5人目 愛情

 慈愛溢れる女の子だった。お母さんのよう、というよりは、何だか神聖なような。Mさんとしよう。


 オキシトシンに関する研究をしている子だった。オキシトシンとは「幸せホルモン」「絆ホルモン」という、何だか宗教めいた名前の付いているホルモンだ。

 しかし実際のところは子宮の収縮を促したり乳腺を発達させたりという機能を持ったホルモンで、多幸感やストレスの緩和、信頼関係の結びやすさというのは副次的な機能に過ぎない。だがまぁ、幸福度を高めるため、ストレス発散のため、人と信頼関係を結ぶためにこのホルモンを利用するという着眼点はいいだろう。


 ハグなどの接触行為によってこのホルモンは分泌されるらしい。Mさんはこの「接触」の定義について考えた。人肌と人肌の接触なら他人を必要としなくても自分で自分に触れればいい。いわゆるセルフハグでもオキシトシンは出るのか。実際彼女はセルフハグをよくするようだった。幼い頃からこれをやっていて、すごく落ち着くのだ、と言っていた。この「落ち着き」の正体がオキシトシンだとしたら。


 僕は彼女の研究結果を知らない。何故なら彼女の研究は不完全なまま終わってしまったからだ。


 慈愛の母のような、と言った。彼女は面倒見がよかった。色々な子の手助けをしていた。自分の研究が疎かになるくらい。


「2人目」で話したADHDのFさんはいつもこのMさんを心配していた。「自分のことを放っておいて人に尽くす傾向がある」。言う通りだった。彼女は卒論の進捗が悪いある女の子の手助けにかかりきりになり、自分の卒論が間に合わなくなった。


 共同研究室の片隅。

 卒論提出期限間際。


 彼女は泣きながらタイピングをしていた。間に合わない。どうしよう。そんなパニック状態だった。僕は彼女に近づいた。


「大丈夫。まだ二時間ある。落ち着いて。手だけを動かして」

 そう、頭を撫でた。今、オキシトシンが必要なのは彼女の方だろう。ストレスを緩和させて冷静にならなければ。ハグまでしなくても皮膚接触なら分泌されるはずだ……そういう研究を彼女はしているのだから。そう願って撫でた。


 結果的に彼女は間に合った。本当にギリギリだったが無事提出期限内に提出し、口頭審問も落ち着いてこなすことができた。ただ研究はやはり中途で終わってしまった。彼女の論文の末尾は「今後の展望について」語るに留まっている。


 その後、彼女は臨床心理士になって発達障害の子、特にASD(自閉症やアスペルガー症候群と言った方が親しみがあるだろうか)の子の面倒を見る仕事に就いた。オキシトシンはASDの緩和にも役立つ。


 これは本当に、憶測にすぎないが。

 彼女はもしかしたら、オキシトシンに飢えていたのかもしれない。彼女の家庭環境がどうかは分からないが、セルフハグに頼らざるを得ない環境というのはもしかしたら親子の接触が少ない環境なのかもしれない。彼女の慈愛に溢れる行動も、もしかしたら理想の人物像、母親像がそういう人間だったからかもしれない。もちろんただの推測で、根拠はなく、こんなことを考えるのは無意味なのだけれど。


 ただ、もし、そういう愛に飢えている子だったとしたら。


 自分には与えられなかった愛を、それでも他の人に与えようとするその姿勢は、本当に聖母のようであるというか、尊敬の念を抱かずにはいられない。


 虐待を受けた子は自分の子供に虐待をする、なんていう負の連鎖は話題になるが、彼女のような例外がある。彼女はもしかしたらだが、そういう連鎖を断ち切る希望を、自らで証明している人なのかもしれない。


「飯田くん、ありがとう」

 卒論の件について礼を言われたのを覚えている。彼女の笑顔はやっぱり、慈愛に満ちていた。

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気まぐれサイコロジー 飯田太朗 @taroIda

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