見えてきたもの

 床を広がる木目の浮いた荒い板張り、突き当りから上に伸びる石造りの壁。一人でぼーっと突っ立っているだけの視線は気付けば建物の内部を駆け巡る。


 いつ来てもここ冒険者ギルドには様々な物がごった返している。所せましと壁の一角を埋め尽くす貼り紙。脇の机で何事かを相談し合うがたいの良い連中。そしてそこかしこ床の上に積み上がった大量の土。その土の山からは色とりどりの花が生えている。


「お待たせしましたライト様、Sランクダンジョン討伐報告を受理しました! 報酬の受け渡しは二週間ほど後になります!」


「ああ、ありがとう」


 手元の書類に必要事項を書き終えた受付がカウンター越しに確認の言葉を伝えてくる。お決まりの事務的言い回しではあるが、その様子は嬉しそうだ。


「本日は厄介な依頼を解決していただきありがとうございました!」


 お礼の言葉と共におじぎをする受付。土の乗ったカウンターに咲き乱れる花弁が揺れ、ふわりと優しい風が流れたような気がする。


「花の良い香りですね」


「何がですか?」


 用件を済ませた僕は受付を後にする。人と花にぶつからないよう木の見える床を選んで歩き、木造りの両開きドアを開け放って外に出る。


 建物の外は視界の先まで花に飾られていた。まばらに配置された色とりどりの花山は、本来踏み固められた街路では見られない華やかな光景だ。そしてその道の真ん中を歩いてゆっくりとこちらへと近づいてくる一つの人影。やけに大きな頭部に、長さの揃わない手足をたずさえる不格好な人型。


「来たのか」


 彼女はこちらを見ているのかどうかもわからない様子で一定の速度でにじり寄って来る。そして僕の目の前で立ち止まり空の彼方の一方向をスッと指さし、あとは役目を終えたようにボロボロとその場に崩れ落ちてゆく。


「この方向はあの町かな」


 地図と空を見比べて確認し、その先に何があるのかの確認を終える。僕は現在いる町にチェックを付けると、足元に人型の土の山を残して飛び立った。背後に花の芽吹く様子が見えた気がした。





「おーいヒーラーさんよ! 急ぎで全快頼むぜ!」


「あ、はいただいま」


 診療所の一室に冒険者らしい威勢の良い声が響き、顔を向けるより先に返事を返す。暇を見つけて開いていた地図を畳み、ヒーラーの本分とばかりに適当な強さで相手の魔力を回復する。


「おおー、流石の速さだぜあんた! 助かったよあんがとな!」


 言うなり数枚の銀貨をよこし、満足そうにこちらの肩をバンバンと叩く冒険者の男。魔法使いだろうが戦士だろうが、冒険者ってのは大体こういうノリで暑苦しい。


「この村も大分過ごしやすくなったよな! 今までわざわざ寄らなかったけど、便利になったぜ!」


「おーい、終わったなら次こっち頼むぜ!」


「俺も俺も! 準備忘れてパーティの奴ら待たしてんだ!」


 一人が済んでも次から次へと押し寄せる冒険者達に、ほいほいと順番にヒールを掛けていく。回復する度に支払われる硬貨の数を確認しつつ、流れ作業で10枚毎に整理する。たまに足りない時には指摘するが、そもそもの回復量にぶれがあったりもするのでその厳密さが必要かは謎だ。


「いやー回復した回復した!」


「ありがとよ、じゃあな!」


「またどうぞー」


 どやどやと部屋から出ていく冒険者達を見送りながら、今来た客の一人一人の支払いを帳簿に記入していく。客の訪問が途絶えるしばしの時間、色々暇の潰し方はあるが何をしようか。窓の外の陽光に顔が向くと、一塊のが目に入った。きっと他の人間は気にも留めないであろう、膝の高さに満たないほどの積まれた土。


……か」


 あれから僕はノウィンでの診療所勤めを再開した。僕の役目は可能な限りノウィンに留まり、村の様子を見守る事。毎日堅実にこの場所で仕事をこなし続ける事だ。だからあの日も同じようにこの部屋で客を待っていたのである。


