4人目 幽体離脱

 自分の魂が体から離れ、自分自身の体を見下ろす……。

 言ってしまえばオカルトである。だがこれに挑んだ先輩がいた。G先輩とする。


 要は「自分の体を外から認識できている状態が幽体離脱だろう」と定義し、人間の脳みそには「自分の体の状態を認知する機能がある」ことを利用し、これを誤作動させれば幽体離脱の条件は作れるのではないだろうかと考えた。そしてこれを実際にやった。


 ここで少し休憩して、簡単な実験をやってみよう。

 右手でも左手でもいい。人差し指と中指をクロスさせて。で、指先から目を逸らしてクロスさせた人差し指の先を触ってほしい。中指の先を触っているような気にならないだろうか。もちろん個人差はあるので、この現象が起こらない人もいるのだが……。

 あるいは、足の指。目を瞑って触られると、人差し指を中指として感じたり、あるいはその逆の現象が起きたりということはあると思う(実際この現象を使った幼児遊びはある)。先輩はこの現象に着目した。


 おそらく視覚に鍵がある。そう思ったのだろう。

 当時はまだ珍しかったVRゴーグルを使って実験をした。被験者が装着したゴーグルにリアルタイムの「自分の背中の動画」を見せる。そして被験者に「自分の背中を棒で突いてみてください」と指示する。被験者は手にした棒で正面を突く。それに合わせて、実際にG先輩が被験者の背中を棒で突く。

 つまり「突く行為」と「突かれた行為」がフィードバックされる環境を作ったのだ。すると被験者が驚きの声を上げた。体の感覚がおかしくなったように感じたらしい。


 G先輩はこういう奇妙な実験を思いつく人だった。他にも色々な実験がある。


 不思議の国のアリス症候群というのはご存知だろうか? 自分の体が極端に大きくなったり小さくなったり、要は「サイズ感覚」がおかしくなる症状で、幼い子供に一定数見られる症候群なのだが、これを再現しようとG先輩は試みた。例によってVRゴーグルを使う。

 脛、膝、腿と、要は足の低い位置にカメラをつける。その映像をゴーグルに投影する。すると自分の身長が極端に小さくなったように感じられる。その条件下で運動を行ってもらう。壁から壁に移動してもらったり、走ってもらったり飛んでもらったり。

 すると明らかに行動がおかしくなる。ジャンプの幅は小さくなるし壁から壁までの移動も被験者の想定より長くなる(通常の状態の一歩と視界が低くされた時の一歩は感覚が異なるので、同じ一歩でも小さな一歩になってしまう)。

 それからゴーグルを外して通常の状態に戻ってもらうと、体が大きくなったというか、部屋が狭くなったというか、そういう錯誤を起こすらしい。


 他にも。

 金縛りについては説明する必要はないだろう。これもG先輩は再現しようとした。


 レム睡眠という浅い眠りの状態で脳だけ覚醒させれば体は眠っているので動けない=金縛り状態になるのではないか。


 被験者の睡眠状態をモニタリングする。レム睡眠に移った段階で起こす。その後、被験者にいくつか質問項目をぶつける。

 結構な人数が金縛り報告をして来たそうだ。そしてこの実験で、金縛りの際に見る奇妙な霊(老婆だったり、悪魔だったり)の特徴が見えたらしい。


 特にアメリカ出身の人に顕著だったようだ。「UFOに拉致された」。そう報告してきたらしい。

 何でも「目が覚めたら光の溢れる空間にいて体を縛り付けられ、妙な生き物に囲まれていた」。こうした報告を被験者がしてきたのである。

 もちろん実験室での睡眠という特殊な環境下だったので、被験者もすぐ「あれは夢だった」と納得できた。だがG先輩は特定の人間がこうした報告をあげてくることに興味を持った。もしかしたら金縛りの際に見る夢には国民性や時代性があるのではないか? 


 G先輩がこの後この実験をどのように深めていったのかは分からない。ただ僕は卒業研究が睡眠に関することだったので彼の世話になった。

「目覚まし時計が鳴る数秒前(ないしは数分前)にパッと目が覚めた」。こういう現象は身に覚えがないだろうか。

 自己覚醒と呼ばれる現象である。僕はこれを卒論のテーマにした。この自己覚醒は出来る人と出来ない人とがいる。この自己覚醒を後天的に、意図的に起こすことはできないだろうか? そういうテーマで研究に挑んだ。


「翌日に予定がある場合、この自己覚醒が起こることがある」

 事前の聞き込みでそういう背景があることはつかめていた。僕とG先輩はここである条件分けをしてみた。

「翌日の予定」に重みをつけよう。

 例えば「明日朝起きて部屋の掃除をする」というような、「ミスしても自分が損を被るだけ、それどころか損にすらならない可能性さえある」ようなライトな予定。

 一方で「部活の大会があるので明日朝早起きをして駅に行かなければならない」というような、「ミスをすると他人に影響が及び、自分の責任が重たい」というようなヘビーな予定。

 このふたつの条件は明らかに異なるし、おそらくだが後者の方が自己覚醒は起こりやすい。そう考えて実験をした。


 結果から言うと、ライトな予定ヘビーな予定に関わらず、翌日の起床を想起したグループには一定程度自己覚醒の現象が見られたので、僕たちの仮説は棄却されてしまった。だが面白い研究だった。


 僕は今でも、何か企画をする時。

 色々なことを考える。このG先輩のことを思い浮かべながら。


 世の中には奇妙な現象がたくさんある。いつかG先輩が、そうした現象に説明をつけていってくれることを祈っている。

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