向日葵の花が見つめる先

モレリア

あなただけを見つめる

 7月20日 日曜日 14時


 高校の図書室の前にある自習室で受験勉強に励んでいる。


「受験は夏休みが天王山」というようにまだ夏休み前であるため、休日にまで学校に来て勉強をしているのはただ1人である。

 皆が本気を出すのは夏休みからのようだ。


 部活は6月の第1週で引退した。いや、せざるを得なかった。

 高校サッカーは夏の高校総体と冬の選手権と1年に2つ大きな大会がある。


 自称進学校である我が校は高校総体が終われば部活を引退。

 例年であれば。


 この代は3年生8人が残った。そう、ただ1人を除いて。

 1年生で負った椎間板ヘルニア。

 さらに体に追い打ちをかけるように1年冬から片頭痛の頻度・痛みが激しくなり、部活を続けることが困難になってしまった。


 それでもリハビリと通院を繰り返し、練習に復帰し、試合に出る。

 そしてまた離脱。

 もう何回繰り返したかわからない。

 それでも3年生の高校総体と選手権だけは諦めきれない自分がいた。


 ただその想いは叶うことなく木っ端みじんに砕かれる。


 2年生の春休み。

 頭痛も落ち着き、練習に参加し5月上旬から始まる最後の高校総体予選に向けコンディションを整えていた最中、監督に個別に呼ばれた。


 嫌な予感はした。

 俺はあのときどんな反応をしたんだろう。

 たった4か月前のことなのに思い出せない。

 ただ、高校総体に出られない。

 その事実だけが俺に突き付けられたことだけはわかった。


 それでもまだ一縷の希望を見出していた。

 冬の選手権。

 県予選は7月と10月。


 そこに向けて俺の体と心は走り出した。


 高校総体はチームの裏方として副部長として縁の下で支えることを誓った。


 チームも目標のベスト8には届かず、ベスト16で敗退。

 雪辱を誓い、チームメイトは部活を続けることを決める。


 勉強と部活の両立。そこに真正面から立ち向かう。


 俺も家でやれることを続けてきた。

 ボールに触り、フィーリングを忘れない。

 筋トレとストレッチを欠かさず、強い身体を作る。

 当然勉強も気を抜かずに一学期考査では学年トップ5を継続。



「俺はお前の身体の責任を取れない」



 選手権で仲間と戦う意志を示しても。

 縁の下でチームを支えても。

 どれだけ裏で頑張っても。


 なんて何の意味も持たない。


 今頃あいつらはこの焼けるような日差しの中。

 汗をかき、懸命に走り、ボールを追い、体をぶつけながら。


 戦ってるんだろうな……


 このやるせない事実と逃げられない現実から少しでも遠くへ逃げるように俺はただ勉強するしかなかった。


 そんなことを考えていると上の階からトランペットの音が聴こえてくる。

 優しく体の内に響き、抱擁してくれるかのような音。

 それはまるで奏者の心を表している。


 この音色を誰が奏でているのか。

 校舎内でそれがわかるのはおそらく俺だけ。


 **

 <じいって22日の日曜日どこで勉強するの?>―19:56

 一昨日の夜、急に連絡がきた。


 連絡をくれたのは2年生の頃からよく話す吹奏楽部の部長だった。

 じいというあだ名は椎間板ヘルニアからくるものである。


 <いつも通り学校で勉強するよ>―19:59

 <その日部活自主練だから一緒に帰らない?>―20:05


 一緒に帰ろうとのお誘い。

 心臓が跳ね、血流が速くなる感覚がする。


 <もちろん、いいよ 何時までやるの?>―20:10

 <下校時間の17時まででいい?>―20:16

 <りょーかい、昇降口で待ってるよ>―20:21


 ペンギンのスタンプが最後に送られてきてやり取りは終了する。


 そんなわけでこの自習スペースの上では文畠ふみはたさんが自主練をしている。

 ただ、その音色に聞き惚れていてばかりではいけないのでそれをBGMに勉強を再開する。


 日が傾き、校舎内が少しだけ橙色に照らされる。

 先ほどまでよりも静寂が訪れ、時間が経ったことを思わせる。


 帰り支度をし、昇降口で文畠さんを待つ。


「じいーーお待たせーはぁはぁ……」

