ニャンニャン催眠術

棚霧書生

ニャンニャン催眠術

 世界平和には猫が不可欠である。人類よ今こそ猫の手を借りるときだ。我々が安寧に暮らしていくために猫を崇め、猫を信仰し……尊いお猫様方に少しでも近づくために精進するのだ!

「トチ狂ってんなぁ……」

「ププッ、今日もニャン卿のチャンネル、おもしろ〜」

 二限が終わった直後、俺はダッシュで食堂に行こうと思っていたのに隣に座っている猫村に止められた。猫村は神妙な顔でスマホの画面を俺に向け、見て……、などと言ってきたのでよほど重要なものでも見せられるのかと思ったら、これだ。猫村が俺に見せてきたのは、猫好きのユーチューバーによる“猫が大好きです演説”とでも言えばいいのだろうか。ニャン卿と名乗る猫耳カチューシャをつけた男(しかも許しがたいことにイケメン)が生主をやっているチャンネルだ。

「俺はニャン卿あんま好きじゃねえんだよ」

「なんで? 見ろよこのビジュアルの良さ。猫とイケメンだぞ、癒やされるじゃん」

 猫村は純粋な疑問として尋ねてきているのはわかっていたが、俺は猫村の整った顔を見て、答える気が失せていくのを感じた。イケメンはイケメンを恨まず。持たざるものは辛いぜ、神さま……。

「……コンビニで飯買ってくる」

「え? 今からニャン卿の超重大発表始まるよ? 生放送だよ?」

「見ない」

 俺はこのとき猫村のそばにいなかったことをのちのち後悔することになる。

 おかかとツナマヨのおにぎり一つずつとさらにかき揚げそば大盛。コンビニで手に入れた昼食を持って、教室に戻ってきた俺は、しばらく猫村に起きた異常に気づかなかった。

「猫村、飯は?」

 猫村は俺が教室に戻ってきてからも、じっとスマホ画面を見つめるばかりで昼を食べる気配がない。昼休みは一時間ほどあるとはいえ、次の教室への移動もある、あまりのんびりしていては食事を取りそこねてしまう。

「ニャ……」

「ニャ?」

 また、ニャン卿の話だろうかと俺は当たりをつけていたのだが、その予想は大きく外れる。

「ニャ~ンッ!」

 猫村は鳴いた、猫みたいに。

「ど、どうした?」

 俺は突然の猫の鳴き真似に引きつつも、数少ない友人である猫村の異変に心配になる。

「猫村、頭でも打ったのか。面白くないぞ」

 頭のおかしくなった猫村がじっと俺を見つめてくる。イケメンの真顔は非モテには刺激が強い。俺は動揺しつつも、間近で見つめられたことで猫村の眼に異変が起こっていることに気づく。瞳孔が人間のものではなくなっている。まるで猫のような眼だ。

 病気かなにかだろうか、それなら病院に連れて行ってやったほうがいいのか、でも、俺がコンビニに行く前まではいつもの猫村だったのに、どうして急に?

 猫村が、俺が机の上に置いたコンビニの袋を触ってカシャカシャいわせた、俺の顔を見ている。

「もしかして腹が減った……?」

「ンァア゛ッ!」

 猫村が早くしろと言わんばかりにビニール袋カシャカシャを続ける。

「なんでちょっと偉そうなん?」

 俺はおかかのおにぎりを猫村に渡した。代わりに俺は猫村の手元に置かれていたスマホを少しばかり拝借する。

 画面が開きっぱなしでまだロックはかかっていない。俺は猫村が先ほどまで見ていたはずのニャン卿チャンネルを確かめる。生放送は終わっていて、コメント欄も閉められている。

「ン゛ァ~」

「なんだよ、今お前のために手がかりがないか探してんの」

 猫村は俺の肩に軽く頭突きしてくる。

「やめろって、……あ、なに、包装開けらんないの? マジかよ……」

 これでは猫というより赤ちゃんではないか。俺は呆れながらもおにぎりの包装を外してやる。俺はおにぎりを猫村に手渡そうとしたが、猫村は受け取らず、あろうことか俺が持ったままのおにぎりに口だけでかぶりついた。

「マ、ジ、か……。これはいくらイケメン相手でもしんどいぞ……」

 教室内の空気が若干ザワつく。次の講義の時間も近づいてきて、俺たち以外の学生も集まってきている。猫村の奇行はみんなの気を惹くには十分すぎるほどのインパクトがあった。ああ、こんなヤバいやつと友達だと思われたら、俺の大学ライフは彼女ナシで終わってしまうかもしれない。

「もらい事故つらい……」

 しかし、今の猫村を責めてもどうしようもなさそうなので、情報を集めるために陰キャの御用達SNS、ツイッターくんを開く。

[#ニャン卿]検索

 猫村に異変が起こる直前まで見ていたニャン卿をとりあえず調べる。すると思っていた以上に検索がヒットした。猫村のような症状を起こしている人たちが他にもいるらしく、次から次に関連ツイートが流れてくる。

「ン゛ァア゛」

「猫村みたいなのが他にもいるってよ。よかったな、ひとりだけ頭がおかしくなったんじゃなくて。ひっ……手を舐めるなっ、待てステイだ猫ちゃん」

 俺は残っていたツナマヨおにぎりも開けて、猫村の口に押し込む。これで少しは静かになるだろう。

 ツイッターの意見によると、これはニャン卿が動画を通して集団催眠を引き起こしたのではないかとのことだった。昔、海外のテレビ局で視聴者に向かって催眠をかける企画があったが、そのときも集団催眠が成功してしまいプチパニックが起きたという話があるらしい。

 時間が経てば自然と催眠が抜けてくるから心配いらないとのツイートにホッとする。ただどのくらいの間、猫村の猫ちゃん状態がキープされてしまうのかは気になるところだ。

『ニャン卿を取っ捕まえて催眠を解かせればいい話でしょ。俺は今からニャン卿のとこ乗り込みますよ、明日プレゼンなのに上司が猫とか無理』

『ニャン卿くん……イケメンだから許す←オイッ』

『俺の彼女がニャン卿によって、エロ可愛いネコタンになってしまいました。控えめに言って最高です』

『これは立派な犯罪です。先ほどの放送を見て猫化してしまった方々は勉学や家事、仕事に従事することができません。なんの断りもなくニャン卿は人の活動を制限しているのです』

 真面目なツイートと馬鹿なツイート、どうでもいいお気持ちツイート等々、いつものツイッタランドの様相を呈している。俺はその中でも異彩を放っているツイートを見つけた。

『ニャン卿の居場所特定しました。地図に星がつけてあるところです。僕の妹が猫化して、危うく車にひかれかけました。ニャン卿は犯罪者です、捕まえたら警察に突き出します。仲間募集。来れる人は〇〇駅に三十分後に集合をお願いします』

 簡潔なメッセージは冷たさすら感じる。

「確かこの人、有名なゲーム配信者だよな?」

 公式アカウントでこんなツイートして大丈夫なんだろうか。それとも後先を考えられないくらい激怒しているということか。しかし俺も、もし猫村になにかあったらと思うと穏やかではいられないから、このツイートをした気持ちもわからないでもない。猫村が目の届くところにいて、よかったと思うべきか。

 俺は隣にいる猫村の方を向く。が、隣の席は空っぽだった。

「猫村? どこだ、猫村!」

 うっかりしていた。猫村の姿が見えない。一体いつの間にいなくなったんだ? 大学構内だから、ツイートにあったように車にひかれかけるような危険はないとは思うが……

「キャア!」

 甲高い悲鳴が耳に入る。廊下の方からだ。俺は考える前に走り出していた。

「猫村!」

 果たしてそこには……

「ちょっともう猫村くんってば大胆!」

「ニャン卿の生放送見ちゃったの可哀想だけどカワイイー!」

「ニャウゥン……」

 女の子たちに囲まれている猫村がいた。猫村は地べたに座り込んでキョロキョロしている。心なしか困っているように見えた。が、俺は猫村のもとには行かなかった。なぜなら、猫村が女の子たちに可愛がられていたから。普段からチヤホヤされてるくせに、さらにチヤホヤされている。

「イケメンぶん殴りてぇ……」


 気づくと俺はツイートで指定されていた集合場所の駅に来ていた。幸か不幸か指定の駅は大学の最寄り駅だったので決行時間に間に合ったのだ。

 主催者のゲーム配信者だけが短い自己紹介をし、俺を含め集まった五人がニャン卿が潜んでいるマンションへと向かった。

「おらぁッ御用改めである!!」

 ゲーマーが先頭を切ってニャン卿の部屋に殴り込む。鍵は工具で壊していた。器物破損に不法侵入である。俺はといえば勢いで現場に来てしまったことを後悔し、逃げることを考え始めていた。

「誰ですか、あなたたち!?」

「お前は俺の家族を殺そうとした! 絶対許さねぇ!」

「ヒィィ!?」

 ゲーマーがニャン卿に飛びかかる。放っておけばニャン卿を殺してしまいそうな気迫だ。ここで誰も彼を止めなかったらニャン卿は死ぬかもしれない。俺は一緒に来ていた仲間たちに目配せし怒り狂っているゲーマーを抑えにかかる。

「落ち着いてくださいっ、ニャン卿は警察に突き出すんでしょ! お兄ちゃんが犯罪者になったら妹さんが悲しみますよ!」

 俺たちがゲーマーを抑え込んですぐに警察が駆けつけた。おそらく、騒ぎを聞きつけたマンションの住人が通報したのだろう。俺たち一行は警察にしこたま叱られた。ニャン卿とゲーマーは任意同行、俺たちは今日のところはお咎めなしで帰っていいらしい。というのも、警察は猫化パニックの対応に追われ人手が足りていないのだそうだ。

「おい、早くしてくれ。お兄さんで最後か?」

 俺は警察に急かされ、一番最後に部屋から出ようとした、そのとき、ふいに辺りの空気が肌にまとわりつくようにベタリと重くなる。

「チッ、せっかく手を貸してやったというのに」

 地を這うような低い声がして、背筋がゾッとする。この部屋には誰も残っていないはずなのに一体誰が喋ったのか。俺は好奇心に負けて後ろを振り返ってしまう。

 そこには一匹の黒猫がいた。ニャン卿の猫だろうか。尻尾がゆらんと揺れ、俺は驚く、猫の尻尾が二本に分かれていたのだ。だが、それはただの眼の錯覚だったようで俺が瞬きをした次の瞬間には尻尾は一本になっていた。

 黒猫が可愛らしくニャァンと鳴く。こうしてニャン卿集団催眠事件は幕を閉じた。

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ニャンニャン催眠術 棚霧書生 @katagiri_8

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