あとがき(後) 全き他者

 自分が書けないストレートでリアルなフィギュアスケート小説「60×30」の世界にどうにか介入したい。一閃の刃を残したい。

 そんな気持ちが奥底にあった以上、刀麻とうまの出現は必然だったのかもしれません。

 そして幸か不幸か刀麻はその役割を果たしてくれたと私は思っています。


 実は執筆が後半に差し掛かるまで、この小説には後日談はありませんでした。

 哲也と堤先生と雅のやり取りで終わらせる――これが自然な結末だと私は信じて疑っていませんでした。

 しかし、終わりに近づくにつれ、“このまま物語世界に幕を閉じることは許されない”という内なる声が聞こえてきました。

 もちろん、他でもない刀麻の声です。

 そしてそれは、今はもう虚空に消えてしまった「氷上のシヴァ」の登場人物全員の声でもあったと思います。

 結果、この「氷平線のストレンジャー」でも、刀麻は「氷上のシヴァ」と同じ造形を取ることとなりました。

 

「氷平線のストレンジャー」は、「60×30」にとってはありえたかもしれない一つのイフに過ぎませんが、「氷上のシヴァ」にとっては極めて重要な立ち位置を占めています。

 それは、この小説には「芝浦刀麻とは何者なのか?」というシヴァ世界を貫く疑問に対する一つの答えが出ているからです。


 まず、語り手の深層意識があります。(哲也の場合は「静かな世界に行きたい」です。)

 それが人の形を取って現れた、一種の現象が“トーマ”(=シヴァ)です。

 しかし、哲也が自主性を持って選択しているのはフィギュアスケートなので、音楽の無い世界というのは彼のアイデンティティを脅かします。

 そのため、“トーマ”(シヴァ)は怪異の姿をとらざるをえません。

 しかし、この世には“トーマ”とは別に、本当の“刀麻”がいます。

 (なぜかは分かりませんが、この“なぜかさ”こそが重要です)

 それは心を持ち、血肉を持った人間です。

 (もっとも「“心を持っている”とはどういうことか」もまた重要なのですが、それはさておき)


 自分の深層意識を束ねたような存在が、なぜかは分からないけど、とにかく今目の前にいる。

 しかし、それは自分の深層意識ではなく、まったき他者である。

 その他者とコミュニケーションを図った時に、世界が始まる。


 私はずっとこういうことを書いていますし、これからも書いていきます。

 それが世界の一つの真実の姿だと信じて疑っていないからです。


「氷平線のストレンジャー」を書くことによって、端的に「芝浦刀麻とは何者なのか」に一つの答えを示せたことは、私にとって幸運でした。

 なぜなら、私の脳内に住むキャラクターがこのような役割を果たすのは、おそらく無理だったからです。

 鮎川哲也という、別宇宙からの到来者を得たことを僥倖に感じます。

 他でもない彼こそが、私にとっての全き他者です。


 このような極めて独りよがりな舞台を作り上げる機会を与えて下さった黒崎伊音さんに、そして鮎川哲也に、また「60×30」という小説に感謝します。

 本当にありがとうございました。



☆☆☆


 あとがきはこれで終わりです。

 具体的な創作秘話につきましては、エッセイ等で語らせていただけたらと思います。

 お読みくださった皆様、本当にありがとうございました。

 コメント、レビュー、星評価などいただけたら幸いです。



 2022.3.24 天上杏

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氷平線のストレンジャー 天上 杏 @ann_tenjo

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