何度だって死ねない
瞳
何度だって死ねない。
「2番ホームに電車が参ります。ご注意下さい」
言われなくたって注意してるさ。
なんなら今僕の感覚は全部、この薄暗い地下鉄のホームに向いてる。
足元には黄色い線ギリギリに立つ2つの汚い革靴と、小さい子がクレヨンで描いたみたいな、黒いボロボロの線が僕を制止している。
それから、鼻が曲がりそうな匂い。金属の香り。腐敗臭。
毎朝こんな所にこなくちゃいけないなんて、頭がおかしくなりそうだ。
線路の中、目線の先。
たくさんの、死体。
薄暗い線路に、おびただしい数の人間の死体と、身体の一部だったものが転がっている。一体何人分だろう。
どれも木っ端微塵に裂かれている。見えるのは黒っぽい血やシミがたくさん飛び散った、手とか足とか髪とか皮膚とか、なんだかよくわからない肉片。
全部僕のものだ。
僕は毎朝この電車に乗る。その度自殺してる。
だからこの線路は僕の死体で一杯だ。
線路の奥から低い振動音が響いてくる。僕はその度体を強ばらせて、全部の感覚を目の前の死だけに集中させる。
こんなことをするのは今日で何回目だろう。一々数えたって仕方ない。今日こそ死ぬんだから。でも、これだけ死体があるってことは、もう自殺に関してはプロ級だな。とか言って、実際に死んだことなんて、一度も無いけど。
でも、考えてしまうんだよ。
やめれないんだ。
頭の中でうだうだ考えているうちに、軽快な、どこか懐かしい音楽がホームを満たす。電車が来る合図だ。
暗いトンネルの中から、二つのぎらぎら光る明かりが見えて、僕を殺す金属の塊がこちらに近づいてくる。
息を深く吸う。
線路内の死体たちが、一斉に僕の方を見る。
『しくじるなよ?』
『今日こそ成功させろよ?』
『ほら、飛び込め!』
僕は息を止める。
周囲の音が止まる。
右足で大地を蹴って、前方へ飛び出す。
体が完全に線路へ出たところで、電車がやって来る。
運転手が「あっ!」と口を開ける。
ふわり。
ああ、僕は、自由になったんだ。
そんな気持ちと同時に、飛び込んだ僕の幻想が、僕の方を見て睨む。
『この意気地なし』
その瞬間、電車が僕を跳ね飛ばして、目の前を突っ切った。
幻聴だ。
だめだった。
今日もダメだった。
自分の息の音が、返ってくる。
ほんの数秒の妄想を、いつも通り電車が掻き消す。線路が車輪でガタガタ叫ぶ。身体が冷や汗でびっしょり濡れている。
ああ、今日も死ねなかった。ダメだった。僕は死ねなかった。この意気地なし。間抜け。馬鹿者。バカバカバカ。結局飛べなかったじゃないか。
仕方なく僕はやってきた電車に乗り込んで、今日も窮屈なこの自分の中で生きることにした。
◇◇◇
車内には朝の冷たい空気を無理矢理暖めた、乾いた暖房の風が優しく吹いている。
僕は気分を落ち着かせるために、真っ黒な窓の外をぼんやり見つめた。
電車が動き始める。
今日もダメだったな。でもまあいいか。また明日死ねばいい。そうだ、いつでも死ねるんだ。今だって。電車に揺られながら、蛍光灯の光で頭を冷やす。目線がぼーっとしている。
薄暗い地下の暗いトンネルの壁と、足に伝わる騒音が心地良い。
自分を殺すと、なんだかすっきりする。
