「魔法使いの料理人」

風見鶏

一度食べたらもう忘れられないフォロフォロ鳥の旨辛丼



 リックが今日はここで野営をするぞ、と言ったとき、フィンは露骨に嫌な顔をした。周囲を見回す。そこは人里離れた山の中だった。


「先生、宿屋はどこですか?」

「空が天井、この地面がベッドだ」


 リックはにこやかに笑って、雑草の生えた草地を蹴った。

 フィンは小さくため息をつく。


「わたし、年ごろの女の子なのですが」

「そうだな。そして魔法使いの弟子だ。魔法使いは常に宿屋に泊まれるわけじゃない」

「クソ職です。こんなはずじゃなかったのに……」

「魔法使い募集の要項なんて嘘ばっかりなんだ。信じるほうがバカなのさ」


 リックは肩をすくめてから手のひらを握った。次に開いたとき、そこには小さな炎が生まれている。それをひとつ、ふたつ、と生み出しては、手近な木に投げる。周囲が明るくなっただけで、フィンはほっと息をつけた。

 フィンは大きな革の鞄を下ろすと、丸めていた敷布をとり、その場に広げた。これが今日の寝床になる。

 フィンに対してリックは軽装である。魔法使いはみな、この世界の狭間に己の空間を持っている。いつでもそこに繋がることができるために、わざわざ鞄など持つ必要がない。早くその魔法を身につけたいと思いながら、フィンは痛む肩を撫でた。


「水はどうしますか? さっき、小川がありましたけど」

「まだ余裕がある。川の水はいちいち沸かさないと飲めないしな」


 リックは外套のたもとに手をいれ、次から次へと道具を引き出している。その光景はさながら奇術師のようで、フィンはいつも見惚れてしまう。

 出てきたのは、すっかり乾いた薪、折り畳み式の鉄製の焚火台、使い込まれた調理器具、そして美しい水の入ったガラス瓶である。


 リックは組み立てた焚火台の中に薪を放り込み、手をかざす。ふっと風が動いたかと思うと、薪にはもう火がついている。

 それだけのことに、フィンはいつも驚かされる。触媒もなく容易く火を生み出すのは、簡単なようでいて難しい。これまでに幾人もの魔法使いを見てきたが、リックの手際の良さに並ぶ者はいない。


「うー、寒い。太陽が落ちると冷えてきたな」


 手を焚火で温めるリックの顔といえば、どこからどうみても平凡な男である。三十にはまだ間があるが、溌剌とした活力も、深淵なる奇跡に携わる知性もない。魑魅魍魎の住処と噂され、平民たちに恐れられる魔法使いの塔に所属する人間には思えない。熾烈な出世争いへの意欲もないようで、他の魔法使いからはどこか一歩、見下されている男である。


「……選ぶ師を間違えたかも」


 ぼそっ、と呟く。

 魔法使いの社会では、誰を師とするかは重大な要素である。それは派閥であり、権力構図のどこに加わるかであり、己の出世、ひいては魔法使いとしての未来に関わる。

 リックに弟子入りして一年が過ぎたが、フィンはいまだにリックの実力を見極められていなかった。ただ、進むべき進路を間違えた予感だけが大きくなりつつあった。


 あくびをしながら、鼻水をすすり、くしゃみまでしている平凡な顔のこの男に、魔法使いとしての未来があるだろうか?


「いや、ないなあ……」

「なんだって?」と、リックが顔を上げた。

「お腹が空いたな、って言ったんです」

「おお、そりゃいいな。おれも腹が減ってたんだ。すぐに取り掛かろう」


 眠たげな顔で焚き火を見ていたリックが、急に目を輝かせた。

 再び袂に手をつっこみ、すっと引き出したのは艶も黒々とした木箱である。それはリックの一番の愛用品である、調理道具箱だ。リックが天板を手で撫でると、うっすらと赤い光が広がった。魔法によるまな板である。その上に、袂から引っ張り出した大きな鳥もも肉を置く。