 両腕を少し広げ、走ってくるその姿はさながらペンギンである。

 俺は読んでいた文庫本を閉じて、リュックに入れる。

「お疲れ様です。俺はさっき来たとこだからそんな待ってないよ」


「ほ、ホントに? それ言う人ってみんな早く来ているもんじゃ」

「さぁどうだろうね?まぁ帰ろうよ」

「うん」


 日曜日の16時58分。

 下校する生徒は自分たち以外に見当たらない。


「走ってくる文畠さんペンギンみたいだったよ」

「えーーーそれ何か複雑だよ……ペンギン可愛いけどさ……」

 露骨に顔を下に向け、がっかりした様子を示す。


「俺、ペンギン好きだよ」

「ならいいかも」

 顔を上げて笑顔を向けてくれる。

 さっきまでのネガティブな様子が嘘みたいだな。


 文畠さんは小さい。

 身長はきっと150cmには届いてない。

 本人は150㎝あるって言い張るけど。

 俺も大きいわけではないが、18㎝近くの差がある。

 うん、俺も170㎝ない。

 文畠さんと違って170㎝って鯖を読むことはない。

 そんなわけでどんな時も上目遣いになる。

 正直に言おう。

 かわいい。

 本人には言ったことはないけれど。


 文畠さんはよくしゃべる。

 話題が尽きることを彼女はきっと知らない。

 部活のこと、勉強のこと、家族のこと、友達のこと、俺のこと。

 いっぱい話して、質問してくれる。

 マシンガントークとはまさにこのこと。

 楽しい。


 文畠さんは努力家だ。

 毎日学校が開く7時に来て朝練を開始する。

 電車通学で家から1時間以上かかるにも関わらず。

 放課後も部活のほかに居残りで練習したり、外部の先生に演奏を見てもらっている。

 それが認められて部長も務めている。

 素直に尊敬する。


 でも、勉強は少し苦手みたいだ。

 テスト期間は部活がないため、一緒に教室に残り勉強をする。

 俺は文系4位

 彼女に勉強を教え、彼女が喜んでくれる。

 それが嬉しかった。

 2人きりってわけではないけれど、この時間が幸せだった。


 文畠さんは表情がコロコロ変わる。

 だからいろんな表情が見たくなる。

 みんな文畠さんをいじる。

 それは愛の裏返し。

 俺も本当にたまにいじる。

 照れさせたい。

 赤くなって少し視線を逸らす文畠さんが見たい。

 まだ見たことはないけれど。


 信号が赤になり、立ち止まる。


「――――でね、ん? じい、どうかした?」

「ん?いや、文畠さんって本当によく喋るなーって」

「もしかして、嫌、ですか……?」

 言葉に陰りが見える。

「まさか! むしろ嬉しいよ。俺話すのは苦手じゃないけどさ、自分から話題出すのってそんなに得意じゃないから文畠さんと話すの楽しいよ」

 慌てて否定して、さっきの言葉の真意を加える。

「そ、そっかよかったー」

 文畠さんは胸を撫でおろす。

 安心したみたいだ。

 俺も一緒に胸を撫でおろす。


「私は瑞斗みずと君の話も聞きたいな」

 文畠さんは朱色に染まりかけている空を見ながらつぶやく。

 突然名前を呼ばれると心臓に悪い。

「え?」

 俺は声に合わせてその横顔に見惚れてしまった。

 その視線に気づいたのか文畠さんもこちらに目を向ける。


「本当は何を考えてたの?」

「いや、それはその……」

 予期せぬ追及に言葉が詰まってしまう。


「私わかるよ。瑞斗君が考え事してる顔してたし、ちょっと上の空だったよ」

「う、ごめん……」

「だから本当のこと話せるなら話してほしいな」

 その声は決して強いものではなく、柔らかく澄んでいる。

 文畠さんの強さと優しさを感じる。


 信号は青になり、俺たちに進めとプレッシャーをかける。

 この信号を渡ったところが文畠さんとの分かれ道だ。

「でも、信号変わったし……」

「うーん」

 文畠さんは顎に左手を当て、少し右斜め上を見て考える

「あ! じゃあさ」


「もう少し話したいから信号見逃そうよ」


 いつもそうだ。

 そうやって俺の心をかき乱す。

 何もかも見透かされているかのよう。


 他の通行人の邪魔にならないように端に寄る。


(ここまで来たら話してもいいかな)

