第5話 一番腹黒いのは誰?
一週間に及ぶヴィクトール王子の誕生祝いも、残り一日となった。
最後の夜会で王子とのダンスを終えたキアは、王子が重臣たちと話している隙に軽食コーナーへ逃げ込んだ。
あの茶会以来、令嬢たちからの接触はない。キアとしてはソニアが無事に領地へ帰ればそれでいいのだが、王子たちに何の収穫もないのは少し気が引ける。
卑怯な手を使っても王子妃になりたいのは誰なのか。それを知って王子はどうするのか。
(単純に、そういう人にはお妃になって欲しくないって事かな?)
軽食も食べずに考え込んでいると、ローズが近寄って来た。珍しく一人も取り巻きを連れていない。
「クロエさま。今夜はとても月が綺麗よ。庭園へ出てみませんか?」
「……ええ、是非」
罠の匂いがプンプンした。恐らく敵も焦っているのだろう。キアにとっても今夜が敵の正体をつかむ最後のチャンスだ。
テラスへ出るのかと思ったら、ローズは広間を出て廊下を歩いてゆく。
王宮とはいえ夜の廊下は薄暗い。どこをどう歩いたかわからなかったが、連れ出された場所は薔薇園のようだった。
「ほら、満月が綺麗でしょ?」
見上げると、確かに美しい月が浮かんでいた。青白い銀盤はどこか氷の騎士を思わせる。冷たい光を放つ孤高の存在だ。
「本当に綺麗ね」
視線を戻すと、ローズの姿は消えていた。まんまとおびき出された挙句に、庭園に一人きり。しまったと思った時には、薔薇園の空気が殺気を帯びていた。
周囲を囲まれた気配を感じ、咄嗟に元来た道を戻ろうとしたが、何者かにガバッと羽交い絞めにされた。
混乱していた筈なのに、スン、と心の内に冷静さが蘇る。
(────襲われた時の心得、その一!)
叩き込まれた教え通り、キアは羽交い絞めにされたまましゃがみ込んだ。同時に相手の腕をつかみ、自分の頭越しに投げ飛ばす。騎士長の父から教わった護身術だ。
「誰か! 賊が侵入しています!」
キアは叫びながら元来た方へ走り出した。後ろから追手が迫っていたが、どこからも助けが来る気配はない。
(……二、三、四人か?)
顔の横を何かがかすめた。月光に反射しながら短剣がザクリと地面に突き刺さる。
キアの全身に震えが走った。
(武器が要る! 剣の代わりになるような物が!)
キアは走りながら薔薇園を見渡した。薔薇園の支柱はアーチのように土に埋まっていて使えそうもない。しかし、その支柱の奥に人影を見つけた。恐らく、様子を見に来た黒幕の一人だろう。そう瞬時に判断すると、キアは全速力でそこへ突進した。
「きゃあ!」
驚いて逃げようとする人影にキアは抱きついた。月光に浮かび上がったのは金髪でも栗色でもなく美しい黒髪だ。間違いない。アデルの髪だ。
「お嬢様から離れろ!」
無数の手が伸びて、アデルからキアを引き離そうとする。間違いなく、賊はアデルの手の者だ。だからこそ必死で耐えた。彼女から離れたらすぐに殺されてしまう。キアはまだ死にたくなかった。
「賊を捕らえよ!」
遠くから頼もしい声が聞こえて来た。
キアの体をつかんでいた手が一斉に離れてゆく。
ホッとしたせいか、急にくらりと眩暈がした。このところ睡眠不足だった。緊張のせいで食事も喉を通らなかった。きっとそのせいだろう。
意識が朦朧としかけた時、ふわりと体が浮き上がった。
「キア、よくやった」
命令することに慣れた声が、いつもより柔らかく耳をくすぐる。
必死に瞼を開いたキアの目に飛び込んで来たのは、月光に照らされた氷の騎士の笑顔だった。凍てついたアイスブルーの瞳が僅かに細められ、銀色の長い睫毛が瞳の色を反射して青色に煌めいている。
(なんて綺麗なんだろう……こんなレアなものが見られるなんて……)
まさに死の
キュン死する勢いで、キアは意識を失った。
〇 〇
キアが意識を取り戻したのは、翌日の午後のことだった。
