伯爵令嬢の格差婚約のお相手は、王太子殿下でした ~王太子と伯爵令嬢の、とある格差婚約の裏事情~ 

瀬里

第1話 伯爵令嬢の格差婚約のお相手は

 この日、我が家にとんでもない事件が起きました。


「う、うゔ……すまん! 私が不甲斐ないばかりに! どうしても、どうしても断れなかった。サリア、お前が選ばれてしまった……」


 優しすぎるお父様は、娘の私に平身低頭平謝りを繰り返してらっしゃいます。

 お父様のせいではありませんのに。

 我が家は伯爵家。陛下からの直接のご下命に反論することなどできようはずもありません。

 本日は伯父であるヤリス公爵閣下が外交で不在であったといいます。私を可愛がってくださる伯父様がいれば別の道もあったかもしれませんが、今さらそのようなことを考えても詮無き事。


 ――そう、この日私は、王太子であるエミリオ=ティントレット殿下の婚約者に選ばれてしまったのです。


「お顔をお上げになってくださいませ、お父様。お父様にそのようなお姿は似合いませんわ。私も伯爵家に名を連ねる者。これも貴族の務めでしょう。家門への責任は果たしますわ」


 私はこのようなことでへこたれるような柔な神経など持ち合わせておりません。むしろ試練には真っ向から立ち向かえる気概と強さを持ち合わせていると自負しております。

 私の不適な笑みにお父様は涙ぐんだ顔をお上げになります。


「ああ、サリア、お前はなんと立派に育って……。せめて、せめて婚約破棄後は、ヤリス閣下にできる限り良縁を探していただくようにお願いしよう」

「あら、お父様。まだ婚約もしておりませんのに気が早いですわ。後の事はゆっくり考えたいと思います。私はむしろ、選ばれたことを誇りに思っております。私自身にその能力があると見込まれたのだと。まずは、王太子殿下の婚約者としてのお役目を果たすために力を尽くしたいと存じます」

「サリア、お前は私に似ず本当に賢くて強い子だ。うう、母親に似て美しく優秀なお前に王家の方はなぜこんなにもひどい役目を……」


 お父様ごめんなさい。

 天国のお母様ごめんなさい。

 実は、私は、再び泣き出してしまわれたお父様の背をさすりながら、早鐘のように脈打つ心臓を宥め全く別の事を考えていました。

 心臓が高鳴っているのは、実は王太子殿下に恋していたなどという可愛らしい理由からでも、お役目の大きさへの武者震いなどという勇ましき理由からでも、この婚約への絶望感からでもありません。二つ年上の王太子殿下とは王立学園で会話したことすらありませんし、私は人の上に立つことを好む性質でもありませんし、絶望?いえ、むしろ……。


 私が、胸を高鳴らせている理由。

 それは、もしかしたら、婚約破棄後であれば「それ」が許されるかもしれないという期待感からです。


 ――今まで必死に見ないふりをしていた「結婚をしない」という選択が。


  ◇◇◇◇◇◇


 私の名は、サリア=リルセット。

 もうすぐ十八を迎える、ティント王国リルセット伯爵家の長女です。

 皆さま疑問にお思いでしょう?

 王太子殿下との婚約が決まったばかりの私が、なぜ婚約をする前から婚約破棄やその後の身の振り方まで考えているのか。

 それを語るにはまず、この国における昨今の悪しき風潮からお話せねばなりません。


 ここティント王国では、夜会などの王室行事では、パートナーの同伴が原則です。そして問題なのが、この国には、戦後の人口増加・結婚促進戦略のために作られた「三回同伴したら婚約申し込みしなければならない」という古い慣例が今なお残っていることです。そのため、貴族の間では夜会に参加できる十七になると男女ともに婚約せざるを得ない状況に陥るのです。

 そこで平和になりつつあるこの時代、逃げ道として格差婚約と婚約破棄が流行りだしました。様々な事情により(主に遊びたいという不埒な理由の場合が多いのですが)婚約者を決めたくない爵位の高い貴族が、後に婚約破棄しても問題の出ない爵位の低い家から婚約者をたてるのです。そして、正式な婚約者が決まると仮初の婚約者と婚約破棄をする――。

 破棄された令嬢がその後どうなるかは、語らずともお判りでしょう。ちょっとした社会問題にまでなっていました。


 我が家は伯爵家。爵位も高すぎず低すぎず。そして何よりも私の背後で睨みをきかせるヤリス公爵家の伯父様や、そんな風潮を憂いている優しいお父様がそのようなことを許そうはずもありません。

