第五話
曇天の下、汽車は境川を越えた。一言も交わさないまま
彼は窓枠に身を持たせかけて外を眺め、握り締めた拳を戦慄かせていた。手を添えると、痛いほど強く握り込まれた。
「昨日、聞かされたんだ。お祖父さまから」
「……うん。気の毒だったのぅ」
「僕、きっと海軍に入って、オロシアの船を沈めてやるよ。絶対、絶対……」
復讐に燃える心とは、少年にとって、あまりに熱すぎる。私も強く彼の手を握った。彼のあらゆる望みが、この先一つたりとて、破れてほしくなかった。
東別院は塀と堀とに囲まれた大寺院で、築地塀の向こうからは、大人数の男たちが英語でもドイツ語でもない異国の言葉で話す声が聞こえた。露人がいる、敵国に囚われた哀れな赤人が寄せ集められている、その惨めな顔を見てやるのだ。私たちは戦地に赴く心で、勇んで総門へと向かった。
門に差し掛かったとき、身の丈二メートルはある大男と鉢合わせた。見たことのないほど上質な毛織物の外套、黒い毛皮帽。銀の目と豊かな髭を蓄えたロシア男だった。私は気圧されて後退った。この捕囚が、一人で収容所から出て来た状況が飲み込めずにいた。
「Привет」
軽やかな一言を残し、男は私たちを避けて表通りへ出た。
「Wait!」
彼が今にも殴りかかる勢いで叫び、私は恐怖の内に、その肩を抑えた。振り返った男は佩刀していなくとも、高位の士官と伝わる気風だった。男の方もまた、涙を堪えて挑みかかる身形の良い少年の姿に、おおよその背景を察した顔を見せた。
「Sprichst du Deutsche?」
男は一歩、歩み寄ると、ゆっくりとした口調で会話を試みた。私は緊張に千切れそうな喉で、英語の方が望ましいとドイツ語で返した。男は小さく微笑んでその口話を褒めた後、英語は話せないと答えた。深い響きのある声に、敵国の少年への軽視は欠片もなかった。
ロメルと名乗った男は、海軍少将だった。震えたまま口を閉ざしていた北条くんの身体が一層、強張った。私は、自身の低い背の陰に彼を隠して立ち、後ろ手で彼の冷たい左手を握り込んだ。私たちが囚われの身となったような恐ろしさを抱きながら、しかし、将校の目を覆いゆく涙に心根の善良さを信じて、名乗り返した。将校は頷くと、彼へと身を屈めて尋ねた。
「Hat jemand in deine Familie ein Kriegsschiff bestiegen?」
「……Mein Vater」
父。その単語を彼の口から聞いたのは、実に夏休みのあの日以来だった。将校が深い哀れみの目で彼を見つめる。敵国の哀れな虜囚を見に来たはずが、異郷の地に囚われる兵をしてまでも、自身が哀れまれる存在であると突き付けられたのだ。
遂に彼が嗚咽を漏らし、泣いた。将校が彼の頭に手を伸ばしたが、それより早く私は彼を抱き締めた。動揺を見せる銀色の目を見上げ、
「Entschuldigung, Sir. Bitte」
と、か細く詫びた私の目からも涙があふれた。将校は悲痛なつぶやきと共に、頭を振りながら天を仰ぎ、行き場を失った手で顔を覆った。しばらく、誰も口を開かなかった。
「……Warten Sie hier ein bisschen!」
将校は何度も振り返って私たちの足下を指差しながら、境内へと入って行った。
手を握り合って待つ私たちの前を、数人連れの将校たちが通り行く。すれ違いざまに口笛を吹きながら、二指の敬礼を飛ばしてからかった。彼らは町の方へ歩いて行った。塀を越えて、奏楽に合わせた若い歌声が聞こえた。笑い声が響く。戦争など、ないように思われた。
五分程して戻って来たロメル将校は、名刺大のカードを彼に差し出した。ビザンティン様の聖母子像のイコンだった。金箔の縁取りがなされた白いベールの下で、聖母は慈愛に微笑みながら、幼な子に頬を寄せる。
自分は神から愛と赦しを教わった。その教えが自分を救ってくれたように、君も救われることを願う。
将校の伝道に、彼の手から力が抜けて、私の手を離れた。
「……Was wird Gott für mich tun?」
