老いた私からあなたたちへ
メイルストロム
火種を持つ名も知れぬ貴方へ
──長い、道程だった。
私は今年で88歳になった、なってしまったというべきか。
昔こそそれなりにヤンチャをしていたけれど、今はもう其処らの年老いた一般人だ。だから、コイツとお別れをしに来たんだよ。
「──……お役人さん、こいつの処分を頼めるかい?」
役場の一角で、私が取り出したのは一丁の銃。60年近く寄り添った旦那よりも長い付き合いだった、思い入れの深い小さな拳銃。
「銃器の返納ですね。ご協力、感謝いたします」
長年連れ添った相棒が役所の奥へと消えていく。あまり執着しない性質だと思っていたけれど、それはほんの少しだけ寂しかった。
そうして手放した後、私は職員と共に必要書類の不備がないか等を確認してから役所を後にしたのだ。荷物は減って軽くなった筈なのに足取りが重い、肉体的な老化は20代で止められている筈なのに。
──道端のベンチに腰を下ろし、ふと空を見上げてみる。
「……あぁ、空はこんなにも青かったか」
見上げた空には雲一つとして見当たらない、澄み渡るような青空。私は空があんなにも綺麗なものだなんて、この年になるまで知らなかった。
記憶にある空と言えば、星の海と満月ばかりだ。明るい陽の当たる場所に居場所がなかったんだから仕方がないとはいえ、この空を知ってしまった今では悲しいと感じる。
──暫く空を見上げてから、私は帰り道をのんびりと歩いた。
若い頃みたいに、路地裏をこそこそとする必要もない。足音だって気にしなくて良いし、好きな洋服を着られる。鼻歌を歌ったところで咎められることもないし、スカートを穿いても良い。仕事のためじゃなくて、私のために化粧もできるようになった。
人に誇れるような事など何も成していない私でも、自分の幸せを選んでも良いとようやく思えるようになってきた。
……私が成してきたのは、人道に背くものだったのだろうさ。何処にも属さない、生まれも何もわからない、何も持っていない私が選んだのは傭兵という仕事だったからね。
命を奪ったし、奪われそうにもなった。気の休まるときなんて殆んどない、糞みたいな仕事だったんだよ。けれど、身体を売るよりはマシだ。心を磨り減らしながら、薬浸けにされて死ぬよりは良いと信じて疑わずに武器を手に取ったのさ。
何もないのだから、いつ死んでも良いと言いながら必死に戦って、殺し続けていた。不老技術の進んだ時代に傭兵なんてやっていたからね、私は知らないうちに不老化させられて糞みたいな戦場を走り続けていた。どの雇用主が不老技術を傭兵なんかに配ったのかは、結局わからず終いだったけどね。
だから今でも見た目だけなら20台後半さ。息切れとかは煙草と酒によるものだから、あれらはつくづく恐ろしい。お前さんらも程々にしておけよ、お節介なお姉さんからの忠告だ。
……まぁ、それもあれだよ。明日には死ぬ命だと思って居たからなのかね。長くない、すぐに死ぬだろうって。そう思っていたからか、滅茶苦茶な事はよくやっていたもんさ。度数の高い酒を持ち寄ってそれを混ぜて飲みあったり、本当に馬鹿馬鹿しい。
……そんな私でも、家族と呼べるものを持てたのさ。勿論旦那も傭兵だ。傭兵夫婦に産まれたのは可愛い娘でね、私らと違って安全な公務員に就いて、優しい旦那さんを捕まえてきたもんだよ。そしたらそしたで、近々子供が生まれるなんて言い出したんだよ。
──だから、私は銃を捨てたんだ。
88歳にもなって、漸く手放す決心がついた。
私は今までなんとなく、その場凌ぎみたいな形で生きてきたからね。要は私の意思じゃなかった、生きるためにはそれしかないと知っていただけなんだよ。そこに私の意思はなくて、伽藍堂なんだ。
だから私がしてきたあれらはみんな、生きるために必要だったものさ……生きるために、こうしてきた。こうする他なかったの連続でここまで来てしまったから、もしかすると銃を棄てたのもそうなのかもしれないねぇ。
戦争なんてものはなくなった、新しい命が生きる世の中に戦の火種は残しちゃいけないんだって……そう思ったから返しただけだよ。
……88年間生きたところで、わかることなんかこれっぽちのものさ。年食っただけの阿呆にしちゃあ、上出来だろう?
──だからお前さんも、その手に持つものを返してくるんだよ。大事なものを傷つける前にね。
老いた私からあなたたちへ メイルストロム @siranui999
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます