【KAC20222】その一言に、万感の思いを込めて。

肥前ロンズ

その一言に、万感の思いを込めて。

 田んぼや山や青空に浮かぶ雲が、物凄いスピードで私の視界から去っていく。ふと窓に、自分の顔が薄く映っていることに気づいた。静電気でボサボサになった髪、目元は不機嫌そうで、口は不満そうに曲がっている。頬はニキビの跡でいっぱい。かわいい顔とはお世辞にも言えない。

 小さい頃、七五三みたいな写真を撮る時は、お母さんに「べっぴんさん、笑って」って言われていた。けれど、私はどれだけ顔を塗りたくられても、ベタベタに油を塗られた頭を飾り付けられても、窮屈で動きづらい、ただ目立つだけの赤い着物を着せられても、自分の顔がかわいいとは思えなかった。だから笑っても、逆にひどい顔になるんじゃないかって思うと、どうしても笑えなかった。

 挑戦して失敗することが怖くて、何もしない。何も出来ない。失敗して傷つくぐらいならやらない方がいい。そう思うと、足が竦んで動けなくなる。

 なのに私は、今まで乗ったことのない電車に乗り、そして県境を超えて行ったことのない大都市へ行こうとしていた。




 駅についた。目的地は駅のすぐそばだ。でも、駅が(地元の駅より)広い。今いるのがどこなのか全然わからない。北出口から出てまっすぐ進んだら階段があるって書いてあったけど、見当たらない。泣きそうになりながらうろうろし、途中で自分が中央出口から出たことに気づき、何度か人にぶつかりそうになりながら目的のビルにたどり着く。けれど、そのビルの中でも迷ってしまった。

 なんとかそれらしい列を見つけたけれど、階段を埋め尽くすほど長蛇になっていた。抽選で350人って言ってたけど、最後尾どこなんだろう……。

「ねえ」

 悩んでいると、私と同じぐらいの年の女の子が声を掛けてくれた。服装は厳ついジャンバーだったけど、目元はぱっちりしていて、ピンクのチークと艶やかな唇、ウェーブした髪が可愛い。


「ひょっとして、アーヤの握手会に来た人?」

「あ、そ、あ」


 明るくはきはきとした声に、私はすぐに応えられず、どもってしまう。

 けれど彼女は気にせず、「多分こっち!」と私の腕を引っ張ってくれた。彼女の言う通り、最後尾のプラカードを掲げた人が立っていてくれて、私と彼女は一緒に並んだ。

「あ、ありがとう」

「どういたしまして! 握手会初めて? どう行けばいいのか、すごく悩むよねえ」


 そう笑う彼女のカバンには、アーヤ――彩夢あやめさんが演じた少年キャラクターの缶バッチがついていた。


「……エレキくんが好きなんですね」

「あ、『fight』、やってるの?」

『fight』はソーシャルゲームであり、彩夢さんはいくつものキャラクターを演じている。そして何より、私が彩夢さんを知るきっかけになったもの。


「私、『fight』の曲を聞いて、彩夢さんを知ったので……」

「ああ、『戦場』ね! いいよね、あの曲! 私も大好き‼」

「はい、すごいです。声優さんで、歌手で、作詞も出来るなんて」


 私が彩夢さんの歌を知ったのは、たまたま深夜アニメを観ていた時、CMで彼女の歌が流れたからだった。とても綺麗で、決して威圧的ではないのに存在感ある歌声。何より、忘れられないほど心を揺さぶられるサビだった。すぐにゲームタイトルで検索した。公式で動画サイトに挙げられていたものを聞いて、私は驚いた。


〈どれだけ人に励まされても 戦うのは私ひとり〉

〈私だけの戦場に 私だけが立っている〉


 それは、『どんな状況でも、皆が応援してくれるから頑張れる』と言ったものとは正反対のフレーズだった。孤独な歌で、強烈だった。すぐにゲームをインストールした。彩夢さんは声優として五人ものキャラクターの声を担当していて、どれもが違うキャラクターだった。男装した騎士、変人の天才、あどけない少年、おしゃまな少女、そして冷徹な悪役。同じ人だとは思えない演技力で、けれど同じ声優さんだと知ったら声が同じだった。

 この人の世界は、挑戦は、どこまで広がるんだろう? 知っているアニメのクレジットから、彼女の名前を見つける度、ドキドキした。知らなくて手を伸ばしていなかった作品も、『彩夢』の名前があったら観たくなった。





 そして今、私は握手会の抽選に当たり、さっき会ったばっかりの女の子と話している。

 信じられない。私はついこないだまで引きこもっていた。友達もいなくて勉強にもついていけず、学校も行けなくなった。頑張れない自分が外を出歩いて遊んではいけないと思い、一歩も家から出られなくなった。

