第十夜 酉のおでん
秋というのは、非常に嬉しい季節である。
殊に、日本人のような農耕民族にとっては、尊い稲を始め、さまざまな作物が実り、収穫を迎える豊穣の季節である。神嘗祭や新嘗祭はもとより、多くの神社で最も重要な神事が秋に行われるというのも、長い歴史の中で代々と、我々の先祖がこの季節の到来を最上級の感謝と祈りを以て迎えたことの顕れであろう。
日本語には秋を礼賛的に用いた言葉が少なくない。すなわち、芸術の秋、スポーツの秋、食欲の秋、天高く馬肥ゆる秋など。これらの言葉に代表されるように、さまざまな物事にとって最適の時季と見なされるのが秋である。他のいずれの季節も、これほどにもてはやされることはあるまい。
しかのみならず、殊に僕のような暑がりにとっては、地獄のような夏が去り、涼しい季節が到来することは、何ともありがたく嬉しいものである。
それに、何よりも、涼しくなればおでんの季節である。
この愛すべき料理とって気温の要素は極めて大切で、汗をかきかき団扇片手に熱々の大根をふうふうというわけにはいかない。春に涙を呑んでお別れした愛しいおでんと、半年を経て待ちに待った邂逅のときがこの秋である。
しかし今年、僕は天を恨んでいた。
暦の上では秋も深まり、もはや冬になろうかというのに、一向に涼しくならないではないか。
十月中の僕は半袖のTシャツで過ごす日が大半で、十一月に入ってからはさすがに半袖Tシャツは恥ずかしいというので外出時にはその上に長袖を羽織るようにしたのだが、それでも通気性の好い麻のシャツであった。しかも、ちょっと歩いただけでも途端に額に汗がにじんでくる。夜には寝汗をかくことさえある。したがって、世間体を気にしなくていい夜具については、引き続きタオルケットというありさま。入浴に際しても、吾が家の湯船が湯気の立った液体で満たされることはなく、夏と同様、シャワーのみで済ませていた。
それが立冬を過ぎ、一の酉に至って、ようやく気温も下がってきた。暦のみならず、体感的にも
午前中、家人と共にお酉様に詣でて、ご挨拶の
スーパーでは、いつもは家人が押しているカートを、店に着くや足早に僕が取りに行き、嬉々として押し始めたものだから、初めは目を丸くしていた奥方だったが、しまいには苦笑いとも呆れとも何ともつかぬ顔でにやにやしていた。
さて、今日のおでん、僕にとってのおでんのおでんたる、定番の体裁に調えてある。とは言っても、相変わらずこちらは口だけ出して、調理は全て家人が執り行ったので、僕がことさらに鼻を膨らませて威張ることではない。まあ、こうした仕儀あたりから定番と言えば定番である。
出汁は『第八夜 出汁が肝要』で力説した「明治 おでん横丁」。関東では手に入りにくい商品ではあるが、今年の春、九州に帰省した折に抜かりなく二袋を確保している。
具材は『第五夜 コアおでん』で触れた主役級の面々、すなわち、すぢ、大根、玉子、竹輪、厚揚げ、蒟蒻、この方々は外せない。
殊に、最重要なるすぢに関しては、『第三夜 すぢを通す』で主張した通り、赤身のすぢ、アキレス、メンブレンの三種類をしっかりと揃えさせていただいた。(日本語において「させていただく」なる表現は不適切だともされるが、ここはどうにもこの、謙譲と押しつけがましさとが同居した言回しが適当な気がするので、どうかご勘弁いただきたい)
その上で、主役級のお歴々に加えて、九州出身の僕であるけれども、現下住んでいる土地の神様にも十二分なる敬意を払って、関東らしい、はんぺん、ちくわぶ、魚すぢの皆様にも助演いただいている。
なお、去年の初おでんは『第六夜 おでん始め』を投稿した十月初旬であるから、今年は実に一月遅れになってしまった。
奢れる人間どもへの
<了>
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