第7話:母に抱かれて込み上げるもの

 現状は概ね理解してきた。

 と、同時に全身から疲れも込み上げてくる。

「お疲れのようですね。そろそろ休まれては如何ですか?」

 このリュンヌという男、随分と察しのいい男のようだ。

 隠し事をするときは、気を付けた方がいいかも知れない。


「そうね。そうさせて貰うわ」

「はい。実を言うと、今のソル様は病み上がり。という設定なのですよ。ただの風邪ですが」

「何故そんなことを?」

 道理で、体が重いわけだ。

 先ほど、リュンヌを追いかけ回して、異様に体が重かったことにも合点がいく。


「あの世で受けた責め苦の影響も考えまして、まずはゆっくりと休めるシチュエーションを用意した。という話です」

「ああ、そういうこと」

 その理屈も分かる。

 なるべく不自然さが起きないように、舞台設定を用意した。そういうことか。


「それでは私はこれで――」

 と、リュンヌは顔をしかめた。

「いえ、申し訳ありません。もう少し、起きていられますか?」

「どういうこと?」


「奥様。ティリア=フランシア様がもうすぐ来られます。ですので、僕もこの場からすぐに姿を消すことは出来ません」

 奥様という言葉に、ソルの心臓はギクリと震えた。

 そうだ、確かにこの男は言っていた。仲の良い両親がいると。


「ソル? 起きてますか?」

 ノックの音が響く。

 しかし、声は出ない。どう、振る舞うべきだろうか? そんなことを迷う。

「はい、大丈夫です。奥様」

 代わりに答えたのはリュンヌだった。

 眠ったふりで誤魔化すということを思い付き、そう告げる先に返されてしまった。先ほどは察しのいい男だと評したが、流石に何でもかんでも察しろというのは無理か。


「入りますよ。ソル」

 言うなり、扉を開いて女が入ってくる。

 見た目は、そう。先ほど鏡で見た自分がそのまま年齢を重ねたら、このような姿になるのかも知れない。

 だが、初見の印象は。「なんだこれは?」というのが、正直な感想だった。

 柔らかい笑顔を浮かべて、彼女がベッドの脇にまで近寄ってきた。


「ソル? 風邪――は――ら? 数日――で――け――ど、そろそろ具合――に――ら?」

「え?」

 目の前の女が、何を言っているのか分からない。

 言葉は聞こえてはいる。知らない言葉を話していないことも分かる。けれど、理解が出来ない。

 またも答えに迷う。言葉が出ない。


「幸いにして、お加減は大分良くなりました。体力は落ちているかも知れませんが、あともう少しお休みになれば、大丈夫かと思います」

 リュンヌの答えに、女は顔をほころばせる。

「そう? 本当に――たわ。今年は――風邪が流行って――って――だから。私、――していた――すよ?」


 しかし、分からない。

 本当の本当に、目の前の女が何を言っているのか分からない。

 こんな笑顔を浮かべて、何を考えているのかさっぱり分からない。

 "裁定を下す者"を前にしていたときにも感じなかった。そういうものとは別の恐怖が、湧き上がる。これは何? 得体が知れない。

 体が、強張る。

 知らない。こんな"母親"は知らない。


「わた……私」

 そこから先は、続けられなかった。元々、浮かぶ言葉も無かったのだが。

「ソルっ!」

 不意に、女に抱きしめられた。

 温かい腕が背中に回り、顔が胸に埋まる。


「あなたが――に――なって――わ」

 こんな感覚は、初めてだ。これは、母の温もり?

 胸の奥から、熱いものが込み上げてくる。

 それを止めることは、出来そうにない。


「げええええええええぇぇぇぇぇぇぇっ!」

 ソルはその場で、盛大に胃の中のものを吐いた。

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