シックス・センスのみちびき
陽澄すずめ
シックス・センスのみちびき
小さなころから、不思議なものを視た。
身体が透けていたり、欠けていたりする人たちを。
生まれた時からそうだったから、おかしいことだとは思わなかった。
それが他の人には見えなくて、幽霊と呼ばれるものらしいと気付いた時には、ボクは既にみんなから嘘吐き呼ばわりされていた。
教室ではいつも独りぼっち。
クラスメイトから嫌がらせをされることもあった。
どうしてボクだけ変なものが視えちゃうんだろう。
「気を引きたいだけだろう。だから嘘を吐くんだよ、康介は」
パパはそう言った。
仕事が忙しくて、ほとんど家にいないパパだった。
「ママは康介が嘘を言ってるなんて思わない。寂しくて、心の中にお友達を作っちゃったんだよね」
ママはそう言った。
そうなのかな。確かに、幽霊たちの中にはボクに話を聴いてほしそうな人もいるけど。
幽霊の友達でも、いないよりはマシなのかもしれない。
ある日、スイミングスクールからの帰り。
夕暮れ空の下、ボクはママと手を繋いで、大通り沿いの道を歩いていた。
「今日はパパが出張で遅くなるって」
そんなの、いつものことだった。
すぐ近くを、大きなトラックが何台もビュンビュン追い抜いていった。車の量の多い場所だからって、ママはいつもボクより車道側にいた。
夕焼け小焼けで日が暮れて。辺りに六時のチャイムが鳴り響く。
ふと、前から誰かがやってくる。
たぶん、高校生くらいのお兄さん。知らない人だけど、なぜかボクに声をかけてきた。
『やぁ、こんにちは』
「えっ、あの……こんにちは」
思わず挨拶を返したボクに、ママは首を傾げる。
「康介、どうしたの?」
それで分かった。この人、幽霊なんだ。
よく見ると半分透けているお兄さんは、ホッとしたように笑った。
『良かった、僕の姿が視えるんだね』
どうしよう。ボクはその場に立ち止まる。
「康介、また不思議なお友達?」
『康介くん、君に聴いてもらいたい話があるんだ』
「ねぇ、ごはんの準備があるから早く帰りたいんだけど」
『お母さん、大丈夫です。僕がちゃんと送り届けますから』
視えていない、聴こえていないはずなのに、ママは安心した顔で行ってしまった。
置いてけぼりのボクの背丈に合わせて、お兄さんは軽く身を屈めた。
『よし、歩きながら話そうか』
優しい笑顔の人だった。パパなんかよりずっと。幽霊でも、きっと怖くない。
大通り沿いを、今度はお兄さんと一緒に進む。夕焼け空が燃えるように赤い。
『康介くんは、お母さんが好き?』
好きだよ。
『お父さんは?』
……あんまり好きじゃない。
『どうして?』
ボクを、嘘吐きって決め付けてるから。
学校のみんなもそうだよ。誰も信じてくれないんだ。いつも独りぼっちだよ。
『それは辛いね。嘘なんかじゃないのに。幽霊が視えるのは康介くんのせいじゃないよ。視えるものは仕方ない』
お兄さんの声は穏やかだった。静かな話し方なのに、はっきり聴こえる。
『お父さんもきっと、康介くんのことをちゃんと知りたいと思うよ』
そうかな。
『そうだよ』
ところで、どこまで一緒に歩くのかな。
……ボクの家、どこだっけ?
急に不安になってきた。
このお兄さんは誰なんだろう。ボクをどこへ連れていくつもりなんだろう。
もしかして、幽霊の世界?
そんなところに連れていかれたら、ボクは死ぬってことなんじゃないのかな。
『帰ろう、康介くん。お父さんが待ってる』
パパが? 今日は出張だよ。
ママは? もう家に帰っているはず。
そこでボクはようやく気付いた。
さっきから車が全然走ってこないってことに。
車だけじゃなくて、自転車も歩く人もいない。
夕暮れ空の下、ボクとお兄さんの二人だけだった。
まさか、ボクはもう——
その時。
夕焼け小焼けで日が暮れて。辺りに六時のチャイムが鳴り響く。
え?