「こいつはフォロフォロ鳥の脚でな、珍味だぞ」

「聞いたことがありません」

「生まれてから死ぬまで、一度も止まらない鳥だ。巨大な翼も、その胸肉も固くて食えたもんじゃない。だが脚は溶けるように柔らかい歯応えで、一度食べるともう忘れられない。貴族の祝い事には欠かせない食材だぞ」


 リックは少年のような笑みを見せている。その笑みを、フィンはじとっとした冷めた目で見返した。


「……先生、また使いましたね?」

「なにを?」

「コネとお金ですよ! 貴族が食べるような珍味をどうやって手に入れたんですか!」

「いや、知り合いの商人がな、ちょっと困ってることがあるっていうんで……」

「もういいです、わかりました。また勝手に魔法でなにか手伝ったんですね」


 はあ、とフィンはこめかみを押さえた。


「先生は魔法の奇跡を軽く見過ぎなんです。むやみやたらと行使してはならない、人の目に触れてはならない。わたしだって嫌っていうほど教え込まれた教理ですよ?」


 それはそうだ、とリックは頷いた。


「でもなあ。魔法だってただの技術だろう。困ってる人がいる。魔法で助ける。お礼に美味しいフォロフォロ鳥がもらえる。それでいいと思うんだけどなあ」

「先生は良いかもしれません。でも魔法使いの塔の偉い人たちが怒るんです。大人になってください」

「さて、こいつを美味しく調理しないとな」

「……都合が悪くなると、すぐに聞こえないふりをするんですから」


 リックは腕をまくり、調理箱から小型の包丁を取り出した。使い込まれ、よく手入れのされた包丁である。それを指で撫でると、赤い刃が伸び、牛刀ほどの長さになる。

 フィンは呆れたような目でそれを眺めながら、首元で結んだ銀の髪を体の前に流す。

 魔法剣は基礎的な魔術である。魔法の物理付与もそうだ。しかしそれを同時に、あれほど小さく、薄く、繊細に魔力を収束させる技術は、果たしてどれほどの技能なのか。


 フォロフォロ鳥の肉に包丁を入れるリックの手もまた、薄い膜で覆われている。それはリックに言わせれば「手も肉も汚れないし、衛生的」らしいのだが、そもそもどうしてこの男は料理に魔法を駆使しているのだろうか? フィンにはさっぱり分からない。


「フィン。コメを炊いておいてくれるか」


 声に顔をあげれば、いつの間にか袋と飯盒が目の前に浮いていた。リックの両手は包丁と鳥で塞がっているし、顔はこちらを見てもいない。

 魔法使いは腕が三本、目が四つ……などと言われるが、リックの日ごろの振る舞いから、それは真実かもしれないとフィンは思っている。


「わかりました」


 漂うそれらを受け取り、フィンは水の入った瓶に向かう。

 こうして野営をするようになったのは、リックの弟子となってからだ。それまで、フィンは調理場に立ったこともなかった。魔法を学ぶ者は大抵がそうだ。家事も炊事も、誰かがこなしてくれる。