神が何をしてくれるというのだ。吐き捨てるような掠れた声に、将校の銀色の目から涙が一筋こぼれ、頬を伝った。将校は多くを語らず、神に祈れ、神は常に側にいるとのみ答えた。毛皮の襟に埋もれた首には、包帯が巻かれているのが見えた。
将校も彼と同じく傷を負った者だと気付いたとき、私は不思議と、将校すらも抱き締めてやりたいような気がした。将校の手が、イコンを差し出したまま、寂しく宙に浮く。私は、両の手で受け取った。冬の柔らかな日に、金箔が光る。聖母の赤い唇が、一層優しく微笑まれたように見えた。彼の肩を抱き、目に映るように差し出す。
「側におるって……」
彼は躊躇いに震えながらも受け取った。
将校が一歩下がり、毛皮帽を取って胸に当て、文官の如く礼をした。
「Gott segnen Sie」
祝福の祈りは、ただ一言のみの短さであったからこそ、私にも記憶された。帰りの汽車の中で、私は隣り合う彼へと祈りを捧げ続けた。
翌日、彼は学校を休んだが、その次の日には朝から来ていた。授業が終わると、すぐに図画室へ行ったようだった。一週間して、彼が初めて私を図画室へ呼んだ。見せられた一尺四方の油絵は、イコンと同じ構図の聖母子像だった。カンバスに粗く混ざり合う絵の具が、柔らかな陰影で聖母の微笑みを伝えていた。
ずっと後になって彼が語って聞かせたのだが、彼は、油絵の聖母子像を持って、東別院を再訪したという。ロメル氏を探し出し、礼と共に手渡した。彼の絵は、収容所内の礼拝所にて十字架の側に置かれ、ロメル氏とは、氏が帰国するまで、二、三通の手紙を遣り合ったそうだ。
絵を披露された翌日から、彼とは毎日一緒に試験勉強をした。菅沼さん、林さんと図画室に集まって、過去問から予想問題を作り、教室では級友たちと教え合った。日曜日には彼が朝から私の家に来て勉強し、昼を食べに帰ると、また来て夕暮れまで問題を解いた。試験日も図書室に詰めた。私の試験結果は、これまで十番台の後半位だったが、彼との勉強会のお陰で初めて一桁に上がり、九位を取った。彼は変わらず一位だった。
祈りとは、やはり作用するものなのだろう。名古屋へ行ってから、彼が私の手を握ることはなかった。
十二月二十四日。私はようやく十二歳になった。終業式を終えて家に帰ると、姉が小豆を水から上げているところだった。正月準備で揃えた餅米と小豆の一部を使って炊かれる赤飯が、誕生日の楽しみだった。
この年の誕生日には、もう一つ特別な思い出がある。彼が杉浦邸に招いてくれたのだ。昼下がりの日差しに粉雪が舞う中、彼と杉浦夫人は、正門にて出迎えてくれた。
彼は十二畳の奥座敷を居室とし、続きの六畳間を書斎に使っていた。
「良いお部屋だのぅ」
「ありがとう。ここら辺は、父さんが香港に寄港したときに買ってきてくれたものだ」
彼が寄越した
屋根裏のアトリエにも上がった。板の間には赤い絨毯が敷かれ、揃いの意匠で作られたロッキングチェアと丸机があった。水彩絵の具とスケッチブックが仕舞われた棚には、先日墨水堂を通して買った、カンバスとイーゼルが立て掛けてあった。
棚の天板には白い絹布がかけられ、その上には、ロメル将校から渡されたイコンが飾られていた。重厚な木枠の額に収められた聖母子像の側には、白磁の燭台と、赤い洋蝋燭。
「君はここを祭壇としとるの?」
「ううん。だけど、経典と同じくらい大事なものらしいから」
彼は棚の引き出しから羽箒を出して、額縁の埃を払った。
イコンの扱いに迷った彼は、町外れの教会へ行って尋ねた。そこはプロテスタントの教会であったために、牧師は幾分か迷いながらも、額に入れて高い所へ安置するように教えた。帰り際には、蝋燭を持たせてくれたという。
「今夜、灯すように言われているんだ」
「何と言ったかねぇ、
「聖夜、クリスマスだ。君の誕生日は良いね、きっと忘れない」
彼は、私をロッキングチェアに座らせると、自身はビロードの肘掛け椅子へ腰掛け、横浜にいたころに訪れたクリスマスマーケットの話をした。日暮れ、コートとマフラーを着込んで、仕事帰りの少佐に手を引かれながら、蝋燭や洋燈に照らされた露店を巡る。クリスマス柄のマグに飲み物を入れて売る店で、少佐はホットワインを、彼はホットチョコレートを注いでもらい、乾杯したという。
