煌めく星
闇の台地の中にぽつんと佇む人影が二つある。目の前にいるのは魔物。ただ連日話してきただけの。
「何を……言ってるんだ?」
度重なる静寂の後にようやくその一言を発する。突如発生した由来不明の
「今までずっと苦しんできたんだね。ちゃんと許してあげてなくてごめんねライト。もう苦しまなくていいからね」
夜の台地、魔物の顔に浮かび上がる労りのような顔。打ちひしがれる僕に差し向けられたその言葉が生み出したのは救いとは全く別のものだ。
「お前は何を言ってるんだ! 誰にもそんな風に許せはしない! 死んだ本人以外には! ステラ以外には決して!」
罪を暴かれた殺人者の身でも流石に勢い込んで叫ぶ。そうだ、お前がそれを言う資格など。そんな事はステラ以外には、ステラ以外には……
「私が
あまりにも不条理な一言にぐっと喉がつまる。大挙して押し寄せる反論のどれもが馬鹿馬鹿しく思え、「お前はステラじゃない」の一言すら出てこない。何でそんな当たり前の事を言わなきゃならないんだ。
そうして黙りこくる僕に何を思ったのか、魔物はくすりと笑ってこちらの顔を覗き込む。
「ねえ、ライトは魂って知ってる?」
唐突に向けられる問い。知っているかと聞かれたら答えづらい。
「いまだ実態のつかめていない、生き物の体に宿る不定形の何か。その魂が、実は
それは聞いたことがある。脳にあるとされた思考、記憶能力は実は魂にこそあり、脳はその思考を体に伝えるためだけの機関でしかないのだという。
「あの日私が死んだ後、土に埋められて全てが消えていくはずだった。それが何の拍子か、魂だけが肉体から離れていったの」
聞かない話だ。死後に肉体から離れる魂……観測できれば新発見だろう。
「そして抜け出た私の魂が辿り着いたのが
話に従ってつい光景を想像してしまう。森をさまよい、ダンジョンへと入り込むステラの意識。
「私はダンジョンの魔物生成機構に取り込まれた。そして気付けばダンジョンのボスとしてそこにいた」
暗転する意識、石の床に横たわる体……。思考の最中に目線が前に向くと、白い髪を切りそろえた魔物がそこにいる。
「だから私がステラなんだよライト」
初めの言葉をもう一度声に発し、意味不明だった主張がようやく現在に繋がる。「ステラは死んだ」、「ステラは魔物じゃない」……普通に考えたらそれで破綻してしまう言い分も、魂という視点を挟む事で不思議と全て理解できる。つまり魂を媒体として意識だけが別の体へと移り変わったステラがこいつだという事だ。
だったら何故僕の顔を見た時点で自分がステラであると主張しない。何故僕が語るノウィンの思い出に、いちいち初めて聞いたような反応を返す。何故本を読み慣れていない、何故歌をうろ覚え程度にしか知らない、何故紅茶の味に馴染みが無い、何故僕の絵を素直に下手と断じない。知識、人物像、体験談、お前の主張は僕とお前が今日まで話してきたそのどれもと完全に食い違っているじゃないか。
そもそもこいつの生まれがステラの死亡よりも後なんてあり得ない。こいつはあの事件の
改めて目の前の魔物の顔を視界に捉える。魔物はただ変わらない笑みをたたえるのみだ。これほど無茶苦茶な話を口にしながら、それに対する一切の虚しさや白けを感じさせない。それどころか、何処か清廉さすら見える顔だ。矛盾に気付いていないというより、それを気にしてすらいないのではないか。
「良かったねライト。私達はまた会えたんだよ」
事も無げに言うその瞳には一片の曇りも見えない。あからさまで隠すつもりすらない虚像。不可思議に素通りされる道理。何かを欺くというスタート地点すら経ていない、由来不明の純白の嘘。異様だ。その全ての姿勢が明らかに人間のものとはかけ離れている。