 それでもリックに付き従ってあちこちを巡るうちに、いつしかコメを炊くことができるようになり、森の中で眠ることにも慣れ、そんな自分に驚くことも無くなっていた。


「先生は、クルルンファというのが何かご存知なんですか?」


 コメを洗いながら、フィンはリックに訊ねた。


「それがさっぱり分からん。調べてはみたんだが」

「正体がなにかも分からないものを捕まえてこいと、言われてるわけですか」

「まあ、塔のおっさんたちの無茶振りはいつもそんなもんだ」

「……帰りたい」

「おれもそう思う。なに、行ってみりゃわかるさ。どうせ畑を荒らす熊とかだろう」

「前回の討伐任務のときもそう言ってましたけど、出てきたのは凶悪なサイクロプスでしたよね……?」

「たまにはそんなこともある」


 フィンは憂鬱げに大きなため息をついた。華々しい魔法使いへの憧れは、今ではすっかりなくなっていた。


「魔法使いって、夢がない仕事ですよね」

「どしたの、急に」と、リックは手を止めた。

「魔法使いの塔じゃ、みんな権力と利権と宮廷へのコネに夢中ですし、上級以外の魔法使いは休む間もなく地方へ出張。それも害獣退治や山賊の捕縛……泥臭いです」


 はは、とリックは笑う。


「なんだ、貴族の舞踏会に参加するような魔法使いがよかったのか?」

「そうじゃありませんけど」と、フィンは唇を尖らせた。「魔法と叡智を正しく使って、人の世のためになるものと思っていました」


 幼いころに憧れた魔法使いとは、こういうものだっただろうか。互いの見栄と手柄に目ざとく、私利私欲のために奇跡を利用し、得るのは金銀と地位と名誉。そんなものを目指して、自分は努力をしてきたのだろうか。

 挙げ句、今はクルルンファなどという、よく分からない生き物を捕まえるために、国の端の森までやってきて、コメを洗っている。

 悩んでいても手は動いてしまうものだ。フィンは洗ったコメを飯盒に移し、水を入れ、きっちりと蓋をしめて焚き火にかけた。


「人生ってやつは、まあ、思い描いた通りにはならないよな」


 道具箱から取り出した調味料を肉に揉み込みながら、リックが言う。フォロフォロ鳥はすっかり食べやすい大きさに切り分けられている。


「おれもな、本当は料理人になりたかったんだ。親父が小さい飯屋をやっててな。包丁を握るのが好きだった。それが今じゃ魔法使いだ。どこで道を間違えたんだか」

「……だからやたらと魔法を料理に使うんですね」

「便利だからな。魔獣を殺したり、悪人をぶっ叩いたりするより、料理に使うほうが気分がいい」


 リックは肉を宙に浮かせた。空いたまな板に野菜をいくつか取り出すと、手をかざした。その下で野菜はあっという間に微塵切りになってしまう。


「それにめちゃめちゃ楽だ」

「……包丁を握るのが好きなのでは?」

「楽をするのはもっと好きなんだ」

「……そうですか」


 微塵切りにした野菜もまた宙に浮かべる。リックは焚き火台に鉄製のフライパンを置くと、そこに油を注いだ。薪は真っ赤に燃え盛り、フライパンはあっという間にキンキンと音が鳴るほどに熱せられた。そこに宙からフォロフォロ鳥が落ち、じゅわ、っと盛大に歓声を上げる。


 リックは慣れた手つきでフライパンを揺すり、それから刻まれた野菜をどっさりと放り込んだ。いくつもの調味料を振り入れてから、パチン、と指を弾いたかと思うと、フライパンの周りに白い空気の渦が生まれ、それは円形にフライパンを包み込む。


「これは何をしているんです?」

「よくぞ聞いてくれた。これはおれが編み出した調理法だ。空気の渦で囲んだ中は絶妙な圧力がかかっている。これによって食材は柔らかくなり、短時間で味が染み込むのだ」

「……お話を聞く限り、かなり高度な魔法のように思えますけど」

「かなり難しい。加減を間違えると吹っ飛ぶからな。フライパンを何個だめにしたか」

「……先生の考えていることが、わたしにはさっぱり分かりません」


 フィンはゆっくりとかぶりを振った。

 なんだ、その料理への熱意は。いや、料理に役立つ魔法への熱意だろうか。少なくとも、料理に使うためにそこまで魔法を研鑽している魔法使いなど、この人の他には存在しないに違いない。

 ああ、やっぱりわたしは選ぶべき師匠を間違えたのだ、とフィンは頷いた。帰ったら他の師を探そう、と決意した。わたしは別に、料理魔法が使いたいわけではないのだから。


 そのとき、茂みのどこかで枝を踏む音がした。

 リックがすぐさまに反応し、フィンを背に庇った。その動きでようやく、どの方向で音が鳴ったのかをフィンが理解する。


「何者か。いるなら出てこい。敵対するなら反撃するぞ」


 ピリ、と空気を震わす声でリックが言う。無手である。しかし魔法使いに武器は必要ない。指の動きひとつ、唇のつぶやきひとつで奇跡を起こすのが魔法使いである。その瞳が見据え、指が指されたならば、その者はすでに魔法使いの領域にある。