 後一年で、義務教育期間が終わる。働く想像が出来ない私は、何とか高校へ行くしかない。でも、勉強が出来ないどころか、外にすら出られない私が行けるの? そう本気で悩んでいたのに、好きなことのためにここまで来ている。自分は頑張りたいけど出来ない人間だって思っていたのに、結局私は、「嫌なことから逃げて、今まで頑張ろうとしない」だけだったんだろうか。


 私に対して、『頑張れ』と言う人がいる。それを見て、『頑張れと言っちゃだめだ、追い詰めるだけだ』と言う人がいる。私はどっちも正しいと思う。頑張らなくていい理由はないけど、『頑張らなければ』と思うほど何も出来なくなったのも事実だ。そして本当なら、

 誰かの役に立つ人になりたい。誰かを救える人になりたい。その為に、自分のことをちゃんとこなしたい。やらなきゃいけないことをやれるように頑張りたい。そう心から思うのに、思うだけで。

 トークショーで、彩夢さんが話す。これまでの近況、最近撮ったアフレコの苦労話。きっとここにたどり着くために、たくさん勉強して、たくさん叱られて、たくさんしんどい事もしてきたんだろう。

 ――彩夢さんは、どうしていろんなことが頑張れるんだろう?




 トークショーも終わり、握手会が始まった。

 握手会が始まる前に言い渡された注意事項。握手会は一人5分ずつ。握手以外の接触は禁止。好きなアニメのセリフを言わせるのも禁止。サインの転売禁止。一番私が気がかりだったのは、「一人5分ずつ」という事だった。

 なんて言えばいいんだろう? ここまで来たんだから、何か伝えたい。「あなたのお陰で引きこもりで不登校だった私もここに来られました」? 意味不明だし自分語りは迷惑だ。彼女は私の他にも349人の握手会をしないといけないんだし! でも、彩夢さんにとっては私はファンの一人にすぎなくても、私にとって彩夢さんが特別な存在であることは伝えたくて――。


 ……一応頭の中で、伝えたいことは簡潔にまとめていたつもりだった。だけど、実際彩夢さんが目の前に来て、手を握ってくれた時、全部脳から吹き飛んでしまった。

 慌てて語彙力をかき集めて、何とかまとめて出た言葉は、



「ファンですいつも応援しています。頑張ってください‼」

 だった。



 大して面白みもない上、私に言われるまでもなく頑張ってるだろ! と心の中で自分を批難する私に、彼女は、


「ありがとう。頑張ります!」


 と、笑ってくれた。

 たったそれだけの言葉に、あたたかな感情が籠っていた。そして、「やっぱりこの人は彩夢さんなんだ」と思った。

 彼女の顔は知っていた。でも私にとって彩夢さんは、キャラクターの声だったり、歌声の人で、別の次元に生きているような人だった。その人が、生身の姿で現れて、私の手を握って、「ありがとう」と言う。

 信じられないほど嬉しくて、今すぐ飛び跳ねそうだった。


 そこで、唐突に理解した。


『頑張る』というのは、無気力なものを何とかひねり出すことじゃなくて、自分の中であふれだして、今にでも爆発するものが放出されたものなのかも、と。

 彼女の演技や、歌や、作詞は、きっとその『爆発しそうな』一部で、他人の目に触れて評価されただけ。きっとこの人は、ファンのために頑張っているんじゃない。

 でも私は、彼女に会いたいと思って、ここまでやって来た。出来ないと思っていた「初めて」に挑戦しながら。



 人の役に立とうと思わなくても、誰かを助けられる。その人がその人として、この世界のどこかにいるだけで、救われる人がいる。

 ――それはなんて、素敵なことだろう。



 ……その後ちょっと泣いちゃって、彩夢さんに心配をかけてしまったのは、ここだけの秘密だ。



             ■



 あれから数年が経った。私はSNSで、自分の推しの素晴らしさを広めている。

 あの握手会で出会った女の子と相互フォロワーになって、交流を深めているうちに、『あなた沼に引きずり込むの上手いよね』『あなたの熱量籠った投稿読むと、全部好きになっちゃう』と言われた。床の上でローリングするほど嬉しかった。

 いつの間にかフォロワーの数も増えた。色んな人と交流して、そこから好きなものが増えて、また色んなことにチャレンジ。ネガティブなこともあるけど、熱量は冷めることはない。

 今日も推しのことを検索しようと虫眼鏡マークを押すと、彩夢アーヤがトレンド入りしていた。クリックすると。


「え、アーヤおめでた⁉ わー‼」


 すごーい! アーヤお母さんになるんだー‼

 ベッドの上でしきりに転がったのち、仰向けになりながら投稿する。


『おめでとうアーヤ! 色んな事に果敢に挑戦するあなたが大好きです』


 あなたがこの世界に存在するだけで、私はこんなにも素敵な気持ちになれる。

 ……なんて、流石に書けないけれど。



「これからも、頑張って、……と」



 呟きながらフリック操作する。

 たった数行の呟きに、万感の思いを込めて。

 大量の祝福投稿に埋もれて読まれなくても、世界のどこかにいる推しに幸あれ、と、送信ボタンを押すのだった。

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