クスリとかって、きっとこういうもんなんだろうなって思う。もちろん僕はそういうものを使った事なんて一度も無い。精神薬すら使ったことはない。病院にも行ってない。自分以外のものに、気分を左右されたくないんだ。
いつからこうなったのか。ただぼんやりと重たい絶望感が、頭から離れない。ただ漠然と、いつも死にたい。
そうだ、あいつのせいだ。
『あいつ』の部分にはまる人間の名前なんて、いくらでも思いつくが、一番は母だった。
母は僕が小学生の時に自殺した。
交差点に飛び込んだのだ。
母の死体を見てしまった。それだけだった。それが僕の想像の世界を、おかしくしてしまった。
いつだってなんとなく死にたい。
自分の死体を、妙にリアルに想像できてしまう。
母はどうして死んでしまったんだろう。母はどんな気持ちで死んだんだろう。なぜ僕を残して。なぜ。なぜ、死んだのだろう。
考えても仕方ないのに、頭の中を埋め尽くす。
僕、邪魔だったかな。
何で産まれたのかな。
僕って、なんなんだろうな。
毎日繰り返し考えている。
依存してるんだ。真っ暗な気持ちに。そうじゃないと自分を保てない。それぐらい、全部がもうどうでもいいんだ。
もう疲れた。
結局疲れたという言葉で全部片付けられる。自分の相手をするのが面倒なんだ。まあでも、自分でなんとかできてる内はまだ良いほうなんだろうな。何にもよくは無いんだけど。
ジメジメと思考を巡らせている間に、電車は地下から地上に出た。明るい朝が車内に差し込む。
眩しい。でも朝は好きだ。起きた時は絶望的な気分でも、朝日を浴びている時だけはあたたかくて心地がいい。
電車が背の高いビルの間を縫うようにして進んでいく。建物が朝日を遮る。
あ。
ビルの上から何かが落ちてくるのが見える。
人型の何か。
落ちる途中で一瞬目が合う。
『意気地なし』
そう言われた気がした。こんなの幻聴だ。まぼろしだ。死んでいる。また僕が死んでいる。
ゴミ箱に捨てられる紙屑みたいに、今日も僕がビルの上から飛び降りる。
毎日そうだ。
僕は何度も何度もこの街で死んでる。さっきまでの心地良い気分が、殴られたみたいに一気に降下する。
頭の裏が熱い。怖い。意気地なし、意気地なし。
なんで生きてるんだ、僕は。
どうして死ねないんだ。
何度も思ってるじゃないか。
あそこから飛び降りれば、線路に飛び込めば、刃物で体切れば、海に飛び込めば、火をつければ、人は簡単に死ぬ。
なのに。
思えばこの街は僕の死体ばかりだ。
駅に電車が滑り込む。
もう降りなきゃ。行かなきゃ。
その間にも、僕が死ぬ。たくさん死ぬ。
道路に飛び出して、ビルから飛び降りて、頭を打ち付けて。色んなところでいろんな僕が死んでいる。至る所から僕の死体たちの声が聞こえる。
意気地なし意気地なし意気地なし意気地なし意気地なし意気地なし意気地なし。
だんだん息が上がって、思考が錯綜してくる。
目を閉じてみたりしてみる。が、僕は消えない。何度だって死ぬ。何度も死んでいる。
全部妄想だ。苦しい。自分の叫び声が聞こえる。
体が壊れる音、思考が墜落する音、もうダメだ。
頭がおかしくなりそうだ。もう嫌だ全部嫌だ。死にたい。どうして死にたい?
