それだけなんだ

「な、何言ってるんだよ」


 僕はプラチナの言葉を笑い飛ばすように言った。だが実際に自分の耳に届いたのは震えた上ずった声だ。


「狂ったフリって何だ? 言ってる意味がわからない。なんでそんな事を言われなきゃいけないのか……」


 数だけの繰り返しのような言葉を続ける。自分が今どんな顔をしているのかもわからない。


「選んでいたからだ」


 プラチナはこちらの目を見つめながら言った。声を聞くだけで呼吸が止まりそうになる。


「君はいた」


 僕の顔を覗き込むプラチナの視線はぶれない。


「君は基本的には理路整然と喋れるのに、特定の話題の時だけ思い出したようにおかしな事を言い出す。別に偏っているだけならそういう狂気かとも思うが、君は違う。おかしさの裏に何らかのが見えた」


 ただ聞いている事しかできない。向けられる笑み。


があるという事はであるという事だ」


 誰かの息遣いがやけに近くに聞こえる。さっきから何を言われているのかわからない。わからないんだ僕は。わからないのに汗だけは止まらない。


「い、言い掛かりはやめろ。僕はただ、ドロシーを……探しただけで……」


だ。今君は何を口にするか言葉を選びながら喋った。君は君をいる」


 こちらを覗き込むように観察する魔物に、周りの空気を全て奪われたような感覚になる。


「ち、違う! そりゃ僕はもしかしたら狂っているのかもしれない! だけど狂ったフリなんて意味不明だ! そんな事をして、何の意味もないだろうが!!」


 震える憤りに任せてつっかえつっかえに反論する。そうだ、普通に考えろ。に考えろ! で! で! で! で!!


「そうだな、何の意味も無い。意味が解らない」


 肯定するプラチナ。その言葉を聞いて顔がひきつりながらにやける。


「ただ」


 プラチナは一瞬言葉を区切り、地面を見た。


「もしかしたら……意味があったのかもと、最近思った。もしかして、君にとって、すごく重要な事だったんじゃないかと」


 思考の内側に沈み込むような目の動き。妙に心がざわつく。


「何故なら君は悲しそうな顔をした」


 それはともすれば優しくさえ感じられる声音だった。繊細で優しい調べ。気の遠くなるような、途方もない━━





 世界が僕の魂から一斉に手を離した。


 奈落に落とされるような底無しの浮遊感。今まで僕の肌に貼り付いてじっと時を待ち続けていた何かが一斉に僕の中へと潜り込んでいく。回りの景色が途方もない遠方に吹き飛び、目の前にあるのは内臓の全てを貫くようなただただまっすぐな視線のみ。



「ち、ちが……違……」 


 必死で反論しようとする。だが出なかった。その言葉は僕の口からは出ない。


「君はステラが大事だった。ステラを殺した事を後悔していた。だから狂いたかったのではないかと、私は思った」


 底知れない笑みを湛えたプラチナが言葉の続きを口にする。僕は何も言えない。言う事ができない。


「私は気付いた。これがか、と!」


 目に痛いほどのぎらぎらとした輝きが魔物の瞳に宿る。


「私は気付いた。君は罪に向き合っていないんだ! 罪に向き合って告白して一生を掛けて償ったりする気なんてさらさら無い! お手軽に苦しんだふりをして追い込まれたフリをして、それでなんとなくお茶を濁しているだけ! その場しのぎでおかしな事を言ったり奉仕活動をしたり、それでいつか時間が経ってなんとなく風化した空気になるのを待っているだけ! だったんだ君は! !」


「あ……! あ……! あ!!」


 止まらない言葉の洪水が暴力的な速度で僕をバラバラにしていく。何か言わなきゃいけないのに、聞いていることしかできない。自身に刃が差し込まれて切り刻まれていくのをただ見ている事しかできない。


