水子

@Sin31415

第1話

 外の雨音が空白の空を埋め尽くす、それどころかその反響は屋根ある空間にすらも透過し埋め尽くし支配していく。

 早く早くこれを伝えなくては。

 俺のその焦燥感は何かを目指していた。

 だがわからない、何か自分の裏に巣食う諦めの感情や何やらがその焦燥感という走りに重りをかけ確実に動きを遅くさせていく。

 俺は身の重さに苦心しながらも布をひっぺがし腕の上部を近場の机に行き良いよく叩きつけて、その上に乗っているあらかたの何かを地面にひっくり返し、紙とペンだけを残した。

 そのままどこまでも響く痛みの音に耳を傾けず腰をただして机に転がるペンを握りつぶす勢いで掴んだ。

 異常なことに、いや異様なことに俺が握りつけたペンは軋みもせずに流れるがままに俺の腕に収まった。

 俺の体格的にいや、常識的に考えて成人の男が本気でペンを握りつけたらペンが多少変な音を出すのは普通じゃないのか、なのに今その当然の現象が起きない。

 俺の体は思っているよりも遥かに上回って弱ているらしい、よくよく考えれば感情を抑えようと指に力を入れてもちっとも入りはしないのでからここのところはやることが少なくなっているとはいえ1日一回はやっているんだ、指の力が退化なんてしているはずない。

 まあ、その事実に驚き恐怖し重しの受けた体に鞭を打つことができた。

 俺は不恰好にかろうじて収まっているペンを紙に押し付けて正気が保てる限界の文字で書き出した。

 ”私はこの桐崎 玲はおそらく死ぬのかと思われます。

 少なくともこの文章が人目に触れているのであれば私は死んだのだと思われます”

 当然だが俺は遺言なんて書いたことはありましない運命を決する覚悟などしたことはない、そのせいなのか不恰好になってしまう。

 だがそんなことは気にしてなどられない、そんな気概が自分のどこからか溢れてくる。

 ぴちゃぴちゃと雨音と大して変わらない音が、しかし俺にはわかる俺の体のこの状態の直接の原因であるそれが、俺の元にあめの支配域を増やしながら確実に迫ってきている、その事実をそれが裏打ちする根拠である音であることが。

 私は急いでペンを握り直し位y異形分ほど開けて再びペンを走らせた。

 ”ことの発端は私の交際にあったのです。

 論理的確証などありはしませんですがこのれは間違いないのです。

 私には結婚を約束をしていた彼女がいました、そんな彼女とあと半年で式が挙げられるそんな日でした突然父が倒れたのです”

 俺は自分のこれまでの人生を何度も頭の中で反復し、その度にいのどこからか湧き出てくる自責の念を吐き出すための吐き気に苦しめられて意識が飛びそうになる。

 しかしそれに意識を先ここで筆を止めてしまえばより大きなくりしみを味わうそんな気がしてならない。

 その新たなる強迫観念に押し潰されて出てくる、まるでまな板のような情報を俺は文字で叩き込んだ。

 ”結果から言えば父は即死だったそうです、突然の発作年甲斐もなく運動をする趣味が災いしたのではないかと医者は言っていました。

 これだけでも十分に悲劇です少なくとも私の心はそれいっぱいで何もできるような状態ではありませんでした。

 父親っ子でありとあらゆる相談をしていた私には本当にそれは仕方がないことだと頭でわかっています、ですがその上でも自責の念に苛まれるのです。

 何よりそれが終わらぬ悲劇なのです。

 私の婚約していた彼女は私に黙っていたのですが妊娠をしていたそうです生まれるのは式が終わってから二月後の予定だったそうです”

 いやこんなもの全く俺の本心じゃない。

 ”しかし私はそんなことは露ほども知らなかったのです、そのためか私を奮い立たせるものは何もなかったのです”

 俺は救いを求めるあまり救いようのないことを言っているのが手に取るようにわかる。

 死が目の前に迫っているのが全身の毛一本一本で感じられる。

 その上でその、せいでこんなことを言っているそのことがどうしようもなく認められない。

 ”そんな私を奮い立たせるためでしょうどこからか私の居場所が実家であることを聞きつけた彼女は私の元に訪れようとしたのです。

 その日はひどいあめだったことをよく覚えています”

