雪についた足跡をたどってみたら…

ソラノ ヒナ

雪についた足跡をたどってみたら…

 結局、眠れなかった。


 雪もちらついて、最高のクリスマスイブになるはずだった。


『一緒にいても息が詰まる。だからさ、終わりにしよ。亜里沙ありさが何の為に俺と付き合ってたか、わかんないんだよね』


 何の為に、か。


 まだ太陽も顔を出す前の暗い道を、ただただ歩く。


『最後ぐらい、なんか言い返せよ』


 独りになりたいのに、元彼の声が私を追いかけてくる。


『結局さ、俺に対して何の感情もないから言葉も出ないんだろ?』


 ふっと、笑いたくもないのに声が出て。

 気付けば近所の大きな公園にたどり着いていた。


 足跡……。


 大きな靴跡が迷う事なく真っ白な世界に印をつけているのが羨ましくて、私も雪を踏み締めた。


『お前みたいな女は、一生誰の事も好きにならないんだよ』


 男性の足跡に目を引かれただけなのに、それがいけない事のように元彼の苛立った声が頭に響く。


 いつもそう。

 気持ちの伝え方がわからなくて、みんな離れてく。

 それになのに身体を求められたって、応えるまでにはもっと時間が必要で。

 だけどそれを伝えたところで、きっと誰も理解してくれない。


 突然足が軽くなれば、雪の中に靴だけが残されて。

 まるでこれ以上足跡をつけるなと、止められたように思えた。


 こうやって並んで歩いてくれる人が欲しかっただけ、なのかもしれない。


 わざと大きな足跡の横に自分の足跡を残す行為が惨めで、目の前がぼやける。


「私だって、涙ぐらい出るんだから」


 不意にもれた自分の声が震えていたのは寒さのせいだと、冷めた目で見つめてくるもう1人の私に心の中で言い訳をする。

 弱みなんて見せるものじゃない。いつだってそう、生きてきた。


 私はいったい、何を期待していたんだろう……。


 今回は付き合った期間が長かったから、上手くいってると思っていた。結局私は他人の感情に疎い。それだけがわかった。

 そんな自分に失望しながら、靴を履く。

 それでも最後に、馬鹿をやろうと決めた。


 公園内にあるこの足跡だけをたどって、そのあとはもう、1人で生きていこう。


 緩い坂を上った先にある公園の出口へ向かったであろう足跡を、大切な人のそばを歩くようにたどる。

 けれど、迷いなく続いていた足跡が突然大股になり、左へ曲がった。

 

 ……え?


 たどり着いた東屋は大きな街灯に照らされ、ベンチの上で眠るサンタの姿がよく見えた。


 こんな雪の日に……!


 足跡がはっきり残っているならまだ間に合うはずだと、慌てて揺り起こす。


「あの、起きて下さい。具合悪いんですか? えっと、サンタさん?」

「……サンタぁ? 俺の名前は……」


 眉間にしわを寄せたサンタがうっとおしそうに私の手を払い、目を開く。


「……サンタだ」


 彼は自身の袖を眺めながら、馬鹿げた事を呟く。

 だからもう、笑うしかなかった。


「っぶね。本気で寝てた。えっと、起こしてくれてありがとうございます。爆笑中の赤鼻のトナカイさん?」

「……赤鼻?」

「鼻、めっちゃ赤いし。サンタを助けてくれるのはお供のトナカイでしょ? こんなところでここまで鼻赤くして、もしかして彼氏に振られて泣いてたトナカイさん、だったりして」


 体を起こし、悪気のない笑顔を向けてきた彼の表情が固まる。だから、事実を突きつけられた私の顔が歪んでしまったのがわかった。


「あ……、ごめんなさい。その……、はぁ……。くそっ。俺、こういうとこ、本当だめで。酔っ払いの戯言だと思って……、じゃねーわ。とりあえず俺の顔、引っ叩いていいから」


 彼のため息からほんのりお酒の匂いがしたかと思えば、右頬をこちらに向けてきた。


「よっしゃ! さぁ来い!」

「まさか、本気?」

「本気だし。ほら、引っ叩いていいから」

「え……」

「じゃあ振った奴を思い出して、殴れ」


 そんな事を言われたところで、出来るはずもなく。

 固まる私を見て、彼は首を捻った。


「んー。やっぱトナカイさんに問題があったの? だから振られたんだ」


 思わぬ言葉に、息が止まった。


「じゃなかったら、クリスマスに振るとかないし。あ、もしかして浮気とかした?」


 思わず手を振り上げたけど、初対面の酔っ払いを叩く気にもなれず、そのままぶらんと腕を下げる。


「おっしいな」

「さっきから、何?」

「楽しいはずのクリスマスを台無しにした奴なんて、ぶっ飛ばせ。それで忘れちゃえよ」


 彼がわざと私を怒らせようとしたのだとわかり、その優しさに涙腺が緩む。そんな私の目元に彼の冷たい指先が触れ、涙を掬い取っていく。


「誰だよ、俺のトナカイ泣かせた奴。って、俺か!」

「……さっきから、言ってる事おかしいから」


 不意に『俺の』なんて言われて。

 現実的じゃない出会いのせいもあって、勝手に胸がときめく。

 昨日振られたばかりなのに、私はつくづく馬鹿な女だと思い知らされる。


「いや、だってさ、トナカイさんを振った奴って、よっぽどトナカイさんを好きだったと思うから、馬鹿な奴って思って」


 好き?


