第6話:修正

 留衣は涙を気合で引っ込めてプレゼン資料を作り直した。とはいえコピペなので一時間程度で済んでしまった。仕事が完了した午後十九時過ぎ、留衣は一人、会社の屋上に上がった。


 使い回しの案で出すなら最初からそれで良かったのだ。哲が自分に仕事を任せてくれたことも、沢山の人が協力してくれたことも。

 何より、張り切ってデザインを考えていた自分が惨めだった。


 留衣は屋上のフェンスから景色を見下ろす。秋の夜風は思いの外冷たく、留衣は思わず作業着のファスナーを閉めた。オフィス街を行き交う人達をただ眺めていると自然に涙が出てきた。


 この仕事が上手くいけば。


 そう思っていたのに、スタートに立つことも出来なかった。しかも、完全に自分のせいで、だ。


(私、この仕事向いてないのかな)


 そんな思いが頭をよぎった時、後ろから声がした。


「留衣ちゃーん」


 留衣が振り向くと、哲がコンビニのレジ袋を下げていつもの軽いノリで手を振りながらやってきた。

 留衣が資料を作り直している間、電話していた哲と営業担当の声色から揉めているのは明らかだった。一番迷惑をかけたこの上司はこういう時も笑っていた。その想いやりが逆に今の留衣の胸を詰まらせた。


「ほれ」


 哲が袋から取り出した何かをこちらに向かって投げたので留衣は思わずキャッチした。冷たい。この間留衣が買った野菜ジュースである。


「それ好きなのかと思って」


 哲は留衣の隣まで来ると、笑顔で缶コーヒーのプルタブをぷしゅと音を立てて引いた。


「……ありがとうございます」


 留衣は受け取った野菜ジュースのパックからストローを剥がして突き立て、思い切り吸った。


 寒い。


 正直缶コーヒーの方が良かった。何故、寒空の下で泣きながら冷たい野菜ジュースを啜らないといけないのだ。そう考えたら絶望に染められた心がふっと溶けた様な感覚がした。留衣は涙を作業着の袖で擦ってから一息に哲に言った。


「哲さん、何で私採用したんですか? 面接一緒だった芸大の子の方が優秀でしたよね? 私採ったこと後悔してますか?」


 哲は留衣の急な質問に面食らった顔をしたが、直ぐに笑った。


「後悔してる、って言ったら留衣ちゃんは辞めるわけ?」


「……」


 留衣は予想しなかった哲の言葉に思わず押し黙った。


「留衣ちゃんがデザイナー向いてると思うのはそういう所なんだよな〜。俺に似てるんだよ」


「はい?」


 留衣は驚きと共に思わず眉間に皺を寄せた。


「ドン引きしてるじゃん……傷つくなあ」


 哲は後頭部を掻きながら話を続けた。


「人には向き不向きがある。俺は単純に留衣ちゃんはこの仕事に向いていそうだと思ったから」


「……何でですか」


「俺、留衣ちゃんと同じ位の歳の時に「高級車からパチンコ躯体まで、この世の物全部にデザインした人がいる」って気がついて吐きそうになったんだよね。そんなに大量のデザイナーがこの世にいるんだぜ? 俺いなくてよくね? ってさ。でもベンチって年齢も性別も関係なくどこにでもあってみんな使うものだって段々分かってきて、それをデザインするのは最高に良いと思ったんだ。芸大の子は確かに理想が高くて優秀だったけど、留衣ちゃんはいい意味でものすごく、普通だったから」


「普通、ですか?」


 その、普通であることが留衣のコンプレックスなのだ。哲の言葉の意味が分からずに聞き返した。


「人にはそれぞれその人に合った仕事があるし、ベンチってものすごく普通だからさ。留衣ちゃんはすごく普通で感覚が現実的だし、デザイナーならみんながみんな特出した才能が必要な訳じゃないんだ。留衣ちゃんだから現実の制約をチャンスに変えて、その中で良いものをきちんと作れそうな人だと思った。俺は深読みしすぎだった?」


 そう言って哲はいつもの様にへらっと笑った。自分では全く考えたことの無い方向に褒められた留衣は言葉が出ず、ただ、鼻を啜った。哲は作業着のポケットを探り、悪いねえテッシュ無えわと笑いながら呟いた。


「あと、留衣ちゃんは単純にデザインをするのがすごく好きなんだと思う。仕事からそれは伝わってくるよ」


 留衣は哲の言葉を聞いて、何かがすとんと腑に落ちた気がした。結局留衣が悩んでいるのは、デザインするのが好きだからなのだ。


「今回のデザイン良かったからさ。ま、次同じ失敗したら俺めちゃくちゃ怒るけどね」


「……はい」


 留衣が悩んでいることも、答えの出ないことも、全部そのままだ。

 でも、留衣が一番嫌だったのは結局、自分が好きなことを好きだと素直に認められないままに仕事を続けようとし続ける、自分のことだったのだ。


(何も解決してないけど)


 結局いつか辞めるかもしれないし、もしかしたら辞めないかもしれない。でも、自分の好きなものを素直に信じていられたのなら、別にそれでもいいのだと留衣ははっきりと思った。


(……もうちょっと、頑張れるかもしれない)


 その言葉を心の片隅にそっと置き、留衣はさっきよりほんの少しだけ晴れた気持ちで、もう一度鼻を啜った。

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ベンチがあると必ず裏側を見てしまう女の話 萌木野めい @fussafusa

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