 宵闇に沈んでいた木の影から、恐る恐ると現れたのは、ひとりの少女だった、が。


「……獣人?」


 フィンが呟くと、少女はわずかに肩を震わせた。

 少女の頭には獣のままの耳があった。腰からは尻尾が生えている。毛皮と布を張り合わせて作られた衣服は簡素で、どこか見窄らしかった。小麦色の肌に、髪は白く、瞳は黄金である。その目が怯えたようにふたりを見ていた。


「この近くに集落があるのかな。勝手に縄張りに入ってしまったならすまなかった。敵意はないんだ」


 途端、リックは声も明るく、緊張を解いて言う。

 少女は「あ、う」と、言葉を何度か噛み、首を振った。


「たす、けて、ください」

「助けて? どうした。怪我でも?」


 リックがゆっくりと近づく。フィンもまた、そのあとについていく。

 少女は懇願するような瞳でリックを見ていた。胸元でぎゅっと手を当てたかと思うと、そのまま崩れ落ちるように座り込んでしまった。


「だ、大丈夫ですか!」


 駆け寄ったのはフィンである。少女の傍らに膝をつくと、その顔を確かめるように覗き込む。何者かに襲われたのか、怪我があるのか、痛みがあるのか。

 ぐうう、と。やけに間の抜けた音が響いた。


「おなかが、すいてる」


 少女はひどく困った様子で、本人としてはまったく真剣に、フィンに言った。

 フィンの返事はなかった。警戒と心配とで張り詰めていた神経が、その集中力の矛先に迷っていた。薪の燃えるパチパチとした音だけが聞こえる奇妙な静寂。それを破ったのはリックの笑い声だった。


「なんだ、道にでも迷ったのか。ちょうど飯の用意をしてたところだ。食べていくといい」

「ごはん!」

「ああ、そうだ。ご飯だ」


 力なく座り込んでいた少女が俊敏に立ち上がり、リックの元に駆けていく。フィンだけがその場に残される。ゆっくりと振り返る。自分の師と、闖入者が、なぜか仲も良さげに食器の準備を始めている。


「は?」


 フィンのぼやきは、誰にも聞き止められない。

 いや、良いのだ。わかっている。そういうものだ。いつもそうなのだ。わたしがいくら真面目にやったところで、先生はあっけらかんとしているし、そんな態度のくせにいくつもの問題を解決してしまう。フィンは真面目すぎると笑われようと、仕方ない。こういう性格なのだ。しかし、だからといって、なんだか釈然としないこの気持ちはどこに向ければよいものか。


 しかし結局、フィンはいつものように胸の底からため息をついた。気持ちを切り替える。

 立ち上がって焚き火に戻る。少女は手に食器を持ち、フィンが敷いた布に座っている。


「……あの、あなたは、どこから?」


 夜食を共にするのは、まあいい。しかし素性も知らない獣人と一緒にいるのは落ち着かない。


「森の奥、住んでる。でも追い出された」

「どうして追い出されたんです?」

「ここ、危ない、いたらだめって言われた」

「なるほど。危ないから追い出されたと」


 なるほど? いや、よく分からない理由だ。


「まあ話はあとでいいだろう。飯ができたぞ」


 とリックが言うと、フライパンを囲んでいた空気の渦がスッと消えた。途端、閉じ込められていた肉の香りが沸き立つようにあたりに広がった。フィンは口の中にあふれた唾液をこくりと呑んだ。胃袋に直接届くような強烈な香りだった。

