第5話:提出
コンペ提出前日の十八時に留衣はプレゼン資料を完成させた。こんなに自分の想いが篭っている資料を作ったのは入社以来初めてだ。
留衣は哲のデスクへ出向き、印刷した資料を手渡した。
「チェックお願いします」
「頑張ったねえ。まあ一応最後に応募要項も見とくわ」
哲がいいじゃん、とプレゼン資料を見ながら軽く言う。その流れで哲が書類のページを繰る手がぴたりと止まった。哲が書類の一箇所を指差して一呼吸置くと、口を開いた。
「留衣ちゃんこれ、沿岸仕様にしてる?」
「あ……」
留衣は哲の指摘に、一気に頭が真っ白になった。
(やっちゃった)
心拍数が急激に上がって脳がくらりと揺れ、留衣は鼻から大きく息を吸った。そんな留衣の様子を察して哲は溜息をついた。いつものおちゃらけた感じの目線がすっと消え、落ち着いた口調で哲が続ける。
「一応、沿岸仕様の説明をしてもらおうかな」
哲はオフィスチェアの身体ごとくるりと留衣に向き直って言った。
「海の近くに置くベンチは潮風で腐食しやすいので、通常は鉄の部品をステンレスやアルミに変更したり、めっきの種類を変えたりします。それで、値段が上がります。今回の予算では型代をペイできないので鋳物に出来ません。鋳物以外で作らないといけないのでデザインを一からやり直す必要があります」
「そ。しかし留衣ちゃんがこんなミスするの珍しいよ。何かあるね?」
「……すみません」
図星である。
「この仕事がうまく行ったら自信が持てる」と言う願掛けに、自分の気持ちが舞い上がり過ぎた。そのせいで最初に見た筈の応募要項の最も重要な一節を見逃してしまったのだ。
新卒ならまだしも、三年目ではあり得ないミスだ。身体が小さく震え出して、鼻の奥がつーんと痛んだ。哲は留衣の様子を見て無精髭の頬を指先で掻き、彫りの深さの際立つ眦を細めた。
「これ明日AM提出だよね。今から新しいデザインを考えるのは無理だ。過去に出した沿岸仕様のベンチの案を使い回そう」
「で、でも……」
留衣は哲の言葉に咄嗟に同意出来なかった。考えに考えたデザインが無に帰すのだ。しかし哲は強い口調で言葉を続ける。
「他に方法あるかい? 穴は空けられないんだ」
哲は留衣の目を見て低い声で、きっぱりと言った。完全に哲の言う通りだと留衣は本当は分かっている。
「……無いです」
「俺が過去事例を探すから差し替えて。営業担当には俺から説明しとく」
「分かりました」
留衣は絞り出す様に何とか言うと、俯いたまま自分のデスクへと戻った。今にも涙が溢れそうで、顔は下を向けたまま上げられなかった。
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