公国公女の侵略戦争

南雲 皋

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「くっ……殺せ……!」


 背後を切り立った崖に阻まれ膝を折ったシュネーヴァイスは、魔術によって彼女の逃げ場をことごとく破壊したベーゼヴィヒトがゆっくりとした歩みで近付いてくるのを真っ直ぐに見つめながらそう言った。

 このまま捕虜になり辱めを受けるくらいならば、稀代の魔導師と称される男の手で殺された方がいい。

 そう考えながらも敗北を認められぬ心持ちで、シュネーヴァイスは唇を噛み締めた。


 シュネーヴァイスは本来であれば、このような場所にいるはずのない人間だった。

 シュトルツ公国第一公女、それがシュネーヴァイスであるからだ。


 ベーゼヴィヒトを抱えるアロガント大帝国は、数多の異民族たちをまとめ上げた皇帝によって支配されている。

 アロガント大帝国は、皇帝がその名を打ち立ててしばらくの間、国内の情勢を整えることが第一であった。

 反逆の意志を隠し持つ者たちを粛清することにかかりきりになり、諸外国への侵攻は完全に止まっていたのだ。

 しかし、その時代も終わった。皇帝が代替わりしたことをきっかけに、再び国土を拡大し始めたのである。


 圧倒的な武力で領地を拡大し続けるアロガント大帝国が、元あった小国を飲み込んでシュトルツ公国に隣接した時から、公国側は辺境の守りを固め、周辺諸国と組んで侵略を退けていた。


 守りが功を奏したか、他の小国に比べてシュトルツ公国はかなり長い間持ち堪えていた。

 シュネーヴァイスが騎士たちに混じって腕を磨き、公国屈指の実力者になるほどには。


 いつもは落ち着き払った父親や重鎮たちがいつになく慌て、穏やかな表情を崩さなかった母親の顔から笑顔が消えたあの日を、シュネーヴァイスは忘れることができない。


 望むものは全て与えられ、その全ては国民たちによって齎されている。

 だからお前も、その全てを国民のために使いなさい。


 そう言われて育ったシュネーヴァイスは、迷うことなく国を護ることを決意した。

 大帝国に肩を並べることのできる国があれば、そこへ嫁ぐという手段が取れたが、あいにくそのような国は存在しなかった。

 どの国も大帝国に怯え、せめてもの抵抗として小国同士が結びつくことしかできない。


 その結びつきによって戦力が増す訳ではなく、却って他国の動揺が足を引っ張ることさえあった。

 皇帝という一人の男が、圧倒的なカリスマを持って人々を支配する力には敵わなかったのである。


 シュトルツ公国には魔導師が少なく、シュネーヴァイス自身に魔力がほとんどなかったこともあり、彼女は公国騎士団の中に混じることにした。

 男と女という、越えることのできない絶対的な壁を前にして、しかしシュネーヴァイスは諦めなかった。


 細い身体を鎧で隠し、可憐なかんばせを兜で隠した。

 重たい全身鎧に身を包み、男たちの中で剣筋を磨いていく彼女の姿に、心を打たれた人間は少なくなかった。


 商人たちは軽くて丈夫な素材を探し回り、それを鍛冶屋に託した。

 鍛冶屋は希少な素材を無駄にすることなく加工し、シュネーヴァイスの身体にピッタリの全身鎧を作り上げた。

 剣も同様だった。シュネーヴァイスの軽やかな剣筋を損なわぬよう誂えられた細身の剣。

 相手が鎧を身に付けていようと、その関節部分を的確に狙い撃ち、戦闘不能に追いやることができた。


 国中の男たちが騎士団に押し掛け、戦う術を求めた。女たちは料理を振る舞い、薬を作り、彼らを支えた。


(そうだ、私は一人じゃない。私は国を護らなければならない。この身体は、我が国と同義なのだ)