 リックは調理箱からスパイスの瓶を取り出すと、仕上げに振りかけようとする。しかし動きを止め、獣人の少女に目をやった。彼女が小さな袋を差し出していたからだ。


「これ、ご飯の対価。招かれた者、対価なしじゃご飯、食べちゃいけない」

「そいつはありがとう。もらうよ」


 リックは小さな袋の口を開いた。中には赤いスパイスが入っている。


「こいつはペラルか! 王都にもなかなか流通してないスパイスだよ!」


 宝石を見つけたような明るい顔で、リックはフィンに言った。


「癖のある辛さが特徴なんだ。一度でも食べると病みつきになる魔法の粉さ」

「その響きは少し恐ろしいんですが。合法的なスパイス、ですよね?」

「もちろんだ。合法的に飛ぶぞ」

「それはもはや非合法では?」

「冗談だ。でも、これはフォロフォロ鳥に合う。間違いない」


 言うなり、リックはスパイスをつまみ、フライパンの中に振りかけた。魔法の風の渦の中でぎゅっと火を通されたせいか、野菜は半分ほどが煮崩れ、それがソースのようになってフォロフォロ鳥に絡みついている。フォロフォロ鳥から溢れた肉汁がてらてらと光を反射していた。その身の上に赤いスパイスが降りかかり、それはえも言われぬ美しさだった。


「フィン、コメを盛り付けてくれるか」

「はい、先生」


 猛烈にお腹が空いてきた。そうなればわざわざ不満に思う理由はなにもない。

 フィンは飯盒の蓋を開け、コメの炊き上がりをチェックした。問題なく素晴らしい炊き加減だった。自分がやったのだから当然ではあるが。

 コメを盛った皿に、リックがフォロフォロ鳥と野菜を取り分けていく。野菜のとろみと、柔らかにほぐれたフォロフォロ鳥がコメの上に降り注ぐ様は甘美な光景に見えた。

 皿を前に手を合わせ、それぞれに祈りをささげ、フィンはフォロフォロ鳥にフォークを入れた。


 ––––ふぉろ。と。


 なんの抵抗もなく肉が解けた。断面は白く、それでいてかすかに黄金の鮮やかさをもった肉汁が溢れてきた。フォークで口に運ぶ。弾力。それでいてすぐに溶けてしまう柔らかさ。濃厚な肉の味わい。


「……っ」


 舌がピリピリと痺れ、熱を持つ。それがあの赤いスパイスなのは疑うべくもなく。食べたことがないような刺激に、フィンは思わず顔をしかめた。

 それを見たリックが笑う。


「初めは戸惑うだろうな。でも、すぐにこの良さが分かるよ」


 そうだろうか、とフィンはフォロフォロ鳥を見つめる。しかしリックの言うとおり、辛さは驚くほどあっという間に過ぎ去った。むしろその後を引く未練のなさが、物足りないような気さえした。口の中に次から次へと唾液が湧きだし、もっと食べたい、という食欲が込み上げてくる。


「なに、これ」


 と、急に少女が言った。少女はフォークの先を口に当てたまま、大きな金色の瞳を丸くしてリックを見ていた。

 リックはふむ、と顎を撫で、いくらか悩んでから答える。


「一度食べたらもう忘れられないフォロフォロ鳥の旨辛丼、だ」

「ふぉろふぉろ……」

「そうだ、肉も野菜もふぉろふぉろだろう」

「うん。ぜんぶ、やわらかい」


 頷いて、少女はまた肉を食べ、野菜を食べ、コメを食べる。それからふっと肩の力を抜いたかと思うと、花が開くような笑みを浮かべた。


「あたたかくて、おいしい。うれしい」


 フィンはその笑顔を目にして、疑っていた自分を少し恥じた。どう見ても無害で孤独な少女だ。美味しいものを美味しいと食べて、あんな笑顔を浮かべる少女が、悪い人間なわけがなかったのだ。