 格差婚約など私には縁のないことだと思っていたのです。

 ……そのはずだったのですが。


 そんな我が家に格差婚約を申し渡せる家門がひとつだけありました。


 ――そう、王家です。




 ティント王国の王太子殿下エミリオ様は、御年二十歳。

 婚約者はいらっしゃいません。

 夜会へのパートナー同伴に関しても王家は対象外。今までご婚約者をお決めにならなかったのは、イシュマイル国の十五歳の姫君がご婚約できる年である十七歳になるまでお待ちしているからだとお噂されていました。

 王太子殿下のご婚約は二年後と目されていたのです。


 ところが数カ月前、国内で大きな力を持つ四大公爵家の一つヴィルガ公爵家が、王太子殿下とご令嬢との婚約を検討しているという情報が王室府に入って参りました。もちろんこのような話は一般には知られておらず、私も今回お父様から初めて伺いました。

 ヴィルガ公爵家は非常に力のある家門であり、野心家の一族。その一族と王家との婚姻は国内のパワーバランスを大きく崩すことになりかねません。

 現在ティント王国は隣国との関係もよく、王家の立場は盤石です。他国へ庇護を求めたり国内の地位固めを行うより、国外への経済伸長を狙って、大国ではありませんが中継貿易が盛んなイシュマイル国との関係を深めることが重要視されていました。

 公爵家との婚姻は政治的な意味で歓迎されないものだったのです。

 かといって、簡単にお断りできるようなお相手ではありません。

 そこで、正式な打診をされる前に公式に婚約者を立てることが、陛下と王室府の上層部で決められたそうです。

 お父様は王室府にお勤めになっており情報はある程度耳に入っておりましたが、決定を行う場に同席するほどの地位ではありません。外務大臣であるヤリス公爵閣下ご不在時に開かれた貴族院議会で、突然の陛下よりのご下命。お断りすることもできず、このような事態に相成ったそうです。

 もちろん、格差婚約や仮初の婚約者などと公にするわけにはいきません。婚約の理由としては、私の王立学園での成績、血筋、容姿、気品。王太子殿下が好ましく思っていることがあげられたそうです。

 表向きには反論のしようもないことです。

 自分で申し上げるのもおこがましいですが成績優秀なのも容姿端麗なのも事実。血筋も国内に四家しかない公爵の姪。王太子殿下の心の内……など誰にもわかるはずありません。

 しかし過去、身分制を尊ぶこの国において伯爵家以下の家門から王妃が出たことはありません。ヴィルガ公爵は私が伯爵家の娘であることを理由に反対されましたが、急な立案に十分な根回しができておらず反対票をまとめきれませんでした。むしろ議会の大多数の方は、ヴィルガ公爵がそのことに触れたことで、その事実に気づき、確信を深められ賛成に回ったようです。

 この婚約が「格差婚約」であるという確信を。

 そのため、数年後のイシュマイル国との関係強化を望む方達も味方につけて、この婚約に関する議案は議会を難なく通過してしまいました。


 誰の目にも明らかな格差婚約ではありますが、それでも「今は決めない」という王家の意思を明確に示したことになります。少なくとも、これから数年はこの状態を維持することを、陛下もこの国の貴族院の皆様も望んでいらっしゃるということなのです。



 婚約破棄をした令嬢達のその後はというと、傷物扱いされ、その後結婚が決まる可能性は極端に低くなるのが現状です。よって、それなりの慰謝料が支払われることになります。

 国王陛下はきちんと筋の通ったことをなさる、為政者としても素晴らしい方です。――今回の格差婚約の件で私の中の評価は多少落ちましたが、それでもきっと婚約破棄に際しては、相応の対応をしてくださると考えてよいでしょう。

 ならば、私のささやかな要望も聞いていただけるのではないのでしょうか?


 お父様にもヤリス伯父様にも、今まで申し訳なくてお伝えすることができなかった、私の本当の望み。

 それは、結婚をせずに、魔術に携わる仕事をしたいという、ほんのささやかな、しかしこの国の貴族令嬢としては責任放棄にも近い、ありえない望み。

 そんな望みを叶えることが許されるのではないかと思い、私は胸の高鳴りを抑えることができなかったのです。

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