「彼女は何故指さすのだろう。指さすのを辿った先に何があるのだろう」


 二週間前から続くその疑問の答えを僕はまだ知らない。そう、二週間前のあの日だ。朝から天気が悪かった。昼頃にノーマン先生が持って来てくれたコーヒーの味を思い出す。






「お疲れ様、ライト君。ほらこれどうぞ」


「あ、どうも……なんかありがとうございます」


 雨粒が窓を叩く湿った空気の中に香り高い湯気が立つ。差し出されたコーヒーを手に取った僕はそれを口に運びはせず、ただカップ越しの温度だけをいただいている。


 恐縮して縮こまる僕に対して、ノーマン先生はなかなか上機嫌だった。無断で欠勤し続けた僕への不満より、その悩みが解消された安堵の方が大きいのだろう。ヒーラーの不足はそれだけ大変だったという事だ。


「まあ一日中出ばらなくても良いからね。ローザさんが出ない時間だけでも出てくれれば」


「い、いえ! これからは夜通し頑張ります!」


 最大限僕の都合に配慮する言い回しに申し訳なくなり、無駄に大口を叩いてしまう。先生は「ハハハ」と軽く笑い声を残しながら、部屋を出て行った。


「ふう……」


 息を吐きながらカップを口に運ぶ。ヒーラーとして久しぶりに診療所を訪れると、ここで働く同僚達の忙しさを肌で理解できる。


 ノウィンは順調だった。村を訪れる冒険者の数は増え、ギルドの建物は増築を繰り返している。最近では村民として引っ越してくる人間まで現れ始めたくらいだ。


「余計な心配事にならないようにしないとな」


 僕はいるだけでいい。村の一角におさまり、堅実に機能し続けていればそれで。目立ったり邪魔になったりせず、ただ来るべき時に備えていれば。


「……え?」


 それは意識しての事ではなかった。窓の外に遠く歩く人影が見えたので、視線がなんとなくそこを向いていただけだった。そのまま何十秒か経ってようやく、その人影が道なき道をまっすぐこちらへと近付いてきていることに気付いた。不釣り合いな両手足に合わせてゆらゆらと揺れる姿。じわじわと鮮明になる子供の冗談のような造形の顔。


「ドロシー……?」


 窓を開けて、はっきりと姿を目に入れる。世界各地で視界の端々に現れてきたドロシー。今までノウィンにだけは現れなかった彼女が、今明確に僕の目の前へとその姿を現していた。


 不思議と恐怖心は無かった。世界の何処に逃げても僕を追い続けた彼女が今そこにいる。どれだけ追い求めても届かなかった彼女がそこにいる。僕がここに留まり、彼女が歩み寄って成立した邂逅。お互いの顔が確認できる距離。


 僕は言葉を掛けなかった。彼女も何かを言わなかった。代わりにすっと腕を上げて空を指さし、そのまま動かなくなる。


「何だ?」


 僕は窓から身を乗り出し、ドロシーの指さした方の空を見上げた。何があるという訳ではない。ただ雨が振り続けている。村の方に視線を戻すとドロシーはおらず、人型の土の山が残されていた。


 それから僕は仕事の終わった後、その方向へと飛んで行ってみた。特に目的地がある訳でもない、方角だけが示された旅。地上の様子に注意しながら進んでいくと、やがて一つの町が見えてきた。見覚えのある、尋ね人で通っていた町のうちの一つだ。


「あれは……」


 土だった。高度が下がるにつれて地面が近づくと、かすかに人の形にも見える土の山が町の至る所に横たわっていた。かつてあらゆる場所に蔓延り僕を見ていた人型達の成れの果て。