 フィンはようやく緊張を解いて、フォロフォロ鳥にフォークを刺した。


「ところで、君の名前はなんて言うんだ?」とリックが訊いた。

「クルルンファ」と少女が答えた。

「それ捕獲対象ですけどぉ!?」とフィンが叫んだ。


 思わず立ち上がった。そんなフィンを、リックとクルルンファが見上げている。やけに冷静な視線に、フィンは自分の方がおかしいのか? と不安になる。


「いや、先生! そんな間抜けづらしてこっちを見ないでください! いまこの子、自分がクルルンファだって言ったんですよ!?」

「……? そうだな」

「キョトンじゃないんですよ! 任務! 捕獲対象!」

「クルルンファか。ちょっと呼びづらいな」

「クルルでもいい」

「クルル、美味しいか?」

「うん。おかわりも欲しい」

「よしよし、いっぱい食え」

「うれしい」


 さながら親子か兄妹かという仲睦まじさを見せるふたりに、フィンはモヤっ、と、イラっを混ぜて煮詰めたような気持ちが込み上げるのを感じた。何かを叫びたい気もしたが、そうすることが全く無駄になる気もした。

 悩んで、結局、フィンはもう放り投げることにした。


 いいや、わたし、弟子だし。責任、とるのは先生だし。

 とすん、と座って、目の前のフォロフォロ鳥を口に運ぶ。うん、美味しい。とても美味しい。それならもう、問題はないとすら思えるのだから不思議だ。


 あーあ、間違えたな、進路。と、フィンは内心で思う。こんな適当で料理しか興味のない人を師に選ぶんじゃなかった。

 ちぇ、っと舌打ちが漏れた。


   φ


 ふと目が覚める。フィンは二度まばたきをしてから、自分が寝過ごしたのかと考えた。

 野営をするときにはいつも、リックと交代で寝ずの番をする。食事の後片付けを終えて、フィンが先に寝たのだが、いつもよりも長く眠ってしまった気がした。


 上体を起こして周囲を見回す。焚火台には薪が足され、暖かな火が揺らめいている。とつぜん夕食に加わったクルルンファは、丸くなって眠っている。リックの姿がない。

 どこに行ったのだろう。と、森の奥で誰かの話し声が聞こえる。

 フィンは眉を寄せ、さっと立ち上がった。月の位置から見て、時刻は日付を変えている。旅人が道に迷ってやってくるわけもない。そしてリックがいない。何か異常事態に違いない。


 フィンは息を細め、できるだけ足音を鳴らさないようにしながら、森の中に進んだ。

 話し声は続いている。その音ばかりを頼りに行けば、やがて魔法の灯りが浮かんでいるのが見えた。リックである。二人の男と相対していた。


「リックよ。これが最後の通告だ。あれを渡せ。これは塔の高き意志である」と、男が言った。

「だからさ、クルルを渡したあとにどうなるかってことを聞きたいわけよ」

「それはお前が知る必要のないこと」

「またそれだ。まあいいよ、どうせ想像はつく。最近、塔のおっさんたちは枢機卿と懇意にしたがってるしな。聞いた話じゃ、枢機卿はたいそう変わった趣味をお持ちだって?」

「……渡さぬというなら、それを塔への叛意とし、お前を処分する事になる。魔法使いとしての名誉、地位、権力。すべてを失うことになるが良いのか」

「褒美として、魔法使いとしての階位をひとつ上げても良いと、塔の方々は申している」


 リックは肩をすくめた。


「おれは、飯が好きだ。料理は良い。心が休まるし、何より平和だ」

「……なにを言っている」

「せっかく飯を作るなら、美味く食いたい。あの子を気持ち悪い権力者のおっさんに渡すより、お前らをぶちのめして食う飯のほうが美味い。言いたいことは伝わるか? もっとわかりやすくないとだめか?」


 瞬間、男ふたりの空気が変わる。見ているだけだというのに、フィンの背中に震えるような怖気がはしった。

 闇夜に沈んだ森の中に、目を焼くような黄色い閃光が駆けた。それは雷撃である。詠唱もなく生まれた魔法は、瞬くようにリックに襲いかかった。フィンが思わず声をあげるより先に、リックはその雷を捕まえていた。


