読書とはその文章、物語から想像するものだと思います。
そして書き手は『喜怒哀楽』を文章で表現します。長編のあとがき、エピローグのような雰囲気が漂うこの作品。まさに書き手の『すべらない話』とはこうあるべきを見事に表現されております。
この作品を繰り返し読みながら毎回芽生えた感情は
『ここで読むことを止めれば解放される。ここまででもよく出来た物語で終わるじゃないか。だけど好奇心がそれを許さない』
です。
一万文字に満たないこの作品、ただ、十分では読めません。そして読後にはあなたの持つ想像力がさらにあなたを想像の世界へいざなってくれるでしょう。
(文章力、表現力の高さはすでに存じてましたので今回の評価には入れてません。純粋にこの物語、二人の会話、設定に星三つの評価です)
これは書き手の『すべらない話』と表現したいと思いました。笑いだけではなく、怒り、哀しみ、恐れ。ベクトルは様々ありますが読み終えた後にあの番組が持つ独特の大きく息を吐き、唸らせられるのとまったく同じ感覚。
もし、本当に書き手同士の集まりで『すべらない話』をやったとして。
この話の次に話すのは…、勘弁願いたいと思いましたね。そんな作品です。
この小説は主に会話で綴られる。
情景の描写は最低限で、感情を押し殺した登場人物の心理描写は記されない。
読み手は小説として文章を読んでいたはずなのに、いつのまにか、抑制された空気に押さえ込まれてその場に正座しているかのように居た堪れなくなる。この文章にはそんな力がある。
どこか遠い国の出来事のような不条理でズレた物語をとつとつと話し聞かされ、抗うこともできずに一気に読み終えてしまう。
実際に自分の身にそんなことが起きるはずもないのに、ふと、今にも郵便配達人がとある封筒を運んでくるのではないか。空恐ろしさを植え付けられる。
不条理SFとしての世界観をグーで殴られるような圧力で語る怪作です。読むべし。