 すでにシュトルツ公国の兵たちが前線を維持しきれずに敗走中であることは分かっている。共に腕を磨いた騎士たちが、幾人も死体となって戦場に転がっていることも。

 しかし、それでも。


 諦めることなどできない。

 逃げた先に何があるというのか。

 死んだ先に何があるというのか。


 シュネーヴァイスは地面に転がった己の剣を見た。

 ベーゼヴィヒトは魔導師だ。目に見える範囲を焼き払えるほどの力を持ちながら、シュネーヴァイス自身を焼くことはしていない。

 ただ森に逃げ込んだシュネーヴァイスがどこにも隠れられないよう木々を焼き払い、炎によって道を作り、反り立つ壁が退路を塞ぐこの場所へと誘導しただけ。


 それは恐らく、シュネーヴァイスを生捕りにしたいということの表れだった。

 帝国側はシュトルツ公国の旗印でもあるシュネーヴァイスが捕虜になることが、この国を手に入れる最良だと確信しているのだろう。

 きっとそれは正しい。シュネーヴァイスの首を掲げても国は落ちるだろうが、反発もそれだけ強くなる。

 国内の混乱を既に経験している大帝国だからこそ、反乱の芽は先回りして潰しておきたいに違いないのだ。


 ベーゼヴィヒトが、シュネーヴァイスの間合いの外側で右手に魔力を込め始める。

 今までの戦いの様子から察するに、彼の周囲には結界が張り巡らされているはずだった。

 ある程度の距離に肉薄すると発動し、相手を切り刻む攻撃的な結界が。

 そんなものがあるにも関わらず、彼はシュネーヴァイスの間合いに入らない。


(慎重なことだ)


 兜の下でシュネーヴァイスは周囲に視線を走らせ、そしてすぐさま行動を開始した。

 地面に転がっていた剣に手を伸ばし、背後の崖を思い切り蹴って前進する。

 剣を自分の身体で隠すように持ちながら、自分の身を盾にするようにベーゼヴィヒトに向かって突っ込んだ。


「なっ……!」

(やはり、こいつは私を殺せない!)


 シュネーヴァイスの身体がベーゼヴィヒトを突き飛ばしてもなお、結界は発動しなかった。

 恐らく結界の解除のための魔力操作をしたせいで、右手に集まっていた力が霧散していることが分かる。

 魔導師であるにも関わらずその肉体は強靭で、全体重をかけたにも関わらずベーゼヴィヒトは多少体勢を崩しただけであった。それでも、近付くことさえ敵わなかった相手の懐に入り込んだことには変わりがない。

 シュネーヴァイスは彼の右肩に容赦なく剣戟を繰り出した。


 ベーゼヴィヒトは鎧を身に付けていなかった。

 それが強者の余裕であるのか、そうしなければならない理由があるのかは知らないが、結界のなくなった彼を貫くことはシュネーヴァイスにとって難しいことではなかった。

 鎖骨と腕を繋ぐ関節を砕くように、一点に力を込めた。


「がぁああああっ……!」


 左手から炎が生み出されるのを見て、シュネーヴァイスは姿勢を低くしながらベーゼヴィヒトの背後に回り込む。

 曲げた脚を伸ばす勢いと共に左の肩へも剣を突き刺した。

 痛みに耐えきれず地面に崩れ落ちたベーゼヴィヒトを、仰向けになるよう全体重をかけて蹴飛ばし、念の為に足の腱を切ろうと剣を構える。


「待て、逃げないし抵抗もしないと約束する」

「信じろと?」

「寝転んだままでいよう。魔力の流れは感じ取れるか

 変な動きを感知したら切ってくれて構わない」

「…………分かった」


 先ほどまでは恐ろしく強大に見えていたベーゼヴィヒトが、今や騎士団の若者と同列に見えた。

 シュネーヴァイスは剣を手に持ったまま、彼を見下ろした。


「貴殿はアロガントの一大戦力であろう」

「そのようだな」

「情けなくはないのか」

「そう言われると惨めになるが……元々俺はアロガントの人間ではない。雇われただけで、戦果にも興味はない」

「……それは、私でも貴殿を雇えるということか?」

「皇帝から、竜素材で作られた全身鎧を身に付けた人間がいたら生捕りにしろと言われていた。お前は公国の重鎮と繋がりがあるのか」


 シュネーヴァイスは兜を脱いだ。

 高い位置に結い上げていた紐を解き、黄金色の美しい髪が風になびく。アイスブルーの瞳でベーゼヴィヒトを見つめれば、真紅の瞳が驚きに彩られた。


「こ、公女……?」

「ああ、そうだ。私はシュトルツ公国第一公女、シュネーヴァイス。お前の力を貸してほしい」


 何をしてでも、国を護らねばならない。

 侵略し、略奪を始めたのはアロガント大帝国だが、それはすなわちシュトルツ公国側がそれをしたとて構わないということだ。

 これは戦争だ。国土と国民をかけた侵略戦争。

 まず手始めに、この男を頂く。

 喰らわんとした小動物に、逆に喰われるとは思うまい。


 シュネーヴァイスは誰よりも美しく微笑み、そして誰よりも冷酷な声で言った。


「我が軍門に降れ、ベーゼヴィヒト」

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