第4話 王室図書館にて愛を語らう
翌週、書類にサインするだけの簡素な婚約に関する手続きがとられ、私の王太子妃教育がスタートしました。
私の場合は学業成績が優秀であったこともあり、授業は大幅に削減されたようです。しかしそれはおそらく建前で、実際は二年後に婚約破棄される私に王太子妃教育を施すことは機密保持の観点でよろしくないと判断されたのでしょう。
ただ、外部には私はきちんと教育を受けているように見せねばなりません。
授業のない日も私は、毎日王宮へ通うように言いつかりました。
そして、そんな私の時間つぶしと言えば専ら図書館です。
王宮図書館は、王宮の関係者や一部の高位貴族の方へ解放されてはいますが、さほど人は多くないので気兼ねなく過ごすことができます。奥の書庫へ足を運ぶことは許されませんが、それ以外は貴重な文献も自由に見て回ることができます。
「やあ、サリア嬢」
「王太子殿下。ご機嫌麗しゅう」
「堅苦しいのはいいよ。二人の時は礼もとらなくていい」
「いえ、ここは公共の場ですから。誰が見ているか分かりません」
「ならばなおさら、僕たちが気安い関係であるのを見せる必要があるだろう?」
「あら、そうですわね」
その日、図書館を訪れていた私の元に殿下がいらっしゃいました。先日お話した通り、今日は図書館を案内していただく約束をしていたのです。
声を潜めてにこやかにそう告げる殿下に私も共犯者の笑みを返します。
殿下は人前でも親しげに振舞うことをお望みのようです。
次からは私も殿下に合わせて人前での振舞に気をつけなければ。
「どんな本を探していたの? 手伝うよ」
私が図書館の中をあちらこちらとうろうろしていたのをご覧になっていらっしゃったのでしょう。お恥ずかしい限りです。
殿下はすっと私の横に立つと、ごく自然に指を絡めて救い上げるように私の手を取られます。
普通の作法と少し違いますが、エスコートなのでしょう。私の知らない外国の作法かもしれません。私もまだまだ精進が足りません。
「魔術に関する文献を探しておりました。特に魔法陣に関するものを――でも、見つからなくて。王宮図書館になら魔法陣の実例に関する書物が置かれているかと期待したのですが」
「ああ、魔術に関しては公然の秘密だからね。残念だがこの図書館は沈黙の輪の外側のものしか置いていないんだ。魔法陣については奥の書庫だよ。あそこには魔塔にあってもおかしくないような本がある。結婚後は君もあちらに入ることができるよ」
「……楽しみですわ」
そう、ここは公の場です。私達は格差婚約による見せかけの関係ではなく、想い合う恋人同士なのです。結婚はこの先の当然の未来なのです。
一瞬戸惑ってしまうなど、私もまだまだです。次からは戸惑いなく、演技できるようにならなければいけません。
本が見つからなくて残念な思いもあるのですが、今はお役目に集中しましょう。お役目が終わり、魔塔に入れば魔法陣の本はきっと思う存分目にすることができるはずです。
内心そんなことを考える私の横で、殿下は考え込むように顎に手を当て、そのまま二列先の書架まで連れて行ってくださいました。
「ただね、少し抜け穴があるんだ」
「抜け穴、ですか?」
「ああ。魔法陣の実例に関しては、魔塔や魔術協会の範疇で魔術書として一般に出回っていない。でも、こちらの神話・寓話に関する本の挿絵のいくつかに、実は魔法陣が載っているんだ。あとは、刺繍のエリアにある加護の刺繍の図案も実は魔法陣だったりするんだ」
なんてことでしょう。私が魔法陣を見ることができるとは。
クアッド様にかけられた誓約魔術は私の首に刻まれていますが、見えたのは、かけられた瞬間のみ。存在は感じ取れるのですが、私の力ではまだ目にすることはできないのです。
殿下に紹介して頂いたそれらの本を手に取ることができ、私は幸せな気持ちでいっぱいになりました。
そして、私は魔法陣に関する本を数冊を借りて、殿下と二人、王宮図書館を後にしました。もちろん、先ほど疑問に思った外国の礼法に関する本も借りたことは言うまでもありません。
「殿下は図書館の本について本当によくご存じなんですね。あそこまで精通されるのは、素晴らしいことですわ」
「本をたくさん読んだだけだよ……僕は他の兄弟と比べて優秀じゃないから」
「そんなことありません。図書館の本の置き場所を把握してしまうぐらい読み込まれたのでしょう? 並大抵のことではありませんわ。誇ってよろしいのに。努力することができるのも、才能なのではないでしょうか?」
「君といると、なんだか自分がすごい人間のような気がしてくるよ」
「まあ、何をおっしゃってるのかしら。殿下は、素晴らしい方ですわ。人と比べることなどありません。でも、殿下がそのように謙虚なお気持ちをお持ちだからこそ、それがお人柄に表れて、人を和ませたり、人の心を開かせるのでしょうね」
「……それは、君も……?」
問いかけるような口調にふと顔をあげると、殿下の潤んだような瞳が私を見下ろしています。その表情に私は胸を突かれます。
なぜそんなに自信なさげなのでしょう?
私は迷子の小犬のような表情のこの方を慰めて差し上げたくて仕方がなくなりました。
けれど私が口を開く前に殿下は顔を逸らし、私の腰をぐっとひくとそのまま今までいた渡り廊下から、すぐ脇の庭園へと踏み出します。
「あの、殿下?」
殿下のいつになく強引な様子に、何かあったのかと私は周りを見渡しました。
――原因がわかりました。
殿下は、私を木陰に連れて行きます。
「嫌がらないでくれると嬉しいんだけど。僕は一刻も早く君を僕のものだと知らしめないと不安で仕方ないんだ」
「はい、私は殿下のものです。嫌がったりなんていたしませんわ」
殿下は、私がそう言うとほっとしたように私の腰をそっと抱き寄せました。
愛の囁きに、抱擁。
恋人の演技ですね。
あの二人に見せつけるための。
私たちの間に入り込む余地はないのだと牽制するための。
私は顔をあげ、殿下の顔を見つめます。
……しかし、このあと、どうしたらよいのでしょう。これだけでは相手に印象付けるのには弱い気がします。あと一押し。何かが足りません。
その時、悩む私の頭の中にレイアとクアッド様の姿が思い浮かびました。
分かりました! きっと殿下の胸に体を預けるようにもたれかかればよいのだわ!
伊達にあの二人の目の前でのい、いちゃいちゃぶりに耐えてきたわけではありません。
でも、殿下は私のような女にしなだれかかられるのはお嫌ではないかしら。
嫌ではないか聞くべきかしら。
でも、あの二人はもうすぐ側です。私達の声が耳に入ってしまうかもしれません。
私は、殿下の顔を見つめたまま、開きかけた口を閉じて、軽く首をかしげました。
殿下、このあとどうしましょう?
と目で訴えてみます。
殿下の頬は赤くなり、殿下の熱を込めたような瞳を何かを訴えています。
――すみません、わかりません。
私は困ってしまいさらに首をかしげました。
すると、殿下の顔が徐々に近くなります。
え?
唇に温かい感触が落ちます。
寸前にサリア、と小さな囁きが聞こえたような気がしました。
ジェレミア=ヴィルガの憎々しげな顔と、顔を赤くする彼の妹の姿がちらりと目に入ってきましたが、頭の中がパニックになった私はそれどころではありませんでした。
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