彼は穏やかに両親との思い出を語っていった。窓の外が粉雪から牡丹雪に変わると、火鉢を点けて、スケッチブックを開き、私にモデルになるように言った。
「実比古くんは進路、どうするつもりかい?」
「英語の先生、良いなて思っとる。君の言ってくれた通り」
「良かった。じゃあ、師範学校へ行くんだな」
「ほれは迷っとる。教授法も良いけんど、英文学そのものの方が学びたいでの」
「君は翻訳も得意だからね。それなら、高校大学コースか」
「うん、出来たら。君は?」
「僕は兵学校を受けるよ」
「ほうかぁ、将校さんのぅ」
紙面と私を行き来する彼の目を、私は見つめていた。目が合うたびに、穏やかな温かみを覚えた。私が彼を愛するように、彼は私を愛している。
「北条くん、君はどうして選んだん? 僕を友人に」
唐突な質問に、彼の手が止った。
「君は、僕に選ばれたと思っているのかい?」
「選んどらんの?」
「能動的に選んでなどはいないよ」
「ほいじゃ、受動的に? 非選択的な結果としてか? ほんなことはないらぁ?」
私はモデルであることを忘れ、チェアの肘掛から身を乗り出して彼に尋ねた。倶楽部も海も、誘ったのは彼からだ。未だにその理由に思い至らない。彼はいくらか思案してから、数学の解法を説くときの声音で答えた。
「級友の中から君を選んだんじゃない。ただ、君を好いと思ったからさ」
その答えは何か物足りなさを覚えさせたが、私は、ひとまずの納得を見せて、再びモデルの仕事を果たした。彼は角度を変えながら描き続けた。
「実比古くん、手紙を遣り合わないかい?」
帰り際、荷物をまとめる私に彼が言った。
「僕たち、必ず将来は離れてしまうだろう? 今のうち、お互いに手紙を出す習慣を着けておこうじゃないか」
これが、今日まで続く私たちの交流の起源となった。
別れは存外早くにやってきた。
二年生に上がった年。日本海海戦での海軍の活躍が日露戦争を終結へと導いた。終戦後、少佐の戦死を葉書で報せた、少佐の同僚であり親友が杉浦邸を訪ね来て、彼を書生として引き取った上で、兵学校受験への支援をすると申し出た。彼はこれを受けて、三年生の春から東京の中学校へ転校していった。
彼は兵学校に受かり、私は東京高等師範学校へ進んだ。夏休みには東京へ帰省した彼と、房総や鎌倉へ出かけた。やがて彼は任官され、初めは呉、次いで佐世保の鎮守府に勤めた。私も東京高等商業学校にて英語教師の道を歩み始めた傍ら、英文学の翻訳にも精を出した。世界大戦が始まると、帝国海軍が連合国の輸送船護送を担ったために、彼も太平洋からヨーロッパまでの海を広く渡るようになった。
いずれのときも、彼は絵葉書を寄越した。外洋へ出るに伴って、題材は港町の教会が多くなっていった。戦争の後期には、乗艦する船が被弾、負傷して、しばらく地中海のマルタ島にて治療を受けた。マルタからの葉書には、クリスチャンの洗礼を受けたとの報告があった。裏面には、朝日に映る石積みの尖塔、ドーム屋根の先には十字架。手前に広がる湾にひしめく船。彼の絵は一段と優しく、柔らかな色遣いになった。
大正十年、ロンドン海軍軍縮条約を前に、彼は海軍を退いてマルタ島へ渡り、戦友たちの墓を守る修道士となった。
今日は大正十二年のクリスマス・イブである。私は三十一歳になった。朝、粉雪が降るのを見るうちにふと思い立って、駿河台のハリストス正教会へ向かうバスに乗った。市中は震災の瓦礫がまだ残っており、教会のシンボルであったニコライ堂のドームや鐘楼も崩れ落ちていた。 ホールでは、子どもたちが夜のミサで歌う聖歌を練習する。私は扉の傍に立ち、祭壇に向かって手を組んだ。
遠く地中海の島で、私の友人も祈っていることだろう。
帰り道、帰宅した書斎、私は彼との記憶を追った。書斎の窓枠には、本降りになった雪が積もる。万年筆を取り、書き始めた。
了
マルタなる友に寄せて 小鹿 @kojika_charme
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