マイクロチップ

不二川巴人

マイクロチップ

 ――子どもが足りない。

 そう言われて、何年が経つだろうか。

 理由は様々であれど、その国では、事態を打破するべく、日々様々な研究がなされてきた。


 そして、ある日のこと。ついに、画期的な発明が誕生した。『それ』は、小指の先ほどの大きさの、マイクロチップだった。


 チップを女性の身体に埋め込むと、外部からの電波によって、望み通りに排卵周期をコントロールできたり、ホルモンの分泌を増減させることができた。さらには、卵巣に異常がある女性への治療効果も持っていた。


 チップにより、女性はいちいち自分の生理周期を計算したり、いかに安全性が保証されているとは言え、服用にはためらう者がまだ多いピルや、あるいは100パーセントとは言えない避妊具に頼らなくても済むようになった。同時に、不妊に悩んでいた女性患者達は、それらの悩みからさっぱり解放された。


 世の男女は、産みたいと思った時に、子どもを産めるようになった。付け加えると、出産前検査技術の発達により、障がいのある子どもを産んでしまう確率はぐっと下がり、『健康で健全』な子ども達が、ブームの如く増えていった。他の側面としては、過敏なフェミニスト団体が、根強く反発もしたのだが、その件は割愛しよう。


 しかし、世の中に『完璧』などという物は存在しない。チップにも、もちろん弱点があった。外部からの不正アクセスである。チップを一度乗っ取られると、女性の意に反して妊娠してしまったり、あるいはその逆だったりした。


 当然、チップを開発した会社、および政府は、法規制でがんじがらめにして、容易には乗っ取られないようにした。だが、法の抜け目をかいくぐる狡賢い奴は、いつの世にもいる。いつしかチップの操作権は、闇市場にて、結構な値段で売買されるようになっていた。


 利用方法は主に、浮気の物的証拠『作成』だった。要はパートナーに怪しい行動があった場合、あえて間男の間に子どもを作らせ、動かぬ証拠にするためだ。


 「いのちを軽々しく『作成』するとは何事か」と、またも過敏なフェミニスト団体が騒いだが、圧倒的裏需要の前に、その声は届かなかった。


 登場が遅くなったが、その当のチップ開発会社でエンジニアを勤めるロバート(仮名)も、その裏需要に興味を引かれた一人だった。彼もまた、妻の浮気疑惑に悩まされていた。探偵を雇って素行調査をしても、尻尾を見せない。あまりに怪しさがないので、最初、彼は、自分の被害妄想ではないかと思った。


 しかし、ロバート(仮名)には、確信めいた勘があった。妻の行動をつぶさにチェックしていると、どうしても怪しい時間帯があった。


 ロバート(仮名)と妻は、表面上は、仲むつまじい夫婦のはずだった。しかし、妻が買い物に行った折が、やはり怪しかった。

「セールをやってたから、少し遠くのスーパーまで行ってたのよ」

 と、彼の妻はよく言った。だが、その割には、化粧が濃かったり、いつもはつけない香水の香りがした。

「閉店間際のセールだったのよ」

 と言いつつ、遅くに帰ってくることもあった。その割には、彼女の帰宅時間は、どんなスーパーであれ、とうに営業時間を過ぎていた。あからさまに不自然だった。


 ロバート(仮名)の妻も、ご多分に漏れず、チップを体内に埋め込んでいた。おかげで、夜の生活は大変充実していたのだが、いったん不貞の疑惑が持ち上がると、そんな事はどうでもよくなってしまった。


 ロバート(仮名)は、深く悩んだ。今や、『チップ+周波数+やります』で検索すれば、操作代行業者などいくらでも見つかる。つまり、やろうと思えば妻のチップをハックできるのだ。


 簡単だからこそ、悩んだ。よりいっそう悩んだ。ロバート(仮名)は、特段に倫理派を気取るわけではなかったが、『証拠』のためだけに、チップをハックして、妻と間男の間に、子どもを作っていいものか? 妻の身体への負担はどうなる? それに、もし自分が、妻のチップを違法操作したことが、当の妻にバレたら?


 ロバート(仮名)の心境としては、千尋の谷の上に渡された、薄いガラスの橋へ踏みださんとしているようだった。


 このまま、気付かないふりをして、上っ面の夫婦生活を続けるか?

 あるいは、思い切って法を破り、決定的証拠を『作成』した上で、別れるか?

 はたまた、ドジを踏んで、妻に全てがばれ、向こうから三行半を突きつけられるか?


 深刻な三者択一だった。どれを選んでも、これまでの幸せな日常は、ない。

 ロバート(仮名)は、丸一ヶ月悩んだ。その結果、あるアイデアに恵まれた。

 それは、『男版のチップを作れないか?』ということだった。間男に盗られるより先に、自分の種で妻を確実に妊娠させてしまえば……!


 思い立ったが吉日で、彼は、即座にそれを会社に諮った。会社の上層部も、反対するどころか、着眼点の良さを評価し、すぐに開発はスタートした。


 何度かの試行錯誤と苦難の道のりの末、男版チップは完成した。男性の精力を極限まで高めるばかりでなく、女性版同様、精巣に問題がある男性の精子すら正常化させるという働きもあり、不妊治療専門の医者達が、お門違いの抗議文を出したほどだった。


 男版チップは爆発的ヒットとなり、ロバート(仮名)は、会社から表彰され、大きく出世し、給料も跳ね上がった。その時点で、既に、「妻の不貞を暴く」という目的は消え去っていた。そして当然、ロバート(仮名)も、自身に男版チップを埋め込んだ。


 それから程なく、彼の妻が妊娠した。

 もちろん、ロバート(仮名)は、産むことを推奨し、妻は出産した。

 しかし、その赤ん坊――女の子だった――は、決定的なまでに、自分と似ていなかった。念のため、こっそりと赤ん坊のDNAを調べ、自分の子どもではないというウラも取った。彼は愕然とし、復讐を思い立った。


 具体的には、こうだ。男版チップを、極秘裏に赤ん坊に埋め込む。

 そしてそのチップを、男性ホルモンに働きかけるようにハックする。そうすれば、赤ん坊には、過剰に男性ホルモンが供給され、健全な女としての成長を阻害されることになる。結果、心がいくら女でも、身体は男になる。さあ、その板挟みで苦しめ……! その時のロバート(仮名)は、悪魔だった。


 時を同じくして、同様のケースが頻発するようになった。

 『心は女でも、身体は男』

 『心は男でも、身体は女』

 つまりはトランスジェンダーが異常に増えていったのだが、通常の性的マイノリティ達とは、致命的な差異があった。


 彼ら、彼女らには、生殖能力がなかった。また、総じて極めて短命だった。

 当然、原因の究明が試みられた。チップが怪しいことは誰の目にも明らかで、政府はチップの発売を禁止した。


 しかしながら、そんな折、開発会社のサーバーがサイバー攻撃を受け、仕様書や設計書が丸ごと外部へ流出するという事件が起きた。


 結果、表向きは発売が中止されても、『海賊版』が流通するようになり、それを完全に取り締まることは、もはや不可能だった。


 それから後、その国は、見かけの人口は増えても労働者人口が増えず、どんどん廃れていった。


 やがて、その国が滅亡するには、チップの誕生から、50年もかからなかった。


                             おわり

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マイクロチップ 不二川巴人 @T_Fujikawa

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