雨とアイドル培養肉
木古おうみ
雨とアイドル培養肉
肉が焼ける音は雨音に似ている。
「昔って、ファンが芸能人の住所確定して押しかけたりしてたらしいですよ。怖くないですか?」
マミが黒い爪が光る手が箸で肉を裏返す。 ライブ会場で五百回は見た類の子だ。
プラスチックのように動かない前髪、食虫植物じみた睫毛、黒地にピンクのリボンのワンピースから覗く白すぎる肌。私と同じ素材でできてると思えない。
「リリーちゃんがそんな時代のアイドルじゃなくてよかった、って」
七輪に押し付けられた肉が悲鳴をあげて脂を散らす。
「その代わり、ファンに食べられるけどね」
私が思わず口にすると、マミは目を丸くした。
「別に良くないですか? リリーちゃん自身じゃないんだし」
「そっか……」
視線を下ろすと、マミの足元に置かれた鞄の缶バッジが見える。『推しは健康にいい!』。
表面のゴシック体を読んでから、私は赤い電飾に縁取られた不健康な店内を見回した。
私が高校生の頃、つまり信じられないことにリリーと同級生だった時代は遺伝子工学の春だった。
技術は医療から食にも発展した。
豚を殺さずに遺伝子を培養して豚肉を作る。牛を殺さずに遺伝子を培養して牛肉を作る。
だったら、人間を殺さずに遺伝子を培養して人肉を作れるに決まっている。
「でも、女子どうしでこういうとこ来られてすごい嬉しいです。女の子のアイドルって同性のファン少ないじゃないですか」
マミが笑い、私も曖昧に笑い返す。
とんでもない女だ。
先月、ライブ会場で映画でも観るように無言で突っ立っていた私に無謀にも話しかけてきただけじゃない。
たったひと月の付き合いの私をここに連れてきた。
表向きは雑居ビルの地下にひっそり建つ、最先端の科学技術を使った食事を出す店。
実態は有名人の遺伝子からできた培養肉を提供する人肉レストラン。
メニュー代わりの顔写真は頻繁に食されている順番に並べられて、学生が密かに行う人気投票のようだ。
周りの席で肉を囲む他の客たちの姿が暗闇の中で浮かび上がる。
こっそり票を入れた同級生を盗み見るような背徳感と優越感の混じった表情。
男子が席の横に取り付けた投票箱代わりの茶封筒に、手汗でふやけた一票を慎重に、素早くねじ込んだときの気持ちが蘇る。
「これ、どこの部位なんだろう」
マミは私が取り忘れていた肉を小皿に救い出す。とっくに脂が落ちきってミイラのような塊になった。
「さぁ、太腿とか……」
「リリーちゃんがカピカピになっちゃった」
哀しげなマミの目に、私は諦めて自分の皿に載せた。
「こう言うの嫌がるひといるんですけど、リリーちゃんってアイドルですけどアイドルの枠じゃ治んないじゃないですか。アーティストっぽいっていうか。ソロコンとかもやってるし、インスタもアイドル仲間より洋楽のバンドとかフォローしてるし。グループの中でイメージカラー青の子ってそういう知的なイメージありますよね」
マミのピンク色の唇は忙しなく動き続けて肉が入る隙がない。
「そうだね……」
「リリーちゃん推してるひともドルヲタっぽくないっていうか、他担と違ってこのひとなら誰々推しだなみたいなのわかりにくいんですよね。アマネさんもそうですし。私みたいないかにもなひと逆にいなくないですか?」
同意していいのかわからず笑ってみたが上手くできたかわからない。
「量産型、って言うんだっけ?」
「あー、ちょっと違います! 私は地雷系」
「どう違うの?」
「量産型は推しに可愛く見られたいんですよ。地雷系は違います。私はリリー担ダセえって舐められたくないから気合い入れるかみたいな」
「何か、地雷系の方が健全なんだね?」
マミの嬉しそうな顔にひとまず安堵する。
“アイドルを見たい”までは健全、“自分を見てほしい”になったら不健全だと思う。私は絶対に見てほしくない。
リリーに気づかれたくないのか、リリーが私に気づかないと確かめたくないからかはわからない。
どちらでもカラカラの人肉を前にして、健全も何もないだろう。
「アマネさんって何でリリー担なのかとか、聞いてもいいですか?」
箸で肉をつまむマミを見返す。
焦げ目のついた肉から汁が滴り、記憶の中の夏、髪をひとつにまとめていた彼女のうなじに光る汗を幻視する。
リリーじゃなく百合だった頃の彼女は、どこにでもいる軽音楽部の女子高生だった。
青がテーマカラーになるずっと前は、白のパーカーを羽織って、黄色のヘッドフォンで曲を聴いていた。
流行りの音楽よりオルタナティヴ・ロックとポストパンクが好きだった。
今リリーが立つコンサートの舞台の二百分の一もないライブハウスで百合が演奏したとき、客は五人しか入らなかった。五人のうちのひとりが私だった。
仲は良くも悪くもなかった。
チケットはクラス全員に配られた。ただ私がクラスで五本の指に入るほど暇だっただけ。彼女と同じバンドが好きだと言う機会を半年近く伺っていただけ。
打ち上げの会場の焼肉屋に着いた頃には五人はふたりに減っていた。
彼女はバンドのメンバーと話し続けていた。ひとりが肉にタレをつけるのは通じゃないと言い出し、もうひとりがど突く。高校生らしい愚にもつかない話だ。
酒が飲める訳もなく、肉も好きじゃない私は早く帰ろうと自動ドアばかり見ていた。
雨の音がして、幸いだと腰を浮かせかけた私を彼女が見た。
「雨が降り出して……」
彼女がしばらく私を見て急に吹き出した。
「違う、これ焼肉の音だよ」
鉄板の上で油の雫が飛び跳ねていた。無言で座り直した私の背を、彼女が笑いながら何度も叩いた。
「油の音が雨の音ってカッコいいじゃん。何かで使おう」
笑いで掠れた声で彼女が言う。ただそれだけだ。
卒業後、バンドは解散したらしい。
彼女はパーカーを脱ぎ捨て、青いギンガムチェックの衣装を纏ってアイドルになった。
私は彼女を忘れることにした。レコード屋で見つけた彼女のグループのファーストアルバムの片隅に『雨と油』の文字を見るまでは。
「ソロの曲が好きで……」
私は口を噤む代わりに箸で肉を摘んだ。生温い湯気を立てる赤身の柔らかさに胸がざわつく。
箸を近づけて口に押し込むとほのかな鉄錆の味がした。
それ以上の感覚が襲ってくる前に水で流し込んだ。
「アマネさん、どの曲が一番好きなんですか?」
マミはまだ肉の焼け具合を確かめていた。
「雨と油、かな」
「なんかすごい、通ですね」
煙の中で俯いていたマミが笑う。リリーの肉が焼けていく。
アイドルに見てほしいと思ったら不健全なファンの始まりだ。
それでも、自分を胃袋に収めた元同級生の女を見て、リリーになってしまった百合がどんな顔をするか。少し見たいと思った。
雨とアイドル培養肉 木古おうみ @kipplemaker
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