第2話 王太子殿下

 お父様から婚約の決定を聞かされた翌週、私は初めて正式に王宮に呼ばれました。

 案内にいらした殿下の侍従の方に従って歩く王宮の回廊では、行き交う人々が立ち止まり私が通り過ぎるまで頭を下げます。私が王太子殿下の婚約者に決まったことはすでに広まりつつあるのでしょう。

 私は心の中でため息をつきながら、にこやかに微笑み、軽く会釈をしてその場を通り過ぎます。知らない方ばかりです。これからの二年間ですべきことの一つ目に、私は貴族年鑑や王宮の職員名簿の確認を加えました。


 行政区を抜けて、王家の方の住む居住区へと進みます。

「こちらでお待ちください」

 案内されたのは王家の方々の私的な応接室でした。

 侍従の方が席を外し、お茶が準備され、しばし一人の時間が訪れます。

 落ち着いたアンティーク家具や調度品は全て美術品と呼べるレベルの物で、その数々が王家の歴史を物語っています。

 そしてそんな中、私はある違和感に気づきました。ぐっと集中して目を凝らすとわかります。調度品のうちのいくつかが、繊細な魔力に満ち溢れていることが。

 私ははっきり言って魔術の才能はありません。魔術を見る力も、訓練に訓練を重ねてやっと体得したものですが、それでも間違いないほどに強い魔術の気配がするのです。

 一見すると置時計や彫像にしか見えないそれらは、何かの魔道具なのでしょうか? 魔石が仕込まれている? どんな魔法陣が刻まれている?

 気になって仕方がありません。そっと席を立ち、確認しようとそれらの一つに手を伸ばしました。


「あまり触らない方がいい。盗難防止の魔術がかかっているものが多いからね」


 私は、その声に慌てて振り向き、カーテシーをしました。


「エミリオ=ティントレットだ。サリア嬢。顔をあげて」


 ……恥ずかしい。

 気品を褒められた私が、初手からの大失敗です。

 王太子殿下に私の婚約者ぶりにご満足いただけるように努めなければいけないのに。そうでなければ二年後には要望を叶えて下さいなんで恥ずかしくて言えません。

 いえ、これから挽回します! 

 これ以上醜態をさらすまいと、私は、赤くなる顔を無視して顔をあげました。


「リルセット伯が娘、サリアでございます。この度は大切なお役目を頂き、光栄でございます」

「調度品にかかっている魔法が気になったんでしょう? 君が魔法に興味があって、魔術に関するサロンを開いているのは聞いているよ」


 王太子殿下は、はちみつ色の髪に、茶色の瞳。優し気な面立ちの方です。目鼻立ちは整っていらっしゃいますが、近寄りがたいような美しさではありません。落ち着いた声で親しみや安心感を与えてくださる雰囲気に私はほっとしました。


「はい、趣味が高じてつい。貴重な品をお許しなく手に取ろうとしました無作法をお許しください」

「色々なものに興味を持つのは王妃として得難い資質だよ。無作法というより、君を驚かせてしまうんじゃないかと思って声をかけたんだ――これをこうするとね」


 殿下が飾り棚の置物の一つを持ち上げると、突然大音量が鳴り響きました。

 壊れたパイプオルガンのようなとんでもない音に私が目を丸くして固まっていると、扉が大きな音を立てて開け放たれ、数名の護衛兵が部屋に飛び込んできます。

 殿下が片手を上げて彼らを制すると同時に音が鳴りやみ、護衛兵はそのまま扉を閉めて戻られました。

 私は唖然として固まるしかありません。


「驚くでしょう。すると、たいていの人は落とすんだよね」


 私がびっくりして固まっていると、殿下は、そのまま置物をその手からポロリと落としてしまわれました。


「!!」

「で、落ちても壊れないように浮遊の魔術がかかっているんだ」


 美術品は、膝ぐらいの距離でふわふわと宙に浮いており、ゆっくりと絨毯の上に落ちました。


「ね、驚くだろ?」

「……なんとも、心臓に悪いです」


 さっきから私の心臓はばくばくととんでもない音をたてています。

 殿下は、そんな私の内心を慮ってか、包み込むような温かさで、柔らかく、とても柔らかく微笑まれたのでした。

 春の陽だまりのような方――鳴り響く心臓の音の隙間で思った、それが私の殿下への第一印象でした。



 殿下はとても親しみやすい方でした。

 あの盗難防止魔法は、王国の伝説的な魔法使いである魔女グエンドリンのかけた魔法だそうです。私は彼女に関する書物を何冊も持っています。ユーモアあふれる彼女の魔法に関する逸話はとても有名なのですが、その実物を目にするのは初めてでした。もう何百年も生きている魔女の話を彼女と面識のある殿下から伺うのはとても興味深く、私の緊張は瞬く間に解けました。彼女は人前に姿を現すことはなく、接点があるのは王家と、魔術の司である、とある侯爵家だけと言われているのです。

 そんな、魔術に関するとりとめのないお話をして場が和んだ後、殿下と私は本題に入りました。


「突然の指名で驚いたことと思う。ただ、僕が君を好ましく思っていたのは事実なんだ。君は学院でも有名だったし、婚約するなら君がいいと僕が陛下にお願いしたんだよ」

「ありがとうございます。殿下にお褒め頂けるとは、私も学業に力をいれた甲斐があったというものです」


 私は学院では学業成績の良さでかなり目立った存在でした。

 この国では学院に通う女生徒は少なく、男女の比率も八:二ほどで、女生徒というだけで目立ちました。更に私の学院での成績は常に首席か次席でした。女生徒でこれだけの成績を修めた者はこの十年ほどいなかったらしく、それなりに名が知られていたのです。学院で有名ということは、学院に子女を通わせる貴族の間でも有名ということであり、婚約相手の理由付けにはぴったりです。