 今日もあの日に似てるな、あの葬式の日のあと気が沈んでいたあの日に。

 ”その日彼女は事故に会いましま私の実家すぐそこのなんてことはない川のその近くで。

 幸いにもあそこは人通りが多くすぐに救急車に運ばれたそうです。

 不甲斐ないことに私はそんなこと全くと言っていいほども知らずのうのとした絶望に沈んでいました。

 私が彼女が事故にあったことを知ったのは翌日のことでした。

 職場に慣れない番号から電話が来ているなと思い受話器を取るとそれは警察の方でした。 前日まで葬式とはいえ休みをいただいていた手前かなり心苦しくもなりました、が直感的に彼女の身に何かあったのは私が原因だと分かったので躊躇いなく早期退社をして警察に駆け出しました。

 そこでやっとことの顛末を、彼女の体のことを聞きました。”

 ついぞ彼女の口から説明を受けることもなかったが。

 今考えれば彼女があんな妊娠で体が重かったりといった身体的ダメージに、妊娠などの負担や結婚への不安での精神的ダメージ、そんな中でのあんな雨の中を歩いたダメージ。

 これらの合計は俺なんんかには到底予想できない、共感しようにも、感じ取ろうにもあまりにも違いすぎて解ろうとすることもできない。

 ”私は自分の子供を子供として認識して出会うことは一度も叶いませんでした。

 彼女が事故にあった時点で十中八九死亡している、自分の口でも医者の口からでも何度でも聞きました。

 ですが私はしがみつきました。

 幸か不幸か彼女の容態が不安定なせいでお腹の子の生存確認を行うことができなかったのです。

 そして私は彼女の元を通いました。

 植物状態と言って差し支えなく、それでいてまるで毒にうなされたかのように顔にギズを追っていない、そんな彼女の目が開かれるその瞬間を。

 そんな日々が二週間続きました。

 付き合って当初の彼女の元に訪ねるのを毎日のようにやっていたあの頃ので向いてくれた彼女が病室に入ればいる、それを祈って通い続けました。

 その心変わらず訪れた、いつも通り部屋の扉を開ける感覚で病室の扉を開けました。

 その瞬間医者が深刻そうな顔で彼女の顔を覗いていたのが目に飛び込んできました、そばには義理のお母様になるはずだった方が深刻そうに立っていらしゃいました。

 死亡確認が医者の手によって行われていたのです。”

 今考えればおかしい、本来死亡確認は親族が関係者が周りにいる上で行われるものだ、それがよく考えればあの時お母様一人しかいなかったじゃないか。

 最近死亡確認する時のセオリーを知ったから今の今まで違和感のひとつも感じてはいなかったが、よく考えればそうじゃないか。

 筆が全くと言っていいほど急に動かなくなり、それどころか呼吸すらも行う気概がなくなってしまった。

 俺はの時間は一抹の間だけ止まった。

 時間だけでなく、呼吸も鼓動も、それどころか代謝すら止まった気がした。

 自分に関するありとあらゆるものが知覚できない、そんな中自分ではなく自分に関わるものが知覚できた。

 そうそれはどこか川のすんだ朗らかとしか表現しようのない空気感を匂わせながら、それを押し潰してしまうほどの深い暗闇のような柔らかな沼のような装いをしたそれが明らかに迫り来ている。

 その事実に気づいた、無論顔などの表面上のものにはそう言ったものが出てこないようにできる。

 しかし腕や脚はそうではない、どれだけ抑えようと意識を改革しようとも決して変わらない。

 精神が魂が細胞の奥底まで編み込まれている、そして今私に近づいてくるそれは私のそれらを刺激し動揺させ、狂気の奥底に叩き落とす。

 ああ鬱苦しいそう自分の感覚が、眠っていた感覚が同意を求めるのがじわじわと聞こえてくる。

 それはどこかあれにさっさと屈しろそう言っているように聞こえる、だが私の生存本能の申し子と化した焦燥感がそれを片時も許そうとはしない。

 全てを明け渡すつもりなど毛頭なく記録を残した後はたとえ正気を失おうとも、刺し違えようともやってやるそんな覚悟が溢れているように感じる。

 そのまま溢れる正気は怯えて仕方ない魂たちを押し退け代わりにその空いた空間に満ちて体に筆をしっかり握らせた。

 ”私は絶望に明け暮れました。

 奇しくも身辺の人が二人死んだそれだけ気が滅入り正気さを維持できそうにもなないはずはのに。

 それだけでなく出会うはずだった我が子供すらも出会うことができないことが事実として私の前に現れたんです。

 まあそれでもなんとか父さんの月命日以外は基本的に自分の家で寝食をできるような状態にはできていました。

 そんなことが起きてから季節が一つ変わるほど続いた時に私は突然倒れました。

 まあその前から風邪気味のような症状がちらつくことがあったのですが。

 だからと言っても倒れるほどとは等転じてもないとそう思っていたのですがそうではなかったよでそうなってしまったそうです。

 そのまま同僚に電話をされて病院に連れてかれたそうです。”