王子の執務室へ行くように言われて、恐る恐る扉をくぐると、執務机の向こうでヴィクトール王子がにこやかに笑っていた。
「きみのお陰で、父に毒を盛った犯人を炙り出すことが出来たよ。ありがとうキア!」
王子の横には氷の騎士が立っているが、今は彫像のようにピクリとも動かない。昨夜の笑顔は幻だったのかも知れない。
「えっ? ……毒、ですか? 王様に?」
キアは王子の言葉が飲み込めず、呆然と問い返した。
「そうなんだ。隠していて悪かったね。実は、王子妃を決める話は真っ赤な嘘なんだ。少し前に父が毒を盛られてね。ああ、医師の適切な処置でもうすっかり回復しているんだけど、敵を欺く為にまだ安静にしてもらっているんだ」
ヴィクトール王子の口調は、世間話をするように滑らかだ。
「敵っていうのは、昨夜の賊の?」
「そう。レウシット侯爵だった。外国との交易で富を得た彼は、次に権力を欲したようだね。
父に毒が盛られた時は敵の影すらつかめなかったけど、次は私に近づくだろうと思ったんだ。王子妃選びをすれば敵はきっと動く。案の定、レウシット侯爵は自分の娘を王子妃にすべく動いた。とても分かりやすい人で助かったよ」
王子はアハハと笑ったが、キアは蒼白だ。
(まさか王様に毒が盛られたなんて……そうか、だから王族の席はいつも空だったんだ……レウシット侯爵め! 私も殺される所だったもんね……ん? あれ?)
ここでキアは、重大なことに気がついた。
「王子妃選びが真っ赤な嘘なら……ソニアお嬢様は……」
ショックを露わにすると、氷の彫像がプッっと吹き出した。
「私を騙したんですね!」
「隠していた事は謝るよ。事が事だけに本当のことは話せなかったんだ。初めは野心の無さそうな令嬢を囮役にしようと思っていたんだけど、後で本気にされると厄介だからね。その点きみは好都合だった。きみだって、見知らぬ王都に放り出されるより、この王宮で働けた方が良いだろ?」
彼には罪悪感などないらしい。王子だから当然だ。
「ねぇキア。このまま私に仕えないか? イザックが珍しくきみのことを気に入ったみたいなんだ」
「殿下、濡れ衣を着せるのはおやめください」
「ええっ、化粧次第で何者にもなれる貴重な人材だって言ってたじゃないか! じゃあ、後はイザックが勧誘してよね」
王子はすっくと立ちあがると、執務室を出て行ってしまった。
呆然とするキアの前に、氷の騎士が歩み寄る。怒りを込めて見上げると、僅かに目が泳いでいた。
「王子妃候補たちは……全員、今朝早く出立したぞ」
「何ですって!」
ダッシュで部屋を出ようとするキアを、イザックが片腕ですくい上げた。
「追っても無駄だ。いま何時だと思っているんだ?」
窓の外は夕暮れ色に染まっている。
「でも!」
「お前に手紙を預かっている。クロッシュ伯爵令嬢からだ」
キアは無言でイザックの手から手紙を奪い取った。
『キアが王宮の侍女になったと聞いて喜んでいます。必ず王都へ遊びに行きますから、その時は都を案内してくださいね。楽しみにしています』
不思議な内容の手紙だったが、確かにソニアの手に間違いない。
「そんな……私は王宮の侍女になんか……」
プルプルと震えるキアに、イザックはもう一枚の書状を渡した。
「お前に辞令が出ている。明日から俺の部下だ。しっかり働けよ」
「なっ……なんで私が、あなたの部下に? 冗談じゃありません。私は故郷へ帰って、お嬢様の傍で暮らすんです!」
抗議の声を上げながら、キアは書状を見た。
書状にはこう書かれていた。
『キア・フォルス。近衛騎士団黒狼隊隊舎付き侍女に任命する────』
完
甘くないお仕事 滝野れお @reo-takino
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