第11話 私が選ぶもの

「サリア!」


 開け放たれた扉から飛びこむように中に入った殿下は、私の上へのしかかっていたヴィルガ様を殴り飛ばしました。

 そして、気づいた時には、私はその腕の中に抱きすくめられていました。

 もう、大丈夫だよ、と小さく囁かれる声に、安心感がどっと押し寄せてきます。

 私を抱きしめる力の強さに、優しいこの方にどれだけ心配をかけてしまったかが察せられました。


「大丈夫ですわ、殿下。御心配にはおよびません。私は無事です。このようなことで折れる矜持など、持ち合わせてはおりませんもの。――それに、殿下が来てくださいましたから」

「強がらなくていい! 君は、大丈夫だと言いながら、いつも震えている」

「……っ」


 そう言われて初めて、私は自分が震えていたことに気づきました。

 慰めるような声の優しさに胸に熱いものがこみ上げてきて、重ねて大丈夫だと伝えることができなくなりました。

 涙ぐむ顔を見られたくなくて、私は下を向きました。


「リルセット! お前は騙されている! 殿下は――そいつは、お前自身を見てお前を選んだんじゃない! お前は、なぜ自分が選ばれたのか、疑問に思ったことはないのか!?」

「ヴィルガ小公爵、不敬が過ぎますよ」

「ベネディッティ、お前は黙っていろ。リルセット、そいつは、にお前を選んだだけだ! そいつは隠してる! そいつはあの時の……ぐっ」


 ベッドから転がり落ちたヴィルガ様は、クアッド様に取り押さえられたまま叫んでいましたが、突然口をつぐみます。師匠が何か魔術を使ったのでしょう。

 殿下は、ヴィルガ様の言葉に動揺したかのようにわずかに体を揺らしました。


 私は、殿下の胸の中で、静かにその言葉を聞いていました。

 ――きっと、何か理由があるのだろうと思っていました。

 ずっと不思議だったのです。

 格差婚約なら、他にも良い相手がたくさんいたのですから。結婚相手としてふさわしい血筋の淑女でありながら、婚約破棄された後、王家に対して遺恨を残さない程度に実家の力が弱い令嬢が。

 今回、王家はヤリス閣下に溺愛される私を選んで、ヤリス公爵家との関係を悪化させてしまいました。

 あえてその選択をした理由――。

 ヴィルガ様が求める私を奪うことで晴らす、ヴィルガ様への私怨。

 優しい殿下が晴らさずにいられなかったほどの私怨とは、どれほど深いものなのか。

 けれど、理由としてはその方がしっくりきます。


「ジェレミアの言う通り、僕には隠し事がある。いつかは話そうと思っていた。いい機会だろう」


 殿下の困ったような、けれど、哀し気な声に、私は顔をあげました。


「ジェレミアにも聞く権利がある。クアッド、ジェレミアに、この件に関する沈黙の魔術誓約を」


 殿下の言葉を受けてクアッド様がヴィルガ様に沈黙の魔術誓約をかけます。

 ヴィルガ様の首にかつて私が師匠から受けたものと同じ魔法陣が吸い込まれていきます。

 それを見届けると、殿下は懐から赤銅色のロケットを取り出しました。


「見ていて、サリア」


 そして、そのロケットを握りしめ、ある呪文をつぶやくと、殿下の姿は、徐々にぼやけ、私がかつて会ったことのある、青年の姿へと変わったのです。

 姿変えの魔術。

 その姿はかつて、学院の裏庭で男子生徒に制裁を加えていたヴィルガ様達の仲裁に入った、勇気ある青年のそれでした。

 ――私の勇気を称えてくれた人。

 そして彼が、かつてヴィルガ様に地に這わされ、土にまみれたことを思い出しました。

 ――私怨。

 ヴィルガ様の言った意味が飲み込めて、私の視界の端がゆがみます。

 高貴なこの方にとって、あの出来事はどれほど屈辱だったのでしょうか。優しいこの方が復讐に囚われてしまうほどの。

 青年は、私の表情を見て寂しげに、何かあきらめたかのような表情をされます。


「これが僕の秘密だよ。あの日、僕達は、君と出会っている。魔女グエンドリンに譲ってもらった姿変えの魔道具だよ」

「おつらかったの、ですね」

「つらかった。情けなかった。あの日、僕は王太子という肩書がなければ何もできない人間なんだと、価値のない人間だと思い知らされた――そして僕は、そんな僕を君に知られるのが怖くて、君に幻滅されるのが怖くて、このことをずっと黙っていたんだ」

