88PSYCHO

わら けんたろう

第1話 88PSYCHO

 目が覚めたら、夜が明けていた。

 昨日の晩、炬燵こたつに入って缶ビールを飲んでいたら、寝落ちしてしまったらしい。


 今日は、3月14日。

 ぼくの88回目の誕生日。とうとう米寿になった。


 むくりと起き上がって、しばらく、ぼーっと炬燵こたつの上に林立するビールの缶を眺めていた。


「……ずいぶん長生きしたもんだ」


 そう呟いて、片手でビールの缶を持ち上げて振ってみた。

 まだ少し入っている。残ったビールを、くぴっと飲む。


「さて、やろうか」


 じつは、去年からココロに決めていたことがある。


 ――88歳になったら、「終活」しよう。


 ぼくは立ち上がり、紙とペンを探した。遺言状を書くためだ。


 たまっていた新聞の山のなかから、裏が白紙のチラシを探した。

 ところが、これがなかなか見つからない。

 昔は結構あったんだけどね。最近のチラシは、両面に印刷されているものがほとんどだ。


 しばらく探すと、白の紙に印刷された怪しげなフィットネスクラブのチラシが出てきた。裏を見れば何も印刷されていない。


 ぼくは炬燵に戻って、ペンのキャップを取る。

 裏が無地のチラシの一番上に大きく「遺言状」と書いた。


 ぼくの財産は、今暮らしているこの家と敷地、それとわずかな銀行預金。あとは、二階の部屋に飾ってある推しキャラのフィギュアと、推しアニメのDVD、エロ本と、エロDVD。


 これを……、あれ?


 よく考えたら、ぼくには相続人がいない。

 両親は既に他界した。

 この歳まで独身。当然、子供なんていない。

 兄弟姉妹もいない。


 ぼくはペンにキャップをかぶせて、炬燵の上に転がした。

 ペンが当たって、空き缶がカラカラと音を立てて転がる。


 頬杖をついて「遺言状」と表題だけが書かれた紙を眺めていた。


 ガタッ、ゴトト。


 どこかで物音がする。


 がたたたっ。


 物音は二階の部屋からしているようだ。

 きっと、シェリーが目を覚ましたのだろう。

 ぼくは炬燵こたつから出る。


 テレビ台の上に無造作に置かれている鍵を持って、階段を昇っていく。

 最近、歳のせいか膝が痛い。

 階段を昇るのが、かなりキツイ。


 ぼくは、やっとのことで二階へ上がり、いちばん奥の部屋へと向かった。


 がたがた。ごとごと。


 やはり物音は、シェリーのいる部屋からするようだ。

 ぼくは鍵を鍵穴に差し込んで、クリっと回す。


 部屋の扉を開けると、目の前にシェリーが横たわっていた。まるでイルカのような姿に見えた。


 シェリー。君は最高の素材だ。

 一目見たときから、ぼくは恋に落ちた。

 すらりとした手足、未成熟な体つき、ぽてりとした薄紅色の愛らしい唇に。


 風になびく艶やかな亜麻色の髪を片手で押さえて、ぼくの方をチラッと見たよね。

 そのとき、ぼくは君をシェリーと名付けた。


 そして今だって、雨戸もカーテンも閉め切った暗い部屋のなかで、少し顔を上げてぼくを見ている。


「おはよう。よく眠れたかい?」


 ぼくは、しゃがんで彼女の頬に手を伸ばした。陶器のようにすべすべしたマシュマロのように柔らかいその頬に、ぼくはそっと触れた。

 シェリーは、くりっとした黒水晶のような瞳に涙を一杯に浮かべている。


「むーっ、んんー!」


 ふふ。いいね。その表情。素敵だよ。


 ぼくは部屋の明かりを点ける。電球ひとつの白熱灯が、シェリーとぼくの「推しキャラ」たちを照らす。

 蝋人形の「推しキャラ」たちが、シェリーを取り囲むようにして見下ろしている。


 彼女達はね、みんな、ぼくが作ったんだ。


 右から順に、


 薄いピンクの銀髪をしたケリー。ローズクオーツのような瞳が可愛らしい。彼女とは、ぼくが20代のときに海で出会った。


 その隣は、金髪のジュリア。サファイアのような双眸がシェリーを見つめている。ある時、街で道を尋ねたのがきっかけだ。少し内気な子でね。

 心配しないで。きっと、仲良くなれるよ。


 おや、アンナはどうしたの? まさか、嫉妬しているのかい? 

 美しく長い黒髪を振り乱して、シェリーを睨んでいる。


 ああ、ダイアナ。どうして、そんなに悲しそうな顔をしているんだい? そういえば、初めて会ったときも君は泣いていたね。


 視線をシェリーに移すと、彼女はまるで恨みでもあるかのような表情で、ぼくを睨みつけている。


 ああ、きれいだよ。シェリー。

 君は、ぼくの遺作にして最高傑作になるんだ。


 きれいに作ってあげる。


 ぼくは、シェリーの頬を伝う涙を親指で拭った。

 ああ、愛しいシェリー。

 君は、ぼくだけのモノだ。


 おヤンチャする彼女の両肩を抑えつけ、覆いかぶさるようにして宥める。

 そして、ゆっくりと彼女に顔を近づけた。


 ピンポーン、ピンポーン。


 ふいに、玄関の呼び鈴が鳴る。

 ぼくも彼女も、少しの間、呼び鈴の音のする方に顔を向けた。


 ぼくは、またシェリーの方を見て顔を近づける。


 ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン。


 ああ、もう、いいところなのに! いったい何なんだ!


「少し待っていてね」


 ぼくはシェリーに笑みを向けると、彼女を置いて玄関へ向かった。



 ――今、入って来た速報です。3日前から行方が分からなくなっていた15歳の少女が、今朝、無事保護されました。やや衰弱しているものの、命に別状はないということです。

 速報です。3日前から行方が分からなくなっていた……

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