 それが今から半年かそこらだったけな。

 俺は近くの窓の淵がじわじわと水の浸食を受けてしけっていっているのを気づきながらも目をつぶって心を落ち着かせた。

 目を閉じた瞬間、雨音が背中をだとっているような感覚が走って目を開いて背中を壁に押し当てた。

 そのままおし当てた壁に目をやったが何もなかった。

 なのにどうしてこんなにも湿気っているように感じるんだ。

 ”結果から言えば鬱がひどく悪化した状態だったそうです。

 時間は薬となるなどはよくいったもので、私には決してそうは働いてくれなかったようです”

 俺の腕は少し記憶を思い返すだけでずかずかと文字が漏れ出した、それだけではない。

 背中の寒気や水気が嘘のように何も感じない。

 まるでさっきのさっきまでは悪夢を見ていて今やっと覚醒した、とかそんな感じに感じるほどに自由に自発的に筆が動いていく。

 ”元々気の強くない人間の職場とは言えども医者からの休職を命じられたことを伝えるのは少し心苦しかったです。

 もしかしたらそれだけでは相野かもしれないです。

 ただ休職をするのが怖いのではなく、休職をしようとした時笑顔で快く受け入れられること。

 その後に自分の陰口が叩かれること、私がいない方が仕事がスムーズにすすなんて言われることそれが怖かったのかもしれません。

 今考えればそれこそ鬱の症状だったのかもしれないです”

 自分の本心がどこからどこまでなのか、書いた後急にわからなくなった。

 なぜこんなことを思ったのか俺自身にもかけらほども理解できない。

 まずどうしてここを逃げようと足を動かす意志を持つよりも先に遺言じみたことを書こうとしているんだ。

 それだけじゃないこの迫り来るものへの既視感はなんだ。

 まるで、これじゃああれを知っているが故に会いたいだとかそんなことを言おうとしているみたいじゃないか。

 俺は恐れに気付き自分のペンを持っている手に目をやった、信じられなくなっていた。

 この腕についている水が外のあの暗く陰鬱で生々しくも暖かい空間から垂れ下がった、それらの元凶なのか。

 それともこの恐怖に慄いている自分体から出た冷や汗なのか。

 もしもこれがあの、外から忍び寄った呪いの水蒸気の先兵なのであるのならこの文章を書いている私の腕は一体何を意図しているんだ。

 そんなことが頭をぐるぐるかき乱し、視界が歪み始めてしまった。 

 そのあまりにも恐ろしい歪み方に俺は身をたじろがせて、逃げの意を含めて後ろに倒れようとしたがセメントか何かにやられたみたいに背骨が固まってしまってそんなことができもしない。

 それだけではない、何度も見ないようにしていた窓辺は今や縁に使われている木製のパーツ全てが湿気っていてとても正常ではないことを視覚的に知らしめていた。

 その間にもどこからか自分の目の見えないどこかで水滴が滴っているのがわかる。

 ただ滴っているわけではない。

 その水滴の滴る元凶となっているポイントは確実に、位置を動かしている。

 より前へより前へそんな意図が簡単い伝わるほどわかりやすく動いている。

 そして一番恐ろしいのはその前が示す先が紛れもなく俺の元であることだ。

 ”結局家では落ち着かないでしょうなどと言われて私は実家に帰省することにしました。

 幸いにも母は快く承諾してくれました。

 もしかしたら父さんがいなくてどこか寂しさを感じていたのかもしれません。

 まあそれ以上に母親の第六感か何かで感じ取ったのかもしれませんが。

 季節が移り変わっても結局私の頭の中は葬式の日に家族や親戚に通さんの旧友の皆様で会う舞った実家の風景が焼き付いていました。

 そのせいで家でもどこか気がきでいられないような感覚になってしまいがちでした。

 そんな時期がかれこれ二ヶ月ほど続いた日に、私は母の手伝いでやっていた遺品整理中に面白いものを見つけました。

 それは父が運動を少しはしようとめずらしく突発的に買った釣り道具一式でした。

 家にただいても一向に健康状態が改善していないことにかなりの不安感をいでいたのか母はその釣り道具をきれいにカバンにしまって一番近場で行きやすい釣り場の場所を教えてくれたのです。

