第10話 公爵子息の想い

「なんの真似ですか? ヴィルガ様」


 部屋に引き込まれたものの、私が身をよじるとその手は意外にもすぐに離されました。私は、私の事を部屋に引き込んだ相手をきっと睨みつけました。

 それは、私の仇敵でもあるジェレミア=ヴィルガ小公爵でした。

 灯りの抑えられたこの部屋では、彼の表情はよく見えません。ただ、その目の光だけが鋭い光をたたえて私を見据えています。


「……お前と話がしたかった」

「私はお話することがありませんが……分かりました。後日改めてお時間をとりましょう。茶会に招待いたしますわ。私、今は急いでおりますのでこれで失礼いたします」


 このような遅い時間に男性と二人で密室にいるところを誰かに見られでもしたら大変です。私は注意深くそう言うと、軽く膝を折ってその場を辞そうとしました。しかし、扉はガチャガチャと無情な音を立てるばかりで、全く開きません。

 閉じ込められた!

 私はさっと血の気が引きました。


「誰か!」

「人払いをしてある。この通路は、誰も通らない」

「っ……!」


 仇敵とはいえ明らかにこれはやりすぎです。

 彼はもしかして、私を疵物にするつもりでしょうか?

 ――いえ、私を襲わせたいなら、人を使うはずです。彼自身が犯人だと疑われる、そんなリスクが高いことをするわけがありません。

 だとすれば彼の真意は、一体なんでしょうか?

 妹君のために、私に脅しをかける事でしょうか?

 しかし、私との仲を疑われるようなリスクのある状況なのに、彼自身が来たということは、一方的な脅しではなく交渉が成り立つという事でしょう。

 私は、ゆっくりと魔術の呼吸で息を吐きだし、ヴィルガ様の方へ向き直りました。


「お話がしたい、とおっしゃっていましたね。わかりました。伺いましょう」

「お前は、俺の気持ちを知ってるんだろう!? なんでそんなに何もなかったように振舞える? そんなに俺が疎ましいか!?」


 冷静さを取り戻した私に、ヴィルガ様は歯ぎしりさえ聞こえてきそうな激しさで言い募ります。

 最初に脅しをかけて、有利に物事を運ぶ交渉術もありますので、その勢いに怯んではなりません。

 けれど、私はその内容に首をかしげました。

 私が婚約者から自発的に降りるための交渉の条件を提示されるのかと思っていましたが、少し違うようです。しかし、言いたいことは分かります。

 妹君を王妃にしたいというヴィルガ家の意思は知っております。

 このことは本来なら王室府の上層部のみしか知り得ないことだったのですが、婚約者という立場でいつまでも知らないふりを続けるのは、確かに無理があります。

 私は観念して、口を開きました。


「ヴィルガ家が妹君と王家との婚姻を望んでいらっしゃるのは伺っております。ただ、私と殿下との婚約に対して疎ましく思ってらっしゃるのは、私というよりむしろヴィルガ様の方ではないかと……」

「その話じゃない! なあ、俺の気持ちを知りながら知らない振りをするのか? ひどい女だな。俺がお前を疎ましく思ってるなど、何でそんな風に思う!? 一度婚約を断られたぐらいで疎ましくなんて思わない! そうじゃない! 違う、俺は、

「あの? どういうことでしょう?」

「まさか……そういうことかよ。はは、そうか。知らなかったのかよ。お前は、こんなことまで嘘をつく女じゃないからな。なら、望みはあるってことか? リルセット、お前は知らなかったんだな。俺が、お前の家に婚約の打診をしていたってことを」


 私は驚いて目を見開きました。

 そう言って一歩を踏み出すヴィルガ様は、いつもの見下すような表情ではなく、いつになく必死な顔で私の方を見つめていらっしゃいました。

 ヴィルガ様がおっしゃられていることが、やっと全てつながりました。

 そして、数カ月前の父との会話を思い出しました。

 ジェレミア=ヴィルガ殿をどう思っている、と問われ、『良くも悪くも貴族らしい方です。あまり好きになれる方ではありません』とお答えしたのです。

 お父様はきっと、その言葉を聞いて私にヴィルガ家からの婚約の打診を知らせる前にお断り差し上げたのでしょう。


「リルセット、なあ、俺はお前がずっと好きだった。俺におもねることのない、俺に歯向かってくるお前の強さが。お前に俺の側にいて欲しいんだ! 婚約の打診も、一度断られたぐらいで終わらせるつもりがなかった。なのに、お前と殿下の格差婚約の話が持ち上がってしまった。だから俺はそれをぶち壊すために殿下と妹との婚約話を進めたんだ。――お前を、格差婚約から守りたかった」