 元彼からそんな風に想われていたとは思えず、何も言えなくなる。


「あれ? どんな理由で振られたかわかんないけど、こんな思い出に残る日を選んだのは、トナカイさんの心を傷つけても記憶に残したかったんでしょ。俺を忘れるな、言わなくても俺の気持ちをわかれ! って。それってさ、暴力振るったのと同じだし」


 言わなくてもわかれ……。


 彼の言葉が突き刺さり、私も元彼と同等だったのだと気付く。


「そんなに好きならちゃんと言葉にしたらいーのに。だから馬鹿。そんな馬鹿の為に泣くのはもったいない」

「……そうだね。馬鹿だね、私」

「はっ!? トナカイさんは馬鹿じゃないから!」

「ううん。馬鹿なの。本当の気持ちを言っても理解されないって諦めて。でも1人が寂しくて、誰かを求めて。それなのに、言わなくてもわかってよって、勝手に幻滅して。最低だわ、私」


 何でこんな事を話しているのかわからないけど、気持ちはすごく軽くなった。

 すると、ふらつきながら立ち上がった彼が、私を見下ろしてきた。


「結構似合いのカップルだったんだ。それならより戻せるんじゃない?」

「それは、ないかな」

「何で?」

「私、好きって言ってもらえたから、好きになろうとしてただけ。それをずっと、元彼は気付いていたんだと思う。だから振られたんだよ」

「おー。なるほど。偉いな」


 突然頭をぽんぽん叩かれて、唖然とするしかない私は白い吐息を吐く。


「振られたばかりでその自己分析。偉すぎる。これなら新しい恋もすぐだろ」

「何、それ……」


 まさか褒められるとは思わず、笑い声がもれる。


「よしよし。女の子は笑った顔が1番だ」

「え?」

「俺、今はサンタじゃん。サンタの仕事はみんなを笑顔にする事だし」


 そう話す彼の笑顔が眩しくて、寒さを一瞬忘れた。


「つーわけで、命の恩人のトナカイさんへ、プレゼントをあげよう! 豪華ホテルへご招待! とか言ってみたいんだけど、くっそ寒いからあったかい飲み物を進呈しよう」


 ははっと乾いた笑い声を響かせ、彼がゆっくりと歩き出す。


「そういやさ、よく見つけたよね、俺の事」

「足跡、あったから」

「足跡? あ、そーいやまだ誰の足跡もついてないじゃん! って浮かれて歩いたわ」


 そんな事を言いながら、彼は自分がつけた足跡をたどる。けれど突然立ち止まり、私を見た。


「ちょっとさ、この足跡通り立ってみて」


 彼が指差すのは私のつけた足跡で。なんだか恥ずかしくなりながらも、自分の足跡に足を重ねた。

 すると、彼が隣に立った。


「俺たち、一緒に歩いてたみたいじゃない?」


 ちょうど良い距離感なのは私の仕業で。だからこそ、顔が熱くなる。


「何で真っ赤になったの?」

「こ、これ、一緒に歩いてるつもりで、足跡つけたから……」


 何言ってんだろ、私。


 馬鹿正直に話す自分の口が信じられず、思わず顔を下に向ける。


「可愛いすぎだろ……」


 辺りが静かすぎたから、彼のとても小さな声でも私の耳に届いた。


「公園内の足跡たどって、坂の上にある出口から出たら、これからは1人で生きてこうって思って……」

「何だそれ」


 彼の言葉に動揺しすぎて、私の口はさらに訳のわからない事を話し出す。

 だからだろうけど、彼の声が不機嫌になった。


「戻った方がコンビニ近いけど、こっちから行こ」

「え?」


 突然掴まれた手はサンタの服のポケットにしまわれ、まだ足跡のない真っ白な地面へ向かって、無理やり歩かされる。


「このまま一緒に足跡つけよ。これなら足跡たどらなくてもいいし、1人じゃないし」

「何それ」


 強引な彼を盗み見れば、その顔は真っ赤で、それが私にも伝染した。


「こんな体冷やして大丈夫?」

「私は平気だけど、サンタさんは大丈夫なの? 酔いはさめた?」

「俺はいつもの事だから。急に酔いが回るんだよね。少し休んだからへーき」

「それならいいけど」

「あのさ、ここまで冷えたの俺のせいだから、また別の日にご飯も奢るわ」


 心配そうな顔は赤いままで、私も同じなのだろうかと意識がそちらへ向く。


「いや、会ったばかりでご飯とか、悪いから」

「えー。一緒に足跡つけてる仲じゃん。それにこれから長い仲にしたいし」

「えっ? 何?」


 顔の熱を取るように、冷えた手で頬を押さえるのに夢中で、最後の言葉を聞き逃す。

 でも、彼は怒らずに笑った。


「何でもなーい。じゃ、寒すぎだから走るか!」

「えっ!?」

「サンタと赤鼻のトナカイなら、走るしかないっしょ!」


 ポケットの中で繋がれた手は熱く、私の頑な心まで溶かしていく気がした。


 雪についた足跡をたどってみたら、特別なプレゼントをくれたサンタさんに出逢えて。

 クリスマスの奇跡なんて本当にあるんだって、そんな馬鹿な事を私は考えていた。




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