 僕は直感的に悟った。今、世界中がなっているのではないかと。





「うお~! やっぱ回復するとほっとするな~!」


「いえいえ」


 間断なく現れる冒険者達をパワー任せに回復していく。特に午後になると魔力回復のために訪れる冒険者が激増していくのである。


「あんたも随分久しぶりだな! ドリエルとかいう女は見つかったか!」


「誰ですかね……」


 冒険者特有の軽口を適当に聞き流す。こいつあの時からかってきた奴か。微妙に全快より少なめに回復してやりゃ良かった。


「けどあんた、あの時より顔色良くなった気がするな。なんか美味いもんでも食ったか? 良かったじゃねえか!」


 そう言って笑いながら出ていく冒険者を見送った。部屋の鏡に目を向けると自分の顔が映る。血色良いだろうか。自分ではよくわからない。


「美味いもんって言っても、屋台で買った安物くらいだけどね」


 軽く苦笑して息を一つ吐く。いつも僕が買うのは塩のついた串焼きやその土地の果物など、そういう手軽に携帯できるご当地料理。そして強いて言えば……紅茶くらいだ。






「これは東の大陸で取れた茶葉じゃないか? 前に飲んだやつと味が似ている気がする。モーブルの隣町とかだろう!」


「全然違う。普通にこの大陸のやつ」


 台地の上で適当な形のテーブルに座りながら、クッキーをかじる。中に散りばめられた乾燥した魚の切り身が美味くも不味くも無く、食べる者に複雑な顔を作らせる。


「へー、ガンドムは元々鍛冶師だったのか。なんで冒険者になったんだ」


「客と話してる内に自分もやってみたくなったんだとさ。あいつら気だけは良いから、楽しそうに見えたんだろ」


 あれから僕はプラチナと色々な話をするようになった。今日あった事の話、ノウィンの村人の話、ステラとの思い出の話。どれもしなくていい話だ。しなくていい必要の無い話の時間をぼくらは毎日繰り返した。台地の上で少しの食べ物と紅茶を囲みながら。


「それでステラが言ったんだよ、『そっか、魔物を倒せても森で迷ったら終わりじゃん』って。あの時は腹減りで死ぬかと思った」


「やたら冒険に出たがるな君達。それで後でジョシュアに殴られたんだろ」


「そうそう、あいつこういう時に必ず年長面しやがるから……」


 他愛ない話をしている内に時間は過ぎていく。今までずっと自分には必要無いと思っていた、ただ誰かと話すだけの時間。気付けばこれまでずっと遠ざかっていたありふれた日常。ここに来るたびに様々な事を思い出す。僕はステラや仲間と一緒に様々な冒険を繰り返していた。僕はまだ見ぬ遠い町に憧れていた。ぼくは昔、ただの子供だった。





「だ、誰か助けてえ! はぐれ魔物があ!」


 町中のそこかしこに半狂乱の声が響き渡る。空を明滅させながら超高速で飛び回り、高圧の電流を飛び散らせる不定形のモンスター。無生物が寄り集まって動くゴーレム系の中でも特に対処の難しい最悪の難敵、電気ゴーレム。物理攻撃は効かず、大規模な魔法も町では巻き添えの恐れがある。


「させるか!」


 僕は空中で暴れ回る電気の軌道をとらえ、風に乗ってその中心へと飛び込んだ。そのまま相手の電気を縦横無尽に体でかき回し、全てのエネルギーを僕へのダメージとして消費させ続ける。やがて形を保てなくなった敵は空気に溶けて霧散し、空には正常の青空が戻ってきた。


「ありがとうございます! なんてお礼を言ったらいいか!」


「すげえなあんた! 俺らが攻めあぐねてた魔物を一人で!」


「い、いえいえ」


 町民や冒険者から押し寄せる猛烈な感謝に戸惑いながらも、魔物の脅威を実感する。普段「できるから」程度の気持ちでSランクダンジョンを攻略していたが、それはこういう事件を未然に防ぐため、人々の日常を守るためのものなのだ。いつも大袈裟に喜んでくれていた受付の人達の顔を思い出す。集まった人々の肩越しに、土山の上に花が芽吹き始めるのが見えた。


「綺麗だな……」


 ドロシーが導いた先々の町で何をすればいいのかなんて僕にはわからなかった。だからできる事も他に無いのでギルドで塩漬けになっている厄介な高難度依頼を解決していったんだ。そうしている内に町中には花が咲き始めた。今日まで仕事後の時間はずっとそれを続けている。


