第3話 私が一生をかけたいもの


 私は魔術が好きです。愛しています。

 人の世の理とは別次元の、全く別の世界観と価値観の中に存在する魔術の理。

 年齢を重ね、自然科学と世の道理を深く知るたびに、その人の世の理を超えた神秘と不可思議さ、底知れない奥深さが見えてくるのです。

 人は、理解できないものを恐れるのでしょうか?

 そういう方もいらっしゃいます。

 でも、私は違いました。

 生来の勝気な性分からでしょうか。私はそれを自分のものとし、克服し、支配下に置きたいと思ってしまったのです。

 そしてその過程で、魔術の終わりが見えない奥深さ、それが紡ぐ精緻な美しさに魅せられ、虜になってしまったのです。




「サリア様! この度はご婚約おめでとうございます。お忙しい中いらして下さって嬉しいです」

「レイア、お招きありがとう」


 私は本日、親友であるレイアを尋ねてベネディッティ侯爵家を訪れました。

 彼女は結婚したばかりのベネディッティ家の小侯爵夫人。

 私達は、出会ったきっかけがきっかけでしたから、周りからは穿った見方をされることもあり彼女と付き合い続けるべきか迷ったこともありました。しかし、今となってはそんなくだらないことで悩んでいたことが愚かしく思えるほど、彼女は私にとって大切な存在です。


「レイアも驚かれたでしょう? 手紙でも書きましたが、殿下との婚約は、私も知らないうちに急に決まったのですわ。殿下とはお話したことすらなくて、私自身も本当に驚きましたの」

「まあ、やはりそうだったのですね。殿下のお話はサリア様から聞いたことがありませんでしたもの。サリア様はこれからお忙しくなりますしご迷惑かとは思ったのですが、私心配になってしまって……。私にも何かお助けできることがないかと思って、ほんの少しでもお話したかったの。でも、明るいお顔で安心しましたわ」

「ありがとう、レイア。あなたに話を聞いてもらえるだけで、私はいつも助けられてるのよ。今日は会えて本当に嬉しいわ」


 彼女に、殿下にお会いした印象や、素敵な方だということを話して聞かせると、レイアは、安心したようにほっと息をつきました。


 レイアは優しい人柄で、人を安心させるような独特の雰囲気を持っています。空気を読むのが上手く気遣いのできる彼女の側はとても居心地がよくて、私達はすぐに仲良くなりました。殿下に対して安心感を覚えたのも、殿下の雰囲気が彼女とよく似ていたからかもしれません。

 彼女との出会いは、一年ほど前のある事件に端を発したものでした。

 当時の彼女は男爵令嬢で、侯爵家嫡男のクアッド=ベネディッティ様と格差婚約をしていました。いえ、そう思われておりました。そして、私はその彼女が平民の男性と公園の木陰で、い、いちゃいちゃというか、その、破廉恥な行為をしている姿を目撃してしまい、夜会で彼女を呼び出し注意したのです。

 どんなお役目だろうと引き受けたのならばきちんと果たすべきです。クアッド様にも失礼ですし、何より彼女自身の評判を落とすことにもなります。

 けれど、その平民男性はあろうことか姿変えの魔術を使ったクアッド様ご本人だったのです。その秘密を知ってしまった私はクアッド様に沈黙の誓約魔術をかけられ、レイアは巻き込まれた形の私に心から謝罪してくださって、そこから私たちの付き合いが始まったのです。

 その時、ふと意識の片隅に違和感を感じました。

 ああ、これは――。


「おかえりなさいませ。クアッド様」

「ただいま、レイア。今日も素敵だよ。それから、いい加減呼び捨てで呼んで欲しいんだけど」

「ク、クア……、あの、サリア様の目の前で、無理です。そんなの」

「おかえりなさいませ、師匠」

「なに、君、またいるの? 今日は約束はしていないと思うけど。できる弟子なら空気を読んで退出するべきなんじゃないの?」


 私達のお茶会に乗り込んできたのは、この家の主クアッド様でした。クアッド様は、レイアに言われてやっとこちらに目を向けます。はじめから気づいていたくせになんて白々しいのでしょう。

 孔雀緑の瞳に透き通るような金髪。端正な面立ちに優雅な物腰。この方は、同世代では一番人気の貴公子クアッド=ベネディッティ小侯爵様。学院では私と首席を競い合っていた方です。

 そして、このベネディッティ家こそがティント王国の魔術の司たる一族。

 私が彼の存在をなんとなく感じ取れるのは、実はクアッド様にかけられた沈黙の魔術誓約のいらない恩恵なのでした。

 彼の無礼な物言いは、私が魔術誓約で縛られた弟子だからこその裏の顔なのです。

 ――そう、私は沈黙の魔術誓約を受けた見返りに、クアッド様に魔術の弟子入りをしているのです。



 魔術は秘するもの。

 この国では、魔術協会、魔塔、魔女など、魔術に関わる全てが表舞台に上がることはありません。

 その理由は、沈黙の魔術誓約の輪の中で守られているからなのです。

 そして私は幸運にも、この理不尽な一件により沈黙の輪の内側に入ることができたのです。私はクアッド様に秘密裏ながら実践的な魔術を教わる弟子としての立場を頂けました。

 弟子にしていただけたのは、誓約魔術のおかげというより、どちらかというと、クアッド様がレイアのお願いに負けたためでしたけれど。


「もう、クアッド様、そんな言い方ないです! サリア様は今日はクアッド様の弟子としてではなく、私に会いに来てくださったのに!!」

「でも僕は、君の視線が誰かに向けられているのが許せない」

「――そろそろ帰りますわ」


 このふたりのいちゃいちゃぶりは、ちょっと恥ずかしくて見ていられません。

 私は早々に退散することにいたしました。


「ごめんなさい、サリア様。でも、サリア様の話を聞いて安心しましたわ。お噂で、サリア様が、……あの時の私とクアッド様のように思われているのだと聞いて、とても心配していたの」