 それが例え格差婚約だとしても。


「……ああ、そんな君が側で支えてくれるなら、と思ったんだ」

「お役目、光栄に存じます。殿下にご満足いただけるよう立派に勤め上げる所存です」

「君は僕のことをあまり知らないだろう。これからたくさん話をしよう。仲良くやっていきたいと思っているんだ。よろしく頼むよ」


 殿下とは、王宮にある王室図書館を案内していただく約束をして和やかにお別れすることができました。

 学園にいた頃からもお噂で伺っておりましたが、人の話に耳を傾けてくださる、非常に感じの良い方です。容姿も学業も武芸も大きく秀でたものがなく、他の殿下方と比較して悪く言う方が多かったのも事実ですが、その方は一体何を見ていらっしゃったのでしょう。殿下にお会いしたことがない方に違いありません。人に安心感を与える天性の才能のようなものをお持ちの方だと私は思いました。

 今はまだ時期尚早ですが、この方になら、私の望みをお話してもよいかもしれません。

 力になってくださるのではないでしょうか?

 私は、自然に顔が緩むのを感じながら、侍従の案内を受けて王宮の馬車留めに向かいました。




「だらしない顔だな。リルセット」


 全くこの方は、なんでこんな言い方しかできないんでしょうか?

 せっかくのいい気分が台無しです。

 名指しをされた以上無視するわけにもいかず、私はため息をつきながら、後ろを振り返りました。


「ご機嫌よう、ヴィルガ様」


 ジェレミア=ヴィルガ様

 私の一つ上の学年のこの方は、二年ほど前の、とある事件以来私が気に食わないのか何かにつけて私に難癖をつけてこられるお方です。

 藍色の髪に金に近い琥珀色の瞳。整った目鼻立ちとも相まって夜空の星の様と例えられもする、女生徒の間では非常に人気の高い方です。とはいえ、私はこの方の人を見下すような目つきがどうしても好きにはなれないのですが。


 私は、これから始まる舌戦の予感に、きっ、と顔をあげました。

 この方は、私の背後にちらつくヤリス公爵閣下の影などものともしません。彼は国内に四家しかない公爵家の嫡男。そして、彼の妹君こそが今回王太子殿下へ婚約を申し入れされるとお噂だった、件のご令嬢なのです。

 これも、婚約者の務め。

 決して負けるわけには参りません。

 私は彼とやりあう覚悟を決めて向かい合い、口火を切りました。


「祝福はいただけませんの?」

「そのうち捨てられる格差婚約に?」

「何のことでしょう? ご存じないんですの? 殿下は学院にいる私の事を見初めてくださいましたの。殿下は、私の学業の成果についても好ましくお思いですし、私の探求に対する好奇心も、王妃として得難い資質だと褒めてくださいましたわ」


 格差婚約、私がその言葉を他者に対し肯定することは決してありません。

 そして定番ですが、格差婚約においては「格差」を乗り越えるほどの熱烈な恋愛であると見せることが一番大切な事です。ご覧になった方がこの婚約が格差婚約かどうか迷うほどに。


「はっ、お前が認めなくても格差婚約の事実は変わらないだろう。殿下とお前の接点が何もないことぐらい学院に通う者なら皆知っている」

「ええ、それなのに見初めてくださるなんて、私はなんて幸運なんでしょう。そんな風に想ってくださる方に、私初めて胸の高鳴りを覚えましたの」

「この俺に口答えする気の強いお前にそんな感情なぞあってたまるか」

「ええ、確かに私は曲がったことが大嫌いで、意味のない暴力を振るわれるような方に、諫言を申し上げることにためらいはございませんわ」


 痛烈な当てこすりです。

 ヴィルガ様ことそが二年前、私の目の前で意味のない暴力を振るわれた張本人ですもの。

 不快そうに眉をひそめる様子に私は多少気分がよくなります。

 

「まあ、私分かりましたわ。そんな気の強い私だからこそ、殿下に心惹かれるんですわ。私、今日殿下にお会いして、殿方に安らぎを感じることもあるのだということを初めて実感しましたの」


 こんなやりとり、正直私の柄ではありません。

 大げさに恋愛ごとを語る自分が恥ずかしくなってきて、頬が赤くなるのがわかります。そろそろ切り上げたくてたまりません。

 でも、それが功を奏したのでしょう。私のその様子が、頬を染めて恋を語る令嬢の仕草に見えたか、ヴィルガ様は、辟易したようにこちらをご覧になってらっしゃいます。


「ヴィルガ様も、ご婚約されれば私の気持ちがわかりますわ」

「っっ! お前に言われたくない!」


 ヴィルガ様は、声を荒げて叫ばれます。

 あら、意外です。今まで幾度となくやりあったことはありますが、この方がこんな風に声を荒げるのを初めて聞きました。この手の話題は今まで振ったことがありませんでしたが、ご自身の恋愛ネタには弱いのかもしれません。いい弱みを見つけました。


「ひょっとして、意中の方がいらっしゃるんですの? これでも私、顔が利きますの。私がその方との仲を取り持って差し上げてもよろしくてよ」


 ヴィルガ様は、それはすごい顔で睨まれて私に挨拶もせず去っていきました。

 まあ、犬猿の仲の私に借りなど作りたくありませんものね。

 いつも、苦い思いをしていた相手を見事にやり込めることができました。

 これは幸先がよいかもしれません。


 私はその日、晴れやかな気持ちで、王宮を後にしたのでした。

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