第十一夜 たこの是非

 NHKの連続テレビ小説『芋たこなんきん』。二〇〇六年が初度放送で、二〇二二年にはBSで再放送が行われた。

 原案は田辺聖子。田辺自身の半生をモデルにしたドラマである。初度放送時においても比較的評価は高かったようだが、その頃からのファンはもとより、再放送において初めてこのドラマをじっくり目にした視聴者――僕もその一員――から改めて大きな反響が起こり話題となった。


 このドラマ、題名にも「たこ」が出てくるが、イーデス・ハンソンが女将を演じるおでん屋の名前が「たこ芳」。店名の通り、おでん種として蛸が名物であり、そのおでんを食べるシーンが実に美味しそうなのである。


 おでんは関東煮かんとだきと称されるように、東日本にそのルーツがあるとされるが、おでん種に蛸を使うとなれば関西の方が本場であるような気がする。蛸の名産地と言えば、明石の名が思い浮かぶことから、その連想に引っ張られた僕の思い込みかも知れぬが、僕が実地に経験したところから鑑みても、関西のおでん屋の鍋には柔らかく煮含められた蛸が必ず入っていたようなイメージがある。


 たしかに、蛸は旨い。上手に柔らかく炊上たきあがった蛸は殊に美味である。そして、こういった調理の芸当は、何より柔軟かつ融通無下なる関西の人にこそ、その素質があるような気がする。

 例えば、僕の郷里である九州のような荒っぽい土地柄ではこうはいかない。


 そもそも、九州のおでんには、蛸が入っているのをあまり見たことがない。実家のおでんがそうだったし、家人の実家でも蛸は入れなかったという。一般の家庭のみならず、飲食店でも同様のように思われる。九州ではラーメン屋におでんが置いてあることが多いが、そこでも蛸が入っているのを見た記憶はない。

 このように、九州出身の僕にとって、蛸というおでん種は元来あまり馴染みがない。現在でも吾が家のおでん鍋に、すぢや大根や厚揚などと並んで、蛸の足がにょろりとしていることなんぞは、まずあり得ない。


 ただ、先にも述べたように、蛸というものは実に味わい深く旨いものである。おでん種としての蛸の素晴らしさも、僕は関西のおでん屋で知っている。

 それなのに、どうして吾が家のおでん鍋には蛸が入らないのか?


 これには、苦い思い出がある。


 実は以前に一度だけ、家人に所望して、おでんに蛸を入れて貰ったことがある。

 さぞかし旨かろう。期待は大いに盛り上がった。

 しかし、出来上がってきたものを一口試してみたところ、おそらく僕は渋面を為したのであろう。僕の嗜好からすれば非常に残念な失敗であった。どうにもそれは、僕の食べたいおでんとは似て非なるものに仕上がっていたのである。


 原因は、蛸の味の強さである。

 蛸というものは、それ自体、非常に豊饒な旨味を持つ食材である。しかし却ってそれが仇となり、おでんに入れるとその味が出汁に強烈に影響してしまうのである。

『第八夜 出汁が肝要』で述べた通り、僕にとってのおでんの味というのは、市販の「明治 おでん横丁」がベースである。この昆布系の絶妙なバランスの出汁に、煮込んだすぢだの、竹輪を始めとする魚の練物ねりものだの、そういった様々な食材の風味が喧嘩せずに調和してこそ、僕にとって正統性を有する、おでんらしいおいしさとなる。

 しかし、ここに蛸が加わったが最後、何というか、他の味は完全に打ち負かされるのである。鍋の中が蛸の独壇場となり果て、僕の目指すおでんの滋味とは全くかけ離れたものになってしまう。


 この一件以来、蛸は吾が家のおでんにはご法度はっと、禁足処分となっている。

 ただ、先般の『芋たこなんきん』の再放送を見て、僕はどうにもおでんの蛸が食べたくなった。しかるに、蛸はおでんの調和を乱し出汁を台無しにしてしまいかねない、一癖も二癖もある演じ手である。到底一筋縄ではいかぬ。あくの強い役者に仲間割れを引き起こすことなく、穏やかに仕事をしてもらうにはどうすればよかろうか?

 蛸は食いたし、狼藉は避けたし。

 このジレンマを解決すべく工夫した手法が、おでん鍋から少しばかり出汁を別鍋に移し、その個室で蛸だけを煮るのである。こういった御仁は、他の素直な面々からは遠ざけて、特別扱いを装いつつおだてるに限る。

 家人に頼んでみたところ、一瞬その眉根に面倒くさそうな色が一閃したようにも思われるが、快く別誂えの蛸の鍋を仕立ててくれた。

 なるほど、これならば、いかに傍若無人な蛸君とても、他の演者との和を乱さずにふっくり炊上ってくれるではないか。

 よきかな、よきかな。


 ただ、わざわざ別鍋で蛸だけを調理するというのは余計な手間となる作業である。わが家でその面倒な役回りを負うのは家人に他ならぬ。それを考えると、今回は快くやってくれたけれども一抹の不安が残る。

 外面如菩薩げめんにょぼさつ莞爾かんじと微笑みつつも、ひょっとすると内心如夜叉ないしんにょやしゃだったのかも――まあ、よもやそんなことはなかろうが、人の心の中は判らないと言えば判らない。万が一、もし仮にそうだったとすると、肚の底の憤懣がいつどのようなきっかけで沸々とたぎりだし、僕に降りかかってくるやも知れぬ。

 剣呑、剣呑。

 そういうリスクを考慮すると、蛸の大将については、これまで通り吾が家のおでんからは敬して遠ざけた方が得策のような気もする。

 あれこれ思慮を巡らせれば、そこまでしてご出演を願うほどの益も無かろうと思うのである。



                         <了>







 

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