EX2話:エトゥル=フランシア
今生での父の名は、エトゥル=フランシアといった。
年齢は40代半ばだそうだが、若作りなのか、そうは見えない。精神年齢的にも子どもっぽいところがあり、それが面構えに反映されているような気がする。あと「腕前は大したことがない」らしいが、それでも日々、剣術の鍛錬を怠らず、引き締まった体つきをしていることも、その見た目に一役買っているのだろう。
ソルの批評としては、毒にも薬にならない男といった具合だ。如何にも片田舎の領主らしい。そんな、特別な才覚も見出せない凡人だ。
ただそれでも、凡人なりに真面目に、誠実に己の役割を努めているのは、美点ではあるのかも知れない。
日中に仕事が終わってからというもの。夕方からはずっと、こうして居間のソファで、ぐたぁっ! と、警戒心を捨てきった猫のようにだらけた姿を見ると、何とも言えない気持ちになるが。
ソファの脇からエトゥルを眺めていると、彼は視線を向けてきた。
「どうしたソル? 俺に何か用でもあるのか?」
「いえ、何でもありませんわ。ただ、探している本が見付からなくて、立ち寄っただけです」
「そうか。書庫には無かったのか?」
「無かったから、ここに来たのです」
どうしてこの男はそんなことも思い至らないのかと、少し苛立たしいものを感じる。
「ちなみに、何の本なんだ?」
「この地域についてまとめた歴史書です。ご存じありませんか?」
訊くと、エトゥルはしばし虚空を仰いだ。
「ああ、すまん。俺が仕事の参考に持っていって、多分そのままだ」
つまりは、仕事部屋の机の上にでも置いてあると。そういう事なのだろう。
「そう睨むなよ。すぐに使うのか? 冬休みの宿題とか」
「いえ、別にそういう訳ではありませんわ。ただ、知っておきたいことは色々とありますの。それだけですわ」
「ふぅん。お前は、本当に勉強熱心な子だなあ」
そう言って、エトゥルは呆れ半分、誇らしさ半分といった笑いをこぼした。
ソルは嘆息を漏らす。
「というよりも、お父様の方こそ、もう少ししゃきっとしようとは思わないんですの?」
「うん。それ無理。お仕事終わったら、俺はもう絶対動きたくないもん」
駄々っ子そのものの回答に、ソルは呆れる。言い争うだけ徒労に終わりそうなので、つべこべ言うつもりも無いが。
「まったく、お母様も、こんなお父様の何がいいのかしらね」
「うん? そりゃあ、全部だろ?」
何の疑いも無く言い切るエトゥルに、ソルは大きく溜息を吐いた。これで何度目かは覚えてないが。
「それが、全然分かりませんわ。少なくとも私は、お父様みたいな殿方と添い遂げたいとは思いませんもの」
そう告げると、エトゥルは切ない表情を浮かべた。
「この年頃の娘がそういうものだって分かっているけど。やっぱり、『お父様大好き』『お父様と結婚する』とか言ってくれていた時代が懐かしくて仕方ないなおい」
「生憎、私には全然、そんな記憶はありませんわ」
実際、転生してきたのだから、有り得るはずも無い。
そして前世でも、恐らくは無い。幼少期に、父と接するような機会は無く、使用人達に育てられたのだから。
知識として、幼少期の娘が父にそういう感情を抱くことが多いとは知っているが。
「でも、まあそれはともかくとして。俺は、ティリアのことをすべて愛しているし、ティリアも俺に同じ感情を持ってくれていると、そう思っているよ」
ソルは押し黙った。
普段の態度からして、夫婦仲が悪いとは思えない。
こんなエトゥルをティリアは労い、そんな彼女に彼も感謝の言葉を返す。エトゥルもティリアが欲しいもの、力になって欲しいことの要求を聞いては、それに応える努力をしている。
そんなやり取りは、見ているのだ。
強いて言えば、そういった付き合いの積み重ねが、二人の仲を強固にしたと言えるのかも知れない。
「ソル」
「何ですの?」
「ティリアも、最初は俺のことをそんな、添い遂げる相手だと思ってくれなかったとは思う。知り合った当時は俺、ティリアにどう接したらいいか分からなくてさ。女の子とか、どんな話すればいいのか分からなくて。月婚の相手として、折角遠くから来てくれたのに、ほとんどほったらかしにして、逃げるように町や村の視察に出ていた。我ながら、酷い奴だったと思う。ティリアもティリアで、さっきのソルみたいに、お小言ばっかりだったしな」
そう言って、懐かしそうにエトゥルは笑った。
「つまりさ、俺が言いたいのは。まあ、なんだ。最初から理想の相手なんて、そうそういやしないし、完璧な男もいないんだ。俺は、ソル。お前が添い遂げる相手を見つけるときは、何よりもお前を一番大事に想ってくれる男に選んで貰って欲しいし、少しずつからでもいいから、相手を知って、想えるようになって欲しい。そういうことだ。そいつが、どんな奴になるのかは、俺には分からないけどな」
優しい口調で、そんなことを言ってくる。
だらしない父親だが、だから心から軽蔑する気にはなれない。
「ご心配なく、私はお父様よりも何百倍もいい男を見つけて、添い遂げて見せますわ」
憎まれ口を叩いて、踵を返す。
見えない背中の向こうで、エトゥルが満足そうに笑っている気がした。
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