「私は君はステラが大事だと思っていた。そう言っていたから。でも違った」


 心臓の奥にゆっくりと声が響く。


「君が本当に大事なのは、馬鹿みたいに世界を駆けずり回って見つかりもしない女を探す狂った自分自身だ」


 底無しに冷たい宣告。声色は普通だ。なのにぞっとするほどの冷たさ。


「それが全ての。君の事を考え続けて、ある日それが突然わかったのさ」


 膝をつく僕に対して落ち着いた声が降り注ぐ。空に広がる闇。じっと僕を見つめる。


「ちがう……それはおかしい……そんな話は、僕は……」


 なおも何か反論しようとするも、その訴えは目の前の薄く笑う眼差しに阻まれる。「ほらな」と言われている気がする。言えば認める事になる。それが僕の正体になる。


「僕は……! 僕は……!」


「ハハハどうした! 喋れば喋る程理性がにじみ出ているぜ! なんだ喜べよライト! 君はまともだ! 狂ってなんかいない! さあ一緒に紅茶を飲もうじゃないか、優雅に、文化的にな!」


 向けられる言葉をもはやまともに聞き取る事すらできない。頭の中に声が反響する。壮絶な思考の奔流にうずくまる。



 ちがうんだ。僕はステラが。僕は本当にステラが大事なんだ、嘘じゃないんだ。本当に大事だ。ステラを殺した自分が許せないんだ。


 そうだ。唯一無二の素晴らしい冒険者だった自分が、ステラを殺した自分になってしまったのが。こんな自分は認められない。僕はじゃない。


 変えてしまおう。ステラを殺した自分自身現実を。殺人鬼と非難されるべきこの境遇を。



 許せないを  正しい形に修正し狂わせよう



「ああああああああああああああああああああああああ!!!」



 せき止めていた全てのものが僕の中になだれ込む。気の遠くなるほどの膨大な無加工の事実、順当な理解、広がる打算が、脳の裏側にぶつかりながら頭を巡っていく。世界が正常に許せなくなる。僕が人殺し現実になる!!!


「あ、ああ……ああ……」


 呻きながら手で顔を抑える。目に映るただ土にまみれただけの平凡な手の平。罪に汚れた手の平。


「……は、はは、 はは」


 何かがこみ上げてくる。見て見ぬふり、わからないふり、そんな全てが引きはがされた末。どうしようもなく当たり前にこみ上げてくる何か。



「ははははははははははは! ははははははははははははははははははは!」



 狂おしいほどにに満ちた笑い。 取り繕う余地の一切無い底の抜けた哄笑。



 おかしくてたまらない。もはや笑いをこらえる事ができない。今までずっとこらえてきた笑い! 滑稽極まるへの笑い!!


 増殖するドロシー! 飲み込まれる町と人! 崩壊する世界!



 馬鹿馬鹿しい! なんだそれは!! そんなもの! ある訳がないだろうが!!



 朽ちたドロシーに花が咲いた? ドロシーに咲いた花にどんな意味があるかわからない? ! その都度適当な何かをでっちあげていただけだし、本当はそんなもの



 最初からだ。本当はノウィンで声を掛けた村娘がドロシーでない事なんて最初から気付いていた。彼女が振り返る前にはもう気付いていた。


 でも止まらなかったんだ。しまったんだ、このまま行けばなれると。こっちの道が一番のだと気付いてしまったんだ。僕が心の奥底で望んでいたものが突然目の前にやってきて、とっさに僕はそれを手に取ってしまった。そこからはもう止まらなかった。




「はははははははは!」


 笑いは止まらない。おかしくておかしくてしょうがないんだ。おかしさのあまり、目尻に涙までたまってくる。




 あのドロシーの捜索依頼だってそうだ。僕は本当はドロシーを探したかったんじゃない。既に全てを暴露しているかもしれないあの女の正体などもはやどうでもよかった。


 僕は本当はただだけなんだ。ドロシーが僕の罪を知らせた結果、いずれ世間が僕に非難の目を向けるかもしれない。だったらしまえばいい。重すぎる罪に耐えかねて壊れてしまえば、人々はきっと石を投げる手を止めてくれる。世間が僕に非難の感情を抱くなら、それよりも強くもらえばいい。


 院長が壁に貼られた絵を気味悪がっていたのを見た時、既に僕はこれを利用できないかと心の奥底で考えていた。ギルドのシステムを利用し、人探しの名目で世界中に狂気じみた人相描きを貼り付ける。見つかる訳も無い尋ね人を毎日延々とギルドに確認し続け、世間の笑い者になる。


