第十二夜 くぢらコロ

 前回の『第十一夜 たこの是非』で、以前放送されていたNHK連続テレビ小説『芋たこなんきん』に出て来たおでん屋「たこ芳」に触れたが、現在放送中の『ブギウギ』にもおでん屋が登場する。

 こちらは東京のおでん屋なので、その由緒にたがわぬ正真正銘の関東風。大阪天満にある「たこ芳」で出されるような淡い出汁ではなく、濃口醤油でしっかりと煮〆たおでん。店構えも前者が小料理屋風の瀟洒な構えであるのに比して、後者は店の名も記されていない粗末な屋台。また、「たこ芳」は欧州人の血を引きつつも関西弁を上手に操るおばちゃんが女将であるのに対し、こちらは大阪弁が大嫌いな頑固おやじというのも好対照をなしている。

 先日の『ブギウギ』では、この関東風のおでんに鯨のコロが入っているシーンが放送された。東京で一旗揚げて故郷に錦を飾ることになった大阪の娘へ、餞別として、江戸っ子のおやじがわざわざ関西風のおでん種を用意してくれたという設定である。


 ところで読者諸賢はコロを召上ったことはあるだろうか?

 ご案内の通り、鯨の皮付脂身である。関西のおでんには定番とされるが、他の地域のおでんで目にすることは少ない。

 僕がコロを食べた経験は、おそらく二回のみ。

 一度目は二十年近く前に神戸に行ったときだったと思う。コロというおでん種の存在は、従前から認識しており食べてみたいと憧れていたものの、それまで口にすることはおろか、見たこともなかった。しかるに件のおでん屋の鍋の中に、憧憬の対象と思しき物体が浮き沈みしているのを発見し嬉しくなって注文した。果して、舌の上に展開するこっくりとした味わいが中々に旨いものだと感じたように記憶する。

 二度目はその後偶然にも、とあるスーパーで真空パックのコロが陳列されているのを見かけたとき。さっそく買ってきて吾が家のおでんに入れたのだが、店頭でコロを見たのはその一度きり。今となっては、あれがどこのスーパーだったのかも定かでない。

 それ以降、コロの姿を目の前に拝んだことは絶えてない。今となっては、旨いと思ったその味の記憶すら随分曖昧になってしまっている。


 先般、たまたま神戸で一泊する機会があった。

 そのときに、以前にコロを頼んだと思しきおでん屋を家人と共に訪ねたのだが、残念なことに件の懐かしい味を口にする事は叶わなかった。たまたま売り切れていた訳ではない。品書き自体にコロが記されていなかったのである。

 Webであちこち関西のおでん屋を調べてみたところ、今やコロが置いてある店は多くなく、あったとしても目の玉が飛出るような値段が付いている。

 鯨を原料にした関西風のおでん種として、コロの他に舌の部分であるサヘヅリ(サエズリ)も有名だがこちらも同じく極めて高価。


 これはひとえに、鯨肉げいにく払底ふっていに他ならぬのであろう。


 日本が国際捕鯨委員会(IWC)から脱退し、商業捕鯨が再開して数年が経つが、安価な鯨肉はいまだ出回っていない。そこにいかなるからくりがあるのか、色々と情報はあるものの、門外漢である僕には何が正しいのか判定は付かない。しかし、いずれにせよ、鯨肉が市場に安価で豊富に提供される状況に今日こんにち至っていないのは、まごうことなき事実である。


 思えば僕が子供の頃、郷里の九州では鯨の赤身の凍った刺身や、さらし鯨の酢味噌あえ、鯨ベーコンなどが極めて一般的な酒肴としてよく提供されていた。更に僕らの上の世代が子供の頃には、鯨肉は安価な蛋白質として、給食などにおいてそれこそ厭になる程、口にさせられてきた筈である。

 慥かに、牛や豚などと比べて、鯨肉はそれ程旨い食肉ではない。日本の食文化などと大上段に構えて、鯨食を守ろうと運動する向きも少なからずあるが、僕は必ずしも、そういったセンチメンタリズムにくみするものではない。

 ただそれでも、手に入りにくくなったと聞けば、無性に食べたくなるのが不思議でもあり、人間の臍曲りなところでもあろう。


 関西における僕ら以上の年代の方々は、おでんのコロなどが簡単に口に入らなくなった現状を、いかに嘆いていらっしゃるだろうか。



                         <了>







 

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おでんの書 すらかき飄乎 @Surakaki_Hyoko

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