第2話:彼女の裁定
意識が遠のき、目の前が霞んで見えなくなり、自分の体から熱が奪われる。
それがいつしか、意識が鮮明になっていく。
何かがおかしいと考えられるようになって、気付く。無様にも地べたに這いつくばっていた筈だが、直立不動の体勢で立たされている。
ここは、どこ?
周囲は白い。どこまでも白い。壁や床のようなものは見当たらない。その上で、地平線のようなものも見えない。濃密な霧の中に放り込まれたようで、でも違う。何故なら、視界は閉ざされていないからだ。
彼女の目の前から五歩ほど離れた場所に、そいつは立っていた。性別は判断が出来ない。女にしては、体格に丸みが無さ過ぎる。だが、男にしては、逆に顔に厳つさが無さ過ぎる。それでいて、単に女顔で線の細い男とも、言い切れない。
「気がついたようだな」
その問い掛けに、彼女は睨み付けるように目を細めた。
「ここか? そうだな。曰く、死後の世界というものになる。実際は、その入り口に過ぎないが」
「どうやら、そういう事みたいですわね」
忌々しい。
「では、あなたが世に聞く、"裁定を下す者"というわけですのね?」
死者は黄泉路に下るとき、"裁定を下す者"から生前の行いによって裁きを受けると聞いている。まさか、本当にいるとは、こうして死んでみないと分からない話だったが。
「正確には、その一人になるがね」
「先に言っておきますわ。私を地獄に堕とすというのなら、ただで済まないと思いなさい」
「一体、どうするつもりだと?」
「代わりにあなたを地獄に堕として差し上げますわ」
「なるほど、それがお前の答えか」
即刻、くびり殺そうと駆け出そうとした瞬間。
そいつは、パチリと指を鳴らした。
そして、彼女の視界は裏返る。
何が起きたかを理解するよりも早く、痛みが駆け上がった。
「――かっ!? はぁっ!?」
悲鳴すら、上げられない。何が、起きた? 激痛を押さえ込みながら、状況の把握に努める。
裏返ったと思った視界が、元に戻る。
いや、視界だけではない。体勢すらも、さっきの瞬間と辻褄が合わない。
「ここは?」
「お前がよく知っている場所だと思うがね?」
"裁定を下す者の"言葉に、彼女の頭に登った血が一気に引いた。怒りは醒め、冷静さを取り戻す。
彼女は目を細めた。
そうだ。ここはよく知っている。
石壁で囲まれた牢獄。生前、ゴミ箱と呼んでいた秘密の拷問部屋だ。
そこで、固い椅子に全身を固定される形で座らされていた。
左脚が、絶え間なく激痛が訴えてくる。ぬらぬらとした熱い血か流れていく。
「お前には、まず殺してきた相手に与えたものと同じ目に遭って貰おう。そういう"約束"だ」
"裁定を下す者"が言うと、彼女の目の前に、もう一人の彼女。生前の姿をした彼女が現れた。手には大振りのナイフを持っている。
にたりと、そのもう一人の自分は笑みを浮かべた。
「まずは一人目。お前が、脚線美を妬んで殺した女の記憶だ」
脚にナイフが当てられる。そして、一気に引き抜かれ、薄くない肉片がぽたりと落ちた。
脳天にまで突き刺さる激痛。
彼女は首を落とし、項垂れた。
体が震える。
「ああ、ああ。そうでしたわね。そういうことも、ありましたわ」
覚えている。よく覚えているとも。
「あの女。これで豚のように泣き喚いていましたっけ」
止めて。お願い。何でもするから、もう許して。無様な命乞いが、実に心地よかった。
思い出すだけで、堪らない愉悦感が溢れてくる。
「ふっ。くっくっ。くくくくくく」
にまにまと笑う目の前の自分と、同じような笑顔を浮かべる。
これが、あの女の記憶だというのなら、これから自分が何をされるのかもよく分かっている。
情け容赦なく、またも脚の肉が削ぎ落とされた。
彼女は、歯を食いしばった。悲鳴は、意地でも上げない。
あの時、あの女は汚らしく涙と鼻水を垂れ流して、悲鳴を上げた。自分は、あの女とは違うのだ。
「なかなかに、強情だな。お前は」
部屋の隅に、"裁定を下す者"が背中を預けた格好で立っている。
脈打つ度に、激痛が襲ってきて、意識が遠のきそうでも気絶は出来ない。
彼女は、目を細めた。
「覚悟は、とっくにしていましたのよ?」
仮に、死後というあるのなら、だが。その報いは覚悟の上で、やっていたことなのだ。自分の番になって、無様を晒すつもりなど、毛頭無い。
囁き声にしかならない、血の気を失った唇を震わせながら、教えてやる。
自分の姿をした女が、ご丁寧に切り取った肉片を見せつけてくる。その肉片の大きさに、あの時の女は絶望し、嘔吐した。そしてその様子を眺め眺めながら、自分はゲタゲタと笑っていた。そして、そっくりそのままに、目の前の自分も笑っている。
「それは、なかなか殊勝な心構えだな」
無感情な声が聞こえてくる。
あんな囁きが聞こえるとは、"裁定を下す者"は随分と耳がよいらしい。
「――だが、お前がこの女にしたことは、まだまだこれからだ。そして、他にも『喉を潰した者』『目を潰した者』『鼻や耳を削いだ者』『手脚をもいだもの』他にもまだまだいるな。お前によって犠牲となった女達の、数多くの無念の記憶をお前には味わって貰うぞ」
どうやら、そんなものが脅しのつもりらしい。
彼女は、嗤って。今度は、右脚の肉を削ぎ落とされた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
どれほどの時間が流れたのか。あるいは、この場所に時間という概念があるのかも分からないが。
彼女は、"裁定を下す者"を睨み上げた。
もしも、肉体が残っているというのなら。その有様を再現すれば、ほとんどの者は直視出来ないだろう。ご丁寧に、何度も再生と破壊を繰り返されたが。
「――さて、これで取りあえず、お前に殺された人間達との約束を果たしたことになる。最低限の報いは与えた格好だ」
淡々と、変わらない口調でそいつは続ける。
「だが別に、これで終わりというわけではない。少しホッとしたか?」
そんなわけあるかと、彼女は睨み返す。
自分も散々やって来た手口だ、何かを切っ掛けに終わりと見せかけて実はそうではない。そうして、人の心を折る。
しかし、それ以上に、こうして、この自分に対して不遜な態度を取る目の前の存在が気に入らない。故に、怒りは消えない。
「まあ、やはりこんなことで、お前は反省なんかしない。罪も悔いない。ああ、そういうものだ」
反省だと? 何を言っている?
「ただ、これ以上やると、魂の修復がそれだけ面倒なことになる」
「ふん」
そうか、これから本当の地獄に堕とそうというのか。いいだろう。この程度の責め苦。例え何千年掛かろうと、いずれ地獄を支配してお前の前に立ってやる。
「なので、お前には別の手を使うことにした。私の実験も兼ねてな。それでは、精々達者でな」
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