 ふぅと息を吐き、話す覚悟を決める。


「俺はただ文畠さんはすごい人だなって改めて思っただけだよ」

「え?」

 文畠さんは俺の口から発せられた言葉が予想できていなかったのか素っ頓狂な声を出す。


「文畠さんはいつだって全力で何事にも取り組んでパワフルだよね。いつも元気をもらってる。それにいつも廊下ですれ違ったら声をかけてくれる。めちゃくちゃ嬉しい。あとはいつも楽しそうにいろいろなことを話してくれるよね。文畠さんの隣にいるとめちゃくちゃ楽しいよ。だって笑ってくれるからこっちも自然と笑顔になる」


 伝えたい言葉は心の底からとめどなく溢れでてくる。

 けれどそれを拾い上げて形にできない。

 それがもどかしくて、直線的な伝え方しかできない。


「瑞斗君」

 自分がどんな顔をしてるかわからないから顔を向けたくない。

 だけど


「ありがと! そう言ってくれて嬉しいよ」


 とびきりの笑顔があることはわかるから自然と体が文畠さんのほうへ向く。

 まるで太陽に向かって咲く向日葵のように。


「でもね、私も瑞斗くんにいっぱい元気だったり、勇気をもらってるんだよ」

 少し遠くを見ながら続ける。


「瑞斗くんは頭が痛くても、腰が痛くても勉強も運動もめちゃくちゃできるし、かっこいいな・すごいなって思ってる。それにいつも私の話をうんうんって頷きながらちゃんと聞いてくれるの。そんなの瑞斗くんだけ」


「そ、そうかな」

 そんなに褒められると照れくさい。


「瑞斗くんがサッカーができなくなったことは私も知ってるよ。もし私が吹奏楽できない、諦めなさいって言われたら……」


 文畠さんは俺が6月でサッカー部を引退することを知っていてそれに今まで触れなかった。

 いや、きっと触れないでいてくれたんだ。


「でもね、私は知ってるよ。いつも部活でプレーできなくても声を出して、先回りして準備して、アドバイスしている姿。プレーするのあきらめずに部活が休みの日も1人でボールを蹴ってる姿も」


 その言葉は少しだけ震えている。

 一生懸命言葉を紡ごうとしてくれている。

 そんな姿を俺は見つめることしかできない。


「最初は瑞斗くんには色々な才能があるんだって思ってた。頭痛が酷くて学校を休みがちでもいつも良い成績をキープして、どれだけ体がボロボロでもうまく動ける人。才能がある人だって。でも、違った」


 文畠さんはさっきよりも橙色に染まった空を見上げる。


「思い返してみれば授業でも寝ないし、発言はするし、ノートもきれいにとってる。宿題も忘れないし、小テストでもいつも満点。当たり前のことかもしれないけどさ、意外とできる人って少ないよね。これだけ表で見えるところで頑張ってる人が裏で頑張ってないわけないよね、って気づいたんだ」



 文畠さんは優しい人だ。

 ありがとうとごめんがきちんと言えて、気遣いができる。

 その優しさと明るさに何度も助けられた。


「私にとって瑞斗君は太陽みたいな存在なんだよ。瑞斗君が頑張ってるから、瑞斗君に憧れているから私も置いていかれないように頑張れる」


 俺の瞳をその澄んだ真っすぐな瞳が貫く。

「私も瑞斗くんにいっっっっぱい助けられているし、尊敬してる」


 文畠さんは不思議な人だ。

 欲しい言葉をすっと届けてくれる。

 その穏やかな声音が奏でる言葉が聴覚を介さず心に直接響く。


「だからね私はちゃんと瑞斗君のこと見てるんだよ。それだけは知ってほしいな」


 車が横切る音も音響式信号機が出す音も今は何も聞こえない。

 文畠さんの声だけが鼓膜に響く。


「結局信号2回も見逃しちゃったね、えへへ、しゃべりすぎた」


 車両用信号が赤に変わる。

 そして、歩行者用信号も青へ。


 空を見上げる。

 青空を徐々に橙色が染め上げていく。


 俺の想いは届くのだろうか。

 文畠さんのように穏やかな声でもないし、言葉はうまく形にならない。


 けれど。

 いまだけは溢れる気持ちをその一言にのせることができる。

 そんな気がした。


 気づいたら先に進もうとする彼女を呼び止めていた。

 まだ名前では呼べない。

 いつか呼べるようになりたいな。



「文畠さん。俺、文畠さんのことが好きです」


 夕日に照らされた彼女の顔は赤くなっている。

 やっと照れて視線を逸らす彼女を見ることができた。

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