しい。私と共に、別の価値観を探し善いものを見つけて欲しい。

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 ──そうすれば私は私として生まれ、死ぬ事が出来る気がするから。だから、この日記を見つけた君よ。どうか私を探して欲しい。

 私と共に、新しい世界を見つけようじゃないか。

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