 捜索書でしつこいくらいに念押しした「危害を加えないように」の一文、あれはドロシーに危害が及ばないよう書いた訳じゃない。が人に危害を加えない事の証明だからだ。僕を優しい狂人だと思ってもらうために絶対に必要な事だったから書いたのだ。僕が見つかりもしない尋ね人依頼に延々と大量の金貨を支払っていた理由は、それと同じくらい多くの人々からの哀れみと同情をための打算でしかなかったのだ。




「はははははははは! あはははははは! ああああ!」


嘲りの笑いが止まらない。この世で唯一無二の愚か者を嘲る力一杯の笑い。




 ドロシーの化け物が出てきた時は本当に嬉しかった。ついに本当の狂気欲しかった物が手に入ったのだ。大事な狂気たからものを壊さないように、あまり触らずにすぐ離れるようにした。記憶のガラス棚の中にたくさんのドロシー意味不明を並べて毎日大切に眺めていた。僕の心の中からそっくり出てきたような彼女達は僕のこれまでの行動がついに実を結んだ証だった。


 あの日情報提供者に見覚えがあると気付いた時は世界の終わりを感じた。そんなはずが無いと叫びたかった。あの時僕は本当に愕然としていたんだ。たまたま知った顔の詐欺師さえいなければずっとドロシーから世界中逃げ回っていられたのにって。体の全ての力が抜けていく思いだった。もはや目の前のハリボテ達のちゃちで雑な作りから目を逸らす事は難しかった。僕は狂気のはずだ。僕こそ狂人のはずだ。なのに なのに


 なのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのに




「はは……あははは……は……」




 無限に続くかと思われた笑い声はすぐに尽きた。闇に溶け込んだ静寂の中でもはや誰も喋っていない。後にはただこうべ垂れた殺人者だけが残った。



 これが真相だ。そこには何も無い。初めから何一つとして実態のあるものなど存在していない。僕はただ皆を騙していただけなのだ。冒険者ライトは重すぎる罪でおかしくなった哀れな狂人なのだと、ギルドを通して世界中を詐欺に掛けていただけなのだ。





「なあ、見逃してくれよ」



 地面を向いたままぽつりとこぼす。形だけ残った笑みのまま口を歪ませて声を出す。



「成功したんだよ……みんなおかしな貼り紙だと思ったんだ……狂人の依頼者だって噂になってるんだ……あとは僕だけなんだよ。僕を騙す事さえできれば、もう全てを騙し切る事ができたはずだったんだよ……」



 誰にも知られない殺人鬼の、独りよがりの懇願。ここには人間は誰もいない。罪を責める者は一人しかいない。





「だから……どうか……どうか、どうか……」



 どうかこのままで。


 ついに壊れる事の無かった世界で叶わない願いを乞い続ける。ここにはもうそれは無い。


 初めからここには狂気なんて無く、あるのは間違いだけだからだ。




 もう元には戻らない。罪を指し続ける自分からはもう逃げられない。




「どうか……僕を、僕を……」



 響き渡る懇願に応えられる者はいない。誰にも救えない。誰にも手を差し伸べられない。空虚な哀れみが向かう先には既に何も無い。


 誰にも止められない痛み。誰にも許せない罪。そうだ、誰にもだ。自分だれにも、他人だれにも、世界だれにも。もはや誰にも 誰にも━━




「許すよライト」




 穏やかなよく通る声が響いた。かつて聞いた歌のような。


 顔を上げる。


 僕を見つめる魔物が笑みを浮かべている。




「許してあげる。殺した事」



 闇の中に発された一言。


 何かの言葉で受け止める事ができず、数秒ただ頭の中で繰り返す。


 何度繰り返しても何処か結論に辿りつく事が無く、ただ闇の中に静寂が重なってゆく。



 意味が解らない。今日欺瞞の中で何度も発したそれとは違う、本物の「意味が解らない」。


 目の前の魔物の大きく開いた瞳孔の奥に、ただただ底知れない何かが煌めいていた。

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