第2話 街角

 声のする方を見ると、みすぼらしい格好をした十歳ぐらいの少女が街角にいる。マッチの束がたくさん入ったかごを持ち、誰かれかまわず声をかけていた。


 通行人たちは、マッチを買おうとしない。あわれな少女は雪の中、裸足だというのに誰ひとりみむきもしなかった。


 どういうことだ? あんなかわいそうな少女がいる天国なんて、あるわけがない。それどころか、この光景にみおぼえがある。ひなに買ったマッチ売りの少女の絵本にそっくりだ。


 そうかこれは、死ぬ前に見る夢だ。夢ならば、思い通りになるはず。ひながかわいそうだといって泣いた少女を、助けることだってできるはず。

 俺はダウンのポケットに手をつっこみ、グローブごしに財布をにぎりしめた。


 寒さにふるえる少女に近づき、声をかける。


「そのマッチ、ぜんぶ買うよ」


 少女は信じられないとばかりに大きく目をみひらき、礼を口にする。

 マッチが売れれば、少女はあたたかな家に帰れる。財布から一万円札を出し、つりはいらないといった。


「あの、それなんですか?」


 あきらかに失望した少女の顔が、俺を見あげる。そんな……どうして思いどおりにならないんだ。


 やはりおとぎの国の少女なんて、助けられるわけがない。この子はそのうち命を落とす。それはしょうがないこと。決まったこと。しがない死にかけのおっさんに、不朽のストーリーを変えられるわけがない。


 しょぼくれた背中を少女にむけ、あてもなく歩きはじめる。ゆれるリュックの肩ひもを力なくにぎった。身も心も寒い……。


 とたん、背後で少女がくしゃみをした。そうか、君も寒いよね。せめてさっきまで使っていたツエルトがここにあったら。ふたりで入れば、あたたかいのに……。

 肩ひもをにぎる手に、ぎゅっと力が加わる。勢いよくリュックを背中からおろし、チャックをあけると中には折りたたんだツエルトが。


 俺は少女の元へ引き返し、その細い腕をとり路地裏へ連れていった。家と家の間の吹きだまりにツエルトをたて、中へ少女をいざなう。ガスバーナーをつけるとほんのり内部がぬくもってきた。


 おそるおそる、少女は銀マットの上に腰をおろす。俺はしゃがみこみ、雪と泥によごれた足をタオルでぬぐい銀マットの上にのせてやった。


「ありがとうございます。親切なお方。あなたは、魔法使いですか? こんな不思議なものを、お持ちだなんて」


 青い炎を出すガスバーナーをしげしげと見て、少女はいった。俺は口端をあげ、首を軽くふる。


「おなかは、へってないかい?」


 少女は顔を赤らめ、こくんとうなずいた。

 リュックから、非常食に持ってきた緑のたぬきと水、コッヘルと割りばしを取り出した。バーナーの上にコッヘルをおき水をそそぐ。その様子に、少女は魔法でも見るように目を輝かせていた。


 その視線がくすぐったくて、少しうれしくてグローブをはずす。生きて帰れたら、ひなにもご飯をつくってやりたい。そんな夢のようなことが頭をかすめる。

 緑のたぬきのフィルムをはがしふたを半分あけ、中から袋をとり出す。粉末スープを入れ、湯がわくのをまった。袋の半分、七味唐辛子はこの子にはいらないだろうと、ポケットにつっこむ。しばらくして沸騰した湯をそそぎ、ふたをして割りばしを上においた。


「あの、おいしい匂いがしますけど、これ食べ物ですか?」


「ああ、そうだよ。おじさんの国では、これを大みそかに食べるんだ」


 スマホがないので、だいたい三分たったところでふたをあけた。瞬間、出汁のこうばしい匂いがあたりにたちこめ、少女は歓喜の声をあげる。


「ほら、食べてごらん」


 割りばしとみどりのカップを少女に差し出したが、受け取ろうとしない。食べ方がわからないのか。

 俺は割りばしで、天ぷらと麺をほぐす。数本つまみ少女の口元へ運んでやると、小さな口がひらきパクリと麺をくわえた。


 でも、うまくすすれない。かみ切った少しの蕎麦を飲み込んで、小声でおいしいといった。

 ちがう、そんなもんじゃないんだ、このおいしさは。

 口をすぼめすすり方を教える。もう一度少女の口に、ふやけた天ぷらがまとわりつく蕎麦を運んだ。上手につるつるとすすり、蕎麦のはしっこが金色の出汁をまきちらしながら、口の中へ吸い込まれていった。


 天ぷらの油で輝やく唇の両端がくっとあがり、先ほどとは比べものにならない大きな声で、おいしいといった。天ぷらが出汁へとろけていくように、俺の顔はふにゃふにゃの笑顔になる。

 よかった、もう寒くないね……。


     *


 目をあけると、雪山のツエルトの中でひとりきり。割りばしをにぎっていた手にはグローブがはめられ、あたりはほんのり明るい。

 夢を見ていたんだ。幸せな夢を。ガスバーナーの炎は消えていなかった。


 俺は、生きている。安堵のため息とともに、ポケットに手をつっこむとガサリと音がした。音の正体は、七味唐辛子だけがのこった緑のたぬきの粉末スープの袋。

 あたりを見回しても、食べた痕跡はない。リュックから絵本をとり出す。パラパラと紙をめくり、ラストのページで手がとまった。


 きのう読んだ絵本の少女は、冷たい路上に倒れていた。しかし今、もう少女は寒くも空腹でもない。緑のたぬきを持ち、幸せにじむあたたかな笑顔をしている。

 


    了









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世界一かわいそうな、あの子へ 澄田こころ(伊勢村朱音) @tyumei

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