「次はあっちか」


 現れたドロシーが指さす方角を確認し、その先に辿り着くであろう町を地図で調べる。花が咲くのに呼応してか、僕が町のために動いた後に彼女は姿を見せる。


「今日はもう遅いから、方角だけメモして帰るか」


 きちんと地図に今日の記録を書き込み、いくらかのお礼を持って空へと飛び立つ。町を渡り次いで花の咲くのを見届ける日々。


 一体僕は何処に向かっているのだろう。彼女が指さす方向の先に何があるのだろうか。





「誕生日おめでとうライト!」


 食堂に入ると同時に、歓声と共に紙吹雪を浴びせかけられる。飾りつけられた部屋を見渡すと、この孤児院に住む仲間達がみんな集まっていた。


「ええ?」


 帰ってきてやけに誰も見かけないと思ったら、こんな所で僕を待っていたのか。ありがとうと感謝すべきかと思いつつも、口をついて出た疑問符が僕のそばに浮き続けている。


「いやあ、めでたいねライト! たまにはぱーっと騒いで楽しもうじゃないか!」


「僕の誕生日、何週間か前なんだけど」


「あんたその時いなかったんだからしょうがないじゃないか! そもそも元の誕生日も適当に決めたものだし、細かい事言いっこ無しだよ!」


 身も蓋も無い事を言いつつ豪快に笑い飛ばしてくる院長。あんまりな言い草に呆れつつも、楽し気に祝う子供たちを見ていると、なんだかこちらの顔にも笑みが浮かんでくる。そういえば自分の誕生日の事なんてずっと忘れていた。


「ライト、俺も成人したら冒険者になるんだぜ!」


「あたし料理する! お店で料理する人になる!」


「ああ、なれなれ。それまでは僕が守ってやる」


 未来の事を楽しげに話す孤児たちをまぶしく思う。彼らもいつか大人になり、様々な道を歩き始める。その手助けをする側にいるのは今は僕の方なのだ。


 ノウィンに積もった一塊の土をふと思い出す。あそこにもいつか花が咲く日が来るのだろうか。






 人の寝静まる夜に立ち、空を眺める。足で土を踏みしめる音が冷えた空気に響いて心地良い。空を見上げると星が出ている。


「空に光がある事も忘れていたな」


 暗い空をわざわざ見上げるなんて事はしなかった。僕にとって空は人の目からの手頃な逃げ先で、そこに何かあるとも思っていなかった。空には星がある。星と光がある。


「そして、地上には花があった」


 僕の前に現れ空の彼方を指さすドロシー。町の中で土として眠るドロシー。


 彼女が何を伝えたいのかはわからない。何故僕の前に姿を現すのかわからない。だが、少なくとも花が咲いた。人々は笑みを浮かべていた。


 僕は前まで彼女の事を必死に追い、周りを見ずにただ目の前を走り続けていた。何かに繋がるイメージは何も浮かばない。暗闇の中をただもがいているだけだった。


「変だよな……今も何もわからないってのに」


 ドロシーの考えなんて何一つ知らない。このまま何処に辿り着くかもわからない。なのに何故僕はこんなに落ち着いているのだろう。何故今の状況を受け入れ、彼女を信頼しているのだろう。



 いけすかない診療所の客は僕の事を気に掛けていた。


 浅はかで嫉妬深い村の三人組はノウィンが好きだった。


 僕が救った町に住む一人一人がそこで生きていた。


 それは探していた答えじゃない。知って何かが起こる訳でもない。だけど、もしも知らずに生きていたとしたら。僕が自分の中の事ばかりずっと見続けていたとしたら。



 彼女の示す先を渡り次ぐと何があるのだろうか。そこに見つかるのはドロシーなのか。それとも、別の何かなのか。


「見つけよう……今回こそ必ず」


 彼方に咲く花を見据え、呟く。


 そう、今回こそはきっと見つけ出す。


 僕が本当に探していた何かを。





























「見つかる訳がないさ」






 冷たい夜の空気に声が一つ響き渡る。耳朶を滑って当然のように頭の奥まで入り込む音。振り返った拍子に蹴飛ばした小石が切り立ったの崖を転げ落ちてゆく。



「今日の紅茶は美味しいな。ライトも飲んでみろよ」


 視線の先、満足げに言うその姿。。紅茶を片手に普段通りの笑みを浮かべている。


「な、何を言ってるんだ」


 ようやく返事を返す。何か言われた。プラチナこいつに。一つ飲み込むのにやたら掛かる時間。


「手応えがあるんだ。このままドロシーの指さす方を進んでいけば、いつかは何もかも見つかって……」


「ハハハ!」


 僕の反論に対してただ笑うプラチナ。何故かまた言葉が出なくなる。


「見つからないだろ。だって君がんだから」


 喉が異様に乾く。何を言っているかわからない。汗が止まらない。


「なあライト、最初からずっと聞きたかった事がある」


 プラチナは持っていたカップを丁寧な手つきでテーブルに置いた。


「君は何故なんかをしているんだ」


 息の止まる音がした。


 その言葉を境に空に光が消える。崩れかけていた世界はしんと静まり返る。花は何処にも無い。



 ただ、目の前の全てが目に映るだけ。

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