 それは風の渦であった。フライパンを包み、フォロフォロ鳥を柔らかく煮込んだ魔法だった。風の渦の中で雷は圧縮され、押しつぶされ、そしてぐるりと向きを変え、放った男に飛びかかった。

 もうひとりの男が魔法剣を手に、リックに斬りかかる。リックも迎え撃つが、その手にあるのは包丁ほどの短い刃である。刃がぶつかりあったかと思うと、そのときにはもう、男の魔法剣は切断されていた。


 魔法で魔法を斬ったのだ、とフィンは目を見開いた。それはただの鋭さの問題ではない。魔法の結合術式を一瞬で読み解き、その反転式を刃に組み込んだのだ。

 リックが男の胸に手を当てる。男は巨大な風の槌に叩かれたように吹き飛んでいった。


「すごい……」


 フィンが呆然と呟く。身を隠す意識もすっかり抜け落ちていた。その姿に気づいたリックが、いつものように気の抜けた顔で笑った。


「なんだ、起きたのか」

「先生、今のは」

「魔法使いの塔の監視人だよ。どうもクルルを狙ったのはお偉いさんの私情みたいだな。最初から怪しいとは思ってたんだが。ぶちのめしちゃったからな、おれも追われることになる。フィンはまだ間に合うだろうから」

「いえ、そんなことはどうでもいいんです」


 と、フィンはリックの言葉を遮った。そしてぐっと詰め寄ると、胸の前で拳を握り、生き生きとした瞳でリックを見上げた。


「あの魔法の術式構築はどうやったんですか!? どうして一瞬で相手の構成を見抜けたのですか!? それに最初の風の渦! 相手の魔法を吸収するでもなく受け止めて圧縮!? そんな魔法、わたしは知りません! わたしも使えるようになりますか!?」

「……あー、ちょっと一回、落ち着こう」

「はい。先生がそう仰るなら」


 フィンはスンと静かになってしまう。その物分かりの良さに、リックのほうが戸惑ってしまった。急にそんなに態度を変えられるのも困るのだ。ただでさえ弟子の扱いがよくわかっていないのに。


「えーと、そうだな、いや、とにかく、フィンはこのまま魔法使いの塔に帰るんだ。他の魔法使いに志願すればまた弟子にはなれるだろう」

「いえ、このままで結構です」

「結構ですって、おれはもう塔には戻れないし、追われるんだぞ。きみは帰るべきだ」

「わたしは先生が良いのです。先生の魔法が欲しいんです。いま、完璧に理解しました」

「おかしいな。こんな性格だったかこいつ。いや、魔法バカってことか? おれというか、おれの魔法が目当てってことだなこれ」


 でもな、魔法使いの塔に刃向かった魔法使いの末路っていうのは、と、リックが言い聞かせる途中のことである。


 フィンは突然に目を細めると、横手に向かって腕を振り抜いた。それは小さな風の槌となって飛び、息をひそめてリックを狙っていた先程の男の腹を強かに殴りつけた。うぐ、とうめき声がして、男は地面に倒れ伏した。

 ぽかんと見ているリックに向き直り、フィンはにこりと笑った。


「これでわたしも塔からは破門ですね。先生に連れて行っていただくしかありません」


 リックは片眉をあげ、唇を噛み、複雑な感情を柔軟に表現しようとしたが、やがて大きくため息をついて首を振った。


「自立心旺盛な弟子だな、まったく」

「自立心旺盛な師匠を持ったので」

「仕方ない。とりあえずクルルを起こしてここを離れるぞ」

「はい。……ですけど、よかったんですか」

「なにが?」

「魔法使いとして出世できる機会だったのに。断る魔法使いなんて存在しないと思ってました」


 生真面目に言うフィンに向けて、リックは笑い返した。


「さっきも言ったろ。おれは本当は料理人になりたかったんだ」






 おわり

 




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