どうして?どうしてなんだろう。ダメなんだ。なんでなんだよ。なんで生きてるんだ。僕は何度も死ぬ。でも死ねないから、この街は僕の死体ばかりだ。
辛い。とても生きていられない。
歩くたびに昨日までの死体がぐちゅぐちゅと音を立てて壊れるので、吐き気がする。
自分の死体を踏みつけるたび、自分に恨まれてるみたいで、最悪な気持ちになる。
そうだ。こんな妄想、消してしまえば楽になるんだ。
大きな交差点で、信号待ちをする。
ここにもたくさんの死体がある。ここは車通りが多いから、少し飛び出せば簡単に死ねるだろう。昨日まで散々予習したんだから、きっと大丈夫だ。
車が動き出して、あたりが騒がしくなる。
うるさいなぁ。
でも、飛び出せば全部終わりだ。妄想も、もうこれで終わりだ。
ごめんね、今まで死んでしまった僕。
一緒に死んであげられなくて、ごめん。
でももう終わりにしよう。裏切るのは終わりにするよ。
僕は点字ブロックまで少しずつ、近づく。
隣にいる女性が、少し怪訝そうな顔でこちらを見ている。
でも止まらない。足が勝手に動いていく。
目の前の交差点では、車が昨日までの僕をぐちゃぐちゃに引き散らかして、まさに地獄みたいだった。地獄はここだ。ここにあるんだ。でも僕には心地よかった。今から僕も、あれの一部になる。
「あ、あの?赤ですよ?」
隣にいた女性が声をかけてくれた。この人も、僕がはねられたらきっと、高い声で叫ぶんだろうな。
僕は女性を無視して、歩く。
あと一歩、あと一歩だ。
もう、僕は。
もう、もう。
ふと、足を掴まれたようなきがした。
寒気がする。
ゆっくり後ろを振り返る。
しかし誰もいない。
足元を見ると、血だらけの死体が、僕の右足を掴んでいた。
片腕しかない。左腕は肩から千切れてしまっているようで痛々しい。
長い、ぼさぼさの黒髪がついている。気持ちが悪い。
その死体汚い死体が、小さな声で、喋った。
「生きて」
時間が止まった気がした。
母さんだ。
母さんの声だった。
そうだ。15年前、僕がまだ10歳の時に、母はここに飛び込んだ。即死だった。血塗れになった母さん。ぐちゃぐちゃになった母さんだ。車が何台も絡んだ、ひどい事故だったそうだ。
足元の死体は、紛れもない母だった。
僕の足をガッチリと掴んで離さない。
涙が止まらない。どうしてだよ。
お前のせいで、僕はこんなに、こんなに苦しくて悲しいんだ。元はと言えば全部あんたのせいじゃないか。なのに。僕を1人取り残して。何を今更、生きて、なんて、バカじゃないのか。
なんでだよ。なんでなんだよ。
クソ、クソ、クソ。
涙が溢れた。
僕はその場にしゃがみ込んでしまった。
信号はとっくに青に変わって、道を行くサラリーマンたちが冷たい目で僕を見ている。
なんでだ、結局死ねないんだ。死にたくないんだ。生きたいよ。幸せになりたい。楽しく暮らしたい。できるなら。普通に笑って生きたいだけなんだ。
なんなんだ。あんた、なんなんだよ。
嗚咽が止まらない。苦しかった。
「あの、大丈夫ですか…?」
隣を見るとさっき声をかけてくれた女性が、しゃがんで僕のことを気にかけてくれていた。
「うぅ゛、あ゛あ゛」
声にならない声しか出ない。女性は僕を街路樹の近くのベンチまで連れて行ってくれた。信号が変わってしまった後も、落ち着くまで隣に居てくれた。
「あの、本当に、その、すみません」
「いえ、いいんです。困った時はお互い様ですから」
「あの、ありがとうございます」
女性はしばらく僕の様子を伺った後、では、とだけ言って、そそくさ行ってしまった。
お礼も何もできなかった。名前も、連絡先すら聞いていない。
まあいいか。こんな人間、二度と会いたいとは思わないだろうし。
申し訳ないな。
でもたくさん泣き腫らして、もう、どうでもよくなっていた。
交差点の中では、また僕が死のうとしている。まあ、いいか。妄想の中くらい。好きに死なせて欲しい。
僕はまだ、生きなきゃいけないのか。
死ねないなら、生きるしかないだろ。
結局死ねないんだ。意気地なしだから。どうしようもないんだ。
でもいいんだ。別にいいんだ。だってきっといつか。
何度チャレンジしても、何度決意を固めても、僕は結局、何度だって死ねない。
何度だって死ねない 瞳 @hitomimur
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