前も思ったが、こいつは人が嘘をつくという事、何故嘘をつくかという事に対して何か根本的な捉え違いをしているんじゃないか。こいつのこれは騙しでも詐欺でもなく、ただ嘘なだけだ。建前への配慮など何もなく、ただ相手と話をする際に添えるように嘘をつく。そしてそれに騙される人間など誰もいやしない、それがこいつには理解できていない。
「……良かったね、だと?」
震える声で向けられた言葉を反芻する。「私達はまた会えた」。そんな非現実的で冒涜的な言葉。
さっき僕は死後に魂が抜け出るのを聞かない話だと言った。それもそのはず、普通は生き物が死んだ時点で魂は何処にも観測できなくなる。つまり
結局死は全ての終わりであり、覆る事は無いのだ。魂が記憶を司るとする学説が広まって以降その手の
「ふざけるなよ……」
胸の奥から湧き上がる感情が自然と声に出る。
ステラはもはや思い出の中にしかいない。ノウィンで生きてステラと触れ合った全ての人々の心の中、ただ繰り返し振り返る事しかできない。振り返る事しかできないのに。
許されざる存在。
目の前に悠然と立つ、存在してはいけない冒涜的な所業。
ばらばらにしてやる。
お前の侮辱を完膚なきまでに否定してやる。
いかにそうでないか、いかにたり得ないか、千の言葉で目の前の虚像を破壊し尽くしてやる。
ステラがいかに素晴らしかったか、ステラがいかに尊かったか、その全てを明確にしてやる。
そうだ、僕がその誰ともわからない態度を引きはがしてやる。
僕がお前がそうでないという事を魂に刻み付けてやる!
僕が二度と同じ事が言えないようにしてやる!!
そして、そして!!
━━そしてその後は死ぬまで罪に苛まれ続ける━━
「どうしたのライト?」
笑みがこちらに向く。優しいように見える笑み。知らない笑み。
「お前は……お前は……」
お前はステラじゃない。
簡単な事実だ。誰にでもわかる。直感にも理屈にも反している。
お前のそんな言葉に騙される人間はいない。誰一人としていやしないだろう。
だが僕は罪人だ。 人間ではない。
まとう闇に押し潰されて息もできない。
「お前は……お前……は……」
幾度も呟いて、先が出てこない。ほんの一言で終わらせる。その簡単な一言が、ノウィンの全ての人間が言えるその一言が、僕の口からは出てこなかった。痛みに耐えていた。さっきからずっとただ罪の痛みに耐えてうずくまっていた。
今まで一かけら一かけら大切に集めてここまで持ってきた極小の
台地に響く声が途切れる。闇が静まり返る。瞳がまっすぐに交わされる。
そう、ほんの一瞬。ほんの
「
言葉が世界を塗り替えた。闇に星が輝き始めた。
「僕はこの日を待ち望んでいたんだよ」
そこには何の感情も無い。笑みの一つも浮かばない。だけど言えた。一つ言葉を世に出せば、次の言葉が自然と続く。無限に続いていく。今ここに、僕の明日が生まれ始める。
変わらぬ笑みだった魔物の表情が変わる。それは笑みだ。先のものとは別の底知れぬ笑み。
「そう言ってくれると思ってた」
彼女は僕の手を取る。掌に滑り込む絹のように滑らかな手指。
「あの日からずっと。君が何故怒ったのかを考え続けていてよかった」
彼方に馳せるような瞳に僕が映る。輪郭のぼやけた手足。ひざまずく人型。
「君は、
そう言い、彼女は嬉しそうに目を細めた。
僕に向けられた笑み。喪失の世界で僕だけに与えられる笑み。
よかった 僕はついにステラに許されたのだ
差し伸べられたその手には純白の指輪がきらめいていた。
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この話で一旦区切り、書き溜めに入ります。
【漫画化】もしもチート小説の主人公がうっかり人を殺したら ガッkoya @gagaga_koya
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