 もう少しで派閥をまとめられたのに、王家がだまし討ちみたいに、とヴィルガ様はとても苦しそうに呟かれました。

 何か私には分からない政治的な駆け引きがあったのでしょう。

 ですが、ヴィルガ様が語ってくださったご自身の気持ちには、疑問を差し挟む余地はありません。

 私は、誠実さには誠実さを返したい――だから、この方に一番に答えなければならないことは、きっとこのこと。


「ヴィルガ様。お気持ち嬉しく思います。知らなかったこととはいえ、ヴィルガ様のことを誤解しておりました。けれど、私は……」

「まだ答えを出すな! 答えないでくれ。俺の話を聞いて欲しい。――殿下との婚約は格差婚約だろう。二年で終わるんだ。俺は待つ。俺は、お前が本気で魔術の道に進みたいのを知っている。公爵家で支えてやる。周りも全て黙らせてやる。だから、俺との未来も考えて欲しい」


 この方が、こんなにも自身の内面をさらけ出して下さったことはあったでしょうか?

 冷ややかに人を見下し、建前と矜持を大事にするこの方は、良くも悪しくも純然たる貴族なのだとずっと思っていました。

 真摯なヴィルガ様の声は、私の奥底を揺さぶります。

 殿下と出会い、婚約をする前の私だったら頷いていたかもしれません。


 ――でも、今の私の中では殿下の存在が大きくなりすぎてしまったのです。


「ヴィルガ様。ありがとうございます。でも、私は……殿下とのお役目を果たし終えたら、魔塔へ参ろうと思っています」

「俺の元へ来い! 俺の元へ来れば、魔塔へ行けるようサポートしてやる。同じことだ」


 私は、ゆっくりと首を振りました。


「私はもう、殿下以外の方の元で過ごしたくないのです」


 わかってもらえたでしょうか?

 あなたが心を私に寄せてくださるように、私にももう心を寄せる方がいらっしゃるということが。

 あなたが私をあきらめきれないとおっしゃるように、私もきっと、殿下の元で過ごす時間をあきらめきれないのです。


「ならば、俺を選ばせてやる!」

「え?」


 ヴィルガ様は、いつの間にか、私のすぐ側までいらしていました。

 その瞳には、先ほどまでの真摯な光の奥に、ギラギラした狂気のようなものが灯っています。

 私は手を引かれるとそのまま引きずられるように、奥のベッドに押し倒されました。

 彼が何をしようとしているかを悟り、恐怖に顔が青ざめます。


「こんなことをして、許されるとお思いですか!? あなたもただではすみませんよ!」

「ああ、俺は終わりだ。でも、お前も終わりだ。いや、ヴィルガとヤリスが醜聞を避けるためにどうにかするかもしれないな。でも、お前は、俺を選ぶしかなくなる。――お前が悪い。俺は待つと言ったのに、お前が殿下を選ぶと言うから!! どれだけ殿下を想っても、お前も二年後にどうせ捨てられるんだ。今の俺のように。なら、俺にくれてもいいだろう!」


 自暴自棄になられたヴィルガ様の瞳には、恐怖に瞳を見開いた女性の顔が映ります。

 恐怖に怯えている?

 誰が? この私が?


『君は、勇気があるな』


 ふと、同じように力づくで押さえつけられながらも屈しなかった、ある人の声が脳裏に蘇りました。

 あの時、あの場所にいた彼はジェレミアに立ち向かった私をそう称えたのでした。

 勇気。

 そう、私には勇気があるのです。

 しっかりなさい! サリア=リルセット。

 私は、こんな暴力に決して屈したりしない!


「私は、私だけのものです。あなたに与えられるものは何一つありません。下がりなさい! ジェレミア=ヴィルガ!」


 その時です。

 扉が光を放ち、かちり、と錠の外れる音がしました。

 それは、魔術の光でした。


 そして、叩きつけるように開け放たれるその扉の奥から現れたのは、クアッド様と殿下でした。

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