どうして? さっきも鳴ったのに。
『思い出せるかな。辛いことだけど……』
一瞬、頭の中に不思議なイメージが浮かんだ。
スイミングスクールの帰り道。
ボクの隣を歩くママ。
大通りをビュンビュン走るたくさんのトラック。その一台が、突然こっちに向かってきて。
ママがボクを突き飛ばす。
夕焼け小焼け。六時のチャイム。
そしてママは、トラックの下敷きに——
「ママ、は」
『お母さんは、君を守ってくれたんだ』
お兄さんがそう言った瞬間。
見える世界の何もかもが、夕暮れ色に染まった。
『帰ろう、康介くん』
「ママは……」
大きな道を挟んだ向こう側にママが立っている。
いつもと同じ、ボクの大好きな、優しい笑顔だった。
◇
「康介! 良かった、目が覚めたんだな」
「パ、パ……」
深い眠りから意識を取り戻した息子は、朦朧としながらも私を呼んだ。
私の隣にいる線の細い青年が、少し疲れたような顔で微笑む。
「康介くん、もう大丈夫です。魂をこちらに引き戻しました」
白い病室の中、白いベッドに横たわる息子の手を握る。
「康介、康介……」
「パパ……ママは……」
息を呑む。どう伝えるべきかと、逡巡するうち。
「ママは、死んじゃったんだね」
「康介……」
隣の青年がそっと目配せしてくる。どうやら、彼の覗いた康介の意識の中で、母親の死を理解できる出来事があったようだ。
「康介、パパはずっと康介と一緒だからな」
私が狭まった喉の奥からやっとその言葉を紡ぐと、康介は小さく頷いて再び眠りに落ちた。
ひと月前、私の妻と息子が交通事故に遭った。
妻は即死。無傷のはずの息子は、以来ずっと昏睡状態。医師にもあらゆる手を尽くしてもらったが原因不明のまま、息子が目覚める気配はなかった。
藁にも縋る思いで、手当たり次第に考え得る要因を調べた。そんなうち、幼い子供が夢の中に閉じ込められるという奇妙な事例を知った。
私は知人から聞いた話を頼りに、ダメ元で怪奇現象専門の探偵事務所に調査依頼をした。
それで派遣されてきたのが、この青年だった。最初は高校生かと思ったが、聞けば市内の国立大に通う学生だという。
「康介くんの意識は、事故に遭う直前の記憶に留まっていました。お母さん……奥さんが、康介くんを守っていたんです。道の向こう側に行ってしまわないように」
「向こう側、とは」
「
なんでも彼は、他人の思念に触れてその感覚を受信することのできる『
以前の私であれば、その手の話は全く信じなかっただろう。
しかし、彼の言うことであれば不思議とすんなり腑に落ちた。優しげな面差しだが、どこか芯の強さを感じさせる青年だった。
「奥さんは、康介くんが間違った方向へ行かないよう、導いていたんです。『導く』の語源は『道を引く』。道のこちら側に留まっていたおかげで、上手く戻ってこられました」
辛抱強い、よく出来た妻だった。仕事で留守にしがちな私に代わって、康介をずっと守ってくれていた。
「……私に、妻の代わりが務まるでしょうか」
「欠けたものを他の何かで埋め合わせることは、できないと思います。お父さんにはお父さんにしかできないことがあるんじゃないでしょうか」
青年は、私をまっすぐに見据えた。
「人によって見える景色は違います。誰一人として、他の誰かと全く同じものを見ていることなんてあり得ません。康介くんの視ている景色のこと、どうか信じてあげてください」
例えそれが自分には認識できないものだったとしても、と。
彼は色白の頬をやや紅潮させ、視線を下げた。
「すいません、差し出がましいことを言いました。僕も昔、康介くんみたいな思いをしていたことがあったんで……」
青年が帰った後、斜陽の差し込む病室で、私は康介の寝顔を見つめていた。
実を言うと、あの時。ちょうど事故のあった頃合いに、虫の知らせのようなものがあった。
遠方に出張中だった私の耳に、妻の声が聴こえた気がしたのだ。
——康介を、お願いします。
これは、妻が最期にくれたチャンスなのかもしれない。
かけがえのない息子と、きちんと向き合うための。
「……んん」
身じろぎし始めた康介の枕元に、私は慌てて駆け寄った。
—了—
シックス・センスのみちびき 陽澄すずめ @cool_apple_moon
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