たったひとつのものさし(朗読用バージョン)

 北の大地に大きな森が広がっていました。

この森は実のなる木がとても少なかったので、熊のほかに生き物はいませんでした。熊はいつも一頭だけで草の新芽やキノコや木の実を食べ、冬には木の根元の大きなウロで一人ぼっちで冬眠するのでした。


 ある日、見慣れない鳥たちが見たことのない種を落として行きました。

熊はその種を食べてみましたが、苦くて食べられたものではありません。

熊はがっかりして吐き出すと捨ててしまいました。


 数年がたった頃、捨てた種から見たことのない木が育ち、甘い香りの白い花が咲きました。

花が咲くと蜜蜂たちがやってきて、「森に住んでもいいですか」と聞きました。

熊は喜んで迎え入れました。


 熊は毎日のように蜜蜂たちの働く様子を眺めました。

「蜜蜂さん、それは何ですか?」

蜜蜂が巣の中にいつもと違う部屋を作るのを見て、熊が尋ねました。

「女王様のための特別な蜜を収める部屋です。

熊さん、ここに住まわせてくれてありがとう。

おかげでこんなに蜜を集めることが出来ました。」

熊はお礼を言われてとても嬉しくなりました。


 そしてもう一つ、良いことがありました。

花の後の赤い実は甘酸っぱくとても美味しかったのです。

熊はこの美味しい実をつける種を集めては、日当たりのいい場所に埋めました。

熊の森はいつしか美味しい木の実のたっぷり実る森へと変わっていました。

すると木の実を分けてほしいと鳥や小さな動物がやって来ました。


 こうして熊にはたくさんの友達が出来ました。

みんなに頼りにされて、熊はとても幸せでした。


 ある日、熊はふと気付きました。

冬になっても鳥たちは冬眠をしていないのです。

熊は「冬は冬眠したほうがいいとよ」勧めました。

リスたちは冬眠しているはずなのに、起きて雪の中を歩き回っています。

熊は「そんな危険なことは止めて冬中巣穴にこもっているように」と勧めました。

 

 でも鳥たちは「私たちは冬眠しなくても大丈夫」と答えました。

リスたちも「私たちは大丈夫」と熊のアドバイスを聞いてくれません。


 この森はもともと熊の森です。

この森で生きていくやり方は、熊が一番よく知っています。

そのやり方を教えてあげているのに、なぜみんなは聞かないのでしょう。

ここは熊の森なのに。

住まわせてあげているのに。


 動物たちは困っていました。

体の大きい熊と、体の小さなリスや鳥では全て同じようにできないのです。

それを熊はなぜわかってくれないのでしょう。


 ある秋の終わりのこと。

一羽の渡り鳥が怪我をして、旅が出来なくなりました。

熊は気の毒に思って、自分の巣穴に誘いました。

「僕の巣穴でひと冬過ごしませんか?」

渡り鳥はたいそう喜んで、熊の巣穴で冬を過ごすことにしました。


 今までひとりぼっちだった冬眠に、今年は渡り鳥が一緒です。

熊はとても嬉しくて、柔らかい苔を集めたり、香りのいい葉を拾ってきたり。

友達が少しでも居心地よく過ごせるように心をくだきました。

ウロの準備の合間に、熊はたくさん食べて体を大きく太らせました。

渡り鳥はウロにたくさん木の実を運びました。

熊と渡り鳥は、居心地のいい巣穴で一緒に冬を過ごしました。


 冬が半分ほど過ぎたころ、渡り鳥は巣穴に貯めていた木の実を食べきってしまいました。

「熊さん、木の実がなくなってしまいました。外に出て餌を探そうと思います。」

熊は寝ぼけた声で言いました。

「とんでもない!真冬に外に出るなんて。」

渡り鳥はぐぅぐぅ鳴るおなかをさすってまたひと眠りしました。

しばらくして、また渡り鳥は熊に言いました。

「熊さん、おなかがすいて目がまわりそうです。外に出て餌を探そうと思います。」

熊は寝ぼけた声で言いました。

「とんでもない!もうひと眠りすれば春ですよ。」

渡り鳥は仕方なくぐぅぐぅ鳴るおなかをさすってまた横になりました。

雪がとけ春になりました。

熊は目を覚まして、隣で寝ている渡り鳥を起こそうとしました。

「渡り鳥さん。春ですよ。さあ!餌を探しに行きましょう!」

でも熊がいくら声をかけても、渡り鳥が目を覚ますことはありませんでした。


 冷たく動かなくなった渡り鳥を抱えて、熊は大声で泣きました。

おーん!おーん!

おーん!おーん!


 その声は雪がやっと解けた森中に響き渡りました。

「熊さん、どうしたのですか?」

寝ぼけまなこのリスが聞きました。

熊は泣きながら渡り鳥のことを話しました。


 冬眠の途中、渡り鳥が何度も外に出たいと言ったのに、自分は平気だからと渡り鳥の言葉をしっかり聞かなかったことを熊は心の底から後悔しました。

 

 熊はリスや鳥たちが冬眠できるほどの栄養を体に貯めておけないことを知りませんでした。

熊はみんながそれぞれの「ものさし」を持っていることに気づきませんでした。

熊は自分の「ものさし」こそ素晴らしくて正しいと思い込んでいたのです。


おーん!おーん!

   おーん!おーん!


 熊の泣き声はとうとう聞こえないくらい小さくなってしまいました。

その時小さな小さな羽音が聞こえました。

「熊さん。」

それは一番最初に熊の森にやってきた蜜蜂でした。

「これは、女王様のための特別な蜜。

熊さん、これを渡り鳥さんに。」


 熊は泣きすぎて真っ赤に腫れた目で、蜜蜂を見つめました。

「蜜蜂さん、ありがとう。

渡り鳥さんも、これでもうおなかがすいたりしないよね。」


 熊は大きな手のひらの爪の先のその先で白く輝く特別な蜂蜜を受けとると、渡り鳥のくちばしにそっとたらしました。

蜂蜜が渡り鳥の喉をゆっくり通っていきました。

「ごめんなさい。ごめんなさい。」

熊は優しく渡り鳥の体を撫でました。


 その時です。


 渡り鳥の体にぽぉっと温かさが戻ってきました。

ふるると羽が震えました。

「渡り鳥さん!ごめんなさい。」

熊は一番にそう言いました。

 

 「蜜蜂さん、鳥さん、リスさん、他のみんなも。

本当にごめんなさい。」

熊はひとつしか知らなかったやり方をみんなに押し付けようとしていたことを謝りました。


 「それから、みんな。ありがとう。」

それから熊はまた

おーん!

おーん!

と大きな声で泣きました。

 

 今度は嬉しい泣き声でした。


           おしまい


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たったひとつの「ものさし」 小烏 つむぎ @9875hh564

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