伊藤計劃『ハーモニー』が日本SF大賞を受賞したとき、選者の一人は「意識がない世界は想像しにくい」と指摘した。その当否は問うまい。心の哲学を参照すれば、人間の認知行動に必ずしも意識が必要ではないということはわかっている。しかしながら、意識を手放すこと、すなわち自我を消滅させることが直ちに〈善〉を実現することに繋がるかは一考の余地があろう。『ハーモニー』は、人類が完全なる調和を実現するために自我を手放すまでの道程を辿る。それで問題は解決したのか。これに疑いを向けるとき、本作、「デッドメディア」の幕は開く。
「デッドメディア」は、人間が自我を手放した世界でこれを再発見するまでの物語だ。主人公はデッドメディアである紙媒体で日記をつける。それは、調和の実現のために自我を排除しようとする管理局への抵抗だった。
私はまず、事実を記録する。次に、○○を記録する。そして、○○を記録する。最後に、それを○○する。
私が私として死ぬためには何が必要なのだろうか。善への懐疑が善への第一歩であることを確認させてくれる物語だ。