 あの時のレイアとクアッド様――。

 格差婚約の件を言っているのでしょう。

 私はためらいましたが、レイアには全て話すことにしました。

 本来であれば話すべきではないのでしょうが、彼女の夫は殿下の側近くに仕える身です。敏いレイアはきっと夫の言動から事実を知ってしまう事でしょう。

 そして、この件についてレイアが私以外の者から事実を聞かされた時のショックを思うと、私の口から話しておきたいと思ったのです。


「……実はね。その噂は本当なの」

「そんな――! 王家の方がそんなことをなさるなんて」

「政治も関わるやむを得ない事情があったの。それは言えないのだけれど、殿下にはイシュマイルの姫君と二年後にご婚約するというお噂があったのは知っているでしょう? それまで仮の婚約者を立てなければならないご事情が発生したのよ。でも、私には望みがあるから――これはチャンスだと思うの」


 レイアははっと息を飲みました。

 レイアは、私の魔術に関する情熱を知っています。

 私が、貴族のお遊びのように見せて魔術に関するサロンを開いていた裏で、真剣に魔術の研究をしていたことを。そしてこの学問に一生をかけたいとすら思っていたことを。

 その一方で私は貴族としての役割も理解しています。貴族の娘の一番の役割は、結婚し他家との縁をつなぐこと。

 こんな我儘がゆるされるのは、私が当主である父にそれを許されているからです。

 だから、私がこの先魔術に関する研究を続けられるかどうかは、全てこれから結婚する相手次第なのです。

 金銭的に余裕があって、革新的な考えを持つ、魔術に理解のある家。

 私が十八になるまで婚約を引き延ばしていたのも、そんな相手を探し続けていたためでした。結果はそんな方はいらっしゃらないと思い知らされただけでしたが。

 けれど、私にはこの格差婚約で、新たな選択肢が与えられたのです。

 貴族の娘としての義務を果たした上で、「結婚をしない」という選択肢が。


「私、この婚約の見返りに、殿下に魔塔への推薦をお願いしようと思っているの」


 何も言えなくなるレイアに私はにっこりと微笑んで見せます。


「レイア、そんな心配そうな顔しないで頂戴。私はむしろ喜んでいるのよ。普通の幸せではないかもしれない。でも、好きなことに一生をかけられるのよ。こんな素敵なことはないわ。殿下の婚約者としてのお役目ならば、十分に貴族の娘としての責任は果たしたと言えるでしょう。お父様にも胸を張ってお願いできるわ」

「そうね、サリア様ならきっとできるわ。私応援しています」

「殿下が聞いてくれるかなあ。それ、殿下には言わない方がいいと思うけど……」


 感極まって瞳を潤ませるレイアと反対に眉をしかめるクアッド様。

 この師匠は、いつもこうです。でも、殿下に対する批判は見過ごせません。


「殿下は、そんなに心の狭い方だとでもおっしゃるのかしら? 師匠に言われたくないんですけれど。そうだわ、師匠も、殿下や私の父が許可してくださったら、私を魔塔の研究所へ紹介してくださるでしょう? 推薦は多い方がいいもの」

「え? いや、それは」

「クアッド様! 格差婚約のその後は、女性たちにとって厳しいものなのはご存じでしょう。私からもお願いします。サリア様は優秀だもの。魔塔は優秀な人材を欲しがっているのでしょう?」


 レイアの私への援護射撃にクアッド様はあきらめたように肩をすくめます。


「レイアがそう言うのなら。でも、ちょっと大変かもしれないな。レイアに労わってもらわないと、無理かもしれない」


 クアッド様はそう言うと、流れるような動作でレイアの肩を抱き、耳元で何やら囁きました。レイアの顔が真っ赤に染まり眦には涙がたまっていきます。


「そ、それで聞いていただけるなら、私」


 この男は私をだしに何をしているのだか!

 クアッド様はレイアに見えないように私に出て行けと手を振ります。

 ええ退散いたしますとも。

 そして私は、今度こそ本当に侯爵家からお暇したのでした。



 本当に、人前で考えなしにレイアと破廉恥な行為をしていたことといい、レイアの要求に逆らえないところといい、それを理由にあれこれしようというところといい、とんでもない方です。

 クアッド様ご本人でなく、魔術の司という家柄に惹かれていたとはいえ、こんな方を婚約者候補にあげていた私は、自分の見る目のなさにあきれてしまいます。今となっては黒歴史です。あ、レイアを選ぶぐらいですから、彼の女性を見る目だけは唯一認めてあげてもよいでしょう。


 私なら、彼のような人は選びません。

 選ぶのなら――。

 私は慌てて浮かんできてしまった人の顔を首を振って打ち消しました。

 考えても詮無き事。


 ――私は誰も選ばないのですから。

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