「私は、幻滅などいたしません!」

「うん、君ならそう言うのは分かってる。だから、これは王太子としてより、男として見栄を張りたいというつまらない感情なんだ。好きな人の前では、完璧でいたいだろう?」

「好き……?」

「僕は、何度も君に好きだと、好ましいと告げたつもりだったんだけど。君は、優秀なのに自分に向けられる好意には本当に鈍いんだね。会って早々に、僕の告白も学業を褒められたと勘違いするし」

「ですが、私が好まれる理由なんてそれ以外にあり得ません。それに、殿下はそう振舞わなけらばならなかったのかと」

「確かに、周りにはそう思わせなければならなかった。格差婚約の為、そういう演技をしているのだと。でもね、サリア。事実は違う。はじめから言っている通り、僕は君を好きだから君を選んで、君を好きだから君にキスした。君を好きだからクアッドに嫉妬して、君を好きだから完璧な振りをするために隠し事もした。君を好きだから、権力という汚い手を使って、ジェレミアの前から君を奪い取った。――この婚約は格差婚約なんかじゃないんだよ。

 あの日は僕に現実を突きつけた、最低の日だった。でも、間違いなく僕の人生で最良の日だった。――君に出会えたから。

 君は、情けない、肩書を持たない僕自身を初めて認めてくれた人だ。君が、僕自身を信じさせてくれた。君が僕を、価値あるものに変えてくれた。君に会えたから今の僕があるんだよ。僕は、二年前のあの日、震えながらもジェレミアに立ち向かう君に出会って、恋に落ちた」


 心臓が大きな音を立てていました。

 私は、覚悟していたのです。

 殿下が、私を選んだのが例え私怨からでも構わない、それでも、私の殿下を好きな気持ちは変わらない。どんな理由だろうと受け止めて見せると。

 それなのに。

 どうしよう。

 私の知らない時から、こんなにも私自身を見てくれていたなんて。

 私の殿下への気持ちは、変わらないどころか、ますます大きくなってしまうなんて。


「でも、それはジェレミアもきっと同じだったんだろう。ジェレミア、君には、恋敵であるから、多少思うところはあるよ。けれど、僕がサリアを求める理由は、復讐とか、私怨とか、決してそんなものではないんだ」


 殿下は、再び呪文を唱え、元の姿に戻られました。


「僕は、本当に君が好きなんだよ。他の誰にも渡したくなかったんだ。本当は、もう少し準備するつもりだったんだ。君を何の憂いもなく王家へ迎えるための。でも、ジェレミアが君への婚約を打診したという話を聞いて、焦ってしまった。君や、伯爵に選択肢すら与えず無理やり婚約をせまったこのやり方は、最低だったよ」


 殿下は、そして、反対に回るであろうヤリス公爵が国内にいない隙を狙って、議会の準備もヴィルガ家の工作も間に合わないうちに強引に議会で承認させる動きをとったことを話してくださいました。周りに認めやすくさせるために、格差婚約だと思わせるように議会を誘導したことも。


「僕は、やり方を間違えた。君の本当の望みを聞かずに、無理矢理君をこの地位に縛り付けてしまった。君はあの日、僕の勇気と正義を称えてくれたのに。それをなせなかった自分を、僕は心底軽蔑する。――この償いはするよ。君の望みを叶えるよ。後のことは心配しないでいい。君はどうしたい? 婚約破棄したいんだったね。クアッドの側へ行きたい? 魔塔への推薦を書こうか? ヴィルガと婚約する? 外国へ行くかい?」


 殿下のその声にわずかに震えがまじっていいるのに気づき、私は顔をあげます。

 この人は、無理をしているんだ。

 あの時の私と同じ。震えて。

 けれど、きちんと間違いを認めて、正すことのできる人、震えながら、前に進むことをやめない人。

 愛しさがこみ上げる中、私は、殿下に私の気持ちを何もお伝えしていなかったことに気づきました。

 私は、それを伝えたくて、殿下を追いかけたのに。


「サリア、でも、でも、叶うならば僕を選んで欲しい。君に側で支えてもらえたら、僕は――」

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