 曰く少しは家を出て遊んできな、安静にしてるだけで治る病もそうおおくはないよだそうです。

 母は本当に面白い人です、まあそれでも自分が素人なせいで周りにいびられないかなんていう手足を震わせる恐怖が感情を掴んで離さなかったのですが、幸いにも周りは手元の釣り竿とその先にいる魚にしか興味のない父より二回りは上のお爺さま様方数名いらっしゃるだけで、他に誰もおらず堂々と素人を晒すことができました。

 贅沢を言えば釣り場の人にやり方の一つでも教えてもらおうと思ったのですが、残念ながら競馬とタバコに熱中してらして金を渡す時以外視線は睨みしか合わせてくれませんでした。

 釣りというものはなんというか面白いもので、手元の竿を注視しつつも慣れてくると少し脳に余裕があるんですよ。

 その余裕で今までのことを思い返してみると急に泣きたくなったり怒りに身を任せたくなったりするんですよ、ですけどそれは発散できないんです。

 だってもしそんなことでもしようものなら手元の竿が大きく振動するのは必至でそれで魚が逃げるだけでなく近づいてくれなくなってしまう時もあるんです。

 そうならないように激情を抑えようとすると不思議なことにせいぜい指に力を入れる程度でそれ以上エネルギーが湧いてこないんです。

 それもさらに慣れるとそれが釣りをやっているか否かなどに関係なくできるようになったのです。

 急に泣きたくなる衝動や急に胎児のように丸まりたくなる衝動もその全てが指に少し力を入れるだけで跡形もなく消えてくれるのです、場合によっては自分がなんでそのことに怒りw覚えていたんだ、悲しさを覚えていたんだなんてことも思い出せなくなる時すら生まれるようになったんです。

 まあ残念ながらその技も釣りを一週間もしないと忘れてしまうので定期的に家を出なくてはいけなかったのですが。

 逆にそれが無理にでも私に週間をくれる結果となったので一概に悪とも言い難いですが。”

 俺は一度ペン先を整えて大きく息を吸った、さっきはできなかったが今俺の中に取り巻くこの感情も指に少し力を入れて息を吸えば落ち着くんじゃないか。

 そうすればこの陰鬱で重苦しく今にも俺をすり潰しそうなこの世界は綺麗さっぱり消えて、正しく害だけでなく平和なこともある正しい世界にもどれるんじゃないか。

 そんな期待を抱いて自分の中のおどろおどろしい感情を全て念頭にかき集めて指に力をゆっくりと加えた。

 結果から言えばだめだった。

 最後に釣りをしたのは三日前だがあの感覚がまるで思い出せない。

 あの頭が空っぽになって一瞬ではあるが何も感じないあの蚊の感覚がまるで出てきやしない。

 なんでだ焦って指から急に力を奪って折るほどの勢いで力を入れた。

 だがだめだ、ただ焦燥感だけが募っていく。

「いっそのこと指が居ればこの文字を書きたいという焦燥かも恐怖を怒りを収めたいという焦燥感も消えるんじゃないか」

 そうだそうに違いない。

 も嘘だと言うしかなく力を思いっきり指に入れた、その異形な儀式は雨漏りとは縁遠そうな天井の板から滴った水が首筋に当たって消えた。

 反響音がさっきに比べて格段に少ない、その割にリズミカルとすら言えるあの音はまるで止まりはしない。

 もう後2秒もしないであそこの部屋の角からそれは顔を覗かせてしまうのではないか、少なくとももう奴と俺はこの一つの電球から出る光を共有しているんじゃないか。

 もうそうとしか考えられなくなってきた。

 体のあれこれを司る本能や落ち着きたいという焦燥感はその事実に背中を押された遺言を書き終えたいと言う焦燥感に完全に押し負けて敗退した。

 ”そんな日々が四ヶ月ほど続いたある日、その日もやはり釣りに行こうといその時唯一の衝動に身を任せて部屋を飛び出ていました。 外は生憎の雨でしたが頻繁に外に出る都合で出る電車代かバス代を自分で負担するのも母に負担させるのもどちらも嫌だと思い30分ほど歩くこといしました

 近くの駅の方まで行きその路線に沿って歩いて釣り場に辿り着くというなんの変哲もない計画でした。

 ですがそれは決して舐めて良いような平和な世界ではありませんでした。

 私は勘違いしていたのです、いや忘れていたのです私が何者でこうなった理由がなんであったのかを。

 私が歩んだ道にふと黒い影が見えました。

 河川のすぐそこの割に全くと言っていいほど街灯がない私の街には少し呆れたものですが、まあもしそれが何か不便をしている人なら手伝ってやろうと柄でもないことを思ってその黒い影に近づきました。

 _______________________________________”

 まるで獣のような化け物のような気配と吐息が俺の後頭部に不意に当たり俺はペンを滑らせて一行無駄にしてしまった。

 思っていた以上に筆が走りもう紙がない。

 そのせいか胸の中の一番の体積を取っていた恐怖で筆を走らせていた焦燥感がスッと成仏した。

 そうだよこの感覚だよ頭の中にあるこの感覚が俺がずっと求めていたものだよ。

 その衝撃に体が不意に救われ頭の中が空っぽになった。

 普段なら当分感情の器は満たされないのだが、今は違う。 

 話が違う次元が違う。

 この感覚はなんだ。

 頼む誰か教えてくれこれはんだ。

 そうか、なんであいつらは消えようとしなかったのか。

 この感情は、この感情は。

 うつと診断されていた時流していた涙も言いようのないものではあったが今ほど荒唐無稽でかった。

 あの時はどこか、自分の感情を外に吐き出してそれで器を空にしなくてはいけない、そんなことを漠然と思っていてその考えを無為歯科で実行していた。

 だが今の俺のこの涙はそんなチャチでゴミで無意味なものではない。

 この恐怖は「あああ、ああ充すな、埋めるな、出してくれたしてくれ、入れないでくれ」

 口や目ではとても足らずその他の全てを含めた全身の穴と呼べるすべての穴からこの感情を吐き出そうとした。

 だがそれでもで切らない、それどころか入れる量が大きすぎてどんどんと器にひびが入っていく感覚が胸を裂く感覚と一緒に走っていく。

 最後の最後に生き残った理性は足の動かし方も忘れただひたすらに腕だけで、塹壕の負傷兵のようにただ匍匐前進のようなものを繰り返した。

 この建物の空気は全てやつの溢れ出て止まることを知らない、止まるところも際限も知らない何かで満たされている。

「ああああ」

 爪やら皮膚やら何やら地面の凹凸によって掻っ攫われて血肉が巻き出ていて恥肉が公開されているがそんなもの知ったことではない。

 ああ窓ただ窓から逃げなくてはこの場奴の独壇場。

 それに対して外は全てのものが入り乱れた無秩序奴の作った宇宙のように深くくらい狂気に比べればマシなものが満たされているに決まっている。

 腕で窓の淵まで胴体を上げて使い道がほぼ残っていない頭部で窓を叩き割ろうとも何度も何度も叩きつけた。

 そんな振っている視界の先には窓の向こうがあった。

 どんな草原よりも広く感じさせどんな海峡よりも深さを持っているように感じさせる空間が広がっていた。

「ああ、ああやつはそうか」

 窓の隙間からまるで罪を洗うかのように、バケツをひっくり返したに等しい量の水が溢れ出てきた。

 その負荷に俺がさっき頭突きで咥えた負荷が合わさりパキパキと窓の縁がヒビを孕み出した。

 俺はそこまで言って器に蓋をして入れられないようにすることができた。

 そして尻餅をつき窓の向こうの何よりも黒い雲に向かって視線をやった。

 俺の唯一の父親的行、何か公的な文書に書いたわけでもないし家族全員に反対されたがそれでもつけた、それでいてお前に一度も使っていない名前。

 あったこともないが自分の子供であること受け止めて、ちゃんと埋葬してやるためにその母の性格や色白な柄少し日焼けが入った肌からとったその名前を叫んで潰れてしまったのどを全力で治して、最大限綺麗な声で天国でも聴かないであろう程優しい声で言った。「心愛」

 次の瞬間まるで魂を丸呑みで食らう帝王のような様相すら感じさせる水に全身が包み込まれた。

 俺はすり潰されるわけでも窒息するわけでもなくただ、抜き出された。

 ただ中身が抜き出された。

 是非とも味わってくれ、俺が与えられる最初で最後の甘い味なのだから。

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